第082話 おっさん、トロイド砦の朝
レイラとブルムロックの最後の一撃がコアを粉砕した瞬間、アンデッドドラゴンの断末魔の絶叫が途絶えた。
白み始めた東の空を背に、巨体を支えていた偽りの命は霧散する。眼窩に宿っていた怨嗟の赤い狂星が、ゆっくりと光を失う。
もはや骨を繋ぎとめる力は無い。ガチャガチャと耳障りな音を立てながら、組み上げられた骨の竜は均衡を失い、積み木崩しのようにトロイド砦の瓦礫の上へと崩れ落ちていく。
一瞬の静寂。辺り一面に広がる竜の遺骸。
戦場にいた誰もが、崩れ落ちるアンデットドラゴンの最後を見つめていた。
「……ケッ、大したことねぇじゃねえか!」
最初に沈黙を破ったのはレイラだった。呪いの小手を打ち鳴らし、獰猛な笑みを浮かべる。
「ふぅ……小僧の博打に乗った甲斐があったのう。流石に骨が折れたけん」
ブルムロックは巨大な戦斧を肩に担ぎ直し、ドワーフらしい冗談を飛ばすが、その赤銅色の顔には隠しきれない疲労が浮かんでいた。
「やった……勝った……のか……?」
後方で指揮を執っていたヨシダは、アンデッドドラゴンの巨体が完全に動かなくなったのを確認すると、張り詰めていた緊張の糸が切れ、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「やれやれ、人使いが荒いでござる。これで借りは返したでござるよ」
「ふん。某の剣技を披露するには、少々物足りぬ相手であったな」
ムエイとマサクニが、静かに刀を鞘に納めながら合流する。その視線は、もはや敵意ではなく、共に死線を越えた者たちへの奇妙な連帯感を帯びていた。
「見事じゃ、ヨシダ! わしが見込んだだけはある。おぬしの作戦、確かに勝利を掴んだぞ!」
タリシアが聖鎖を解きながら満足げに頷く。ルシアンも、忌々しげに舌打ちしつつも、その結果は認めざるを得なかった。
「……お猿さんにしては、まあまあな指揮でしたね」
その時、空から一条の光が舞い降りてきた。
「グルルゥ……」
フレアを乗せた聖龍イーセリオンが、ヨシダの傍らに静かに着地する。
フレアは、その背からよろめくように降り立った。15年間、悪夢の象徴であった竜。そのトラウマを、今、彼女は自らの手で、そして新たなの相棒と共に打ち破ったのだ。
「……終わった……」
フレアは、瓦礫と化したアンデッドドラゴンを見つめ、静かに呟いた。その瞳には、恐怖も憎しみも無く、ただ、登り始めた朝陽の光が反射してきらめいていた。
「フレア!」
ヨシダが慌てて駆け寄る。
「ああ、ヨシダ……アタシ、やったよ。あの日、理不尽な運命に抗うと誓った……アタシ達の、勝ちだ」
震える声でそう言うと、フレアは安堵したように笑った。
「ああ、そうだな。最高の相棒じゃないか」
ヨシダも、フレアの肩を叩き、力強く頷いた。
魔女たちが残した最悪の置き土産は、王都が誇る冒険者たちと、異世界人のゲーマー、そして過去を乗り越えた騎士の活躍によって、ついに夜明けと共に完全に沈黙した。
「さて、と」
ヨシダは立ち上がり、捕縛されているはずのジャイアル伯爵たちがいた方向を見やる。
「勝利の宴の前に、まだ後片付けが残ってるぞ!」
その声は、夜明けの砦に高らかに響き渡っる。その声に、疲労困憊だった冒険者たちは再び顔を上げた。
「ケッ、まだ仕事が残ってんのかよ」
レイラは悪態をつきながらも、スノーウルフのメンバーに顎をしゃくり、捕縛した罪人たちが集められている場所へと向かわせる。ジャイアル伯爵をはじめとする反乱分子たちは、アンデッドドラゴンの登場という想定外の事態に腰を抜かし、縄を解かれたにもかかわらず逃げ出すことすら忘れていた者も多かった。
「さて、伯爵様。無慈悲な運命とやらは如何でしたかな?」
ブルムロックが、瓦礫の陰で未だ震えているジャイアル伯爵の襟首を掴んで引きずり出す。
「ひっ、あ、あ……魔女たちは、魔女たちはどうしたのだ!?」
「アンタらを見捨ててとっくに消えたわい。さあ、王都に戻って裁きを受けてもらうとしようか」
鋼匠の心臓の面々はアレスタ伯爵の兵士と共に手際よく罪人たちを拘束していく。
ヨシダは、その様子を見届けると、傍らに立つ二人の極東人に向き直った。
「マサクニ、ムエイ。アンタらには助けられた。礼を言う」
マサクニは静かに首を横に振った。
「礼には及ばぬ。某は武士の矜持に従ったまで。それに、雇い主があのような無様な姿を晒した以上、我らもこのまま立ち去るわけにはいかなかったでござる」
「そうでござるな。王都が火の海になれば拙者らの寝床も危うくなるでござる……それに、借りは返したでござる」
ムエイはそう言うと、フレアと彼女の傍らに佇む聖龍イーセリオンに鋭い一瞥を送った。地下通路での借りを、この土壇場で返したというわけだ。
「では、某らはこれにて」
「行くのか?」
「義理は果たした。これ以上、冒険者ギルドのいざこざに付き合う趣味はござらん」
マサクニが踵を返すと、ムエイも音もなくその後に続く。二人の姿は、昇り始めた朝の光の中に溶けるように消えていった。
「……行っちまったか」
ヨシダが呟いたその時、隣にいたフレアがイーセリオンの鼻先にそっと触れた。
「ありがとう、イーセリオン。アンタのおかげだ」
「グルルゥ……」
聖龍は心地よさそうに目を細めると、その白銀の巨体が足元からゆっくりと光の粒子となって霧散し始めた。
「あ……」
「役目を終えた、ってことなんだろう」
ヨシダが静かに言う。スキルによって召喚された存在。この絶望的な戦局を打開するという条件を満たし、その役目を終えたのだ。
フレアは、消えゆく相棒の姿を、ただ黙って見つめていた。彼女のトラウマの象徴が、今、最も頼もしい仲間として彼女を救い、そして光となって天へ還っていく。
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。それは、15年間の悪夢の終わりを告げる涙だった。
「……全く、とんでもない夜じゃったわい」
いつの間にか、タリシアがヨシダの隣に立っていた。その顔には深い疲労の色が浮かんでいるが、その目は確かな満足感に輝いている。
「ヨシダ。おぬしに指揮を任せて正解じゃった。あの日、わしらが為しえなかったことを、おぬしは成し遂げた」
「俺一人の力じゃないですよ。皆がいたから……それに、フレアが聖龍を呼んでくれたおかげです」
「謙遜は無用じゃ」
タリシアは笑う。
「あの状況で即座に航空戦力の利点を理解し、弱点看破とヘイトコントロールを任せ、地上部隊の役割を明確にし、伝説級の魔導士すら駒として使った。あのような采配、王都広しと言えど、おぬしにしか出来ん」
「……お猿さんの奇策がたまたま当たっただけですよ」
背後から、ルシアンの不機嫌そうな声が飛ぶ。彼はまだヨシダの指揮に納得がいかないようだったが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「だが……タリシア様のおっしゃる通り、お前の博打がなければ我々は負けていたかも知れない。その点は、まあ、認めてやる」
「そりゃどうも」
ヨシダは素直に礼を受け取った。
完全に陽が昇り、朝の光がトロイド砦の残骸を照らし出す。
アンデッドドラゴンが暴れまわった跡は、まるで本当の竜災が過ぎ去ったかのように無惨だった。
「さて……」
ヨシダは大きく伸びをする。
「とんでもない夜だったな。早く帰って、寝たいぜ」
王都への帰還は、夜明けの光の中、始まった。
勝利の凱旋とは言い難い、疲労困憊の行軍。しかし、彼らの顔には、王都を、そして自らの過去を乗り越えた者たちだけが持つ、確かな達成感が刻まれていた。




