偽りの顔
リンの背はゆるやかな坂を上がっていた。
風が強くなり始めていた。マキは枠の縁に手を置き、前方の空を睨むようにして小さく呟いた。
「もっと早く着く方法、ないのか……」
彼女の視線が、自然とルーシーの方へ流れる。ルーシーは自分の掌を静かに見下ろしていた。薄い青い光が、指の間で揺れている。マキの視線に気づいて顔を上げたが、彼女はすぐに前方へ視線を戻した。
そのとき、ピーターが急に手を上げた。
「止まれ」
マリンが手綱を引き、リンはゆっくりと停止する。バレンタインが目を細めた。
「何か、おかしい」
ピーターは前方の空気を嗅ぐようにして、肩をすくめた。
「気にしすぎだ。行け」
誰も反対しなかった。リンは再び動き出し、古い石の門をくぐる。門を越えた瞬間、空気の質が少し変わった。道は細くなり、両側に高い岩壁が迫ってくる。
行程の四分の一を過ぎた頃だった。
突然、前方に複数の人影が立ちはだかった。全員が筋肉質で、武器を下げている。一人が前に出て、大声で言った。
「そこで止まれ。その宝石の情報、俺たちも狙ってる。願いを叶えるためか、街のトップになるためか知らないが、邪魔はさせない」
マキが舌打ちをする。マジンは静かに枠から降りた。両手をポケットに突っ込んだまま、相手たちの正面に立つ。
「聞け。道を空けろ。空けないなら、空ける」
相手たちは大笑いした。
「何言ってんだ、お前」
彼らはマジンが誰なのか、知らなかった。
一人が最初に殴りかかった。拳がマジンの頬に当たる。だが、音はしなかった。殴った男の方が顔を歪める。次の男が全力で殴った。拳がぶつかった瞬間、男の手が潰れた。皮膚が裂け、白い骨が覗き、血が噴き出す。男は悲鳴を上げて膝をついた。
マジンは短く足を振り、その男を蹴った。体が後方へ飛ぶ。続けて、彼は片手を軽く動かしただけだった。男の手首から先が、まるで最初から繋がっていなかったかのように落ちる。
強い風が舞い上がった。
マジンは小さな球体を取り出し、リンの方へ放った。球体は枠の周囲で光の膜を展開し、リンを完全に固定する。獣も人も、その場から動けなくなった。
マジンは歩き続けた。その髪が、徐々に赤く染まっていく。
一人が背後から短刀を突き出した。刃はマジンの背に届く寸前で空を切った。マジンは動いたようには見えなかった。ただ、次の瞬間には男の正面に立っていた。蹴りが入り、男は大きくのけぞる。マジンは短く助走をつけ、片手を横に払った。
男の体が止まった。
一秒。
二秒。
頭が、胴体から落ちた。
マジンは振り返りもせず、障壁を解除した。光の膜が消え、リンが再び動けるようになる。彼は枠に乗り込み、短く言った。
「行くぞ」
誰も何も言わなかった。
リンは再び走り出す。湖が近づいてくるにつれ、周囲の景色が変わっていく。岩壁が低くなり、遠くに街の明かりのようなものがちらつき始めた。
マキが地図を広げ、顔を曇らせた。
「この先は街が続く。四分の三地点を越える前に、かなり面倒な道がある。そして……その手前に、罪の王の領域がある」
沈黙が落ちた。
バレンタインが静かに言った。
「倒した者はいない、と」
「近いところまで行った者はいる。だが、殺した者はいない。まともに戦えなかった者の方が多い」
マジンが落ち着いた声で続けた。
「今は、無理に突っ込む段階じゃない。まずは情報と準備だ」
ピーターが鼻を鳴らした。
「一緒にいる限りは、何とかなるだろ」
マキは全員の顔を見渡し、短く頷いた。
「……そうだな。とりあえず、離れないことだけは守る」
全員が同意した。
リンは湖を目指して進み続けた。
その頃。
遠くの屋根の上に、一人の男が座っていた。
質感のあるダークブラウンの髪は、耳を少し越える長さで、不均一に乱れながら顔を縁取っている。顎の線はシャープで、左目の下には×字のような傷跡があった。吊り上がった瞳は、落ち着いた明るい茶色をしていた。
男はリンの列を遠目に追いながら、低く呟いた。
「全て、予定通りだ」
一行が視界から消えると、彼は屋根から音もなく降りた。着地した足元で、砂が小さく舞う。
「マリンを演じるのも、悪くなかった」
彼は首をゆっくりと回し、誰もいない方向へ向かって言った。
「今の時代、人を騙すのは簡単だな」
背後から複数の足音が近づいてくる。数人の男たちが慎重に距離を詰めてきた。男は振り返りもせず、静かに告げた。
「それ以上近づかない方がいい」
風が止んだ。
屋根の影が、ゆっくりと彼の顔を隠していく。




