青い光
リンの背は、朝の空気を切って進んでいた。
マリンが手綱のようなものを握り、獣の動きを制御している。彼女の手元は意外なほど安定していた。バレンタインは目を閉じ、フロスティは遠くの山並みを無言で見つめている。マキは枠の端に腰を下ろし、時折進行方向を確認していた。
ルーシーは端の方に座り、膝の上に手を置いたまま動いていなかった。
昨夜のことばかりが頭の中を巡る。
男の頭部を棒で打ち抜いた感触。骨が沈んだ時の抵抗。血の匂い。そして、マキと同じベッドで過ごした夜。彼女の呼吸が近くにあったこと。左側にいるだけで、温度が違っていたこと。
(助かった礼、か)
そう言われて頷いた自分の声が、まだ耳の奥に残っている。嬉しかったのか、戸惑ったのか、今でもはっきりしない。ただ、あの夜は長く、そして短かった。
そのときだった。
胸の奥が、急に熱を持った。
ルーシーは眉をひそめる。熱はすぐに体全体へ広がっていく。手足の先まで、何かが流れ込んでくるような感覚。今まで感じたことのなかった密度が、内側から押し上げてくる。
視界が白く滲んだ。
次の瞬間、彼の意識は途切れた。
——。
目を開けたとき、そこは真っ白な空間だった。
上下の区別がつかない。壁も床も天井もない。ただ白い光だけが、全方向から均等に満ちている。音もない。自分の呼吸さえ、少し遠くに聞こえた。
「心配しなくていい」
声がした。
ルーシーが振り返ると、一人の女性が立っていた。身長は百六十八センチほど。肌は血の気を失ったように青白く、白い髪が肩まで落ちている。瞳は落ち着いた茶色だった。
「私の名前はブルー。意志の神だ」
ルーシーは言葉を失った。
ブルーはゆっくりと近づいてくる。その足音は、白い空間に不釣り合いなほどはっきりと響いた。
「どれだけ頑張っても、私のことを誰にも話せない。それは最初から決まっている」
ルーシーが何か言おうと口を開きかけた瞬間、ブルーは彼の胸に手を当てた。掌が触れた箇所から、熱く澄んだ何かが一気に流れ込んでくる。
意志エネルギー。
そして、魂。
二つの力が、欠けていた器の中に無理矢理注がれていくような感触だった。胸の奥が拡がり、全身の神経が一度に目を覚ます。ルーシーは思わず膝をついた。
自分の体の周りに、薄い光がまとわりついているのが分かった。色は明るい青だった。
ブルーは手を離し、一歩下がる。
「他に聞きたいことはあるか?」
ルーシーは息を整えながら、顔を上げた。
「俺がここに来たのは……お前のせいなのか?」
ブルーは小さく笑った。感情の温度が感じられない、薄い笑みだった。
「時間切れだ」
次の瞬間、白い空間が崩れる。
ルーシーは再びリンの上にいた。
体を起こすと、周囲の景色は先程までと変わらない。マリンはまだ手綱を握り、マキは前方を見ている。誰も、彼が意識を失っていたことに気づいていない様子だった。
(今のは……)
彼は口を開こうとした。ブルーのこと、白い空間のこと、胸に流れ込んだ力のことを話そうとした。
その瞬間、心臓を鋭い何かで刺されたような激痛が走る。体が前に折れる。痛みはすぐに頭へも広がった。額を押さえ、歯を食いしばる。
もう一度、言葉にしようとした。
だが、頭痛がさらに深く抉ってくる。
ルーシーは諦めて、枠に体を預けた。
ゆっくりと両手を持ち上げる。何も考えていないのに、掌の中央から明るい青い光が溢れ出した。炎というよりは、液体のような光。指の間を伝って滴り落ちそうで、落ちない。
彼は自分の手を見ながら、小さく息を吐いた。
(……これか)
胸の奥に、抑えきれない高ぶりが広がっていく。
しばらくして、前方に村の影が見えてきた。
マリンがリンを減速させ、やがて止める。全員が枠から降りた。ルーシーは自然とマキの隣に立つ。彼女は特に何も言わず、村の入口へ歩き始めた。
「何を探すんだ?」
ルーシーが聞くと、マキは短く答えた。
「地図だ。峠の道を確認したい。それにな、本番は火曜からだ。今日は土曜だぞ」
ルーシーは足を止めた。
「……土曜? じゃあ、もっと屋敷にいられたのか」
「ああ。いたかったか?」
マキは軽く肩をすくめて先を行く。ルーシーは何も言えず、彼女の背中に続いた。
村の中は意外と活気があった。獣の頭を持つ人々が荷物を運び、店先で声を上げている。二人は地図を扱う店を見つけ、古い羊皮紙のような地図を一枚購入した。マキはそれを丁寧に畳み、懐にしまう。
再びリンに戻り、出発する。
獣は村を抜け、緩やかな下り坂に差しかかった。そのとき、足元で何かが崩れるような音がした。
リンが大きく傾ぐ。
次の瞬間、世界が横回転した。
激しい衝撃。食料の袋が飛び、誰かの短い悲鳴が聞こえる。ルーシーは枠から放り出され、地面に転がった。体を起こすと、リンは横倒しになり、動かない。マキもバレンタインもフロスティもマリンも、意識がない様子で倒れていた。
「おい……!」
ルーシーはリンの横に回り、枠を持ち上げようとする。足に力を込め、腕に青白い光を集める。獣の体重は想像以上だった。枠は少し動いたが、完全に起こすことはできない。
そのとき、鋭い鞭の音が聞こえた。
ルーシーが顔を上げると、一人の男が道の向こうに立っていた。手には棘のついた鉄球が鎖で繋がれている。男は無言でそれを振り回し、 lucy めがけて放った。
鉄球が風を切って飛来する。
ルーシーは反射的に低い姿勢を取り、横へ転がった。棘が地面を削り、土煙が上がる。男はすぐに鎖を引き戻し、自らも疾走してきた。
距離が一気に詰まる。
男が拳を振り下ろす。ルーシーは頭を下げてそれをかわし、そのまま相手の腹へ自分の拳を叩き込んだ。
掌に集めていた青い光が、衝撃と同時に爆発する。
男の口から血が噴き出た。体が大きくのけぞり、後退する。
ルーシーは自分の手を見た。
青い光が、徐々に色を変えていく。橙へ。熱を帯びた、攻撃的な色へ。
男は膝をつきながらも、まだ剣呑な目を lucy に向けていた。
ルーシーはオレンジに染まった光を見つめながら、静かに息を吸った。
新しい力が、確かにそこにあった。




