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第4話「喉を潤す温もりと金色の残滓」

 部屋の空気が、ふわりと温かい匂いに包まれた。

 重厚な扉の向こうから、銀の装飾が施された手押し車が静かに部屋へと運び込まれる。

 真っ白なエプロンを身につけた初老の侍女が、音を立てずに頭を下げて部屋を後にした。

 リゼットはベッドの上で身を縮め、運ばれてきたものを見つめる。

 手押し車の上には、湯気を立てる白い陶器の器と、柔らかな焼き色のついたパンが並んでいた。

 澄んだ琥珀色のスープからは、鶏肉と香味野菜をじっくりと煮込んだ豊かな香りが立ち上る。

 胃の奥がその匂いに反応して、小さく、しかしはっきりとした音を鳴らした。

 リゼットは顔に血を上らせ、両手で慌ててお腹を押さえる。

 ヴァレリア家では、温かく栄養のある食事はすべてマリアンヌのものだった。

 リゼットに与えられるのは、硬く干からびたパンの切れ端と、塩味すらない薄い汁だけ。

 家族が食事を終えたあとの冷たい厨房で、使用人の目を盗むようにして腹を満たす日々。

 こんな豪勢な食事を自分が口にしていいはずがないと、恐怖に似た感情が胸を締め付ける。

 怯えたように視線をさまよわせる彼女の様子に、レオンハルトは小さく目を細めた。

 彼は立ち上がり、手押し車からスープの入った器と銀の匙を手に取る。

 再びベッドの傍らに腰を下ろすと、匙でスープを静かにすくい上げた。

 湯気を散らすように軽く息を吹きかけ、温度を確かめてからリゼットの口元へと運ぶ。


「少しずつでいい。胃が驚かないよう、よく煮込んである」


 匙を差し出されたまま、リゼットは口を真一文字に結んで固まっていた。

 誰かに手厚く食事の世話をされるという経験が、彼女の記憶には存在しないのだ。

 ましてや、一国の王太子に世話を焼かれるなど、不敬を通り越して命の危険すら感じてしまう。

 ためらいの色を隠せない彼女に対し、レオンハルトは急かすことなくただ静かに待っていた。

 匙を持つ彼の手は微塵も揺れず、その瞳には海のように深い慈愛だけが広がっている。

 リゼットは恐る恐る口を開き、差し出された銀の匙をくわえ込んだ。

 温かな液体が舌の上を滑り、豊かな旨味が口いっぱいに広がる。

 丁寧に裏ごしされた野菜の甘みと、体が芯から温まるような優しい塩気。

 それは、彼女がこれまでの人生で一度も味わったことのない、本物の食事の味だった。

 喉の奥へ流し込むと、冷え切っていた胃袋の底からじんわりと熱が広がっていく。

 体の末端まで血が巡り始める感覚に、リゼットは小さく肩を震わせた。

 次の一口が差し出され、彼女は無言のままそれを飲み込む。

 三口目を飲み込んだとき、不意に視界が歪んだ。

 ぽろり、と。

 大きな水滴がまぶたからこぼれ落ち、純白のシーツに濃い染みを作る。

 泣いている自覚すらなく、ただとめどなく涙があふれて止まらなくなった。

 冷たい雨に打たれながら泥の中を這いずり回った惨めな記憶。

 誰からも愛されず、必要とされずに切り捨てられた絶望。

 それらが温かいスープの熱とともに溶け出し、涙となって体外へ排出されていくようだった。

 リゼットは顔を両手で覆い、肩を震わせて声を殺して泣きじゃくる。


『ごめんなさい、私、こんなふうに泣くつもりなど』


 謝罪の言葉を紡ごうとしても、嗚咽が邪魔をして声にならない。

 レオンハルトは器を卓に置き、彼女の震える背中にそっと大きな手を添えた。

 一定のゆっくりとしたリズムで、子供を寝かしつけるように背中を優しく撫でる。


「泣いてもいい。君が流すべきだった涙は、すべてここで流していきなさい」


 彼の低い声が耳元に届き、リゼットの胸の奥で張り詰めていた糸がふつりと切れた。

 彼女はシーツを強く握りしめ、声を出して泣き始めた。

 長年の搾取と虐待で傷ついていた心が、初めて安全な場所を見つけて悲鳴を上げる。

 どれほどの時間が経ったのか、リゼットの涙がようやく落ち着きを取り戻し始める。

 赤く腫れた目で顔を上げると、レオンハルトが親指の腹で彼女の頬の涙をそっと拭った。

 その瞬間、リゼットの体の内側から、淡い金色の光の粒子がふわりと舞い上がった。

 彼女の深い悲しみと安堵に呼応するように、魔力のかけらが部屋の中を漂い始める。

 それは蛍の光よりも儚く、しかし確かな温もりを持って空気を浄化していく。

 部屋の隅に残っていた微かな埃の匂いすら消え去り、森の中の澄んだ泉のような空気が満ちた。

 リゼットは自分の体から発せられる光に驚き、息を呑んで体をこわばらせる。

 実家にいた頃は、こんなにもはっきりと光が形を成すことはなかった。

 魔力を持たない無能だと蔑まれていた自分が、なぜこんな奇妙な現象を引き起こしているのか。

 気味悪がられて、今度こそ本当に捨てられる。

 そんな恐怖がよぎり、リゼットは自分の両手を抱え込むようにして身を縮めた。

 しかし、レオンハルトの瞳には恐れや嫌悪の色は一切浮かんでいなかった。

 彼は宙を舞う金色の粒子を見つめ、どこか懐かしむように目を細める。

 そして、怯えるリゼットの手に再び自分の手を重ね、その甲に静かに唇を落とした。

 彼の温かな息が肌に触れ、リゼットの鼓動が大きく跳ねる。


「この美しい光が、かつて私を死の淵から救い出してくれた。君自身が気づいていなくとも、私は決して間違えない」


 彼の言葉は静かで、しかし揺るぎない確信に満ちていた。

 リゼットは自分の手元でかすかに明滅を続ける光の粒子を見つめる。

 これが本当に自分の中から生み出されているものなのか、まだ半信半疑のままだった。

 それでも、彼女を見つめるレオンハルトの瞳の奥にある熱だけは、確かな真実としてそこにある。

 リゼットの胸の奥で、冷たく凍りついていた何かが、小さな音を立てて崩れ落ちていった。

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