四章 山の海神様は嫉妬深い エピソード08 悪夢は現実へ
俺はつい先ほど悪夢から目覚めた。しかししばらくの間は、寝床から起きないで天井を見続けて居た。
夢の内容を思い出そうとしていたのではない。そんなものどうでもいい。忘れられてむしろ清々するくらいだ。
「……………………っ」
だから、俺が声を噛み殺し眉をひそめ続けているのは、気分がすこぶる最悪だったから。
激痛を伴う鬼畜クソ女が夢に出たという事は、俺の平穏の終わりを意味する。
つまり、
「くそ、ゴミが…………ついに来たか。」
「キヒヒ」
うわ…………幻聴まで聞こえたぞ。寝起きで聞くには最悪の第一声だ。これで今日一日、俺が気分を持ち直すことは無いだろう。
とすると、他者に八つ当たりをしないように気を付けねばなるまい。
「あん☆あん♡~負けちゃう~~って、あれれ~?ド外道君、起きたんじゃなぁ~い☆」
…………なぜだろうか。鬼畜クソ女の声が非常に近場で聞こえる気がするのだが。
「え?あらほんとね。アルマちゃんおはよう」
…………ああ、マルファの声と聞き間違えたのか。
安堵し、挨拶をそちらの方へ投げようと上体を起こした時、俺はとんでもないものを見た。
「…………あら?アルマちゃんどうしたの。目どころか、鼻の穴までおっきく開いちゃって。」
「キッヒヒ!アホ面~~☆!!!!」
俺を馬鹿にするマルファと鬼畜クソ女の二人が、楽しそうににトランプに興じていたのだ。
「いや…………待て」。俺は落ち着くため、一旦深呼吸をした。そして、ここまでの経緯を――――状況を整理するために、記憶の引き出しを開ける作業に取り掛かる。
確か昨日は巫女さんとの話が終わった後、境内の社を拠点として使ってよいと許可を貰ったはずだ。
「…………アルマちゃん。何をキョロキョロしているの?」
俺が体を動かすと床に堆積していた埃が舞い、少しの咳を誘発した。加えて、今居る場所が長年にわたり存在してきた弊害か、かび臭さも鼻孔を突いた。他にも俺が入室する際に悪戦苦闘した建付けの悪い引き戸や、採光のために取り付けられた格子窓。室内の様相にも覚えがある。
という事は、よし大丈夫だ。ここは社の一階部分。廊下にズラリと並んだ引き戸の一室で間違いはない。ならばきっと俺の記憶に抜け落ちた部分は無い筈である。
ではなぜ、マルファもここに居るのだろう。彼は確かビリー爺さんの所へ戻ったはずなのだが、
「アタシ?いや、朝になったからアルマちゃんのとこに戻って来ただけだけど…………」
なるほど…………?そう言えば昨日のうちに全てを決めるのは早計と言う事で、また後日――――つまりは今日チャーチヒューズ工業についての対策を改めて考えると言っていたな。
じゃあなんで、
「キヒヒ、なァにぃ?ド外道君。」
なんで、鬼畜クソ女もここに居るのだ。でも、そう思っても口が動かない。というか聞きたくない。
「そぉ~~んなもの欲しそうな顔してぇ。目覚めのチュウが欲しいのかなん??」
そもそも、聞こうという気が霧散する。視界に入れたくもない。即刻ご退場願いたい。
だってなぁ…………絶対まともな返答なんて帰ってこないだろう。戯言、虚言、妄言のオンパレードに決まってる。
「あれぇ?ド外道君~?おーい起きてる~~???」
人が真剣に悩んでる最中にキンキンと耳障りな…………蚊かコイツは?本当にうぜぇな。
よし、今すぐ殺そう。
「え、なんで火ィ灯してんのぉ?」
「あ゛ぁ?殺すからに決まってんだろ。」
「ちょちょちょ!!ま、待ってまってド外道君!!」
「動くな。照準がブレる。社ごと燃えたらどう責任を取るつもりだ。」
と、俺が立ち上がって一歩踏み鳴らした時、「待って!アルマちゃん!!」と、なぜかマルファが手を広げて鬼畜クソ女を庇いやがった。
「あ、アルマちゃん。今回の彼女は協力的みたいなの」
「知った事か。信用できない。殺す」
「ま、待って!!アルマちゃん」
「…………学者先生。俺はソイツを殺すにあたり、周りを巻き込まない加減の保証をしかねるのです。速やかにどかぬなら、お前事殺すぞ」
俺の右手には既に、火炎がとぐろを巻いている。マルファの背後に控える鬼畜クソ女を殺さんと轟々と唸り、荼毘に伏す一歩手前。
マルファの瞳には、火炎に彩られた俺の憎悪溢れる形相が映りこんでいる。だから、彼が怯えるように体を震わせ、喉を上下させたのも当然のこと。
…………いや、何が当然だ。ついさっき自分で戒めておいてこれだ。我ながら酷い八つ当たりだとハッとした。
「…………もう一度言います。学者先生。そこをどいてください。被害が出る前に、ソレを殺します」
「でも、その前に一度話しを聞いてみたら?」
「だから、無意味だと言っているだろうがッ」
俺のが鳴りに呼応し火炎も大きく揺らいだ。そのせいで、マルファの肩が大きく跳ねる。
くそが、こんなつもりじゃあないんだが。自制が利かない。ふつふつと怒りがこみあげてくる。しかし、この感情をマルファに向けるのはお門違いだ。
俺は鬼畜クソ女のみを睨みつけた。
「そこの鬼畜クソ女が、今までどれだけ俺の邪魔をしてきたか。あなたには分かっていない。」
「キヒヒ。サイッテー」
「…………自己紹介か?」
すると、鬼畜クソ女はマルファの方を指さした。
「その人、火傷してるよん?」
見やれば事実だった。マルファの正面側の衣服が焦げ、顔周りが赤くなっている。俺はその事態を省み、忌々しくも炎を握りつぶして消した。
マルファの顔を治癒魔術で治している最中。また腹が立った。この鬼畜クソ女に諭されたという事実が、無性に苛立ちを加速させたのだ。
「ゴミが。お前本当にどういうつもりだ。」
「慈善活動☆」
「は、は?ははは。お前がぁ?寝言は寝ていえ。そら、今すぐ永眠させてやるぞ」
「もう、沸点ヒックいなぁ!!プンプンだよぉ」
「……………………。」
「ちょ!まてまって!無言で火ぃ出さないで!!!実は私ぃ心を入れ替えましたぁん」
「…………理由が見当たらない。」
「うーん…………死んでる間にさぁ、考えたんだよねぇ。ド外道君てば、あの女と接点持ったってわかったしぃ~…………それならこれからは君の傍に居た方が、私の望みも叶う確率上がるかもってぇ♡」
「信用できない。どうせまた、気まぐれにも無作為に人を殺すだろう」
「え。いやまぁじで。まじで。本当よん。なんなら望みを叶えるまっでぇ~、人的被害を出さないって彼方様に誓おうかぁ???キヒ。キヒヒ!」
「どういう風の吹き回しだ」
「もう全部話したよん。」
鬼畜クソ女はそう言うと、下ったらずな猫撫で声で媚を売る様に俺へと近づいてきた。そして、腕を掴まれ、頬を撫でられる。
「という訳で、落胤の君。これからよろしくねぇ」
俺は瞬発的に鬼畜クソ女を振り払い、顔面を殴りつけた。
鬼畜クソ女の肢体が床に打ち付けられる鈍い音と、マルファの低い悲鳴が部屋に響いた。
「あ、アルマちゃん!?」
「っと、失礼、学者先生。しかしながら、今のは威嚇ではありません。あまりにも悍ましく、反射的に手が出たのです」
そうこれは不可抗力です。例えるなら、お化けや百足が頬や腕に纏わりついてきたようなもの。無意識にも遠ざけようと言う防衛本能が発揮されたのです。
「だから、俺は悪くない。」
「キヒヒ、キヒ。ほんとひど~ぃ。女の子の顔ぶん殴るなんてェ。ねぇねぇ?私の顔痣になってなぁ~い?」
俺は鼻で笑った。だって、鬼畜クソ女の右頬は腫れあがり、瞼には青タンがきでていたから。その出来に満足した。
「アイシャドーなんか入れて、いつ化粧をしたんだ?」
「ね~治してぇ?」
「断る。これから巫女さんとの会話がある。お前は大人しくしていろゴミが。」
それからは鬼畜クソ女の宣いをすべて無視し、俺はマルファのみを視界に映す努力をした。
「話し合いは、あとどれくらいで始まるのですか」
「え、えっとそうね。あと一時間半後かしら。彼ら時計を持ってないから曖昧なんだけど…………あ、そうだ。その前に、アルマちゃんの朝ごはんあるわよ?」
そう言うと、マルファは壁の隅に寄せていた荷物の中から、葉っぱにくるまれた握り飯を取り出し俺に寄越した。それは形よく、程よい塩梅の握り加減で固められている。
マルファはその他にも、おかずとしてお新香と水筒を取り出した。
「い、一応、お味噌汁も持ってきたけど、流石に冷めちゃってるかも」
「おや、気が利きますね」
握り飯は俺が抱いた感想通り。口の中で柔らかく解け塩気も丁度良かった。味噌汁はやはり冷めていたが、それでも握り飯のお供としては十分な食欲増幅材の役割を果たす。
おかげで、ニ十分もしない内に俺は全て平らげたのだ。
「ど、どうだったかしら」
「いえ、美味しかったですが…………なぜ、言い淀んでいるので?まさか、腐りかけを寄越したのですか?」
「私が作ったからだよん」
言葉の意味を解読することが出来ず、数分間俺は固まった。
しかし、
「お、おえ!!」
鬼畜クソ女の言葉を反芻した成果として、俺の胃袋がひっくり返った。
「うえ…………おえ…………ま、まさか。そんな訳がっ」
「ほんとだよぉん☆いや~ん美味しかったぁ?じゃあこれからもっと作ってあげるねぇ?文字通り、手塩にかけて」
直後、俺はその場を走り去った。涙目で境内に飛び出すと、自身の喉に指を指し込んで胃袋の中身を全てぶちまけた。
吐いていると、追いかけてきたマルファが背中をさすった。それは謝意のつもりらしい。
「…………アルマちゃん。」
「が、学者先生。俺はあなたに何か不徳を致したでしょうかね。このような仕打ちを受ける謂れは無いのですが…………」
「いや、その…………良かれと思って」
「では、今後はその善意を違うベクトルへ向けていただきたい。俺にトラウマでも植え付けたいのですかっ」
「でもぉ、美味しかったんでしょう~???キヒヒ」
そ、そうだ。確かに俺はそう口にしてしまった。
俺は、俺は…………。
「あ、あぁ…………ぅわあああああああああああ!!!!!!!!!!!」
生理的嫌悪感が臨界点を突破した証拠としての絶叫。
そして、その後の記憶は曖昧だ。
「アルマちゃん!?お、落ち着いて!!??」
遠くからマルファの声が聞こえた気がしたが、俺自身巫女さんが来るまでの間何をしていたかは定かではない。
聞いた話によると、俺は半狂乱で走り回ったかと思えば、四つん這いで鬼畜クソ女を追いかけ回していたらしい。どうりでその後、肘と膝が血まみれだったわけだ。
その一部始終を見ていたマルファからは、『危険な薬物でもやってるのかと思ったわ…………アルマちゃん。』とドン引きされたので、金を握らせ彼の記憶は消去した。




