四章 山の海神様は嫉妬深い エピソード03 マルファが言うには
ビリー爺さんの家の中は、外観を裏切らない古めかしい内装でした。
玄関を入ってすぐの地面が剥き出しの玄関土間に靴を置き、そこから上がり框を経て、かび臭い短い廊下を抜けると、また建付けの悪い引き戸が現れたのです。
「ちょっと待っててね、アルマちゃん。お爺さんに話してくるわ」
今更ですかとは思ったものの、特に叱責をするつもりも無かった。
マルファは常識が欠如した人間ではない。むしろ、学会に論文を発表し、本を出版することが出来る程のれっきとした学者様だ。そのため、何かわけが在るのだろうと思い、口を挟まなかったのである。
マルファが引き戸を開け中へ入っていった後、しばしの暇が出来た。その間はシーサーに対し、巻き込んで済まないと言う旨を伝え、残っていた木苺を全て渡し許しをこうた。すると、シーサーは嬉しそうに廊下の上でピョンピョンと飛び跳ねた。作戦は成功である。
ただ、そのせいで、良く言えば古風。悪く言えばおんぼろな家屋はギシギシと悲鳴をあげる。地震でも来たのかと思う程揺れてしまう事態に陥った。俺はもちろん「はしゃぎ過ぎですよ」と、シーサーの肩を掴み諫めようとしたのだが、
「ちょっと二人共。もう少し静かにね」
時すでに遅し。引き戸を開け顔をのぞかせたマルファから注意を受けてしまう。
なんで俺まで…………。
「さ、話はついたから、入っていいわよ」
弁解の余地もないままに、俺とシーサーは少し肩を落とした状態で部屋へと入った。その途端、かび臭い匂いが消え、他人の家の匂いとしか形容できない生活臭が鼻孔を突いた。
七畳程のスペースに寝床が二つある。一つはビリー爺さんでもう一つはマルファのものだと思う。
三方を塞ぐ土壁に窓はなく、光る鉱石のみがただ一つの光源として天井にぶら下がっていた。
「…………ぬしが客かい?」
しわがれた声はマルファの隣にいるウッドチェアに座ったご老体からだった。ならば彼がビリー爺さんなのだろう。
あいさつ代わりに、まずは宅配物を渡しましょう。
「俺はアルマと言います、ご老体。この野菜は道中あなたへ渡してくれと持たされたもので。どうぞお受け取りを」
しかし、ビリー爺さんは動かなかった。と言うより足腰が弱り俊敏性が損なわれているような感じか。
それゆえ、マルファが代わりに受け取り、「あぁ、ザルはそう言う事だったの」と苦笑したのだ。
その際、俺の横を通りシーサーがビリー爺さんの下へと駆け寄った。
「元気ー?」
「お、おお。ワダツミ様、来てくれたんかぁ…………」
なんだろうか。今ビリー爺さんの様子が少しおかしくなかったか。
「ワダツミ様?」とは何のことか。その疑問を俺は自身の表情に浮かべてマルファに問いかけると、彼は困り眉を作った。
「お爺さんね、ちょっとボケが入ってて。さっきまでは会話も出来たんだけど、ひょんなことですぐ昔の記憶が今を塗りつぶしちゃうのよ」
「あぁそれで…………納得いたしましたよ。だから直前まで俺達の事を彼に話さなかったのですか」
「そう言う事。変に刺激したくなくってね。だからたぶん…………今お爺さんは幼少期によく遊んでくれたって言う、巫女さんとシーサーちゃんを重ねてるんじゃないかしらねぇ。わかんないけど…………」
「…………はて。巫女と言いますと、この地域は何かしらを祀っているのですか?」
「その事なんだけど――――」
マルファはそこで言葉を一度切り上げ、ビリー爺さんの方を見た。ご老体は今シーサーと楽し気に会話して俺たちなど眼中にない状態である。マルファはその事を十分に確かめてから、少し距離を置いたとこへと俺の腰を下ろさせたのだ。
という事は、これから話す事柄はビリー爺さんのボケを加速させる。もしくは誘発させるトリガーになりかねないものなのだろうと察しが付いた。
「――――アタシがなんでここに来たのか、話は聞いてる?」
「いえ、聞いていません」。マルファの助手からは『先生がとある地域に足を運んだ』という情報だけを貰った。それというのも、マルファが研究室を構えている地域はそれなりに人が多い。そのため、鬼畜クソ女が一般人を毒牙にかけぬよう長居はおろか、長話さえ出来なかったためである。
「じゃあ、何処まで察しがついてるの?」
俺は首をすくめた。そして、「俺は学がありませんからね。」と自嘲気味に続ける。
「あなた方の高尚なお考えは、俺の理解の範疇を超えております。脳みそを絞ったところで見当違いな考察しか浮かびません。それとも素人質問で恐縮ですが…………と聞いた方がよろしいか?」
「またそんなこと言ってぇ…………別にアルマちゃんの事馬鹿だとか思ってないわよ」
「俺は事実を述べたまで。」賢い人は無意識に他者を下に見る傾向がある。それは俺の嫌うマウントを取られる行為だ。到底容認できない。警戒心も増すと言うもの。
「それで、学者先生はどうしてこんな辺鄙な所へ足を運んだのです。一体今回は何を研究対象としたのですか」
「単刀直入ねー…………今回はこの地域の人々が信仰している事柄についてよ。ほら、アタシ一応専攻は民俗学だから。」
「ほう、何を信仰しているのですか」
「そうねぇ…………まず、前提としてここって山間よね?」
「何を言うかと思えば」決まっている。ここは緑あふれる山脈だ。
実際、ここに来るまでの間、俺は未開拓の大自然と雄大な山々を越え、山の宝石たる鉱物らしきものも見て、山の幸と恵を受け取ったのだから。
「ここが山以外に何であると言うのですか。」
「でもね、ここの人たちが崇めているのは、ワダツミ様。」
「なんですそれは」
「海の神様よ、もっと正確に言えば海龍に近いのかしらね。」
「海龍…………ですか。ただの蛇なら腑にも落ちますが…………」
実際、山に住む蛇と言うものは長寿の象徴として、または長き時代をまたがり流れ続ける川になぞらえ、信仰の対象になっている場合はままある。
その事は、俺が悪魔祓いの術を探すため、各地域を歩き回った時、幾度か見てきた事実である。
「…………しかし、海とついては縁もゆかりも感じ取れません…………もしかて冗談ですか?」
「事実よ。アタシはここに来る前にその噂を聞いて、面白そうだと思ったから研究に来たの」
「ですが…………なんでまた。もしかして、川の先が海に通じているからとかですか?」
「いい仮説ね。アタシも最初同じように思った。海からの逆流による水害の線を真っ先に調査したわ。」
「…………つまりは、荒神を祀って鎮めると言う事ですね?」
「あら、詳しいわね」
その返事として、「まぁ、鬼畜クソ女を祓うために身に着けた、いらぬ知識が詰まっていますからね。」と、俺は自身の頭をこつんと小突いた。
「それで、成果はあったのですか?」
「結果は空振り。川は途中で湖に溜まってはいたけど、海には通じていなかった。次にアタシは増水による川の氾濫の線を調べた。でもそちらも空振り。氾濫なんて起きた形跡も言い伝えすらない。むしろ、穏やかで水質も良好。飲み水としても文句なし。この山に恵みをもたらしてくれている」
氾濫がない?それは少しおかしい気もする…………しかしながら、マルファがその事を調べていない訳も無いだろうし、「では、ますます分かりませんね」。
「だから、アタシはこの地域に少し張り込んで、地域住民からも信仰について話を聞いたわ。そしたらなんと、巫女さんがいるって言うじゃない?盲点だったわぁ…………そこまで根付いているとは思わなかったのよ。寂れた土着信仰程度だと思ってたから。」
「あぁ、それでようやく冒頭の話に戻るのですね」
「そうなのよぉ。」と、マルファは指を二つ立てた。「アタシがこれまでに仕入れた情報は以下の二点」。そう言うと、彼はまず中指を折る。
「一つ目は、二つある村のうち、ここでは『海神』様って呼ばれてて、もう一つの村では『海龍』様って名前で呼ばれてる事。」
「それは少女の名前では…………」。俺がそう口走った矢先、マルファは「この地域ではありふれた名前らしいわ。」と、神様にあやかって名付けられることが多い事を教えてくれた。
「では、もう一つは?」
俺が問うと、マルファは人差し指をピンと立てる。
「数十年に一度。二つの村の中から巫女様が一人選ばれるの。今期は女性だけど、歴代の中では男だったこともあるみたいね。性差はないみたい。彼女達は選ばれた後、時折山間に立てられた社に向かい、信託を聞くんですって」
…………もしや、俺が山の山頂で見たあの建物がそうなのだろうか。
「アルマちゃん、どうしたの?」
「言え別に。それで、信託はどのようなタイミングで?」
「すごいわよ。なんと、神様が夢枕に現れて、呼びつけるんですって!」
「はぁ?急にきな臭くなりましたね…………じゃあ姿を見ると言うのですか?どんな?」
「うーん…………それがねぇ…………まだなんとも。巫女様に面会が通ってないのよ」
「そこが一番盛り上がる所ですよ?拍子抜けにもならないオチはいらないのですが…………」
「アタシもねぇ、別に作るつもりはなかったんだけど、巫女さんガードが固くって…………ほらアタシこんな見た目じゃない?警戒されちゃったのよねぇ…………。」
「分かっているなら辞めればいいではないですか…………」
「いやよ!」と低音が俺の腹にずしんと響き、「アタシ、普段からこういう衣装しか持ち歩いてないし」そう言って、への字口を俺に向けるのだ。
「はぁ…………ではもしかして、このおうちに身を寄せているのはポイントを稼ごうとしているのですか?」
「ん~それは違うわ。ビリーさんには普通に良くしてもらったのよ。困った時はお互い様ですって」
「それはそれは、殊勝な心掛けではないですか」
「昔、巫女さんからそう言われたそうよ。」
「なるほど教育の賜物ですか。心の深くに根付いているのですね。俺の苦手な人種なようだ…………ですがあなた、それでは足踏みしているようなものではないですか。どうするおつもりか」
「あ、ははは…………そのぉ、お願いがあるのだけど、アルマちゃん?」
「まさか、俺に巫女さんを尋ねてくれと?」
「そう!このままじゃあアタシの研究が滞っちゃう~」
「しかし、俺は知恵を借りに来ただけなのですが…………」
「その支払いに手伝ってよぉ~…………」
「そうきましたか…………」。俺はうんざりとため息を吐いた。
とは言え、見返りを求められる事態は織り込み済みだ。ここは大人しく従ってしまおう。
そもそも、格好はどうあれマルファが突っぱねられたのだ。どうせ俺も門前払いが関の山。もっとも、そうなった場合俺の苦労は巫女さんのところまで足を運ぶという徒労だけで済む。その徒労と引き換えに、マルファの知恵を貰えるのなら安いものだと思う。
「…………仕方ありませんね。受けて差し上げますよ」
「いいのッ?」
「ええ。代わりに、どのような結果になろうとも、俺へ知恵を貸してくださいね」




