間幕 エピソード04 バーバラの日常2
「ン。クゥ~~…………」
やっと終わりましたわ。
首を回す度、ゴリゴリと人体が発してはいけない音が鳴りますし、室内は赤く彩られている。外は既に夕焼け。
時計を見ても夕焼けに相応しい時間。もう、午後の五時半。
「と言う事は…………四時間以上は同じ姿勢だったのですわね。」
お昼ご飯も抜いていたからでしょうか。仕事が一段落着いた事で、ついにお腹の虫も鳴り始めてしまった。
「はしたない…………」
もう一度伸びをして立ち上がると物音がソファーの方からする。
見てみると、伯父様が寝転んで寝息を立てていた。
「…………わたくしはお仕事だったというのに…………この人は」
でも、こうやって文句を言えるのも生きているから。そう思うと幸せな愚痴ともいえる。溜飲も自ずと下がる。
「さて、お夕飯…………の前に一度、ホーン様の家に顔を出さなければなりませんね」
これはもう定例行事といえるでしょう。
今日は仕事が溜まっていたから仕方なく執務室へ戻ったけれど、本来ならばほぼ一日中ホーン様の家で家事をして帰路に着くのです。
それに、今回はご子息様が交友に出かけたのだし、きちんと帰ってきているかどうか。確認しなければなりませんわ。
となると、
「伯父様。起きて下さる」
「うぇ?…………ぁあ、終わったのかい」
「ええ。戸締りをしてきますわ。伯父様はここを自由に使って構いませんから、何かあったら、部下に申し付けて下さる?」
「…………部下かぁ」
「あら、何か気にかかる事が?」
「君らの同僚って、怖い人が多いんだよね…………」
「あらまぁ…………何を今さら。大丈夫ですわよ、わたくしの身内であると声出しをしておきますから。無茶な要求でも無ければ、大人しく従いますわ。でないと、怖い目を見るのは彼らですし。」
「逞しくなったもんだね…………と言うか、やっぱり怖いじゃないの」
「躾ですわ」
「そ、そうかい?なら、いいか。あれ、夕飯はどうするんだい」
「わたくしが帰ってくる頃には、部下が作り終えているはずですけど」
すると伯父様は頬を膨らませ、「うーん」と顎をさすってわたくしの全体を眺めだした。その様子から、何かしらの不満事はある事は察せられる。
けれど、一体どんな?
「いや、ね。日が暮れてきたからか分からないけど。よく見たら君、少しやつれたんじゃないかい。顔色が悪く見える。普段何を食べてるの」
あら、これはまた意外な質問ですわね。でも、思い返してみれば言われる心当たりはありますわ。
実際、最近はホーン様からのご相伴を断る事も多かったですし、軽食がほとんどで栄養よりも手早く済ませられるサンドウィッチや、片手間に取れる行動食が多かった。
だから、えっと…………、
「…………サラダと、青汁。あと…………てきとうなフルーツ、でしょうか」
「だ、ダイエット中なのかい?」
「いえ、そのようなことは」
「だったら、今日はおれが作ろうか」
「あら、よろしくて?」
「うん、泊めてもらうしね。ミランダの好きな…………そうだな、ロールキャベツでも」
と、言われた途端。わたくしが頷くより早く。お腹の虫が返事をした。
「あっはっは。まかせない。」
「もう、笑わないで下さいまし。それじゃあ、材料があるなら、お願いいたしますわ」
これは思わぬ幸福が降ってきました。
伯父様の味は、母に似ている。トグサの街に居た頃は、よくご馳走してもらったことを思い出します。
「期待していますわ。伯父様」
「はいよ。行ってらっしゃい」
伯父様の声を背中に受け、わたくしは今いるリンドウ支部を後にします。
玄関口へ向かう途中、目に着いた部下に伯父様の件を伝え、ホーン様の家へと足を動かす。
とは言え、ホーン様の家はここから遠くない。徒歩で十数分の距離。言ってしまえばご近所さんとも言えるでしょう。
ただ、そのような近場であったことが、ダリオファミリーに立ち退きを命じられた不運でもあったのですが。今では守護しやすくて助かるくらいです。
しかしながら、秋が近づいてきている影響か。日が落ちる速度が日に日に早くなっており、わたくしがホーン様の家の灯りを見る頃には、既に夕焼けは暗い紫色へと変容していた。
わたくしが玄関のドアをノックすると、おそらく夕飯時であろう忙しさから、「はぁーい!ちょっと待って!」とホーン様の余裕のない声がして、些かの心苦しさを感じてしまう。
でも、煩わしいと思われても、きちんと確認しなければ。
「もし。ホーン様、バーバラです」
「ああ、何時ものね。勝手に入っていいわよー」
では、ご厚意に甘えて。
ドア開きお邪魔すると、コンソメ風味の良い匂いが部屋中に充満していた。
台所では、三人家族にしては大きめの鍋が今にも噴き出しそうに煮立っており、ホーン様はそこから目が離せないようだった。
けれど、普段ならホーン様の手伝いをしているはずの、ご子息様の姿が見えない。
一抹の不安がわたくしの表情を歪ませたのでしょうか。ホーン様はわたくしを見るや否や「あぁ、だいじょうぶよ」と苦笑した。
「クルシュは帰って来てるわ。今は泣き疲れて寝てるけど。」
「泣く。とは穏やかではありませんね。誰かにいじめられたのでしょうか」
だとしたら大ごとです。即刻相手を補足し、二度とそのような愚行を出来ぬよう懲らしめねばなりません。無論その相手が大人であれ子供であれ老若男女問わず。区別はしません。
けれど、ホーン様はまたも「大げさな」と苦笑する。
「違う違う。そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。ただ、クルシュのお友達の家がね、ちょっとごたついたみたいで、元気が無かったんだってさ。それで、踏み込み過ぎてちょっと口論になったみたいよ。」
「まぁ…………わたくし共で、何かしら策を講じましょうか。」
「んーどうかしら。聞く限りだと、そっち系統の話じゃないみたいだけど」
「と言う事は、地上げや、闇金等とは無縁と言う事ですか。ひとまず安心ですが、では一体?」
「旦那の不逞っぽいわよ?」
あぁ、家庭内不和とかそういう感じなのですわね。
となると、わたくしでは無力かもしれません。
「その顔見るに、厳しいんじゃない?」
「ぅ、すみません。」
「ふふ…………何も謝らなくたっていいのに。笑い事じゃあないけどさ、私達からすれば可愛い事よ。」
「……………………すみません。」
「え、あ!違う違う!!ごめんなさいね。責めるつもりじゃなくって、言葉のあやなのよ。あちゃ~…………やっちゃったわね。許して?ね?」
「いえ、構いませんわ。」
この罪悪感こそが罰なのです。この仕事をする上で避けては通れぬ咎。それを、甘んじて受け入れるなんてとんでもない。悪人達はもっと苦しむべきなのです。
人の命をお金に換える商売なのですから当然です。この感情を無くし、一線を越えてしまったら、わたくしはアルマ様に殺されるでしょう。
いえ、殺してもらわなければ困る。
「ホーン様は間違っておりませんもの」
「…………ふぅん。前から思ってたけど、バーバラさんて、割と自虐的よね」
「はい。わたくしドエムなので」
「い、いや、そうじゃなくって。」
「あら?」
「もっと、自分を大事してほしいわ。見ていて私もつらいもの」
「…………そう、なのですか。」
それは、アルマ様にも言える事だったから、わたくしは少し言葉に詰まった。
あの人は素直じゃないだけ。善人が苦手なんて言っているけれど、そんな訳はない。誰がどう見たって、善人を好いている。
そして、悪人を、自身の歪みを嫌っている。
「そうよ。言ったじゃない。友達よ、友達。笑っていてほしいじゃない。」
「そう…………ですね。」その気持ちは分かります。
わたくしも、アルマ様がケジメと言って自身を傷付ける道を選ぶところを幾度も見てきた。
その度、心苦しく思ってきた。全てがあなたのせいではないのに。と何ども言いかけたけれど、彼はそんな言葉では納得しないから。
わたくし達は、指を食わえてみていることしかできない。もどかしい。でも、その感情さえ、あの人の下に着いた代償だと、わたくし達は自身に言い聞かせている。
だから、あの方と共にケジメを付けられるのは、この上ない誉れ。
「――――それでクルシュも言い過ぎたみたいだし…………って、おーい意識ある?」
ハッとした。感傷に溺れていたみたい。
いつの間にやら、ホーン様は台所から離れ、わたくしの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?最近ちゃんと食べてる?疲れてるようなら、家に来ないで数日休んだら??」
「あ、いえそのようなことは、あ。ホーン様、お鍋が――――」
気まずさかから視線を逸らすと、目を離した鍋が噴きこぼれ始めていた。
「――――え、あ!まずいまずい!!」
申し訳ございませんが、わたくしからすると、抜け出す絶好の機会ですわ。
「で、ではわたくしはこれで」
「え、もう帰っちゃうの。食べて行けばいいのに」
「お気持ちだけ。実は今日、身内が来ておりまして」
「そうなの!?早く言ってよぉ~空気読めない事しちゃったわ…………」
「いえ、お誘いは嬉しいのですわ。本当に。ですので、近いうちにまた是非」
と、ホーン様の顔を目に焼き付けながらわたくしが玄関を出た時。つまりは、前方不注意。よそ見をしていたせいで、『ドン』と何かにぶつかってしまう。
「あらっ、ご、ごめんなさい。」
「おぅ…………なんだ。バーバラさんか。びっくりした」
ぶつかった相手は、ジューン・ホーン様の旦那様――――ヨーク様でした。
でも、初対面の時のような、剣吞さは既にありません。有難い事に、彼もわたくしに心を開いてくれていた。
「今日もいつもの見回りですか?」
「え、ええ。そうですわ。申し訳ございません。お怪我は」
「まっさかぁ。この程度じゃあかすり傷にもならないよ。あれ、でももう帰るってこと?クルシュが寂しがるよ。食べていったらどうです?」
「ちょっと、バーバラさんは今日先約があるのよ。引き止めるなんて無粋よ」
ホーン様のその言い方は少々ご幣を招くような…………そう思ったのは当たっていました。
案の定、ヨーク様は「ははーん…………」と口角を上げ、「成功を祈ってます」なんて、おどけながら家に入って行ってしまったのです。
もちろん「訂正を」しようと玄関口まで追いかけたけれど、家の中からは既に幸せそうな喧騒が聞こえてくる。
ここで入って水を差すなど、それこそ無粋と言うものですわ。
「…………いえ、また今度にでも」
それに、わたくしにも今日は待っている家族がおりますから、早く帰らないとなりませんもの。




