04 三章 十格 エピソード29 嵐
『キヒヒ…………』
ドアがきしむような音を聞き、俺は悪夢を振り払い、上体を起こした。
朝だった。まだ日も上がる前、暁の頃合い。
全身にはびっしょりと汗がついている。誰の?無論、俺のだ。
「うそだ…………」
顔を覆った。現実から目をそむくように、暫らくの間ずっとそうしていた。まるで金縛りにでもあったかのように、動けなかった。また、眠りにつくことも出来なかった。
でも、現実はやはり変わらない。その事実を示すように、荒い足音が俺の部屋まで近づいてきて、
「あ、アルマ様!!」
ミシェルは屋敷には住み込んでいない。だから、それは切羽詰まった召使いの声だ。
大よそ検討はついている。どうせ、俺の悪夢に関連がある事だろう。
「襲撃を受けました!」
ほら見た事か。鬼畜クソ女だろう。
そう思ったのに、現実はもっと厳しく、残酷だった。
「え、エイダ様が殺されたそうです!!」
死角から殴られた時は、きっとこんな感じだろうと思う。最初はその言葉の意味がよく分からなかったのだ。言葉を脳内で反芻し、ようやく意味が定着した時、俺は呟くように「え…………」とだけ零した。
「今、屋敷にはミネルバ様と、リッカ様が血まみれで!!」
「い、ま向かいます」
でも、俺の足は思うように動けなかった。よろついたのだ。夏ゆえの薄っぺらく軽い筈の布団に足をとられ、転んでしまう。
原因は動揺だ。でも、俺は何に動揺しているんだ。
エイダが死んだと聞いたからか…………いやそんな訳が無い。あんなのただの駒に過ぎない。だからきっと、鬼畜クソ女の復活を知ったからに違いない。
それ以外、理由がある筈が無いだろう。
「クソ」
吐き気がする。むかっ腹が胃に来た。
汗まみれのまま。俺は屋敷の玄関まで翔けた。すると、召使いの言う通り。体中血まみれで、右腕が焼け焦げたミネルバが、顔色が真っ青で意識が無いリッカを背負い、か細く息をしていた。
「…………何があったのですか」
「た、たぶん…………フォリアファミリーが…………」
なんだと。まさかそんな。和平交渉を結んだのだぞっ、
「証拠はあるのですか」
ミネルバはリッカをいたわるように、その場に下ろすと、ポケットからバッジを取り出した。
格子に閉じ込められた狼の紋章。フォリアファミリーに間違い無かった。
「なぜです。」
俺の質問に答える前に、ミネルバはそこで力尽きた。受け身も取れず床に臥し、ぼとぼと血液を零している。
命が零れていく。
「おい、待てまだ話はすんでいないッ!」
魔術の火を灯しミネルバをよく見れば、右の下腹部が抉れ、臓物が千切れているのが分かった。即死してないのが不思議なくらいだ。リッカと見比べても、重症度は彼女の方が高かった。
直ぐに治癒魔術を掛け、最悪の事態を回避する事に心血を注いだ。
「わ、わかんない…………です。なんでか…………」
しばらく経ち、腹の抉れが目立たなくなった頃。ミネルバは深呼吸と共に口を開いた。
その声は震えていた。俺の治癒魔術の緑色に反射する瞳は潤んでいる。
「私らがエイダの店で飲んでたら…………店のドアが叩かれて、開いたエイダが真っ先に首を斬られて、それで…………っ、私、意味わかんなくて、必死で。リッカだけは…………守ろうって…………わかんなくてぇ…………っ」
ふとリッカを見ると、彼女に傷はほとんどなかった。血まみれだったのも返り血だ。
なら、ミネルバの言葉に間違いは無いだろう。
「数は?」
「たくさん…………ごめんなさい、アルマ様。エイダが…………ごめんなさい…………」
錯乱している。傷が癒えたことで余裕が生まれたのだろうか。逆に要領を得なくなってきたな…………。
いや、その場で同僚の死を見たのだ。推して知るべきだろう。
「今は休みなさい。」
「だ、旦那様。あの我々は如何すればよろしいでしょうか」
俺を呼びに来た召使いの者は、非常事態に脳の動きがなまっているようだった。いや、それは彼だけではない。
この騒ぎを聞きつけたのか、寝入っていた筈の召使いの者達も、寝間着のまま傍に寄って来て、周りを取り巻いていた。彼ら彼女らに共通しているのは、怯えと、恐怖。
だから、できるだけその負の感情を刺激しないよう、俺は平常時の声を取り繕って言う。
「起きた召使いの皆は、ミネルバとリッカの看護を。俺はこれからミシェルが来るまで、この屋敷へ籠城します」
「ミシェル様の安全を確保しなくともよいのですか」
「俺がこの場を動けば、あなた方が死ぬかもしれませんので」
俺の言葉を聞き、皆は事態の深刻さを再確認したらしい。ざわめきが彼らの間を過ぎ去ったあと、ミネルバとリッカは運ばれていったのだ。
玄関口に残ったのは俺一人。日が昇り始めたのか、俺の灯していた魔術の火がその価値を失いつつある。
「…………宝の持ち腐れですね」
火を握りつぶすように、俺は拳を閉じた。
以前の襲撃も夜間だったのだ。なら、峠はひとまず超えたと思いたい。
そして、考える。
「格印書に記載したのではなかったのか」
クサナギとガーベラスが結託していたとは考えたくない。そもそも、リッカはこちらの手にあるだ。ならばやはり、これはガーベラスの企み…………とみるべきだろう。
その時不意に、エイダの言葉が過ぎった。
「『知っての通り、わたくし共の生きる世界に法律は適用されません。契約も義理も人情も上辺だけ…………』ですか、染みますね」
分かっていた筈だ。けど、こうなった以上、心のどこかで軽んじていたのか。
「…………いえ、まぁ、いいでしょう。」
死んだ者は帰らない。それに、何度も言っていたはずだ。あれらはただの駒だ。死のうが死ぬまいが、俺の知った事ではない。
また、補充すればいいだけ。
「ひとまず、ミネルバの落ち着きを待ってから、話を聞きましょうか」
※※※※※※※※※※※※※※※※
ミシェルが屋敷へとやってきたのは、ミネルバ達が逃げ込んできてから、二時間後の事だった。
「アルマ様、何があったのですか」
血相を変え屋敷にかけて付けてきたミシェルを見て、俺はひとまずの安堵を得た。
とは言え、彼女の様子から既に不穏な雰囲気は感じ取れる。
「何とは…………ミシェルこそ。町で何を聞いたのです。そのように慌てて」
「いや、だって。ジョブス様に起こされたんですよっ、エイダ様の店が襲われたと聞いて!」
そうか、あの汚職衛兵。思いのほか仕事が早いではないか。なら俺も、「その話は事実です。」と肯定するしかない。
ミシェルは、「そんな…………」とよろめき、壁に手を付けるとそのまま崩れ落ちた。
「立ちなさい。服が汚れていしまいますよ。」
「ひ、被害は。彼女だけですか」
「その場に居合わせたミネルバがリッカを庇い、重症でした。体の方は既に治しましたが…………心の傷は俺では難しい」
「お二人は、こちらへ?」
ようやく立ち上がったミシェルを連れ添い、俺はミネルバ達がいる会議部屋へと足を運んだ。この部屋んを選んだ理由は、内装が簡素で彼女達に対する改造が容易だったから…………らしい。召使いのやったことだ。俺ではその真意は今一わからない。
今では、運び込まれたソファーの上にミネルバとリッカが肩を寄り添い座っている。
彼女たちの傍にはこの騒ぎを聞きつけ、どう対応すればいいか右往左往しているレイも居た。彼女は俺を見るなり、二人から離れ近づいてきた。
「あの、旦那様。お悔やみを…………」
その一言が決定打となったように、ミシェルの表情が歪む。
だが、今はそれどころではない。問題は山済みだ。
「まず、話を聞かなければなりませんね。ミネルバとリッカ、あなた方、もう話せるでしょう?」
酷な言い方かもしれないが、それでも二人は俺の方を見て、口を開いた。最初はミネルバから。しかし、彼女の内容は朝方聞いたものと大差ない。
続いてリッカにも訊ねたが、彼女も同様。いや、むしろほとんど記憶が無かった。詳しく聞けば、当時は酷く酔っており、お荷物になったのだとか…………なるほど、ミネルバが傷を負った理由が良く分かりましたよ。
「では、二人は敵の相貌も分からぬまま。逃げに徹していたと?」
「…………そっす。」
「参りましたね。それでは対処のしようがない。」
「フォリアファミリー…………なのは、分かってるんですよ、アルマ様」
「だから、対処のしようがないのです。こちらは既に格印書にサインした。それでも駄目ならお手上げです」
「じゃあ、どうしたらいいんですかぁ…………」
「まずは安否の確認でしょう。」
エイダが狙われたのだ。他の幹部連中も危ういと思った俺は、ミシェルに今回の旨の通達を出すよう告げた。その際には、忌々しいが鬼畜クソ女を祓いそこなっていたことも含めてだ。そして、その日は皆帰宅せずに屋敷に籠り。やり過ごした。
ミシェルから拡散された通達の返事があったのは、それから二日後の事だった。
その日は朝からジョブスによる事情聴取を受け、その後付き添ってきていた彼の部下から、簡素な棺に入れられたエイダの遺体を受け取った。
「もういいのですか?」
「ああ。遺体を保管してたところで、事態は進展しねーだろ。フォリアファミリーだってのはもう、分かってる事だしな。ああ、一応言っとくぞ、お悔やみを」
「おかしなことをおっしゃる。エイダを抱えたままだと、あなた方が標的にされる可能性があるからでしょう?」
「分かってるならわざわざ聞くな。じゃ、俺達はこれでとんずらこくぜ。以後、お前らの抗争で出た死人を詮索しねぇし、抗争が終わるまでお前らに関わる気もねぇ」
「達者でな」と、まるで今生の別れのように肩を叩いたジョブスが帰った後、俺は棺を涼しい場所へと安置した。
それら作業が終わったのが昼頃。すると今度はミシェルに呼ばれ、休む間もなく玄関口へ来てみれば、バトーが険しい表情で俺の下へ駆け寄ってきたのだ。
「アルマ様、お話は聞いております。」
「…………それにしても、こちらへ来るのが早すぎやしませんか?」
「ワシも襲撃を受けましたからの」
「あなたもっ?」
バトーが俺の手中にあると知られたのかと表情が曇ったが、バトーは首を横に振った。「ワシだとは知らぬようでした」と俺の不安を払拭した。
ならばなぜ。その答えもまたバトーから貰った。
「当時ワシが乗っていた馬車は借り物のように質素で、サディー首都のお貴族様が乗るようなものだとは思われなかったようです。」
「…………では、俺の屋敷から出て行くところでも見られたのでしょうかね」
「おそらくは。この屋敷から帰った日の事です。強盗に見せかけておりましたが、狙っていたのは間違いなくワシの命でした。ミシェルの話を聞く限りだと…………他の幹部も襲われているでしょうな。」
「やれやれ」と肩をすくめるバトーだが、その姿に傷は見られない。流石は宮廷魔術師様。木っ端では太刀打ちできなかったと見える。
しかし、それでも幹部だとは知られていない筈だが、
「なりふり構わず。といった感じですか」
すると、俺の言葉を嫌味と受け取ったのか、「前回に引き続き…………」と、バトーは険しさを際立たせ渋面を浮かべた。
「…………またもワシの考えで御身を危険にさらすとは…………面目次第も」
「おやめなさい。エーランドの立ち合いすらも効果を為さぬとは思いません。それより、これはもう戦争です」
「如何にも」とバトーは表情を切り替え、髭をすく。
「早急に対処せねば、リンドウはジワジワと削られまする。さすれば、ジューン・ホーン一家への義理。果たすことも叶わず。」
「とは言え」バトーが手ぶらで俺の前に顔を出すとは思えない。
「あなたのことだ。何か手はあるのでしょう」
「左様。奴らめ、ワシを小突いたのは悪手でした。ゆえに段取りを省くことが出来た…………。あとは、アルマ様の指示次第。」
バトーは老獪たる笑みを浮かべ「なんなりと」そう言って、恭しく首を垂れる。その姿からは、エイダの死への悲壮感など微塵も感じない。
むしろ、己の野望のため丁度いい場面転換が訪れたとすら見えた。
「ガーベラス・フォリアには、我らリンドウの養分となって頂きましょうぞ。」
「俺にどうしろと?」
「カカッ…………何時ものように、玩具で遊びに行かれては如何ですかな、アルマ様。」




