04 三章 十格 エピソード26 和平交渉
病院を出た時、時刻は十時に差し掛かる頃合いだった。
屋敷へと着いた時には既に、太陽はほとんど真上に昇り、夏ゆえの熱風が俺の全身をムワッと包み、なけなしの風魔術の送風ですら、俺の不快指数を逆撫でする無意味さ。しかも、なんとか玄関までこぎつけ、鉄製のドアノブへ触れてみれば、『ジュッ!』と肉が灼けたのだ。
「…………っ、くそ。改修工事が必要ですかね…………」
慌てて治癒魔術で治し、おっかなびっくりと帰宅した。そして、ドアを閉めようと振り返り、遠目に見える陽炎の揺らぎを睨んだ時、
「アルマ様。」
背中に声がかかった。
振り返ると、声の主は「ミシェル」だった。
ただ、様子がおかしい。少しソワソワとした感じで、視線が泳ぎ、手も些か震えがみられた。
「どうしましたか。」
「お客人が、いらしておいでです」
「どなたですか?」
「く、クサナギ・エーランド様です。」
「ほう。」だから、気後れしていたのか。
居場所を聞くと、応接室へ待たせてあるらしい。
「それで、リッカ様と会わせろとの事でしたので。今、お二人だけで部屋に。」
あのシスコンめ。別れてからまだ一週間程だぞ。まったく、辛抱と節操の無い事だ。
「では参りましょう。あぁ、ミシェルあなたはいい。俺一人で事足ります」
ミシェルは申し訳なさ半分、もう半分はホッとしたように肩の力を抜き、俺を玄関から見送ると自身の業務へと戻っていた。
彼女の姿を横目に流し、俺は応接室へと早足に向かい、ドアを開いた。
入室した俺を見るなり、クサナギは扇いでいた扇子をバチンと閉じる。ただ、風情あるのは小道具だけ。服装は、お忍びであることを示すように普通だった。もっとも、十格の沽券に関わるためか、俺が以前刻印したリンドウの華は見えぬよう、額に手拭いを巻いている。
姿勢正しくソファーへと座るクサナギの対面には、リッカが退屈そうに体をだらけさせ座っていたが、俺を見るなり背筋を伸ばした。
そして、それを機に、クサナギはフッと笑う。
「俺達を煙草臭い部屋へ閉じ込めておいて…………君は昼間から酒気か。いいご身分だな、アルマ」
開口一番嫌味か。いやそもそも、これは酒ではなくアルコールの匂いであり、病院のせいだ。それに、ロシノさんの去った後は必ず消臭をしていますよ。
実際、俺が小鼻を大きく動かし深呼吸しても、匂いはいまいちわからない。
それはリッカも同様らしく、彼女は肩をすくめ、「ずっとこの調子っすよ。」なんて、半目で首を横に振っている。
けれど、シスコンは納得いかないらしい。
「アルマ、君はリッカの肺を腐らせるつもりか」
「いやはや、鼻が良いのですね」
「俺はとりわけな。」と言いながら、クサナギは自身の鼻をつついた。
「エーランドは元々神主の家系。穢れや酒気には敏感でね。」
しかしながら穢れとは煙草の匂いではなく、俺の事でしょうね。
いいさ、嫌味には嫌がらせで返す。
俺が「楽にしていい」と手を振るうと、リッカはまた姿勢をだらけさせる。そして、そんな従順さを見せつけられたクサナギは渋面を浮かべ悔しそうに口をゆがめた。
「っつ…………見せつけなくともいいから、座ったらどうだい」
となれば、「お言葉に甘えて」。俺は更なるマウントをとるため、あえてリッカの隣へと座り、用件を聞いた。
「和平の日付が決まった。今回はその報告だよ、アルマ」
「おや、めでたい事です。ですが、それならば文を飛ばせばよかったのでは?」
「あのね…………」と、クサナギは馬鹿な事を聞くなと、腕を組んで訴えた。
「君が言ったんだ。忍べばリッカに会いに来てもいいと」
「まあ、言いましたが。まさかこれ程早く来るとは思いませんでした。良い家族を持ちましたね、リッカ?」
「え。あ、そうっすね」
「…………軽い。軽いよリッカ。俺がどんな苦労を振り払いここまで会いに来たと」
「分かってるっすよ。アルマ様が来るまでに何度も聞いたんすから」
「おや、どのような苦労を?」
「聞くだけ無駄っすよ。半分は、この地域は暑いって愚痴。もう半分は、アルマ様と一人で会うのは危険だって引き止めっすから」
…………え。お一人で来たのですか。だとしたら、印象を改める必要がある。辛抱と節操がないシスコンに加え、クソ真面目であると。
しかし、「馬鹿を言え。」と、クサナギは俺の表情から言葉を読み取った。
「イッショウとカネヒラも一緒だ。が、今は宿で待ってもらっているけどな」
「ああ、そうでしたか。」
「だが、少し後悔したよ。」
「なぜです。リッカには会えたでしょうに。」
「昨晩の話は聞いてる。何やら不祥事があったらしいな。それも、リッカを巻き込んで」
「さぁ…………なんのことやら。」
「とぼけるかッ」
「既に済んだことです。それに、リッカは無事だったでしょう?」
「巻き込んだことに対して、俺は憤っているのだ」
「…………まぁ、そちらに関しては、謝罪いたしますよ。さ、話を進めましょう。して、日付は?」
クサナギは納得いかないと唸ったが、遂にリッカからも睨まれ、渋々と話を戻した。
「四日後だよ。だから俺達もそれまでの間この町へ留まり、君達と共にフォリアファミリーの敷地をまたぐつもりだ」
「ほう、それはそれは心強い」
「なら、もう少し嬉しそうにしたらどうだ。」
「おや、見てわかりませんか?」
「少なくとも、表情筋が伴わない言葉を、俺は賞賛とは思えないね」
「…………そうですか。失敬、先の言葉は本心ですよ。誤解無きよう願います。エーランド様」
俺の言葉を聞いたクサナギは、「は?」と片眉を上げた。
「いやに素直じゃないか。嫌味の一つもないなんて、身構えた俺が阿呆のようだ。」
「いえ、普通ですが」
「なんだ。以前、俺を拷問した時とは、雰囲気が違うな…………?」
「あの時は、俺も頭に血が上っておりましたから。考えてもみてください、普通、十格相手にデコレーションなどしようものか」
クサナギは自身の腸で飾り付けられた時を思いだしたのか、一瞬顔色を悪くした。でも、それだけだ。
「重ねて、お詫び申し上げます。」
俺に敵意が無い事を理解し、クサナギは深く息を吐いた。そして、初めて隙を見せるように、ソファーへ深く腰掛け直す。
「無論、許すつもりはない。はらわたを引きずり出される不快感を知ってるか?いくら痛めつけられようと、死ぬことすら許されない。果てに生すら恨めしく思う程の絶望をッ?」
「ええ。自身で試した事もありますので。」
「っ、でたらめを。」
「いえ、事実です。その時は治癒魔術の練習も兼ねてですがね。あれは痛みより、あなたのおっしゃる通り、不快感が凄まじい。悍ましい肉塊が、ズルズルと地面へ落ちていく。するとやがて、ふと冷静になる時が訪れるのです。砂利が付着した部分の何とも言い難い不衛生さが、自身の背中を駆け上る。違いますか?」
「…………あぁ。そうだった。」
「しかも、死に直結する器官ではありませんからね。玩具として扱うには丁度いい物です。他には目玉を片方くり抜くのもいいですよ。アレをすると皆、もう片方を守り抜こうと何でも言う事をきくようになる…………エンコでも、玉つぶしでも、歯抜きでも。すると、その者にとって目玉と同等に感じている物が何か分かるのです。中には、そのまま身内を殺した者もおりましたが…………当然ですよね。誰しも、盲目にはなりたくない。」
「…………君はやはり、残虐だ。見ろ、怖気が鳥肌を立たせたぞ。」
「そうはならぬよう、あなた方悪人へ方向性を絞っております。それに鳥肌が立つほど涼しくなれたのであれば、良かったではありませんか。暑かったのでしょう?」
「君は…………ハァ…………いいさ、何も言うまい。リッカがそちらに居る以上、俺個人の感情など些末。少なくとも、今回の和平が終わるまでは、君の願い通り働く。」
「ええ、感謝致します。あぁ、そうそう。俺が去った後、エーランドの名に傷はついておりませんか?」
「なんだ、俺が口外したのか…………と。そう言いたいのかい、君は」
俺は仰る通りだと示すため、首をすくめた。
すると、「杞憂だよ」と、クサナギは前屈みに腰を折り、俺達へと視線を寄越す。
「あの一件を、誰も口にはしていない…………というよりかは、思い出したくもないトラウマ。と言った感じか。とにかく、あの場に居た全員、あれ以来なんの話題も上がってはいない。無論、余所からもね」
「あぁ、ならよかった。」
「クク…………誰が為した悪事だと思ってるのか」
はて、何を笑っているのだろうか。
「暴力の次は甘言か?生憎と、俺達に調教などは無意味だぞ。」
あぁ、もしかして俺が本気で謝罪を口にしていると思ったのか。
いや、違うぞ。先の言葉は、エーランドファミリーへの無礼を後悔したゆえではない。
「勘違いしないで頂きたいのですが、俺は別に、エーランドファミリーの評判を貶めたとて、気にはしません。ただ今だけは、あなた方の威光が鈍くなってしまうと、俺達の和平が滞る可能性が出る。そちらを心配したにすぎません」
「ふぅ…………分かっている。君の言葉を真に受けるつもりは毛頭ないさ」
「あぁ、なら良かった。」
「…………じゃあ、俺はこれで」
クサナギは膝に手を着き立ち上がった。という事は思いのほか早く帰るようだ。
ただまぁ、十格を手ぶらで帰らせるのも気が引ける。
「イッショウさん達へ、一つ土産でもどうですか。こちらでしか味わえない一品がありますが?」
「土産…………いや、遠慮しておくよ。」
「別に、毒など仕込みはしませんよ」
「信じられないよ。それに、もし盛られてないとしても、イッショウ達は口を付けないだろう。それでは、食材に悪い。」
「おやおや…………随分と嫌われてしまったようで。」
「当然だろう。卑劣極まる外道者め。」
クサナギは最後にリッカへと笑みを寄越すと、俺の付き添いも断り屋敷を後にした。
※※※※※※※※
そして、四日後。待ちに待ったフォリアファミリーとの和平を結ぶ日がやってきた。
和平には、俺に加え、武闘派のフェリルとヴォルドの三名が出席する。ただ「リッカだけは連れてくるな」とクサナギに念を押されたため、彼女だけは今回の出席へ加わる隙間も無かった。
俺達は既に、和平の前日たる昨日には、ボッシュの宿へと泊っており、今は持ち寄った黒一色の礼服姿。襟首とネクタイの具合を整えながら、フォリアファミリーの本家正面へと歩み入る所であった。
「言った通り、身支度は済んだようだね、アルマ」
俺達がフォリアファミリーの敷地が見える場所まで近寄ると、そこには既に、正装に身を包んだ――――着物姿のエーランドファミリーの面々が居た。
初老のイッショウは堀の深さを有効活用し、俺と視線を合わせぬようクサナギだけを見やり、固く口を閉ざしている。ただ、俺の一挙手一投足に対し、ソワソワと落ち着かないところを見るに、トラウマという話は本当のようだ。
そしてクサナギは言わずもがな。十格の威厳を見せつけるように、しゃんとしている。
一方、三人の中でただ一人、険しい表情で俺に睨みを利かせるのは、壮年男性のカネヒラだった。
そのせいで、フェリルとヴォルドも実に殺気だっており、落ち着かせるのが面倒だった。
「…………取って食いやしませんよ。その敵意を余所にやってはくれませんか。カネヒラさん」
「無理をおっしゃるな」と、しゃがれた声で、カネヒラは視線を鋭く研磨する。
「ワシぁ、あんたに胃袋ひっくり返されたんじゃ。たった一度の睨みでもってな」
そう、以前俺が一瞥した時、泡を吹いたのが彼――――カネヒラだった。そのせいか、嫌に目の敵にされており、数日前に再会してからと言うもの、ずっとこの調子。
嘆息と共に、「エーランド様?」と助けを乞う。
「和平の邪魔はしないのでしょうね、彼」
「言って聞かせてある。逆に言えば、今ここで膿を出し切った方が、後々楽になると思うけどな。」
「…………どうだか。」
「そもそも。君の行いが招いたものだ。甘んじて受け入れなよ」
「…………まぁ、いいでしょう。」
ただ、何も言い返さないで終わるのは癪だ。
俺が睨み返すと、カネヒラは身震いする。けどそれでも、ジッと引かない。大した根性ではないですか。
「しかし、問題を起こした場合は…………既に、申し上げております。」
そこまで言ってようやく、カネヒラは睨みを渋面へと引き下げ退いた。
「よろしい。では参りましょうか。エーランド様、導きを願います」
そして、クサナギの先導に従い、俺達は各々の組織ごとに纏まり、フォリアファミリーの敷地へ踏み入る。




