04 三章 豪華客船 エピソード12 美醜の価値観
「甲板…………」
今回は初めて来た。
人はほとんどいない。当然だ、何しろ甲板は現在立ち居入り禁止の看板が立ち、封鎖されていたのだから。
おかげか、乗船客は言わずもがな。船員もいない。
おそらく昨日はそれなりに賑わっていたであろう、食べ残しの空箱が潮風に転がされ、店も人はおらず閉まっている。
音楽隊が普段居座っているであろう台座は、その他の床より日焼けが目立たず、プールの水もすべて抜かれ、寂れた遊園地を彷彿とさせる。
もしも子供が見たら、今の天候と合わせ不気味さで顔を歪める事は想像に難くない。
要は見れば見る程、現在の状況が非日常であると視覚情報で訴えてくる。
しかし、
「非日常など、俺の日常ですしね。」
裏社会では人気のない場所など、うってつけの根城。悪の温床だ。見慣れている。
ゆえに、俺はどちらかと言えば、今の甲板を見ると安心感すら覚える。
「とは言え…………」
正直、ここが空振りなら後はもう、むやみやたらにバーニス号内を探し回るしか手が無いのだ。
すると、数日後には港に着き、その時にマイク・ジャックが逃げる可能性がある。俺の潔白の証明が出来ない。
「…………フォリアファミリーを敵に回すことは、俺にとっては最悪の非日常。避けたい未来です…………」
この島で十本指に入る大組織。リンドウの約十五倍超の勢力を敵に回せば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
今しかない。あと数日中にマイク・ジャックを見つけ、ロシノさんに証人になってもらうのだ。
そのために俺はまず、店の中を見た。
でも、何もない。
約、八畳程の室内は料理をする為の、火の魔術陣が数個刻んであるキッチンスペースを除けば、店員の休憩スペースがあるばかり。
他には、甲板を取り囲むような落下防止策に手を添え、ぐるりと一周してみたが、特に変わった箇所は見当たらない。
気付けば、空も暗く重たい。手を伸ばせば届きそうな程、雲が垂れてきている様子から、何時雨が降ってきてもおかしくは無いだろう。
「ここではないという事なのでしょうか…………」
ため息と共に視線を下げ、船内へ戻ろうとトボトボ歩み出した。
その時、視界の端に違和感が映る。そこは、青色に塗られたプールの縁。一点だけ、塗装が剥げた部分だった。
「…………いえ、整備不良ではない。これは」
赤さびだと思ったが違った。乾いた血痕だ。
それは、そこに一点だけ。普段ならどこかの誰かが怪我をしたのだろうと見逃す程度の小さな不審点。
けど、今回は探し求めた手掛かりに見えた。
気付けたのは雨が降る前だったから。もう少しこの地点へ来るのが遅れていたら、この血は流されていた事だろう。
忌々しいが、ウィズに感謝しなければならない。
それから、俺はその場にへばりつくように姿勢を落とし、周囲を観察したのだ。
すると、プールの中でまたも色合いが濁っている部分を見つけた。そこは、プールの長さ方向へと刻まれている直線ライン上にあった。
プールの中へ降りて、ラインに沿うように歩いて行くと、プールの底に配置された、排水溝の一つへとたどり着いた。
縦横五十センチはある格子状の留め具を持つと、面白い程に簡単に外れる。ネジは完全に無くなっており、その下には整備場の都合か、梯子が取り付けられ、最下層は見えない程にほの暗くなっている。
と言う事は、地下空間がある。
「…………あの女。本当に何者なのですか」
マイク・ジャックの足取りを掴んだ喜びよりも、ウィズ・キャネルの占いの精度の方に、俺は背筋が冷えてしまい、思わずそちらの方を睨んでいた。
だが、
「今は、こちらが優先なのでしょうね。まったく…………まるで、マイク・ジャックを隠れ蓑に、追及を避けられているようで、腹が立ちますよ。」
俺は意識を切り替えるため、一度頬をはたくと、塩素と水場特有の生臭さを内包した地下へと降りて行った。
カンカンカン…………と、俺の梯子を降る足音が、内部へと反響する。
底へ着くと、周囲は狭く、大人の肩幅程度の横幅に対し、高さも腰を折らなければ天井に頭が擦る程度しかない。
水気も増し足元はぬるぬると不快に滑る。
異臭も鼻を突くが、こちらは塩素や水場ゆえではない。肉の腐った匂い、死臭だと思うが、この環境で一般人がずっとこの場に居れば、気が狂いそうになると思う。
「あぁ、くそ、衣服が汚れてしまった…………ドブネズミにでもなった気分です。」
言葉通り。ダクトの中を進むかの如く、俺は中腰で通路を進んでいった。
※※※※※※※※※※※※
ここは、プールの排水機能を管理する施設。
ダース・ヴヴィブントの部屋で、昏倒させられた私は、
「あぁ、誰か来たな。」
昨夜この男――――ノーフェイスに、連れてこられていた。
塩素や死臭が漂う此処は、目と皮膚に染みる、最悪で醜悪な場所。
「来たのはー…………ロシノか?…………さて、誰だと思う?」
と、言われても、私は今口を縫われ、声を発することが出来ない。と言うか、音を発せば、即座に暴力が口をつぐませに来るの。
そして、それは私だけではない。
「分かる奴いる?」
無邪気に聞くけど、誰も答えない。
私の隣にいる男も、私の後ろにいる女も、総勢五名は皆口を縫われた挙句、暴力を受けた上で魔力を乱す手錠を枷られている。
だから彼に対し、怯えと恐怖で縮こまる事しかできない。
「あー声出せないか。」
と、彼は私の隣の男へと歩み寄り、顔を近づけた。
特出する所も無い、普通の顔。何の変哲もない容姿は凹凸が少なく、この薄暗い施設内だと、真っ暗に顔が影で覆われていた。
「ねぇ、今どんな気分?」
最悪でしょうよ。
でも、口を開けない。その事に対し、ノーフェイスは満足げに喉を鳴らし笑う。
「俺はいい気分だ、良い様だよ。顔がいいってだけでちやほやされる。それだけで最高のギフトだってのに…………『そんなことないよぉ』とか、『君もカッコいいよ』とか…………心にもない事を言う。見え透いた世辞、反吐が出る。そう、見え透いてるんだ。分かるか?お前らが他人を見る目は、蔑みが根底にある。傲慢で、高みの見物と来てる」
またこれだ。この男はことある事にこの話題を口にする。
もはや口癖のように、流暢に話す。
「謙遜が過ぎれば嫌味だって気づいてない。ざまぁねぇよ。調子に乗ってるからそんなザマになるの。分かった?俺がお前らみたいに生まれていれば、今頃スターだった。演技力はあるんだ。分かるだろ?だって今まで誰も、俺を疑わなかったんだから。」
「なのに」とノーフェイスが言ったのと同時、私の隣の男が殴り飛ばされた。
「『華が無い』とか言う見た目だけで、劇団を落とされるんだ。世の中不公平だよなぁ…………俺は本当に可哀そうな人間だよ。可哀そうだから、お前らに何したって許される。いや、これはな。お前らがその顔に生まれた代償なの。借金を取り立ててるだけ。」
借金?何を言ってるの。何様のつもりよ。
「神様が俺にくれた、慰めなのさ」
言い終えた途端、ぐるりとノーフェイスは向きを変え、通路の方へと声を発した。
「分かってくれるよな、綺麗なお客様。」
「いえ、まったく。」
現れたのは、我々の方をじっと見るアルマ様だった。
その白髪は今この場においては月光のように輝いてみえる。アルマ様が居るだけで、この場の品格が数段上がったと理解できる。
実際、ノーフェイスなど、端役に追いやる存在感があの方には在る。
ああ、この最低な場においても、あの方だけは、なんと美しいのだろう。
「俺とあなたの美醜の価値観に、交わる点はないでしょう」
「…………まぁ、その顔じゃそうだろうよ、ハッ、憎たらしいなぁ…………」
「一応お聞きしますが、マイク・ジャック。で、よろしいですね」
ノーフェイス――――マイク・ジャックは肩をすくめ肯定した。
「ロシノさんは、どうしましたか」
「んー?ああ。そうか、お前はまだ知らないのか。」
「なんです。何が言いたいので?」
「いや、オーライオーライ。アイツは生きてるよ、と言うか、俺に指示してるのはアイツだ。驚いた?」
アルマ様は、私達を見渡した後、「…………まぁ、そうですね。」と、諦観的な嘆息を吐いた。
「エイダが呆気なくもやられた時点で、そう言った事もあるだろうとは、思っておりました」
「あ、そう。思ったよりドライな反応だな。」
「当然。俺と彼は深いつながりではありませんから。そもそも、別の組織。赤の他人なのです」
「…………ま、いいや。で、どーするの。俺はあんたを殺さない事になってるんだけど、別に、顔を剥ぐなとまではいわれてない」
「ほう、俺の顔を。それはまた、大言壮語を吐くではないですか」
「何?」
「そうでしょう。彼我の差も分からぬ端役風情が。ハッ、この俺を?」
その言葉は地雷だった。
マイクは、怒りで体を震わせ、私達をよく見るようにナイフを突きつけ言い放ったの。
「~ッいいのか!?こいつらの中に、お前の連れも居るんだぞ!」
「はて、それが何か」
「な、何って。っ、くそ。お前はあのエルフを探しに来たんだろう!みて見ろ!どこにそいつがいる!?分かるか??あぁ!??」
と、マイクは魔術の火を灯し、私達の顔を照らした。
以前とは見る影もない、顔をはがされた肉塊たる私達の顔を、マイクは満足そうにアルマ様へと見せつけた。
けれど、
「あぁ、勘違いをなさっている。」
と、アルマ様は我々の方へとゆっくり歩み寄ってきた。
その歩みに迷いはなく、マイクは少したじろいだ。
「ぁ、あぁ?」
「エイダは俺の持ちうる駒の一つ。単なる玩具なのです。そもそも、彼女には居なくなろうと助けにはいかない、と伝えております。」
ええ、私はあなた様の道具に過ぎない。
道具に主人を選ぶ権利はない。どのようにお使いいただいても、本望にございます。
「いなくなったのなら、別の者を見繕うだけの事。たかだか鉛筆が一つ無くなったとしても探さずに新しいものを買う。それと同じ。」
その通りにございます。
でも、ならばなぜ。
「マイクさん、あなたもそうでしょう?」
そう仰るあなた様はなぜ、この施設に来てから。
なぜ。
ずっと――――
「え、んぴつって…………い、いや、人だぞ!人間だ!!強がるな!!」
「いえ、別に。だから今回は調達に参りました。新しい部下の。もちろん、出来れば使い勝手の良い者がいいのですが…………この際、贅沢は余所に置いておきましょうか。」
――――ずっと、私の方だけを見て下さるのですか。
「あぁ、丁度いい。これに致しましょう。」
どうして、私だと。なぜ、声も上げていないのに、私の手を取ってくださるのですか。
「はて、これは偶然。エイダではありませんか」
そんなとぼけた声と共に、アルマ様の治癒魔術の光が私の顔を癒した。
「アルマ様…………」
「おっと迂闊でした。別に、助けたつもりはございませんので。勘違いしないでください、エイダ。」
「ふ、ふざけ!なんで。なんで分かる!?」
そう言ったマイクは狼狽え、気付けば通路の方へと身を寄せていた。
一方、アルマ様は私をそっと放し、マイクを見た。
「いいえ、とんと分かりませんでしたが。」
「は?!嘘だ!じゃあなんで」
「…………ただ」と、アルマ様は私の方をちらとだけ見た。
「ただです。どうせなら、目の保養になる者を…………とは思って選びました。そう、俺は彼女が美しいと思ったのです。」
「どこがっ、あんな醜い肉塊のどこが」
「あぁ、これだから美醜の価値観が違うというのです。よいですか、見た目など飾りです。真の美しさは内部からにじみ出る。たとえばそう、幼子を庇った代償に得た、美しい勲章などまさにそれ。」
「ッぁ、怪我、で見分けたのか」
「あぁ、ぁあッ!!違います。ええ、違います。違うのですよ。」
そうアルマ様が否定する通り、きっと違う。
現に、先ほどの私の体は、あの時の怪我など分からない程、青あざだらけだった。
「そんなものではない。よいですか、目に見えるものだけに囚われているようでは、目利きは出来ません。見るべきはその者の心象――――魔力と言い換えてもいい。」
「そんなもの、見える訳ないだろう!」
「見えます。見えないのはあなた方が見ようとしないだけ。己の醜さから目をそらしているのです。」
「そ、んなこと」
「現に俺は見えていた。でなければ、俺の原典魔術は意味をなさない。そして、俺から言わせてもらえば…………あなたは相当に醜い者だ。一周して、愛おしさすらおぼえる程に。あぁ、俺の大好きな悪人ですよ。」
アルマ様が言い終えると、辺りをシン…………とした静寂が包んだ。
マイクは言い返すことも出来ず、狼狽えている。
少しの衣擦れの音すらうるさく聞こえるほどの、静けさを余所に追いやったのは、吐き捨てる様なマイクの逃げ足の音だった。
「アルマ様、追わなくてもよいのですか」
「ロシノさんが噛んでいるのでしょう。なら、マイクさんを殺そうと殺すまいと、俺はフォリアファミリーから狙われることに変わりない。一応聞きますが、ダース・ヴヴィブントを殺したのは、ロシノさんで?」
「…………はい。」
「ならば、マイクさんは優先すべき事柄からは外れるでしょう。」
だから、「今すべきことは…………」と、アルマ様は、ここに集められていたその他の四人へ向き直った。
「…………まぁ、助ける義理など毛頭ございませんでしたが、これは口止め料です。皆様、先ほど俺がこのエルフを治癒する所を見ましたね。」
そう聞かれると皆、怯えはそのままに、けれど、期待を込めた眼差しでアルマ様を凝視していた。
つまり、
「よろしい。俺があなた方を治して差し上げましょう。代わりに、俺とこのエルフの事だけは内密に。出来ますね?」
皆、くどいほど首を縦に振り、中には嬉しさゆえか、それとも緊張の糸が切れたからか、涙を流す者も居た。
それから、アルマ様が灯す緑の光は、是非もなく皆の傷を全て癒していった。先ほど私自身が受けた行為ながら、驚くべき速度の治癒魔術に対し、私は感嘆と恍惚におぼれながらそれを見ていた。
けれど、アルマ様はそれを片手間にも行う。
何食わぬ顔で、退屈そうに瞬く間にも治していき、ものの数分でこの場にいた全ての傷は癒えた。
以前、私はそちらの方面でも活躍できるのではないかと聞いた事もあったけれど、
「俺は目立つわけにはまいりません。よいですね皆様方、何度も言いますがこの事は他言無用。もしも、漏らした暁には…………今度は俺が直々に、全身の肉を削ぎますよ。」
と、以前同様念を押され、皆ごくりと生唾を飲み込み頷く。
当然よね。だって、本来の治癒魔術は、自然治癒の速度を上げる程度が関の山。消え去った肉や皮まで復元するという事は、己の魔力でその部位を置換しているに他ならない。他の追随を許さない絶対的な魔力量が無ければ、不可能な御業。人によっては、化物と謗る者も居るくらい。
私の知る限りでは、そんな芸当、黄金ランク――――中治りのユンしか知らない。そうでも無ければ、医者などと言う職業は必要ないのだから。
つまり黄金ランク並の魔力量と、本職顔負けの医学知識が無ければ不可能。
そして、今ここに居る皆は既に、アルマ様が遥か高みに居る事を知ったのだ。なら、言葉を違えることの代償も想像に難くないに決まってる。
実際、それからの皆は神妙で、とても従順になった。
アルマ様が「行きなさい」と言えば、有無も言わず通路へ向かい、私含めた皆で甲板へと戻った。
でも、戻った先で待っていたのは、甲板を赤く染める血液だった。
「おぉ…………お前はいっつも俺を待たせるなァ、マル坊」
ロシノ様の足元で血を流し横たわる死骸は、間違いなくマイク・ジャック。彼は直後、膝を庇うように、マイクを引きづり、そして甲板から海へと肢体を投げ落とした。
残ったのは、ロシノ様とアルマ様を分かつような血液の線引きと、腰を抜かしながらこの場を逃げていった、マイクの被害者達の悲鳴だった。




