02 一章 惡の華 エピソード02 ジュバルの街での朝食
シュバルの街に着いた俺は食事の後、すぐに宿をとった。木板張りの階段を軋ませながら上がり、建付けの悪いドアを開けて、入室と同時に鍵をかける。
テーブルの上に荷物を置いて、ベッドに腰かけた時、これまでの旅の疲れがドッと襲ってきたのか、はたまた暴飲暴食による血糖値の上昇かは定かではないが、睡魔に襲われ即座に寝入ったのだ。
そして夢を見た。
俺は暗闇の中に居て、四肢の感覚は無い。痛みも無く、苦しみも無い。でも楽しみも無く、喜びも無かった。
でも、それも最初の内だけ。徐々に徐々に、四肢が伸びていく感覚が芽生え始め、次いで神経をじかに触れられるような激痛が、全身を駆け巡って行った。
徐々に肢体が形つくられていくにつれ、口に出すのも悍ましき思考、思想、思案が俺の脳内を駆け巡り、自身の醜さに震える事となる。
本当に耐え難い苦痛だった。泣き叫んだと思う。でも、終ぞ声は出なかった。
いつしか痛みは止んでいた。
瞼を開けた感覚と、地面に立った感覚が同時に襲ってきたが、暗闇の中にいるのか、はたまた元々目が見えないのか。周囲の様子は暗黒のままだった。
そして、
「キヒヒ」
悪魔の嘲りが、俺を眠りから釣り上げたのだ。
「…………最悪だ。最悪の目覚めです。」
ベッドからおもむろに上体を起こし、警戒を敷いて部屋の中を見渡した。
木製の板で四方を作られた簡素な部屋だ。鏡台が一つ。窓際にはテーブルが置かれ、椅子が二脚仕舞われている。
俺の荷物も机の上に無造作に置かれたまま。
室内に他者の気配はない。寝入っている間、侵入された形跡もない。
昨日と同じ、俺が借りた質素な宿屋の一部屋が俺の視界に映りこんでいた。
やはり、夢だったのだろう。枕が変わって悪夢を見たに違いない。実際、既にどんな内容だったのか、細部の記憶は朧気に溶けてきているのだから。
「ふぅ…………現実じゃない。アレは夢だ。」
願うように頭を抱え、そのまま髪をかき上げると、寝汗が両手に絡まって気持ち悪かった。
しかし、身だしなみは大事だ。第一印象は向こう十年は消えず、着いて回る。『接客業』である俺の仕事上決して侮ってはいけない部分と言える。だからまず、火魔術で湯を沸かせた後、湯あみを行い鏡台の前で身支度を整えた。
とは言え、実は今日は休息の日。仕事の合間の自由時間と決めている。
これから向かうのはまず食事処だ。昨日は街に入ってから遅めの昼食の後、すぐに寝てしまったから腹が減っている。
次に向かうのは賭博場。でも別に遊ぶわけでは無い。どういう経営戦略なのか視察と、時間帯による客層の調査だ。いつかは俺もそちらに手を出そうと思っているから手は抜けない。場合によっては摘発もあるのだから、覆面衛兵を見破れるよう、目を肥えさせねばならないだろう。
あとは…………『お花屋さん』と『お風呂やさん』は…………まぁ、別にいいか。今更大して学びはないだろう。
「さて、行きましょうか。っと」
部屋を出る前、少なからずの『紙幣』を清掃員のためにベッドの上へ置いておく。こうすることで、帰ってきたときの出来栄えが違うだけでなく、気に入らなければ嫌味を言う権利を得る事が出来る。
「やっぱり金です。この世はね」
素晴らしい。こうやってジャブジャブ金を使えるのも、悪人として稼いできたゆえの特権だ。品行方正なんて糞くらえ。犯罪万歳。違法最高。
俺は部屋を出て、軽快な足取りで宿の階段を下った。ただ、どうやら俺は相当浮かれていたらしい。何しろ途中、すれ違う他の女性宿泊者から、何度も二度見されてしまったのだ。
少しの羞恥心が芽生え、軽い咳払いをしたのち、努めて平静を装い、久方振りの休日を堪能するため心を入れ替える。
宿を出て、少し街中心へ足を運ぶと、昨日はよく見る事が叶わなかった、南方シュバルの街並みを視界に映す。
元々、俺達が住んでいるヴァニラ列島は『へ』の字型の大小の島々が、まるでバラの花のように群れを成しているのだが、今回足を運んだ南方シュバルの街は、俺が居たトグサの街――――内陸よりも海辺に近い。
そのためだろうか。家屋のほとんどは潮風に負けぬよう、基本は白色のレンガ造りの三角屋根だ。同じような造りの家屋が道を挟んで向かい合わせにずらりと並んでいる。これは確か、景観を損なわないようにと、この辺りの条例で決められたが故だったはずだ。
よくは知らないが、そう言った条例がある以上、この地方の権力者は、観光や土地の価値に意識を割いているのだろう。
とは言えだ。徹底した白い街並みは、俺からすると清潔感よりも窮屈感を強く感じる。何というか、統率が取れすぎて不自由。俺は彩り豊かな方が個性を感じ、自由で好きなのだ。
ただこれは、よそ者としての意見だ。ここで生まれ育ったものからすれば悩みですらないのだろう。
今回の移動は、南方と言えど島々をまたぐ移動では無い。
そのためか気温は俺が居たトグサの街とそう変わらない春の陽気だ。しかし、今日は曇り空のためか、上着が必要だと判断した俺は、マントを羽織り、露店が立ち並ぶ人通りの多い道を歩いていた。
そう、立ち食いである。
「ふむ…………フェルメニア大陸はまだ遠い筈ですが、それでも珍しいものが多いですね。失礼、この提灯のように太った魚は何でしょうか」
香しい匂いに誘われ、視線を奪われると、既にそちらへと興味を引かれていた。俺は、とある串屋台の前で立ち止まり、疑問に対し指を指して気の良さそうな女店主に聞いたのだ。
「んー?それは近海でよくとれる『ドッコ』って魚なんだけど…………知らないって事はお兄さん、この地方の人じゃないね?」
なるほど、地域原産を知らないと、それだけで素性に踏み入られるのか。まぁ、珍しい事でも無いが。
「ええ。仕事で立ち寄りました。せっかくなら観光でもしようかと思いまして…………おすすめありますか?」
「それこそ、ドッコだよ。今日取れたばっかさ。特に今日のは脂がのってるから一日分のカロリーになるよ。逆に、女性にはお勧めできないね。太っちまうさ」
ほう、それほどジューシーと言う事か。思えば昨日は鬼畜クソ女に朝飯の焼き魚を盗られ、お預け状態だった。
雪辱を晴らす良い機会。今日の朝飯こそ魚だ。
「店主さん、ドッコを一つ。出来れば焼き立てをいただけますか」
「はいはい。まいどあり」
店主は、屋台の熱で汗ばんだ顔で朗らかに笑い、ドッコが入った紙袋を渡してきた。俺も紙幣を同時に差し出し、交換するように紙袋を手にする。
会釈し屋台を後にしようとした時、紙袋の中身を確認し、慌てて店主へと詰め寄った。
「すみません、ドッコに加え、エビも入っていたのですが」
「あっはっはは!なぁに~そんな事で血相変えて戻ってきたの?いいよ。サービスさ。あんた目の保養になったからね」
「いや、そんな。俺はドッコの分しか料金を払っていませんし」
「固い固い。いいんだよ、もうあんたに上げちゃったもんだ。今更他の客に売れやしない。さ、行った行った。観光の時間が減っちまうよ」
店主に手で追い払われ、俺は渋々その場を後にした。何しろ、俺と話している間にも店主は他の客を捌いていたのだ。
俺も商人の端くれとして、勤勉に働く者の邪魔はしたくなかった。
「とは言え…………こういう厚意や、借りは…………苦手なんですが」
裏社会では借りを与えられたらもう負けだ。法外な利子や道理の通らない謂れを被ることになる。
「まぁ今は休暇中…………公私混同はやめておきましょうか。」
納得いかぬ気持ちを物理的にも飲み込むため、俺は紙袋からドッコを取り出した。その時には広場が遠目に見えたため、そちらへと移動し、空いているベンチに腰掛けドッコにかぶりつく。
すると途端に旨味溢れる汁が口から零れだしたのだ。
「おや…………本当に美味しいですね。これは」
ドッコの提灯のように膨らんだ体は白身ながら、まるで動物のような肉汁がパンパンに詰まっている。焼き加減も熱いと言うより暖かい。丁度いい塩梅で仕上がっており、薄く振りかけられた塩が更に旨味を引き立たせている。
「これは、他の地方に持って行けば、売れるのではないでしょうか。」
「フフ、それは無理な話ですって」
はて…………?今のは独り言だったのだが、どうやら出しゃばりが近くにいるらしい。
俺は声のする方へと視線を送った。そちらには女性…………と言うにはまだ幼い。あか抜けた少女が三人。俺を取り囲むように見下ろしていた。
「お嬢さん。無理とはどういう意味で?」
先ほど出しゃばってきた娘に対し、俺は声を発した。それと言うのも、彼女がグループ内でリーダー的な立ち位置らしいと見抜いたからだ。俺はこれまでの経験で、力関係を見抜く力が養われているからすぐわかった。
と言うか、こういう場合、リーダーを無視してしまうと取り巻きが後で可哀そうな目に合うのだ。それは、忍びないだろう。
「ドッコは何か、運用に支障をきたす問題が在るのですか?」
「教えてもいいけど、まず隣座ってもいいですか?」
嫌だ。それはごめん被りたいので、俺の方が立ち上がる事にした。だって、座った状態で襲われては不利極まりない。もちろんここは裏社会ではないため、念には念をというだけだ。
「わ、お兄さん背高いね。いくつあるの?」
初対面だと言うのに、娘は図々しくも背伸びをして俺の顔へと手を伸ばしてくる。非常に失礼だ。距離感と言うものをご存じないらしい。ご両親はどういう教育をしているのか。理解に苦しむ。
「ハァ…………ドッコの事を教えてくれれば、お答えします。」
「本当?ドッコはさ、足が早いの、それだけ」
と言う事は運搬中の鮮度を保てないのか。なるほど。そう言えば、店主も今日とれたてと言っていたっけ。でも、逆に言えばその問題をクリアすれば、金になる。記憶の片隅に留めておこう。
「疑問が解けました。ありがとうございましたお嬢さん。では――――」
と、足早にその場を離れようとしたのだが、
「――――ちょー!ちょちょ!!お兄さん何処行くの。まだ身長と名前と好みのタイプ聞いてないよ?!」
…………マセているな。見ず知らずの男に対し、警戒心がまるでない。由々しき事態だ。まだ子供なのだから、清く正しいお付き合いと言うものにうつつを抜かしていればいいものを…………。
昨今の子供はどういう精神構造をしているのか、まるで分らない。この場にご両親が居れば小一時間説教していたところだ。
「と言うか、質問事項が二つ程増えているんですが…………まぁ、そちらは契約にはなかったので無効です。あと、身長は五千万メートルです。」
「嘘つくな!バケモンかお前!」
お前だと?出会って間もないのに随分な言いぐさではないか。一般人でなければ即座に拉致して、売り飛ばしていたところだぞ。
見やれば取り巻きも頬を紅潮させてニヤニヤと嗤っているではないか。腹が立つ、限界だ。礼儀も知らぬ馬鹿とはこれ以上付き合っていられない。
「さようなら」
の言葉を皮切りに、俺は猛ダッシュで三人の包囲網を掻い潜った。
「ちょ!待って私ら暇なの!ねー今日だけ遊ばなーい!?」
ふざけるな。今日は休日だ。子供のお守など冗談ではない。金を貰ったって了承するものか。
俺はある程度離れた後、人混みに紛れ水魔術による蜃気楼で自身の姿を隠した。続いて、魔力による身体強化を為した俺の体は、瞬く間に外壁を駆け上り、三角屋根へ登頂したのだ。
「なんてしつこいのでしょうかね。まだ下でうろちょろしているじゃないですか。ご両親は何をしているのか。子供は感化されやすい。俺と一緒にいては情操教育に悪いというのに…………まぁ、お金を持っている人を嗅ぎ分ける嗅覚は養われているようですが。そちらよりも、善悪を嗅ぎ分ける嗅覚を養うよう、躾はきちんとしてほしいものです。」
我ながら不愉快が募っていたらしい。愚痴が湧き水がごとく溢れ出した。
「さて」なんであれ、下道が使用不可となった以上、屋根伝いに賭博場へといくしかないようだ。




