第二十五話 日向の日常1
新しい芽が映える、青々しい緑が太陽の光に輝く季節、五月が到来した。
日向が名隊に入隊してちょうど一ヶ月が経った。
「隼、結ぶの上手いね」
研究室で、楓と沖奈に見守られながら、隼と日向は御守りを交換していた。
「ん」
四センチ幅の布の両端に、十本ずつ紐がついていて、その全てを交差するように結んでいく。
足首の御守りを自分で変えて、手首を隼に任せる。
ことは数時間前、狂気の研究から数日経った平日の夜、任務を終えた日向は御守りを変えると楓に連絡したところ、沖奈が食いついて、安全面も考慮して地下の研究室で行うことになったのだ。
「おれにもやらせてよ」
首の御守りをつかんで、沖奈が目をギラギラさせて言う。
「だめだ」
「は?」
珍しく隼が拒否する。
沖奈が、眉を寄せて隼を睨む。
日向や目上の人以外には、礼儀も外面もあったもんじゃない沖奈に、研究室の空気がぴしりと凍る。
「この編み方は複雑だ。お前には任せられない」
隼には、以前の研究での愚痴をさんざん話したから、沖奈への印象は一層悪くなっている。
「これは、おれの研究なんだけど、お前がここにいること自体、許されないんだけど」
零度の態度で沖奈がガンをとばす。
助けを求めて、入り口近くに座っている楓を見るが、無表情で棚を眺めていた。
くそ、上司! 仕事してよ!
楓は楓で、最近、すこぶる機嫌が悪い。
いつも悪いんだけど、特にここ数日は悪いんだ。
理由は、たぶん、数日前に沖奈と二人で会談してたのが原因だと思う。
任務のあと、沖奈が楓を連れて、夜の城下町へ消えた。
深夜に帰ってきた楓は、盗聴防止部屋の襖を勢いよく閉めるくらいには、苛立っていた。
いつも冷静で何を考えているかわからない楓にしては、かなり分かりやすい怒りようだった。
それ以来、あからさまに沖奈は日向にまとわりつくし、それに対して楓はあまり口をはさまなくなった。
何があったのか聞けないほどには、楓は苛立っている。
「ま、まあ、隼、心配してくれてるのは嬉しいけど、沖奈も研究したいみたいだから」
台に座ったまま、隼を見上げるが、隼はどこか寂しそうに日向を見る。
う、そんな顔してもだめだぞ、沖奈の面倒くささはとろろ芋ぐらい粘着でひどいんだ。
「ほら、さっさとそこどけ」
沖奈が、日向の隣に立っている隼を押す。
しかし、隼はじろっと沖奈を睨んで微動だにしない。
「は、隼?」
「……これは、一般人が容易くつけるものじゃない」
「ん?」
隼の言っている意味が分からなかった。
隼も一般人だよね? ここで言う一般人でない人は、どんな人のことを言うんだろう?
ここまで頑固な隼はあまり見たことがない。
「おれがやる」
隼の絶対に、譲らない姿勢に、日向はため息まじりに沖奈を見た。
「沖奈、以前から、御守りは隼に着けてもらうって約束してたんだ。御守りの予備を一つ貸してあげるから、それを研究しなよ。首の御守りも隼につけてもらう、それを沖奈は見る。これで決定」
パンッと手を叩いて、沖奈の手から首の御守りを奪う。
「あ!」
沖奈が不満気に頬を膨らませる。
整った顔でそんな表情をつくっても、沖奈の中身を知っていたらなんとも思わない。
いや、ムカつく。
「そんな顔しても殴りたくなるだけだから、ほら、あとで予備の貸すから、いまは結び方を見たら?」
「チッ」
沖奈の舌打ちを無視して、隼に背中を向けて台の上で座わり直し、御守りを渡してうなじをさらす。
御守りは、首の太さにぴったりに作られている。
隼が複雑な結びを迷いなく進めているのを背後で感じる。
日向は何度も司に教えてもらってやっと覚えられたのに、隼は優秀だ。
「んー、これ、一回じゃ覚えられないな」
沖奈の不満気な声に、うんうんとうなずく。
「こら、動くな」
頭にポンッと手を置かれ、司を思い出した。
いつも首の御守りをつけてもらうとき、話しながら振り返ろうとしたときとかに、いまみたいに止められたんだ。
「ふふ、司みたい」
くすっと笑ったとき、突然目の前に沖奈の不満気な顔が現れた。
「ねえ、司ってだれ?」
うわ、面倒くさ。
悋気を起こした彼女のような問い詰め方に、日向は呆れ気味に答えた。
「ぼくの兄貴だよ。いまは、いないけど」
「ふーん」
納得しきれていない表情で日向を見て、質問を重ねようとする沖奈に、
「できたぞ」
と隼が声を被せた。
「お、ありがとう! よし、これで今日は終わりだね!」
台から飛び下りて、沖奈から距離をとる。
「楓もお待たせ! 一緒にご飯食べない?」
「いえ、遠慮しておきます」
いつも通り断られて、楓はさっさと研究室を出ていく。
日向は、沖奈と隼とともに研究室を出た。
「ねえ、沖奈、楓になにしたの?」
食堂に向かいながら、楓の機嫌を悪くした元凶をじろりと睨んだ。
「何って?」
きょとんとする沖奈に、日向は眉間にしわを寄せる。
「数日前に、楓と二人で城下町に行ってたでしょ、あれ以来、楓の機嫌が悪いんだよ、最近すごく冷たいし」
「ああ」
思い出したように、頷きながら口の端を上げる沖奈。
「副隊長が日向に対して冷たいのは以前からだろ?」
「沖奈、一発殴っていい?」
「だーめ、きみは阿修羅じゃなくても馬鹿力なんだから」
「というか、はぐらかすな、何したの?」
沖奈はニヤリと笑って、口元に人差し指をあてた。
「秘密。お子ちゃまにはまだ早いよ」
そのムカつく顔面に日向の拳がめり込むのに時間はかからなかった。
「きみって、最近、我慢をしなくなったよね」
真っ赤になった頬を抑えて、かなり痛そうにする沖奈に、日向は顔をしかめながらうなずく。
「慣れてきたからね」
「もっとやっていいぞ」
そう言う隼は、いい兄だ。
それから数日後。
「日向、このまま歩き続けてください」
いつも通り、戦学の後に城下町の巡回をしていた時だった。
隣を歩いていた楓が、いつもの無表情で前を見たまま囁いた。
「え、あ、はい」
「沖奈さんは、次の曲がり角で左の路地に、四守さんは、回り込んで逃げ道をふさぐように」
「「はい」」
日向は、何が起きているのかよくわからないまま、楓の隣を歩き続けた。
背後で、二人がいなくなる気配を感じながら、ちらりと隣を見上げる。
「えーっと、どうしたの?」
「違法移民です」
「え」
きょろきょろしそうだった日向の肩に、ポンッと楓が手を置く。
「不審な動きはするな、あっちは複数人、こっちの様子を伺ってる」
日向に聞こえる声で、楓がいつも通りの歩幅で歩き続ける。
「次の路地で捕まえる。逃すなよ」
楓が、日向の肩を軽く押して、右の路地裏に進ませた。
薄暗い路地に、眼を細めたとき、人の気配がした。
四人、いや、五人。
血の匂いだ。
ガッ
突然の攻撃に、日向は鞘に入れた黒刀で防戦した。
「くそがぁ!」
男の悲鳴に似た叫び声に、一瞬ひるんだ日向は歯を食いしばって目の前で鉄パイプを振り上げた男の喉を、鞘で突いた。
「うが!」
喉を抑える男の背後に回り、その首の後ろを再度突く。
男は声もなくその場に倒れる。
振り返えれば、すでに残りの四人を戦闘不能にした楓がいた。
ジジッ
―― 桜屋敷副隊長、こちら沖奈です。三人を仕留めました ――
―― 桜屋敷副隊長、四守です。こちらは一人 ――
「わかりました。拘束紐で縛り、そのまま近くの治安維持局へ連れて来てください。そこで落ち合いましょう」
イヤーカフの通信を切った楓が、縛り上げた男たちを引きずる。
それを見て、慌てて携帯していた拘束紐で足元に倒れている男を縛った。
これで、今週三回目だ。
「う、くさ」
成人をとうに超えたひげ面の男は、白目を向いて気絶している。もとは何色だったのかわからないほどボロボロで汚れた服に、くすんだ肌。
もう何日も風呂に入れていないのが一目でわかった。
楓が、日向の前に二人の男を放り投げる。
「そいつらも連れていけ」
くそ、楓が二人で、ぼくが三人じゃないか。
「はよしろ」
楓の後ろを男たちを引きずりながらついていく。
成人を超えた男はかなり重い。
「この人たち、どうなるんだろうね」
路地を出て、治安維持局へ向かう中、街を歩く人が冷めた目で引きずられる男たちを見る。
「違法移民ですから、ろくな生活は送れないでしょう」
戦乱の世だ。平和な愛知国でも、食料は無限じゃない。
南に攻めた大阪国は、次は東の愛知国に攻めてくるかもしれない。
国境付近は今も緊迫している。
引きずっている男を振り返る。
手の甲に、赤黒い彼岸花の烙印が押されている。
これを見るのも、もう今週で三回目だ。
楓は、これは大阪国の奴隷の印なのだと言った。
「大隊員は、死んだときに浮かび上がる彼岸花の印、準国民や奴隷には大阪国の所有物であるという印……か」
大阪国から逃げてくるのは、生活が苦しくなった関西州民のみじゃない。一ヶ月前に占領された四国・中国州民もそこに含まれる。
四国・中国州民は、身体のどこかに、彼岸花の烙印が押されているのだ。
日向は引きずっている男を思って、唇をかんだ。
この男たちが、関西州民の奴隷だったのか、四国・中国州民だったのかは知らない。
でも、彼らが生きるために命からがら逃げてきたのは知っている。
生きるために、この城下町まで来たことも。
それでも、通行書を持たず、許可なく他州に入ることは禁じられている。
それも、つい最近、巨大死獅の暴走のせいで甚大な被害があったばかりなのだ。
愛知国は警戒を強めている。
庇護した違法移民が、もし死獅だったら……。
自国、自州の安全を一番に考える、それが正しい。
正しいのは、わかってる。
わかってるけど。
「ねえ、楓」
「違法移民を匿ったら、違法移民と同罪が課せられる」
日向の思考を読んだかのように、楓が言う。
「……わかってるよ」
だから、楓は自分の力でここに来たんだ。
たくさんの代償を払って、大隊を抜けて、ここにいるんだ。
「楓は、なんで違法移民がいるって気づけたの?」
日向は、まったく気づけなかった。
楓は、真っ直ぐ前を向いたまま、少しの間黙っていた。
でも、表情を変えずに呟いた。
「気配です」
「気配?」
「同族同士、気配を感じれるんです」
その声は酷く冷たい。それでも、それに気づかないふりをして日向は再度聞く。
「同族同士って、どういうこと?」
「……彼岸花の呪いを受けた者は、同じ呪いを受けた者を感知できるということです」
「彼岸花の呪い……」
巨大死獅を倒したとき、楓が教えてくれたことを思い出した。
大隊員は、死んだときに彼岸花が咲く。呪いのように。
そっか、楓の身体にも、いつか彼岸花が咲くんだ。
「どうやったら、彼岸花の呪いを解けるの?」
「……種が埋め込まれた時点で、もう解けません」
冷めた目で、冷めた声で話す楓に、無性に泣きたくなった。
「楓……」
「日向、あなたは甘い、いつか足元を掬われないように、気を付けなさい。名隊には、敵しかいません」
入隊する前、楓が言った言葉を思い出した。
――「わたしとあんさんの存在は、愛知国の敵や。排除はされても、歓迎はされん」――
冷たい眼で自分を見下ろしていた楓。
――「誰も、助けてはくれへん。その中で、助けようとしてきた奴は、あんさんを殺すか利用しようとする奴だけや。甘言につられて阿呆な問題だけはしはるな」――
あのとき、そう言った楓の眼は、やっぱり冷たかった。
でも、日向はこの一ヶ月で、この名隊にも仲間がいることを知った。
新しい兄になった隼や、変人だけど少しは自分のことを想ってくれている沖奈、それに楓を導いた隊長の月桂。
そして、いまも目の前を歩く、楓がいる。
「うん、気をつけるよ。でも、信用はしてる」
日向は楓の隣に早足で追いつく。
楓を見上げてニカッと笑った。
「楓のことも、信用してる」
楓は無表情のまま、歩幅を大きくして進んでいってしまった。
その後ろ姿を、日向は必死で追いかける。
いまも、これからも。




