第二十三話 阿修羅の研究1
午後の任務が終わった。
日曜日のため往来の激しい街並みに、食い逃げや違法移民の検挙など、小さな事件が立て続けに起こり、街は慌ただしかった。
関西州から逃げてきた違法移民は、名隊の下に所属する治安維持局に連れていく。
その後、違法移民がどうなるのか、日向は知らない。
でも、その未来が明るいものじゃないというのはわかっている。
日に日に増えていく違法移民を見ていると、自分がとても恵まれているように思えて、心がずきりと痛んだ。
部屋に戻り、若草色の羽織を椅子にかけると、準備もそこそこに、訓練場の近くの簡易病院に向かう。
日向の研究はここの一室で行われる。
「えーっと、確か、地下の最奥の研究室って言ってたよね」
黒刀を帯刀して、甚平の上衣とパンツという服装で指示された病院の一室に入る。
「あ! 日向」
研究室には、すでに沖奈が白衣を着て準備を進めていた。
満面の笑みで振り返る沖奈の手には、墨のような液体の入った瓶が握られている。
「たくさん検証しないといけないから、いろんな薬を用意したよ。外傷じゃあんまり意味ないってわかったしね。日向は薬がすぐ効くから、阿修羅も効きそうなんだよね」
広い研究室の中心には大きな台があり、人を固定するための金具が用意されている。
台の傍には、数え切れないほどの薬品が並んでいる。
ゾッとした。
「これ全部試すの?」
「発動条件と、阿修羅に効く薬……それから、回復薬がどの純度でどこまで効くかも試したい」
ぶつぶつと呟く沖奈に、日向は顔を真っ青にした。
「ねえ、沖奈、ぼくここから生きて出られるんだよね?」
「当たり前だろ、おれが唯一無二のサンプルを殺すわけないじゃん」
真剣な表情で言われた。
「まあ、たしかに」
変に信憑性がある。
「お待たせ」
日向の後から研究室に現れたのは、月桂とその後ろをついてきた楓だった。
「さあ、時間もないし、さっさと初めてもらおうかな」
月桂か楓の監視下の中でなければ研究できない沖奈は、ひとつ頷くと日向を台の上に寝かせた。
黒刀は、台からはなれた壁際の長机の上に置かれている。
「今日の実験は、
一つ、阿修羅の発動条件の確認
二つ、阿修羅を抑える薬の確認
三つ、回復薬の効果の確認です」
日向の両手足が実験台に固定されていく。
「では、一つ目の発動条件から。現在わかっているのは、『黒刀に触れた血を、あざにつける』ことで、発動するということです。その際に、故意であるか、否かで暴走するかどうかが決まります」
日向は固定された金具をゆすってみる。
銀色の半円の金具は、力強く押してもピクリともしない。
貼り付けられた体勢に不安にはなるが、これで阿修羅になって暴走しても大丈夫だ、という安心感もある。
「日向、今日はたくさん試すよ。まずは、日向の血がなくても自分の意志で阿修羅になれるのか、やってみて」
いままで、意識的に阿修羅になろうとしたのは、楓に助けられたあの時だけだ。
あの時、自然と体が動いて、黒刀で作った傷から生まれた血をあざに塗った。
いま、血を塗らずに阿修羅になることを試してみる。
日向は心の中で、何度もその名を読んだ。
「阿修羅」
目をつぶって、そう強く思う。
しかし、身体に変化はおきない。
「……だめか」
沖奈はどんどんと試していく。
その様子を楓は無表情で、月桂は読めない表情でただただ日向を見つめていた。
「死獅は、『生命の危機』と『過度な興奮状態』に陥ることで暴走します。ここでは、日向にその二つを試してみます」
そう言ったとたん、沖奈がいきなり日向に馬乗りになった。
「え?」
「日向、いまからおれはきみを殺すよ」
その右手には、メスが握られている。
「はぁっ? ちょ、なに」
「あの時みたいに、ちゃんと抵抗してね」
その瞬間、沖奈のまとう空気が変わった。
本気で、殺そうとしている。
ハッと息をのむ。
いままで何度だって、死にかけた。
命を狙われかけた。
その度に感じた、言葉にできない恐怖。
そして、心の奥底で無意識のうちに身体を縛る、あの言葉。
―― 生きろ ――
そのとき、何が起きたのか誰にもわからなかった。
一人を除いて。
気づいたら目尻のあざから血を流し、メスを握って沖奈に馬乗りになった日向と、そのメスを鎌でとめる楓が対峙していた。
「えっ」
楓に守られながら、台に押し倒されていた沖奈が、やっと声を出した。
日向は口の端を上げた。その眼には、焔が三つ浮かんでいる。
「阿修羅だ!」
この場の雰囲気に不釣り合いな、嬉しそうな沖奈の声が響いた。
いまにも、メスを突き立てられそうな状況に、沖奈は恐れることもなくキラキラした眼で日向を見上げている。
「阿修羅を止める薬を、調べるんですよね」
苛立たしげな楓の声に、沖奈は嬉しそうに頷いた。
「はい、阿修羅を行動不能にしてください」
簡単に言う沖奈に、楓の眉間にしわが寄る。
素早く阿修羅を鎖鎌の鎖で縛る楓の手際を、沖奈はじっと見つめていた。
「……阿修羅はずいぶんと大人しいね」
楓によって台にころがされた阿修羅を見ながら、台から降りた沖奈が小首を傾げる。
「前に訓練場で暴走したときもそうだ。あくまで、自分の定めた対象物を、意志をもって潰そうとしてたし……理性が飛んでるわけじゃないんだ」
阿修羅は鎖を外そうともがくが、それでも獣のようにうめくような様子はない。
「ねえ、阿修羅、きみは何なんだい? 日向の中にいる別人格? それとも日向自身? そもそもいまのきみは、日向という存在を知ってるかい?」
阿修羅は声が聞こえていないかのように、単調に鎖を外そうとする。
「話せるんだろ? きみは死獅とは違う。死獅は理性を喰われて、ただの猛獣と化す。きみには知性が、少しはあるんだろ」
話しかけながら、ぶつぶつと考察をする沖奈は、阿修羅を横目にメモに書きなぐっていく。
「でも、はじめてきみと出会った時は、もっと獣のようだったよね。あの時は、出血量が多かったから?」
そう言って、ふと考えるように阿修羅の肩をポンポンと叩く。
「あの時、阿修羅の状態でも日向でいられたよね? ねえ日向! 日向! 」
すると、はっと目を覚ましたかのように息をのむのが聞こえた。
身構える楓に、阿修羅――いや、日向がきょとんとした顔を向ける。
「あれ? なんで鎖に縛られてるの?」
その瞳はいつもの日向のものだった。鎖に抵抗する力もなくなり、いつもの――人間的な身体に戻った。
「えっ!」
沖奈が目を見開いて、突然、阿修羅のいなくなった日向に声を上げる。
「ええ、どうして? 何があった? 黒刀でつくった傷の血じゃないから、防衛本能で現れただけってこと? こんな簡単に日向に戻れるの?」
「えっと……またやっちゃった?」
顔と目だけで、さっきまで自分がつながれていた金属の拘束具が壊れているのを見て、手に握っているメスを確認して、苦笑いをする日向。
「これは、調べがいがある」
ニヤリと笑った沖奈は、白紙の紙に書きなぐりながら、日向に質問に質問をかさねた。
日向はメスを返して、素直に質問に答える。
質問に満足すると、沖奈は今度は黒刀で日向の目尻のあざを傷つけた。
「今回は、日向は健康状態、精神的にも安定してる。日向、自分の意志で阿修羅になって」
「う……わかった」
目をつぶり、神経を集中させる。
四週間前の、楓との共闘以来だ。
日向の目尻の菊模様のあざが、少しずつ頬に広がっていく。
【人の世の終わりは渦を巻く
廻って 廻って 辿り着く
修羅の世界】
脳裏に唄うように流れる、記号のような言葉のようなもの。
丸い巨大な円盤に描かれた六つの世界がぐるりと廻る。
円盤の中心が切れるように開かれ、どす黒い闇の中から、鬼のような鋭い爪の伸びる指が現れる。
闇の中から現れたのは三つ目の巨大な鬼。瞳の中には三つの渦が焔をまとっている。
鬼が笑うと、目の前が真っ暗に染まり、脳裏に言葉が浮かび上がる。
「【阿修羅螺】」
その瞬間――体中の血液が高速で回り始め、全身が沸騰するように熱くなる。
ゆっくりと開いた瞳には、鬼と同じ三つの渦の焔が浮かんでいる。
ザッ 研究室内に、息をするのも苦しうなるほどの殺気が満ちる。
しかし、それもすぐに薄れた。
三つの焔のともる瞳に入った、厳しい顔をした楓に、阿修羅――いや、日向はニコッと笑った。
「大丈夫、ぼくは日向だよ」
いつもより数度上がった体温に、頭の中はぐるぐると霞がかったような、うまく思考がまとまらない。
沖奈が何か言っているようだが、それが日向には理解ができない。
ただ、沖奈の持っている黒刀が欲しくて、この身体を動かしたくてしょうがなかった。
「それ、返せよ」
鎖に身をよじり、沖奈を睨む。
思考がいつもより乱暴になる。
「日向、質問に答えてからだよ」
日向の行動一つに、殺気が込められる。
沖奈は深く息をして、冷や汗を流しながらも、探究に奮いたてられてなんとか正気を保って指摘する。
「お、きな、うまく頭、まわんないんだ……殺したい」
日向の口調で話してても、すぐに上の空で何かを口走る。
その度に、緊張が研究室に走る。
「日向は、阿修羅と二重人格の存在なの? それとも阿修羅はただ日向の思考になんらかの影響を与える状態なの?」
沖奈が興奮ぎみに聞く。
しかし、質問を理解できない日向は上の空でつぶやく。
「もっと、あれ飲ませてほしい、懐かしい味、阿修羅を、思い出す……よこせ」
「あれってなに? 懐かしい味? 記憶が戻るのかい?」
沖奈が日向に覆いかぶさって聞くが、それから何度も質問を繰り返しても日向は、それ以上は、人の言葉を話さず、ただ鎖をほどこうともがくだけになった。
その様子を見て、ぶつぶつと呟き始める沖奈に、楓が阿修羅を睨みながら指摘する。
「阿修羅を止める薬は、あるんですよね?」
「あ、そうだった」
沖奈が、端の台に置いてある数え切れないほどの薬をつかむ。
中には、以前楓が飲ませていた黒い液体を意識したのか、墨のような黒い液体がいくつもあった。
「きみが飲みたがってたのは、これ?」
日向の反応を見ながら、懐中時計で時間を測ってどんどん投与していった。
全ての薬を投与した結果、阿修羅には一つも効かないことがわかった。
そして、日向の求めているもの、そこにはなかった。
「阿修羅の状態の身体は、日向の時と明らかに違う。死獅の身体強化と似てる。傷ついても痛みを感じないのか、どれだけ傷めつけても動くんだ」
沖奈がニッコリと笑う。
「死獅は、命が尽きるまで終わらない。阿修羅は……四週間前、日向の意識を持っていた時は力尽きることで元に戻った……そして、訓練場で暴走した時は、副隊長の使った黒い液体で元に戻った」
楓は無表情のままだ。
「副隊長、あの黒い液体をもらえませんか」
「無理です」
沖奈の眉がぴくりと動いた。
「これは、死獅につながる研究なんですよ」
「いま持っていません」
「あとから頂けるんでしょうか」
「無理です。数に限りがあるので、不必要に使われては困ります」
「研究のためです」
お互い、一向に引かない。
「いまは、研究の続きをしようか」
月桂の声に、沖奈はキッと楓を睨むと、台の上で小さく呻きながら鎖を外そうとしている阿修羅に向き合った。
「本当に今日は、以前と比べたら大人しいね。ねえ阿修羅、聞こえる? きみの望みはなんだい? おれが叶えてあげるよ」
沖奈の言葉に、日向は薄っすらと目を開いて、どこか遠くを懐かしむように、儚げに口元をゆるめた。
「お、きなじゃ、むり……あの方じゃ、なきゃ」
いつもの日向とは違う、何かを慕うような表情に、スッと沖奈から表情が消えた。
「わからないよ、きみの親、大阪国の王の血が、ここにあるんだ」
血の石を見せる沖奈に、日向は、ふっと自嘲するような笑みともいえない表情になる。
「親、かぁ……」
沖奈は少しだけむっとして、日向の大きくなった菊模様のあざを撫でた。
「ねえ、記憶が戻ったのかい? あの方って、大阪国の王のこと? 望みはなに? きみは、昔、どこにいたんだ?」
しかし、それ以上は日向の意識がなくなり、阿修羅として呻きながらまた鎖から逃れようとするだけだった。
「……これは、今後詳しく聞くしかないね。結局、阿修羅を抑える薬は、副隊長のもっていた黒い液体しかないみたいですね。あとは、力尽きさせること、くらいですか」
真っ黒になった紙を端に置いて、沖奈は新しい紙をだす。
「次は回復薬の効果の確認です。副隊長、お手伝いお願いしますね」
それから、どれだけの傷がどの程度の純度の薬で治るのかの検証を行った。
その光景は、月桂が眼をそらし、研究室内が真っ赤になるほど凄惨だった。




