第二〇話 司からの便り
盛りを過ぎた桜の木が並ぶ城下町。
散った桜の花びらは、往来する人々に気づかれないまま踏みしだかれて、淡い桃色をくすんだ茶色に変えていく。
桜は一時の夢を見させて、パッと消えていく。
「桜、終わっちゃったな」
露台から見下ろす愛知国の首都名古屋は、淡い桜の桃色から、新しい緑に変わり始めている。
柴波の部屋への訪問から約一週間が経った土曜日の朝、伸びをしながら日向は部屋に戻った。
「今日の午後は休みだね、楓は何するの?」
午前の任務の準備を終えて、楓の部屋にひょっこり顔を出す。
「……仕事や」
「…………ぼくも、なにか手伝える?」
「あんさんが何もしないことが、一番の手伝いや」
日向は、この一週間、ほとんど部屋にいなかった楓を見る。
盗聴防止部屋にいるのか、それとも夜もどこかへ出かけているのかわからないから正確ではないが、楓は寝食に関わる時間を削って仕事をしている。
「楓は、十七歳だったよね? ぼくと三つしか変わらないのに、そんなに仕事して大丈夫?」
楓の隣に座って、机に広げた書類をまとめているその顔を覗き込む。
同じ年の沖奈が、寝食を忘れて研究をするのには一片の心配の余地もないが、楓とて人の子だ。
それに、沖奈は趣味も実益となっている。
楓は、たぶんだけど、主に自分のせいで増えたたくさんの仕事を押しつけられているのだと、日向は自覚している。
「月桂隊長、そんな忙しそうじゃないよ?」
「日向、それ本人の前で絶対言うなや」
「はい」
楓は肩を回しながら、じろっとこっちを睨んだ。
「あんさんが増やしまくるんやろが」
「ごめんなさい」
そこで、ふと不思議に思った。
楓はいま十七歳だ。
でも、二年前の『中部関西国境戦』に参加してたと、柴波が言っていた。
司の両親が殉職した大規模な大阪国の侵略戦争だった。
「楓って、いつから名隊に所属してるの?」
机に向かったままの楓は表情を変えない。
でも、その纏う空気や、その瞳がひどく冷たくなった。
「あんさんが知る必要はない」
拒絶するその空気に、それ以上聞けなくなった。
「……肩でも揉もうか?」
肩に手を伸ばした瞬間、日向は息をのんだ。
首元に、薄皮一枚分の隙間を残して、鎖鎌があてられていた。
「……気安く触るな」
楓は、日に日に疲れている。
そして、日に日に日向から距離をとって、避けて、嫌うようになってきている。
日向は両手を上げて、ヘラっと笑ってみせる。必死に動揺を隠して。
「ごめんね、なにかぼくにできそうなことがあったら、教えてよ」
日向はそのまま膝で後ろに下がり、先に行ってるね、と声をかけて城下町への門へ走った。
「ああ、どんどん嫌われちゃうな」
毎日、自分に関わる問題の仕事に時間をとられてたら、嫌になってくるよね。
楓に刃を向けられることは日常茶飯事でも、それでも、心はいつまで経っても慣れない。
午前の任務の集合場所へ向かうと、大きな背中が見えた。
「隼! おはよう!」
うん、大丈夫、笑えてる。
「ん」
「午後、楽しみだね!」
隼はふっと眼を細めて、ん、と頷いた。
今日はピアスのお礼に、よく行くお茶屋の猫を紹介するのだ。
「よし、これで午前も頑張れる」
「ああ」
隼も、猫に会える喜びでか、いつもより目元がゆるまっている。
気合いを入れた日向に、目の下に大きな隈をつくった沖奈が、ギラギラした眼で近づいた。
「日向、明日の夜の第一回目の実験内容が決まったよ」
ニヤリと笑った沖奈に、日向は黒刀を握って後ずさった。
「発動条件の研究をすることにしたんだ。三時間しかないから、分刻みで予定をたてた。いまはリスク管理と動員の人数、あとは治療薬の代替案を探してるんだ。ああ、任務なんて時間の無駄だ」
名隊の仕事に嘆く沖奈は、本当に、どうして名隊に入ったんだ、と言いたくなる。
「ああ、それから、日向はあの黒い液体のこと知ってる?」
黒い液体とは、日向が暴走したときに飲まされるものだ。
「……知らない」
阿修羅をやめられるあの薬を飲めば、阿修羅を追い出せるんじゃないかと考えたことがあった。
それを司に言ったとき、司はひどく傷ついた、泣きそうな顔になった。
その顔は今でも忘れられない。
それ以来、司は絶対に黒い液体には触らせてくれなかった。
どうしようもなくなったときだけに飲むものだ、と苦し気に言っていた。
「ふぅん、そう」
沖奈はつまらなさそうにメモ帳をしまいながら、
「やっぱり、副隊長に聞くしかないか」
と呟いていた。
そういえば、どうして楓があの薬を持ってるんだろう?
沖奈が知らないなら、一般的なものじゃないよね?
首をひねっていると、二班の隊員が集まって、前回と同じ組み合わせで任務の巡回が始まった。
無事に巡回を終えて、寮の食堂で昼食を済ませて一度部屋に戻った。
一時間後に隼と猫巡り散歩だ。
部屋に入ると開いた窓に、薄灰色の伝書鳩がとまっていた。
「つかくん!」
司専用の有能な伝書鳩のつかくんに、バッと身を起こして駆け寄る。
青い空を背景に、灰色の鳩はなんだか不釣り合いに思えた。
灰色が全部司を連想させるから、日向は灰色のつかくんを見て少し苦笑した。
「会えないと、手紙だけでこんなに嬉しいんだね」
つかくんの足に巻かれた紙を取り外し、棚から餌になる米つぶをだして、つかくんに食べさせた。
「もう一ヶ月かぁ……」
四月の上旬に旅立った司と別れ、約四週間が経った。
わくわくしながら、小さくたたまれた紙を開く。
司のいない日々に、少しづつ慣れてきて、それに安心しながらも、少し寂しく思う。
日向は窓のそばであぐらをかきながら、手紙を読んだ。
日向へ
手紙が遅くなってごめんな。
数日前に留学先についたところで、いまは環境や文化の違いに日々驚きながら生活を送っているよ。
こちらの桜は早々に散ってしまって、新しい緑が綺麗になってきている。
ちょっと前までは二分咲きの桜を愛でていたのに、もう夏が待ち遠しい日々を過ごしているよ。
日向は元気にしてるかい?
なんだか、もう長い間会ってない気がする。
日向のことだから、また無理をして突っ走ってしまってるんじゃないかって、心配だよ。
御守りの色は大丈夫? 早めに変えるんだよ。
戦学にはちゃんと通えてる? 名隊で怪我はしていないか?
日向はあまり弱音を吐かないから、少し心配している。
手紙のときくらい、辛いことがあったら書いてほしい。
もちろん、嬉しいことも教えてほしい。
おれは、なにがあっても日向の味方だからね。
返事は、いつもの通り。便りを楽しみにしているよ。
取り急ぎ。
お互いの健闘を祈って。
神守司
きっと忙しい中、手紙を送ってくれたのだろう。
司らしい優しい言葉に、日向は窓の外、遠くまで続く愛知国の城下町を見つめた。
「わたしには、司がいるんだね」
遠くに行ってしまっても、どこまでも自分を思って気にかけてくれる人がいるというのは、心の支えになる。
司の生活や周りのことはあまり書かれてないけど、きっと忙しいんだろうなと思う。
そして、優秀な司は、きっとそれも乗り越えてしまう気がする。
「ねえ、司、わたし頭良くないからわかんないんだ」
手紙を握りながら、開いた窓の外に独り言をこぼす。
少し前までは、それをふたりごとにしてくれていた存在にむけて。
「わたし、名隊に入ってよかったのかな」
ふわっと、窓から入った風が日向の髪をすいていく。
司に頭を撫でてもらったような気がして、日向は瞳を閉じてそれを静かに感じた。
大丈夫、いまは仲間だっている。
きっと、大丈夫。
司、ありがとう。




