第十九話 四番隊隊長 柴波友禅
コンコンッ
「夜分に失礼いたします。五番隊副隊長の桜屋敷です。部下と挨拶に参りました」
しばらくして扉が開いた。
部屋から現れたのは、今朝、日向に大太刀を向けた柴波友禅だ。
「どうぞ」
深緑の着物に身を包んだ柴波は風呂の後なのだろう、今朝は上げられていた髪が下ろされて、艶っぽさがでていた。
今朝感じられた子どものような自由な雰囲気が消えた、大人の雰囲気をまとった柴波に一瞬ドキッとしてしまった日向は、そっと楓に近寄った。
相手も着物だし、浴衣で来なくてよかった。
広い部屋は格式が高く、深緑と銀色で統一された一つ一つの家具や置物は品よく整えられている。
部屋の中央には立派な衝立が立っていて、玄関からは見えないようになっている。
柴波に案内され、衝立の内側に入る。
長机と座椅子が置かれただけの空間に、ほっと詰めていた息を吐く。
「期待はずれだったか?」
ニヤッと口の端を上げた柴波に、日向はボッと顔を赤くした。
やっぱり、閨に誘ったと思われてたんだ。
身体を緊張でこわばらせた日向は咄嗟に弁明しようと口を開いた。
「柴波さん、お久しぶりです、夜分に失礼しました」
日向が何か言いだす前に、座椅子に腰かけた楓が挨拶を交わす。
「ああ」
柴波が日向に視線を移す。
楓を確認するように見上げると、軽くうなずかれたので日向は口を開く。
「改めまして、五番隊の朝日奈日向です。今晩は時間をつくっていただきありがとうございます」
部屋で何度も練習した敬語で緊張しながら話す。
「まあ、桜屋敷を連れてきたことだけは評価する」
口の端を上げた柴波の言葉に、日向は焦って身を乗り出した。
「か、楓は、ダメです! 楓は、そういう趣味じゃないんです。もうたくさん負担をかけちゃっているんです!」
「日向」
「責任はぼくにあるので、ぼ、ぼくもそういうことはよくわからないけど、そ、その、するならぼくで我慢してください!」
自分でなにを言っているのか分からなくなって、どんどん顔が熱くなるのがわかった。
でも、どうしても楓が無理を強いられることだけは避けたかった。
「日向、黙りなさい」
楓の冷たい声に、ハッとして、両手で口をふさいだ。
勝手に話した上に、敬語も壊滅的だった。
……やってしまった。
目を見開いて呆然としていると、正面から、ブハッと吹き出すのが聞こえた。
柴波が、さっきまでまとっていた大人びた雰囲気を霧散させて、ニヤリと子どもっぽく笑っていた。
閨の誘いを本気にしていなかったのだとわかって、益々顔に熱が集まった。
「あぁ、最近お前が駄犬を飼ったって聞いたときは驚いたが、くっ 結構なつかれてるじゃねぇか」
片膝をたてて、肘を置いた柴波は、肩を揺らして笑っている。
「なりゆきです」
「そいつに誘われたときは、お前の趣味を疑ったな」
「……教育が足りず申し訳ありません。他意はありません、ただ阿呆なだけです」
日向はいたたまれなくなって、視線をそらす。
くっくっ と面白そうに楓を詰る柴波は、今朝会った時のような子どもっぽい印象が戻っていた。
「……まあ、それくらい、どうしようもなくなったのかと思ったんだが」
柴波の言葉からは節々に楓を気づかっている気配が感じられた。
本当は、楓のことが心配なのかな?
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
あくまで厚い壁を張る楓に、膝の上で頬杖をついた柴波が茶化すように言う。
「まあ、おれも男とガキには興味ねえが、言質もとれたし、相手くらいはしてやるぞ?」
「……御冗談を」
ビクッと肩を震わせた日向の隣で、楓は冷めた目で流す。
ふっと一つ笑った柴波が、スッと表情を消した。
「なあ、桜屋敷、死獅を飼うなんて、何を考えてんだ?」
「なりゆきです」
楓は無表情で返す。
「お前のことは、これでも結構期待してんだ。躾がなってない駄犬が下手なことするまえに消してやろうか?」
部屋の中でも、常に武器をとれる位置に置いておく。名隊の基本だ。
その気になれば、この部屋が日向の血で染まることだってあり得る。
そのための、衝立なのだろうか、とどこか冷静に考えてしまうのは、この二週間で日向の命が危険にさらされ慣れてしまったからだろう。
ゴクッとつばをのみこんだ日向。
「何分、新参者なので、もう少し試してみます。柴波さんの手を煩わせるほどではありません」
楓は無表情で淡々と答える。
柴波はそんな楓の眼をじっと見る。
重い沈黙がおりて、息をするのが苦しくなった。
「……そろそろ、本題に入るか。お前がここに来たってことは、昨日の訓練場の出来事がそれだけの問題だってことは理解してるんだろ?」
四番隊の隊長の顔の、柴波が問う。
楓も心なしか姿勢を正したような気がして、日向もしっかりと口を閉ざして柴波を見つめた。
「はい」
柴波は目を細めて楓を睨む。
「今朝の集会でも、昨日の件は問題になった……だが、お咎めなしときた。これじゃあ、おれんところの奴らは納得しねえ」
柴波の言葉に、楓が今朝から正装していた理由が分かった。
きっと、昨日の件で、居心地の悪い思いをさせてしまったんだろう。
「再編成されたお前んところのことは詳しくは知らねえが、おれんとこは古参が多い上、最も死獅の被害がでてんだ。家族や仲間を亡くしたやつらは、死獅を殺すためならなんだってする……最近じゃあ、おれの言うことも聞かなくなってきてんだ」
静かな部屋に、柴波の少し低い声が響く。
「そいつの殺気にあてられた奴は、いまも調子が狂ってる。『死獅の悲劇』を経験したやつは、すぐにでもそいつを殺そうと上にかけあってるぐらいだ」
ぐっと拳を握って、日向は俯かないようにぐっと奥歯を噛んだ。
「死獅の悲劇」も、死獅で大切な人を亡くした人のことも知らない。
でも、自分の存在がだれかを苦しめていることは分かっている。
それを、自分じゃどうにもできないことも。
それでも、生きたい、生きなくちゃいけない。
生きることを諦めたらいけないと、心の奥の奥の底で何かが日向を縛っている。
「なあ、お前の犬だ。それを生かして飼い続けるんだろ、それを奴らに納得させるほどの何かがあるか? どう落とし前をつけてくれる?」
柴波は四番隊の隊長だ。隊長は、隊員を守り、導き、隊に組織に利益をもたらさなくてはならない。
楓は無表情でただその言葉を聞いている。
「なあ、二年前の『中部関西国境戦』に参加したお前なら、一つの情報が生死を分けることを知ってるだろ?」
二年前の『中部関西国境戦』は、大規模な大阪国の侵略に甚大な被害を出した戦争だ。司の両親が殉職したのも、その戦争だ。
楓は、それに参加したんだ。
「はい」
首肯する楓に、鋭い眼を向ける柴波。
「おれたちには、いや、名隊員には情報が圧倒的に足りない。大阪国の造る死獅について、分かっていることが少なすぎる。最初に死獅が現れて十年は経つのに、だ」
そんなに経っているんだ。
日向は、二年前の戦で被害が拡大するまで、死獅という言葉すら知らなかった。
二週間前まで、その言葉に馴染みすらなかったのだ。
「二週間前の三つの彼岸花が咲いた巨大死獅についても、いまだに情報が流れてこない」
楓はなんの反応もしない。
「なあ、おかしいと思わないか? 名特研(名古屋特異態研究所)には部外者は一切立ち入れない、新聞も死獅の存在を一切載せない。いまだに、中部州では死獅の存在すら知らないやつもいる」
名隊だけでなく中部州全土で情報が……規制されている?
日向の胸にもやっとしたものが生まれた。
「それなのに、元大隊員が突然現れた死獅を飼うわ、いままで一切外に出なかった名特研の研究者が入隊するわ……五番隊は、なにを企んでいる?」
柴波の眼が、楓を射る。
下手に動いたら、首が跳ねそうなほど重い空気に、楓は全く動じない。
「なりゆきです。わたしは、ただ上の命令に従うだけです」
しばらく楓を睨んでいた柴波が、前髪をかきあげた。
「……もう一度言うが、おれはお前には期待してんだ。城下町に首を晒されたくなかったら、もう少し大人しくするんだな」
たしかに、五番隊はいびつだ。普通じゃない。
楓は、何かを起こそうとしてるの? それとも、それに巻き込まれてるの?
日向は何も知らない。
ただ、胸に渦巻いたもやもやとした不快な気持ちには身に覚えがある。
名特研の沖奈が、二週間前の巨大死獅事件で日向を初めて見たと言ったときだ、何かが動いている、変化を起こそうとしているような、不穏な気配。
それはまだ裏の裏で起きている小さな少しの動きかもしれない。
でも、日向自身が離れようとしても、逃れられるような気がしない、纏わりついて離れないだろうと、無意識のうちに感じた。
「五番隊の名特研は、優秀だと聞いた。それに、かなりの変わり者だとな……まあ、おれの求めているものが、ここまで言えばわかるだろ」
柴波の声に、現実に引き戻される。
楓は目を細めて柴波を見る。
「柴波さんの諜報員は優秀な方のようですね」
楓が日向の持っている木箱を見る。
日向は初めて木箱の中身が何なのかを理解した。この木箱には、死獅の研究結果が入っている。
柴波は、沖奈が死獅の研究を、五番隊長に流したという情報をつかんでいたのだろう。
「ああ、じっくり育てたからな」
日向は木箱を柴波の前に置いた。
木箱の蓋を開け、百枚ほどある紙の中身をパラパラと確認した柴波は、ある資料で眉をひそめた。
「……確かに受け取った」
「情報の管理は、厳重にお願いします。今回のことは、他言無用でお願いします」
「ああ」
木箱を閉じて、柴波が、何かを探るように、確かめるように楓を見る。
「これだけの情報が外に流れないのは、なぜだと思う?」
その目は、日向を見定めたときと同じだった。
「わたしには、わかりかねます」
楓は感情を排したいつもの無表情でそれだけを述べる。
「……」
柴波は目を伏せて、前髪をかきあげた。
「お前はもう少し頭が良いと思ってたぜ」
ゆるりと立ち上がった柴波に続いて、日向と楓も腰を上げた。
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
義務的に最後まで壁をつくった楓は、たぶん、柴波の求める答えをわざと避けたんだと日向は思った。
楓は、日向の胸に渦巻くもやもやの原因から、その問題から遠ざかろうとしている。
きっと、全てわかったうえで、さっきの答えをだしたのだろう。
玄関の前で、柴波が楓を見下ろした。
「家畜でも、長い間飼ってると情がわく。早めに処分するんだな」
柴波の眼に、日向が映ることはなかった。
楓の部屋に戻ると、盗聴防止部屋に入り、中央の机の前で向かい合った。
「すみませんでした」
最初に謝っておく。
「……もう、ええ」
ため息まじりの楓は疲れていた。
「本当に、すみませんでした」
うつむいて肩を落とした。
「日向」
いつもと違う、冷たく、真剣な声にはっと顔を上げる。
向けられた楓の眼には、有無を言わせない鋭さがあった。
「今夜知ったことは忘れろ、これは命令だ」
少しでも命令に背くことがあれば、殺す。そう眼が言っていた。
日向は息をのんで、はい、と絞り出すように頷いた。
「もう、出ろ」
席を立って、部屋の鍵を開ける楓の後ろに続いて、日向は襖の敷居をまたいだ。
「ねえ、楓……ぼく、役に立つから」
振り返って言葉を紡ぐ。
パタッ 目の前で襖が閉められた。
「だから……見捨てないで」
うつむいた日向の震える声は、きっと楓には届いていない。
一枚の襖が、とても厚く遠く感じた。
きっと、楓との心の距離だ。
日向は自分の部屋に戻り、布団に潜り込んだ。
机の上においたおにぎりを見ないように背を向けて。




