第二十一話 土曜日の昼下がり
「待った?」
「いや」
城下町に続く門の前で、洋服姿で立っている隼に駆け寄る。
着物姿の多い愛知国で、完全な輸入品の洋服を身にまとっている隼は、周りの視線を集めていた。
「洋服かっこいいね」
「んー……まあ、楽だな」
ハイネックの黒いシャツに、ベージュのカーディガン、黒いパンツを履いている隼は、東北州の出身といわれたらきっと納得できる。
「隼って、東北州からきたの?」
唐突な質問に、隼は隣に並ぶ日向をチラッと見下すと、
「ん」
と小さくうなずいた。
「やっぱりそうだったんだ! だからそんな高そうな洋服をもってるんだね」
愛知国ではまだ出回っていない布で作られたカーディガンやパンツは、布屋や服屋が見たら喉が手が出るほど欲しがるだろう。
「あっちで買えばそんな高くない……それに、質はそんな良くないしな」
隼は日向の甚平のような上衣をチラッと見ながら言う。
「繊維関係は、中部州の本命だもんね」
日向は、先日の戦学で学んだことを思い出す。
いまから、約四十七年前の一八五三年に突然現れた六死外道は、それぞれの州を作り、国を作った。
その州に、それぞれの知識や技術を発展させて、現れた時と同じように消えた。
東北州には、農業の技術。
関東州には、情報・精密機器の技術。
中部州には、繊維の技術。
関西州には、武器の技術。
四国・中国州には、医療の技術。
九州には、重工業の技術。
「ま、でも、いまじゃ東北州のアイデアとかに負けてるんだけどね」
東北州はふかふかのベッドや、アクセサリー、洋服という新しいデザインの服など、様々な奇抜なアイデアで繊維、衣服業界で力を上げていた。
最近では、得意の農業で発達した植物を合わせて、新しい布を作っている。
「ぼく、一度でいいから東北州の洋館でふかふかのベッドに寝転んでみたい」
遥か遠くを思って両手を組む日向に、隼はふっと笑う。
「おれは、畳に布団のほうがいい」
「なんで?」
「そのほうが、猫と目線が近くなる」
「なるほど、隼の生活の基本は猫なんだね」
「ん、癒しだ」
隼の猫好きを改めて実感しながら、街をのんびりと歩く。
まだ少し肌寒いが、青空に太陽がまんべんなく光をたたえている昼下がりは過ごしやすい。
「いつ頃、中部州に来たの?」
「お前と同じくらいの年」
「じゃあ、えーっと、もう十年くらいは中部州民なんだ」
「ん」
路地に猫がいないかきょろきょろしながらうなずく隼は、いつも一緒に巡回しているときとは比べ物にならないくらい雰囲気が柔らかい。
「でも、毎年あっちには戻ってた」
「そうなんだ、やっぱり東北州って寒いの?」
「ああ、雪がお前の背くらい積もる」
「あっははは! うっそだ!」
日向が、いつも冗談なんて言わない隼の言葉に笑う。
隼はきょとんとしながら日向を見る。
「本当だぞ」
「え? 本当なの?」
「ん、たまに家から出れなくなる」
「なにそれ! 大雪って授業では言ってたけど、そんなに積もるの? どうやって生活してるの?」
「頑張ってる」
「ざっくり!」
隼のざっくり加減に笑いながらも、日向はまだ見ぬ異国を想像する。
「ぼく、記憶があるなかでは、まだ愛知国以外に出たことがないんだ」
「記憶?」
「あれ? 言ってなかったっけ? ぼく、九歳以前の記憶がないんだ」
「……ああ、言ってたな」
「そ、だから、いつかこの日本大陸が平和になったら大陸中を旅したいんだ。いろんな人に会っていろんなご飯食べて、いろんな景色を見るんだ」
日向は両手を広げて、空を見上げた。
「東北州みたいに大雪が降るところもあれば、九州ってところはすっごくあったかくて、冬でも雪が降らないんだって!」
キラキラと目を輝かせる日向に、隼は立ち止まった。
「べつに、いまでもいいんじゃないか?」
「え?」
日向は数歩後ろの隼を振り返る。
「平和じゃなくても、違う国には行ける」
「え、でも、いまは入国審査とかがすごく厳しいし、お金もかかるし……」
「違法でも他国には入れる。金も、稼げばいい」
「隼、大胆だね。名隊員の口から出る言葉じゃなかったよ」
苦笑しながら、数歩離れた隼を見上げる。
なんだか、いつもの隼と、少しだけ雰囲気が違う気がする。
「……お前は、ここから出たほうがいいと思う」
日向は、顔に笑顔を浮かべたまま固まった。
どういうこと?
ここって、愛知国のこと? 中部州のこと?
それとも、名隊ってこと?
「それって、どういうこと?」
「お前は、幸せか?」
はっと息をのむ。
いつもの眠そうな眼が、いまは真剣みを帯びていた。
幸せ……?
「それは……まあ、生きているだけ、ありがたいよ」
「お前は、べつにここじゃなくても生きていけるだろ」
隼の言葉は、考えたこともなかった。
旅と、移住は違う。
「ぼくが、愛知国以外で生きるの?」
隼はうなずく。
その顔色が、なんだか悪い気がする。
「……考えたこともなかった。だって、ぼくはここで育ったし、ぼくの夢は、この愛知国を、中部州を守ることだから」
そう、九歳の頃に両親に拾われたとき、意識が戻ったとき、自分の身が安全だとわかったときに、そう自然と思ったんだ。
隼の眼が細まり、眉間にしわが寄る。
「……それは、本当にお前が思った夢なのか?」
あきらかに、隼の顔色が悪くなる。
「どういう意味?」
意味が分からなかった。
わたし以外にだれがいるんだろう?
だって、わたしが思ったことなんだから。
「いや、なんでもない」
少しだけうつむいた隼は、再び日向を真っ直ぐに見る。
「中部州を出るつもりはないか?」
少しだけ、心が揺れた。
この四週間、きついことばかりだった。
巨大な死獅に襲われ、死獅の容疑がかかり、名隊では敵ばかり……。
楓には迷惑ばかりかけてしまう。
名隊に入って良かったのか、ここにいるのが正解なのか、分からなくなる。
それでも、
「ないよ」
日向は笑った。
司からの手紙に、励まされた。
ここは、司が帰ってくる場所だ。
両親が助けて、道場の仲間が励み、すれ違えば挨拶を交わす人々が暮らす場所。
わたしが助けられて、守られて、わたしという存在ができた場所。
次は、わたしが守る場所だ。
「平和になるまで、ぼくはここを離れない」
隼は日向を真っ直ぐ見つめた。
その目の鋭さが、その真剣さを伝えている。
「このままだと、死ぬぞ」
「え?」
日向は笑顔をひきつらせながら、隼を見つめる。
まさか、いきなり隼にそんなことを言われるとは思わなかった。
「隼、どうしたの? そりゃ、こんな世の中じゃ、いつか人は死ぬけど」
「……違う、おれが、言いたいのは……」
喉をおさえ、必死に息をする様子に、慌てて駆け寄る。
突然、様子が変わった隼に日向はどうすればいいのかわからず慌てる。
「どうしたの! 大丈夫?」
日向は隼の腕に手を伸ばした。
が、その手は空をつかんだ。
「……大丈夫だ」
隼は額に浮かんだ汗を拭いながら、顔をそらして歩き出した。
その後ろ姿、ハイネックと短い髪の間の後ろ首の刺青が、少しだけいつもと模様が違う気がした。
日向は急いで隼のもとに走って、隣に並びなおす。
少しの間歩き続けて、日向は隼を見上げる。
顔色はまだ少しだけ悪いが、さっきよりは落ち着いたようだった。
「本当に大丈夫?」
「ん」
隼はうなずいて、それから、日向の頭に手を置いた。
「……おれには、正解はわからない」
その手は、日向を案じているのがわかるほど、優しかった。
「うん」
「でも、お前は、もっと自由に生きていいと思う」
その言葉が、声が、悲しそうで、隼の手に手を重ねた。
隼を見上げてニコッと笑う。
「ありがとう。でも、ぼくには、隼も楓も、司も父さんも母さんもいる。ぼくは、自由かどうかはわからないけど……家族がいるから、幸せだよ」
うん、幸せだ。
こんなにも自分を思って心配してくれる家族がいる。
隼は日向から手を離して、
「そうか」
と小さくこぼした。
隼の眼は、日向を通り越して、どこか、遠くを寂し気に懐かしんでいるようにも感じた。
「じゃあ、いまからもっと幸せになりに行こうか!」
日向は、ニカッと笑って隼の手を引っ張った。
目の前には、以前よく行った茶屋が見える。
そして、茶屋の前に並ぶ赤い布のかかった長椅子の上に、ちょこんと太った三毛猫が座っていた。
隣の隼が、ズカズカと大股で歩いていき、日向を置いて茶屋の椅子に座った。
「にゃぁー」
太った三毛猫、ダンゴは餌をねだるように、隼の膝の上にのって、甘えた声をだす。
茶屋のおばさんが嬉しそうに注文を受けて、隼は眠そうな目を細めて、猫を幸せそうに撫でる。
なんとも、土曜の午後に似合う風景だ。
「可愛いでしょ? ダンゴ」
「ん」
嬉しそうに口元をほころばせる隼は、今までで一番幸せそうだった。
日向もその隣に座って、団子とお茶を注文した。
看板猫のダンゴと同じ色合いの団子を食べながら、ときどきダンゴを撫でる。
こんな平和な時間は、四週間ぶりだ。
隼の背中にもたれながら、のんびりと過ぎていく時間に、ふふっと笑って目を閉じた。
愛知国が、中部州がもっとずっと平和でいられるように。
いつか、全大陸がこんな時間を過ごせるように。
わたしは、ぼくとしてできることをしよう。
そして、いつかきっと全大陸を旅するんだ。
「そういえば、楓も色んな国の家具や雑貨を持ってたな」
楓はもう旅をしたことがあるのかな。
青い空の下、ゆったりと背中をあずけてまどろめる。
大丈夫、わたしは、ここが好きだ。
◆ ◆ ◆ ◆
灰色の曇に覆われた空を、一羽の鳩が迷いなく飛んでいる。
曇天に紛れるようなその姿は、だれの目にも留まることなく、目的の場所へ舞い降りた。
「よくやった」
その声の主は、鳩の足についている手紙をとり、褒美のえさをやると、長距離を飛んだ鳩を休ませる。
灰色の目をした青年は、染めたばかりの淡い茶色の髪を耳にかけて、心待ちにしていた手紙に目を細めた。
司へ
留学先に無事に到着できて良かったよ!
わたしももう半年は会ってないんじゃないかと思うくらい、司と離れてからが長く感じるんだ。
愛知国も、もう桜は散って、いまでは緑が色づいてきてるよ。
司と離れてから、こっちでは色々なことが起きたよ。
楓の部屋にある小部屋に住むことになったり、研究好きな変人の同僚ができたり、新しい兄貴もできたんだ。隊長もちょっと自由だけど優しくてわたしを隊員として扱ってくれるんだ。
ちょっと訓練で暴走しちゃったりしたけど、変人の同僚が薬を持ってて怪我はすぐに治ったよ。
食堂のご飯も美味しいし、お風呂も個室があるし、部屋も綺麗だよ。
わたしは大丈夫、って言いたいけど、
悔しいけど、ここでだけ弱音を吐くね。
ちょっと辛いな、寂しいな。道場で家族といたい。あの頃に戻りたい。
司に、会いたい。
でも、逃げないよ。
司に胸を張って会えるように、わたしはここで強くなるよ。死獅じゃないって証明するよ。
そのためにわたしはここで戦うよ。
もし司が危なくなったら、真っ先に助けられるように、家族を守れるように、大阪国とひるまずに戦えるように、ここで強くなる。
だから、司は安心して勉強を進めてね。
新しい友だちをつくって、美味しいご飯をたべて、色んな景色を見てね。
そんで、たまに、わたしのことを思い出してくれると嬉しいな。
次の手紙を楽しみにしてる!
お互いの健闘を祈って。
朝日奈 日向
手紙を閉じて、優しい笑みを浮かべる青年は、灰色の空を見上げた。
「司」
「はい、今参ります」
部屋の外から名前を呼ばれ、黒い着物に身を包んだ青年は、屋敷の研究室に足を向ける。
日向、どうか、おれが戻るまで、生きていてくれ。
それだけでいい。
もう、他に何も望まないから。
「いまから、死獅の解体をはじめる」
「はい」
この手が、どこまで汚れようとも。




