【12】脱獄
港町ハーフェンの名物といえば町の外れにある闘技場であろう。
砂で満たされた円形の空間を囲むすりばち状の観客席には、連日大勢の観客が肩を寄せ合い、熱狂に満ちた歓声をあげていた。
その衆人環視の中で、命を賭けて戦うのは王国中から集められた重犯罪者や奴隷、そして冒険者に捕らえられたあわれなモンスターたちである。
彼らは闘技場地下の暗い独房で過ごし、唯一試合のあるときだけ日の光を拝む事が出来る。
その独房のひとつだった。
室内の空気は、汗の匂いと断続的に響き渡る鼻息の音に満たされていた。
「九百九十五……九百九十六……九百九十七……」
その部屋の主は“キング”と呼ばれていた。
この闘技場で誰が最強かを問うたとき、必ず返って来る答えが彼の名前だ。
「九百九十八……九百九十九……」
今の彼は日課であるトレーニングの最中であった。懸垂を千回。
それも、独房の天井にあるわずかな亀裂に指先だけを引っ掻けて千回だ。
それだけでも驚嘆すべき事だが、彼は平均的な人間の成人男性の何倍もの体重がある。
その重量を指先だけで支え、吊りあげる……因みに彼の両手首は馬鹿げた大きさの枷で拘束されており、右足には太い鎖と仔牛の頭くらいはある錘のついた枷が取り付けられている。
どう考えても並大抵の腕力では、なし得る事のできない所業であった。
「……千」
彼はトレーニングを終えると、静かに床へと足をおろす。
汗の水溜まりが床に出来ており、湯気をあげていた。
普通ならば、疲労で腕をあげる事もできないだろう。
しかし、キングは悠然と薄暗い牢獄に佇んでいた。
すでに乱れていた呼気は静まり返っており、その表情も静謐そのものであった。
彼にしてみれば、やっと身体が温まって来たというところなのだ。
その立ち姿は、まさに王者――。
と、そこへ彼の独房の鉄格子の前に、鈑金鎧と長槍を持った衛兵四人と魔術師がやって来た。
衛兵のひとりが腰の鍵束を手に取り、鉄格子を開けた。
「オラっ、早く出ろ。この畜生め……試合だ」
これで九百四十七戦目。
キングは閉じていた瞳を静かに開いた。
誰もが自らの敗北を願っている……。
あの熱狂の坩堝で無惨にくびり殺され、憐れな屍を晒す事を望んでいる。
キングはそれを良く理解していた。
だが、しかし、負ける訳にはいかない。再び自由を手に入れるそのときまでは……。
大人しく彼らに従う振りをしてきた。
「おら。どうした、クソがぁっ! こっちに来い!」
もっとも、自分にそんな心がある事など、目の前の衛兵たちには理解できぬ事であろうが……と、キングはいきり立つ衛兵を悠然と眺めてほくそ笑む。
「なに笑ってんだ?! てめぇ!!」
鉄格子を開けた衛兵がキングに詰める。
仲間たちは「おい。やめろ!」と彼を止める。
全員がキングの恐ろしいまでの強さを良く知っているからだ。
彼が本気を出せば、この場にいる五人など一瞬で肉塊になってしまうだろう。
しかし、キングは試合以外では非常に大人しい。従順で文句ひとつ言わない。
靴を舐めろといえばそれに従い、頬を張らせろといえば素直に屈んで顔を突きだす。
人間の犯罪者の方が、彼などよりよほど獣じみていると思えるほどだ。
その事が衛兵を油断させていた。
「てめえ、家畜の分際で、なめてんじゃあねーよ!」
そう言って彼は、キングの腹を長槍の石突きで思いきり突いた。
しかし、キングは微動だにしない。自分より小柄な衛兵の彼を静かに憐れみのこもった眼差しで、じっと見おろしている。
「な……何だよ?」
流石に不気味に感じたのか衛兵が一歩だけ後ずさる。
キングが、その長い牙の突き出た口を開いた。
「やっと……」
それは衛兵たちが口にする言葉と同じ流暢な西方語であった。
「やっと、この枷を……」
キングは手枷で拘束された両手首を胸の前に掲げた。
金属の軋む音がして、一瞬で手枷がはぜて壊れる。
「この忌々しい枷を……壊せるだけの力を手にいれる事ができた」
「ヒッ!! 助け」
彼に詰め寄った愚かな衛兵は、その言葉を最後まで口にする事ができなかった。
何故なら凄まじい速度で突き出されたキングの掌打が彼の頭部を叩き割ったからだ
彼はつぶれた頭部より鮮血を撒き散らしながら吹き飛び、独房の外に飛び出す。
通路を挟んで向かいの独房の鉄格子にぶち当たり、けたたましい金属音を立てた。その独房の中で寝ていたヘルハウンドが驚いて跳ね起きる。
ふっ飛ばされた衛兵はそのまま、ねじれた格好で通路の床に横たわった。
キングが足枷の錘を引きずったまま独房の外へと出た。
他の三人の衛兵は、横並びになり長槍の穂先をキングへと向けて壁を作る。
キングがしゃがみ、足枷の鎖を引きちぎり立ちあがる。
その瞬間だった。
「くっ……くらえっ!」
衛兵の後ろで魔術師が短杖を振るい睡眠の魔法をキングに向かって放つ。
しかし、キングは……。
「ぶおおおんっ!!」
気合いの鼻息一発で、睡眠の魔法をかき消した。
「……な、何だと……そん」
魔術師も最後まで言葉を口にする事はできなかった。
その驚愕に彩られた顔に、足枷の錘がめり込んだからだ。キングはそれを左手首だけで軽々と放り投げた。
しかし、それは凄まじい速度で魔術師の顔に着弾した。まるで攻城兵器の投擲だ。
「うわあああああああっ! 助けてくれっ!! だっ、脱走だ! キングが脱走した!!」
衛兵たちが遁走する。
キングはその後ろ姿を見送ってから悠然と歩き出す。
「さてと……家に帰るか」
この日、キングが地下独房から忽然と姿を消した。
そこはハーフェンの町中にある冒険者ギルドだった。
入り口左脇の掲示板の前で依頼募集の張り紙を見比べる者。
入り口から右手の受付カウンターで様々な手続きを行う者。反対側の談話スペースで情報交換や自慢話にいそしむ者。
この日もギルド一階ホールは沢山の冒険者でごった返していた。
そんな中、颯爽とした足取りで姿を現した四人組へと冒険者たちの視線がそそがれる。
五つ星冒険者パーティ“渦巻く紫煙”である。
「見ろよ……あいつらの鎧、また新しくなってねえか?」
「ああ……最近、いちばんノってる冒険者だな」
“渦巻く紫煙”は例のロジェ辺境王の秘宝を発見した事で、今もっとも注目を集める冒険者パーティとなっていた。
同業者たちの羨望の視線を受け流しながら、“渦巻く紫煙”は空いているカウンターへと向かう。
戦士のジョージ・マイルドが持っていた麻袋をカウンターのうえに置いた。
「頼むよ」
「はい。経験値査定ですね。少々お待ちを」
袋の中に入っているのは、すべてが人間の腐った指や骨だ。
アンデッドの戦利品である。
冒険者たちは、こうして倒したモンスターの身体の一部分をギルドに持ち込む事により経験値を得る事ができる。
麻袋いっぱいに詰められた人間の指は視覚的にも嗅覚的にも、なかなか強烈であるが、受付嬢は慣れた様子で笑顔を浮かべる。
「少々お待ちください」
そう言って、受付嬢は魔導器“審判の眼鏡”で袋の中を覗き込みながら、経験値の査定を開始する。
経験値として認められるのは、そのパーティが討伐したモンスターの戦利品だけだ。
一体のモンスターからはひとつしか戦利品を収拾できないし、自身が倒した訳ではないモンスターの戦利品では経験値を得る事が出来ない。
それらの判定を行うのが審判の眼鏡”であった。
しかし、この判定には穴や欠点が多く、抜け道が沢山ある。
例えば、この“渦巻く紫煙”が持って来たアンデッドの戦利品は、墓場に眠っていた何の変哲もない死体を邪悪な魔法で蘇らせたものだ。
そして、何を隠そう“渦巻く紫煙”のメンバーである魔導師ユミナがそれらの死体を甦らせた張本人であった。
つまり彼女たちは、自分たちで作り出したアンデッドを自分たちで倒して経験値を稼いでいたのだ。
この行為を冒険者たちは“死人狩り”と呼んでいる。
「……はい。ゾンビが七匹で二十一点、グールが三匹で十五点。合計で三十六点の経験値になります」
審判の眼鏡では、何らかの原因で蘇ったアンデッドである事しか判定できない。
なので、これらの戦利品は正当な経験値として加算されてしまう。
経験値として認められているならばルールの内であると、“死人狩り”を肯定する冒険者もいる。実際に多くの冒険者がこれで経験値を稼いでいた。
しかし、何の罪もない者の死体をアンデッドモンスターとして蘇らせ、それを再び倒すという行為に、経験値を得る事以上の意味があるのかと問われれば否である。
それに、そもそもこのカルドヴァス王国の法律では死体をアンデッドとして蘇らせる行為は違法である。
発覚すればギルド除名のうえに牢屋行きだ。
しかし、冒険者は誰しもが口にする。
……みんなやってる。
……バレなければルールのうち。
彼らは私利私欲のために法を犯し死者の尊厳を傷つける行為については何とも思わない。
なぜなら冒険者たちにとっては経験値こそが、モラルや誇りよりも大切なものだからだ。
ジョージは上機嫌な様子で、カウンターに身をのりだし、受付嬢に尋ねる。
「俺ら、あと何点でランクあがるの?」
「三百九十六点です」
「けっこうまだあるな……」
と、格闘家のニックが渋い顔で言う。するとジョージは笑顔で片目をパチリと瞑り、受付嬢に向かって再度尋ねる。
「何か楽して稼げる依頼ないの?」
冒険者ギルドが仲介する仕事――依頼を達成したときも、その難易度によってボーナス経験値がもらえる。
受付嬢は苦笑しながら「さあ?」といって首を捻る。
「しかたねーなぁ ……たりいけど積み荷の護衛でもすっかな」
そう言ってジョージはカウンターに肘をついたまま依頼票の張り出された掲示板の方に目線を向けた。
するとユミナが唇を尖らせる。
「また積み荷の護衛なの? 私たちは、あのロジェ辺境王の秘宝を見つけた腕利きなんだよ? それなのに何で積み荷の護衛みたいなショボい依頼を……」
その直後だった。
ギルドの玄関の向こうから、ひとりの男が駆け込んで来る。
その男は血相を変えて叫び散らした。
「大変だー!! 闘技場からキングが逃げたらしいぞ!!」
“渦巻く紫煙”の面々は大きく目を見開き顔を見合わせた。




