第9章 偽りの宝石、真実の反乱
朝日がコリン村の屋根を照らしていた。
昨日と同じ光景のはずだった。
それなのに、和人には村全体が、どこか息苦しい檻のように見えた。
道端では、痩せた農民が売り物にならない野菜を並べている。店先には空の木箱が積まれ、畑の一部は荒れたまま放置されていた。
税を払うために家財を売り、それでも足りず、食料まで手放した者もいるという。
「……本当に、ひどいな」
和人が呟く。
隣を歩く涼音は、道の向こうにいる親子へ視線を向けた。
母親らしき女性が、小さなパンを二つに割って子供に渡している。自分の分は、ほんのひとかけらしか残っていなかった。
「昨日、村人が言っていたこと……大げさじゃなかったのね」
「ああ。これじゃ、税を払うために生きているようなものだ」
二人は宿へ戻ると、朝食もそこそこに、テーブルへ地図と古代文字の写しを広げた。
その中央に置いたのは、昨日の遺跡から持ち帰った謎の宝石だった。
光の当たり方によって、赤にも青にも、紫にも見える不思議な結晶。
ヴァリアスの遺跡で見つけたものとも、デュランダルの遺跡で反応したものとも違う。けれど、和人と涼音の持つ杖と剣の宝石に近づけると、かすかに脈打つような光を放つ。
まるで、二人の存在を確かめているかのように。
「この宝石……遺跡では、俺たちに反応したんだよな」
「ええ。でも、あの黒いローブの人も気になるわ。宝石を見たとき、遺跡より私たちのほうを見ていた」
「しかも、あいつは俺たちが宝石を持ち出すことまで予想していたような感じだった」
和人は腕を組んだ。
昨日の遺跡で聞いた、あの人物の言葉が頭から離れない。
――遺跡が君たちを選んだのか。
あれは、どういう意味だったのだろう。
「まずは、この文字を解読しよう。宝石の正体が分かれば、少なくとも次に何をすべきか見えてくる」
「賛成。だけど、バロックに見つかる前にね」
二人は宿を出た。
酒場、武器屋、商店、そして村の古い記録を保管しているという建物まで訪ね歩いたが、古代文字を読める者は見つからなかった。
この地方では、古代文明の知識は長い年月の中で失われつつある。古代文字を見たことがある者でさえ、意味を説明できる者はほとんどいなかった。
そんなとき、涼音が足を止めた。
「和人。あそこ、ちょっと気にならない?」
彼女が指さした先には、周囲の家とは不釣り合いなほど立派な屋敷があった。
壁は修繕され、庭には花が咲いている。村の人々が食料に困っているというのに、そこだけ別の世界のようだった。
「……バロックの屋敷か?」
「違うと思う。あの人の屋敷なら、もっと兵士がいるはずよ」
二人は門の前へ進み、扉を叩いた。
「すみません。少しお話を伺いたいのですが!」
しばらくして現れたのは、二十代前半ほどの青年だった。
上質な服を着ているが、目の下には疲れが浮かび、表情にも余裕がない。
「私に何か用でしょうか?」
「俺たちは旅人です。古代文字について調べているんですが、この村に詳しい人はいませんか?」
青年は一瞬だけ、和人の顔から涼音の腰の剣へ視線を移した。
「古代文字……ですか。どうして、そのようなものを?」
「少し事情がありまして」
和人は警戒されないよう、言葉を選んだ。
すると青年は周囲を確認してから、二人を屋敷の中へ招き入れた。
「私はルークと申します。この村を治めるバロック卿より下位の貴族です。もっとも……今の私に、領地を治める権限などほとんどありませんが」
屋敷の中は立派だったが、華美な装飾は少なかった。
廊下には使われなくなった調度品が並び、部屋の隅には木箱が積まれている。食卓にも豪華な料理はなく、パンとスープが置かれているだけだった。
「失礼ですが、村の人々を助けていらっしゃるのですか?」
涼音の問いに、ルークは驚いたように目を見開いた。
「……ご存じでしたか」
「村の様子を見れば、誰かが助けていなければ不思議なくらいです」
ルークは小さく息を吐いた。
「私は、この村が好きなのです。父が亡くなるまで、ここは貧しくとも、笑い声の絶えない場所でした。ところが、バロック卿が領主になってから、税は何度も引き上げられました」
「戦争のためじゃないんですか?」
「最初は、そう説明されていました。しかし、集めた金が兵士の給金や防衛設備に使われている様子はありません。むしろ、古代遺跡の調査や、得体の知れない傭兵を雇うために消えているようなのです」
和人と涼音は顔を見合わせた。
遺跡。
その言葉が出たことで、二人の警戒心が強まる。
「実は、俺たちも遺跡で宝石を見つけました。そこに刻まれていた文字を解読したいんです」
和人は古代文字の写しを取り出した。
ルークは慎重に紙を受け取り、文字を眺める。
だが、しばらくして困ったように首を横に振った。
「申し訳ありません。私にも読めません。ただ……一人、心当たりがあります」
「誰ですか?」
「教会のエドワード司教です。あの方は古い魔法文献を研究されています。バロック卿の政策には疑問を抱いていますが、教会もまた、彼の支配下にあります。表立って協力を求めるのは難しいかもしれません」
「それでも、行ってみる価値はあるわね」
涼音が言うと、ルークは少しだけ表情を和らげた。
「もし司教が協力してくれるなら、私から紹介状を書きましょう。ただし……」
ルークは言葉を切った。
「バロック卿に逆らうということは、この村に住む人々全員を危険にさらす可能性があります。それを、どうか忘れないでください」
和人は紹介状を受け取り、真剣な顔で頷いた。
「分かっています。だからこそ、何も知らないまま宝石を渡すわけにはいかないんです」
屋敷を出る直前、和人は振り返った。
「ルークさん。一つだけ聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
「あなたは、本当にこの村を変えたいと思っていますか?」
ルークはすぐには答えなかった。
やがて、窓の外に見える村の通りへ目を向けた。
「……変えたいです。ですが、私のせいで誰かが傷つくことが怖い。その恐怖を言い訳に、私はずっと何もできずにいました」
「だったら、まずは何ができるか一緒に考えましょう」
和人はそう言って、屋敷を後にした。
ルークの言葉が、胸に残っていた。
勇気がないから立ち上がれないのか。
それとも、守りたいものが多すぎるからこそ、立ち上がれないのか。
その答えは、和人にもまだ分からなかった。
教会は村の中心から少し離れた高台に建っていた。
高い尖塔と重厚な石造りの壁。入口には古い紋章が刻まれ、長い年月を経ても、その姿は堂々としていた。
しかし、入口の脇には税の納付を求める掲示が貼られていた。
「……教会まで税の徴収に使われているのね」
涼音が眉をひそめる。
「信仰まで領主の都合で利用されているってことか」
和人は寄付用の器に金貨を一枚入れ、司教との面会を求めた。
やがて案内された部屋に現れたのは、白い法衣をまとった年配の男性だった。
落ち着いた眼差しと穏やかな物腰。だが、その目には、長年にわたり多くの人々の苦しみを見てきた者特有の重さがあった。
「あなた方が、ルーク殿の紹介で来られた旅人ですか」
「はい。柊和人です。こちらは観音寺涼音」
「エドワードと申します。この教会を預かっております」
和人は挨拶を済ませると、古代文字の写しを差し出した。
「これを読んでいただきたいんです。遺跡で見つけたものなんですが、俺たちにはさっぱりで」
エドワードは紙を受け取った。
そして、一行目を目にした瞬間、穏やかだった表情が変わった。
「……これは、どこで?」
「デュランダルの領内にある古代遺跡です」
「そうですか……」
司教は何かを考え込むように、文字の上を指でなぞった。
「間違いありません。これは古代魔法文字です。しかし、一般的な古代文字とは少し違う。かなり古い時代の記法が混じっています」
「読めるんですか?」
「すべてではありません。ですが、私の書庫に関連する文献が残っているかもしれません」
エドワードは二人を教会の奥へ案内した。
そこには、信者たちが普段立ち入ることのできない書庫があった。
壁一面に並ぶ書棚。革表紙の古書。朽ちかけた羊皮紙。魔法陣の構造を記した図面や、現在では使われていない魔法文字の辞典まである。
「すごい……。こんな資料が残っていたのか」
和人が感嘆の声を漏らす。
「古代文明の知識は、戦争や災害によって失われました。残された書物も、読める者がいなければ、ただの紙束です」
エドワードは何冊もの書物を机に積み上げ、古代文字を照らし合わせていった。
一時間。二時間。
窓から差し込む光が傾き始めた頃、ようやく司教の手が止まった。
「……見つけました」
彼が開いた書物には、宝石の挿絵が描かれていた。
それは、和人たちが持ち帰った宝石とよく似ていた。輪郭はほぼ同じだが、挿絵の宝石には、表面に複雑な紋様が刻まれている。
その横に、古代文字と現代語の両方で名前が記されていた。
――エタニティー。
「エタニティー……古代語で『永遠』を意味する言葉です」
エドワードは、慎重に説明を始めた。
「この記録によれば、エタニティーは膨大な魔力を蓄え、周囲の魔力に干渉する性質を持つとされています。ただし、力のすべてが記録されているわけではありません。何より、ここに描かれたものと、あなた方が持つ宝石が同一のものかどうかも、まだ断言できません」
「でも、形は似ていますね」
涼音が宝石を見つめる。
「ああ。遺跡で俺たちの宝石に反応したのも、偶然じゃないかもしれない」
和人が手を伸ばすと、エタニティーは淡い光を放った。
書物のページに刻まれた文字が、わずかに浮かび上がる。
エドワードは息を呑んだ。
「これは……」
光は一瞬で消えた。
しかし、司教は確かに見た。宝石の周囲に、古代文字とよく似た光の紋様が現れたのを。
「この石は、ただ魔力を蓄えているだけではないのかもしれません。使い手の魔力に応じて、その性質を変える……あるいは、何かを選別する機能がある可能性もあります」
「選別……?」
「残念ながら、そこまでは分かりません。古代の記録には、エタニティーの力が人々を救ったとも、争いを招いたとも記されています。重要なのは、宝石そのものの善悪ではなく、それを扱う人間の意志なのでしょう」
和人の脳裏に、バロックの顔が浮かんだ。
村人から税を搾り取り、兵士と傭兵を集め、遺跡の宝を探している男。
もし、あの男がこの宝石を手にしたら――。
「司教。バロックがこの宝石を狙っているとしたら、どうしますか?」
エドワードは、すぐには答えなかった。
やがて、書物を閉じると、静かな声で言った。
「渡すべきではありません」
「やっぱり、そうですよね」
「しかし、隠すだけでは何も解決しません。バロック卿がこの村を支配し続ける限り、彼は何度でも遺跡を探し、村人たちから奪い続けるでしょう」
司教の目に、決意の色が宿った。
「村を変える必要があります。宝石を守ることと、人々を守ること。その両方を考えなければなりません」
涼音は和人と目を合わせた。
二人がこの村へ来た目的は、古代文字を解読することだった。
だが、いつの間にか、目の前にある問題はそれだけではなくなっていた。
ルークの屋敷へ戻ると、和人はエタニティーについて分かったことを説明した。
古代の遺物である可能性が高いこと。
大きな魔力を秘めていること。
そして、バロックに渡せば、村の支配をさらに強めるために利用される恐れがあること。
話を聞き終えたルークは、長い沈黙の後、屋敷の奥へ二人を案内した。
そこには、武器や防具、魔法道具が並べられていた。
剣、槍、弓。使い込まれた盾。古い魔法具。そして、棚の上には竜を模した置物や、珍しい鉱石が飾られている。
「これらは、私の財産です」
ルークは一つの剣を手に取った。
「父が残してくれたものもあります。ですが、村人たちが食べるものに困っていたとき、私は少しずつ売り払いました。それでも、全員を救うには足りなかった」
「だから、まだ残っているものを使って戦うつもりですか?」
涼音が尋ねる。
「……はい。ただ、戦いになれば、犠牲が出るかもしれません。それが怖いのです」
「怖いのは当然だと思う」
和人は、ルークの目を見た。
「俺だって、誰かが傷つくのは嫌だな。でも、何もしなければ、村の人たちはこれからも苦しみ続ける。どっちを選んでも簡単じゃないなら、せめて自分が後悔しないほうを選びたい」
ルークは俯いた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……私は、領主の名を持ちながら、ただ、バロック卿の方が位が上で領民を守れずにいました。もう、それを言い訳にはしません」
その声には、先ほどまでの迷いとは違う強さがあった。
「バロック卿を止めます。私が先頭に立ちます」
涼音が小さく頷いた。
「それなら、私たちも協力するわ」
「ありがとうございます」
ルークは深く頭を下げた。
そのとき、和人の目が棚の隅に留まった。
「おっ……これ、なんかフィギュアみたいだな!」
彼が手に取ったのは、剣を構えた騎士の小さな彫像だった。
「細かい造形だなあ。こういうの、俺の部屋にもいっぱいあったんだよ」
「……和人」
涼音の声が低くなる。
「な、何だよ?」
「あんた、今、何をしに来たか分かってる?」
「分かってるって。作戦会議だろ?」
「その手に持ってるものを置きなさい」
「いや、ちょっと見るだけ――」
「置きなさい」
「……はい」
和人は素直に彫像を棚へ戻した。
ルークは二人を交互に見ながら、困惑した表情を浮かべていた。
「お二人は……いつも、そのようなやり取りを?」
「そうよ」
「違うぞ。普段はもっとひどい」
「どっちなのよ!」
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
だが、次の瞬間、ルークの表情は再び引き締まった。
「一つ、考えがあります」
彼が取り出したのは、紫色の原石だった。
「これは、以前、商人から買い取った鉱石です。磨けば宝石に似せられるかもしれません。エタニティーを隠し、これを偽物としてバロック卿に渡すのです」
「偽物を渡している間に、村人たちを動かす……か」
和人が考え込む。
「ただし、相手は領主です。偽物だと見破られれば、すぐに反撃してくるでしょう」
エドワードも静かに口を開いた。
「教会は負傷者の治療と避難誘導を担当します。戦える者ばかりではありません。戦闘に参加しない者を、決して無理に巻き込んではいけません」
「分かりました」
ルークは頷いた。
作戦は決まった。
だが、村人全員が戦えるわけではない。バロックの兵士たちは実戦経験を積んでいる。対する村人たちは、剣を握ったことさえない者も多かった。
それでも、彼らには守りたい暮らしがあった。
その日の夜、ルークは信頼できる者たちに声をかけた。
かつて兵士を目指していた若者。
傭兵として各地を渡り歩き、今は村で鍛冶仕事をしている男。
家族を税の取り立てで失った農民。
教会で魔法を学んできた信者たち。
一人、また一人と、仲間が集まっていった。
「俺たちに、本当にできるのか?」
若い男が不安そうに尋ねた。
ルークは、すぐには答えなかった。
「分かりません。ですが、何もしなければ、明日も同じ暮らしが続く。それだけは確かです」
誰も声を上げなかった。
やがて、最初に一人の農民が頷いた。
その隣で、別の者も頷く。
小さな決意が、静かに広がっていった。
それは、まだ反乱と呼ぶには頼りないものだった。
けれど、長い間押し殺されてきた村人たちの声が、初めて一つになろうとしていた。
数日後。
バロックの屋敷へ向かう朝、コリン村には妙な静けさが漂っていた。
表向き、村はいつもと変わらない。
店は開き、農民は畑へ向かい、兵士たちは通りを巡回している。
だが、屋根の陰や路地の奥では、村人たちが密かに配置についていた。
和人は懐に偽物の宝石を入れ、涼音とともに屋敷の門をくぐった。
「領主様にお目通り願いたい。例の魔法石を持ってきた」
門番の態度が一変した。
「少々お待ちください!」
ほどなくして二人は屋敷の奥へ通された。
広間の中央には、豪奢な椅子が置かれていた。
そこに座っていたのは、領主バロック。
整えられた衣服に、指にはめた複数の指輪。かつては鋭かったであろう目つきは、今では欲望に曇っているように見えた。
「ほう……。本当に持ち帰ったのか」
和人が偽物の宝石を取り出すと、バロックは椅子から身を乗り出した。
「これが、例の魔法石か!」
「そうだ。だが、ただで渡すつもりはない」
「何だと?」
「村人への税を引き下げろ。これ以上、食べるものにも困るような暮らしをさせるな」
バロックは一瞬、黙り込んだ。
しかし、すぐに口元を緩めた。
「よかろう。税は引き下げよう。君たちの働きには、それ相応の報酬を与えねばならんからな」
あまりにも簡単な返事だった。
涼音は、バロックの目をじっと見つめた。
彼は村のことなど考えていない。
目の前の宝石を手に入れるためなら、どんな約束でも口にするつもりなのだ。
「本当に約束を守るんだな?」
和人が念を押す。
「もちろんだとも。私は領主だぞ。約束を破るような真似はせん」
その言葉を聞いた瞬間、和人は心の中でため息をついた。
――よく言うよ。
だが、今はまだ、表情に出すわけにはいかない。
和人は宝石を差し出した。
バロックが手を伸ばす。
その瞬間、和人は杖を握る手に力を込めた。
「ところで、バロック卿」
「何だ?」
「この村の人たちが、あんたのためにどれだけ苦しんできたか……考えたことはあるか?」
バロックの笑顔が消え険しい表情になった。
「……何が言いたい?」
「その宝石を手に入れても、村の人たちの苦しみは消えないってことだよ」
「黙れ。領主の統治に口を出すな」
バロックは偽物の宝石を掴み取った。
そして、和人を見下ろすように笑った。
「約束は約束だ。税については、追って検討してやろう」
「……やっぱり、そう来るか」
和人は小さく呟いた。
バロックが怪訝そうな顔をする。
その直後だった。
和人の杖の先から、火球が天井近くへ放たれた。
炎は屋敷の外へ飛び出し、空中で赤く弾けた。
作戦開始の合図。
バロックの顔から、血の気が引いた。
「貴様……! まさか、最初から!」
屋敷の外で、怒号が響いた。
門の近くでは、ルーク率いる剣士たちが兵士と激突していた。
剣と剣がぶつかり、盾が打ち鳴らされる。訓練を受けた兵士たちは連携して村人たちを押し返そうとするが、路地の奥から次々と仲間が現れ、行く手を塞いでいく。
「隊列を崩すな! 門を押さえろ!」
ルークの声が響いた。
彼自身も剣を手に、兵士の攻撃を受け止めていた。
腕に衝撃が走る。
相手の一撃は重い。まともに受け続ければ、すぐに押し切られるだろう。
それでもルークは退かなかった。
「この先へは、行かせない!」
剣を弾き返し、仲間たちへ叫ぶ。
「無理に追うな! 負傷者を下げろ! 倒すことより、仲間を守ることを優先するんだ!」
村人たちは必死に応じた。
教会では、エドワードが信者たちとともに負傷者の治療に当たっていた。
神聖魔法の光が傷口を覆い、倒れた者たちが運ばれてくる。
「深追いしてはいけません! 戦えない者は、避難を手伝ってください!」
エドワードは治療を続けながら、戦場の様子を見守った。
これは、勝つためだけの戦いではない。
村の人々が、これからも生きていくための戦いなのだ。
一方、屋敷の中では、バロックが声を荒らげていた。
「私の兵士たちは何をしている! たかが村人相手に、いつまで手間取っているのだ!」
「領主様! ルーク様の一派が門を押さえています! 教会の者たちまで協力しているようで――」
「ルークだと……!」
バロックは歯を食いしばった。
自分の支配に逆らう者など、誰一人いないと思っていた。
税を課せば従う。
兵士を置けば黙る。
逆らう者には見せしめを与えればいい。
それで、すべてが思いどおりになるはずだった。
「……あの若造。自分が何をしているのか分かっているのか」
そのとき、広間の扉が開いた。
和人と涼音が、武器を構えて立っていた。
「分かっていないのは、そっちじゃないか?」
和人が言った。
「貴様ら……!」
バロックは机の上に置いていた杖を掴んだ。
「私を敵に回したことを、後悔させてやる!」
彼の全身から魔力が噴き出した。
空気が震え、床に置かれた燭台が揺れる。次の瞬間、燃え盛る炎の塊が和人へ向かって放たれた。
「和人!」
涼音が叫ぶ。
和人は杖を構え、火魔法を放った。
二つの炎が衝突し、轟音とともに爆発する。
熱風が広間を駆け抜け、壁の装飾が吹き飛んだ。
「くっ……!」
和人は腕で顔をかばった。
バロックの魔法は強い。単純な火力だけなら、和人を上回っているかもしれない。
正面から撃ち合えば、魔力が尽きるのは自分のほうが先だ。
「涼音! 右から回り込め!」
「分かった!」
涼音は床を蹴り、側面へ走った。
バロックは彼女に気づくと、炎を横薙ぎに放つ。
涼音は剣を振るい、水をまとわせて炎の勢いをわずかにそらした。
だが、熱波までは防ぎきれない。
「っ……熱い!」
彼女は後退しながら体勢を立て直す。
水魔法はまだ得意とは言えない。長時間使い続ければ、集中力も魔力も削られていく。
それでも、彼女は剣を下ろさなかった。
「和人、長くはもたないわよ!」
「分かってる! こっちも余裕なんかない!」
和人は杖を握り直した。
炎を連発するたび、体の奥から力が抜けていく。息が荒くなり、視界の端が揺れた。
このままでは押し切られる。
ならば、勝負を決める隙を作るしかない。
「バロック! お前は宝石を手に入れれば、何でも思いどおりになると思っているんだろう!」
「当然だ! 力を持つ者が支配する。それが世の理だ!」
「だったら、どうして村人たちはお前に従わなかったんだ?」
バロックの眉が動いた。
「何……?」
「本当にお前が正しい領主なら、みんなが立ち上がる必要なんてなかったはずだ!」
「黙れ!」
怒りに任せ、バロックが巨大な炎を放つ。
その一瞬、魔力の制御が乱れた。
和人は炎を真正面から受けず、杖を横に振って軌道をそらした。炎は壁へぶつかり、爆発とともに煙を巻き上げる。
「今だ、涼音!」
「ええっ!」
涼音が煙の中へ飛び込んだ。
水をまとわせた剣が、バロックの杖を正確に打ち払う。
杖が床を転がった。
同時に、和人が残った魔力を集中させる。
「これで……終わりだ!」
杖の先から放たれた炎が、バロックの魔力を打ち崩した。
火花が散り、彼の体が床へ崩れ落ちる。
「ぐっ……!」
バロックは膝をついた。
初めて、その顔から余裕が消えた。
「私の……夢が……」
和人は荒い息を整えながら、彼を見下ろした。
「夢?」
バロックは震える手で床を掴んだ。
「私は……この領地を豊かにするつもりだった。古代の力を手に入れれば、誰にも脅かされない領地を築ける。誰もが私の名を恐れ、逆らえなくなる……それこそが、私の望みだった!」
「それは、豊かな領地じゃない」
和人の声は静かだった。
「お前が欲しかったのは、誰にも逆らわれない世界だろ。村人から奪った金で作る支配なんて、夢とは呼ばない」
バロックは言葉を失った。
そこへ、ルークと数人の村人が駆けつけた。
戦いは、屋敷の外でも決着しつつあった。バロックの兵士たちは武器を捨てる者が増え、抵抗を続けていた者も、やがて包囲された。
ルークは床に倒れたバロックを見つめた。
その顔には怒りだけでなく、悲しみも浮かんでいた。
「バロック卿。あなたには、裁きを受けてもらいます」
「ルーク……貴様に、領主が務まると思っているのか……!」
「務まるかどうかは、私一人で決めることではありません」
ルークははっきりと言った。
「この村の人々と、一緒に決めていきます」
バロックは何も言い返せなかった。
その日、コリン村を長く覆っていた支配は終わった。
戦いが終わった村には、夕暮れの光が差し込んでいた。
負傷者の手当てが続き、兵士たちの武器が集められていく。戦いに勝ったとはいえ、村人たちの表情には疲労が色濃く残っていた。
それでも、昨日までとは違う光景があった。
誰かが、久しぶりに笑っていた。
市場では、閉じていた店の扉が少しずつ開き始めていた。
「お母さん、明日もパンを買える?」
小さな子供の問いに、母親は涙ぐみながら頷いた。
「ええ。きっとね」
その様子を見て、涼音はそっと息を吐いた。
「……よかった」
「ああ。でも、これからが大変だな」
和人は周囲を見渡した。
兵士たちの処遇。
蓄えられた財産の整理。
重税によって荒れた畑や、閉鎖された商店の再建。
領主を倒しただけで、すべてが元どおりになるわけではない。
ルークは村人たちを集め、バロックが蓄えていた財産と税の記録を整理することを宣言した。不当に集められた財産は可能な限り村へ戻し、食料の確保と農地の再建を優先する。
教会もまた、治療と生活支援を続けることになった。
そして、村人たちの話し合いを経て、ルークが新たな領主として村を治めることが決まった。
「あなた方がいなければ、私は最後まで動けなかったかもしれません」
ルークは二人に深く頭を下げた。
和人は照れくさそうに頭をかいた。
「俺たちは、きっかけを作っただけだよ。村を変えるのは、これからのルークや、みんなだ」
「そうね。誰か一人が全部を背負う必要はないわ」
涼音も頷いた。
「みんなで決めて、みんなで守っていけばいいと思う」
ルークはその言葉を胸に刻むように、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとうございます。この村を、必ず立て直します」
その後、和人たちは宿へ戻り、荷物をまとめた。
エタニティーは、誰にも見つからないように厳重に包んである。
偽物の宝石はバロックの手に渡ったが、あれが何の力も持たない原石であることは、いずれ知られるだろう。
「バロックが捕まったからって、全部解決したわけじゃないわね」
涼音が言った。
「ああ。あの宝石を探していたのは、バロックだけとは限らない」
和人の脳裏に、黒いローブの人物が浮かぶ。
遺跡で、あの人物は確かに言った。
――遺跡が君たちを選んだのか。
あの言葉の意味を、まだ二人は知らない。
そして、バロックが雇っていた傭兵たちの中には、最後まで姿を見せなかった者もいた。
「……気になることが多すぎるな」
和人が呟いたとき、扉がノックされた。
ルークだった。
彼は一枚の地図を持っていた。
「出発前に、お渡ししたいものがあります」
ルークが机の上に広げた地図には、コリン村から南西へ続く街道が描かれていた。
その先に記されているのは、一つの街。
――デルフィー。
「デルフィーは、古くから交易で栄えた街です。今も多くの学者や魔法使いが集まっています」
ルークは地図の端を指でなぞった。
「そして、街から少し離れた場所に、古代の宮殿が残されているという話があります」
「古代の宮殿……?」
和人と涼音の表情が変わった。
これまで二人が見つけてきた遺跡は、どれも何かを守るために造られたような場所だった。
宝石と古代文字。
二人の持つ杖と剣に反応する仕組み。
そして、地図上で不自然に空白になっていた地域。
それらが、少しずつ一本の線でつながり始めている。
「その宮殿について、何か分かっているんですか?」
涼音が尋ねた。
「詳しいことは分かりません。ただ、古い記録には、宮殿が建てられた時代について、奇妙な記述が残っています」
ルークは声を落とした。
「そこは、王族が暮らすための宮殿ではなかった――そう書かれているのです」
「王族のためじゃない?」
和人は眉をひそめた。
「じゃあ、誰のために造られたんだ?」
「それは分かりません。ですが、もし古代文字を解読できる者がいるなら、デルフィーで何か手がかりが見つかるかもしれません」
和人は地図を見つめた。
古代文明の遺跡を追い始めてから、いくつもの謎に出会った。
エタニティーと呼ばれる宝石。
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
ディストラとマダスカス。
それぞれが何を意味し、なぜ自分たちの持つ宝石に反応するのか。
そして、何よりも――。
なぜ自分たちが、この世界へ召喚されたのか。
「……デルフィーに行こう」
和人は地図を畳んだ。
「そこなら、俺たちがこの世界に来た理由に近づけるかもしれない」
涼音は静かに頷いた。
「ええ。今度こそ、ただ遺跡を調べるだけじゃなくて、私たち自身のことも知りたい」
翌朝。
二人は馬に乗り、コリン村の門をくぐった。
ルークと村人たちが、道の両側に立って見送ってくれた。
「和人さん、涼音さん! 本当にありがとうございました!」
「またいつでも来てください!」
和人は馬上から手を振った。
「今度来るときまでに、もっといい村にしておいてくれよ!」
「はい! 約束します!」
ルークは力強く頷いた。
涼音も振り返り、笑顔で手を振った。
村が少しずつ遠ざかっていく。
昨日まで、コリン村は重税と恐怖に沈んでいた。
だが今、そこには、自分たちの手で未来を変えようとする人々がいる。
二人が残したものは、宝石でも、武器でもない。
人々が自分の意志で立ち上がったという事実だった。
やがて街道は森を抜け、遠くの丘陵地帯へと続いていった。
その先に、デルフィーの街がある。
そして、その郊外には、古代の宮殿が眠っている。
二人はまだ知らない。
その宮殿が、これまで訪れた遺跡とは根本的に異なる場所であることを。
そこに残されているのは、失われた文明の記録だけではない。
和人と涼音がこの世界へ召喚された理由。
二人が持つ杖と剣の本当の意味。
そして、古代の宝石が選び続けてきた者たちの記録。
その最初の手がかりが、長い眠りから目覚めようとしていた。
「次は、デルフィーだな」
和人が前を見据える。
涼音は剣の柄にそっと手を添えた。
「ええ。今度は、どんな謎が待っているのかしらね」
二頭の馬が、夕暮れの街道を駆けていく。
その遥か後方。
コリン村の外れに立つ丘の上で、一人の黒衣の人物が、二人の姿を見送っていた。
その手には、小さな水晶板が握られている。
表面には、赤と青、そして七色に揺れる光が浮かんでいた。
「……反応は確認できた」
黒衣の人物は、誰にともなく呟いた。
「選定は、すでに始まっている」
水晶板の光が消える。
その人物はフードを深くかぶり直すと、二人が向かった街道とは別の道へ歩き出した。
「デルフィーで、すべてが動き出す」
風が吹き抜け、黒衣の姿は森の影へと消えた。
――古代の謎は、まだ始まったばかりだった。




