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第10章 錬金術師の宮殿――新たな仲間と至宝の宝石

コリン村を出発してから、どれほどの時間が経っただろう。

馬の足音だけが、静かな街道に響いていた。

目指すは、交易都市デルフィー。

ルークから渡された地図によれば、街まではもう少し距離がある。しかし、長旅を続けてきた馬たちは疲労を隠せず、時折、足取りを緩めていた。


「……そろそろ休ませたほうがよさそうだな」


和人は手綱を引き、周囲を見渡した。

街道から少し外れた森の中に、開けた場所がある。そこには澄んだ川が流れ、周囲には柔らかな草が生い茂っていた。


「なあ、涼音。今日はあそこで野営しよう。馬も限界みたいだ」


涼音は馬の首筋を撫でてから頷いた。


「賛成。無理をさせて倒れられたら、私たちまで歩くことになるもの」


「それだけは勘弁してくれ。異世界で徒歩の旅とか、イベントとしては地味すぎる」


「冒険をゲームのイベントみたいに言わないの」


呆れた声を聞きながら、和人は苦笑した。

二人は川辺に荷物を下ろし、野営の準備を始めた。薪を集め、和人が火魔法で火をつける。ルークから譲り受けた食料で簡単な食事を作り、馬にも十分な水と休息を与えた。

焚き火の向こうで、川面が夕日を反射している。

戦いが終わってから、まだ数日しか経っていない。

コリン村では、村人たちが自分たちの未来を取り戻そうとしていた。ルークも、慣れない領主としての仕事に追われている頃だろう。


「……あの村、うまくやっていけるかな」


和人が呟いた。


「大丈夫よ。ルークは一人で全部を背負おうとしないって約束してくれたし、村の人たちも自分たちで立ち上がったんだから」


「そうだな」


和人は草の上に寝転がり、空を見上げた。

青から橙へ、そして濃い藍色へ。

空の色が変わっていく。

異世界に来てから何度も見上げた空だったが、見慣れることはなかった。

空の向こうに元の世界があるのか。

家族や友人は、突然いなくなった自分たちをどう思っているのか。

そして、自分たちは本当に帰れるのか。

考え始めると、答えのない疑問ばかりが浮かんでくる。


「……本当に、俺たちは元の世界に帰れるのかな」


独り言のような呟きだった。

涼音はすぐには答えなかった。

彼女もまた、空を見上げていたからだ。


「帰れるわよ……きっとね」


やがて、彼女は静かに言った。


「根拠はないけどね。でも、帰る方法が分からないからって、最初から諦めたくない」


「……涼音らしいな」


「何よ、それ」


「いや。昔から、そういうところは変わらないなと思って」


涼音は少しだけ目を細めた。

幼い頃から一緒だった二人。

まさか、ゲームのような世界に迷い込み、剣と魔法を手にして旅をすることになるとは、夢にも思わなかった。

ましてや、一度は敵国の人間として、刃を交えることになるなど。


「……あのとき、戦場で再会できていなかったら」


涼音がぽつりと言った。

和人は体を起こした。


「え?」


「ううん。何でもない」


彼女は首を振ったが、その表情にはわずかな陰りがあった。

和人も、それ以上は尋ねなかった。

二人とも、考えたくない未来がある。

だからこそ、今は隣にいる相手を失わないようにしたい。


「私、ちょっと水浴びしてくる。見張り、お願いね」


涼音が立ち上がる。


「おう」


「……覗かないでよ?」


「誰が覗くか。俺の嫁は二次元にいるんだからな」


「はいはい。異世界に来ても、そのオタク発言だけは健在なのね」


涼音は呆れた顔で森の奥へ消えていった。

和人は再び草の上に寝転がった。


「……ま、変わらないものが一つくらいあってもいいか」


そう呟くと、焚き火の音に耳を傾けた。

だが、彼はまだ知らなかった。

この静かな夜が終わる頃には、彼らの旅に新たな仲間が加わるための、最初のきっかけが訪れていたことを。

夜が更けると、森は別の顔を見せ始めた。

木々の影は濃くなり、川のせせらぎだけが、変わらず静かに響いている。

涼音が先に休み、和人が見張りを引き継いだ。


「……さて。せっかくだし、少しでも魔法を覚えておくか」


和人は荷物から水魔法の書物を取り出した。

火魔法はある程度扱えるようになってきたが、水魔法はまだ初歩的なものしか使えない。

涼音の剣技に頼りきりになるわけにもいかないし、エタニティーをはじめとする謎の宝石についても、いずれ自分たちで調べられるようになりたい。

ページをめくり、魔力の流れを確かめる。

水を生み出すだけなら、以前よりも安定してきた。だが、攻撃や防御に応用するには、まだ修練が必要だった。


「水を操るって言っても、思った以上に難しいな……」


そのときだった。

――ガサッ。

森の奥で、何かが動いた。

和人は本を閉じ、杖を手に取った。

風はない。

それなのに、茂みの向こうで複数の影が揺れていた。


「……魔物か?」


音を立てないよう、そっと近づく。

木々の隙間から見えたのは、狼に似た魔物が数体と、背中に甲殻を持つ小型の魔物だった。

彼らは争っているわけでも、獲物を追っているわけでもない。

ただ、何かから逃げるように、森の奥へ移動していた。

一頭の狼型の魔物が足を止め、暗闇を振り返る。

その瞳には、警戒の色があった。

和人は杖を構えたまま、動かなかった。


「……俺たちに気づいていないのか?」


やがて魔物たちは、木々の向こうへ消えていった。

和人は攻撃しなかった。

魔物だからといって、すべてが人間を襲うとは限らない。少なくとも、今の彼らに戦う意思は見えなかった。

それよりも気になったのは、魔物たちが逃げていた方向だった。

森のさらに奥。

まるで、何か恐ろしいものが近づいているかのように。


「……嫌な感じだな」


和人はしばらく闇を見つめていたが、やがて野営地へ戻った。

念のため、焚き火を少し小さくする。

その後、森で異変が起きることはなかった。

空が白み始めるまで、和人は警戒を続けた。


「おい、涼音。そろそろ起きろ」


「……あと五分……」


「あと五分なんかない。昔から朝だけは弱いよな、お前」


「……うるさい……」


毛布にくるまったまま動かない涼音を、和人は何度か揺さぶった。

ようやく目を開けた彼女は、不機嫌そうに和人を睨む。


「……あとで覚えてなさいよ」


「怖い怖い。朝から物騒だな」


そんなやり取りをしながら、二人は簡単な朝食を済ませた。

馬に荷物を積み、地図を確認する。

デルフィーまでは、もう遠くない。


「街に着いたら、まずは情報収集だな」


和人が言うと、涼音はすぐに頷いた。


「古代宮殿のことを調べるのが先よ。どんな魔物がいるのか、どこまで探索されているのか。何も知らずに突っ込むのは、もうやめましょう」


「……耳が痛いな」


「誰のせいだと思ってるの?」


「俺だけじゃないだろ」


「少なくとも、あなたはすぐに突っ込む」


「否定できないのがつらい」


二人は馬に乗り、街道を進み始めた。

森の木々が途切れ、遠くの丘陵地帯が見えてくる。

その先には、交易都市デルフィーが待っていた。

昼前。

街道の向こうに、大きな城壁が見えてきた。

デルフィーは、コリン村とは比べものにならないほど活気に満ちた街だった。

門の前には商人の荷馬車が列を作り、冒険者らしき者たちが武器を携えて出入りしている。城壁の内側からは、金属を打つ音や人々の呼び声が聞こえてきた。


「おお……やっぱり街って感じがするな!」


和人が感嘆の声を上げる。


「コリン村とはずいぶん違うわね。でも、戦争の影響はあるみたい」


涼音の言うとおり、門の近くには負傷した兵士の姿があり、商人たちの会話にも戦況への不安が混じっていた。

二人は旅人として入門手続きを済ませ、街の中へ入った。

まずは宿を確保し、馬を預ける。

その後、情報を集めるため、冒険者や商人が集まる食堂へ向かった。

店内は賑やかだった。

冒険者たちが依頼の話をし、商人たちが商品の値段を交渉している。

だが、二人が耳にしたのは、景気のいい話ばかりではなかった。


「最近、街道沿いの魔物が増えているらしいぞ」


「森だけじゃない。古代宮殿の近くでも、見たことのない魔物が出たって話だ」


「おいおい、あそこには近づくなって言われてるだろ。昔から、妙なことが起きる場所なんだ」


和人と涼音は、自然と顔を見合わせた。

昨夜、森の中で見かけた魔物たち。

あれも、何かから逃げていたのだろうか。


「古代宮殿って、そんなに危険なの?」


涼音が近くの冒険者に尋ねた。

男は酒杯を置き、二人を見た。


「知らずに来たのか? あそこは昔、錬金術師たちが集まって研究をしていた場所だ。今じゃ廃墟だが、奥には古代の至宝が眠っているって噂がある。まあ、噂だけどな」


「至宝?」


和人の目が輝いた。


「古代の錬金術師たちが作り上げた、特別な宝石だとか。手に入れれば、とんでもない力が得られるらしい」


「……それ、どこまで本当なんだ?」


「さあな。俺は近づかないことにしてる。宝石を手に入れる前に、魔物の餌になるのはごめんだからな」


男はそう言って笑った。

だが、その笑いにはどこか引きつったものがあった。

涼音は腕を組んだ。


「魔物が増えていることと、宮殿に何か関係があるのかもしれないわね」


「ああ。それに、至宝の宝石か……」


和人の頭には、これまで見つけてきた宝石が浮かんでいた。


ディストラ。

マダスカス。

デモンズスピリッツ。

メイクトゥルー。


そして、デュランダルの遺跡で見つけた、正体不明の結晶。

それぞれの力も由来も、まだ分からないことばかりだ。

もし宮殿に眠る宝石が、それらと関係しているなら。

ここは、決して見過ごせない場所だった。


「……行くしかないな」


和人が言う。


「待って。行くのはいいけど、準備が先よ」


涼音は即座に釘を刺した。


「今までの遺跡でも、予想外のことが何度も起きたでしょう? 今回は魔物が増えているという情報まである。私たち二人だけで進むのは危険よ」


「分かってるって。だから、ここは王道RPGらしく仲間を集めよう!」


和人は勢いよく立ち上がった。


「魔法使いに剣士、そして回復役! できれば盗賊も欲しい! これぞ冒険者パーティー!」


「……あんた、本当にどこへ行ってもゲーム感覚ね」


「いや、役割分担は大事だろ?」


「それはそうだけど……ん何偉そうなことを、ゲームかラノベの知識でしょ、それって」


涼音はため息をついた。

しかし、彼女も仲間が必要だという点には同意していた。

二人だけでは、攻撃、防御、探索、回復のすべてをこなすのは難しい。

食事を終えると、二人は冒険者ギルドへ向かった。

デルフィーの冒険者ギルドは、街の中でもひときわ賑わっていた。

入口には依頼を求める冒険者が集まり、壁の掲示板には討伐、護衛、採集など、さまざまな依頼書が貼られている。

その中でも、二人の目を引いたのは一枚の依頼書だった。


『古代宮殿周辺の魔物調査および討伐』


報酬は、通常の討伐依頼よりもかなり高い。


「……やっぱり、それだけ危険ってことね」


涼音が依頼書を眺める。


「でも、これを受ければ宮殿周辺の情報も手に入るかもしれない」


和人が言った、そのときだった。

ギルドの隅から、甲高い声が響いた。


「だから、私のせいじゃないって言ってるじゃないですか!」


声の主は、一人の少女だった。

年齢は十代半ばから後半ほど。風を思わせる淡い緑色のマントを羽織り、腰には短剣を下げている。

彼女の足元には、小さな魔物がいた。

丸みを帯びた体に大きな耳。ふわふわした毛並みと、くりっとした目が特徴的だ。

見た目だけなら、戦闘向きには思えない。

ところが、近くにいた冒険者が少女に向かって声を荒らげていた。


「お前の魔物が勝手に荷物をひっくり返したんだぞ!」


「だから、あの子は食べ物の匂いを嗅いだだけで……」


「言い訳するな!弁償しろっ!」


少女は悔しそうに唇を噛んだ。

和人は涼音に目配せした。


「……助ける?」


「事情も分からないのに、首を突っ込まないの」


涼音はそう言いながらも、少女の様子を気にしていた。

そのとき、小さな魔物がくんくんと鼻を動かし、床に落ちたパンくずを見つけた。


次の瞬間、ぱくり。


「こら、ケルビー!」


少女が慌てて抱き上げる。

和人は思わず吹き出した。


「……なるほど。これは怒られるかもしれない」


「笑わないでください!」


少女がこちらを振り向く。

和人は慌てて両手を上げた。


「悪い悪い。俺たちは旅人なんだ。ちょっと気になっただけで」


涼音が一歩前に出た。


「あなた、テイマーなの?」


少女は少し警戒しながら頷いた。


「はい。私の名前はエリーです。この子はケルビー。私の相棒です」


ケルビーはエリーの腕の中から顔を出し、和人たちをじっと見つめた。

その瞳には、ただの小動物とは違う知性が感じられた。

涼音はしゃがみ込み、ケルビーの目線に合わせた。


「ケルビーっていうのね。かわいいじゃない」


「キュウ!」


ケルビーは嬉しそうに鳴いた。


「……へえ。人懐っこいんだな」


和人が手を伸ばすと、ケルビーは鼻を近づけた。

だが、次の瞬間、和人の指先をぺろりと舐める。


「うおっ! くすぐった!」


「ふふっ……」


エリーの表情が、初めて少し和らいだ。

先ほどまでの緊張が解けたのか、彼女はケルビーを抱き直した。


「この子は、私が魔法で強化しながら戦うんです。私は直接戦うのが得意ではありませんけど、風魔法でケルビーの動きを速くしたり、攻撃を補助したりできます」


「なるほど。テイマーと風魔法の組み合わせか」


和人は感心した。


「俺たちは古代宮殿を調べるつもりなんだ。もしよかったら、一緒に来ないか?」


エリーは驚いたように目を見開いた。


「古代宮殿……?」


「ええ。私たちは古代文字と、そこに眠る宝石について調べたいの」


涼音が説明すると、エリーの表情が変わった。


「古代文字……。もしかして、石碑や古い書物も調べるんですか?」


「そのつもりよ」


「でしたら、私も力になれるかもしれません」


エリーは懐から、小さな手帳を取り出した。

そこには、見慣れない文字や魔法陣の図が細かく書き込まれていた。


「父から、古代文字や魔法文字を教わっていたんです。全部読めるわけではありませんが、普通の冒険者よりは知識があると思います」


和人と涼音は顔を見合わせた。

まさに、探していた人材だった。


「決まりだな。俺は和人。こっちは涼音だ。よろしく、エリー」


「よろしくお願いします」


エリーは小さく頭を下げた。

こうして、二人の旅に新たな仲間が加わった。

だが、このとき和人たちはまだ知らなかった。

エリーが持つ古代文字の知識と、彼女の両親の失踪が、宮殿に眠る秘密と深く結びついていることを。

その日の夕方。

宿の一室に集まった三人は、翌日の探索に備えて地図を広げていた。

エリーが取り出した地図は、和人たちのものよりもはるかに詳細だった。

デュランダル領内の街道や村の位置だけでなく、古代遺跡の候補地らしき場所に、小さな印がつけられている。


「すごいな。これ、全部自分で調べたのか?」


和人が尋ねる。

エリーは少し迷ってから頷いた。


「旅をしながら、少しずつ書き足してきました。古代文字に関係する場所や、両親の手がかりがありそうな場所を探していたんです」


「両親?」


涼音の声が柔らかくなる。

エリーは地図を見つめたまま、ゆっくりと話し始めた。

三年前。

ヴァリアスとデュランダルの間で、大規模な戦争が起きた。

エリーの故郷は、その戦火に巻き込まれた。

村の家々は焼け、住民たちは逃げ惑った。生き残った者たちも散り散りになり、家族や友人と離れ離れになった。

その混乱の中で、エリーは両親とはぐれた。


「お父さんは、デュランダルの城下町で司書官をしていました。古代の書物や魔法文字を研究していた人です」


彼女の父は、古代文明に関する知識を多く持っていた。

母は元近衛兵で、剣術と護身術に優れていた。

幼い頃、エリーは父から文字や魔法を教わり、母からは身を守るための剣の扱いを教わっていた。

しかし、剣士としての才能は、母ほどにはなかった。

代わりに、彼女には風魔法とテイムの才能があった。


「ケルビーと出会ったのも、旅を始めてからです。最初は小さくて、怪我をしていたんです。私が治療したら、ずっとついてくるようになって……」


「それで相棒になったのか」


和人が微笑むと、ケルビーは誇らしげに胸を張った。


「キュッ!」


「ふふっ。そうね。今では私の大切な家族です」


エリーはケルビーを優しく撫でた。

だが、すぐに表情が曇った。


「……本当は、何度も探すのを諦めそうになりました。手がかりは少ないし、戦争で亡くなった可能性だってあります。それでも、どこかで生きているかもしれないと思うと、どうしても諦められなくて」


部屋に静寂が落ちた。

和人は、元の世界に残してきた人たちのことを思い出した。

突然いなくなった自分たちを、誰かが探しているかもしれない。

エリーもまた、失ったものを取り戻すために旅をしている。

その気持ちは、他人事とは思えなかった。


「……じゃあ、一緒に探そう」


和人が言った。

エリーは顔を上げた。


「え?」


「宮殿にお父さんの研究と関係するものが残っているかもしれない。何も見つからないかもしれないけど、調べる価値はあるだろ?」


涼音も頷いた。


「私たちも、探しているものがあるの。目的は違っても、協力できることはあるはずよ」


エリーは二人を見つめた。

その目が、わずかに潤んだ。


「……ありがとうございます」


彼女は何度も頭を下げた。


「私、足を引っ張らないように頑張ります」


「いやいや。無理して頑張りすぎるのも禁止な」


和人が笑う。


「仲間っていうのは、できないことを一人で抱え込むためにいるんじゃないからな」


その言葉に、涼音も静かに頷いた。

エリーは少し驚いたような顔をした後、ようやく笑った。


「……はい。よろしくお願いします」


その夜、三人は翌日の探索に必要な道具を整え、早めに休むことにした。

明日、向かうのは錬金術師の宮殿。

古代の知識と、失われた至宝が眠る場所。

そして、エリーの過去につながるかもしれない場所だった。


3人は同じ宿に泊まり翌朝になり、三人は食事を済ませると、デルフィーを出発した。

和人と涼音は馬に乗り、エリーはケルビーの背にまたがっている。

出発前、ケルビーは小さな姿から、狼に似た大きな姿へと変化していた。

四肢は力強く、毛並みには淡い緑色の光が走っている。


「……おお。大きくなった!」


和人は目を輝かせた。


「これがケルビーの第二形態です。移動するときは、この姿のほうが速いんです」


「変形するのか……。いいな、そういうの。ゲームだったら絶対に育成したくなるやつだ」


「和人、今はゲームの話をしている場合じゃないでしょ」


「分かってるって!」


涼音の突っ込みを受けながら、和人はケルビーを観察した。

小さな姿と大きな姿では、体格だけでなく魔力の流れも違って見える。

テイムした魔物が、使い手の魔力によって成長するのか。それとも、もともと複数の姿を持つ種族なのか。

興味は尽きなかったが、今は探索が先だった。

街道を進み、森を抜け、丘を越える。

やがて、遠くに巨大な建造物が見えてきた。


「……あれが、錬金術師の宮殿」


涼音が馬を止めた。

宮殿は、周囲の景色から切り離されたかのように、丘の斜面にそびえていた。

高い石柱。

半ば崩れた尖塔。

そして、巨大な正面扉。

それらは長い年月を経て傷んでいるものの、建物の骨格は驚くほど原形を保っている。

これまで訪れた遺跡とは違う。

ただ何かを封じるためだけに造られたのではない。

多くの人々が暮らし、研究し、知識を蓄えていた場所。

そんな印象を受けた。


「ここで、錬金術師たちが研究をしていたのか……」


和人は呟いた。

エリーは宮殿の外壁を見上げ、古い紋様を確認していた。


「この模様……。父の書物で見たことがあります」


「何か分かるの?」


涼音が尋ねる。


「錬金術の研究施設で使われていた印に似ています。ただ、中央の紋様だけが違うんです」


エリーは壁に刻まれた紋様を指でなぞった。

円の中に、三つの線が交差している。

その中心には、小さな空白があった。


「普通なら、ここには研究者の所属や施設の番号が刻まれるはずです。でも、これは何もない」


「最初から空白だったのか?」


和人が尋ねる。


「分かりません。ただ……意図的に削られたようにも見えます」


三人は顔を見合わせた。

誰かが、ここにあった情報を消したのだろうか。

それとも、最初から誰にも知られないように造られた場所だったのか。

答えは分からない。

だが、宮殿が単なる研究施設ではなかった可能性は高そうだった。


「中へ入ろう。何があるかは、調べてみないと分からない」


和人が杖を握り直す。

三人は慎重に正面扉を押し開いた。

重い音を立てて扉が動き、暗い回廊が姿を現した。

中は驚くほど静かだった。

壁には装飾が残り、床には古い石板が敷き詰められている。天井の一部が崩れ、そこから差し込む光が、空中に漂う埃を照らしていた。

魔物の気配はない。

だが、和人はどこか落ち着かなかった。


「毎回だけどさ……静かすぎないか?」


「確かに。魔物が増えているって噂だったのに」


涼音が剣の柄に手を添える。

エリーは足元を注意深く見ながら歩いていた。


「この宮殿、床に魔法陣が組み込まれています。ほとんど消えていますけど、ところどころに魔力が残っている」


「罠か?」


「まだ分かりません。でも、踏む場所には気をつけたほうがよさそうです」


三人は床の紋様を避けながら、ゆっくりと奥へ進んだ。

そのとき、和人が一枚の扉に気づいた。

扉はわずかに開いている。

その向こうから、何かが動く音が聞こえた。

――カサカサ。

――ガリッ。

涼音はすぐに剣を抜いた。

エリーも短剣を構え、ケルビーが低く唸る。


「……何かいるわね」


「全員、慎重にな」


和人が扉を押し開いた。

次の瞬間。

三人の視界いっぱいに、小型の魔物の群れが広がった。

数は、ざっと百体近い。

小さな甲殻を持つ魔物や、鋭い歯をむき出しにした獣型の魔物が、部屋の中を埋め尽くしていた。

その奥には、さらに別の扉がある。

魔物たちは一斉に振り返り、侵入者を見つけた瞬間、甲高い声を上げた。


「……百体はいるか」


和人は思わず息を呑んだ。

涼音が剣を構える。


「正面から相手をするのは無理ね。倒している間に囲まれるわ」


「だったら、まとめて相手にする方法を考えましょう」


エリーが一歩前へ出た。


「ケルビーなら、群れを一か所に誘導できます」


和人は彼女を見た。


「……なるほど。集めてから一気に攻撃するのか」


「ただし、ケルビーが囲まれないように、私の風魔法で動きを補助する必要があります」


「よし。俺の火属性の魔法と合わせよう」


涼音はすぐに首を振った。


「待って。火を使うなら、宮殿の壁や床への影響も考えて。ここを崩したら、私たちまで埋まるわよ」


「……確かに」


和人は室内を見渡した。

天井は高いが、柱の一部には亀裂が入っている。炎を大きく広げれば、天井の崩落を招くかもしれない。


「分かった。火を広げるんじゃなくて、風で範囲を絞る。エリー、炎を一点に集められるように、魔物を奥の壁際へ誘導してくれ」


「やってみます!」


エリーがケルビーの首筋を撫でた。


「ケルビー、お願い!」


ケルビーの体が淡い光に包まれる。

四肢に風がまとわりつき、体が一回り大きくなった。狼に似た姿のまま、筋肉が引き締まり、脚の動きが鋭くなる。


「行って!」


ケルビーは床を蹴り、魔物の群れの中へ飛び込んだ。

魔物たちは一斉にケルビーを追い始める。


「よし、こっちへ誘導してる!」


和人は杖を構え、魔力を練り始めた。

エリーは両手を広げ、風の流れを操る。


「今です!」


「フレアブレス!」


和人の杖から炎が放たれた。

同時に、エリーが風魔法を解き放つ。


「タイフーン!」


風が炎を巻き上げ、巨大な炎の渦が部屋の奥へと走った。

魔物たちの悲鳴が響き、炎の光が壁を赤く染める。

だが、炎の勢いはエリーの風によって制御されていた。周囲へ広がることなく、魔物の群れだけを包み込む。

やがて、炎が消えた。

床には黒い痕跡が残り、群れの大半が動かなくなっていた。

しかし、まだ数体が残っている。


「和人、魔力を使いすぎないで! 残りは私がやる!」


涼音が飛び出した。

水をまとった剣が閃き、魔物の攻撃を受け流しながら、次々と急所を捉えていく。

一方、別の魔物が和人たちへ迫った。


「させません!」


エリーが風の障壁を展開する。

魔物の突進が弾かれた瞬間、ケルビーが横から飛び込み、鋭い爪で敵を押さえ込んだ。

短い戦闘の末、部屋の中に動く魔物はいなくなった。

和人は杖を下ろし、深く息を吐いた。


「……ふぅ。最初からこれだけの数とはな」


「でも、作戦は成功したわね」


涼音が剣を収める。

エリーは膝をつき、ケルビーを抱き寄せた。


「ありがとう。よく頑張ったね」


ケルビーが嬉しそうに鳴いた。

和人は二人と一匹を見て、笑みを浮かべた。


「やっぱり仲間がいると違うな」


その言葉に、エリーは少し照れたように笑った。

しかし、涼音は部屋の奥にある扉を見つめていた。


「……まだ終わっていないわ」


扉の向こうから、かすかな振動が伝わってきた。

まるで、宮殿そのものが、何かに応えるように。

扉の向こうには、広い書庫があった。

壁一面に本棚が並び、机の上には古い書物や羊皮紙が散乱している。崩れた棚の隙間には、何かの装置らしき金属部品が残されていた。


「……すごい」


エリーの声が震えた。

彼女は一冊の本を手に取ると、慎重にページをめくった。


「これ、錬金術の研究記録です。魔力を物質に定着させる方法や、鉱石の性質を変化させる実験について書かれています」


「錬金術って、薬を作ったり金属を変えたりするやつだよな?」


和人が尋ねる。


「それもあります。でも、古代の錬金術はもっと広い分野だったみたいです。物質だけじゃなく、魔力そのものの性質を変える研究も行われていたようです」


涼音が周囲を見渡した。


「そんな研究をしていた場所なら、宝石のことも分かるかもしれないわね」


三人は手分けして書物を調べ始めた。

和人は図面を確認し、涼音は周囲の安全を確かめながら、棚の奥に隠された文書を探す。

エリーは古代文字の読める部分を拾い上げ、ノートへ書き写していった。

しばらくして、彼女の手が止まった。


「……ありました」


「何か見つかったのか?」


和人が駆け寄る。

エリーが開いていたのは、複数の錬金術師によって記された研究記録だった。

表紙は傷み、題名の大部分は失われている。

だが、ページの中央には、複雑な紋様に囲まれた宝石の図が描かれていた。

その宝石は、これまで見つけてきたどの宝石とも少し違う。

内部には幾重もの光の層が重なり、中心には小さな星のような輝きがあった。


「これは……」


和人は、思わず息を呑んだ。


「至宝の宝石、なのか?」


エリーはページを読み進めた。


「記録によれば、複数の高位錬金術師が協力して、一つの特別な結晶を作り出そうとしていたようです。魔力を蓄えるだけではなく、周囲の魔力の流れを整え、異なる属性同士をつなぐ……そんな目的が書かれています」


「異なる属性をつなぐ?」


涼音が聞き返す。


「はい。ただ、その先は暗号化されていて、私にも読めません」


エリーは悔しそうに唇を噛んだ。


「ごめんなさい。せっかくここまで来たのに……」


「謝る必要はないさ」


和人は記録を覗き込んだ。


「全部読めなくても、分かったことはある。少なくとも、ここで作られていた宝石は、ただの魔力の塊じゃないってことだ」


彼は慎重にページをめくった。

すると、別の図が現れた。

宮殿の内部構造らしき図面だ。

書庫のさらに奥に、円形の部屋が描かれている。その中央には、宝石のような印が記されていた。


「……これが、宮殿の最深部か?」


涼音が図面を覗き込む。


「たぶん。ここに、研究の最終段階で使われた施設があったんだと思います」


エリーが頷いた。


「でも、妙です。この部屋の周囲には、通路が三つしかありません。ほかの研究区画から直接入れないようになっています」


「つまり、何かを隔離していたってことか」


和人の表情が引き締まった。


「あるいは、誰にも簡単に近づけたくなかったのかもしれない」


涼音は剣の柄を握った。


「……行くなら、十分に注意しないとね」


和人は研究記録を丁寧に閉じた。


「これは持ち帰ろう。エタニティーの記録と照らし合わせれば、何か分かるかもしれない」


エリーは頷いた。


「はい。ほかのページも、できるだけ記録しておきます」


そのときだった。

――グルルルル……。

ケルビーが、低い唸り声を上げた。

三人が振り向く。

書庫の奥。

図面に記された円形の部屋へ続く扉の向こうから、重い音が響いていた。

――ゴン。

――ゴン。

――ゴン。

まるで、巨大な何かが歩いているような音だった。

エリーの顔から、血の気が引いた。


「……まだ、何かいる」


三人は書庫の奥へ進んだ。

扉の前には、古代文字が刻まれた金属板が埋め込まれていた。

エリーはそれを確認し、眉をひそめる。


「これは……警告文かもしれません」


「何て書いてある?」


「完全には読めません。でも、『認証なき侵入者』『守護機構』『最終区画』……そんな意味の文字が見えます」


和人は扉を見つめた。


「守護機構ってことは、魔物じゃなくて、何かの装置なのか?」


「その可能性はあります。ただ、今も動いている理由は分かりません」


涼音が剣を抜いた。


「どちらにしても、ここから先へ進むなら、避けては通れなさそうね」


和人は深く息を吸い、扉を押し開いた。

広大な円形の部屋が現れた。

天井は高く、壁には複雑な魔法陣が刻まれている。床の中央には巨大な円環があり、その周囲に複数の石柱が立っていた。

そして、部屋の中央に、それはいた。

三メートルを超える巨体。

全身を覆うのは、鱗のように重なった黒い装甲。片腕には巨大な剣が取り付けられ、頭部には赤い光を放つ眼が二つ浮かんでいる。

人型にも見えるが、生物というよりは、古代の技術によって造られた兵器のようだった。

その胸部には、円形の紋様が刻まれている。


「……でかすぎだろ」


和人が思わず呟いた。

次の瞬間、守護者の赤い眼が三人を捉えた。


――侵入者を確認。


無機質な声が、部屋に響く。


――認証を開始。


床の魔法陣が光り始めた。

エリーが息を呑む。


「これ、まだ動いているんです!」


――認証失敗。

――排除を開始する。


守護者が剣を振り上げた。


「来るぞ!」


轟音とともに、巨大な剣が振り下ろされる。

三人は左右へ飛び退いた。

床が砕け、破片が飛び散る。


「一撃でもまともに食らったら終わりね!」


涼音が叫ぶ。

和人は杖を構え、炎を放った。


「フレアブレス!」


炎が守護者の胸部を包み込む。

だが、装甲の表面を焼くだけで、大きな損傷は与えられなかった。


「効いてない……!」


「なら、私が動きを止めます!」


エリーが両手を広げた。


「ハイ・エアブレス!」


強烈な風圧が守護者の側面を襲う。

巨体がわずかに揺れた。

その隙に涼音が懐へ飛び込み、水をまとわせた剣を振るう。

しかし、刃は装甲に弾かれた。


「硬い……!」


守護者は彼女を振り払うように腕を振った。

涼音は身を低くして避けたが、風圧だけで体が吹き飛ばされそうになる。


「涼音!」


和人が炎を放ち、守護者の注意を引きつけた。


「こっちだ、鉄くず野郎!」


守護者が赤い眼を向ける。

巨大な剣が横薙ぎに振るわれた。

和人は飛び退いたものの、刃が杖の先をかすめた。強烈な衝撃が腕に走る。


「ぐっ……!」


手の痺れをこらえ、後方へ転がる。

守護者の動きは重い。

だが、一撃の範囲が広すぎる。近づけば危険で、遠くから魔法を撃っても装甲を貫けない。

このままでは、魔力が尽きるのが先だ。


「……どうする?」


和人が息を切らしながら尋ねる。

エリーは守護者の動きを観察していた。


「待ってください……。攻撃するたびに、床の魔法陣が光っています」


「床の魔法陣?」


「はい。守護者が動くと、足元の円環から光が流れているんです。もしかしたら、あれが動力源なのかもしれません」


涼音が床を見た。

確かに、守護者が剣を振るうたび、床の紋様が一瞬だけ明るくなっている。


「つまり、床の魔力を使って動いているってこと?」


「断言はできません。でも、胸の紋様と床の円環が連動しているように見えます」


和人は守護者の胸部を見つめた。

あの紋様。

書庫の記録に描かれていた、宝石を囲む幾重もの円環とよく似ている。


「……あいつを倒すには、力任せじゃ駄目だ。動きを止める方法を探そう」


「どうするの?」


涼音が尋ねた。

和人は床の石柱に目を向けた。


「石柱を使う。あいつの攻撃を誘導して、床の円環を壊せないか試そう」


エリーが頷いた。


「私が風で動きを誘導します。涼音さんは攻撃を避けながら、守護者を石柱の近くへ誘い込んでください」


「分かったわ」


「俺は炎で注意を引く。無理だと思ったら、すぐに離れるんだ!」


三人は頷き合った。

再び守護者が動き出す。

エリーが風を放ち、守護者の側面を叩いた。

巨体が彼女の方を向く。

その瞬間、涼音が前へ飛び出した。


「こっちよ!」


水をまとった剣で、装甲を打つ。

守護者が彼女へ剣を振り下ろした。

涼音は横へ転がり、石柱の陰へ滑り込む。

――ゴォン!

巨大な剣が石柱に激突した。

亀裂が走り、石柱の一部が崩れ落ちる。

守護者の動きが、一瞬だけ止まった。


「今だ!」


和人が炎を放つ。

炎は守護者の足元へ走り、床の紋様を覆った。

同時にエリーが風を操り、炎の熱を一点へ集中させる。

床の魔法陣が激しく明滅した。


――警告。

――動力供給に異常。


守護者の動きが鈍くなる。


「やっぱり、床が関係している!」


エリーが叫んだ。

だが、守護者は停止しなかった。

赤い眼が強く輝き、巨体が無理やり動き出す。

巨大な剣が和人へ向かって振り下ろされた。


「和人、避けて!」


涼音の声に反応し、和人は身を投げ出した。

刃が地面を砕き、衝撃で体が転がる。


「ぐっ……!」


杖を握る手が痺れ、息が詰まった。

魔力も残り少ない。

涼音もエリーも、すでに疲労が見えていた。

このまま戦い続ければ、三人とも危険だ。

そのとき、エリーが何かに気づいたように顔を上げた。


「……あの石柱です!」


彼女が指さしたのは、守護者の背後にある石柱だった。


「ほかの柱と違って、あれだけ中央に紋様があります! もしかしたら、魔法陣を制御している場所かもしれません!」


和人は歯を食いしばりながら立ち上がった。


「だったら、あそこを壊せばいいのか……!」


「ただし、守護者の背後へ回らないと届きません!」


涼音は剣を握り直した。


「私が引きつける。二人はその間に!」


「涼音、一人で大丈夫か?」


「大丈夫じゃなくても、やるしかないでしょ!」


彼女は駆け出した。

守護者が涼音を追う。

剣が振り下ろされ、床が砕ける。

涼音はぎりぎりで攻撃をかわし、守護者を石柱から引き離した。


「今よ!」


和人は杖を構えた。

残った魔力を集中させ、炎を細く、鋭く圧縮する。


「グレイトフレイムランス!」


炎の槍が一直線に飛び、制御用の石柱を貫いた。

石柱に亀裂が走る。

エリーが最後の力を振り絞り、風を叩きつけた。

――バキィン!

石柱が砕け散った。

その瞬間、床の魔法陣が一斉に明滅した。

守護者の赤い眼が不規則に点滅する。


――動力供給停止。

――防衛機構に異常。


巨大な体が、ぐらりと傾いた。


「今よ、涼音!」


「分かってる!」


涼音は走った。

守護者の胸部には、円形の装甲がわずかに開き、その内側に青白い光が見えていた。


「あれが動力の核なのか」


彼女は最後の力を剣へ集中させた。

水の刃が、細く鋭く伸びる。


「これで……終わりよ!」


剣が胸部の隙間へ突き刺さった。

――ピシッ。

小さな亀裂が走る。

次の瞬間、核が砕けた。

守護者の巨体が震え、赤い眼の光が消えていく。

そして、轟音とともに床へ倒れた。

部屋を揺らす振動が、ゆっくりと収まっていく。

和人はその場に座り込んだ。


「……はぁ、はぁ……。もう二度と、こんなのと戦いたくない……」


涼音も剣を支えにして息を整えていた。


「同感……。あれ、普通の魔物より厄介だったわ」


エリーは二人に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んだ。


「大丈夫ですか? 怪我は?」


「俺は大丈夫。腕がちょっと痺れてるくらいだ」


「私も平気。でも、次はもう少し楽な相手がいいわね」


エリーはほっとしたように笑った。


「……私、二人と一緒に来てよかったです」


和人は彼女を見た。


「俺たちもだよ。エリーがいなかったら、あいつの仕組みに気づけなかった」


涼音も頷いた。


「あなたの知識がなければ、正面から戦い続けていたかもしれない。助かったわ」


エリーは少し照れたように視線を落とした。

三人の間に、確かな信頼が生まれていた。

そのとき、守護者が倒れた床の奥で、かすかな光が点滅した。

和人が顔を上げる。


「……まだ何かあるのか?」


守護者が倒れた場所の奥には、細い通路が隠されていた。

その先にあったのは、小さな部屋だった。

円形の壁には、古代文字が幾重にも刻まれている。中央には石の台座があり、その上に黒い石箱が置かれていた。


「……これが、最深部か」


和人は慎重に近づいた。

石箱の蓋には、先ほどの守護者と同じ紋様が刻まれている。

エリーは壁の文字を確認しながら、ゆっくりと首を傾げた。


「この文字……。今まで読んできた古代文字より、さらに古いものです」


「エリーにも読めないのか?」


「部分的には分かります。でも、文法が違うんです。今の古代文字は、この文字から派生したものなのかもしれません」


涼音は石箱を見つめた。


「じゃあ、ここにあるものは、錬金術師たちが残した最も重要な研究成果かもしれないわね」


和人は頷いた。


「慎重に開けよう」


三人で石箱の蓋を押し上げる。

重い石が動き、内部が姿を現した。

そこに収められていたのは、一つの宝石だった。

赤でも青でもない。

紫、金、銀、そして淡い緑。

さまざまな色が内部で重なり合い、まるで小さな星雲を閉じ込めたかのように輝いている。

これまで見てきた宝石とは、明らかに違う。

美しいだけではない。

目を向けていると、意識の奥へ何かが語りかけてくるような、不思議な感覚があった。


「……これが、至宝の宝石」


涼音が息を呑んだ。

和人は、そっと手を伸ばした。


「待って。触って大丈夫なの?」


涼音が制止する。


「分からない。でも、これを調べるために来たんだ。慎重に触れてみる」


和人は宝石を持ち上げた。

その瞬間――。

全身を、熱とも冷気ともつかない感覚が駆け抜けた。


「……っ!」


視界が白く染まる。

身体の奥で、何かが目覚めた。

魔力が膨れ上がる。

だが、それは単純に力が増したという感覚ではなかった。

これまで別々に流れていた魔力の流れが、何かに導かれるように整っていく。

火魔法を使うときに感じる熱。

水魔法を扱うときに感じる流れ。

それらの感覚が、一瞬だけ、同じもののように重なった。

そして、和人の頭の中に、見知らぬ光景が浮かんだ。

巨大な円形の部屋。

幾重にも重なる魔法陣。

その中央に立つ、何人もの人影。

彼らは、何かを作ろうとしていた。

特殊な宝石。

それも、ただ魔力を蓄えるためのものではない。

異なる力をつなぎ、世界の仕組みそのものに干渉するための何か。


――まだ、足りない。

誰かの声が聞こえた。

――鍵がそろわなければ、扉は開かない。


光景はそこで途切れた。

和人は息を呑み、石箱へ手をついた。


「……今のは、何だったんだ?」


涼音が駆け寄る。


「和人! 大丈夫?」


「ああ……たぶん。でも、今、何かが見えたんだ」


「見えた?」


和人は、浮かんだ光景を説明した。

古代の錬金術師たち。

巨大な魔法陣。

そして、鍵がそろわなければ扉は開かないという言葉。

エリーは驚いたように宝石を見つめた。


「もしかすると、この宝石には記憶のようなものが残されているのかもしれません。魔力に触れたことで、古代の記録が一部だけ再生された……そんな可能性があります」


「記録が、宝石の中に?」


「断言はできません。でも、普通の魔法石なら、こんな反応は起きないはずです」


涼音は自分の剣に目を向けた。

剣に埋め込まれた青い宝石が、淡い光を放っている。

同時に、エリーの手元にあった風の結晶も輝き始めた。

三つの光が、互いに呼応するように明滅する。


「……私の結晶まで反応してる」


エリーが驚いた声を上げた。

和人は宝石を石箱へ戻そうとした。

しかし、その瞬間、光がさらに強くなった。

部屋の壁に刻まれた古代文字が、一斉に浮かび上がる。

エリーが急いで文字を確認した。


「待って……! 何かが変わっています!」


「読めるのか?」


「全部ではありません。でも、さっきまで見えなかった文字が……」


彼女は壁の一部を指さした。

そこには、古代文字で短い一文が浮かび上がっていた。

エリーは慎重に読み解き、現代語へ置き換えていく。


「……『三つの力が響くとき、失われた道は再び姿を現す』」


三人は顔を見合わせた。


「三つの力……?」


涼音が自分の剣と、和人の手にある宝石を見た。

エリーの風の結晶も、まだ淡く光っている。


「私たち三人の力を指しているのかしら?」


「分からない。でも、偶然とは思えないな」


和人は宝石を見つめた。

これまで見つけてきた宝石は、それぞれ異なる力を持っていた。

破壊に関わるもの。

願いに関わるもの。

そして、遺跡で自分たちに反応した、正体不明の結晶。

今回の宝石は、魔力を増幅するだけではない。

異なる力をつなぎ、何かを目覚めさせる性質を持っているのかもしれない。

だが、まだ分からないことのほうが多い。

なぜ錬金術師たちは、この宝石を作り出したのか。

なぜ宮殿の最深部に封じられていたのか。

そして、なぜ自分たちが触れたときだけ、あの光景が見えたのか。


「……この宝石、持ち帰って調べる必要があるな」


和人が言った。

涼音は頷いた。


「ええ。でも、慎重にね。ここに残されていたものを、簡単に持ち出していいのかも分からないから」


エリーは石箱の内側を確認した。

そこには、小さな文字が刻まれていた。


「……待ってください。ここにも何か書いてあります」


彼女は時間をかけて文字を読み解いた。


「『至宝は、所有する者のためにあらず。道を求める者に応じ、道を開く』……でしょうか」


「所有する者のためじゃない?」


和人は眉をひそめた。


「宝石を手に入れた人間が、好き勝手に使えるものじゃないってことか?」


「そうかもしれません。少なくとも、ただの財宝として扱うものではなさそうです」


涼音は宝石を見つめた。

その輝きは美しい。

しかし、同時に、何か大きな秘密を抱えているようにも見えた。


「……この宝石が、私たちを選んだのか。それとも、私たちが何かの条件を満たしただけなのか」


彼女の問いに、誰も答えられなかった。

三人は石碑と研究記録の文字をできる限り書き写し、宝石を慎重に包んだ。

宮殿の奥には、まだ調べていない区画が残っている。

だが、三人とも魔力を消耗し、体力も限界に近かった。


「今日はここまでにしよう」


和人が言った。


「これ以上進むのは危険だ。書物も手に入ったし、宝石についても新しい手がかりが見つかった」


涼音も同意した。


「そうね。ここで無理をして倒れたら、せっかくの発見も無駄になるわ」


エリーは最後にもう一度、石箱を見つめた。


「……お父さんも、この宝石のことを知っていたのでしょうか」


その声は、小さかった。

和人は彼女の肩にそっと手を置いた。


「まだ分からない。でも、今回見つけた記録が手がかりになるかもしれない。諦めずに調べていこう」


エリーは頷いた。


「……はい」


三人は宮殿を後にした。

デルフィーへ戻る道中、夕日が丘の向こうへ沈みかけていた。

和人は馬上で、包みに入れた至宝の宝石を見つめていた。

触れたときに感じた、あの不思議な感覚。

魔力が整えられていく感覚。

そして、古代の錬金術師たちが残した記憶のような光景。


「……鍵がそろわなければ、扉は開かない、か」


和人が呟いた。


「何か分かったの?」


涼音が尋ねる。


「いや。まだ、ほとんど何も分かってない。ただ、あの宝石は、ほかの宝石とつながっている気がするんだ」


「エタニティーや、デモンズスピリッツとも?」


「たぶんな。ディストラやマダスカスも含めて、全部が同じ古代文明の研究に関係しているのかもしれない」


エリーは二人の会話を聞きながら、自分の手帳を開いた。

今日、宮殿で写し取った文字を見つめる。

そこには、彼女の知識では解読できない文字が一つだけ残っていた。

何度見ても、意味が分からない。

だが、その文字の形には見覚えがあった。


「……この文字」


エリーが呟いた。


「どうした?」


和人が尋ねる。


「いえ……。父の研究ノートに、これと似た文字があった気がするんです。でも、どこに書かれていたのか、思い出せなくて」


「本当か?」


「はい。帰ったら、もう一度、記録を整理してみます」


涼音は彼女の言葉を聞き、静かに頷いた。

宮殿で見つかったものは、ただの宝石ではなかった。

エリーの両親の失踪とも、何らかの関係があるのかもしれない。

三人は、それぞれの思いを胸に、夕暮れの街道を進んだ。

やがてデルフィーの街へ戻ると、宿で食事を済ませ、身体を休めることにした。

和人はベッドに横たわり、天井を見上げていた。


「……もっと強くならないとな」


今日の守護者との戦いを思い返す。

火魔法が通じなかったときの焦り。

涼音が危険にさらされたときの恐怖。

そして、エリーの知識がなければ勝てなかったという事実。

自分たちは、まだまだ弱い。

これから先、さらに危険な遺跡へ向かうのなら、今のままでは足りない。

涼音もまた、部屋で剣を見つめていた。

剣に埋め込まれた青い宝石は、いつもと変わらない輝きを放っている。

だが、今日の戦いで、彼女は自分の力の限界を知った。

もっと速く。

もっと正確に。

そして、仲間を守れるほど強く。

そう願わずにはいられなかった。

一方、エリーはベッドの上で風の結晶を握りしめていた。

両親を探すため。

新しい仲間を守るため。

そして、自分自身の力で未来を切り開くため。


「……もっと強くなりたい」


彼女は小さく呟いた。

その夜。

三人が眠りについた後、和人の荷物の中で、至宝の宝石が淡く光り始めた。

光は包みの隙間から漏れ、壁に小さな紋様を映し出す。

それは、宮殿の最深部で見たものとよく似ていた。

だが、紋様の中心には、新たな文字が浮かび上がっていた。


――第一の接続、確認。

――残存座標を照合中。


誰も、その文字に気づかなかった。

遠く離れた森の奥。

かつて訪れた古代遺跡の地下でも、石箱に封じられた宝石が淡い光を放っていた。

別の場所では、壁に埋め込まれた結晶が目を覚まし、古い魔法陣へ光を送り始める。

そして、さらに遠い場所。

地図にも記されていない地下施設で、長い間沈黙していた装置が、ゆっくりと動き始めた。


――接続反応、複数確認。

――選定条件、再計算。


暗闇の中に、いくつもの光が浮かび上がる。

その中央には、巨大な扉があった。

扉には、和人たちが見つけたものと同じ紋様が刻まれている。

だが、その表面には、無数の亀裂が走っていた。

まるで、内側から何かが出ようとしているかのように。

静寂の中、機械のような声が響いた。


――封印維持率、低下。

――基軸座標への接続を開始します。


一瞬、扉の向こう側で何かが動いた。

そして、すべての光が消えた。

翌朝。

何事もなかったかのように、デルフィーの街には朝日が差し込んでいた。

和人、涼音、そしてエリー。

三人は、まだ知らない。

自分たちが見つけた至宝の宝石が、単なる古代の遺物ではないことを。

それが、遠く離れた遺跡と遺跡をつなぎ、失われた文明の仕組みを再び動かし始めたことを。

そして、その仕組みが動き出したことで、八百年続くヴァリアスとデュランダルの戦争さえ、根底から覆される可能性があることを。

古代の宝石に錬金術師たちの研究。

エリーの両親の失踪。

和人と涼音がこの世界へ召喚された理由。

それぞれの謎は、まだ解き明かされていない。

だが、点在していた物語は、確かに一つの方向へ動き始めていた。

――そして、世界のどこかで。

長い眠りについていた何かが、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。

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