第11章 七賢人の遺産――七つの宝石と最後の一つ
翌朝。
デルフィーの街は、朝日が差し込むと同時に活気づき始めていた。
冒険者たちが装備を整え、商人たちが荷車を引き、通りには威勢のいい呼び声が響いている。
そんな街の一角にあるイクリオの屋敷では、和人が机の上に広げた地図を眺めていた。
「……やっぱり、気になるんだよな」
「朝から何を唸ってるのよ?」
隣で髪を整えていた涼音が、不思議そうに顔を覗き込む。
「昨日の遺跡だよ。最後に見つけたハーモニクスってやつ。あれ、俺たちが持っている宝石だけじゃなくて、エリーの風の結晶にも反応しただろ?」
「そうね。あの光り方、普通の魔法具とは明らかに違っていたわ」
「しかも、俺が触れた瞬間に魔力が流れ込んできた。あれが何なのか、少しでも分かればいいんだけど……」
和人は地図から目を離し、窓の外を見た。
この世界に召喚されてから、いくつもの遺跡を巡り、奇妙な宝石と古代の記録に出会ってきた。
そこでイクリオが至宝の宝石について説明を始めた。
「我が家にある文献で調べましたが、名前はハーモニクスというそうです。調和象徴らしいです。言い伝えによると良きものが使えば正しき調和をもたらし、悪しきものが使えば、悪しきものを集める力があるようです。まだ詳しく調べないと本当にそういった効果や名前も確たるものではないです」
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
エタニティー。
そして、ハーモニクス。
それぞれ異なる場所で見つかった宝石たち。しかし、その背後には、まるで見えない糸で結ばれているかのような共通点があった。
さらに気になるのは、古代文字に記された警告だ。
――この宝石が世に出回らんことを。
あの言葉は、いったい何を恐れて残されたものなのか。
「考えていても仕方ないわ。まずはギルドで報酬を受け取って、それから調べましょう」
「だな。よし、行くか!」
和人は地図を畳み、椅子から立ち上がった。
こうして三人は、イクリオの屋敷を後にした。
冒険者ギルドに到着すると、受付の女性が三人の姿を見つけて声をかけてきた。
「お待ちしていました。昨日の古代錬金術師の宮殿の探索依頼、こちらで完了としてよろしいですね?」
「はい。探索の記録と、持ち帰った資料もあります」
エリーが答え、回収した記録の写しを差し出す。
受付嬢は内容を確認し、依頼の完了を告げると報酬の入った袋をカウンターに置いた。
和人はそれを受け取るなり、袋ごとエリーに差し出した。
「エリー、これ全部受け取ってくれ」
「えっ? 全部ですか?」
「今回の探索で一番活躍したのはエリーだからな。古代文字の知識もそうだし、ケルビーがいなかったら、あの遺跡から無事に帰れたかどうかも怪しい」
「でも、和人さんたちも戦ってくれましたし……」
「だからこそ、だよ。三人で一緒に乗り越えたんだ。報酬だって、ちゃんと分けるべきだろ?」
和人は一度袋を引き戻しかけ、そこから必要な分だけを取り分けた。
「これは俺たちの分。残りはエリーが受け取ってくれ」
「……ありがとうございます」
エリーは両手で袋を受け取った。
嬉しそうな表情を浮かべたものの、その目には、どこか寂しさがにじんでいた。
それを見た涼音が、そっと微笑む。
「そんな顔しないの。私たち、エリーに助けられたんだから。むしろ、これだけじゃ足りないくらいよ」
「涼音さん……」
「それに、これからだって仲間でしょ?」
エリーは少し驚いたように顔を上げた。
「……はい!」
その返事を聞き、和人も満足そうに頷いた。
ところが、受付を離れようとしたところで、エリーがふと足を止めた。
「そういえば……お二人は、どうして冒険をしているんですか?」
「俺たちが?」
「はい。何か、探しているものがあるんですよね?」
和人と涼音は顔を見合わせた。
これまで何度も危険を共にしてきたが、自分たちの事情を詳しく話したことはなかった。
和人は少し考えたあと、頭を掻きながら口を開いた。
「……信じてもらえるか分からないけど、俺たち、この世界の人間じゃないんだ」
「えっ?」
「もともとは、別の世界で暮らしていた。俺はヴァリアスに、涼音はデュランダルに、それぞれ召喚されたんだ」
和人は、自分たちが元の世界では幼馴染だったこと、ある日突然この世界に来てしまったこと、そして再会するまでの経緯を簡単に説明した。
「誰が何のために召喚したのかも、元の世界に戻る方法も、まだ分かっていない。だから俺たちは、その手がかりを探してるんだ」
エリーは黙って話を聞いていた。
すべてを理解できたわけではないだろう。それでも、二人が帰る場所を失ったまま旅を続けていることは伝わったようだった。
「……怖くなかったんですか?」
「そりゃ怖かったさ。何も分からない世界に放り出されたんだからな」
和人は肩をすくめた。
「でも、こうして涼音と再会できた。だから、悪いことばかりでもなかったと思ってる」
「ちょっと、和人……」
涼音の頬が赤くなる。
「何だよ。事実だろ?」
「そういうことを、平然と言わないでよ!」
エリーは二人を交互に見て、くすりと笑った。
「お二人は、本当に仲がいいんですね」
「まあな。小さい頃から一緒だから。風呂だって――」
「それ以上言ったら、もう一発叩くわよ」
「はい、すみませんでした!」
即座に謝る和人を見て、エリーは声を立てて笑った。
その笑顔を見ながら、涼音は思う。
この世界で出会った仲間と、こんなふうに笑い合える日が来るなんて、召喚されたばかりの頃には想像もしなかった。
だからこそ、二人は知りたかった。
なぜ自分たちが選ばれたのか。
そして、この世界に何が起ころうとしているのか。
その答えを探す旅は、まだ始まったばかりだった。
ギルドの掲示板を眺めていた和人が、突然「あっ」と声を上げた。
「二人とも、これを見てくれ!」
指差した先には、新たな依頼書が貼られていた。
――古代遺跡に残された古文献の回収。
――達成者には相応の報酬を支払う。
――詳細は依頼主の屋敷にて説明する。
依頼主の名は、イクリオ。
「古文献……」
エリーが呟いた。
和人の目が輝く。
「これだよ!そういえばイクリオさんは錬金術師の家系だし、ハーモニクスについても、ある程度は判明出来たし何か知ってるかもしれない、おまけに古代文字を解読できる人間」
「なるほど。昨日のハーモニクスや石碑のこともあるし、調べてもらう価値はありそうね」
涼音も依頼書に目を向けた。
「でも、どうしてわざわざ冒険者ギルドに依頼を出したんでしょう?」
エリーの疑問に、和人は依頼書を読み直した。
「確かに。自分で回収できるなら、わざわざ冒険者を雇う必要はないよな」
「つまり、危険があるってことね」
「そういうことだ。……よし、まずは話を聞きに行こう!」
三人は掲示板を離れ、イクリオの屋敷へ向かうことにした。
だが、ギルドを出て大通りに差しかかったときだった。
「二人とも、こっちです!」
エリーが突然、和人と涼音の腕を掴んだ。
「えっ、何だ?」
「いいから、人目のないところへ!」
彼女は周囲を警戒しながら、二人を細い路地へと連れていった。
路地に人影がないことを確かめると、エリーは鞄から淡い緑色の結晶を取り出した。
「これを受け取ってください」
「それって……風の結晶?」
和人が尋ねると、エリーは頷いた。
「はい。昨日の遺跡で、二人がハーモニクスに触れたとき、私の結晶も反応しましたよね?」
「ああ。確かに、同じように光っていたな」
「そのあと、少しだけ調べてみたんです。この結晶は、持ち主の魔力や身体の動きに反応して、風の力を増幅する性質があるみたいです」
エリーは三つの結晶を取り出した。
「一つずつ持っていてください。使い方には注意が必要ですけど、きっと二人の助けになると思います」
和人は結晶を受け取り、手のひらに乗せた。
その瞬間、淡い緑色の光が指の隙間から漏れた。
風が吹いたわけでもないのに、身体の周囲の空気が動いている。
まるで、今まで見えなかった魔力の流れが、薄い糸となって見えるような感覚だった。
「……すごいな。魔力が流れる道筋が、少し分かる気がする」
「私も昨日、試してみました。和人さんなら、風魔法を覚えられるかもしれません。ただし、いきなり強い魔法を使うのは危険です。結晶が力を増幅してくれる分、制御を失えば自分にも負担がかかりますから」
「なるほど。便利な道具ほど、扱いには注意ってことか」
和人は結晶を握りしめた。
今の自分に必要なのは、ただ強い魔法ではない。
状況に応じて使い分けられる力と、それを制御する技術だった。
「それから、これも」
エリーは一冊の本を差し出した。
「風魔法に関する文献です。私が持っていても、今は使いこなせそうにないので」
「いや、ここまで貰っていいのか?」
「はい。私には、別にやりたいことがありますから」
そう言って、エリーは涼音に目を向けた。
「涼音さんも、結晶を試してみてください」
涼音が剣の柄に結晶を近づける。
すると、剣に宿る青い光が淡く揺れ、緑色の光と重なった。
「……やっぱり、反応する」
エリーの表情が真剣になる。
「涼音さん自身からは、魔法使いのような魔力をほとんど感じません。でも、その剣には強い魔力が宿っています。結晶が剣を通して力を伝えれば、魔法の力を攻撃に乗せられる可能性があります」
「つまり、私自身が魔法を使えなくても、この剣なら……?」
「はい。ただし、昨日も話したとおり、身体への負担が大きいかもしれません。魔力を持つ人は自分の魔力を消費しますが、涼音さんの場合は、体力や闘気のようなものを直接使っている可能性があります」
涼音は剣を見つめた。
剣士として鍛えてきた自分が、魔法の力を扱う。
今まで考えたこともなかった可能性だ。
だが、だからこそ面白い。
「……いいじゃない。剣と魔法を組み合わせるなんて、まるで魔法剣士ね!」
「その分、無茶はしないこと。いいですね?」
「分かってるわ、エリー!」
元気よく答える涼音だったが、和人は少しだけ不安そうに彼女を見た。
強くなれる可能性があるのは喜ばしい。
けれど、力を得ることと、その力を使いこなせることは別なのだ。
昨日の遺跡で、涼音が限界まで体力を消耗した姿を思い出す。
「涼音。強くなるのはいいけど、倒れるまで使うのは禁止な」
「分かってるってば。和人こそ、魔法を使いすぎて倒れないでよね」
「俺は大丈夫。主人公補正があるから!」
「そんな便利なもの、この世界にあるわけないでしょ!」
三人の笑い声が路地に響いた。
だが、和人の手の中で、風の結晶は一瞬だけ、何かに応えるように強く光った。
それが何を意味するのか。
このときの三人には、まだ分からなかった。
イクリオの屋敷に到着すると、彼は三人を客間へ案内した。
「あなた方でしたか・・・依頼を受けてくださるとのこと、ありがとうございます」
「いえ。前にも色々調べてもらいましたし、イクリオさんは錬金術師についても詳しい。まだ分かっていないことが多いから調べたいことがありますし」
和人が答えると、イクリオは机の上に地図を広げた。
「私は代々、錬金術を研究している家系に生まれました。このデルフィー周辺には、古代の錬金術師たちが残した遺跡がいくつも存在しています」
「昨日の宮殿以外にも、まだあるんですね」
エリーが地図を覗き込む。
「ええ。今回お願いしたいのは、この場所です」
イクリオの指が、森の奥にある小さな印を示した。
「ここに古い遺跡があり、一冊の古文献が残されているはずなのです。私の研究に必要な資料なのですが、これまで派遣した冒険者たちは、誰も回収できませんでした」
「魔物が強いんですか?」
「それもあります。ただ……少し妙なのです」
イクリオは言葉を選ぶように続けた。
「遺跡に近づくと、魔物たちが普段とは異なる動きを見せるそうです。仲間同士で連携するように動き、侵入者を逃がさない。まるで、何かを守るように」
和人と涼音は顔を見合わせた。
昨日の宮殿でも、魔物たちはただ襲いかかってきただけではなかった。通路を塞ぎ、三人を奥へ追い込むような動きをしていた。
「……魔物が、遺跡を守っている?」
「断定はできません。しかし、古代の錬金術師が何らかの仕掛けを残している可能性はあります」
和人は少し身を乗り出した。
「その古文献を回収できたら、俺たちが持っている古代文字も調べてもらえますか?」
「もちろんです。私の家に伝わる文献と照らし合わせれば、解読の手がかりが見つかるかもしれません」
「よし、決まりだな」
和人は立ち上がった。
「早速、行こう!」
「ちょっと、和人。まだ地図を見てる途中でしょ」
「いや、善は急げって言うだろ?」
「焦って失敗するのが、あんたの悪い癖なのよ」
「うっ……否定できない」
涼音の指摘に、和人は口をつぐんだ。
イクリオは苦笑しながら、遺跡の位置と周辺の地形を詳しく説明した。
日没までに戻れる距離ではあるが、森の中を進むため、探索に時間がかかれば夜になる可能性もある。
三人は必要な道具を整え、屋敷を出た。
森に入ってしばらくすると、街の喧騒は完全に遠のいた。
木々が空を覆い、日の光が細い筋となって地面に落ちている。
鳥の声は少なく、風が枝葉を揺らす音だけが耳に届いた。
「……静かすぎないか?」
和人は馬を進めながら呟いた。
「そうですね。普段なら、この辺りには小動物も多いはずなんですけど」
エリーはケルビーの背から周囲を見回した。
和人は風の結晶を握る。
すると、結晶から手のひらへと伝わる感覚が、少しずつ強くなっていった。
森の奥から、何かが流れてくる。
風のようでいて、ただの風ではない。
魔力の流れが、一定の方向へ引き寄せられているようだった。
「……この風、どこかへ集まってる?」
「何か分かったの?」
「まだ、はっきりとは言えない。でも、普通の森じゃない気がする」
涼音は周囲を警戒しながら、剣の柄に手を添えた。
「だったら、いつでも動けるようにしておきましょう」
そのとき、前方の茂みから小さな魔物が飛び出した。
三人はすぐに身構えたが、魔物は彼らを見るなり、反対方向へ走り去ってしまった。
「……襲ってこない?」
エリーが目を丸くする。
「それどころか、逃げていったな」
和人は魔物が消えた方向を見つめた。
その魔物が逃げた先は、遺跡のある森の奥だった。
「まさか、あいつらも何かから逃げてるのか?」
「何かって……?」
「分からない。でも、嫌な予感がする」
和人は馬の手綱を握り直した。
それからしばらく進むと、木々の向こうに古びた石造りの建物が姿を現した。
「あれです! イクリオさんが言っていた遺跡!」
エリーが指を差す。
建物は小さく見えたが、壁には複雑な紋様が刻まれ、入口の両脇には風を象徴するような翼の彫刻が立っていた。
二人は馬を近くの木につなぎ、エリーはケルビーから降り、慎重に入口へと近づいた。
和人が扉に手をかける。
重い音を立てて扉が開いた。
内部は薄暗く、壁には古代の錬金術師と思われる人物たちと、中央に巨大な宝石を描いた壁画が残されていた。
「……また宝石か」
和人は思わず呟いた。
壁画に描かれた宝石は、七つの光を放っているようにも見えた。
ただし、風化が激しく、すべての形を判別することはできない。
「この遺跡も、昨日の宮殿と繋がっているのかな……」
エリーが壁画に触れないよう注意しながら、刻まれた文字を目で追った。
「一部は古代文字です。でも、私が知っているものより古い書き方が混ざっています」
「つまり、ここにもまだ知られていない秘密があるってことか」
和人は壁画をもう一度見た。
七つの光。
昨日のハーモニクス。
そして、石碑に記されていた警告。
それらが頭の中で繋がりかけたが、肝心な部分が霧に覆われているように分からなかった。
「今は依頼が先ね。古文献を回収してから、ゆっくり調べましょう」
涼音の言葉に、和人は頷いた。
三人は地下へ続く階段を降りていった。
地下室の奥には、小さな石造りの台座があった。
その上に、一冊の古文献が置かれている。
「……あった!」
和人が近づき、慎重に本を手に取った。
古びた表紙には、読めない文字と、円の中に刻まれた七つの点が描かれていた。
「これがイクリオさんの探していた本か」
「表紙の模様……七つの点がありますね」
エリーが覗き込んだ、その瞬間だった。
――ゴォォォォ……。
地下の奥から、低い唸り声が響いた。
三人が振り返る。
暗闇の中で、赤い光がいくつも灯った。
次々と姿を現したのは、剣、槍、斧、弓などを手にした魔物たちだった。
「……三十体くらいか」
和人は周囲を見渡した。
魔物たちは無秩序に襲いかかってくるのではなく、階段へ続く道を塞ぐように広がっている。
まるで、三人をこの地下室から逃がさないつもりのようだった。
「閉じ込められたわね……!」
涼音が剣を抜く。
「大規模な魔法は使えない。ここで遺跡を崩したら、俺たちまで生き埋めだ」
和人は杖を構え、魔物たちとの距離を測った。
「まずは数を減らす!」
「ファイアーウォール!」
炎の壁が魔物たちの前に立ち上がる。
その隙に和人は杖を振った。
「フレイムバレット!」
連続する炎弾が、前列の魔物へと飛んでいく。
しかし、炎を受けた魔物たちは怯みながらも前進をやめなかった。
「くそっ、効いてはいるけど、止まらない!」
魔物の身体には、古びた金属のような装甲が浮かんでいた。炎を完全に防いでいるわけではないが、普通の攻撃では決定打にならない。
さらに、後列の弓使いが矢を放つ。
「危ない!」
涼音が和人を引っ張り、二人は柱の陰へ飛び込んだ。
矢が石壁に突き刺さる。
「この数を相手に、消耗戦はまずいわね」
「同感だ。……エリー、何か手はないか?」
エリーは魔物たちの配置を見ながら、素早く考えを巡らせた。
「正面から全部倒す必要はありません。涼音さんの剣を中心に、突破口を作りましょう!」
「どうするの?」
「風の力で動きを補助します。和人さんは魔法で敵の隊列を崩してください!」
「了解!」
涼音は風の結晶を握り、剣を構え直した。
和人は彼女の剣に手をかざす。
「ウォーターソード!」
水の魔力が剣へと流れ込む。
青い水流に淡い緑色の風が絡みつき、剣の周囲で渦を巻いた。
風が刃の軌道を包み込み、振り抜く方向へと流れを整えていく。
「……何これ。さっきより、ずっと軽い!」
「涼音さん、風を無理に押し出さないで! 剣を振る方向へ流すイメージです!」
「分かった!」
涼音は一歩踏み込んだ。
――ザンッ!
魔物の槍が弾かれ、続く一閃がその腕を切り裂いた。
「よしっ!」
涼音は勢いを殺さず、隣の魔物へと斬りかかる。
一体、二体。
風が剣の動きを助け、剣の軌道が風を切り裂く。
そこへケルビーが飛び込んだ。
「ケルビー、お願い!」
エリーの声に応じ、ケルビーは第二形態へと変化する。狼のような巨体となり、炎をまとった爪で魔物たちを薙ぎ払った。
和人も杖を構え、涼音たちを狙う弓使いへ炎弾を撃ち込む。
「後ろは任せろ!」
連携はうまくいっていた。
だが、数が多い。
風の力をまとった剣を振るたびに、涼音の呼吸が荒くなっていく。
「はぁ……っ、はぁ……!」
「涼音、少し下がれ!」
「まだ、いける……!」
涼音は再び踏み込もうとした。
しかし、足元がふらつく。
剣を握る手に力が入らず、風の流れも乱れ始めた。
「涼音さん、危ない!」
エリーが風の障壁を展開し、飛んできた斧を弾き返した。
涼音は何とか体勢を立て直したものの、膝に手をついて息を整える。
「……何よ、これ。力は出るのに、身体がついてこない……」
エリーはすぐに彼女のそばへ駆け寄った。
「やっぱり、身体への負担が大きいんです。結晶が力を増幅している分、涼音さんは自分の体力を削っているんだと思います」
「魔力じゃなくて、体力を使ってるってことか……!」
和人の表情が険しくなる。
回復魔法で傷を癒やすことはできても、消耗した体力を瞬時に取り戻せるわけではない。
このまま戦い続ければ、涼音が先に動けなくなる。
そして、三人の誰かが倒れれば、残りの二人も逃げ切れなくなる可能性が高かった。
「……よし、作戦変更だ」
和人は杖を握り直した。
「ここで一体ずつ倒すのはやめる。突破して、外へ出るぞ」
「でも、階段が塞がれてるわ!」
「だから、道を作る」
和人はエリーを見た。
「ケルビーを第三形態にできるか?」
エリーは一瞬ためらった。
「できます。でも、第三形態を維持するには、私の魔力もかなり必要です」
「長時間じゃなくていい。一気に突破するだけだ」
エリーは和人の顔を見つめた。
無茶な作戦だ。
けれど、この場で迷っている時間はなかった。
「……分かりました。ケルビー、お願い!」
エリーが命じると、ケルビーの身体が炎に包まれた。
巨体がさらに変化し、炎をまとった人型の戦士へと姿を変える。
その姿は、昨日の遺跡で見せたものと同じ第三形態だった。
「うわっ、何度見てもすごいな……」
「感心している場合じゃないわよ!」
「はい!」
和人はケルビーの背へ涼音を乗せ、自分も続いて飛び乗った。エリーはケルビーの首元にしっかりと掴まる。
「全員、落ちるなよ!」
和人は杖を掲げた。
「ウォータージェイル!」
大量の水が地下室を駆け巡り、前方の魔物たちの足元へと広がった。
水流は鎖のように絡みつき、数体の魔物をその場に拘束する。
しかし、すべてを捕らえることはできない。
拘束を逃れた魔物たちが、三人へ向かって押し寄せてきた。
「ケルビー、突破して!」
エリーの声と同時に、炎の戦士が床を蹴った。
魔物の列へと突っ込み、炎の腕で敵を押しのけながら階段へと突き進む。
和人は杖を構えたまま、魔力を練り上げた。
今までのように、ただ強い炎を放つだけでは駄目だ。
遺跡を壊さず、仲間を巻き込まず、追ってくる魔物を止める必要がある。
だが、すでに魔物たちは背後へ迫っていた。
「和人、何をする気!?」
「少しだけ、無茶をする!」
「それ、全然安心できないんだけど!」
「俺を信じろ!」
和人は一節、二節と詠唱を重ねた。
杖の先に炎が集まり、赤い光が地下室を照らす。
魔力を使いすぎれば、自分も立っていられなくなる。
それでも、ここで止まるわけにはいかなかった。
「エリー、障壁を!」
「はい!」
エリーが風の障壁を展開する。
ケルビーが階段を駆け上がった、その瞬間。
和人は振り返り、杖を振り下ろした。
「――カグヅチ!」
炎が地下室の奥へと押し寄せた。
轟音とともに熱風が走り、魔物たちの進路を塞ぐ。
風の障壁が炎の余波を受け止めたが、その表面には細かな亀裂のような揺らぎが生まれていた。
「和人さん、もう持ちません!」
「分かった! すぐに離れる!」
しかし、次の瞬間――。
――バキッ!
壁に亀裂が走った。
天井から砂埃が落ち、柱が大きく軋む。
「……あれ?」
和人の顔が引きつった。
「やばい。崩れるぞ!」
「だから無茶しすぎなのよ、あんたは!」
「今は説教してる場合じゃない!」
三人はケルビーにしがみつき、階段を駆け上がった。
背後で石が砕け、柱が倒れる。
入口へ続く通路にも亀裂が走り、天井の一部が崩れ落ちた。
「もう少しです!」
エリーが叫ぶ。
前方に外の光が見えた。
ケルビーが最後の力を振り絞って跳躍し、三人は遺跡の外へと飛び出した。
その直後――。
――ドォォォォン!
轟音とともに、遺跡の一部が崩落した。
砂埃が森の中へと広がり、鳥たちが一斉に飛び立つ。
三人は地面に座り込んだまま、しばらく言葉を失っていた。
やがて、和人が大きく息を吐く。
「……いやぁ、危なかった。あと少し遅かったら、生き埋めだったな」
涼音は疲れ切った顔で和人を睨んだ。
「あと少し遅かったら、じゃないわよ。あんたが崩したんでしょうが!」
「いや、あれは戦略的撤退のための……」
「言い訳しない!」
「はい……」
エリーは二人のやり取りを見て、思わず笑った。
「でも、三人とも無事でよかったです」
その言葉に、和人も涼音も表情を和らげた。
依頼の古文献は確保できた。
だが、遺跡は崩れ、地下にいた魔物たちがどうなったのかも分からない。
それに、和人は最後の攻撃を放つ直前、魔物たちの背後に奇妙な光を見た気がしていた。
赤い目とは違う、淡い光。
まるで、遺跡の奥から何かが目覚めかけていたかのような――。
「……気のせい、か?」
和人は崩れた遺跡を振り返った。
瓦礫の隙間には、もう何の光も残っていなかった。
デルフィーへ戻った頃には、すっかり日が傾いていた。
三人がイクリオの屋敷へ駆け込むと、彼は心配そうな顔で出迎えた。
「皆さん! ご無事だったのですね!」
「ああ。何とかね」
和人は古文献を差し出した。
「ただ……遺跡のほうは、ちょっと無事じゃない」
「……と、おっしゃいますと?」
「崩れました」
「えっ?」
イクリオはしばらく固まった。
涼音がため息をつく。
「この人が、最後に大きな魔法を使ったせいでね」
「いや、全員を助けるためだったんだって!」
「分かってるわよ。でも、次はもう少し考えてから使いなさい」
エリーも苦笑しながら頷いた。
「古文献は無事です。必要なら、内容を写し取ったものもお渡しできます」
イクリオはようやく我に返り、古文献を両手で受け取った。
「ありがとうございます。これほど危険な場所から、よく持ち帰ってくださいました」
彼は本を大切そうに抱えた。
「今夜はどうか、ゆっくり休んでください。調査の報酬とは別に、食事と宿泊はこちらで用意いたします」
「助かるよ。正直、もう一歩も動きたくない……」
和人は椅子に座り込み、背もたれに身体を預けた。
涼音も隣の椅子に腰を下ろす。
「私も。明日は絶対、筋肉痛ね……」
「俺なんか魔力切れ寸前だぞ」
「それは自業自得でしょ」
「厳しいなぁ……」
そんな二人を見て、エリーは小さく笑った。
けれど、その笑顔の奥では、別の思いが膨らんでいた。
和人と涼音には、帰るべき世界がある。
そして自分にも、探さなければならない人たちがいる。
いつまでも一緒に旅を続けられるとは限らない。
そのことを、エリーは少しずつ意識し始めていた。
翌朝。
朝食を終えた和人は、鞄から数冊の文献と、石碑から写し取った古代文字を取り出した。
そして最後に、ハーモニクスを机の上へ置いた。
淡い光を宿す宝石を見て、イクリオの表情が変わる。
「……これは?」
「昨日の遺跡で回収したものとは別の資料です。以前、別の遺跡で見つけた石碑の写しと、この宝石について調べてほしいんです」
和人は、これまでに見つけた宝石のことを簡単に説明した。
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
エタニティー。
そしてハーモニクス。
名前も性質も異なる宝石たち。
それぞれが何らかの特別な力を持ち、古代の錬金術師たちと関わっているらしい。
イクリオはすぐには答えず、宝石を光にかざした。
「……なるほど。確かに、私の家に伝わる文献にも、似た記述があります」
「分かるんですか?」
「まだ断定はできません。しかし、いくつかの記録を照らし合わせれば、何か見えてくるかもしれません。一晩、調べさせてください」
「お願いします」
和人は頭を下げた。
こうして、ハーモニクスと古代の記録は、イクリオの研究室へと運ばれていった。
その日、三人はそれぞれ別の時間を過ごすことにした。
涼音は風の結晶を使いこなすため、屋敷の裏庭で訓練を始めた。
和人とエリーは街へ出て、各地の情勢や古代遺跡に関する情報を集めることにした。
裏庭では、涼音が何度も剣を振っていた。
「……もう一度!」
剣を振るうたび、青い光と緑色の風が重なり合う。
最初は数分も維持できなかった力だったが、今は少しずつ長く扱えるようになっていた。
ただし、風を強くまとわせると、すぐに呼吸が乱れる。
「力を全部、剣に乗せようとしすぎているのかしら……」
涼音は一度剣を下ろし、目を閉じた。
エリーから教わったのは、風を無理に生み出すのではなく、剣を振る方向へ流す感覚だった。
力を込めるのは、攻撃の瞬間だけ。
それができれば、体力の消耗を抑えられるはずだ。
「……よし」
涼音は剣を構えた。
風の結晶を握る手に力を込めるのではなく、呼吸を整え、剣先に意識を集中させる。
そして――。
――シュッ!
一閃。
緑色の風が刃に沿って走り、目の前に置かれた木の棒を鋭く切断した。
「……できた!」
涼音は思わず声を上げた。
ほんの一瞬。
だが、余計な力を使わず、必要な瞬間だけ風をまとわせることができた。
まだ実戦で通用するかは分からない。
それでも、昨日までとは違う手応えがあった。
「よし、もう一回!」
涼音は剣を握り直した。
自分には魔法使いのような魔力がない。
けれど、だからといって魔法を諦める必要はない。
剣士として積み上げてきた技術に、新しい力を加える。
それが自分の戦い方になるのかもしれない。
一方、和人とエリーはデルフィーの大通りを歩いていた。
商店には各地の品物が並び、酒場からは冒険者たちの声が響いている。
「この街は、本当にいろんな人が集まるんだな」
「デルフィーは交通の要所ですから。ヴァリアスから来る人も、デュランダルから来る人もいます。冒険者だけでなく、商人や傭兵も多いんですよ」
「傭兵か……」
和人は、先ほど酒場で耳にした噂を思い出した。
ヴァリアスとデュランダルの戦争は、以前より激しくなっているらしい。
両国の中間には、傭兵たちが集まるセナルという街がある。
そこには戦場から戻った者も、国を捨てた者も、金のために剣を振るう者もいるという。
さらに、その近くには漁業で栄える村があり、各地から物資が運ばれてくるらしい。
「セナルなら、いろんな情報が集まりそうだな」
「七賢人のことを調べるなら、確かに良さそうですね」
エリーの言葉に、和人は頷いた。
それから、ふと思い出したように彼女へ尋ねる。
「そういえば、エリーはデュランダルの街や村をかなり回ったんだよな?」
「はい。両親を探すために、行けるところはできるだけ……」
エリーの声が、少し小さくなった。
「でも、見つかりませんでした」
「……そっか」
「戦争で村が壊されたあと、私は両親とはぐれてしまったんです。父はデュランダルの城下町で、古い書物を管理する仕事をしていました。古代文字にも詳しかったんです」
「お父さんが?」
「はい。母は元々、王族を守る兵士だったそうです。剣の扱いも教えてくれました。でも、私は剣があまり得意じゃなくて……」
エリーは苦笑した。
「その代わり、魔法とケルビーの扱いなら、少しだけ自信があります」
「少しだけ、ねえ。昨日のあれを見たら、とても少しとは思えないけどな」
「そんなことないです。私だって、まだまだですから」
そう言いながらも、エリーは少しだけ誇らしげにケルビーのことを話した。
和人はその表情を見て、穏やかに微笑んだ。
「お父さんが古代文字の専門家なら、七賢人についても何か知っているかもしれないな」
「……そうだといいんですけど」
エリーの目に、期待と不安が入り混じった。
「実は、デュランダルの街を回っていたとき、古い記録を調べようとしたことがあるんです。でも、戦争のせいで図書館が閉鎖されていたり、書物そのものが失われていたりして……」
「簡単にはいかないんだな」
「はい。それに、奴隷制度を認めている街にも行きました。もしかしたら、捕らえられた人たちの中に両親がいるかもしれないと思って。でも……」
エリーは言葉を切った。
和人はすぐには答えなかった。
無責任に「きっと見つかる」と言うことはできない。
それでも、何も言わずにいるのも違う気がした。
「……見つかるまで、探そう」
「え?」
「俺たちだって、元の世界に帰る方法をまだ諦めてない。すぐに答えが見つからなくても、手がかりを一つずつ探すしかないだろ?」
和人は少し照れくさそうに笑った。
「だから、エリーも諦めるなよ。俺たちにできることがあれば、いつでも手伝うからさ」
エリーはしばらく和人を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「……ありがとうございます、和人さん」
その声は、少しだけ震えていた。
夕方。
屋敷へ戻った和人が裏庭を覗くと、涼音がまだ剣を振っていた。
「……おいおい、まだやってるのか?」
「あと十回!」
「それ、さっきも聞いた気がするんだけど」
「うるさいわね。集中してるんだから!」
涼音は最後の一閃を放った。
剣にまとった風が、細く鋭い軌跡を描く。
その動きを見て、和人は目を丸くした。
「おっ、さっきより安定してるじゃないか!」
「でしょ? 風をずっとまとわせるんじゃなくて、斬る瞬間だけ力を込めるの。まだ長時間は無理だけど、これなら体力の消耗も少なくできそう」
「すごいな。これなら戦い方の幅が広がるぞ」
「ふふん。私だって、いつまでも守られてばかりじゃないんだから」
涼音は得意げに笑った。
だが、すぐに剣を鞘へ収め、肩を回す。
「……とはいえ、疲れたぁ」
「そりゃそうだろ。ずっと訓練してたんだから」
和人は鞄から小さな瓶をいくつも取り出した。
「それと、これ」
「何よ、それ?」
「体力回復薬。街で買ってきた。使いどころを間違えなければ、きっと役に立つ」
涼音は瓶を見て、それから和人をじっと見つめた。
「……あんた、私を戦闘マシーンか何かだと思ってない?」
「いや、便利な幼馴染だと思ってる」
「意味分かんなーい!」
涼音の拳が、和人の肩に軽く飛んだ。
「痛っ! 冗談だって!」
「冗談に聞こえないのよ!」
そんなやり取りをしていると、屋敷の召使いが夕食の準備ができたと知らせに来た。
しかし、客間にイクリオの姿はなかった。
「イクリオさんは?」
「ご主人様は研究室に籠もっておられます。古文献の調査に、かなり集中されているようです」
「そっか。昨日からずっと調べてるのか……」
和人は研究室のある方向を見た。
自分たちが探している答えは、すぐ目の前まで来ているのかもしれない。
だが、その答えが何を意味するのかは、まだ分からない。
夕食を終えた三人は、明日に備えて休むことにした。
そして、その夜。
イクリオの研究室では、机の上に広げられた古文献とハーモニクスが、静かに並んでいた。
イクリオは何度も記録を読み返し、古い書物の記述と照らし合わせていた。
「……まさか、本当に繋がっているのか?」
彼は独り言のように呟いた。
長い年月を経て、意味を失ったはずの記録。
その一部が、ようやく形を取り戻しつつあった。
そして、机の上のハーモニクスが、かすかに光った。
イクリオは息を呑み、宝石を見つめる。
光はすぐに消えた。
だが、彼は確信し始めていた。
これは、単なる古代の遺物ではない。
世界のどこかに散らばった、別の何かと繋がっている。
まだ空が明るくなる前。
――ドンドンドン!
屋敷中に響く激しいノックの音で、和人は飛び起きた。
「な、何だ!?」
「和人さん! 起きてください!」
扉の向こうから聞こえたのは、イクリオの声だった。
「解読できました!」
「……えっ?」
その言葉に、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
和人は慌てて身支度を整え、隣の部屋で眠っていた涼音とエリーを起こした。
「何? まだ朝じゃないんだけど……」
「イクリオさんが解読できたって!」
「えっ、本当ですか!?」
エリーも飛び起き、三人は急いで客間へ向かった。
そこには、ほとんど眠っていないような顔をしたイクリオが立っていた。
机の上には、開かれた古文献と、書き写された古代文字。
そして、その中央にハーモニクスが置かれていた。
「お待ちしていました。まず、こちらをご覧ください」
イクリオは一冊の文献を開いた。
「古代の錬金術師たちは、特殊な力を持つ宝石を作り出していたようです。ただし、普通の魔法石とは違います。これらは単独で力を発揮するだけでなく、互いに影響を及ぼす性質を持っていたと記されています」
「互いに影響を……?」
和人が身を乗り出す。
「はい。さらに重要なのは、これらの宝石が、一か所に集められていなかったということです」
イクリオは別のページを示した。
「古代の記録によれば、宝石は各地へ分散させられました。強大な力を一人の人間や一つの国に集中させないためだったようです」
涼音は腕を組んだ。
「でも、どうしてそこまでしなきゃいけなかったの?」
「それについては、記録が欠けています。ただ……」
イクリオの表情が曇った。
「すべての錬金術師が、同じ考えを持っていたわけではなかったようです。宝石の力を利用し、自らの望みを叶えようとした者もいた。力を守ろうとする者と、力を支配しようとする者。その対立が、宝石を分散させるきっかけになった可能性があります」
和人は、これまでに見つけた宝石のことを思い出した。
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
エタニティー。
ハーモニクス。
そして、両国が国宝として保有するディストラとマダスカス。
名前も性質も違う。
だが、もしそれらが同じ時代に作られたものだとしたら――。
「……まさか、ディストラやマダスカスも、その宝石の一つなのか?」
「可能性は高いでしょう。ただし、現時点では同じ系統の宝石であるという以上のことは断定できません」
イクリオは慎重に言葉を選んだ。
「名前も能力も異なります。ですが、古代の記録には、これらを一括して指す言葉が残されています」
彼は、別の紙に書き写した文字を指差した。
「七つの至宝――そう記されていました」
「七つ……!」
エリーが息を呑んだ。
イクリオは頷き、ハーモニクスをそっと持ち上げた。
「そして、この宝石の名前も分かりました」
部屋の中が静まり返る。
「やはり、うちにあった文献に書かれていた――ハーモニクス」
「やっぱり、その名前だったんですね」
和人は小さく頷いた。
「この間も少し触れましたが、やはり古代の言葉で『調和』を意味する名です。ですが、単純に平和や協調をもたらす宝石というわけではないようです」
「どういうことですか?」
涼音が尋ねる。
イクリオは、記録の一節を読み上げた。
「『調和とは、善きものだけを結ぶ力にあらず。異なるものを結び、時には相容れぬものさえ、一つの形へと導く力なり』」
「……相容れないものまで?」
「ええ。つまり、使う者の意思や、結びつく対象によって、結果が変わる可能性があるということです」
イクリオは少し間を置いて続けた。
「別の記述には、宝石の力を悪用すれば、災いを招くこともあると書かれていました。ただ、ハーモニクスそのものが善悪を判断するわけではないようです。力をどう使うかは、あくまで扱う者次第なのでしょう」
和人は宝石を見つめた。
昨日、自分が触れたときに感じた、あの不思議な魔力。
それは単純に自分を強くするための力ではなかったのかもしれない。
何かと何かを繋ぐための力。
あるいは、遠く離れたもの同士を呼び合わせるための力。
まだ答えは出ない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
この宝石は、彼らがこれまで探してきたものと、深い関係がある。
「……それで、石碑の文字は?」
和人が尋ねると、イクリオは別の紙を取り出した。
「こちらも、ある程度は解読できました」
そして、ゆっくりと読み上げた。
「『ここに集いし仲間たちよ。我らが作り出せし七つの力の源を各地へ分かち、いかなる者の手にも、そのすべてが渡らぬようにせよ』」
イクリオは一度言葉を切った。
「続きには、こうあります」
「『我ら七賢人は、これらを管理する義務を負う。力を求める者が現れようとも、七つを一つに戻すことだけは許してはならぬ』」
涼音が目を見開いた。
「七賢人……。七つの宝石を管理していた人たちってこと?」
「そう考えるのが自然でしょう。ただし、七賢人が具体的にどのような人物だったのか、どの国に属していたのかは分かりません」
和人は腕を組んだ。
「でも、七つを一つに戻すことだけは許すな、か……」
その言葉が、妙に引っかかった。
わざわざ各地へ分散させた宝石を、なぜ再び一つに戻してはいけないのか。
七つを集めることで、何が起こるのか。
それが単に強大な力を得るためだけなら、ここまで厳しい警告を残す必要はないはずだ。
イクリオは最後の一節を読み上げた。
「『我らが願うは、七つの力が再び一つとなる日が来ぬこと。そして、最後の鍵が目覚めぬことなり』」
沈黙が落ちた。
「……最後の鍵?」
和人が呟く。
イクリオは首を横に振った。
「その先の記録は失われています。最後の鍵が何を指すのかも、七つの宝石とどう関係するのかも分かりません」
「七つの宝石を集めると、最後の鍵が目覚める……ってこと?」
涼音の声に、わずかな緊張が混じった。
「あるいは、七つの宝石を集めることそのものが、何かを目覚めさせる条件なのかもしれません」
イクリオは慎重に答えた。
「いずれにしても、七つを集めることが危険だと考えられていたのは間違いないでしょう」
和人は椅子に深く座り直した。
元の世界へ戻る手がかりを求めて、古代の宝石を調べてきた。
だが、もし宝石を集めることが、この世界に大きな災いをもたらすのだとしたら。
自分たちは、知らないうちに危険な道を進んでいるのではないか。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
エリーが口を開いた。
「この宝石たちは、なぜ世界中に散らばっているんでしょう? ただ隠すだけなら、もっと安全な場所にまとめておけばよかったはずです」
その問いに、イクリオはしばらく考え込んだ。
「私も同じ疑問を抱きました。分散させること自体に、何か意味があったのかもしれません。互いの距離を保つことで、力が暴走するのを防いでいた可能性もあります」
「じゃあ、宝石が近づくと反応するのは……?」
「それが、まだ分からないのです」
イクリオはハーモニクスを机に戻した。
「ただ、昨日の遺跡の崩落についても、気になることがあります」
「崩落?」
「ええ。古文献には、古代の遺跡の一部が、宝石の反応や魔力の乱れに応じて動く仕組みを持っていたという記述があります。もし今回の遺跡にも同じ仕掛けがあったのなら、魔物の異常な行動も、単なる偶然ではなかった可能性があります」
和人は、地下室で見た奇妙な光を思い出した。
あの光は、何かが目覚めた兆候だったのだろうか。
それとも、崩壊する遺跡の中で見間違えただけなのか。
今となっては、確かめる手段もない。
「……とにかく、これで分かったことは一つだな」
和人はゆっくりと顔を上げた。
「七つの宝石が存在していて、俺たちが知っているのは六つ。なら、残りの一つを探せば、何か新しい手がかりが見つかるかもしれない」
「でも、七つを集めることが危険なら、慎重に動くべきね」
涼音が言った。
「そうだな。見つけることと、手に入れることは別に考えたほうがいい」
和人は地図を広げた。
七つ目の宝石がどこにあるのかは分からない。
しかし、情報を集めるなら、向かうべき場所には心当たりがあった。
「……セナルだ」
「セナル?」
涼音が地図を覗き込む。
「ヴァリアスとデュランダルの中間にある、傭兵たちが集まる街だ。戦争に関する情報も、人の行き来も多い。古代の遺物を売買する連中だっているかもしれない」
「確かに、情報を集めるにはよさそうですね」
エリーも頷いた。
「七つ目の宝石があるとは限らない。でも、今の俺たちが向かうなら、まずはそこだ」
涼音は地図を見つめ、やがて顔を上げた。
「分かった。行きましょう」
次の目的地は、傭兵の街セナル。
七つ目の宝石を探すための、新たな旅が始まろうとしていた。
だが、そのとき。
エリーが、静かに口を開いた。
「……私は、ヴァリアスへ行こうと思います」
和人と涼音は、同時に彼女を振り返った。
「ヴァリアスへ?」
「はい。両親を探すために」
エリーは、膝の上で両手を握りしめた。
「本当は……お二人と一緒に旅を続けたいです。まだまだ教えてもらいたいこともありますし、もっと一緒に冒険したいです」
言葉が少しだけ途切れた。
「でも、今行かなかったら、また手がかりを失ってしまうかもしれません。父が古代文字に詳しかったのなら、ヴァリアスのどこかに、何か記録が残っている可能性もあります」
エリーの目には、迷いがあった。
和人たちと一緒なら、危険な場所でも心強い。
けれど、仲間と旅を続けることを理由にして、両親を探す機会を先延ばしにしたくはなかった。
和人はしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「そりゃ、両親に会うほうが大事だろ」
「和人さん……」
「俺たちも、自分たちの帰る場所を探してる。エリーが自分の帰る場所を探すのを、止める理由なんてないよ」
涼音も優しく頷いた。
「そうよ。エリーが自分で決めたことなら、私たちは応援するわ」
「……ありがとうございます」
エリーは微笑んだが、その目は少し潤んでいた。
「でも、これでお別れってわけじゃないからな」
和人は鞄から小さな石を取り出した。
「これを持っていてくれ」
「これは……?」
イクリオが説明を引き継いだ。
「ソウルパワーと呼ばれる通信石です。魔力を込めることで、離れた場所にいる者同士でも、短い言葉を伝えられます。ただし、距離が離れすぎたり、周囲の魔力が乱れていたりすると、繋がらないこともあります」
「そんな便利なものがあるんですか?」
「古代の遺物ほど高度なものではありませんが、旅には役立つでしょう」
イクリオは同じ石をいくつか机の上に置いた。
「皆さん、一つずつ持っていってください」
和人と涼音、そしてエリーは、それぞれソウルパワーを受け取った。
エリーは石を胸元で握りしめる。
「……また、会えますよね?」
その声には、隠しきれない寂しさがあった。
涼音は彼女の手を取った。
「当たり前でしょ。私たちは友達なんだから」
「そうそう。何か分かったら、すぐ連絡してくれ。俺たちもセナルで情報を集めるからさ」
和人は、いつもの調子で笑った。
「それに、エリーにはまだ風魔法の続きを教えてもらわないとな!」
「えっ、私が教えるんですか?」
「だって、俺より詳しいだろ?」
「……それは、そうですけど」
エリーは思わず笑った。
涼音も笑いながら、彼女の手を握り直した。
「今度会うときには、私も風の力をもっと使いこなせるようになってるからね」
「はい! 楽しみにしています!」
三人は顔を見合わせた。
別々の道を進むことになっても、これまで一緒に過ごした時間がなくなるわけではない。
そのことを、三人とも分かっていた。
出発の朝。
デルフィーの街の出口には、柔らかな朝日が差し込んでいた。
道は二つに分かれている。
一方はヴァリアスへ。
もう一方は、セナルへ。
エリーはケルビーの背に乗り、二人を振り返った。
「それじゃあ……行ってきます」
「おう。両親、絶対に見つけろよ!」
「和人さんも、涼音さんも……絶対に元の世界へ帰ってください」
「もちろんだとも! なんたって、元の世界には二次元の嫁たちが待ってるからな!」
「……あんた、最後までそれなの?」
涼音が呆れた顔をする。
「大事なことだろ!」
「はいはい。エリー、また会いましょうね」
涼音はエリーの手を取った。
「はい。また、必ず!」
エリーの目に涙が浮かんだ。
それでも彼女は、最後まで笑顔を崩さなかった。
やがて、ケルビーがゆっくりと歩き出す。
エリーは何度も振り返りながら、ヴァリアスへ続く道を進んでいった。
その姿が遠ざかり、やがて木々の向こうに消える。
涼音はしばらく、その方向を見つめていた。
「……寂しくなるわね」
「そうだな」
和人も、静かに頷いた。
「でも、あいつなら大丈夫だ。自分で決めて、自分の道を進もうとしてるんだから」
「うん……そうね」
涼音は顔を上げた。
「私たちも行きましょう。セナルへ」
「ああ!」
二人は馬に乗り、街道へと進み出した。
新たな目的地。
七つ目の宝石。
そして、自分たちがこの世界に召喚された理由。
それらの手がかりが、セナルにあるかどうかは分からない。
それでも、立ち止まっているわけにはいかなかった。
同じ頃。
デルフィーから遠く離れた、ヴァリアスへ続く街道の途中。
エリーは馬車の往来を避けながら、ケルビーとともに森の脇を進んでいた。
胸元には、和人たちと交換したソウルパワーがある。
その石を指先でそっと撫で、彼女は小さく呟いた。
「……お父さん、お母さん。今度こそ、見つけるから」
そのときだった。
鞄の中にしまっていた風の結晶が、淡い緑色の光を放った。
「え……?」
エリーは足を止めた。
結晶は、まるで何かに呼応するように、一定の間隔で光を繰り返している。
彼女が手を伸ばすと、光はすぐに消えた。
「……気のせい?」
エリーは結晶を見つめた。
昨日まで、こんな反応はなかった。
ハーモニクスに反応したときと、よく似ている。
しかし、今は和人たちも、あの宝石もここにはない。
それなのに、なぜ――。
エリーは結晶を鞄に戻し、再び歩き始めた。
今はまだ、両親を探すことが先だ。
けれど、彼女の知らないところで、風の結晶もまた、何かの目覚めを感じ取っていた。
その夜。
デルフィーのイクリオの屋敷では、研究室の扉が閉ざされていた。
机の上には、解読された石碑の写しと、七賢人について記された古文献が並んでいる。
その中央に置かれたハーモニクスは、静かに光を放っていた。
イクリオは、最後に解読した一節をもう一度読み返す。
――七つの力が再び一つとなる日が来ぬことを。
――最後の鍵が目覚めぬことを。
「……もし、これが本当なら」
彼は窓の外を見た。
夜空には、無数の星が輝いている。
遠い昔、七賢人は何を恐れ、何を守ろうとしたのか。
そして、なぜその遺産が、今になって再び反応し始めたのか。
答えは、まだどこにもない。
だが、世界の各地では、誰にも知られない小さな変化が起き始めていた。
ある遺跡では、長い年月を経て封じられていた紋様が淡く光り。
別の土地では、地中に眠っていた古代の装置が、かすかな音を立てて動き出す。
そして、誰も立ち入らなくなった石造りの神殿の奥で、七つの円を刻んだ扉に、一筋の光が走った。
その光は、ほんの一瞬だけ七つの円を順番に照らした。
最後の一つだけが、暗いままだった。
まるで、そこに何かが欠けていることを示すように。
七賢人が遺した七つの宝石。
それらは、ただ強大な力を秘めた道具ではないのかもしれない。
世界中に散らばった宝石を繋ぐことで、何かが始まる。
あるいは、長い間、封じられていた何かが目覚める。
そして、和人と涼音がこの世界へ召喚されたことも、偶然ではないのだとしたら――。
二人が向かうセナルには、七つ目の宝石の手がかりだけでなく、彼ら自身の運命を左右する秘密が眠っているのかもしれない。
さらに、ヴァリアスへ向かったエリーの旅もまた、彼女の両親だけでは終わらない、新たな真実へと繋がろうとしていた。
七賢人の遺産。
七つの宝石。
そして、最後の一つ。
それがすべて揃ったとき、世界に何が起こるのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
物語は、新たな舞台――傭兵の街セナルへと動き始める。




