第12章 湖底遺跡の闇――暴走する和人と七つ目の力
デルフィーを出発して三日目。
和人と涼音は、セナルへ続く街道を馬で進んでいた。
目的地までは、まだ相応の距離がある。日が傾き始めた頃、二人は街道沿いの小さな村を見つけ、そこで一泊することにした。
馬を預け、宿屋へ向かう途中も、和人の頭から古代錬金術師たちの記録が離れなかった。
前回、手に入れたハーモニクス。
そして、そこに記されていたイクリオの解読から知った七賢人の存在。
遺跡を巡るたびに、二人は新たな宝石と出会い、八百年続く戦争の裏側に何かが隠されていることを感じ始めていた。
「なあ、涼音。七賢人って、いったい何者だったんだろうな」
「またその話? 馬に乗っている間、ずっと考えていたでしょ」
「だって気になるだろ。古代の錬金術師たちを束ねるほどの人物が七人もいたんだ。しかも、各地に正体不明の宝石が残されている」
和人は指を折りながら、これまでに知った名前を挙げた。
「デモンズスピリッツ、メイクトゥルー、エタニティー、ハーモニクス。それに、ヴァリアスの至宝ディストラと、デュランダルの至宝マダスカス……」
「そこに七つ目の宝石が加わる、というわけね」
「ああ。一人につき一つずつ作ったのかもしれない」
涼音は少し考えてから、首を横に振った。
「可能性はあるけど、決めつけるのは早いわ。七賢人が全員、宝石を作ったとは限らないし、私たちが知っている宝石が全部同じ系統とも限らないもの」
「……相変わらず冷静だな」
「和人が先走りすぎなのよ」
「せっかく推理していたのに」
「推理と想像は違うでしょ?」
「はいはい」
軽口を交わしながらも、二人の胸には同じ疑問が残っていた。
なぜ、古代の人々はこれほど危険な力を宝石に封じ込めたのか。
そして、なぜ自分たちは、その宝石と出会い続けているのか。
「ところで、風の結晶の調子はどうだ?」
和人が尋ねると、涼音は腰に下げた剣へ目を落とした。
「だいぶ分かってきたわ。剣に風の力を流すだけじゃなくて、自分の身体にもまとわせられるの」
「身体にも?」
「ええ。足元に風を集めれば、一気に加速できる。短い距離なら、間合いを詰める速さでアリシアにも対抗できるかもしれない」
「それは頼もしいな。もう、俺が心配する必要もなさそうだ」
「何言ってるの。速く動けても、判断が遅れたら意味がないわ。それに、長時間使えば集中力も体力も削られる」
涼音は自分の手を握り、ゆっくりと開いた。
「この世界じゃ、ゲームみたいに力を使い続けることはできない。自分の限界を知らないまま戦えば、いつか取り返しのつかないことになるわ」
「……確かにそうだな」
和人は自分の杖に目をやった。
魔法を使えば、確実に疲労が蓄積する。
どれだけ強力な力を手に入れたとしても、使いこなせなければ意味はない。
二人はそのことを、これまでの旅で何度も思い知らされていた。
やがて街道の先に、田畑に囲まれた小さな村が見えてきた。
村へ入ると、収穫した作物を積んだ荷車がゆっくりと道を進んでいた。農業で生計を立てているらしく、建物は質素で、店も宿屋と食堂、それに小さな屋台がいくつかある程度だった。
「思ったより静かな村だな」
「セナルへ向かう人が立ち寄るくらいなのかもね」
二人は村人に尋ね、村長の家を訪ねた。
家の前では、白髪交じりの男性が農具の手入れをしていた。
「すみません。少しお話を伺いたいんですが」
「旅の方ですかな? このような辺境に、何かご用でも?」
和人は古代の遺跡や七賢人、謎の宝石について尋ねてみた。
しかし、村長は困ったように首を振った。
「残念ながら、そのような伝承は聞いたことがありませんな。この村は昔から農業で暮らしてきた土地ですから」
「そうですか……」
「ただ、最近は妙な話を耳にします」
村長は農具を置き、声を少し落とした。
「セナルの先に大きな湖があるのですが、あちらから奇妙な音が聞こえるというのです。夜中に地面が揺れたように感じることもあるとか」
「湖から?」
「ええ。水面に黒い影が浮かんでいた、という話もあります。見間違いかもしれませんが、漁師たちは以前ほど湖へ近づかなくなりました」
和人と涼音は顔を見合わせた。
「その湖は、セナルから近いんですか?」
「馬なら、そう遠くはありません。ただ、何かあっても責任は持てませんぞ」
「分かりました。ありがとうございます」
村長の家を後にした和人は、考え込むように顎へ手を当てた。
「黒い影に、地面の揺れ……か」
「偶然かもしれないけど、湖底遺跡があるなら関係している可能性もあるわね」
「まあ、今のところは何とも言えないな」
二人は食堂で夕食を取り、翌朝まで身体を休めることにした。
ところが、食事の最中に、隣のテーブルから聞き覚えのある地名が飛び込んできた。
「セナルでは、また志願兵を募っているらしいぞ」
「デュランダルも本腰を入れてきたな。報酬もかなりいいらしい」
「だが、戦争はごめんだ。命を懸けてまで金を稼ぎたいとは思わん」
「それなら、湖底遺跡の調査依頼はどうだ? 成功報酬が高いらしいぞ」
「水中の遺跡だろう? 息が続かない。魔法使いでもいなければ無理だ」
その言葉に、和人の箸が止まった。
「……湖底遺跡?」
涼音が小声で尋ねる。
「今の話、気になるな」
「でも、セナルはデュランダルの兵士が多いんでしょう?」
涼音は周囲を確認してから続けた。
「私が顔を出すのは危険かもしれない。戦場で私たちの噂が広まっているなら、誰かに気づかれる可能性があるわ」
「分かってる。情報収集は俺に任せてくれ」
「和人が?」
「その顔は何だよ」
「いえ、剣士のふりがどこまで通用するのかと思って」
「……大丈夫だ。たぶん」
「今の間が不安なんだけど」
翌朝、二人は村を出発した。
昼前には、傭兵たちが集う街セナルへ到着した。
セナルは、これまで訪れた街とは明らかに雰囲気が違っていた。
道を歩く者の多くが武器を携え、鎧や革の防具を身につけている。酒場からは荒々しい笑い声が聞こえ、街角では傭兵たちが依頼の報酬や戦場の情報を交換していた。
平穏な暮らしを送る街というより、いつ戦争が始まってもおかしくない、巨大な兵站拠点のようだった。
「なんだか物騒な街だな……」
和人は周囲を警戒しながら武器屋へ向かった。
そこで購入したのは、安価なショートソードと小型の盾だった。
魔法使いだと知られれば、ヴァリアスの密偵と疑われる可能性がある。まずは剣士として振る舞い、余計な注目を避けるつもりだった。
宿屋で部屋を確保した後、和人は装備を整え、冒険者ギルドへ向かった。
ギルドの中には、依頼の掲示板と受付所のほかに、軍への志願者を受け付ける窓口が設けられていた。
掲示板を見ている冒険者より、志願者の列のほうが長い。
「本当に人を集めているんだな……」
和人は掲示板へ目を向けた。
その中に、ひときわ目を引く依頼書があった。
――湖底古代遺跡の調査。
――遺跡内の魔物の討伐、および貴重な遺物の回収。
――報酬は成功度に応じて支払う。
「これだ……」
和人が依頼書を読んでいると、近くにいた冒険者たちの声が聞こえた。
「報酬は破格だが、水中の遺跡なんてどうやって調べるんだ?」
「潜水用の魔道具でもあれば別だが、そんなものを持っている奴は少ない」
「それに、最近は湖で妙な魔物を見たという話まである。命がいくつあっても足りんぞ」
男たちは依頼を諦め、別の掲示板へ移っていった。
和人は依頼書を取り外し、記載された内容を確認した。
「古代の遺跡に、正体不明の魔物……。七賢人に関係しているなら、見逃すわけにはいかないな」
「あなたも、その依頼が気になるの?」
背後から声がした。
振り返ると、金髪の長い髪をなびかせた女剣士が立っていた。
腰には二本の細身の剣。
片方の柄には白い装飾が施され、もう片方は黒い金属で覆われている。
彼女は和人の装備を一瞥すると、少しだけ眉を上げた。
「失礼だけど、その装備で湖底遺跡へ行くつもり?」
「まあ、興味があるだけさ」
「興味だけで命を懸けるのは、おすすめしないわ」
「それは耳が痛いな」
女剣士はわずかに笑った。
「私は賞金稼ぎをしているの。依頼によっては傭兵として戦争に参加することもあるけど、基本的には自分で仕事を選んでいるわ」
「それなら、あそこの志願者募集には参加しないのか?」
和人が窓口を指すと、彼女は一瞥しただけで興味を失ったように視線を戻した。
「戦争には興味がないのよ。少し前に、凄腕の剣士と魔法使いが戦場を大きく動かしたという噂を聞いたけど、最近はまたいつもの小競り合いに戻ったみたいね」
和人は思わず苦笑した。
――それ、たぶん俺たちのことだな。
「強い人間が二人現れたところで、戦争そのものが変わるわけじゃない。上にいる連中が望む限り、争いは続くもの」
彼女の言葉には、実際に戦場を見てきた者らしい重みがあった。
和人は少し考えた後、彼女へ向き直った。
「俺は事情があって各地を旅しているんだ。相方が宿屋にいるんだけど、そいつも剣士でね」
「へえ。それで?」
「突然で悪いけど、一度手合わせしてみないか?」
女剣士の目が、わずかに細くなった。
「私と?」
「ああ。俺たちと一緒に湖底遺跡へ行ってくれるなら、情報も報酬も分け合える。まずは、お互いの実力を確かめたいんだ」
「あなたが私と戦うの?」
「いや、ご覧の通り、ショートソードは護身用で、俺は後方支援が専門だ」
和人は腰のショートソードを抜き、すぐに鞘へ戻した。
「相方が相手をするよ」
「……あなた、何か隠しているわね」
女剣士の視線が、和人の手元を捉えた。
「剣を持つ手に、戦い慣れた者の癖がない。でも、さっきから妙な魔力を感じる。単なる後方支援というわけでもなさそうね」
和人の胸に緊張が走った。
この女、ただ者ではない。
だが、彼女はそれ以上追及しなかった。
「まあいいわ。面白そうだし、あなたの相方と手合わせしてあげる」
「助かるよ。明日の朝、街の外れに大きな木がある。そこで待ち合わせよう」
「分かったわ。私の名前はソフィアン。ソフィーでいいわ」
「和人だ」
「カズトね。覚えておくわ」
ソフィーはそう言い残すと、軽い足取りでギルドを後にした。
和人は湖底遺跡の依頼を受ける手続きを済ませ、宿屋へ戻った。
「おかえり。どうだった?」
部屋で待っていた涼音が尋ねる。
「収穫はあったよ。湖底に古代遺跡があるらしい。それと、同行してくれるかもしれない剣士も見つけた」
「もう仲間を見つけたの?」
「まだ仲間じゃない。明日、手合わせをすることになったんだ」
「……和人と?」
「はい?おまえとだよ」
「ちょっと……勝手に話を進めないでくれる?」
涼音の笑顔が、逆に怖かった。
「いや、だって、実力のある仲間は必要だろ?」
「必要だけど、どうして私が戦う前提なのよ」
「だって、俺より強いし」
「そこは否定しないけど!」
涼音はため息をついた後、腰の剣へ手を添えた。
「まあ、挑まれたからには受けて立つわ。どれくらいの腕前なのか、私も気になるし」
「それと、もう一つ」
和人は表情を引き締めた。
「ソフィーから、かすかな魔力を感じた。2本の剣をぶら下げてたし、本人は隠しているつもりみたいだけど、ただの剣士じゃないと思う」
「二刀流で、なんらかの魔法使い……という可能性もあるわね」
「まだそこまでは分からないけどな」
「なら、明日確かめればいいわ」
涼音は立ち上がり、剣の柄を確かめた。
「殺し合いは嫌だけど、手合わせなら歓迎よ。相手の技を見れば、自分に足りないものも分かるから」
その声には、戦いへの静かな意欲が宿っていた。
翌朝。
二人が街の外れへ向かうと、大きな木の下でソフィーが待っていた。
「待っていたわ、来たわね」
「待たせたな。こっちが相方の涼音だ」
「観音寺涼音よ。よろしく」
「話は聞いてると思うけど、ソフィーよ。こちらこそ」
二人は互いの武器を確認した。
涼音の剣には、水と風の力が宿っている。
一方、ソフィーが携える二本の剣は、明らかに性質が違っていた。
「その二本、特別な剣なの?」
涼音が尋ねると、ソフィーは白い剣を抜いた。
「こっちは白龍。そして、こっちが黒龍。どちらも私の大切な相棒よ」
白龍の刀身は朝日を受けて淡く輝き、黒龍の刀身は光を吸い込むように黒かった。
「名前からして、かなり癖がありそうね」
「ええ。使い方を間違えると、自分が痛い目を見るくらいにはね」
ソフィーは冗談めかして笑ったが、その目は真剣だった。
二人は五メートルほどの距離を取った。
和人は少し離れた場所から見守る。
「じゃあ、始めましょうか……いくわよっ!」
涼音が剣を構えた。
ソフィーも二本の剣を抜く。
次の瞬間、ソフィーの姿が揺らいだ。
「――っ!」
輪郭が陽炎のように歪み、姿が消えたように見える。
涼音が反応するより早く、白龍の切っ先が肩口へ迫った。
涼音は身をひねり、紙一重でかわす。
金属音が響いた。
「今のは幻影魔法?」
「そう。カゲロウっていうの。姿を見えにくくするだけで、完全に消えるわけじゃないけどね」
ソフィーが一歩退いた。
「攻撃するときは幻影が乱れる。その一瞬を見抜かれたら、私の方が不利になる」
「なるほど。なら、見抜けばいいのね」
涼音は風の結晶を握った。
足元に風が集まり、砂埃が舞い上がる。
「今度はこっちから行くわ!」
一瞬で間合いを詰め、剣を振り抜く。
ソフィーは白龍で受け止めた。
甲高い金属音が、森に響き渡る。
「速い……!」
ソフィーの表情が変わった。
涼音はそのまま連撃を仕掛ける。しかし、風の力を使うたび、呼吸がわずかに乱れていく。
ソフィーはそこを見逃さなかった。
白龍で攻撃を受け流し、黒龍で涼音の進路を塞ぐ。
力任せの剣ではない。
二本の剣で相手の動きを制限し、わずかな隙を作り出す戦い方だった。
「くっ……!」
涼音は一歩下がり、呼吸を整える。
「二本の剣を、別々の役割で使っているのね」
「よく見ているわね。あなたの風も、ただ速いだけじゃない」
ソフィーが笑った。
「でも、次はどうかしら?」
再びカゲロウが発動する。
ソフィーの姿が揺らいだ瞬間、涼音は目ではなく、足元の砂の動きに意識を向けた。
わずかに舞い上がる砂。
そこに、見えないはずの足跡があった。
「そこっ!」
涼音の剣が走る。
ソフィーはとっさに黒龍で受け止めた。
衝撃で二人の身体が離れる。
「幻影を見破ったの?」
「その威圧感のある闘気である程度の予測はできるし、あなたが動けば、周囲も動くもの」
「……なるほど。勉強になるわ」
ソフィーは感心したように頷いた。
今度は涼音が踏み込む。
風をまとった剣が白龍とぶつかり、火花が散った。ソフィーは黒龍で反撃し、涼音は身体をひねってかわす。
互いに譲らない攻防。
そして、最後の一撃。
涼音の剣がソフィーの首元で止まった。
同時に、ソフィーの白龍も涼音の肩口で止まっていた。
「……相打ちか?」
和人が思わずつぶやいた。
しばらく沈黙が続いた後、ソフィーはゆっくりと剣を下ろした。
「引き分けね」
「そうね。でも、次は勝つわ」
「私もよ」
二人は互いの武器を収め、笑い合った。
ソフィーは和人へ向き直る。
約束通り、湖底遺跡の調査に同行するわ。ただし、危険だと判断したら撤退する。それでいい?」
「もちろんだ。命あっての探索だからな」
「なら、決まりね」
こうして、和人と涼音に新たな仲間が加わった。
もっとも、和人はまだ知らなかった。
この出会いが、彼自身の中に眠る謎を暴くきっかけになることを。
三人は馬に乗り、小さな山脈を越えた。
その先に広がっていたのは、見渡す限りの巨大な湖だった。
湖面は穏やかで、風が吹くたびに陽光が揺れている。
一見すると、村人が恐れるような場所には見えなかった。
「ここが目的地か……」
和人は湖を見渡した。
「こんな場所に遺跡が沈んでいるなんて、普通は想像もしないな」
「……いるわね」
ソフィーが突然、表情を険しくした。
「何が?」
「湖の底。嫌な気配がする。魔物だけじゃない……もっと古くて、重い何かがあるわ」
涼音は湖面を見つめた。
「村で聞いた黒い影の話と関係しているのかしら」
「可能性はある。とにかく、確かめよう」
和人は杖を取り出した。
そして、ハーモニクスに目を向ける。
手に入れたこの宝石は、これまでの遺跡でも、ほかの宝石や古代の仕掛けに反応してきた。
今回も何かを示してくれるかもしれない。
和人が湖へ向けてハーモニクスを掲げると、宝石の内部に淡い光が走った。
だが、すぐに消えてしまう。
「……やっぱり、何かあるのか?」
「今の光、ハーモニクスが反応したの?」
涼音が尋ねる。
「ああ。でも、何に反応したのかは分からない」
和人は宝石をしまい、両手に魔力を集めた。
「まずは遺跡を見つけよう。水の膜を張るから、二人とも俺の近くにいてくれ」
詠唱とともに水が渦を巻き、三人の身体を包み込む。
透明な膜が頭から足元まで覆い、呼吸を確保するための空間が形成された。
「これで水中でも呼吸できる。ただし、長時間は無理だ。二十分を目安に戻ろう」
ソフィーは和人をじっと見た。
「なるほどね。剣士のふりをしていたけど、本職は魔法使いというわけか」
「……気づいていたのか?」
「魔力を隠すのが少し甘かったわね」
「次から気をつけるよ」
「次があるなら、もっと上手に隠すことね」
ソフィーの言葉に、涼音が小さく笑った。
三人は湖へ飛び込んだ。
水中は驚くほど澄んでいた。
頭上から差し込む光が、湖底の岩や水草を照らしている。静かな世界の中で、三人の呼吸音だけが妙に大きく感じられた。
やがて、湖底に赤みを帯びた石造りの建物が見えてきた。
「あそこだ!」
和人が指をさす。
建物の正面には、古代文字らしき刻印が刻まれた巨大な扉があった。
三人が近づくと、扉の中央にある円形のくぼみが淡く光った。
和人はハーモニクスを取り出した。
宝石は、今度ははっきりと反応した。
内部で幾重もの光が交差し、扉に刻まれた文字が次々と浮かび上がる。
「これは……」
和人が文字を読み取ろうとした、その瞬間。
――ゴゴゴゴゴ……。
重い音が響き、扉がゆっくりと開いた。
大量の泡が外へ流れ出す。
「ハーモニクスが鍵の代わりになったのか?」
和人は宝石を見つめた。
しかし、ハーモニクスの光はすぐに元へ戻ってしまった。
「考えるのは後ね。時間がないわ」
ソフィーに促され、三人は遺跡の内部へ入った。
驚くべきことに、内部は湖底とは思えないほど乾いていた。
床にも壁にも水はなく、空気まで保たれている。天井や柱も崩れておらず、古代の建造物がそのまま残されていた。
「いったい、どういう仕組みなんだ……」
和人が壁に触れる。
かすかな振動が指先に伝わった。
遺跡全体が、今も何らかの魔法によって維持されているようだった。
広間の奥には三つの扉が並んでいた。
「ちょっと待って」
ソフィーが目を閉じ、周囲の気配を探る。
「左の部屋からは、紙や本のような気配を感じる。中央は……よく分からない。右の部屋には、かなり強い魔力があるわ」
「魔物がいるのか?」
「それだけじゃない。何かが、こちらを待っているような感じがする」
涼音は剣の柄を握った。
「なら、先に左の部屋を調べましょう。ここが七賢人に関係する場所なら、記録が残っているかもしれない」
「賛成だ」
三人は左の扉を開いた。
そこには、古びた本棚が整然と並んでいた。
壁には文字の刻まれた石板が掛けられ、机の上には朽ちた筆記具や壊れた魔道具が残されている。
長い年月を経ているにもかかわらず、本の多くは不思議なほど原形を保っていた。
「すごい……。これだけの資料が残っているなんて」
和人は慎重に棚を見て回り、奥に置かれた分厚い本を手に取った。
表紙には、見覚えのある古代文字が刻まれている。
「これなら読めるかもしれない」
「イクリオさんに見せる必要もあるんじゃない?」
涼音が尋ねた。
「ああ。でも、今は分かるところだけでも確認しておきたい」
和人はページをめくった。
そこには、この遺跡が古代の魔術師たちによって築かれた研究施設であることが記されていた。
「……やっぱり、七賢人に関係がある」
「何が書いてあるの?」
「ここには、古代の錬金術師や魔術師が集まっていたらしい。その研究を統括していたのが、七賢人の一人だったと書いてある」
「七賢人の一人が、ここにいたのね」
ソフィーの声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「それで、宝石については?」
和人はさらにページをめくった。
「高位の魔術師十人が、それぞれの魔力を一つの宝石へ注ぎ込んだらしい。最後に七賢人の一人が特殊な錬金術を施して、宝石を完成させた……」
「十人分の魔力を一つに?」
涼音が目を見開いた。
「それほどの力を蓄えられる宝石なんて、聞いたことがないわ」
「名前も記されている。――アキュムレイトだそうだ」
和人はその文字を指でなぞった。
「魔力を蓄積し、必要に応じて解放する宝石。けれど、使い方を誤れば、蓄えた力が制御を失い、世界を滅ぼすことさえある……と」
部屋に沈黙が落ちた。
「世界を滅ぼす、ね……」
ソフィーは腕を組んだ。
「古代の人たちは、いったい何を考えてこんなものを作ったのかしら」
「目的までは分からない。誰かを守るためだったのか、それとも……単なる好奇心の実験なのか」
和人は言葉を切った。
ページの最後には、宝石の完成後に研究施設の一部が封鎖されたという記録が残されていた。
だが、なぜ封鎖されたのか、その理由は書かれていない。
「アキュムレイトがどこにあるのかも、ここには記されていないな」
和人が本を閉じようとした、そのときだった。
――ズ……ズズ……。
右の部屋の方から、何かを引きずるような音が聞こえた。
三人の動きが止まる。
「……近づいてきているわ」
ソフィーは扉の方を見つめた。
「数は?」
「八十体前後。小型から中型の魔物が群れている。それと、奥に一体……他とは比べものにならないほど強い気配がある」
涼音が剣を抜いた。
「避けて通れそう?」
「分からない。でも、あれだけの魔物がいるなら、出口を塞がれる可能性もあるわ」
和人は本を懐へしまった。
「大規模な魔法は使えない。ここが湖底だってことを忘れるな。遺跡が崩れたら、俺たちも脱出できなくなる」
「なら、魔物を一気に倒すんじゃなくて、少しずつ数を減らすしかないわね」
ソフィーは白龍を抜いた。
「私が先行する。カゲロウで敵の目をかいくぐって、隊列を崩す。涼音は隙を見て攻撃。和人は後方から援護してちょうだい」
「分かった」
和人は二人の武器に魔力を流し込んだ。
ソフィーの白龍が淡く輝き、涼音の剣には水の力が重なる。
「無理はするなよ。特に涼音、風の力を使いすぎるな」
「分かってるわ」
「ソフィーも、幻影を使い続けると消耗するんじゃないか?」
「心配してくれるの? 優しいのね」
「いや、戦力が減ると困るから」
「素直じゃないわね」
ソフィーは微笑み、右の扉に手をかけた。
「行くわよ」
扉が開いた。
その向こうには、武器を手にした異形の魔物たちがひしめいていた。
鱗に覆われた身体。歪んだ腕。人間の武器を真似たような刃物や棍棒。
魔物たちは三人を認識すると、いっせいに襲いかかってきた。
「白龍よ、光を宿せ!」
ソフィーが踏み込む。
白龍の刃が一体の魔物を斬りつけた。しかし、硬い鱗に弾かれ、浅い傷しか与えられない。
「硬い……!」
魔物たちが一斉にソフィーを囲もうとした。
「涼音!」
「任せて!」
涼音は風の結晶を握り、足元へ力を集中させた。
身体が一気に加速する。
ソフィーがつけた傷口へ、水をまとった剣を叩き込んだ。
――ザンッ!
鱗の隙間を貫かれた魔物が倒れる。
「なるほど、傷をつけた場所を狙えばいいのね!」
「ええ。でも、油断しないで!」
ソフィーは白龍で敵の攻撃を受け流し、黒龍で別の魔物の足元を払った。
二人は互いの動きを読みながら、少しずつ敵の数を減らしていく。
和人も杖を構えた。
「フレイムエリア!」
床に炎の魔法陣が広がり、魔物たちの足元を焼く。
動きが鈍った隙を見て、和人は続けて魔力を放った。
「スピリームエクスプロード!」
爆炎が広がり、数体の魔物を吹き飛ばした。
だが、魔物たちは倒れなかった。
硬い鱗が炎の威力を弱め、焼け焦げた身体を引きずりながら、再び立ち上がってくる。
「くそっ……! まだ動けるのか!」
和人の額から汗が流れ落ちた。
水中の魔法膜を維持するだけでも、魔力を消費している。ここで強力な魔法を連発すれば、帰りの余力まで失いかねない。
それでも、敵の数は多すぎた。
「もう一発だけだ……!」
和人は杖を握り直した。
「フレアドラゴンブレス!」
炎の奔流が通路を走り、魔物の群れを押し返す。
だが、その直後、和人の視界が一瞬だけ揺れた。
「っ……!」
呼吸が乱れ、指先が震える。
魔力を使いすぎている。
「和人、無理しないで!」
涼音の声が飛んできた。
「分かってる!」
涼音は風の力を剣へ集中させた。
水の刃が風をまとい、鋭い渦となって魔物の鱗を削り取る。
「今よ、ソフィー!」
「ライトカッター!」
白龍から放たれた光の刃が、鱗の剥がれた部分を切り裂いた。
一体、また一体と魔物が倒れていく。
しかし、倒れた魔物の身体から、黒い煙のようなものが細く立ち上っていた。
それは床の溝を伝い、部屋の最奥へと流れていく。
「……何だ、あれ?」
和人が目を凝らす。
黒い煙が集まる先には、ボロボロのローブをまとった人型の魔物が立っていた。
片手には禍々しい剣。
もう片方の手には、暗い光を放つ宝石が握られている。
魔物たちが倒れるたび、その宝石が脈打つように光っていた。
「まさか……あの魔物たちは、あいつに力を送っているのか?」
ソフィーが息を呑む。
「だとしたら、雑魚を倒すだけじゃ駄目ね。あの黒い煙が、魔力を運んでいるんだわ」
涼音は残った魔物を警戒しながら、最奥を見た。
「つまり、あいつを倒さない限り終わらないってことね」
人型の魔物が、ゆっくりと杖を掲げた。
その瞬間。
部屋全体が、深い闇に包まれた。
「何も見えない……!」
和人は杖を構えたが、炎の光さえ闇に飲み込まれてしまう。
視界だけではない。
周囲の魔力の流れまで、黒い膜に覆われたように感じられた。
「落ち着いて!」
ソフィーの声が響く。
「これは暗転の魔法よ! 見えなくても、音や気配まで完全に消えたわけじゃない!」
「みんな、離れないで!」
涼音が叫ぶ。
三人は互いの位置を確かめながら、慎重に動いた。
だが、魔物の気配が掴めない。
どこから攻撃が来るのか、まったく予測できなかった。
そのとき――。
「我が領域へようこそ」
低い声が、闇の奥から響いた。
黒い靄が渦を巻き、そこから一人の男のような姿が浮かび上がる。
青白い肌。
赤く光る瞳。
手には、黒い刃を持つ邪悪な剣。
「私は闇の支配者。この遺跡に眠る力を守る者だ」
「守る者、だと?」
和人は目を細めた。
「お前が持っている宝石は何だ? アキュムレイトなのか?」
闇の支配者は答えなかった。
代わりに、剣を持ち上げる。
「知る必要はない。ここへ足を踏み入れた以上、お前たちは私の糧となる」
「冗談じゃないわね!」
ソフィーが白龍を掲げた。
「白龍よ、闇を照らせ!」
眩い光が放たれる。
しかし、光は闇に触れた瞬間、まるで飲み込まれるように消えた。
「そんな……!」
ソフィーの表情が険しくなる。
「光を吸収しているの? 普通の闇魔法じゃないわね」
彼女は黒龍を抜いた。
「なら、闇には闇をぶつけるまでよ!」
黒龍に暗黒の力が宿る。
ソフィーは踏み込み、敵の胴を狙って斬りかかった。
だが、刃が届く直前、相手の姿が揺らいだ。
黒龍は空を切る。
「幻影……! 本体を捉えられない!」
闇の支配者が、別の場所に現れた。
次の瞬間、黒い刃がソフィーへ迫る。
涼音が風の力で加速し、間に割って入った。
――キィン!
剣と剣がぶつかる。
「助かったわ、涼音!」
「お互いさまよ!」
二人は距離を取り、敵を挟むように構えた。
和人は、闇の支配者の手元から目を離せなかった。
剣と黒い宝石。
そして、魔物たちの身体から流れ込んでいく、膨大な魔力。
「……アキュムレイトが、本当にあの宝石なら」
古代の記録に書かれていた内容が頭をよぎる。
十人分の魔力を蓄え、必要に応じて解放する宝石。
もし敵がそれを使っているなら、魔物たちの力を蓄積している可能性がある。
だが、目の前の闇は、単に魔力が大きいだけではなかった。
何かが違う。
和人は説明できない違和感を覚えた。
「ソフィー! 白龍に俺の魔力を流してみる!」
「できるの?」
「試してみる価値はある!」
ソフィーは一瞬だけ迷った後、白龍を構えた。
「分かったわ。お願い!」
和人が杖を通じて魔力を流し込む。
白龍の刀身に光が走り、輝きが一段と強まった。
「これは……!」
ソフィーは驚きながらも、その力を剣に馴染ませていく。
「いけるわ!」
二人は同時に踏み込んだ。
「白龍よ、光の力を解き放て!」
白龍の一閃が闇を切り裂く。
闇の支配者は剣で受け止めたが、衝撃に耐えきれず後退した。
「効いている……!」
しかし、敵はすぐに姿を消した。
再び現れたときには、先ほどよりも濃い闇が周囲を覆っていた。
「くっ……!」
和人の膝がわずかに揺れる。
魔力を注ぎ込んだことで、疲労が一気に押し寄せていた。
「このままじゃ、きりがないわ!」
ソフィーが叫んだ。
「幻影を破らない限り、本体を捉えられない!」
和人は周囲を見回した。
魔物たちが倒れた場所から伸びていた黒い煙は、今も床の溝に残っている。
そして、その煙が集まる先には、闇の支配者が立っていた。
「……そうか。あいつは、この部屋そのものを利用しているんだ」
「どういうこと?」
「床の溝を通じて魔力を集めている。あの宝石が力を蓄えているなら、魔物の群れも、幻影も、全部つながっているのかもしれない」
和人はソフィーを見た。
「光の拘束魔法は使えるか?」
「使えるけど、長くは持たないわよ」
「一瞬でいい。その隙に、涼音が杖を狙う」
涼音は頷いた。
「分かった。けど、外したら次はないわよ」
「頼んだぞ」
ソフィーは白龍を掲げた。
「ライトショック!」
光の衝撃が闇の支配者を襲う。
敵が剣で防御した瞬間、ソフィーは続けて叫んだ。
「ライトジェイル!」
光の鎖が敵の身体へ絡みつく。
闇の支配者が初めて、明確に動きを止めた。
「今だ!」
和人は杖から炎を放ち、敵の視線を引きつける。
ソフィーは白龍を構え、杖を持つ腕へ踏み込んだ。
しかし、闇の支配者は拘束を力ずくで引きちぎり、邪悪な剣で攻撃を弾いた。
「まだだ……!」
涼音は深く息を吸い、居合の構えを取った。
全身に風の力をまとわせる。
剣には水の魔力が集まり、刀身が淡く青く輝いた。
だが、敵の剣が不気味な黒い光を放ち始めた。
ソフィーはその光を見て、表情を変えた。
「……まずいわ。あの一撃をまともに受けたら、ただじゃ済まない」
彼女は黒龍を握り直した。
「私の切り札を使う。味方まで巻き込む可能性があるから、和人は距離を取って!」
「分かった!」
和人はすぐに後退した。
ソフィーは黒龍を両手で構え、魔力を集中させる。
「黒龍よ、暗黒の力を今ここに――ブラックホール!」
黒龍から放たれた闇が、空間を歪めるような暗黒の渦を生み出した。
闇の支配者の剣から放たれようとしていた黒い力が、次々と渦へ吸い込まれていく。
だが、ソフィーの額には汗が浮かんでいた。
「長くは持たない……! 今よ!」
「涼音!」
和人が叫ぶ。
涼音は静かに目を開いた。
風が全身を包み込む。
足元の砂が舞い上がり、彼女の姿が一瞬で消えたように見えた。
「はああああっ!」
風と水をまとった剣が、闇の支配者の剣を持つ腕へ走る。
――ザンッ!
刃が腕を切り裂いた。
剣が床へ落ちる。
「取った!」
和人は駆け出し、剣へ手を伸ばした。
それが、間違いだった。
剣に触れた瞬間。
和人の身体が、ぴたりと硬直した。
「……え?」
剣のツカにあった黒い宝石が、脈打つように光った。
次の瞬間、黒い光が爆発した。
「和人っ!」
涼音が叫ぶ。
闇は和人の腕を伝い、肩へ、胸へ、そして全身へと広がっていった。
皮膚の上に黒い紋様が浮かび上がる。
和人の呼吸が止まったように見えた。
そして、ゆっくりと顔が上がる。
その瞳には、いつもの和人の面影がなかった。
「……すべて滅べ」
低く、冷たい声が響いた。
「俺の邪魔をするな……」
「和人! 私よ、分かるでしょう!」
涼音が駆け寄ろうとした。
だが、ソフィーがその腕を掴んだ。
「駄目よ! 今の彼は、私たちを敵だと思っているかもしれない!」
「でも、和人は……!」
「分かってる! だからこそ、近づくのは危険なの!」
闇に包まれた和人が剣を掲げる。
闇の支配者は、傷ついた腕を押さえながら何か唱え始めた。
しかし、その攻撃は和人に届く前に弾き返された。
敵の赤い瞳が、大きく見開かれる。
「まさか……その力は……」
言葉の続きを口にする前に、和人が剣を突き出した。
「滅べ」
剣の先に、巨大な暗黒の渦が生まれた。
ソフィーのブラックホールに似ていた。
だが、その規模も、吸い込む力も、比べものにならない。
床の黒い煙が一斉に渦へ吸い込まれ、壁に刻まれた古代文字が不気味に明滅する。
「こんなの……あり得ない!」
ソフィーは黒龍を構え直した。
だが、渦の中心へ引き寄せられる力が強まり、踏ん張ることさえ難しくなっていた。
闇の支配者は抵抗しようとした。
しかし、身体を包む闇が引き裂かれ、徐々に暗黒の渦へと飲み込まれていく。
「お前は……いったい……!」
その声を最後に、闇の支配者は消えた。
渦が収縮し、やがて音もなく消滅した。
遺跡に静寂が戻る。
床には、暗い輝きを放つ宝石と、邪悪な剣が転がっていた。
そして――。
和人の身体が、ゆっくりと傾いた。
「和人!」
涼音が駆け寄り、その身体を抱き止める。
和人は意識を失っていた。
顔や腕に浮かんでいた黒い紋様は薄れていたが、完全には消えていない。
ソフィーは白龍を構え、和人の身体に残る気配を探った。
「……まだ闇の力が残っている」
「どうすればいいの?」
「分からない。でも、このまま放っておくわけにはいかないわ」
ソフィーは白龍を和人へ向け、光の魔力を慎重に流し込んだ。
「お願い……戻ってきて!」
何度も、何度も。
そのたびに、和人の身体から黒い靄がわずかに立ち上り、やがて消えていった。
涼音は和人の手を握りしめた。
「お願いだから……一人でどこかへ行かないでよ……」
普段の彼女からは想像できないほど、声が震えていた。
しばらくして、和人の指がかすかに動いた。
「……うっ」
ゆっくりと目が開く。
「……ここは?」
「和人!」
涼音は思わず彼を強く抱きしめた。
「よかった……本当に、よかった……!」
「え? ちょ、涼音……どうしたんだよ?」
和人は困惑しながら周囲を見回した。
床には魔物の残骸。
壁には黒く焦げた跡。
そして、自分のすぐそばには、見覚えのない宝石が転がっていた。
「……俺、何をしてたんだ?」
ソフィーは、和人が剣を手にしてから起きたことを説明した。
和人は、しばらく何も言えなかった。
「俺が……あの魔物を倒したのか?」
「ええ。でも、あなた自身の意思で戦っていたようには見えなかった」
「……まったく覚えていない」
和人は自分の手を見つめた。
指先が震えていた。
「俺は、一歩間違えれば二人を傷つけるところだったのか……?」
「今は無事だった。それでいいわ」
涼音は優しく答えた。
「でも、もしあの力が次に暴走したら……」
「そのときは、私たちが止める」
涼音は迷いなく言った。
「だから、一人で抱え込まないで」
ソフィーも頷いた。
「ただし、次に同じことが起きないよう、原因は必ず調べる必要があるわ。今の力は、普通の魔法とは明らかに違っていた」
和人は唇を噛んだ。
強くなりたいと思ったことはある。
大切な仲間を守れる力が欲しいと思ったこともある。
だが、自分の意思すら失う力を望んだ覚えはなかった。
「……分かった。ちゃんと調べよう」
ソフィーは床に落ちていた杖と邪悪な剣を見下ろした。
「この武器は危険すぎる。誰かが再び使う前に、破壊するわ」
彼女は白龍を振り上げた。
光の刃が杖を砕き、続けて邪悪な剣も粉々にする。
砕けた破片は、床に落ちると同時に黒い煙となり、跡形もなく消えていった。
和人は、床に残った宝石を拾い上げた。
先ほどまで禍々しい光を放っていた宝石は、今は静かに暗い輝きを湛えている。
「これが……アキュムレイトなのか?」
「その可能性は高いわね」
ソフィーは宝石を観察した。
「魔力を蓄積する性質があるなら、あの魔物が使っていた力も説明できる。でも、あなたの暴走までは説明できない」
「杖が俺の魔力を吸い上げたのか……。それとも、俺の中にあった何かを引き出したのか」
和人は宝石を握りしめた。
答えは出ない。
ただ、あの瞬間、自分の中で何かが目を覚ましたような感覚だけは、かすかに残っていた。
それが何だったのか、思い出そうとすると頭の奥が痛む。
「今は考えすぎないで。ここから出るのが先よ」
涼音の言葉に、和人は頷いた。
三人は遺跡の中を慎重に戻った。
扉を抜ける直前、和人は一度だけ振り返った。
広間の奥にある壁の刻印が、ほんの一瞬、黒く光ったように見えた。
「……今、何か光らなかったか?」
「何が?」
涼音が振り返る。
だが、そこには何もなかった。
「いや……気のせいか」
和人はそう答え、遺跡を後にした。
湖面へ浮上したとき、太陽は大きく傾いていた。
三人は疲れ切った身体を引きずりながら、セナルへと帰還した。
宿屋の部屋に戻ると、三人はそれぞれ椅子やベッドに腰を下ろした。
水中での探索と激しい戦闘で、全員が限界に近かった。
特に和人は、魔法を使いすぎた疲労に加え、暴走したときの記憶がないことが大きな不安となっていた。
彼はベッドの端に座り、アキュムレイトと思われる宝石をじっと見つめていた。
「七賢人が作った宝石……か」
「何か分かった?」
涼音が隣に座った。
「いや。むしろ、分からないことが増えた」
和人は苦笑した。
「七つの宝石が存在するのだとしたら、これで揃った可能性はある。でも、それぞれが何のために作られたのかは分からない」
涼音は指を折りながら、これまでに知った名前を挙げた。
「デモンズスピリッツ、メイクトゥルー、エタニティー、ハーモニクス。ディストラとマダスカス。そして、たぶんアキュムレイト……」
「数だけなら七つだな」
「でも、数が合ったからって、それで全部とは限らないわ。ディストラとマダスカスは国の至宝だし、ほかの宝石と同じ由来なのかも分からない」
ソフィーは腕を組んだ。
「それに、今回神殿で見つけた文献によるとのアキュムレイトだという事は判明したが、ほかの宝石と性質が違うように見えるわ。魔力を蓄えるだけなら便利な道具だけど、あれほどの力を持つなら、使い方次第で災厄にもなる」
「……その災厄を、俺が使ってしまったわけだ」
和人は自嘲気味に笑った。
涼音は、彼の手にそっと触れた。
「あなたが望んでやったことじゃない。それは分かってる」
「でも、俺自身の中から出てきた力だったら?」
和人の声が沈む。
「剣がきっかけだったとしても、俺の中にあんなものが眠っていたなら……。次は、本当に二人を傷つけるかもしれない」
涼音はすぐには答えなかった。
軽々しく否定できることではなかったからだ。
やがて彼女は、和人の手を握り返した。
「だから調べるのよ。何が起きたのか、どうすれば防げるのか。分からないからって、一人で全部背負わないで」
「涼音……」
「それに、私だってまだ自分の力を完全に使いこなせていないもの。和人だけが悩む必要なんてないわ」
ソフィーも静かに頷いた。
「私も協力するわ。七賢人の遺産には興味があるし、あなたの中で何が起きたのかも気になるから」
「ありがとう……二人とも」
和人は、ようやく少しだけ笑った。
「まずはギルドで情報を集めよう。アキュムレイトについても、闇の支配者についても、何か記録が残っているかもしれない」
「そうね。でも、今日は休むべきよ。今のあなたは、もう魔法を使える状態じゃないわ」
「……反論できない」
「だったら、さっさと寝る!」
涼音に背中を押され、和人はベッドへ横になった。
やがて疲労に負け、静かな寝息を立て始める。
涼音とソフィーは、起こさないように声を潜めた。
「ねえ、ソフィー。あなたは、あの闇の力をどう思う?」
「正直に言うと、分からないわ。アキュムレイトが魔力を増幅させたのは確かでしょう。でも、和人が放った力は、それだけでは説明できない」
「やっぱり、そうよね……」
「それに、あの魔物。最後に何かを言いかけていたわ。まるで、和人の力を知っていたみたいだった」
涼音の表情が曇った。
「和人は、ただの魔法使いじゃないのかもしれない……」
「今は、決めつけない方がいいわ。何も分かっていないんだから」
ソフィーは窓の外へ目を向けた。
セナルの街には夜の帳が降り始めていた。
酒場からは、傭兵たちの笑い声が聞こえてくる。
明日になれば、街は再び戦争の準備に追われるだろう。
だが、この街の地下深くに眠る謎は、戦争だけではなかった。
七賢人。
七つの宝石。
そして、和人の中に現れた、説明のつかない闇。
そのすべてが、少しずつ一つの場所へとつながり始めていた。
深夜。
宿屋の部屋が静まり返った頃、和人の枕元に置かれたアキュムレイトが、かすかに光った。
誰も気づかないほど、弱い光だった。
宝石の内部に、黒い筋が一本走る。
その筋はゆっくりと伸び、まるで生き物のように宝石の中心を巡った。
同時に、和人の腕に残っていた黒い紋様が、一瞬だけ浮かび上がる。
――共鳴。
音のない変化が、部屋の空気を震わせた。
そして、和人の意識の奥深く。
誰も知らない暗闇の中で、何かがゆっくりと目を開けた。
その存在が何者なのか。
なぜ和人の中に眠っているのか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは、湖底遺跡での戦いが終わっても、すべてが解決したわけではないということだった。
アキュムレイトは、静かに光を失った。
そして翌朝、和人たちはまだ知らない。
七賢人が遺したものの本当の意味と、七つ目の力が目覚める条件を――。




