第13章 七賢人の禁書――四人目の仲間と、動き始めた古代の力
セナルへ戻った和人、涼音、ソフィーの三人は、街の食堂で遅めの食事を取っていた。
湖底遺跡での戦いから、まだ一日も経っていない。
テーブルの中央には、布に包まれた宝石が置かれていた。
宝石アキュムレイト。
十人もの高位魔術師の魔力を集め、七賢人の一人が仕上げたとされる、危険な力を秘めた宝石だ。
今は何事もなかったかのように静かな輝きを放っている。だが、和人には、その光がどこか不気味に感じられた。
「毎回思うけど、私たちって、どうしてこう危険なものばかり見つけるのかしらね」
涼音がスープを口に運びながら、ため息をついた。
「俺だって好きで見つけてるわけじゃないぞ。宝石とか秘宝とか言ってるけど、正確に言えば魔石だよな、これ。普通に元の世界へ帰る方法を探してるだけなのに……」
「その途中で、古代の遺跡に潜って、八十体近い魔物と戦って、最後には闇に飲み込まれた、と」
「……そうやって改めて並べられると、ひどい旅だな」
「しかも、本人はその最後の部分をほとんど覚えていないのよね」
ソフィーの言葉に、和人は苦笑いを浮かべた。
笑って済ませられる話ではない。
剣を握った瞬間、自分の中へ何かが流れ込んできた。意識が黒く染まり、仲間の声さえ遠のいていく――。
その感覚だけは、断片的に覚えている。
「……あの力は、いったい何だったんだろうな」
和人は自分の手のひらを見つめた。
あのとき、自分は闇の支配者を圧倒した。だが、それは自分の意思で使った力ではない。
もし、あの場に涼音やソフィーがいなかったら。
そう考えるだけで、胸の奥が重くなった。
「和人」
涼音が静かに呼びかける。
「今は無事だった。それに、あなたは自分の意思であの力を使ったわけじゃない。だからといって、何も考えなくていいわけじゃないけど……一人で答えを出そうとしないでね」
「ああ。分かってる」
「ならいいわ」
涼音はそれ以上、追及しなかった。
その気遣いが、今の和人にはありがたかった。
「それで、アキュムレイトはどうするの?」
ソフィーが宝石へ視線を向ける。
「湖底遺跡の調査依頼は、成功したと報告する。でも、宝石は渡さない」
「依頼主が宝石の存在を知っている可能性もあるわよ」
「そこは気になる。ただ、あれを簡単に誰かへ渡すわけにはいかない。使い方を間違えれば世界を滅ぼすかもしれないんだろ?」
「宝石そのものが悪なのか、それとも使う人間の問題なのか……。そこも、まだ分からないわね」
ソフィーは二本の剣を確かめるように、腰元へ手を添えた。
「少なくとも、あの遺跡の魔物は宝石の力を利用していた。だったら、同じことを考える人間がいてもおかしくないわ」
「そうだな。力を求める人間がいる限り、危険はなくならない」
和人はアキュムレイトを布で包み直した。
そのとき、懐にしまっていたハーモニクスが、ほんの一瞬だけ温かくなった。
「……ん?」
「どうしたの?」
「いや、何でもない。気のせいかな」
取り出して確かめても、ハーモニクスはいつもと変わらない。
しかし、和人は知らなかった。
湖底遺跡でアキュムレイトを手にしたときから、二つの宝石の間には、目には見えない何かが生まれていたことを。
そして、その反応が意味するものを知るには、もう少し古い記録を調べる必要があった。
「一度、デルフィー近郊の錬金術師の宮殿へ戻ろう」
食事を終えた和人は、地図を広げて二人に告げた。
「手に入れた記録にも、七賢人に関する手掛かりがあった。今回のアキュムレイトについても、何か分かるかもしれない」
「賛成。あそこなら古代の文献が残っている可能性が高いわね」
涼音が頷く。
「それに、コリン村のルークにも会っておきたい。バロックがいなくなったあと、村がどうなったのか気になるんだ」
「なるほど。調査のついでに旧友の様子も確認するわけね」
ソフィーが微笑んだ。
「ついでって言うなよ。結構心配してるんだから」
「はいはい。じゃあ、早く出発しましょう」
三人は翌朝、セナルを出発した。
道中、和人は何度もアキュムレイトを確かめた。宝石は沈黙したままだったが、あの闇の力を思い出すたび、指先に嫌な感覚がよみがえる。
七賢人。
七つの宝石。
そして、自分の中に現れた正体不明の闇。
それらは本当に、別々の謎なのだろうか。
和人はまだ、その答えを持っていなかった。
数日後、三人はデルフィー近郊の錬金術師の宮殿へたどり着いた。
巨大な石造りの建物は、以前訪れたときと変わらず、時代に取り残された遺物のようにそびえ立っていた。
「何度見ても、でかいな……。これを建てた人たち、どれだけ時間をかけたんだろう」
「建物の規模だけじゃないわ。あの頃の錬金術が、今の時代より進んでいた可能性もある」
涼音が壁面の古代文字を見上げる。
「そう考えると、八百年続いている戦争も、私たちが知っている歴史だけでは説明できないのかもしれないわね」
「だよな。七賢人が何をしようとしていたのか。それが分かれば、少しは世界の謎に近づけるはずだ」
三人は宮殿の内部へ進み、以前調べた書庫を目指した。
ところが、奥へ進んだところで、突然、切迫した声が響いた。
「誰か! 誰かいませんか!」
「おい!人の声だ!」
和人たちは顔を見合わせ、声のする方へ走った。
廊下の先にいたのは、若い男だった。古びた研究者風の服を着ているが、武器は持っていない。壁際に追い詰められ、顔は青ざめていた。
「どうした?」
「魔物が……! 資料を調べていたら、奥から突然現れたんです! 僕は戦えなくて……!」
その直後、床が大きく揺れた。
ドンッ!
廊下の奥から、岩のような外殻を持つ巨大な魔物が現れた。両腕は太く、頭部にはひび割れた角が生えている。
「なるほど。話はあとだな」
和人は杖を構えた。
「涼音、左から回り込め! ソフィーは正面を頼む!」
「了解!」
涼音の剣に風が集まる。ソフィーは白龍を抜き、和人は魔力を集中させた。
「グレイトフレイムランス!」
炎の槍が魔物の足元へ突き刺さり、動きを止める。
その隙にソフィーが白龍を走らせ、首元へ光の刃を叩き込んだ。
「そこっ!」
続いて涼音が風をまとって踏み込み、露出した関節を斬り裂く。
三人の攻撃が一点へ集中した。
巨大な魔物は体勢を崩し、轟音とともに床へ倒れた。
「つえぇ……あっという間に」
青年は呆然と立ち尽くしていた。
「これくらいなら、何とかなるさ」
和人は軽く息を吐いた。だが、魔法を使った影響で、指先には少し痺れが残っていた。
湖底遺跡での戦闘以来、魔力を使うたびに、あの闇の感覚を思い出してしまう。
青年はそんな和人の様子を見つめ、ふと表情を変えた。
「あなたたち……七賢人を探しているんですか?」
三人の空気が一変した。
「どうして、そう思った?」
和人は警戒を隠さずに尋ねた。
青年は慌てて両手を振った。
「す、すみません! 怪しい者ではありません。この宮殿には、七賢人の伝説を調べに来る人が時々いるんです。でも、あなたたちは、ただ伝説を知りたいだけの人たちとは違う気がして……」
「違う、というと?」
「本当に何かを見てきた人の目をしているんです」
和人は思わず涼音とソフィーを見た。
確かに、自分たちはすでに複数の宝石を手にしている。だが、そのことをむやみに話すわけにはいかない。
「俺たちは、古代の錬金術と宝石について調べている。それ以上は、まだ話せない」
「それで十分です」
青年は真剣な表情で頷いた。
「僕も、この宮殿に残された資料を調べています。七賢人は、錬金術師たちの祖とも呼ばれる存在ですから」
「七賢人について詳しいのか?」
「詳しいというほどではありません。でも、あなたたちが探しているものに近い記録なら、心当たりがあります」
青年は廊下の奥を振り返った。
「こちらへ。古い書庫に案内します」
青年に案内された先には、巨大な書庫が広がっていた。
天井まで届く本棚。封印された箱。壁には、見たこともない文字で書かれた石板が並んでいる。
紙の匂いに混じって、古い魔力のようなものが漂っていた。
「ここにある資料は、宮殿の中でも特に古いものです。ただし、すべてが安全とは限りません。触れただけで魔法が発動する書物もありますから、気をつけてください」
「先に言ってくれて助かったよ……」
和人は、手を伸ばしかけていた本からそっと手を引っ込めた。
「ところで、あなたの名前は?」
涼音が尋ねると、青年は少し照れくさそうに答えた。
「ノアです。錬金術の研究をしています。まだ見習いのようなものですけど」
「私は涼音。こっちは和人で、彼女はソフィーよ」
「よろしくお願いします」
ノアは一礼すると、棚の奥へ進んだ。
「七賢人に関する記録なら、確かこの辺りに……」
しばらく探し回ったあと、彼は一冊の分厚い本を取り出した。
表紙には、古代文字で題名が刻まれている。
「ありました。『錬金術の歴史と、七賢人』です」
「それだ!」
和人は本を受け取り、慎重にページを開いた。
古代文字がびっしりと並んでいたが、以前イクリオから学んだ知識や、これまでに見つけた記録のおかげで、少しずつ意味を読み取ることができた。
「……七賢人は、それぞれ異なる思想を持っていたらしい」
和人が読み上げる。
「ただ、共通していたのは、人間が持つ魔力の限界を超えた領域へ進もうとしていたことだ」
「限界を超えた領域……。それって、神に近づこうとしたということ?」
涼音が眉をひそめる。
「そこまでは書かれていない。けど、普通の魔術師が目指す研究とは、規模が違ったんだろうな」
ノアが補足した。
「記録によれば、七賢人はそれぞれの研究を結びつけ、七つの特別な宝石を作ったとされています」
和人の目が鋭くなる。
「やっぱり、七つの宝石は実在したんだな」
「ただし、七人が一人につき一つずつ作ったのか、それとも共同で作ったものがあるのか、詳しいことは分かっていません」
「じゃあ、どうして世界各地に散らしたんだ?」
和人はページをめくった。
しかし、そこには不自然な空白があった。
「……文章が途中で切れている?」
涼音が覗き込む。
ページの端は破れているのではなく、刃物のようなもので丁寧に切り取られていた。しかも、次のページにも、同じように一部の文章が失われた箇所がある。
「偶然じゃないわね」
ソフィーが低い声で言った。
「誰かが、読まれたくない部分だけを取り除いたんだわ」
ノアは悔しそうに唇を噛んだ。
「僕も、この本を何度か調べました。でも、どうしてここだけ切り取られているのかは理由は分からなかったんです」
和人は残された文章を追った。
そこには、七つの宝石に関係すると思われる言葉が、断片的に記されていた。
魔力。
生命。
願望。
破壊。
調和。
蓄積。
そして最後の一つだけ、名称も説明もなかった。
「最後の宝石だけ、記録が消されている……」
和人が呟く。
「アキュムレイトは『蓄積』に当てはまりそうね」
涼音が言った。
「でも、ほかの宝石が本当に七賢人の作品なのかは分からないわ。名前や能力が似ていても、同じものとは限らないでしょう?」
「その通りです」
ノアは頷いた。
「七賢人の研究が後世に伝わると、多くの錬金術師がその技術を模倣しようとしたそうです。七賢人が直接作った宝石と、その技術を使って後世の錬金術師が作った宝石は、区別しなければなりません」
和人は息を呑んだ。
「つまり、俺たちが持っているデモンズスピリッツ、メイクトゥルー、エタニティー、ハーモニクス……それにディストラやマダスカスも、全部が七賢人の作品だとは限らないのか」
「はい。伝承だけで判断するのは危険です」
ソフィーは腕を組んだ。
「ということは、七つの宝石を探すだけじゃ駄目ね。本物かどうか、そして何のために作られたのかも確かめないと」
「そのうえ、アキュムレイトに触れたときの和人の異変もある」
涼音の声が少し低くなる。
「宝石と、あの闇の力。関係がある可能性は高いわ」
和人は答えず、アキュムレイトを取り出した。
宝石は静かに輝いている。
しかし、その表面を眺めているうちに、和人は妙な違和感を覚えた。
この宝石から感じる魔力は、ただ蓄えられているだけではない。
まるで、何かが中から外の様子をうかがっているようだった。
「……なあ、ノア。この本に、宝石を持った人間についての記述はないか?」
「人間について、ですか?」
「ああ。宝石の力に耐えられなかった人間とか、力に取り込まれた人間とか……」
ノアは首を傾げたあと、別のページを探した。
だが、見つかったのは、かすれた一文だけだった。
――「器なき力は、やがて己の器を求める」
「器……?」
和人の胸がざわついた。
「それって、どういう意味だと思う?」
涼音が尋ねる。
「分からない。ただ、宝石そのものの説明じゃなくて、宝石を扱う人間について書かれているように見える」
和人はページを閉じようとした。
その瞬間。
書庫の奥から、カタン……と小さな音がした。
四人は一斉に振り返った。
「今の音、聞こえたわよね?」
ソフィーが白龍へ手をかける。
「ええ。誰かいるの?」
涼音も剣を構えた。
ノアは青ざめていた。
「おかしい……。この書庫に入れるのは、管理者の許可を得た人間だけです。それに、僕たち以外は誰もいないはずなんです」
和人は書庫の奥を見つめた。
本棚の隙間には、誰の姿もない。
ただ、一番奥の机に置かれていたはずの小さな箱が、床に落ちていた。
箱の蓋は閉じたままなのに、内側から、かすかな音が続いている。
カタ……。
カタ……。
「……今日はここまでにしよう」
和人が告げた。
「資料を持ち出せるかどうかは、管理者に確認したい。それに、何が起きているのか分からない場所で、むやみに動くのは危険だ」
ノアは迷った様子を見せたが、やがて頷いた。
「分かりました。僕も、管理者に報告します」
四人は本を元の場所へ戻し、書庫を後にした。
誰も気づかなかった。
彼らが扉を閉めた直後、机の上に残された本のページが、風もないのにゆっくりとめくれたことに。
そして、切り取られたはずの文章の下に、薄い文字が浮かび上がったことにも。
宮殿を離れた三人は、コリン村へ向かった。
道中、和人は何度も、書庫で見た一文を思い返していた。
――器なき力は、やがて己の器を求める。
「ねえ、和人。さっきから難しい顔をしているわよ」
涼音が声をかけた。
「気になるんだよ。七賢人が宝石を作って、世界各地へ散らした理由も。どうして記録がわざわざ消されているのかも」
「危険だから隠した、という可能性はあるわね」
ソフィーが言った。
「でも、危険なものなら、壊してしまえばいい。わざわざ残したのには、別の理由があったのかもしれないわ」
「そうなんだ。俺たちは、ただ元の世界へ帰る方法を探していただけなのにな」
「今じゃ古代の錬金術師の研究まで追いかけているわね」
「ゲームのつもりで異世界に来た時点で、もう十分おかしいでしょ」
涼音が呆れたように笑う。
「それは言わない約束だろ……」
和人も苦笑した。
それでも、三人の表情には少しだけ余裕が戻っていた。
ソフィーが仲間に加わり、旅は確実に変わり始めている。
だが、和人の中に残る闇の正体だけは、まだ誰にも分からなかった。
やがて、遠くにコリン村の姿が見えてきた。
コリン村は、以前訪れたときとは見違えるほど活気づいていた。
市場には野菜や果物が並び、荷車が行き交う。道端では子どもたちが走り回り、店先からは明るい声が聞こえてきた。
「本当に変わったな……」
和人は思わず足を止めた。
かつて、この村はバロックの圧政に苦しんでいた。住人たちは怯え、先の見えない生活を送っていた。
その村が、今は自分たちの力で立ち直ろうとしている。
「ルークが頑張っているのね」
涼音が微笑む。
「前に来たときより、ずっと人の顔が明るいわ」
「それなら、来た甲斐があったな」
三人はルークの屋敷へ向かった。
扉を開けたルークは、彼らを見るなり驚いた顔をした。
「皆さん! お久しぶりです!」
「久しぶり、ルーク。元気そうだな」
「はい。皆さんのおかげで、村は少しずつ立ち直っています。まだ課題は多いですが、住人たちも前向きになってくれました」
「それはよかった」
和人は心から安堵した。
ルークは三人を屋敷へ招き、食事を用意してくれた。
料理が並ぶと、和人の顔がぱっと明るくなる。
「おお、うまそう!」
「本当に食べ物には正直ね、和人」
涼音が呆れたように笑った。
「旅の基本は食事だぞ。腹が減っては何もできないからな」
「その理屈、便利に使いすぎじゃない?」
ソフィーもくすりと笑った。
食事をしながら村の近況を聞いていると、ルークがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、少し前にエリーさんがこの村へ来ましたよ」
「エリーが?」
涼音が顔を上げた。
「はい。ご両親について、何か手掛かりがないか探しているようでした。残念ながら、ここでは新しい情報は見つからなかったようですが……」
エリーは、行方不明になった両親を探すために旅を続けている。
父親はデュランダルの王都にある図書館で働き、古代文字や歴史に詳しかった。母親は元王室警護隊の一員だったという。
その二人が、なぜ戦争のさなかに姿を消したのか。
エリー自身も、まだ真相をつかめずにいた。
「だったら、連絡してみよう」
和人は懐から、ソウルパワーを取り出した。
手のひらに収まる石を握り、魔力を込める。
「あー、もしもーし……エリー、聞こえるか?」
しばらくして、石がかすかに震えた。
『……和人さん?』
「おお、つながった!」
『どうしたんですか?』
「今、コリン村のルークの屋敷にいるんだ。もし近くにいるなら、こっちに来ないか?」
『えっ、本当ですか? 分かりました! すぐ向かいます!』
石から伝わってきた声は、驚きと喜びに弾んでいた。
通信が切れると、和人は石をしまった。
「便利なものね、それ」
ソフィーが感心したように言う。
「離れた相手と連絡が取れるんだ。もっとも、いつでも必ずつながるわけじゃないけどな」
「古代の魔法道具にも似た仕組みがあるわ。魔力を通じて、離れた場所の相手と共鳴するの」
その言葉に、和人は一瞬だけハーモニクスを思い出した。
共鳴。
宝石同士が反応する現象と、何か関係があるのだろうか。
考え込んでいると、屋敷の扉を叩く音がした。
コン、コン。
「来たみたいだな」
扉が開く。
そこには、ケルビーに乗ったエリーがいた。
「和人さん! 涼音さん!」
「エリー、久しぶり!」
涼音が笑顔で迎える。
エリーは馬から降りると、少しだけ表情を曇らせた。
「ごめんなさい……。まだ、両親の手掛かりは見つかっていなくて」
「謝る必要なんてないわ。簡単に見つかるものじゃないもの」
涼音は優しく肩に手を置いた。
「焦らずに探していきましょう。私たちも、できる限り協力するから」
「ありがとうございます……!」
エリーの顔に、少しだけ笑顔が戻った。
和人はソフィーを紹介した。
「こちらがソフィー。セナルで知り合って、一緒に旅をすることになったんだ」
「ソフィーよ。よろしくね」
「エリーです。こちらこそ、よろしくお願いします!」
エリーが頭を下げると、ケルビーがソフィーの周りをくんくんと嗅ぎ始めた。
「きゅるっ!」
「あら、かわいい!」
ソフィーがしゃがんで手を差し出すと、ケルビーは嬉しそうに鳴いた。
「ケルビー、ソフィーさんを気に入ったみたいです」
「なら、仲良くやれそうね」
ソフィーは笑いながら、ケルビーの頭をそっと撫でた。
新しい仲間が加わり、旅の一行は四人になった。
その夜、ルークの屋敷にある一室で、和人たちはこれまでの出来事をエリーに説明した。
七賢人。
七つの宝石。
デルフィー近郊の錬金術師の宮殿で見つけた記録。
そして、湖底遺跡で手に入れたアキュムレイトと、和人が闇に飲み込まれた事件。
話を聞き終えたエリーは、しばらく黙っていた。
「……七賢人の宝石」
やがて、彼女は真剣な表情で口を開いた。
「私の父も、古代錬金術について調べていました。父は古代文字の記録を集めていて、七賢人についても何か知っていた可能性があります」
「エリーのお父さんなら、この本を読めるかもしれないと思っていたんだ」
和人は宮殿で見つけた本の写しと、手元に残した記録を差し出した。
「全部を解読するのは難しいかもしれない。でも、読めるところだけでも確認してほしい」
「分かりました」
エリーは慎重にページをめくった。
古代文字を追う目つきが、次第に真剣なものへ変わっていく。
「ここは……七賢人の研究について書かれていますね。こちらは宝石の性質。そして、この部分は……」
指先が、ページの端で止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
「この文章、つながりがおかしいんです。前後の文脈から考えると、ここには別の文章があったはずです」
エリーは紙面を斜めから眺めた。
「破り取られたわけではありません。文字の上から、別の文章を重ねて書いたような跡があります」
「書き直されたってことか?」
和人が尋ねる。
「はい。しかも、元の文字を隠すために、わざと似た形の古代文字を使っています。普通に読んだだけでは気づけないと思います」
ソフィーの表情が険しくなった。
「誰かが、記録の内容を改ざんして隠そうとしたのね」
「そう考えるのが自然です」
エリーはページの端を丁寧にたどった。
そして、本の綴じ目に近い部分で、ごく小さな文字を見つけた。
「……こんなところに、別の文章が」
「何て書いてあるんだ?」
和人が身を乗り出す。
エリーは何度か文字を確認し、ゆっくりと読み上げた。
「――『七つの力を求める者よ。力ではなく、選ばれし者を探せ』」
部屋の空気が凍りついた。
「選ばれし者……?」
涼音が呟く。
「宝石を集めることが目的じゃない、という意味なのかしら」
「あるいは、宝石を扱う資格を持つ人間がいるのかもしれないわね」
ソフィーは腕を組んだ。
「でも、誰が選ぶの? 宝石自身? それとも、七賢人?」
「そこまでは分かりません……」
エリーは首を横に振った。
「ただ、この文章は後から付け足されたものではないと思います。紙の劣化具合も、周囲の文字とほとんど同じです。かなり古い時代に書かれた可能性があります」
和人は、言葉を失っていた。
選ばれし者。
その言葉が、なぜか自分の胸の奥に引っかかった。
まるで、誰かに名前を呼ばれたような感覚。
その瞬間だった。
和人の懐から、強い光が漏れた。
「な、何だ!?」
彼が取り出したのは、ハーモニクスとアキュムレイトだった。
二つの宝石が、互いに呼応するように輝いている。
さらに、涼音が持つ宝石もかすかに光を放ち始めた。
「ちょっと、待って……!」
涼音が立ち上がる。
ソフィーは反射的に白龍を抜き、部屋の入口へ視線を向けた。
「誰かが魔法を使っているの?」
「違うと思います……!」
エリーは本を見つめていた。
「この反応、文字に触れたときと同じです。まるで、本が宝石に何かを伝えているみたい……!」
次の瞬間、宝石から放たれた光が、部屋の壁へと広がった。
淡い光の線がいくつも伸び、やがて七つの点を形作る。
それぞれの光は、強さも色も異なっていた。
いくつかは鮮明に輝いている。
だが、一つだけ、遠く離れた場所に弱々しい光が灯っていた。
「七つの光……」
和人が息を呑む。
光は地図のように広がり、見知らぬ土地の輪郭を描き出した。
そのうちの一つに、古代文字が浮かび上がる。
――セナル。
「セナルに、まだ宝石があるの?」
涼音が驚いた声を上げた。
しかし、和人は壁に投影された光をじっと見つめ、首を横に振った。
「いや……違う。これはセナルそのものを示しているんじゃない」
「どういうこと?」
「光の位置がずれているんだ。セナルは、たぶん目印にすぎない」
和人は机の上に地図を広げた。
光の線が示す方角を、地図の地形と照らし合わせる。
そして、地図の端にある、ほとんど何も記されていない地域で手が止まった。
「ここだ……」
その場所には、古代文字で短い言葉が記されていた。
――『始まりの地』。
「始まりの地……」
エリーが小さく繰り返した。
「私、聞いたことがあります。父が昔、似たような言葉を口にしていました。ただ、そのときは地名ではなく、古代錬金術の研究に関する概念だと言っていたんです」
「概念だったものが、実際の場所を指しているのかもしれないってことか?」
「はい。父が何を調べていたのか、今なら少し分かる気がします」
エリーは地図を見つめた。
「もしかすると、両親が行方不明になったことにも関係があるのかもしれません」
その声には、希望と不安が入り混じっていた。
和人は地図を丸め、慎重に懐へしまった。
「まだ確かなことは分からない。でも、行く価値はある」
「そうね」
涼音が頷く。
「ただし、今度は準備を整えてからよ。アキュムレイトのことも、和人の中にある闇のことも、分からないまま突っ走るわけにはいかないわ」
「私も賛成。七賢人の研究に関わる場所なら、何が起きてもおかしくないもの」
ソフィーが白龍を鞘へ戻す。
エリーも本を大切そうに閉じた。
「私も一緒に行きます。父の手掛かりがあるかもしれないし、この文章の意味を確かめたいんです」
和人は三人の顔を見渡した。
元の世界へ帰る方法を探して始まった旅。
その途中で、涼音とともに数々の遺跡を巡り、ソフィーと出会い、エリーと再会した。
そして今、七賢人が残した謎は、彼ら自身の運命にまでつながろうとしている。
「分かった。四人で行こう」
和人は、はっきりと告げた。
「七つの宝石を探す。それだけじゃない。七賢人が何を目指していたのか、なぜ記録を隠したのか。そして、俺の中に現れた闇が何なのか――全部、確かめる」
「ようやく目的がはっきりしてきたわね」
涼音が笑う。
「ただし、無茶は禁物よ」
「分かってるって」
「その返事、前にも聞いた気がするけど?」
「……気のせいだろ」
「絶対に気のせいじゃないわ」
ソフィーとエリーが笑い、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
しかし、和人の懐では、アキュムレイトが再び微かに脈打っていた。
それは、宝石が魔力に反応しただけなのか。
それとも、『始まりの地』という言葉を聞き、何かを思い出したのか。
まだ、誰にも分からなかった。
その頃。
デルフィー近郊の錬金術師の宮殿では、誰もいないはずの書庫に、かすかな音が響いていた。
カタン……。
机の上に置かれた一冊の本が、ひとりでに開いていく。
ページには、七賢人について記された最後の一文が残されていた。
――『七つの宝石を集めし者は、世界を救う者となるか、世界を滅ぼす者となるか』
その下に、古い文字が一つずつ浮かび上がる。
まるで、見えない誰かが書き加えているかのように。
――『すでに、選定は始まっている』
文字が完成した瞬間、書庫の奥で、黒い光が一度だけ瞬いた。
そして、再び闇が訪れた。
誰もいない書庫に、低い声が響く。
「……ようやく、目覚め始めたか」
その声の主は、どこにも姿を見せなかった。
ただ、机の上の本だけが、最後のページを静かに閉じた。
四人が向かおうとしている『始まりの地』。
そこに眠るものは、七賢人の遺産なのか。
それとも――七賢人が、世界から隠そうとした何かなのか。
答えを知る者は、まだいない。
だが、古代の力は確かに動き始めていた。




