第8章 クリスタルの聖域――古代宝石に選ばれし者
コリン村を出てから、和人と涼音はほとんど言葉を交わさずに馬を走らせていた。
昨日、剣の形をした古代遺跡で起きた異変。そして、二人の宝石を見つめていた黒いローブの人物。
あの人物は何者なのか。
なぜ、遺跡そのものよりも、和人と涼音の持つ宝石に関心を示したのか。
考えれば考えるほど、疑問ばかりが増えていく。
「……涼音」
「なに?」
「昨日のあいつ、どう思う?」
涼音は少しだけ考え、馬の手綱を握り直した。
「普通の冒険者には見えなかったわね。武器を持っている様子もなかったし、周りの人たちともほとんど話していなかった」
「だよな。なのに、俺たちの宝石が光った瞬間、まるで答え合わせでもしたみたいな顔をしてた」
「つまり、あの人は宝石について何か知っている可能性がある」
「ああ。ただ、今は正体を突き止めるより、目の前の遺跡を調べるほうが先だ」
和人は、バロックから渡された地図を取り出した。
そこには、昨日訪れた剣の形をした遺跡とは別の場所に、もう一つの遺跡が記されていた。
今回の目的地は、コリン村から森を越えた先にある古代遺跡。
地図には名称が記されていない。
ただ、遺跡の位置を示す印の横に、かすれた文字で奇妙な記号が添えられていた。
「この印、前に見たことがある気がするんだけどな……」
「ヴァリアスの地図にあったもの?」
「いや、もっと前だ。どこで見たのか思い出せない」
和人は首をひねった。
古代文字の断片をいくら頭の中で探っても、はっきりとした答えは浮かんでこない。
ただ、その記号を見ていると、胸の奥が微かにざわついた。
まるで、忘れてはいけない何かを忘れているような感覚だった。
「とにかく、実際に行けば何か分かるかもしれない。昨日の遺跡で見た紋章とも関係があるかもしれないし」
「そうね。でも、今回は慎重にいきましょう。遺跡に何がいるか分からないんだから」
「了解。危険を感じたら、すぐに引き返す」
「本当に?」
「……できる限り」
「そこは断言してほしかったな」
涼音の呆れた声に、和人は苦笑した。
だが、彼女の言葉は正しかった。
前回の遺跡では、涼音が大怪我を負った。
あのときの恐怖は、今も和人の胸に残っている。
強くなりたい。
仲間を守れる力が欲しい。
そう思う一方で、力を求めることそのものが、古代の石に近づく行為でもある。
メイクトゥルーの石碑に記されていた言葉が、脳裏をよぎった。
正しき者が使えば、幸福への道へ。
悪しき者が使えば、厄災への道へ。
力を求めることは、果たして正しいことなのだろうか。
和人は答えの出ない問いを胸にしまい、前を向いた。
森へ入ってから、しばらく経ったころだった。
木々は次第に密集し、昼間だというのに、太陽の光がほとんど地面まで届かなくなっていた。
馬の足音が、湿った土に吸い込まれていく。
風もない。
鳥の声も、虫の鳴き声も聞こえない。
その静けさが、かえって不気味だった。
「……静かすぎない?」
涼音が周囲を見回した。
「森って、こんなに音がしないものだったかしら」
「いや。少なくとも、普通じゃないな」
和人は杖を握り直した。
そのとき、馬が突然、足を止めた。
「どうした?」
和人が手綱を引く。
馬は耳を伏せ、前方を見つめながら、落ち着かない様子で地面を踏み鳴らしていた。
涼音の馬も同じだった。
「この先に何かいるのかも」
「無理に進ませないほうがいいな。ここで降りよう」
二人は馬から降り、近くの木に手綱を結びつけた。
そして、慎重に森の奥へと進んでいく。
やがて、白い霧が立ち込め始めた。
最初は足元を覆う程度だった霧が、少しずつ濃くなり、数歩先の景色さえ見えなくなっていく。
「地図だと、このあたりのはずなんだけど……」
和人が地図を確認する。
その瞬間だった。
霧の向こうに、淡い光が浮かび上がった。
青白い光。
それは木々の隙間から漏れているのではない。
何か巨大なものが、内側から輝いているように見えた。
「……あれか?」
二人が歩みを進めると、霧の向こうから巨大な建造物が姿を現した。
和人は思わず足を止めた。
「……なんだ、これ」
そこにあったのは、これまで見てきた遺跡とは明らかに異なる建物だった。
崩れかけた外壁には、無数の結晶が埋め込まれている。
壁の亀裂からも、柱の表面からも、透明な結晶が伸びていた。
まるで、建物そのものが巨大な鉱石へと変わりつつあるようだった。
そして、結晶の一つ一つが、微かに明滅している。
その光は、一定の間隔で脈打っていた。
生き物の鼓動のように。
「……ここが目的地ね」
涼音が地図と建物を見比べる。
「間違いないわ」
和人は遺跡の入口に目を向けた。
そこには、剣と杖、そして三つの宝石を組み合わせた紋章が刻まれていた。
昨日の遺跡で見たものと同じ紋章。
だが、こちらにはもう一つ、奇妙な特徴があった。
紋章の中央に、何も描かれていない空白があるのだ。
まるで、そこに何かをはめ込むための場所が用意されているかのように。
「和人、見て」
涼音が剣を指さした。
剣に埋め込まれた青い宝石が、淡く光っていた。
和人の杖の宝石も、同じように赤い光を放っている。
「また反応してる……」
だが、今回は以前と違った。
二つの宝石は、遺跡の入口に近づくほど強く輝くのではない。
入口の前に立った瞬間、光がぴたりと一定になった。
まるで、何かを確かめ終えたかのように。
和人は、入口の紋章を見つめた。
「……ここ、俺たちを拒んでいないのか?」
「どういうこと?」
「今までの遺跡では、宝石が反応しても、何が起きるか分からなかった。でも、ここは違う。まるで……俺たちが来ることを知っていたみたいだ」
涼音は、すぐには答えなかった。
やがて、剣の柄を握り直す。
「だったら、なおさら気をつけないとね。歓迎されているから安全、なんて保証はないもの」
「……確かに」
二人は互いに頷き、遺跡の中へ足を踏み入れた。
内部は、外観から想像していた以上に広かった。
天井は高く、壁には無数の結晶が埋め込まれている。
床には幾何学的な紋様が刻まれ、その線は通路の奥へと続いていた。
結晶が放つ光のおかげで、松明がなくても歩くことはできる。
しかし、明るいのは壁際だけだった。
通路の中央には、濃い影が帯のように伸びている。
「この模様、何かの文字かな?」
涼音が床を見下ろした。
「文字というより、魔法陣に近い気がする。線が途切れずにつながっているし、ところどころに宝石と同じ紋章がある」
和人はしゃがみ込み、床の模様を調べた。
そのとき、指先が紋様に触れた。
――ピリッ。
「うわっ!」
和人は慌てて手を引っ込めた。
「どうしたの?」
「静電気みたいなものが……。いや、違う。これ、魔力だ」
床の線が、ほんの一瞬だけ赤く光った。
そして、その光は通路の奥へと走り、すぐに消えた。
二人は顔を見合わせた。
「……今の、和人の魔力に反応したの?」
「たぶん。でも、俺は何もしてないぞ」
和人は立ち上がり、周囲を警戒した。
この遺跡は、ただ古代の建物が残っているだけではない。
今も何かが動いている。
そのときだった。
通路の奥から、かすかな叫び声が聞こえてきた。
「……助けてくれ!」
続いて、金属が激しくぶつかる音。
ガキィン!
さらに、何かが壁に叩きつけられるような轟音が響いた。
そして――。
「うわぁぁぁっ!」
人間の悲鳴。
和人と涼音は、同時に顔を上げた。
「先客がいる!」
涼音が走り出す。
「待て、涼音! 罠かもしれない!」
「分かってる。でも、放っておけないでしょ!」
和人は一瞬だけ迷い、それから彼女の後を追った。
確かに、危険かもしれない。
しかし、あの声は本物の悲鳴だった。
助けを求める声を聞いて、何もせずに引き返すことはできなかった。
通路を曲がり、階段を駆け下りる。
そして、広間へ飛び込んだ瞬間――二人の目に、凄惨な光景が飛び込んできた。
広間には、無数の小型の魔物が群がっていた。
大きさは人間の子供ほど。
灰色の皮膚に、結晶のような突起が生えている。
鋭い爪と黄色く光る目。
その数は、五十匹を超えていた。
五人ほどの冒険者が、円陣を組んで必死に剣を振るっている。
だが、明らかに押されていた。
一匹を斬り倒しても、すぐに別の魔物が襲いかかってくる。
盾を構えた男の腕には深い傷が刻まれ、魔法使いらしき女性は壁際に追い詰められていた。
「もう無理だ! 数が多すぎる!」
「入口まで下がれ! こいつら、倒しても次から次へと……!」
冒険者の一人が叫んだ。
その背後から、魔物が飛びかかる。
「危ない!」
涼音が地面を蹴った。
剣が青い光をまとい、横一線に閃く。
飛びかかった魔物が、床に叩き落とされた。
「そこの人! 動けるなら、今すぐ下がって!」
涼音の声に、冒険者たちが振り返った。
「誰だ、あんたたちは!」
「助けに来た人間よ! 話はあと!」
涼音は剣を構え、迫ってくる魔物の群れに向き直った。
水の刃が走る。
一匹、二匹。
さらに踏み込み、三匹目を斬り伏せる。
だが、敵は多い。
正面の魔物を斬れば、左右から別の個体が迫ってくる。
涼音は攻撃をかわしながら、少しずつ後退した。
「和人! 数が多すぎる! まとめて動きを止めて!」
「了解!」
和人は杖を構えた。
広間の床に、魔力の流れが見える。
正確には、目で見えているわけではない。
結晶に触れるたび、魔力がどの方向へ流れているのか、感覚として伝わってくるのだ。
和人はその流れを読み、杖を床へ向けた。
「炎よ、道を切り開け!」
炎が床を這うように走った。
魔物たちの足元で火柱が上がり、群れの一部が後退する。
だが、炎は広間全体を覆うほど強くはない。
むしろ、結晶の多い場所では炎が不自然に弱まり、途中で消えてしまった。
「なっ……!」
和人は舌打ちした。
この遺跡では、魔法の効き方まで普段と違う。
広範囲に炎を放てば、冒険者たちまで巻き込む可能性がある。
ならば、必要なのは力任せの攻撃ではない。
「涼音! 右側の通路まで下がってくれ! そこなら一度に相手をする数を減らせる!」
「分かった!」
涼音は一気に踏み込み、魔物を斬り払いながら冒険者たちのもとへ走った。
「立てる人は、怪我をした人を連れて下がって! 走れない人は私が支える!」
「だが、あんた一人じゃ……!」
「いいから早く!」
冒険者の一人が、倒れていた仲間の腕を肩に回した。
別の男も負傷した魔法使いを支え、通路へ向かう。
しかし、魔物たちは逃がすまいと一斉に動き始めた。
その動きは、あまりにも統率が取れていた。
「……おかしい」
和人は呟いた。
魔物の群れは、ただ獲物に襲いかかっているのではない。
負傷者を優先して追い詰め、逃げ道を塞ぐように動いている。
まるで、何者かが命令しているかのようだった。
その瞬間、広間の奥で、ひときわ大きな結晶が光った。
魔物たちの動きが、一斉に止まる。
そして、次の瞬間。
群れは和人たちを無視し、広間の中央にある結晶へ向かって走り出した。
「……何だ?」
和人は目を見開いた。
魔物たちは結晶に群がると、その表面を爪で引っかき始めた。
まるで、結晶の中にある何かを取り出そうとしているようだった。
「和人! 今なら逃げられる!」
涼音の声で、和人は我に返った。
「ああ! 全員、通路まで下がれ!」
二人は残った冒険者たちを誘導し、広間から脱出した。
最後の一人が通路へ入ったのを確認すると、和人は杖を掲げた。
「これ以上は通さない!」
炎が通路の入口を塞ぐように燃え上がった。
魔物たちは炎の壁の向こうで騒ぎ立てたが、追ってくることはできなかった。
和人は壁を維持しながら、ようやく息を吐いた。
「……全員、無事か?」
負傷した冒険者たちは、壁際に座り込んでいた。
深い傷を負った者もいるが、命に別状はなさそうだった。
涼音は彼らの様子を確かめ、和人の隣へ戻ってきた。
「助かったわね」
「本当に。あと少し遅れていたら、どうなっていたか……」
和人は、炎の向こうを見つめた。
魔物たちの鳴き声が、徐々に遠ざかっていく。
だが、最後に聞こえたのは、ただの魔物の叫びとは思えない、不気味な音だった。
まるで、何かを失ったことに怒っているかのような。
「助けてくれて、本当にありがとう」
冒険者の一人が、深々と頭を下げた。
彼は三十代ほどの剣士で、左腕には包帯が巻かれていた。
「俺たちは、領主バロックの依頼でここに来たんだ。古代の宝石を探せってな」
和人と涼音は、顔を見合わせた。
「バロックの依頼?」
「ああ。報酬は破格だった。遺跡の最奥にある宝石を持ち帰れば、追加報酬も出すって話でな」
「それで、あの魔物の群れに襲われたの?」
「最初は数匹だったんだ。だが、広間に入った途端、壁の結晶が光って……。気づいたときには、あの数に囲まれていた」
男は悔しそうに拳を握った。
「しかも、妙なことがあった。魔物たちは、俺たちを倒すことだけが目的じゃなかったみたいなんだ」
「どういうこと?」
涼音が尋ねた。
「俺たちが逃げようとすると、必ず同じ場所へ追い込まれた。あの広間の中央だ。まるで、そこから離れさせたくないみたいに」
和人は、先ほどの光景を思い返した。
魔物たちが一斉に結晶へ向かったこと。
そして、結晶を爪で引っかいていたこと。
「……何かを守っていたんじゃなくて、何かを取り出そうとしていた?」
「分からない。ただ、あの広間の奥に、もっと大きな扉があった。俺たちはそこまでたどり着けなかったがな」
男は一度言葉を切り、和人を見た。
「一つ忠告しておく。ここは普通の遺跡じゃない。宝石が欲しいなら、覚悟しておいたほうがいい」
「ありがとう。十分、気をつけるよ」
和人はそう答えた。
冒険者たちは、負傷者を支えながら入口へ向かっていった。
その背中を見送りながら、涼音が呟いた。
「バロックは、あの魔物のことをどこまで知っていたのかしら」
「さあな。でも、少なくとも遺跡が危険だと知りながら、人を送り込んでいるのは確かだ」
「……村人から税を搾り取ってまで、手に入れたいものがあるってことね」
「ああ。ますます、あいつに宝石を渡すわけにはいかなくなった」
和人は、炎を消した。
通路の奥には、まだ先が続いている。
ここで引き返すこともできる。
しかし、あの広間の奥には、何かがある。
そして、その何かは、二人の持つ宝石と無関係ではないはずだった。
「行こう、涼音」
「ええ。でも、今度は二人で動く。どちらかが危なくなったら、すぐに助け合うこと」
「約束する」
二人は互いに頷き、遺跡の奥へと進んだ。
通路の先には、奇妙な壁画が残されていた。
炎の明かりが揺れるたび、壁面に刻まれた絵が浮かび上がる。
そこには、剣を持つ人物と、杖を持つ人物が描かれていた。
二人は背中合わせに立ち、その前方には巨大な結晶がそびえ立っている。
結晶の周囲には、四つの石が浮かんでいた。
さらに、その外側には、いくつもの小さな光が描かれている。
「……これ、見覚えがある」
和人は足を止めた。
「三つの宝石が描かれた壁画なら、前の遺跡にもあった。でも、今回は四つだ」
涼音は壁に近づき、細部を確かめた。
「剣を持つ人と、杖を持つ人。これって……私たちに似てない?」
「確かに。でも、偶然かもしれない」
「偶然にしては、できすぎている気がするわ」
壁画の下には、古代文字が刻まれていた。
和人は文字を一つずつ写し取り、分かる部分だけを読み上げた。
「……二つの力が道を開き……四つの意志が……。その先に、選別の門が……」
「選別の門?」
「それ以上は読めない。文字が削られているんだ」
和人は、削られた箇所を指でなぞった。
自然に風化した跡ではない。
鋭い道具で、意図的に削り取られている。
誰かが、この部分だけを読めなくしたのだ。
「どうして、わざわざ消したんだろう」
涼音が呟く。
「知られたくないことが書かれていたのか。それとも、読める人間を限定したかったのか……」
和人は、杖の宝石を見つめた。
赤い光は、先ほどよりも強くなっていた。
涼音の剣も、青い光を放っている。
そして、壁画の中央に描かれた結晶が、二人の光に応えるように淡く輝いた。
その瞬間、和人の頭の中に、かすかな声が響いた。
――二つの力を持つ者よ。
「……っ!」
和人は思わず頭を押さえた。
「和人!? どうしたの?」
「今、声が……いや、気のせいかもしれない」
「また宝石が何かを伝えてきたの?」
「分からない。でも、確かに聞こえたんだ。二つの力を持つ者、って」
涼音は自分の剣を見つめた。
「私にも、何か聞こえた気がする。はっきりとは分からなかったけど……」
二人はしばらく黙っていた。
これまで、宝石が光ることは何度もあった。
しかし、声を聞いたのは初めてだった。
ただの反応ではない。
宝石は、二人に何かを伝えようとしているのかもしれない。
「……先へ進もう」
和人は静かに言った。
「答えは、奥にある気がする」
通路の最奥に、巨大な扉が現れた。
扉の表面には、無数の結晶が埋め込まれている。
中央には、三つの宝石を組み合わせた紋章。
そして、その下には四つのくぼみがあった。
和人は息を呑んだ。
「四つ……」
ディストラ。
マダスカス。
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
これまでに判明している四つの石の名が、脳裏をよぎる。
もしかすると、このくぼみは、それらを収めるためのものなのだろうか。
しかし、二人はまだ、その確証を持っていなかった。
「試してみる?」
涼音が尋ねた。
「いや、待ってくれ。むやみに触るのは危険だ」
和人は扉の周囲を調べた。
古代文字の中に、繰り返し現れる記号がある。
その記号は、入口の紋章にも描かれていた。
剣と杖に二つの力。
そして、中央に空いた場所。
「……なるほど。宝石をはめ込むんじゃない」
「え?」
「この紋章、剣と杖が向かい合ってるんだ。二つの宝石を近づけることで、何かが起きる仕組みなのかもしれない」
和人は自分の杖を見た。
涼音も、剣を握り直した。
「危険だったら、すぐに離すわ」
「ああ。せーのでやろう」
二人はそれぞれの武器を構え、宝石を扉の中央へ近づけた。
「せーの……!」
赤い光と青い光が、同時に強まった。
扉の表面に刻まれた文字が、一斉に輝き始める。
――ゴゴゴゴゴ……!
重い振動が遺跡全体を揺らした。
扉の中央に、細い光の線が走る。
そして、ゆっくりと左右に開いていった。
その向こうに広がっていたのは、これまでの遺跡とはまるで異なる空間だった。
天井は、見上げても全体が見渡せないほど高かった。
そこから無数の結晶が垂れ下がり、床にも巨大な結晶が幾重にも突き出している。
青白い光が空間全体に満ち、無数の光点が、まるで夜空の星のように瞬いていた。
「……きれい」
涼音が、思わず呟いた。
そこは、遺跡というよりも、神聖な場所だった。
結晶の一つ一つが、まるで意思を持っているかのように光を放っている。
和人は周囲を見渡した。
広間の中央には、円形の台座があった。
その向こうには、巨大な石像が立っている。
人の形をしているようにも見えるが、全身が結晶で覆われ、顔の部分は滑らかな仮面のようになっていた。
「……あれは?」
涼音が石像を見上げた。
その瞬間。
ドン……。
広間の奥から、低い音が響いた。
ドン……。
もう一度。
床が震え、天井から細かな結晶の破片が落ちてくる。
「和人、下がって!」
涼音が剣を構えた。
石像の胸部に、青白い光が灯る。
次の瞬間、石像の頭がゆっくりと動いた。
ギギギギ……。
硬いものが擦れる音が、広間に響き渡る。
両腕が持ち上がった。
その手には、巨大な斧が握られていた。
全身を覆う結晶が光を増し、石像の足元から、魔力の波が広がっていく。
和人は杖を構えた。
「……こいつ、守護者か!」
石像の胸部に刻まれた文字が、赤く点滅した。
そして、頭上に古代文字が浮かび上がる。
和人には読めなかった。
だが、次の瞬間、頭の中に意味だけが流れ込んできた。
――侵入者を排除せよ。
「……やっぱり、敵か!」
守護者が一歩踏み出した。
床が砕け、結晶が震える。
古代の守護者、クリスタル・ガーディアン。
その巨体が、二人へ向かって動き出した。
「涼音、正面は任せる! 俺が弱点を探す!」
「分かった! でも、長くは持たないわよ!」
涼音は地面を蹴った。
水の魔力を剣にまとわせ、一気に間合いを詰める。
「はあっ!」
剣が守護者の脚を斬りつけた。
――キィン!
甲高い音が響く。
刃は弾かれ、結晶の表面には傷一つついていなかった。
「硬すぎる……!」
守護者が斧を振り下ろす。
涼音は横へ跳んだ。
轟音とともに床が砕け、破片が四方へ飛び散る。
「うわっ!」
和人は咄嗟に炎の壁を作り、飛んできた破片を防いだ。
だが、衝撃までは防ぎきれない。
足元が揺れ、和人は壁際まで押し戻された。
「なんて力だ……!」
守護者は、涼音を追うように斧を振り回した。
一撃一撃が重い。
しかも、攻撃のたびに床の結晶が共鳴し、足場が不安定になる。
涼音は攻撃を避けるだけで精いっぱいだった。
和人は、守護者の動きを観察した。
脚。
腕。
肩。
頭部。
どこも結晶で覆われている。
炎をぶつけても表面を焦がすだけで、決定的なダメージにはならない。
ならば、どうする。
力任せに攻撃を続ければ、魔力が尽きる。
涼音の体力にも限界がある。
このままでは、いずれ二人とも追い詰められる。
「……何かあるはずだ」
和人は目を細めた。
守護者の胸部。
そこだけ、結晶の色がわずかに違っていた。
周囲の結晶が透明に近い青白さを持つのに対し、胸の中央には、濃い青色の結晶が埋め込まれている。
そして、守護者が斧を振るうたび、その結晶が脈打つように光っていた。
「涼音! 胸の中央を見てくれ!」
「胸?」
「青く光っている結晶だ! あれがあいつの核かもしれない!」
涼音は守護者の攻撃をかわしながら、胸部を確認した。
「確かに、あそこだけ光り方が違う!」
「核を破壊すれば止まる可能性がある! ただし、普通に斬っても届かない!」
「じゃあ、どうするの?」
「一度、動きを止める! 俺が隙を作るから、その間に核を狙ってくれ!」
「……分かった。失敗したら、二人とも危ないわよ!」
「分かってる!」
和人は杖を握りしめた。
炎を放つ。
しかし、先ほどと同じように、広範囲を焼き尽くすような魔法は使わない。
守護者の足元にある結晶の配置を見極め、床に刻まれた紋様へ狙いを定めた。
「炎よ、走れ!」
細い炎が床を駆け抜け、守護者の片足を囲むように広がった。
熱に反応した結晶が、次々と赤く光り始める。
守護者の動きが、一瞬だけ鈍った。
「今だ、涼音!」
涼音が駆け出す。
守護者はすぐに斧を持ち上げ、彼女を迎え撃とうとした。
だが、足元の結晶が不規則に光り、巨体の動きがわずかに乱れる。
その一瞬。
涼音は、守護者の懐へ飛び込んだ。
「これで……!」
剣が青い光をまとった。
水の魔力が刃に集まり、細い水流となって剣身を覆う。
だが、核まではまだ届かない。
守護者の腕が動き、巨大な斧が横から迫ってきた。
「涼音!」
和人は反射的に炎を放った。
炎が守護者の顔面を覆い、視界を奪う。
同時に、和人の膝がわずかに揺れた。
魔力を使いすぎている。
息が苦しい。
それでも、ここで止まるわけにはいかなかった。
「……頼む、届いてくれ!」
和人は残った魔力を杖へ集中させた。
涼音の剣に、赤い光が重なる。
炎と水。
相反する二つの力が、剣の周囲で渦を巻いた。
涼音は歯を食いしばり、守護者の胸部へ刃を突き立てた。
「はあああっ!」
――ズドンッ!
剣が結晶に食い込む。
青い核に、細い亀裂が走った。
一本。二本。
そして――。
パキィィィン!
核が砕け散った。
守護者の巨体が、ぴたりと停止した。
掲げられていた斧が、ゆっくりと床へ落ちる。
――ドォン!
広間に重い音が響いた。
その直後、守護者の全身を覆っていた結晶が、次々と崩れ落ち始めた。
大きな破片が床に転がり、青白い光が少しずつ消えていく。
最後に残ったのは、石の骨格と、巨大な斧だけだった。
やがて、広間は静寂に包まれた。
「……倒した、のか?」
和人は膝に手をつき、荒い息を吐いた。
「たぶん……ね」
涼音も剣を下ろした。
彼女の額には汗が浮かび、呼吸も乱れている。
「和人、魔力は?」
「……ほとんど残ってない。今、強い魔法を使えって言われたら、たぶん無理だ」
「なら、少し休みましょう。私も足が震えてる」
「同感……」
二人は床に腰を下ろした。
勝った。
だが、圧倒的な力でねじ伏せたわけではない。
相手の仕組みを見極め、わずかな隙を作り、二人の力を重ねてようやく倒せたのだ。
和人は、崩れ落ちた守護者を見つめた。
「……こいつ、ただの魔物じゃなかったな」
「ええ。遺跡を守るために造られた存在だったんだと思う」
「それなら、なぜ俺たちを攻撃したんだろう」
「侵入者だと思われたからじゃない?」
「でも、入口の扉は俺たちが開けた。しかも、宝石に反応していたんだ」
和人は、守護者の胸に残された破片を見た。
核が砕けた場所には、細い文字が刻まれていた。
その文字は、戦闘が終わった今も、かすかに光っている。
「……守護者を動かしていたのは、核だけじゃなかったのかもしれない」
和人は立ち上がった。
「先へ行こう。あいつが守っていたものを確かめたい」
守護者の背後には、小さな石造りの台座があった。
その中央に、一つの宝石が置かれている。
和人は、思わず息を呑んだ。
赤でも青でもない。
緑でも、紫でもない。
見る角度によって、色が変化する不思議な宝石だった。
正面から見ると淡い銀色。
少し角度を変えると、深い紫色。
さらに光を受けると、透明な水晶のように輝く。
宝石の内部には、細い光の筋が幾重にも重なっていた。
まるで、星空を閉じ込めたかのようだった。
「……これが、バロックの探している宝石?」
涼音が呟いた。
「たぶんな。でも、ただの宝石じゃない」
和人は慎重に近づいた。
その瞬間、杖の赤い宝石が強く光り始めた。
続いて、涼音の剣に埋め込まれた青い宝石も輝きを増す。
台座の宝石が、二つの光に呼応した。
赤。青。
そして、色を変え続ける第三の光。
三つの光が重なった瞬間、遺跡全体が大きく震えた。
――ゴゴゴゴゴ……!
「またか!」
和人は一歩後退した。
壁に刻まれた古代文字が、次々と光り始める。
床の紋様が明滅し、天井の結晶が共鳴するように鳴り響いた。
しかし、今度は不思議なことが起きた。
台座の宝石が、和人の杖と涼音の剣に向かって、細い光を伸ばしたのだ。
二本の光は、それぞれの宝石を包み込む。
そして――。
和人の視界に、見知らぬ光景が浮かび上がった。
巨大な都市。
空を覆うほどの塔。
地上を走る、無数の光の線。
そして、都市の中央にそびえる巨大な門。
門の前には、剣を持つ人物と、杖を持つ人物が立っていた。
その姿は、先ほど壁画で見た二人に似ていた。
だが、二人の背後には、無数の人影が並んでいた。
人間。
魔法使い。
そして、人間とは異なる姿をした者たち。
彼らは皆、巨大な門を見つめていた。
次の瞬間、光景が揺らいだ。
門の向こうから、黒い影が溢れ出す。
都市を覆う光が消え、人々が逃げ惑う。
そして、誰かの声が響いた。
――選ぶのは、石ではない。
――石が選ぶのだ。
「……っ!」
和人は、はっと我に返った。目の前には、台座と宝石がある。
涼音が心配そうに覗き込んでいた。
「和人! 大丈夫?」
「今……何かが見えた」
「私も。知らない街と、大きな門が……」
二人は顔を見合わせた。
同じ光景を見た。
偶然とは考えにくい。
「……これ、ただの記憶じゃない。誰かが見たものを、俺たちに見せたんじゃないか?」
「古代文明の記録?」
「たぶんな。でも、どうして俺たちに?」
和人は台座の宝石を見つめた。
宝石は、何事もなかったかのように静かに輝いている。
彼はゆっくりと手を伸ばした。
触れる直前、指先に温かさを感じた。
不思議と、恐怖はなかった。
ただ、胸の奥に、懐かしさに似た感覚が広がっていく。
そして、宝石に触れた瞬間。
――認証を開始します。
頭の中に、今度ははっきりとした声が響いた。
和人は息を止めた。
機械のように無機質な声だった。
だが、その奥には、長い眠りから目覚めた何かの意思が感じられた。
――第一継承者、確認。
――第二継承者、確認。
――適合反応、検出。
――選別を開始します。
「……選別?」
和人が呟いた、その瞬間。
宝石の光が強まった。
涼音の剣も、青い光を放つ。
二人の足元に、円形の魔法陣が浮かび上がった。
そこには、四つの紋章が描かれていた。
ディストラ。
マダスカス。
デモンズスピリッツ。
メイクトゥルー。
そして、その中央に、新たな紋章が現れた。
剣と杖が交差し、その間に、一つの結晶が浮かんでいる。
和人は、その紋章を見つめた。
「……今までの石は、全部ここにつながっているのか?」
涼音は答えなかった。
彼女もまた、目の前の光景に圧倒されていた。
魔法陣が一度だけ強く輝く。
そして、すべての光が消えた。
残ったのは、台座の上に置かれた宝石だけだった。
宝石の横には、一本の石碑が立っていた。
和人は腰の袋から紙と筆を取り出し、刻まれた古代文字を写し始めた。
すべてを読み解くことはできない。
それでも、いくつかの単語は、これまでの遺跡で見た文字と共通していた。
「……二つの力……選ばれし者……三つ目の鍵……」
和人は、そこで筆を止めた。
「また、三つ目の鍵か……」
「前の遺跡でも、似たようなことが書かれていたわね」
「ああ。でも、今回の記述は少し違う」
和人は、文字の並びを指でなぞった。
「ここには、『鍵は門を開く。だが、門の向こうにあるものを選ぶのは、鍵ではない』って書かれているように見える」
「門の向こうにあるものを選ぶ?」
「正確な意味は分からない。でも、石を手に入れれば何でもできる、って話じゃなさそうだ」
涼音は台座の宝石を見つめた。
「だったら、この石は何のためにあるの?」
「……まだ分からない。ただ、守護者が守っていたことを考えると、簡単に持ち出していいものじゃない気がする」
和人はしばらく考え込んだ。
宝石を手に入れれば、バロックの目的を阻止できるかもしれない。
しかし、石碑の内容を読む限り、この宝石は単なる魔法道具ではない。
古代文明が残した、何らかの仕組みの一部だ。
それを持ち出せば、別の遺跡に影響が出る可能性もある。
「涼音。もし、この宝石を持ち帰ったら、何かが変わるかもしれない」
「ええ。だけど、ここに置いたままでも、バロックが見つけたら同じことになるかもしれない」
「……そうなんだよな」
二人は、しばらく宝石を見つめていた。
やがて涼音が、静かに口を開いた。
「私たちが手に入れた石は、どれも危険な力を持っていた。でも、知らないまま誰かに渡すわけにはいかない」
「ああ。持ち出すなら、必ず正体を突き止める。力を使うためじゃなく、何が起きるのかを知るために」
和人は台ああ座に手を伸ばした。
宝石は、抵抗することなく彼の手の中へ収まった。
その瞬間、遺跡の壁が淡く光った。
台座の底から、薄い石板がせり上がってくる。
「まだ何かある……!」
涼音が身構えた。
しかし、石板には攻撃の仕掛けも、魔法の発動もなかった。
ただ、古代文字が刻まれているだけだった。
和人は石板を持ち上げ、光にかざした。
その表面には、遺跡の地図らしき図形が描かれていた。
中央には、巨大な門。
その周囲には、四つの石を示す紋章。
そして、地図の一番外側には、デュランダルとヴァリアスの境界線に似た線が引かれていた。
「……やっぱり、二つの国は関係してる」
和人の声が震えた。
「この遺跡も、ヴァリアスで見つけた遺跡も、同じ仕組みの一部なんだ。もしかすると、両国の国宝そのものが、古代文明の装置に関係しているのかもしれない」
「じゃあ、八百年も続いている戦争は……」
涼音は言葉を止めた。
その先を口にするのが、怖かった。
もし、ディストラとマダスカスが、ただの国宝ではなかったら。
もし、両国が奪い合ってきたものが、古代文明の何かを起動させるための鍵だったら。
八百年もの間、人々が信じてきた戦争の理由そのものが、間違っている可能性がある。
「……まだ決めつけるのは早い」
和人は、自分に言い聞かせるように言った。
「でも、調べる必要はある。これ以上、何も知らずに戦争に巻き込まれるわけにはいかない」
涼音は静かに頷いた。
二人は石板を慎重に包み、宝石を袋へしまった。
これで目的は果たした。
そう思った、そのときだった。
遺跡の奥から、低い音が響いた。
――ゴォン……。
二人は振り返った。
壁に刻まれた文字が、再び淡く光っている。
そして、遠く離れた場所から、もう一度、鐘のような音が響いた。
――ゴォン……。
今度は、遺跡の外から聞こえたような気がした。
「……何の音?」
涼音が呟く。
和人は、袋の中の宝石を確かめた。
宝石は、静かに輝いていた。
「分からない。でも、これ以上ここにいるのは危険かもしれない」
二人は、急いで遺跡の出口へ向かった。
森を抜けるころには、空が赤く染まり始めていた。
馬のもとへ戻った二人は、宝石と石板を確かめてから、コリン村への道を急いだ。
行きとは違い、帰り道では鳥の声が聞こえていた。
森の静けさも、少しずつ戻りつつある。
しかし、和人の胸に残る不安は消えなかった。
あの守護者は、何を守っていたのか。
宝石は、なぜ二人を選んだのか。
そして、古代文明が残した門の向こうには、何があるのか。
考えても、答えは出ない。
「……和人」
隣を走る涼音が、声をかけた。
「大丈夫?」
「ああ。ちょっと考え事をしてただけ」
「無理しないでね。さっきの戦い、かなり魔力を使っていたでしょ」
「涼音だって、危なかったじゃないか」
「だから、お互い様ってこと」
涼音は小さく笑った。
「村に戻ったら、まずは休みましょう。それから、石板の解読と、バロックへの対応を考える」
「そうだな。……でも、あいつが素直に待っていてくれるとは思えない」
「私もそう思う」
その言葉どおり、村の入口が見えてきた瞬間、二人は異変に気づいた。
門の前に、兵士が増えている。
しかも、村の外には武装した冒険者たちが集まっていた。
昨日、遺跡へ向かった者たちの姿もある。
彼らは二人の姿を見つけると、ざわめき始めた。
「戻ってきたぞ!」
「領主様に知らせろ!」
「本当に、あいつらが宝石を……?」
和人は手綱を引き、馬を止めた。
「……何だよ、これ」
涼音も周囲を見渡した。
「私たちが戻ってくるのを、待っていたみたいね」
そのとき、人垣が左右に分かれた。
奥から、一人の男が歩いてくる。
バロックだった。
豪華な衣服に身を包み、指にはいくつもの宝石が光っている。
だが、昨日の余裕たっぷりの笑みは消えていた。
彼は和人と涼音の顔を見たあと、二人の手元へ視線を落とした。
和人は、反射的に宝石を隠すように袋を押さえた。
その動作を見た瞬間、バロックの表情が変わった。
「……見つけたのだな」
声が低くなる。
「その宝石を、こちらへ渡してもらおう」
「どうして、俺たちが宝石を見つけたと分かったんです?」
和人が尋ねた。
バロックは答えなかった。
ただ、宝石の入った袋を見つめている。
「領主様。宝石を渡せば、村の税を引き下げるという約束でしたね?」
涼音が、落ち着いた声で言った。
「もちろんだ。約束は守ろう」
「なら、先に税を下げる命令を出してください。村の人たちが苦しんでいるのは、あなたも知っているはずです」
バロックの眉が、ぴくりと動いた。
「……剣士殿。君は自分の立場を理解しているのかね?」
「理解しています。だからこそ、約束を確認しているんです」
周囲の兵士たちが、一斉に槍を構えた。
冒険者たちも、不安そうに互いの顔を見合わせる。
和人は、涼音の前へ半歩出た。
「俺たちは、宝石の正体をまだ調べているところです。危険なものかもしれない。あなたに渡す前に、少し時間をください」
「時間だと?」
バロックの声が鋭くなった。
「君たちは、私の依頼を受けて遺跡へ向かったはずだ。見つけたものは、依頼主である私に渡す。それが筋というものだろう」
「あなたは、宝石がどんなものか知っているんですか?」
和人は、バロックの目を見つめた。
「本当に古代魔法を操れる石なのか。それとも、別の何かを起こすためのものなのか。あなたは、それを理解しているんですか?」
バロックは黙り込んだ。
その沈黙が、答えだった。
彼は宝石の伝承を知っている。
だが、その正体までは知らない。
それでも、手に入れようとしている。
和人は確信した。
この男は、宝石を求めているのではない。
宝石によって得られると信じている、何かを求めているのだ。
「……君たちには、少し勘違いがあるようだ」
バロックは、ゆっくりと口を開いた。
「私は、宝石を手に入れるために君たちを雇ったのではない」
「……何?」
「私は、宝石が目覚める条件を確かめるために、君たちを遺跡へ向かわせたのだ」
和人の背筋が凍った。
涼音も、息を呑む。
「どういう意味ですか?」
和人が問い返す。
バロックは、二人の持つ杖と剣を交互に見た。
「その武器に埋め込まれた宝石……。昨日、遺跡が反応したのも、君たちがそこへ近づいたからだろう?」
和人は、言葉を失った。
なぜ、バロックがそれを知っているのか。
昨日の遺跡での異変を、彼は見ていたのか。
それとも――。
「……誰から聞いた?」
和人が低く尋ねた。
バロックは、初めて笑った。
しかし、その笑みは昨日までのものとは違っていた。
「私に知恵を授けてくれた人物がいるのだよ。古代文字に詳しく、遺跡の仕組みを知る人物がね」
和人の脳裏に、黒いローブの人物が浮かんだ。
宝石を見つめていた、あの不気味な視線。
まさか、あいつが……。
「その人物は、今どこにいるんです?」
和人が尋ねた瞬間、バロックの背後に立つ兵士たちが道を開けた。
一人の人物が、ゆっくりと姿を現す。
黒いローブ。
顔の半分を覆う影。
そして、宝石だけを見つめる、静かな瞳。
昨日、遺跡で見た人物だった。
黒いローブの人物は、和人と涼音の前で足を止めた。
「見事だったな。守護者を倒し、石を手に入れるとは」
その声は、思っていたよりも若かった。
男なのか、女なのかも分からない。
ただ、その声には、二人が遺跡で聞いた声と同じ、奇妙な響きがあった。
「……お前は何者だ?」
和人が尋ねた。
黒いローブの人物は、答える代わりに、和人の手元へ視線を落とした。
「その宝石は、君たちが思っているようなものではない」
「どういうことだ?」
「それは、力を与えるための宝石ではない。古代文明が残した、選別のための宝石だ」
その言葉に、和人は息を呑んだ。
遺跡の台座で見た光景。
頭の中に響いた声。
――石が選ぶのだ。
あの言葉が、脳裏によみがえる。
黒いローブの人物は、ゆっくりと顔を上げた。
「そして、君たちはすでに選ばれている」
その瞬間、和人の杖が赤く光った。
涼音の剣も、青い光を放つ。
袋の中の宝石が、それに呼応するように輝き始めた。
バロックが、驚いたように後退する。
「な、何が起きている!?」
しかし、黒いローブの人物だけは動じなかった。
まるで、この反応を最初から知っていたかのように。
「……ようやく、次の段階へ進める」
その呟きは、誰に向けられたものだったのか。
和人には分からなかった。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
この人物は、宝石の正体を知っている。
そして、バロックさえも、何かの計画に利用されている可能性がある。
村人たちの苦しみ。
領主の欲望。
古代遺跡に眠る宝石。
それらは、別々の問題ではなかったのかもしれない。
和人は、宝石を握りしめた。
元の世界へ帰るために、古代文明の謎を解き明かす。
その目的は、変わらない。
だが今、二人は知ってしまった。
自分たちが、この世界の誰も知らないはずの何かに、選ばれてしまったということを。
そして、その選別は――まだ終わっていない。
黒いローブの人物が、静かに告げた。
「次は、君たち自身が試される番だ」
コリン村に、冷たい風が吹き抜けた。
その風の中で、和人と涼音の宝石は、消えることのない光を放ち続けていた。




