第7章 重税の村コリン――欲望に囚われた領主と、古代遺跡の宝石
メイクトゥルーを発見してから数日。
涼音の傷はようやく塞がり、長い移動にも耐えられるまでに回復していた。
宿の一室に広げられた地図を、和人と涼音は向かい合って見つめていた。
地図の上には、これまで二人が訪れた遺跡の位置が記されている。
ヴァリアス領内に点在する古代遺跡。そして、その探索で手に入れた三つの石。
ディストラ。マダスカス。デモンズスピリッツ。
さらに、古代魔術師が人々の幸福を願って作ったという、メイクトゥルー。
四つの名が、和人の頭の中で何度も繰り返される。
「……やっぱり、偶然じゃないよな」
和人は地図の端を指でなぞった。
「ディストラとマダスカスは、八百年も続いている戦争の原因になってる。デモンズスピリッツは、古代文字に世界を滅ぼしかねない力があるって書かれていた。メイクトゥルーは、使う人間によって幸福にも厄災にもなる……」
「どれも、ただの魔法道具じゃないってことね」
涼音は腕を組み、地図に目を落とした。
「それに、メイクトゥルーを作った魔術師は、どうしてわざわざ遺跡の奥に石を隠したんだろう。人々の幸福を願って作ったなら、もっと簡単に使えるようにしてもよさそうなのに」
「それは俺も気になってる。願いを叶える石なのに、簡単には手に入らない。しかも、古代文字には代償を思わせる記述まであった」
メイクトゥルーを手にしたとき、和人の脳裏に響いた声。
――願いを……。
あの声の続きを、彼はまだ知らない。
そして、石に触れた瞬間に感じた温かさも、ただの幻だったとは思えなかった。
「ヴァリアス側の遺跡は、これまで調べられるだけ調べた。残っている場所もあるけど、今の俺たちじゃ手掛かりが足りない」
「だったら、次はデュランダルね」
涼音は迷いなく言った。
「マダスカスがある国だから、何か分かるかもしれない。それに、向こうにも古代遺跡があるはず」
「……実は、俺もそう思ってた」
和人は地図の反対側に目を向けた。
そこには、デュランダルの領域を示す古い境界線が描かれている。
その向こうには、まだ足を踏み入れていない土地が広がっていた。
今までの探索で分かったのは、四つの石が存在するということだけではない。
石の力は、互いに呼応する。
遺跡の壁画には、現代の国々が使うものとは異なる紋章が刻まれていた。
そして何より、二人がこの世界に来る前から続いていたはずの戦争が、古代の石と深く関係している可能性がある。
ならば、もう一方の国を調べない理由はなかった。
「よし。次の目的地はデュランダル。まずは国境を越えて、マダスカスについて調べよう」
「賛成。ただし、今度は怪我をする前に相談すること」
「……はい」
「返事が軽い」
「いや、ちゃんと反省してます」
涼音の視線が鋭くなる。
和人は両手を上げた。
「本当に! この前は悪かった。あんな無茶はもうしない」
「ならいいけど」
涼音は少しだけ表情を緩めた。
「私だって、和人に一人で無茶をされるのは嫌だから」
その言葉に、和人は一瞬返事を忘れた。
「……お互い様ってことか」
「そういうこと」
二人は地図を畳み、旅支度を始めた。
まだ知らないことばかりだ。
けれど、少なくとも次に進むべき道は決まった。
その先で待ち受けているものが、二人の想像をはるかに超えているとも知らずに。
デュランダルへ向かう街道は、ヴァリアス領内の道と比べて起伏が多かった。
森と岩山が交互に現れ、ところどころには、かつての戦争で破壊されたらしい石造りの見張り台が残っている。
馬の手綱を握りながら、和人は遠くの山並みを眺めていた。
そのときだった。
――ドォォン……!
地面を揺らすような爆発音が、遠方から響いてきた。
二人は同時に手綱を引いた。
「今の音……」
涼音が音のした方角を見つめる。
しばらくして、再び爆発音が響いた。
――ドンッ!
一度目より短く、鋭い音だった。
さらに少し間を置いて。
――ズドォォン……!
森の向こうで、鳥の群れが一斉に飛び立った。
「戦争にしては、妙じゃないか?」
和人は眉をひそめた。
「砲撃にしても、音の間隔が不規則すぎる。それに、普通ならもっと連続して聞こえるはずだ」
「魔法による攻撃じゃないの?」
「その可能性もある。でも、あの音……何かを狙って撃っているというより、何かを壊そうとしているように聞こえた」
涼音は剣の柄に手を添えた。
「確認しに行く?」
「いや、今はやめておこう。俺たちの目的は遺跡の調査だ。無関係な戦闘に巻き込まれたら、また計画が狂う」
「珍しく慎重ね」
「前に無茶をしたことを、もう忘れたのか?」
「忘れてないから言ってるの」
涼音は小さく笑った。
和人も苦笑し、再び馬を歩かせた。
爆発音は、やがて聞こえなくなった。
だが、二人がその場を離れたあとも、遠くの森では、何かが地面を削るような低い音が続いていた。
その音の正体を、二人はまだ知らない。
そして、その音が古代遺跡と無関係ではないことも。
昼を過ぎたころ、二人は川辺で馬を休ませることにした。
水面は穏やかで、木々の間から差し込む光が、流れの上で揺れている。
和人は水筒に水を汲みながら、川の流れをじっと見つめた。
「……水魔法って、まだ慣れないな」
「火魔法はあれだけ使えるのに?」
「火は勢いで何とかなるんだよ。水は違う。まあ火属性と対極にある属性だし、力を込めすぎると散るし、弱すぎると形にならない」
「それ、魔法使いとしてどうなの?」
「俺に聞かれても困る」
和人は水面に指先を向けた。
小さな水の球が浮かび上がる。
だが、次の瞬間には形が崩れ、ぱしゃりと水面に落ちた。
「……あっ」
「ふふっ」
「笑うなよ!」
「ごめんごめん。でも、前よりは上達してると思うよ」
涼音は馬の首を撫でながら言った。
「少なくとも、前は水を浮かせようとして自分の顔にかけてたでしょ?」
「それは忘れてくれ!」
二人の笑い声が、川辺に響いた。
この世界に来てから、戦闘や遺跡の謎ばかりを追いかけてきた。
こうして何気ない時間を過ごせることが、今は妙に貴重に感じられる。
和人は水筒の蓋を閉め、涼音に差し出した。
「ほら。飲むか?」
「ありがとう」
涼音が水筒を受け取る。
その手が、ほんの一瞬だけ和人の指に触れた。
二人は特に何も言わなかった。
けれど、以前なら当たり前だった小さなやり取りが、今では互いの存在を確かめるような時間になっていた。
「……絶対に帰ろうね」
水筒を返しながら、涼音が呟いた。
「ああ。そうだな、絶対に」
和人は迷わず答えた。
元の世界に戻る。
それだけは、どんな謎が立ちはだかっても変わらない。
二人は馬に乗り、再び街道を進んだ。
夕方前。
街道沿いに広がる集落が見えてきた。
コリン村。
地図によれば、デュランダルの領内にある比較的大きな村で、街道を行き来する商人たちの中継地にもなっているらしい。
遠目には、石造りの家々が並び、外周には頑丈な柵が巡らされている。
しかし、村の入口に近づいた和人は、すぐに違和感を覚えた。
「……なんだ、あれ」
門の前には、武装した兵士が五人も立っていた。
そのうちの一人が、馬上の二人を見つけると、槍を横に構えた。
「止まれ。コリン村へ入るなら通行税を払え」
「通行税?」
和人は思わず聞き返した。
「そうだ。人間一人につき銀貨三枚。馬は一頭につき銀貨五枚だ」
「なんだそれ?……ずいぶん高くないか?」
「文句があるなら引き返せ」
兵士は、和人の言葉を聞く気もないらしい。
涼音がそっと和人の袖を引いた。
「ここで揉めるのは得策じゃないわ」
「……分かってる」
和人は渋々、必要な銀貨を数えて渡した。
兵士は硬貨を確認すると、無造作に懐へしまった。
「次!」
まるで、二人が払った金など最初から当然のものだったかのような態度だった。
門をくぐった和人は、思わず振り返った。
「村に入るだけで、あんなに取るのか……」
「しかも、兵士の態度が変だった」
涼音も周囲を警戒するように視線を動かしていた。
「村を守るためというより、村人を監視しているみたい」
村の中へ進むにつれ、その違和感はさらに強くなった。
コリン村は、決して小さくない。
街道沿いには商店が並び、広場には荷車が通れるほどの道幅もある。少し離れた場所には畑が広がり、家畜を飼っている家も見受けられた。
それなのに、市場には商品が少なかった。
野菜を並べた露店には、しなびた根菜がわずかに置かれているだけ。布屋の棚はほとんど空で、食料品店の主人は客が来ても笑顔を見せない。
道端で遊んでいた子供たちは痩せており、兵士の足音が聞こえるたびに、怯えたように店の陰へ隠れていった。
農民らしき男たちが数人、荷車のそばで話していた。
「今月も、また税が上がるらしいぞ」
「声が大きい。聞かれたらどうする」
「だが、これ以上は……」
男はそこで口をつぐんだ。
道の向こうから、兵士がこちらを見ていたからだ。
和人は足を止めた。
「……村そのものは大きいのに、活気がない」
「ええ。みんな、何かに怯えてるみたい」
涼音の声も沈んでいた。
「戦争の影響だけじゃない。何か別の理由がある」
そのとき、近くの家から小さな女の子が飛び出してきた。
手には、半分に割れたパンが握られている。
女の子は母親らしい女性に呼び戻されると、慌てて家の中へ消えていった。
その背中を見つめながら、和人は拳を握りかけた。
だが、すぐに力を抜いた。
ここで感情に任せて騒ぎを起こしても、村人を助けられるとは限らない。
まずは事情を知る必要がある。
「とりあえず宿を探そう。情報を集めるなら、そこが一番だ」
「賛成。あまり目立たないようにね」
二人は人通りの少ない路地へ入り、宿屋を探した。
宿屋は村の中心部から少し外れた場所にあった。
建物は古く、壁の塗装も剥がれていたが、旅人が泊まるには十分そうだった。
中へ入ると、食堂には数人の客がいた。
しかし、誰も楽しそうに話していない。
食事をする者は黙々と皿を空にし、酒を飲む男たちも、声を潜めて話していた。
二人が部屋を取ろうとすると、宿の主人が申し訳なさそうに言った。
「すみませんね。宿泊代も、先月から値上がりしまして……」
「ここも税金の影響ですか?」
和人が尋ねると、主人の顔から笑みが消えた。
「……旅のお方。そういう話は、あまり大きな声でしないほうがいい」
主人は周囲を確かめてから、ようやく声を落とした。
「この村は、昔はもっと賑やかだったんです。前の領主様は、少なくとも村人の暮らしを考えてくださる方でした」
「その領主は、どうしたんですか?」
涼音が尋ねる。
「戦争で亡くなられました。デュランダル軍がヴァリアス軍と衝突したときに……。そのあと、この土地を任されたのがバロック様です」
「バロック?」
「ええ。新しい領主様です。就任してからというもの、税が何度も引き上げられましてね。最初は戦争のためだと言われていましたが……」
主人は言葉を切った。
「今では、誰もそんなことを信じていません」
「どうしてです?」
和人が尋ねると、主人は厨房の方へ目を向けた。
誰も聞いていないことを確認してから、さらに声を落とす。
「領主様は、兵士だけでなく、傭兵や冒険者まで雇っているんです。しかも、戦場へ送るわけじゃない。森の奥にある古い遺跡へ、何度も人を送り込んでいる」
和人と涼音は、一瞬だけ目を合わせた。
「……遺跡、ですか?」
「そうです。何を探しているのかは分かりません。戻ってきた者は、ほとんど口を閉ざしています。中には、戻ってこなかった者もいるそうです」
主人はため息をついた。
「それでも領主様は探索をやめない。費用が足りなければ、税を上げる。村人が反対すれば、兵士が家までやってくる。今じゃ、みんな自分の暮らしを守るだけで精いっぱいですよ」
和人は、テーブルの下で指を組んだ。
遺跡に古代文字と宝石。
ここ数日、追い続けてきた謎と、あまりにも符合する。
「領主館はどこにありますか?」
和人が尋ねた。
宿の主人は、ぎょっとした顔で二人を見た。
「まさか、バロック様に会うつもりですか?」
「話を聞きたいだけです」
「おやめなさい。あの方は、自分に都合のいい人間しか相手にしません。逆らった者がどうなるか……」
主人はそれ以上、言わなかった。
代わりに、震える手で二人の部屋の鍵を差し出した。
「どうか、無事に旅を続けてください。あなた方まで、この村に縛られる必要はありません」
和人は鍵を受け取った。
「ありがとうございます。気をつけます」
宿の主人の忠告は、もっともだった。
だが、ここで引き返せば、古代遺跡に関する手掛かりを失うかもしれない。
それに、村人が苦しんでいる理由を知ってしまった以上、見なかったことにもできなかった。
翌朝を待つつもりだった二人だが、夕食を終えるころ、思いがけない話を耳にした。
食堂の隅に座っていた冒険者たちが、酒を飲みながら話していたのだ。
「明日の探索、報酬は本当に倍になるんだろうな?」
「ああ。領主様が直接出すらしい。遺跡の奥にある宝石さえ見つければ、ひと財産だ」
「宝石って、どんな代物だ?」
「さあな。ただの宝石じゃないらしいぜ。古代文字を読み解いて、古代魔法を操るためのものだとか」
「そんなものが本当にあるのか?」
「知らねえよ。だが、領主様は大金をつぎ込んでる。嘘だとしても、引き返せないんだろ」
男たちは笑った。
しかし、その笑い声には、どこか無理があった。
「前回の連中はどうなった?」
「……さあな。戻ってきた奴は、何も話さなかった。それどころか、一人は村を出てから姿を消したって話だ」
和人は、手にしていた杯をそっと置いた。
涼音も、会話を聞き逃さないように耳を傾けていた。
「古代文字を読み解く宝石……」
和人が小さく呟く。
「本当にそんな力があるなら、私たちの持っている石とも関係があるかもしれない」
「そうだな。しかも、領主が探している石の正体は分かっていない。だからこそ、先に見つけて確かめたい」
「でも、バロックに渡すわけにはいかないわね」
「ああ。村人から税を搾り取ってまで探しているんだ。あいつに渡したら、何に使うか分からない」
そのとき、食堂の入口が開いた。
武装した兵士が二人、店内へ入ってくる。
「明日の探索に参加する者は、領主館へ来い。地図と指示を渡す。遅れた者は報酬を受け取れないと思え」
冒険者たちは不満そうに顔を見合わせたが、誰も逆らわなかった。
兵士たちが出ていくと、食堂には重苦しい沈黙が戻った。
和人は涼音に視線を送った。
「……行こう。領主館へ」
「ええ。ただし、敵に回すのは情報を集めてからね」
「分かってる。俺たちは宝石の調査に来たんだ。領主と喧嘩をするためじゃない」
そう言いながらも、和人の胸には嫌な予感が残っていた。
遺跡の探索に、これほどの金をかける領主。
しかも、村人の生活を犠牲にしてまで。
彼が求めているのは、本当に古代魔法を操るための宝石だけなのだろうか。
領主館は、村の北側に建てられていた。
周囲を高い石壁に囲まれ、入口には武装した兵士が立っている。
館の外観は立派だったが、壁の一部には新しい補修の跡があり、庭の隅には、荷車から降ろされたらしい木箱が積まれていた。
箱の側面には、見慣れない古代文字が刻まれている。
和人が目を留めた、その瞬間。
「そこの二人、何を見ている?」
門番の声が飛んできた。
「領主様にお会いしたい。遺跡の探索について話があるんだ」
「名前と所属を言え」
「旅の魔法使い、和人です。こちらは剣士の涼音」
門番は二人を値踏みするように眺めた。
「……待っていろ」
しばらくして、二人は館の中へ通された。
案内された部屋は、豪華というより、雑然としていた。
大きな机の上には、古代文字が記された書物、折り目だらけの地図、遺跡の見取り図が積み重なっている。壁には、見慣れない紋章が描かれた板や、宝石らしきもののスケッチが何枚も掛けられていた。
その中の一枚を見た瞬間、和人は息を止めた。
そこに描かれていたのは、以前、ヴァリアス領内の遺跡で見たものとよく似た紋章だった。
ただし、細部が違う。
ヴァリアスで見た紋章が三つの石を囲む形だったのに対し、こちらは中央の石を、剣のような線が貫いていた。
「……こいつ、何か知ってる」
和人は胸の内で呟いた。
「おや。そんなに私の部屋が珍しいかね?」
低く、よく通る声が響いた。
机の向こうに座っていた男が、ゆっくりと立ち上がる。
領主のバロックだった。
噂どおり、腹回りは大きく、指にはいくつもの装飾品が光っていた。高価そうな衣服をまとい、顔には余裕たっぷりの笑みを浮かべている。
だが、その目だけは笑っていなかった。
和人は、机に置かれた資料へ視線を向けた。
古代文字の写し。
遺跡の構造図。
傭兵への報酬を記した書類。
そして、宝石の絵。
ただの欲深い貴族が、気まぐれに集めた資料とは思えなかった。
「あなたがバロック領主ですか?」
「いかにも。私がこの土地を預かっているバロックだ。君たちは、遺跡の探索に興味があるそうだね?」
「どうしてそう思うんです?」
「この村に来る旅人は二種類しかいない。税を払って通り過ぎる者と、何かを探している者だ。君たちは後者の目をしている」
バロックは、和人と涼音を交互に見た。
「特に君だ、魔法使い。先ほどから私の資料を見ている。古代文字に心当たりがあるのではないかね?」
和人は、すぐには答えなかった。
こちらの情報をどこまで明かすべきか。
相手が何を知っているのかも分からない以上、慎重になる必要がある。
「古代文字には興味があります。ただ、ここにあるものを見ただけで、何か分かるわけじゃありません」
「なるほど。用心深いな」
バロックは、面白がるように口元を歪めた。
「ならば、率直に話そう。私は今、ある古代遺跡を調査している。そこには、古代魔法を扱うための特別な宝石が眠っているという伝承があるのだ」
「宝石……」
涼音が小さく反応した。
バロックは、その反応を見逃さなかった。
「知っているのかね?」
「いいえ。話の続きを聞かせてください」
涼音は平然と答えた。
バロックは椅子に腰を下ろし、机の上の地図を広げた。
「この遺跡は、長年にわたって誰も攻略できなかった。内部には魔物が棲みつき、入り口の古代文字も解読できない。私の兵士や雇った冒険者を送り込んでも、奥へ進めずに戻ってくるばかりだ」
「それで、税を上げて探索費用を集めているんですか?」
和人の問いに、バロックの笑みがわずかに消えた。
「その話、誰から聞いた?」
「村を歩けば分かります。通行税は高い。市場には商品が少ない。村人は兵士の顔色ばかりうかがっている」
「……ふむ」
バロックは指を組んだ。
「君たちは、私が悪政を敷いていると言いたいのかね?」
「そう見える、と言っているだけです」
「若いのに、口が達者だな」
バロックは鼻で笑った。
「戦争で前任者が死に、この土地を立て直すには金が必要だった。だが、それだけではない。私は、この遺跡の価値を理解している。ここで得られるものが、村の税収程度の金とは比べものにならないとね」
その言葉には、隠しきれない欲望が滲んでいた。
「では、なぜ自分で遺跡へ行かないんです?」
涼音が尋ねる。
「領主には領主の仕事がある。危険な場所に、私自身が足を運ぶ必要はない」
「つまり、危険は他人に押しつけるわけだ」
「物事には役割というものがあるのだよ、剣士殿」
バロックは気にした様子もなく続けた。
「だが、君たちなら話は別だ。君は魔法使い。そちらは剣士。腕にも覚えがあるようだ。遺跡の奥まで進めるかもしれない」
「それで、私たちに何をさせたいのですか?」
和人が尋ねた。
バロックは、地図の一点を指で叩いた。
「この遺跡の最奥にある宝石を見つけ、私のもとへ持ち帰ってほしい。成功すれば、相応の報酬を支払おう。さらに、君たちが望むなら、コリン村の税を引き下げることも約束する」
和人は眉をひそめた。
「税を、引き下げる?」
「そうだ。私が命じれば済む話だからな」
村人たちの顔が脳裏に浮かんだ。
痩せた子供たち。
客に笑顔を見せない店主。
兵士を見ただけで口を閉ざした農民。
もし本当に税が下がるのなら、彼らの生活は少しでも楽になるかもしれない。
だが――。
「どうして、そこまでその宝石にこだわるんです?」
和人はバロックを見据えた。
「古代魔法を扱うための宝石なら、手に入れたあと、あなたは何に使うつもりなんですか?」
一瞬、部屋の空気が変わった。
バロックの目から笑みが消える。
だが、すぐに彼は口角を上げた。
「知識を得るためだよ。古代の技術を手にすれば、国にとっても有益だろう。魔法の研究が進めば、戦争の行方を変えることさえできるかもしれない」
「それは、村の人たちのためですか?」
「もちろん、と言いたいところだがね」
バロックは肩をすくめた。
「力を持たぬ者が、力を持つ者の善意に期待しても仕方がない。世の中は、そういうものだ」
和人は、その言葉を聞いて確信した。
この男に宝石を渡せば、村人のために使われる保証などない。
そもそも、彼自身が宝石の正体を理解していないのだ。
古代魔法を扱うための石。
それは伝承にすぎず、実際にどんな力が眠っているのか、バロックにも分かっていない。
それでも彼は、莫大な金を投じて探し続けている。
まるで、手に入れれば自分の望みがすべて叶うと信じているかのように。
「……考えさせてください」
和人は慎重に答えた。
「もちろんだ。明日の朝、私は探索隊を送り出す。参加するなら、夜明け前に館へ来たまえ」
バロックは地図を一枚取り出し、和人へ差し出した。
「遺跡の位置と、これまでの探索で分かったことを記してある。君たちの役に立つはずだ」
「ありがとうございます」
「期待しているよ。君たちのような人間が、私の役に立ってくれることをね」
最後の言葉に、和人はわずかな違和感を覚えた。
この男は、二人を信用していない。
それどころか、最初から何かを試しているようにも見えた。
和人と涼音は資料を受け取り、領主館をあとにした。
宿へ戻ると、二人は部屋の扉を閉め、窓の鍵まで確かめた。
「……どう思う?」
和人が尋ねると、涼音はすぐに答えた。
「宝石を渡すのは反対。あの領主、村人の暮らしより、自分が何を手に入れられるかしか考えていない」
「俺も同じ意見だ。ただ、遺跡そのものは気になる」
和人は、バロックから渡された地図を机の上に広げた。
「この宝石が、ディストラやマダスカス、デモンズスピリッツ、メイクトゥルーと関係している可能性がある。もしそうなら、ここで手掛かりを逃すわけにはいかない」
「つまり、領主の依頼は受けるふりをする?」
「そう。宝石を探すという目的だけは共有する。でも、見つけても渡さない」
「……ばれたら面倒なことになりそうね」
「だから、二人だけの秘密だ」
涼音は少し考えてから、頷いた。
「分かった。だけど、村人のことも忘れないで。宝石を持ち帰れば税を下げるって約束、あれが本当なら利用する価値はある」
「そうだな。俺たちが宝石を手に入れたとしても、村の問題がそれで全部解決するわけじゃない。でも、何かを変えるきっかけにはできるかもしれない」
和人は地図に目を落とした。
遺跡の位置には、赤い印がつけられていた。
その周囲には、過去に探索した者が記したらしい線や、読めない文字が書き込まれている。
しかし、和人はすぐに妙な点に気づいた。
「……待てよ」
「どうしたの?」
「この地図、何かおかしい」
和人は、バロックの地図と、ヴァリアスで手に入れた古い地図を並べた。
縮尺も描き方も異なる二枚の地図。
それでも、共通する山脈や川を手掛かりに重ね合わせていくと、あることが見えてきた。
ヴァリアス側の遺跡と、そして、デュランダル側の遺跡。
それぞれの位置を結ぶと、いくつもの線が、地図の中央付近へ向かって伸びている。
しかも、そこには不自然な空白があった。
まるで、誰かが意図的にその場所だけを消したかのように。
「遺跡って……点在してるんじゃなくて、何かを囲んでるんじゃないか?」
和人の呟きに、涼音は身を乗り出した。
「本当だ。こっちの遺跡と、こっちの遺跡……。地図の縮尺が違うのに、位置関係が妙に一致してる」
「偶然にしてはできすぎてる。古代文明は、遺跡を適当に建てたんじゃない。何かを囲むために配置した可能性がある」
「その中心にあるのが、消された場所?」
「たぶんな。誰が消したのかは分からないけど」
和人は、地図の空白を指でなぞった。
そこには、かすかな引っかき傷が残っていた。
文字を削り取ったような跡だ。
よく見ると、その下に、ごく薄い線が残っている。
だが、文字として読むことはできなかった。
「……誰かが、ここを知られたくなかったのかな」
涼音が静かに言った。
「それとも、知られてはいけない場所だったのか」
和人は、メイクトゥルーのことを思い出した。
願いを現実にする石。
正しい者が使えば幸福への道へ、悪しき者が使えば厄災への道へ。
もし、あの石が古代文明の遺産の一つにすぎないのだとしたら。
その文明には、いったいどれほどの力があったのだろう。
「明日、誰よりも早く遺跡へ行こう」
和人は地図を畳んだ。
「バロックの探索隊が到着する前に、できるだけ中を調べたい」
「賛成。ただし、今回は慎重に。前みたいに、危険を見つけてから考えるのはなしだからね」
「分かってるって」
「本当に?」
「……努力します」
「そこは断言してよ」
二人は小さく笑った。
だが、その笑いは長く続かなかった。
窓の外から、重い足音が聞こえてきたのだ。
兵士たちが宿の前を通り過ぎていく。
その数は、一人や二人ではない。
鎧の擦れる音に混じって、こんな声が聞こえた。
「明日の探索隊は予定どおりだ。遺跡に入る者は、領主様の指示に従え。勝手な行動は許されない」
足音が遠ざかる。
和人は、涼音と目を合わせた。
「……思ったより、監視が厳しいな」
「ええ。私たちが何かを見つけることを、領主は本当に期待しているのかしら」
「さあな。ただ、宝石を持ち帰ったとき、あいつがどんな顔をするかは見ものだ」
「その前に、無事に戻ってこないとね」
涼音の言葉に、和人は頷いた。
その夜、二人は交代で休みながら、翌朝の出発に備えた。
空がまだ薄暗いうちに、和人と涼音は宿を出た。
村の通りには人影がほとんどなく、窓も扉も固く閉ざされている。
門番に見つからないように、二人は村の裏手にある細い道を選んだ。
「この道なら、少なくとも領主館の正面を通らずに森へ出られる」
和人が地図を確かめながら言った。
「ただ、遺跡までの道は途中から不明瞭になるわ。地図だけを頼りに進むのは危険ね」
「分かってる。地形を見ながら進もう」
二人は村を抜け、森の中へ入った。
朝露に濡れた草が足元を覆い、木々の間には薄い霧が漂っている。
鳥の声は聞こえる。
しかし、どこか遠くから、時折、地面を叩くような低い音が響いていた。
昨日の爆発音を思い出し、和人は足を止めかけた。
「……気になる?」
涼音が尋ねる。
「ああ。でも、今は遺跡を優先しよう」
「そうね。必要なら、帰りに調べればいい」
そのまま進むこと、しばらく。
前方の木々の間に、人影が見えた。
和人は反射的に手を上げ、涼音に停止の合図を送った。
木の陰から様子をうかがう。
そこにいたのは、昨夜、宿の食堂で見かけた冒険者たちだった。
数人の男たちが、荷物を背負って森の奥へ進んでいる。
さらに、その後ろには武装した兵士たちが続いていた。
「……先を越されたか」
和人が小声で呟いた。
「領主の探索隊ね。やっぱり、私たちだけで先行するのは無理だったみたい」
「ここで引き返すわけにもいかない。距離を取って追いかけよう」
「でも、見つかったら?」
「そのときは、遺跡の調査に協力するふりをする。余計な戦闘は避けたい」
涼音は頷いた。
二人は木々の陰を利用しながら、探索隊の後を追った。
やがて森は深くなり、道らしい道も消えていった。
それでも探索隊は迷うことなく進んでいる。
どうやら、バロックはこれまでの調査で、遺跡の場所だけは正確に把握していたらしい。
その事実に、和人は小さな疑問を覚えた。
遺跡の場所を知っている。
内部の危険も、ある程度は把握している。
それなのに、なぜ探索は失敗し続けているのか。
単に魔物が強いからなのか。
それとも、遺跡そのものに、彼らが知らない仕掛けがあるのか。
その答えは、森を抜けた先にあった。
木々が途切れた瞬間、二人は思わず息を呑んだ。
そこには、巨大な石造建築物がそびえ立っていた。
山の斜面に埋め込まれるように建てられた遺跡。
その形は、これまで見てきた神殿とはまるで違っていた。
建物全体が、一本の巨大な剣を地面に突き刺したような形をしているのだ。
左右に広がる石壁は、剣の鍔を思わせる。中央の塔は細長く天へ伸び、先端は雲を貫くほど鋭く尖っている。
表面には無数の古代文字が刻まれ、長い年月を経てもなお、消えずに残っていた。
「……すごい」
涼音が呟いた。
「こんな形の遺跡、初めて見た」
和人も言葉を失っていた。
ヴァリアスで見つけた遺跡は、神殿や祭壇に近い造りだった。
だが、ここは違う。
祈りのための建物というより、何かを封じ込めるために造られた場所に見える。
巨大な剣を思わせる外観も、偶然とは思えなかった。
和人は入口へ近づいた。
門の上には、古代文字とともに、あの紋章が刻まれていた。
三つの石を囲むような形。
そして、その中央を貫く一本の線。
ヴァリアスの地図と、バロックの資料に描かれていたものと同じ紋章だ。
「やっぱり、繋がってる……」
和人が手を伸ばした、その瞬間。
杖の先端に埋め込まれた赤い宝石が、淡く光り始めた。
「和人、宝石が!」
涼音の剣に埋め込まれた青い宝石も、同じように光を放っている。
赤と青。
二つの光が呼応し、遺跡の門に刻まれた文字を照らし出した。
その直後だった。
――ゴォン……。
遺跡の奥から、低い鐘の音のような響きが伝わってきた。
和人と涼音は、同時に顔を上げた。
門の奥。
暗闇の中に、もう一つの光が浮かび上がっていた。
赤でも青でもない。
第三の光。
その色は、二人がデモンズスピリッツを見つけたときの光に、どこか似ていた。
「……まさか」
和人は杖を握り直した。
三つの光が、互いを引き寄せるように揺らめく。
次の瞬間、地面が低く震えた。
遺跡の表面に刻まれた古代文字が、一つ、また一つと光り始める。
長い眠りについていた何かが、目を覚まそうとしている。
「……これ、俺たちを待ってたんじゃないか?」
和人の声は、知らず知らずのうちに小さくなっていた。
涼音は剣を構えたまま、遺跡の奥を見つめる。
「だとしたら、私たちが来たことを、どうして分かったの?」
「分からない。でも、この反応……俺たちの宝石にだけ起きている」
遺跡の門が、ゆっくりと軋んだ。
ほんのわずかに、隙間が開く。
その向こうから、冷たい風が吹き抜けてきた。
風に混じって、聞き取れないほど微かな声が響いた気がした。
――継承者。
和人は息を呑んだ。
だが、声の正体を確かめるより早く。
「ようやく見つけたぞ」
背後から、男の声が響いた。
二人は振り返った。
そこには、バロック直属の兵士たちが並んでいた。
冒険者たちも、少し離れた場所で足を止めている。
隊列の先頭に立つ兵士が、二人を見て槍を構えた。
「領主様の許可なく、遺跡に近づくとはな。話はあとで聞かせてもらう」
「……最初から、俺たちを監視していたのか?」
和人が低く尋ねる。
「我々は領主様の命令に従っただけだ」
兵士はそれ以上、答えなかった。
だが、和人の視線は、兵士たちのさらに後ろへと向いていた。
冒険者たちの中に、一人だけ、見覚えのない人物が立っていた。
黒いローブを頭からすっぽりとかぶり、顔の半分を影に隠している。
武器を持っている様子もなく、ほかの冒険者と会話を交わすこともない。
ただ一人、静かにこちらを見つめていた。
いや――正確には、和人と涼音を見ているのではなかった。
その視線は、二人の手元に注がれていた。
赤い宝石。
青い宝石。
そして、遺跡の奥で輝く第三の光。
黒いローブの人物は、遺跡の巨大な門には目もくれなかった。
まるで、遺跡が目覚めたことなど、最初から分かっていたかのように。
その人物の口元が、ほんのわずかに動いた。
「……二つ、揃ったか」
風に紛れ、その声は誰にも届かなかった。
ただ、ローブの奥に隠された瞳だけが、妖しく光っていた。
和人は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
バロックは宝石を探している。
兵士たちは遺跡を包囲している。
そして、あの黒いローブの人物は――宝石そのものを見ている。
誰が味方で、誰が敵なのか。
まだ、何一つ分からない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
この遺跡を巡る争いは、ただの宝探しでは終わらない。
そして二人の旅は、今、これまでとは違う段階へ踏み込もうとしていた。
――古代文明が残した、封印の扉。
その向こうに眠るものは、二人を元の世界へ帰す手掛かりなのか。
それとも、世界そのものを変えてしまう厄災なのか。
答えはまだ、暗闇の中にあった。




