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第5章 第三の宝石――神殿に眠る「帰還」の鍵

和人と涼音が戦場から姿を消した、その夜。

二人は、再びそれぞれの国へと戻っていた。

もちろん、元の居場所に戻るためではない。

二人が欲しかったのは、戦争の勝敗でも、王国での地位でもなかった。

――元の世界へ帰る方法。

その手掛かりを見つけるため、二人は危険を承知で敵味方の陣営へ戻ったのだ。


「捕虜になっていた、か……」


ヴァリアス王国へ戻った和人は、自分が口にした説明を思い返していた。

戦場の混乱に乗じて敵に捕らえられ、隙を見て逃げ出した。

そう説明すれば、ひとまずは不自然ではない。

しかし、エリスの目をごまかしきれたとは思っていなかった。

あの女性は、こちらが隠し事をしていると気づけば、納得するまで追及してくる。


「……まあ、疑われるのは覚悟の上だ」


和人は杖を握り直した。

赤い宝石は、以前よりもわずかに強い光を宿している。

前回に水の魔導書を手に入れて以来、杖には不思議な変化が起きていた。

炎を操るための道具だったはずの杖が、水の魔力にも反応するようになったのだ。

そして、戦場で涼音と再会したとき。

二人の宝石は、まるで互いを呼び合うように輝いた。


「……偶然じゃないよな」


答えは返ってこない。

だが、和人には確信に近い予感があった。

この世界に召喚されたことも、二人が別々の国に現れたことも、そして二つの宝石を手にしたことも。

すべてが、何かにつながっている。

その何かを知るには、もう一度、危険な場所へ足を踏み入れる必要があった。

一方、その頃。

デュランダル王国の城門をくぐった涼音も、同じような嘘を口にしていた。


「涼音!」


聞き覚えのある声に振り返る。

そこにいたのは、騎士団長のアリシアだった。


「アリシア……!」


「無事だったのね。本当に心配したのよ」


アリシアは安堵したように息を吐き、涼音の肩をつかんだ。


「怪我は? どこか痛むところはない?」


「大丈夫。ちょっと、ひどい目には遭ったけどね」


「何があったの?」


涼音は一瞬だけ視線を落とした。

本当のことを話すわけにはいかない。

自分が敵国の魔導士と共に戦場を離れたことを知られれば、これまで築いてきたアリシアとの信頼は崩れてしまうだろう。


「……ヴァリアスに捕まっていたの」


「捕虜に?」


「ええ。戦闘中に孤立して、そのままね。何とか隙を見つけて逃げ出してきたの」


アリシアは厳しい表情で涼音を見つめた。


「よく戻ってきてくれたわ」


その言葉に、涼音の胸が痛んだ。


「……ありがとう」


嘘を重ねるたびに、帰るべき場所が遠くなっていく気がした。

それでも、今は進むしかない。

二人が元の世界へ帰るためには、この世界の秘密を解き明かさなければならないのだから。

その夜、涼音は自室のベッドに腰掛け、窓の外を眺めていた。

城壁の向こうには、兵士たちの松明が揺れている。

戦争は終わっていない。

そして、自分はその戦争の両側に、大切な人を置いてきてしまった。


「和人……ちゃんと調べてるかな」


きっと彼も、同じことを考えている。

そう思うと、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。

涼音は立ち上がり、部屋の扉をそっと開けた。

目指す場所は、城の奥にある王立書庫。

普段は騎士が自由に出入りできる場所ではない。

ましてや、秘宝や召喚に関する記録が保管されている区画は、限られた者にしか閲覧が許されていなかった。


「……見つかったら、言い訳できないわね」


それでも引き返すつもりはなかった。

夜警の交代を待ち、廊下の陰を抜ける。

やがて、重厚な扉の前にたどり着いた。

鍵は掛かっていたが、古い扉の錠前は長年の使用で傷んでいる。

涼音は短く息を吐き、腰の剣を抜かずに柄の先を差し込んだ。

カチリ。

小さな音がして、扉が開いた。


「よし……!」


中には、天井まで届く本棚が幾重にも並んでいた。

歴史書、戦術書、古代語の辞典、失われた魔法の記録。

その量を目にした瞬間、涼音は思わず頭を抱えた。


「これ、全部読むの……? 和人なら喜びそうだけど」


すぐに苦笑する。


「……今は、あいつがうらやましいわね」


涼音は書物を調べ始めた。

探しているのは、二つの秘宝――マダスカスとディストラ。

そして、召喚、神殿、宝石、帰還に関する記録だ。

しばらくして、一冊の古書の間から、折り畳まれた羊皮紙が滑り落ちた。


「ん? これは……」


広げると、そこには古い地図が描かれていた。

デュランダル王国だけでなく、周辺の森林、山脈、湖、そして現在の地図には存在しない遺跡まで記されている。

地図の各所には、小さな神殿の印があった。


「神殿が……こんなに?」


そのうちの一つには、赤と青の二重円が描かれていた。

さらに、その隣には、見慣れない第三の印。

三つの小さな点が、三角形を作るように配置されている。

涼音は、思わず自分の剣に手を添えた。

鞘の中で、宝石が微かに熱を帯びていた。


「……まさかね」


偶然だと片付けるには、あまりにも気になる一致だった。

涼音は地図を慎重に折り畳み、懐へしまった。

さらに奥の棚を調べると、鎖で留められた古文書が見つかった。

表紙には、デュランダル王国の古い文字で、こう記されている。


『秘宝マダスカスに関する記録』


「これよ……!」


鎖の留め具を外し、ページを開く。

そこには、マダスカスについての記録が残されていた。


――マダスカスは、剣の国デュランダルに伝わる秘宝である。

――魔力を受け入れることで、内に秘めた力を解放する。

――その力は、強大な魔物を呼び寄せ、あるいは従わせることさえ可能とする。


涼音は眉をひそめた。


「魔物を……従わせる?」


剣を主体とするデュランダルでは、魔法を扱える者は限られている。

それなのに、秘宝の力を引き出すには魔力が必要だという。

まるで、使い手がいないことを前提に作られたかのようだった。

さらにページをめくると、気になる一文が目に入った。


――マダスカスとディストラは、かつて一つの力を分かち合ったものである。


「二つは、もともと一つだった……?」


その先は、何者かによって切り取られていた。

涼音は唇を噛んだ。


「肝心なところがないじゃない……!」


誰が記録を切り取ったのか。

なぜ、秘宝についての重要な記述が失われているのか。

そして、なぜ二つの国は八百年もの間、秘宝を巡って戦い続けているのか。

その答えは、書庫の中にはなかった。

だが、地図と古文書は確かな手掛かりだった。

涼音は書物を元の位置に戻し、誰にも見つからないように書庫を後にした。

その頃、ヴァリアス王国でも、和人が同じような調査を進めていた。

二人はまだ知らない。

別々の国で手に入れた地図が、同じ場所へと導いていることを。


数日後。

両国の中間地点にある平原では、再び大規模な戦闘が始まろうとしていた。

デュランダル軍の陣営では、アリシアが地図を広げていた。

その隣には、涼音が立っている。


「敵の魔法兵は、詠唱に時間が必要なのね?」


「ええ。だから、部隊を交互に運用するはずよ」


涼音は地図の上を指でなぞった。


「片方が攻撃している間に、もう片方が次の詠唱を終える。攻撃と準備を交互に繰り返せば、魔法兵の隙は少なくなるわ。それに交互に詠唱することによって魔法使いには不得意な接近戦にも対応してくる」


「なら、こちらはどう動くべき?」


「正面から突っ込むだけじゃ駄目。敵の攻撃を受け止める部隊と、左右から回り込む部隊に分けるの」


涼音は二つの翼を描くように、地図へ線を引いた。


「中央で敵を引きつけて、左右から包み込む。相手の陣形を崩してから、一気に押し込むのよ」


「鶴翼の陣(かくよくのじん)……というわけね」


「そんなところ」


アリシアはしばらく考え込んだ。


「敵が予想以上に強かった場合は?」


「深追いしないこと。左右の部隊が敵を包囲することに固執すると、中央が孤立する。退路を確保しながら、少しずつ敵の陣形を崩すの」


涼音は、あえて最後の言葉を強調した。

この作戦は、敵を全滅させるためのものではない。

両軍の損害を抑え、戦場に生まれる隙間を作るためのものでもあった。


「……分かったわ」


アリシアは地図を畳んだ。


「あなたの作戦を採用する。だけど、無茶はしないで」


「もちろん」


「本当に?」


「……できるだけ」


アリシアは呆れたように笑った。


「そこは、絶対って言いなさいよ」


涼音も笑った。

しかし、その笑顔はすぐに消えた。

アリシアは自分を信じている。

その信頼を裏切りたくはないが胸が苦しむ。

それでも、涼音には確かめなければならないことがあった。

――和人と一緒に、帰るために。

同じ頃、ヴァリアス軍の陣営でも作戦会議が開かれていた。


「和人、あなたの考えた陣形、実戦で試すわよ」


エリスが地図を指差した。


「第一部隊が攻撃した後、第二部隊が交代する。詠唱時間を確保しながら、敵を押し返す……というわけね」


「ああ。ただ、相手が左右から回り込んできたら、中央の部隊は無理に前進しない方がいい。後退しながら陣形を整えた方が被害を抑えられる」


「随分と慎重ね」


「勝つために、兵士を無駄死にさせる必要はないだろ」


エリスは、和人の顔をじっと見つめた。


「……あなた、以前より戦争に慣れたわね」


「慣れたくて慣れたわけじゃないけどな」


和人は苦笑した。

本当は、戦場で誰かを傷つけることにも、命が失われることにも、まだ慣れていなかった。

だからこそ、作戦で減らせる犠牲は減らしたい。

そして、もう一つ。

次の戦場には、きっと涼音がいる。

上手く再会できるかどうかは分からない。

それでも、もし会えたなら――今度こそ、この戦いから二人で抜け出す。

それが和人の、誰にも明かしていない目的だった。


「作戦開始は、夜明けと同時よ」


エリスの言葉に、和人は頷いた。


「分かった」


杖の赤い宝石が、微かに輝いた。

その光の奥に、青い輝きが一瞬だけ浮かんだことを、和人自身もまだ気づいていなかった。


夜明け。

両軍の角笛が、平原に響き渡った。

ヴァリアス軍が進軍を開始し、魔法兵たちは隊列を整えながら詠唱を始める。


「第一部隊、構え!」


号令とともに、炎、風、土の魔法が次々と放たれた。

轟音が響き、平原の土が跳ね上がる。

対するデュランダル軍は、盾を構えて前進した。

魔法の雨を受けながらも、剣士たちは少しずつ距離を詰めてくる。

接近戦になれば、剣を主体とするデュランダル軍が有利だ。

だからこそ、ヴァリアス軍は敵を近づけてはならなかった。


「第二部隊、前へ!」


第一部隊が後退すると同時に、第二部隊が攻撃を開始する。

その間に、第一部隊は次の詠唱に入っていた。

魔法が途切れる時間は、ほとんどない。


「なるほど……確実に敵兵の進行を鈍らせているわ」


エリスが戦況を見渡した。


「これなら、敵に立て直す隙を与えずに済むわね」


しかし、デュランダル軍も黙ってはいなかった。


「左右に展開! 中央を突破するな!」


アリシアの号令が響く。

騎士たちが左右へ広がり、ヴァリアス軍の側面へ回り込もうとした。

その動きを見て、和人は杖を構える。


「させるか!」


赤い宝石が輝いた。


「ファイヤーウォール!」


地面から炎の壁が立ち上がり、デュランダル軍の進路を遮る。


「うわっ!」


「迂回しろ! 炎の向こうへ回れ!」


兵士たちが足を止めた、その瞬間。


「第二部隊、撃て!」


エリスの号令とともに、魔法が一斉に放たれた。

デュランダル軍は盾を構えて後退する。

作戦は見事に機能していた。

だが、和人は炎の向こうに見えた一人の騎士の姿に、息を呑んだ。


「……涼音!」


鎧の隙間から覗く顔。

見間違えるはずがない。

彼女もまた、こちらに気づいたようだった。

その瞬間、涼音の剣に埋め込まれた宝石が光を放つ。

和人の杖も、強く輝いた。


「また、この反応……!」


二つの光は、戦場の喧騒を越えて互いを呼び合っている。

だが、今回はそれだけではなかった。

涼音の剣が震えた。

和人の杖も、手の中で小さく鳴る。

そして二人の視界の端に、一瞬だけ奇妙な光景が浮かんだ。

崩れた石造りの神殿に三つの台座。

そして、その中央に、見知らぬ宝石が浮かんでいる。


『――三つ目の鍵を探せ』


誰かの声が聞こえた気がした。


「……今のは?」


和人が呟いた瞬間、幻影は消えた。

涼音も同じものを見たのか、目を見開いている。

二人の間に、確かな予感が走った。

この戦場では、答えは見つからない。

だが、あの神殿なら――。


「涼音!」


和人は、炎の壁の向こうへ声を張り上げた。

しかし、爆発音にかき消される。

涼音は剣を握り直した。


「……ここで終わらせるわけにはいかない!」


彼女は敵兵の間を駆け抜けた。

剣で斬りつけることはせず、柄で武器を弾き、体勢を崩した兵士を避けて進む。

その目は、和人だけを追っていた。

一方、和人も周囲の兵士たちに気づかれないよう、杖を空へ向けた。


「フレイムバレット!」


炎の弾丸が、戦場の中央から大きく外れた場所へ飛んでいく。


「何だ!?」


「向こうで魔法が!」


兵士たちの視線が、一斉に逸れた。

その一瞬を、二人は逃さなかった。

戦場の外れにある、低い丘。

その陰に、和人が駆け込んだ。


「涼音!」


「和人!」


ようやく、二人は向き合った。


「無事だったんだな!」


「それ、私の台詞!」


涼音は和人の腕をつかみ、怪我がないか確かめる。


「ちょっと、痛いって!」


「黙って。確認してるの」


「はいはい……」


涼音は安堵したように息を吐いた。


「よかった……本当に」


その声は、いつもの軽口とは違っていた。

和人も、彼女の手を握り返した。


「俺も、会えてよかった」


二人はほんの数秒だけ、何も言わずに顔を見合わせた。

だが、遠くから兵士たちの怒号が聞こえてくる。

ここに長くはいられない。


「……状況を説明してる時間はないわね」


涼音が言った。


「ああ。両軍が追ってくる前に逃げよう」


「また一緒に逃げることになるとはね」


「俺たち、逃走の才能だけはあるのかもな」


「そんな才能、いらないわよ!」


小声で言い合いながら、二人は丘を越えた。

和人は杖を振り、遠くの地面に小さな炎を走らせる。

兵士たちの注意がそちらへ向いた。

涼音は水の魔力を足元に集める。

まだ使いこなせるわけではない。

それでも、地面に薄い水の膜を作り、滑るように身体を前へ押し出した。


「うわっ、速い!」


「転ばないでよ!」


「それ、俺が言う台詞だろ!」


二人は森へと駆け込んだ。

背後では、両軍が互いに相手の仕業だと考え、混乱が広がっている。

その隙に、二人は戦場から離れた。

やがて、木々の間から見慣れた村の屋根が見えてきた。

リンドス村。

以前、二人が身を寄せた小さな村だった。


「ここなら、しばらくは追っ手を避けられるかもしれない」


和人が言うと、涼音は頷いた。


「でも、今度は長居できないわ。私たちが戦場から消えたことは、すぐに知られるはず」


「分かってる」


和人は杖を握り締めた。


「だから、今度こそ答えを見つけよう。二つの秘宝と、俺たちの宝石。それから……帰る方法を」


涼音は微笑んだ。


「うん。絶対に見つけよう」


宿屋の一室。

二人は机の上に、それぞれが手に入れた古い地図を広げていた。


「……やっぱり、同じ地図ね」


涼音が驚いたように呟く。


「こっちも同じだ。神殿の位置まで一致してる」


和人は地図を重ね合わせた。

古い地図には、現在の地図には存在しない神殿がいくつも描かれている。

そして、その中の一つには、赤と青の二重円が記されていた。

その隣には、三つの点を結んだ三角形。


「私が見つけた古文書には、マダスカスとディストラは、もともと一つの力を分けたものだって書かれていたわ」


涼音が説明する。


「俺の方でも、似たような記録を見つけた。ディストラは膨大な魔力を蓄える秘宝らしい。ただ、二つが揃ったときに何が起きるのかは、はっきり書かれていなかった」


「八百年も戦争を続けているのに、肝心なことは誰も知らない……」


「もしかしたら、意図的に知らされていないだけなのかもしれない」


和人は、地図の端に描かれた古代文字を指でなぞった。


「二つの秘宝を奪い合うこと自体が、誰かの思惑だったとしたら?」


涼音は黙り込んだ。

両国が秘宝を巡って争い続けることで、何かが隠されている。

あるいは、誰かが秘宝を一つに戻させないようにしている。

どちらにしても、確かめる必要があった。


「……神殿へ行こう」


和人が言った。


「地図にある場所を、一つずつ調べるの?」


「そうしたいけど、時間がない。さっき戦場で、変なものを見なかったか?」


涼音の表情が変わった。


「三つの台座と、見たことのない宝石……」


「やっぱり、涼音も見たんだな」


二人は地図を見つめた。

すると涼音が、ある一点を指差した。


「ここ。リンドス村から、そんなに遠くないわ」


そこには、森に囲まれた神殿の印があった。


「村の人に聞いてみよう。何か知ってるかもしれない」


翌朝、二人は村人たちに神殿について尋ねて回った。

しかし、返ってくるのは曖昧な答えばかりだった。


「森の奥に、昔の神殿があるって話は聞いたことがあるな」


「昔は巡礼者が通っていたらしいが、今では魔物が出るから誰も近づかんよ」


「光る石があるって噂もあったねえ」


その言葉に、和人と涼音は顔を見合わせた。

そして、村の外れで薪を割っていた老婆が、二人を呼び止めた。


「お前さんたち、神殿を探しているのかい?」


「はい。何かご存じなんですか?」


老婆は斧を置き、森の奥を見つめた。


「若い頃に、一度だけ行ったことがあるよ。あそこには……脈打つように光る宝石があった」


「宝石……!」


「でも、近づいてはいけない。あれは、ただの石じゃない」


老婆の声が低くなった。


「昔、神殿へ入った者たちがいた。帰ってきたのは一人だけ。その者も、何を見たのか最後まで話そうとはしなかった」


「魔物に襲われたんですか?」


「さあね。ただ、その者はこう言っていたよ」


老婆は二人を見つめた。


「『神殿は、訪れる者を試している』と」


和人は、杖に埋め込まれた赤い宝石を見下ろした。

涼音も、剣に触れる。

二つの宝石が、微かに光っていた。


「……行こう」


和人が言った。


「うん」


涼音も頷いた。

恐怖がないわけではない。

それでも、二人には進む理由があった。

森の奥へ進むにつれ、木々は密度を増していった。

陽の光が遮られ、足元には湿った苔が広がっている。

鳥の声も、風の音も、いつの間にか消えていた。


「……静かすぎない?」


涼音が小声で尋ねる。


「確かに。魔物がいるって話なのに、気配がない」


和人は周囲を警戒しながら、地図を確認した。

やがて、巨大な石造りの建造物が姿を現した。

崩れた柱。

蔦に覆われた壁。

半分ほど崩れ落ちた屋根。

そして、正面にそびえる巨大な扉。

扉の中央には、赤、青、そして見知らぬ色の三つの円が刻まれていた。


「これ……」


涼音が剣を抜いた。


「地図にあった印と同じだわ」


和人は扉に手を触れた。

その瞬間、杖の宝石が輝いた。

続いて、涼音の剣が青い光を放つ。

二つの光が扉に吸い込まれるように走り、石の表面に古代文字が浮かび上がった。


『二つの継承者、ここに至る』


「継承者……?」


和人が読み上げた直後、扉が重い音を立てて開き始めた。


「待って。今、二つのって書いてあったよね?」


「俺たちのことを指してるのか……?」


二人は顔を見合わせた。

偶然で片付けるには、できすぎている。


「とにかく、慎重に行こう」


和人が杖を構え、涼音が剣を握り直した。

神殿の中は暗く、空気がひんやりと冷たかった。

壁には古代の壁画が残されている。

そこには、二つの光を手にした人物たちと、巨大な何かが描かれていた。

さらに奥には、三つの宝石を囲むように立つ人影。

そして、その向こうには、見たことのない世界が広がっていた。


「これ……俺たちがいた世界なのか?」


和人は思わず壁画に近づいた。

描かれた建物の形は、自分たちの世界のものに似ている。

しかし、確信は持てなかった。

そのときだった。

ズズズ……。

神殿の奥から、重いものが動く音が響いた。


「……今の、聞こえた?」


「ああ」


二人は同時に振り返った。

暗闇の中から、二つの目が浮かび上がる。

次の瞬間、巨大な魔獣が姿を現した。

獅子のような胴体。

蛇のように長い尾。

背中には巨大な翼があり、全身を青白い電撃が走っている。


「な、なんだよ、こいつ……!ラノベで見たことあるぞ!」


魔獣が咆哮した。


「グオオオオオオッ!」


空気が震え、石壁の欠片が床に落ちる。

涼音は剣を構えた。


「和人、下がって!」


魔獣が地面を蹴った。

次の瞬間、鋭い爪が和人のいた場所を砕く。


「危なっ……!」


涼音が和人の腕を引き、間一髪で攻撃を避けた。


「こいつ、雷をまとってる!」


「正面から近づくのは危険だ。俺が魔法を使うから、隙を作ってくれ!」


「了解!」


涼音は地面を蹴った。


「水よ――!」


剣から水の刃が生まれ、魔獣へと飛んでいく。

しかし、魔獣は翼を広げ、横へ跳んだ。

水の刃は石柱を砕き、壁に深い傷を刻む。


「速い……!」


魔獣が尾を振る。

青白い電撃が床を走り、涼音の足元へ迫った。


「くっ!」


涼音は剣を地面に突き立て、水の膜を広げた。

電撃の一部が逸れたものの、衝撃までは防ぎきれない。

身体が大きく弾き飛ばされた。


「涼音!」


「大丈夫! まだ動ける!」


だが、腕が痺れていた。

一撃でもまともに受ければ、戦闘不能になりかねない。

和人は魔獣の動きを観察した。

速さだけではない。

魔獣は二人の魔力に反応するように動いている。

和人が杖を構えると、魔獣の目が赤く光った。

涼音が剣を振るえば、その視線はすぐに彼女へ移る。


「……まさか、俺たちの魔力を見てるのか?」


「何でもいいから、早く答えを出して!」


「分かってる!」


和人は息を吸い込んだ。

炎で攻撃すれば、魔獣は避ける。

水の魔法を使っても、素早い動きに追いつけない。

ならば――避けられない状況を作るしかない。


「涼音! 正面から引きつけてくれ!」


「分かった!」


涼音は剣を構え、魔獣へ駆け出した。


「こっちよ!」


魔獣が彼女へ飛びかかる。

涼音は直前で身をひねり、剣から放った水の刃を床へ叩きつけた。

砕けた石が舞い上がる。

魔獣の視界が一瞬だけ遮られた。

その隙を、和人は逃さなかった。


「燃えろ――インシニレイト!」


赤い炎が魔獣の胴体を包み込む。


「グオオオオオッ!」


魔獣が激しく暴れ、雷撃をまき散らした。

炎が弾け、和人の身体にも熱風が押し寄せる。


「まだだ……!」


和人は杖を握り締めた。

だが、魔獣は倒れなかった。

炎を振り払うように翼を広げ、和人へ向かって突進してくる。


「和人、避けて!」


涼音が叫んだ。

和人は横へ飛び退いたが、魔獣の尾が杖をかすめた。

その衝撃で、杖が手から離れかける。


「しまっ……!」


魔獣が再び迫る。

そのとき、涼音の剣が青く輝いた。


「和人から、離れなさい!」


剣から放たれた水流が魔獣の脚に絡みつく。

ほんの一瞬。

だが、魔獣の動きが止まった。


「今だ!」


和人は杖を構え直し素早く詠唱をして魔法を放った。


「グレイトフレイムランス!」


炎の槍が一直線に放たれ、魔獣の胴体を貫く。

轟音。

閃光。

そして、静寂。

魔獣は大きくよろめき、ついに石床へと崩れ落ちた。

青白い電撃が弱まり、やがて消えていく。


「……倒した、のか?」


和人は荒い息を吐きながら、魔獣を見つめた。

涼音も剣を構えたまま、しばらく動かなかった。

やがて魔獣の身体が淡い光の粒へと変わり、少しずつ消えていった。


「消えた……?」


涼音が呟く。

その直後、神殿の奥から声が響いた。


『第一の試練、通過を確認』


「……は?」


和人は固まった。


「今、しゃべった?」


涼音は周囲を見回した。


「誰もいないわよね……?」


『炎の継承者。水の継承者。汝らの力は、まだ未完成である』


声は、壁の奥から聞こえてくるようだった。


『だが、二つの力が再びここへ至ったことは、記録された』


和人は唾を飲み込んだ。


「おい、待ってくれ! 俺たちのことを知ってるのか?」


返事はなかった。

代わりに、神殿の奥で一筋の光が灯った。

二人は警戒しながら、光の方へ進んだ。

たどり着いたのは、小さな祭壇の間だった。

中央には石造りの台座があり、その上に透明な箱が置かれている。

箱の中で、ひとつの宝石が淡く輝いていた。

赤でも青でもない。

金色とも白色ともつかない、不思議な色。

光が角度を変えるたびに、宝石の奥で星のような粒子が瞬いている。


「……綺麗」


涼音が息を呑んだ。

和人は杖を見下ろした。

赤い宝石が、今までにないほど強く輝いている。

涼音の剣も、青い光を放っていた。

そして、箱の中の宝石が三つ目の光を灯した。

その瞬間。

祭壇の間全体が震えた。


「な、何だ!?」


壁に刻まれた古代文字が、一斉に浮かび上がる。

三つの光が空中へ伸び、互いに結びついていった。

赤。

青。

そして、金色にも見える第三の光。

それらが一つの紋章を形作った。

和人は、息を呑んだ。

紋章の中央には、二人が見覚えのある形が描かれていた。

人間の世界へ通じる、扉のようなもの。


「これ……帰るための門なのか?」


涼音が和人の隣へ歩み寄った。


「もしかしたら、本当に……」


二人の胸に、初めて希望が生まれた。

しかし、壁に浮かんだ文字が、その期待に冷水を浴びせた。


『第三の鍵は、帰還への道を示す』


『ただし、門を開くには三つの力を揃えなければならない』


「三つの力……?」


和人は、箱の中の宝石を見つめた。


「俺たちの宝石と、この宝石のことか?」


だが、文字はそこで終わっていなかった。

その下に、さらに別の一文が浮かび上がる。


『二つの秘宝を一つに戻すとき、封じられしものもまた目覚める』


涼音の表情が強張った。


「……封じられしもの?」


和人は、以前書庫で読んだ記録を思い出した。

ディストラとマダスカス。

もともとは一つだったとされる、二つの秘宝。

それらを一つに戻すことが、帰還の条件なのだろうか。

だが、同時に何かを目覚めさせるという。


「待てよ……」


和人は祭壇を見つめた。


「もし、二つの秘宝を一つに戻したら、何が目覚めるんだ?」


答えはなかった。

そのとき、透明な箱に細い亀裂が走った。

ピシッ。


「えっ?」


涼音が身構える。

亀裂は少しずつ広がっていく。

和人は慌てて手を伸ばした。


「待って、壊れるぞ!」


しかし、箱は砕けなかった。

亀裂の隙間から、第三の宝石がゆっくりと浮かび上がった。

宝石は空中で静止し、和人と涼音の間を漂う。

まるで、どちらが手を伸ばすのかを待っているかのようだった。


「ねぇ……どうする?」


涼音が尋ねる。

和人は迷った。

この宝石が危険なものかもしれない。

神殿の守護者が、二人を試すために用意した罠かもしれない。

それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかなかった。


「俺が触る。何かあったら、すぐに止めてくれ」


「一人で決めないで」


涼音は和人の手首をつかんだ。


「二人でここまで来たんだから、二人で決めるの」


和人は一瞬、目を見開いた。

そして、笑った。


「……そうだな」


二人は同時に手を伸ばした。

指先が宝石に触れた瞬間。

世界が白く染まった。

二人の意識は、神殿から切り離された。

足元も、壁も、天井もない。

ただ、果てしない闇の中に、無数の光が浮かんでいる。


「涼音! どこだ!?」


「ここにいる!」


声は聞こえる。

だが、姿が見えない。

和人は手を伸ばした。

その指先に、かすかな温もりが触れる。

涼音の手だった。

二人が手をつないだ瞬間、闇の中に映像が浮かび上がった。

最初に見えたのは、巨大な神殿。

その中央に、三つの宝石が置かれている。

次に、二つの王国の姿が映った。

剣を掲げる騎士たち。

魔法を放つ魔導士たち。

そして、二つの軍勢の間に立つ、白い衣をまとった人影。

その人物は、両手を広げていた。


『二つの力を分かち、争いを止めよ』


声が響く。

だが、映像の中の人々は、その言葉に耳を貸さなかった。

やがて神殿は崩れ、三つの宝石は別々の場所へと消えていく。

その直後、映像は暗転した。


「……何だったんだ、今の」


和人が呟く。

涼音も答えられなかった。

さらに、闇の奥から別の光景が浮かび上がる。

今度は、二人がよく知っている場所だった。

自分たちが暮らしていた、元の世界。

見慣れた街並み。

学校の校舎。

そして、二人が最後に見たはずの景色。


「……帰れるんだ」


涼音の声が震えた。


「俺たち、本当に帰れるのかもしれない……!」


しかし、喜びも束の間だった。

元の世界の映像に、黒い亀裂が走った。

建物が歪み、空間そのものが裂けていく。

その裂け目の向こうから、何かがこちらを見ていた。

目ではない。

顔でもない。

ただ、世界の光を吸い込むような、底知れない闇。

和人は息を呑んだ。


『門を開けば、帰還は叶う』


謎の声が響く。


『だが、門を開く者は、選ばなければならない』


「何を……?」


和人が叫ぶ。


『帰る世界か。救うべき世界か』


その言葉とともに、映像が砕け散った。


「待て! どういう意味だ!」


和人の声が闇に吸い込まれる。

涼音が強く手を握った。


「和人! 離れないで!」


その瞬間、二人の身体が強い光に包まれた。

和人が目を開けると、そこは再び神殿の祭壇の間だった。


「……戻ってきた?」


涼音が隣で膝をついている。


「大丈夫か?」


「うん……何とか」


二人はしばらく、言葉を失っていた。

先ほど見たものが何だったのか。

過去の記憶なのか。

未来の予言なのか。

それとも、宝石が二人に見せた幻影なのか。

分からないことだらけだった。

ただ、一つだけ確かなことがある。

第三の宝石は、二人が元の世界へ帰るための手掛かりだった。

和人は、宙に浮かんでいた宝石をそっと受け止めた。

すると、宝石の光が静かに落ち着いていく。


「……これを持って帰ろう」


「うん。でも、さっきの言葉……」


涼音の表情は晴れなかった。


「『帰る世界か、救うべき世界か』って。どういう意味なんだろう」


和人は答えられなかった。

帰ることだけを考えていた。

この世界で起きている戦争も、二国の対立も、自分たちには関係のないことだと思おうとしていた。

けれど、もし自分たちが帰るために何かを犠牲にしなければならないのなら。

そのとき、自分たちは何を選ぶのだろう。


「……今は、まだ分からない」


和人は正直に答えた。


「でも、何も知らないまま選ぶのは嫌だ。だから、もっと調べよう」


涼音は小さく頷いた。


「そうね。まずは、この宝石と古代文字の意味を解き明かさないと」


二人は神殿の壁画を、改めて調べ始めた。

そこには、先ほどの幻影で見たものと同じ紋章が刻まれていた。

三つの宝石。

二つの秘宝。

そして、その中央に描かれた扉。

和人は壁画の下にある文字を、一つずつ書き写した。

その中に、何度も繰り返される単語があった。


「……帰還」


和人が呟いた。


「やっぱり、帰るための仕組みが、この世界には存在するんだ」


「でも、その方法を知っている人は……?」


涼音は、二つの国の王族や神殿の司祭たちを思い浮かべた。

もしかしたら、誰かが知っているのかもしれない。

あるいは、誰も知らないまま、八百年もの間、戦争を続けてきたのかもしれない。

どちらにしても、次に調べるべき場所は決まっていた。

二つの秘宝が保管されている、ヴァリアス王国とデュランダル王国。

そして、地図に記された残りの神殿。


「戻ろう、涼音」


和人は立ち上がった。


「また国に戻るの?」


「いや。今度は、もう少し準備を整えてからだ。俺たちが戦場から逃げたことは、すぐに両国に知られる。これからは、兵士として自由に動くこともできなくなる」


「確かに……」


「でも、手掛かりは見つかった。もう、ただ闇雲に帰り方を探す必要はない」


和人は第三の宝石を見つめた。

その奥で、小さな光が瞬いている。

まるで、次に向かうべき場所を知っているかのように。

リンドス村へ戻った二人は、宿屋の机に地図と古代文字の写しを並べた。

第三の宝石は、布に包んで机の中央へ置かれている。


「整理すると、こうね」


涼音が指を折る。


「ヴァリアス王国の秘宝がディストラ。デュランダル王国の秘宝がマダスカス。そして、私たちが持っている宝石が二つ」


「そこに、神殿で見つけた第三の宝石が加わった」


和人は頷いた。


「さらに、古代文字には、二つの秘宝を一つに戻すと何かが目覚める、と書かれていた」


「それが、あの闇のこと……?」


「分からない。でも、無関係とは思えない」


和人は地図を広げ直した。

三つの印を線で結ぶと、ある地点が浮かび上がった。

二国の国境から離れた、山脈の奥。

他の神殿よりも大きな印が描かれている。

その横には、古代文字で短い言葉が記されていた。

涼音が、ゆっくりと読み上げる。


「……『始まりの神殿』?」


「ここが、すべての起点なのかもしれない」


和人は地図を見つめた。

二国の争い。

二つの秘宝。

二人の召喚。

そして、第三の宝石。

すべてが、この場所へつながっているように思えた。

だが、地図の端には、さらに小さな文字が刻まれていた。


『三つ目の鍵を得た者、追跡されることを覚悟せよ』


「……追跡?」


涼音が顔を上げた。

その瞬間、宿屋の外から馬の蹄の音が聞こえてきた。

一頭ではない。

複数の馬が、村の入口に集まっている。

続いて、荒々しい声が響いた。


「この村に、赤い宝石の杖を持つ魔導士と、青い宝石の剣を持つ女騎士が来ているはずだ!」


二人の顔から、血の気が引いた。


「……もう見つかったの?」


涼音が小声で尋ねる。

和人は、第三の宝石を素早く布で包んだ。


「いや……早すぎる。俺たちがここに戻ったことを、誰かが知っていたとしか思えない」


窓の外を見る。

村の入口には、ヴァリアスとデュランダル、両国の紋章を掲げた兵士たちがいた。

敵同士であるはずの二つの軍勢が、なぜか同じ場所に集まっている。

そして、その中央に立っていた人物が、ゆっくりと顔を上げた。


「……そんな、まさか」


涼音が息を呑む。

その人物の胸元には、神殿の壁画に描かれていたものと同じ紋章が刻まれていた。

三つの宝石を囲む、古代の紋章。

和人の手の中で、第三の宝石が激しく光った。

そして、聞き覚えのない声が、二人の頭の中に響いた。


『鍵が揃った』


『継承者を、始まりの神殿へ』


次の瞬間、宿屋の窓ガラスが一斉に震えた。

第三の宝石から放たれた光が、夜空へと伸びていく。

遠く離れた山脈の奥。

地図に記された、始まりの神殿。

その地下深くで、八百年間眠り続けていた何かが、ゆっくりと目を開いた。

そして――。


『帰還の門、再起動まで残り三日』


誰にも聞こえないはずの声が、世界のどこかで告げた。

和人と涼音は、まだ知らない。

自分たちが元の世界へ帰るための鍵を手にした瞬間、八百年続いた戦争の本当の理由に、足を踏み入れてしまったことを。

そして、三日後。

二人は、帰るために戦うのか。

それとも、この世界を救うために残るのか。

その選択を迫られることになる。

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