第4章 秘宝、魔法書、そして二つの宝石――異世界の謎を追え!
――ニースの村。
戦場から姿を消した和人と涼音は、小さな村に身を潜めていた。
八百年続く戦争。
敵対する二つの王国。
そして、互いの武器に宿る不思議な宝石。
分からないことばかりだったが、一つだけ確かなことがある。
あの戦場で起きた現象は、偶然ではない。
宿屋の一室。
窓には厚手のカーテンが引かれ、机の上には二本の武器が並べられていた。
和人の杖と涼音の剣。
そして、その中央には――赤と藍、二つの宝石。
「……なあ」
和人が腕を組んだ。
「この二つの宝石、絶対に何かあるよな?」
「何を……今さら?」
涼音が呆れたように返す。
「戦場であんなことが起きたんだよ? 何もなかったら、逆に怖いだろ」
「それもそうね」
涼音は剣を抜いた。
藍色の宝石が、淡い光を放つ。
和人も杖を持ち上げた。
赤い宝石が、それに呼応するように輝きを強めた。
「ほら、やっぱり!」
「声が大きいってば!」
涼音が慌てて窓の方を見る。
和人は口を押さえた。
「……悪い」
二人は、そっと武器を近づけた。
――キィィィン。
澄んだ音が部屋に響く。
赤と藍の光が、互いを引き寄せるように揺らめいた。
そして、二つの宝石の間に、小さな光の輪が浮かび上がる。
「……え?」
和人が目を見開く。
光の輪の中に、一瞬だけ見覚えのない紋様が現れた。
円の左右に刻まれた、二つの紋章。
その中央には、扉のような図形が描かれている。
だが、次の瞬間には消えてしまった。
「今の、見た?」
「見た。扉みたいなものがあったよね?」
「ああ。戦場で見た魔法陣と似てる……」
和人は杖を机に置き、深く息を吐いた。
「そもそも、俺たちは何のために召喚されたんだ?」
「分からない。でも、私たちが持っている武器と無関係とは思えない」
「だよな……実はゲームのイベントでした~なんてことはないよな」
「あるわけないでしょ!現実よ、現実」
二人は同時にため息をついた。
元の世界に帰る方法。
自分たちを召喚した者の正体。
二つの国が奪い合う秘宝。
そして、赤と藍の宝石。
謎が多すぎる。
「異世界って、もっと簡単なものだと思ってたんだけどなあ」
和人が頭を抱えた。
「召喚されました!魔王を倒します!世界を救って元の世界に帰ります!――で、終わると思ってた」
「どこのラノベよ、それ」
涼音が吹き出した。
「いや、俺が読んできた作品なら、割とそういう展開もあるぞ?」
「だから、現実とラノベを一緒にしないでよ」
「ここ、異世界なんだけど?」
「……それを言われると、反論しづらいわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
ほんの短い時間だったが、久しぶりに戦争のことを忘れられた。
しかし、笑い終えた和人は、机の上の宝石を見つめた。
「……調べよう」
「何を?」
「全部だよ。秘宝も、召喚も、この宝石も。元の世界に帰る方法も」
涼音は真剣な表情で頷いた。
「うん。私たちが何のために呼ばれたのか、ちゃんと知りたい」
「ただし、一つだけ条件がある」
「何?」
和人は涼音を指さした。
「勝手に敵陣へ突っ込まないこと」
「それ、私の台詞じゃない?」
「いや、俺は作戦を立ててから行動するタイプだから」
「この前、敵陣のど真ん中で私を見つけて、真っ先に駆け寄ってきた人が何か言ってる……」
「……あれは、不可抗力だ!」
「あー、はいはい」
涼音は笑いながら剣を鞘に収めた。
二人はまだ知らない。
この小さな部屋で交わした約束が、やがて八百年続く戦争の根幹を揺るがすことになるのを。
数日後。
二人は村の食堂にいた。
念のため、フード付きのマントを購入し、顔が目立たないようにしている。
「……これで変装になってるのかな?」
涼音がフードを深く被った。
「大丈夫だろ。顔の半分が隠れてるし」
「でも、和人って背格好も目立つじゃない」
「俺、そんなに目立つか?」
「戦場で巨大な炎をぶっ放した人が何を言ってるのよ」
「……それは言わない約束だろ」
和人は肩を落とした。
二人がなるべく目立たない席に座ると、近くのテーブルから男たちの声が聞こえてきた。
「最近、魔物が増えたって話、知ってるか?」
「ああ。街道沿いでも被害が出てるらしい」
「冒険者ギルドの依頼も、魔物討伐ばかりだ。しかも、普段は見かけない種類まで出てるって話だぜ」
和人と涼音は、同時に顔を見合わせた。
「……魔物が増えてる?」
「こそっと聞いてみよう」
二人は食事を続けながら、耳を澄ませた。
「それだけじゃない。最近、森の奥で変な光を見たって話もある」
「光?」
「ああ。夜なのに、空の一部が青白く光ったらしい。雷でも魔法でもない、不思議な光だったとか」
涼音の手が止まった。
「……青白い光」
和人も声を潜める。
「俺たちが再会したときの光に似てないか?」
「うん。でも、同じ現象とは限らないよ」
「確かに……」
二人は慎重に話を聞き続けた。
「学者の中には、古代遺跡が原因じゃないかって考えてる奴もいるらしい」
「古代遺跡?」
「大昔の魔法文明が残した施設だよ。今の人間には仕組みが分からないものも多いんだと」
和人は箸を置いた。
古代遺跡と神殿、そして、二つの秘宝。
それぞれが無関係とは思えなかった。
「……涼音」
「うん」
「この世界で起きてる異変は、俺たちが来る前からあったのかもしれない」
「じゃあ、私たちが原因とは限らない?」
「そういうこと。だけど、召喚が何かに影響してる可能性もある」
涼音は、少し考えてから頷いた。
「どっちにしても、調べる必要があるね」
「魔物の増加、古代遺跡、秘宝、召喚……」
和人は指を折っていく。
「調査することが多すぎるな」
「あと、元の世界へ帰る方法」
「それが一番大事!」
「分かってるって」
二人は顔を見合わせた。
異世界に来てから、何度目か分からないため息をつく。
だが、今回の噂は大きな手掛かりになるかもしれなかった。
翌日、二人は村の冒険者ギルドを訪れた。
扉を開くと、賑やかな声が飛び込んでくる。
剣士、魔法使い、弓使い。
さらには、頭に角の生えた者や、獣の耳を持つ者までいた。
「……本当に異世界なんだな」
和人が呟く。
「今さら?」
涼音が笑った。
「いや、こういう場所に来ると、改めて実感するんだよ」
壁には大量の依頼書が貼られていた。
【ゴブリン討伐】
【街道の護衛】
【森林奥地の魔物調査】
【異常発生した魔物の追跡】
【古代神殿周辺の調査】
「……魔物討伐の依頼が多いね」
涼音が掲示板を見つめた。
「さっきの噂、本当みたいだな」
和人は一枚の依頼書に目を留めた。
【古代神殿周辺の魔物調査】
依頼の詳細には、村から北東に数日進んだ場所で、魔物の目撃数が急増していると記されていた。
さらに、調査に向かった冒険者が、神殿の地下から奇妙な音を聞いたという。
「……神殿か」
和人の表情が変わる。
涼音も、その視線を追った。
「私たちが召喚された場所にも、魔法陣があったよね」
「ああ。あの湖の近くで、俺は炎の魔法を授かった」
「私も、剣を手に入れた場所で不思議な声を聞いた」
「だったら、古代神殿にも何か残ってるかもしれない」
二人は依頼書を手に取った。
だが、受付の女性が首を横に振った。
「申し訳ありませんが、この調査依頼は現在、受注を停止しています」
「えっ、どうしてですか?」
涼音が尋ねる。
「調査に向かった冒険者が戻ってこないんです。ギルドとしても、状況が分かるまでは新たな人員を送れません」
和人と涼音は顔を見合わせた。
「戻ってこない……?」
「はい。最後に連絡があったのは三日前。神殿の入口までは到着したそうですが、その後の消息が途絶えています」
受付の女性は声を落とした。
「それに、神殿周辺では、普通の魔物とは違うものが目撃されています」
「普通の魔物とは違う?」
「ええ。身体に古代文字のような模様が浮かび、魔法を受けても倒れない個体がいたそうです」
和人の胸に、嫌な予感が走った。
「……魔法が効かない?」
「完全に効かないのか、特定の魔法が通じないのか、そこまでは分かっていません」
和人は依頼書を見つめた。
自分の炎。
涼音の水。
そして、二つの宝石。
もし、古代神殿にそれらの秘密があるのなら、確かめる価値はある。
だが、今の二人には別の問題もあった。
「……とりあえず、ここで分かったことを整理しよう」
ギルドを出たあと、和人が言った。
「魔物が増えている。古代神殿の周辺では、普通とは違う魔物が出ている。そして、神殿の地下には何かがあるかもしれない」
涼音は頷いた。
「でも、今の私たちだけで調査に向かうのは危険だね」
「そうだな。まずは情報と準備が必要だ」
和人は、村の北東へ続く道を見つめた。
古代神殿。
そこに何があるのか。
そして、行方不明になった冒険者たちは、今も生きているのか。
二人は、その答えを探すことを決めた。
その夜。
宿屋の一室で、二人は地図を広げていた。
「問題は、どうやって情報を集めるかだな」
和人が言った。
「この村のギルドだけじゃ、分かることにも限界があるしね」
涼音は地図の端を指さした。
「デュランダルの王城には、古い歴史書があるはず。秘宝についても、何か記録が残っているかもしれない」
「ヴァリアスにも書庫がある。俺が調べた方が早いだろうな」
「……でも、私たち、両方の国から捜索されてるんだよ?」
「そこなんだよなあ……」
和人は頭を抱えた。
あの夜、二人の姿が消えたことで、両国は捜索隊を動かしている。
街道沿いには似顔絵が貼られ、発見者には報奨金が出るという。
城へ戻れば、無事を喜ばれるだろう。
同時に、二人が何を見たのか、何を知っているのか、問い詰められるに違いない。
「正直に話したら、どうなると思う?」
涼音が尋ねた。
「宝石が共鳴して、変な声が聞こえて、光が出ましたって?」
「うん」
「……信じてもらえればいいけどな」
「信じてもらえなかったら?」
「研究対象にされるか、武器を取り上げられるか……」
和人は言葉を切った。
「最悪、また戦場に戻される」
涼音は黙り込んだ。
二人は、国を裏切りたいわけではない。
助けてもらった人たちへの恩もある。
だが、戦争の真実を知らないまま、国の命令だけで戦い続けることもできなかった。
「……一度、戻ろう」
和人が言った。
「俺はヴァリアスの書庫を調べる。涼音はデュランダルの記録を調べてくれ」
「それぞれの国で、秘宝と召喚について調べるんだね」
「ああ。ただし、危険だと感じたらすぐに離れること。情報を集めるために捕まったら意味がない」
「分かった。和人も無茶しないでね」
「そっちこそ」
二人は地図の上に指を置いた。
北東の古代神殿。
ヴァリアス王城。
デュランダル王城。
そして、再び合流する場所として、街道沿いの小さな宿場町に印をつける。
「情報が集まったら、ここで落ち合おう」
「約束ね」
「約束だ」
二人は拳を軽く合わせた。
だが、和人はまだ話していないことがあった。
あの湖の女性。
炎の魔法を授けた、謎の存在。
彼女なら、宝石や召喚のことを知っているかもしれない。
そして、もし自分の力をもっと引き出せれば――。
戦場で、涼音を守れるかもしれない。
和人は、その考えを胸にしまった。
数日後、夜。
和人はヴァリアス王城の門の前に立っていた。
門番が、彼の姿を見た瞬間に目を見開く。
「か、和人様!?」
「よお」
「どこへ行かれていたのですか!? 皆が心配して――」
「ちょっと、敵軍に捕まってた」
「……はい?」
「でも、何とか逃げてきた」
門番は口を開けたまま固まった。
「……そ、それは、すぐに報告を!」
「頼む。あと、できれば飯も食わせてくれ。森を歩き回って、腹が減ってるんだ」
「は、はい!」
城内は、たちまち騒ぎになった。
「和人様が戻られた!」
「本当か!?」
「医療班を呼べ!」
大勢の兵士たちが駆け寄ってくる。
その中から、金髪の女性が足早に現れた。
「和人様!」
エリスだった。
彼女は和人の姿を確認すると、安堵したように息を吐いた。
「ご無事だったのですね……!」
「わりぃな……心配かけた」
和人は苦笑した。
少し遅れて、オルスターもやって来た。
「まったく……。一人で敵陣から逃げ帰ってくるとは、無茶をする」
「いや、俺だって好きでやったわけじゃないんだけど……」
「それでも、戻ってきたことは喜ばしい」
オルスターは、和人の肩を軽く叩いた。
その温かさに、和人の胸が痛んだ。
この人たちは、決して悪人ではない。
エリスもオルスターも、自分を気遣ってくれている。
だからこそ、何もかもを話せないことが苦しかった。
「……本当に、すまない」
和人が呟く。
エリスは首を横に振った。
「無事に戻ってきてくださった。それだけで十分です」
その言葉に、和人は一瞬、目を伏せた。
――俺は、何をしてるんだろう。
仲間を騙してまで、秘密を探ろうとしている。
だが、ここで全てを明かせば、涼音の存在まで危険にさらすかもしれない。
今はまだ、話せない。
「……ありがとう」
和人は顔を上げた。
「少し休んだら、また作戦に参加するよ」
エリスは頷いた。
「まずは休息を。それから、あなたが見てきたことを詳しく聞かせてください」
「……ああ」
和人は笑顔を作った。
その笑顔の裏で、決意を固める。
今夜、書庫へ向かう。
そして深夜。
城内が静まり返った頃、和人は一人で書庫へ向かった。
普段は許可がなければ入れない、王国の古文書を保管する区画。
重い扉を開くと、古びた紙とインクの匂いが漂ってきた。
壁一面に並ぶ本棚。
分厚い歴史書。
封印された箱に収められた古文書。
和人は思わず息を呑んだ。
「……すげぇ」
元の世界なら、これだけの資料を調べるには何年かかるか分からない。
だが、ここには異世界の歴史が詰まっている。
「よし……。まずは秘宝と召喚魔法だ」
和人は机に本を積み上げ、片っ端から調べ始めた。
魔法の歴史。
古代文明。
異世界召喚。
神殿の記録。
そして――。
「……あった」
一冊の古い書物に、見覚えのある名前が記されていた。
ディストラ。
ヴァリアス王国に伝わる秘宝。
和人は慎重にページをめくった。
――ディストラは、膨大な魔力を蓄える秘宝なり。
――その力を正しく解放した者は、通常の人間では到達し得ぬ魔力を得る。
「魔力を増幅する……」
和人は呟いた。
自分の杖に宿る赤い宝石も、魔力を増幅する力を持っている。
偶然の一致とは思えなかった。
さらに読み進めると、別の記述が目に留まった。
――二つの秘宝は、かつて一つの力の一部であった。
――二つが再び揃う時、世界の均衡は大きく揺らぐ。
和人の指が止まった。
「……二つが、元々一つだった?」
次のページには、文字がかすれて読めない箇所が多くあった。
それでも、最後の一文だけははっきりと残っていた。
――二つの秘宝が完全に解放された時、世界はその力に耐えられぬ。
「世界が……耐えられない?」
和人は眉をひそめた。
ただの古い伝承かもしれない。
王国が秘宝の価値を高めるために作った話の可能性もある。
だが、あの夜、二つの宝石が共鳴したときのことを思い出す。
地面に浮かんだ紋様。
扉の幻影。
そして、聞こえた声。
『二つの継承者が交わるとき、封じられた道は再び開かれる』
「……まさか」
和人は、書物の続きを探した。
しかし、秘宝の記録はそこで途切れていた。
代わりに、別の文献が目に留まる。
『古代神殿と異界の門』
和人は本を開いた。
そこには、かつてこの世界に存在した六つの神殿について記されていた。
火、水、風、土、闇、光。
それぞれの神殿には、異なる属性の力が保管されていたという。
そして、その力を受け継ぐ者は、単に魔法を使えるだけではない。
世界の根幹に触れる力を得る可能性がある――。
「六つの属性……」
和人は自分の杖を見つめた。
今の自分が扱えるのは、炎の魔法だけだ。
しかし、もし別の属性も扱えるようになれば。
秘宝の秘密に、もっと近づけるかもしれない。
さらに本を読み進めると、古びた地図が挟まっているのを見つけた。
地図には、六つの神殿らしき場所が記されていた。
そのうちの一つは、湖の近くにある。
和人が炎の魔法を授かった場所に近い。
そして、北東の森には、古代神殿の印がある。
ギルドで見た依頼書の場所と一致していた。
「……つながってきた」
和人は地図を丸め、懐にしまった。
だが、書庫を出ようとしたとき、机の隅に置かれた別の記録が目に入った。
それは、王国の歴代の召喚記録だった。
ほとんどの記述は失われていたが、一つの文だけが残っていた。
――異界より招かれし者は、王国のためにあらず。
――その者を戦の道具とするなかれ。
和人は息を止めた。
「……王国のためじゃない?」
では、自分は何のために呼ばれたのか。
なぜ、ヴァリアスとデュランダルの双方に異世界人がいるのか。
そして、なぜ自分と涼音の武器が共鳴したのか。
書庫の静寂が、急に重く感じられた。
「……俺たちを呼んだのは、誰なんだ?」
答えは、どこにも書かれていなかった。
翌日の深夜。
和人は城を抜け出し、森の中の湖へ向かった。
初めてこの世界に来たとき、炎の魔法を授かった場所。
水面は月明かりを映し、静かに揺れている。
湖畔に足を踏み入れた瞬間、杖の赤い宝石が輝いた。
「……やっぱり、ここだ」
和人が杖を掲げる。
赤い光が徐々に強まり、湖の中央に小さな魔法陣が浮かび上がった。
――キィィン。
水面が波紋を描く。
やがて、以前と同じように、一人の美しい女性が姿を現した。
長い髪。
透き通るような瞳。
そして、現実のものとは思えないほど静かな存在感。
「また、お会いしましたね」
女性は微笑んだ。
和人は、驚かなかった。
むしろ、ようやく会えたという気持ちだった。
「……聞きたいことがある」
「どうぞ」
「俺たちを召喚したのは、あんたなのか?」
女性の微笑みが、わずかに薄れた。
「私は、あなたを導く者です。ですが、あなたをこの世界へ呼んだ者と、私を同じではありません」
「……じゃあ、誰が呼んだんだ?」
「今は、まだ答えられません」
「またそれかよ……」
和人は頭を抱えた。
「この世界の人たち、秘密主義すぎないか?」
女性は、少しだけ笑った。
「真実を知るには、順序があります。早く知ろうとすれば、あなた自身が壊れてしまうかもしれません」
和人は顔を上げた。
「……それでも、知りたいんだ」
彼は杖を握りしめた。
「俺の力についても、涼音の剣についても。二つの秘宝についても。何も知らないまま、戦争に利用されるのはゴメンなんだ」
女性は、しばらく和人を見つめていた。
やがて、静かに尋ねる。
「あなたは、自分の力を何のために使いたいのですか?」
「……誰かを守るためだ」
和人は答えた。
「もちろん、強くなりたい気持ちもある。でも、強くなること自体が目的じゃない」
彼の脳裏に、戦場で水の刃を放った涼音の姿が浮かんだ。
「俺は、守りたい人がいる。だから、もっと強くなりたい」
女性は、その答えを確かめるように目を細めた。
「では、一つ教えましょう」
湖の水面が、淡く光り始めた。
「あなたは、炎の魔法だけを扱う存在ではありません」
「……え?」
「あなたには、他の属性を受け入れる可能性があります」
和人は思わず身を乗り出した。
「本当か!?」
「ただし、誰もが複数の属性を扱えるわけではありません。属性には、それぞれ相性があります」
女性は湖の水面に指を触れた。
小さな波紋が広がる。
「適性のない属性を無理に受け入れれば、魔力が暴走することがあります。身体だけでなく、精神までもが影響を受ける」
和人の表情が引き締まった。
「最悪の場合は?」
「自我を失い、自分が誰なのかさえ分からなくなるかもしれません」
静かな声だった。
だからこそ、その言葉には重みがあった。
和人はしばらく黙っていた。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、戦場で涼音の剣が自分の炎を切り裂いた光景が、何度も脳裏に蘇る。
自分の魔法が通じない相手がいる。
今のままでは、守れないものがあるかもしれない。
「……水の魔法を覚えたい」
女性が目を見開いた。
「水属性、ですか?」
「ああ」
「炎の力を持つあなたが、なぜ水を望むのです?」
和人は、少しだけ視線を逸らした。
「……仲間が、水の力を使うんだ」
「その方と、力を合わせたいのですか?」
「それもある。でも、それだけじゃない」
和人は顔を上げた。
「炎だけじゃ、どうにもならないことがある。守るために壁を作ることも必要だし、敵を倒すだけじゃなく、味方を助ける力も欲しい」
彼は杖を見つめた。
「俺は、炎に頼りきりになりたくないんだ」
湖の水面が静まり返った。
女性は、やがて小さく頷いた。
「……あなたが何を望んでいるのか、分かりました」
彼女が手を広げる。
すると、湖の中央に青い光が生まれた。
光はゆっくりと形を変え、一冊の本となって和人の前へ浮かび上がる。
表紙には、波を思わせる紋様。
中央には、青い宝石が埋め込まれていた。
「これは――」
「水属性の魔導書です」
和人は、息を呑んだ。
「これを使えば、水魔法が扱えるようになるのか?」
「正確には、水の属性と向き合うための道が開かれます。魔導書を手にしただけで、すべての魔法を使えるわけではありません」
女性は、真剣な表情で続けた。
「この試練を越えられるかどうかは、あなた次第です。途中で恐怖に負ければ、炎の力との均衡を失うかもしれません」
和人は、青い魔導書を見つめた。
危険はある。
失敗すれば、今まで身につけた力さえ失うかもしれない。
それでも――。
「……やる」
和人は手を伸ばした。
「ここで逃げたら、きっと後悔する」
指先が本に触れた瞬間。
青い光が、和人の全身を包み込んだ。
そして、世界が反転した。
和人の身体が、水の中へ沈んでいく。
だが、息苦しさはなかった。
水は冷たくも熱くもない。
まるで、身体の境界が溶けていくような不思議な感覚だった。
「……ここは?」
声を出したはずなのに、音は響かなかった。
周囲には、どこまでも続く青い空間が広がっている。
足元には水面がある。
頭上にも水がある。
上下の区別すら曖昧だった。
そのとき、遠くから声が聞こえた。
『炎を持つ者よ』
和人は振り返る。
『水を受け入れるということは、炎を捨てることではない』
「……誰だ?」
『お前は、何を恐れている?』
和人は答えられなかった。
水が、足元から這い上がってくる。
炎のような熱はない。
しかし、胸の奥に何かが入り込もうとしていた。
「……俺は」
目の前に、映像が浮かんだ。
タリージェ草原。
自分の炎で押し返される敵兵。
倒れる人々。
そして、夜襲の戦場。
《フレイムウォール》を切り裂いた水の刃。
その向こうにいた、涼音の姿。
『力を得るためか?』
声が問いかける。
『誰かに勝つためか?』
和人は拳を握った。
「違う……」
水が身体を包み込む。
『ならば、なぜ水を求める?』
和人は顔を上げた。
「……守りたいからだ」
その言葉と同時に、足元の水面が揺れた。
「炎だけじゃ、守れないものがある。敵を倒すだけじゃ、助けられない人もいる」
和人は、一歩踏み出した。
「だから、俺は別の力も知りたい。炎を捨てるんじゃない。炎だけに頼らずに戦えるようになりたいんだ!」
その瞬間。
水が、和人の手のひらへ集まり始めた。
小さな水球。
それは揺らめきながら、和人の意思に応じて形を変えた。
「……これが、水魔法?」
和人が指を動かす。
水球が伸び、細い水流となって空間を走った。
さらに魔力を込める。
水流が輪を描き、やがて大きな渦となった。
「すげぇ……!」
だが、喜んだのも束の間。
水の渦が突然、制御を失った。
青い奔流が和人を飲み込む。
「うわっ!?」
水の中に、無数の声が響いた。
『力を求める者よ』
『力を恐れる者よ』
『お前は、どちらだ?』
和人の意識が揺らぐ。
炎の魔力が身体の内側で暴れ始めた。
赤い光と青い光がぶつかり合い、全身に痛みが走る。
「ぐっ……!」
女性の警告が脳裏をよぎる。
――適性のない属性を受け入れれば、精神が耐えられなくなる。
このままでは、自分を失い何かに飲まれると思い。
和人は歯を食いしばった。
「……俺は、俺だ!」
彼は両手を広げた。
「炎も、水も、どっちも俺の力にする!」
赤い光を無理に押さえつけるのではなく、青い光を拒むのでもない。
二つの力を、同時に受け入れるように心を静めた。
炎が水を蒸発させる。
水が炎を包み込む。
相反する二つの力が激しくぶつかり合い、やがて、互いの動きを妨げない位置へと落ち着いていった。
水の渦が静まる。
和人の手のひらに、小さな青い紋様が浮かび上がった。
『……よかろう』
声が響く。
『お前は、水を受け入れた』
その瞬間、青い光が和人の身体を包み込んだ。
「……っ!」
和人は、湖畔で目を覚ました。
全身から汗が噴き出している。
息が荒い。
身体は鉛のように重く、杖を持つ手にも力が入らなかった。
「はぁ……はぁ……なんだこれ……力が入らない」
湖の女性が、静かに彼を見つめていた。
「試練は終わりました。今はまだ力が入らないことでしょうが、これは別の属性の反動です」
和人は、震える手を持ち上げた。
掌の上に、小さな水球が浮かんでいる。
「……できた」
水球は、和人の指の動きに合わせて形を変えた。
「よし……!」
笑みがこぼれた。
だが、女性は釘を刺すように言った。
「喜ぶのは、まだ早いですよ。あなたが得たのは、水の属性への入口です。今の状態では、炎の魔法と同じ感覚で水を扱うことはできません」
「……つまり、まだ練習が必要ってことか」
「ええ。それに、二つの属性を同時に使えば、魔力の消耗は大きくなります。無理をすれば、再び制御を失うでしょう」
和人は、水球を見つめた。
一度の試練を越えただけで、すべてを手に入れたわけではない。
むしろ、ここからが始まりだ。
「……分かった。焦らず練習するよ」
女性は頷いた。
「それと、もう一つ」
彼女の声が、少しだけ低くなった。
「水の属性を受け入れたことで、あなたの杖に変化が起きるかもしれません」
「杖に?」
「赤い宝石は、あなたが持つ炎の力と深く結びついています。そこへ別の属性が加わったことで、宝石が新たな反応を示す可能性があります」
和人は杖を見た。
赤い宝石の奥に、青い光が一瞬だけ走った。
「……これは?」
女性の表情が変わった。
ほんのわずかだが、明らかな驚きが浮かんでいた。
「……まさか」
「何か知ってるのか?」
女性は、すぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
「あなたの杖は、単なる魔法の触媒ではないのかもしれません」
「どういう意味だよ?」
「今は、まだ断言できません。ただ、赤と青の二つの力が同時に反応するということは――」
女性は言葉を切った。
「あなたが持つものは、私が考えていた以上の存在なのかもしれません」
和人は杖を握りしめた。
この杖の正体。
涼音の剣との関係。
そして、二つの秘宝。
すべてが、少しずつつながり始めている。
「……また来てもいいか?」
和人が尋ねる。
女性は微笑んだ。
「あなたが答えを求める限り、道は閉ざされないでしょう」
その言葉を最後に、彼女の姿は湖の光の中へと消えていった。
和人は、しばらく湖面を見つめていた。
やがて、新たに得た力を確かめるように、手のひらへ水を集める。
「……早く、涼音に見せたいな」
その呟きは、夜の森へ静かに溶けていった。
翌朝。
和人は、何事もなかったかのように作戦会議へ参加していた。
エリスが地図を広げる。
「和人様。次の戦場について、意見を聞かせていただけますか?」
「もちろん」
和人は地図を覗き込んだ。
デュランダル軍は、国境沿いの防衛線を再構築している。
ヴァリアス軍は、前回の夜襲を受けて警戒を強めていた。
「前回の奇襲では、こちらの陣形が崩れるのが早すぎた」
オルスターが言った。
「敵の侵入を許した時点で、魔法兵が十分な詠唱を行えなかった。接近されては分が悪い」
和人は頷いた。
「だったら、詠唱中に全員が狙われないようにすればいい」
エリスが顔を上げる。
「具体的には?」
和人は地図の左右に線を引いた。
「部隊を左右に大きく展開する。敵が中央へ進んできたら、両翼から圧力をかけるんだ」
「鶴翼の陣、ですか」
エリスが呟いた。
「そう。俺の世界で聞いたことがある戦術だ。敵を中央へ誘い込み、左右から包み込む」
オルスターは腕を組んだ。
「だが、左右に部隊を分ければ、中央が手薄になる。そこを突破されたらどうする?」
「だから、中央には防御に専念する部隊を置く」
和人は地図の中央に印をつけた。
「魔法兵を一つの場所に固めない。片方が詠唱している間、もう片方が前線を維持する。状況に応じて役割を交代するんだ」
エリスは地図を見つめた。
「……なるほど。魔法兵が詠唱中に狙われる危険を減らせますね」
「それに、敵が左右どちらかに戦力を集中させれば、反対側から攻められる」
オルスターの目が輝いた。
「面白い。単純な包囲ではなく、敵の動きに応じて攻撃の軸を変えるのか」
「そういうことだ」
和人は頷いた。
だが、エリスは地図から目を離さなかった。
「一つ、問題があります」
「なんだ?」
「この陣形を使うには、左右の部隊が互いの状況を把握し続けなければなりません。連携が崩れれば、逆に各個撃破される危険があります」
「……確かに。この陣形は中央が手薄になる分、敵を包み込みやすく、防衛や逆襲に優れている。」
和人は考え込んだ。
「なら、合図を決めよう。旗と角笛、それから魔法による光の合図を組み合わせる。声が届かなくても、部隊が動けるようにするんだ」
エリスは、少しだけ微笑んだ。
「いい考えです。細部を詰めれば、実戦でも使えるかもしれません」
オルスターが和人の肩を叩いた。
「よく考えたな。初陣の頃より、ずいぶん戦場を理解してきたようだ」
和人は苦笑した。
「まあ、失敗したくないからな」
その言葉に嘘はなかった。
ただし、和人にはもう一つ、胸に秘めた目的があった。
次の戦場で、涼音に会えるかもしれない。
今度こそ、戦うためではなく、話すために。
そして、新しく手に入れた水の力を見せたい。
「……涼音」
和人は、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「今度は、ちゃんと話そう」
一方、デュランダル王国。
涼音もまた、王城の書庫へ向かっていた。
アリシアの許可を得て、古い戦争記録と秘宝に関する文献を調べている。
「……二つの秘宝は、元々一つだった?」
古文書の一節を読み、涼音は眉をひそめた。
そこには、ヴァリアスの秘宝ディストラとは別に、デュランダルにも古代から伝わる秘宝が存在すると記されていた。
だが、その名前や正確な能力は、記録の大部分が失われている。
「どうして、こんなに肝心なところだけ残ってないのよ……」
涼音は本を閉じ、別の文献を開いた。
そこには、かつて二つの王国が同じ古代文明の遺産を管理していたという記述があった。
しかし、ある時期を境に記録が途絶えている。
そして、その後に始まったのが――八百年にわたる戦争だった。
「……もしかして」
涼音は、剣の柄に触れた。
藍色の宝石が、わずかに光る。
和人の杖と共鳴した、あの夜。
あのとき聞こえた声。
『封じられた道は、再び開かれる』
「封じられた道って、何のことなの……?」
答えはまだ見つからない。
そのとき、書庫の扉が開いた。
「ここにいたのね、涼音」
アリシアだった。
涼音は慌てて本を閉じた。
「アリシアさん……」
「ずいぶん熱心に調べているようね」
アリシアは机の上の文献に目を落とした。
「秘宝について?」
涼音は一瞬、迷った。
すべてを話すべきかどうかを。
だが、和人との再会や宝石の共鳴を明かせば、彼が危険にさらされる可能性がある。
「……はい。自分の剣について、もっと知りたくて」
アリシアは涼音の顔をじっと見つめた。
「そう。なら、一つだけ覚えておいて」
「何ですか?」
「古い記録に書かれていることが、すべて真実とは限らないわ。特に、二つの国が争い始めた頃の記録は、都合よく書き換えられている可能性がある」
涼音は目を見開いた。
「書き換えられている……?」
「ええ。勝者が歴史を残す。そんなことは珍しくないでしょう?」
アリシアは、静かに続けた。
「だからこそ、記録を一つ読んだだけで結論を出してはいけない。複数の資料を照らし合わせること。できれば、両国以外に残された記録も探しなさい」
涼音は頷いた。
「……分かりました」
アリシアは書庫を出ていった。
涼音は再び本に目を落とした。
両国以外に残された記録。
その言葉が、頭から離れなかった。
ニースの冒険者ギルドで聞いた、古代神殿の話。
森の奥にある、正体不明の施設。
そこなら、王国の都合で書き換えられていない記録が残っているかもしれない。
「……和人。私も、真実を見つけるから」
涼音は剣を握った。
藍色の宝石が、静かに輝く。
その光は、遠く離れたヴァリアスの杖に宿る赤い宝石へ、かすかに呼応していた。
その夜。
ヴァリアス王城の一室で、和人は杖を机の上に置いていた。
赤い宝石。
その奥に、青い光がかすかに揺れている。
和人は、手のひらに小さな水球を作り出した。
まだ不安定だ。
少し集中を乱せば、形が崩れてしまう。
「……もっと練習しないとな」
彼は水球を消し、窓の外を見た。
次の戦場へ向かう日が近づいている。
エリスとオルスターは、新しい陣形の準備を進めていた。
そして涼音も、デュランダルで秘宝の記録を探しているはずだ。
「……無事でいてくれよ」
和人が呟いた、その瞬間。
杖の宝石が、強く輝いた。
赤い光の中に、青い紋様が浮かび上がる。
――キィィィン。
遠く離れたデュランダル王城でも、涼音の剣が同じ音を立てていた。
涼音は顔を上げた。
「……和人?」
二つの宝石が、互いの存在を確かめるように光を放つ。
そして、二人の脳裏に同じ光景が浮かび上がった。
深い森。
崩れかけた石造りの神殿に地下へと続く階段、そしてその最奥にある巨大な扉。
扉には、赤と藍の二つの紋章が刻まれていた。
そして、その中央には――。
見覚えのない六つの印。
火、水、風、土、闇、光。
六つの印が、ゆっくりと灯っていく。
最後に、扉の向こうから声が響いた。
『継承者たちよ』
『二つの秘宝を求めるならば、最初の神殿へ来るがよい』
光景が消えた。
和人は、息を呑んだ。
「……今の、夢じゃないよな?」
一方、涼音も剣を握りしめていた。
二人は、同じ場所を見た。
同じ声を聞いた。
そして、同じ確信を抱いていた。
古代神殿。
そこに、すべての謎を解く手掛かりがある。
しかし、二人の知らないところで、その光景を見ていた者がもう一人いた。
暗闇に沈む古代神殿。
巨大な扉の前に立つ、黒い影。
その影は、ゆっくりと顔を上げた。
「……ようやく、鍵が動き始めたか」
低い声が、石造りの空間に響く。
「ならば、継承者たちを迎える準備をしなければな」
影の足元には、二つの王国の紋章が刻まれていた。
ヴァリアスとデュランダル。
その二つの紋章を、一本の線が貫いている。
まるで、二つの国がかつて一つだったことを示すかのように。
そして、扉の奥で何かが目を覚ました。
八百年もの間、封じられていた何かが。
――次なる目的地は、古代神殿。
秘宝、魔法書、そして二つの宝石。
異世界に隠された真実へ向けて、二人の旅は新たな段階へと進み始めた。




