第17章 マダスカスの悪夢――四本の剣を持つ魔人
ヴァリアス軍との戦いを終え、セネルへ戻ってきた一行は、すぐに動き始めた。
意識を失ったエリスは治療師によって治療院へ運ばれ、オルスターは和人に案内され、フローレンシアのもとへ向かう。
幸い、エリスは戦闘による疲労と魔力の消耗で気を失っているだけだった。
「一晩休ませれば、目を覚ますでしょう」
治療師の言葉を聞き、和人は胸を撫で下ろした。
「そうか……よかった」
「ただし、本人が目を覚ましても、しばらくは安静が必要です。無理をさせないでください」
「分かった。ありがとう」
和人は治療師に礼を言い、エリスの眠る姿を見つめた。
戦争を終わらせるために動いているはずなのに、気がつけば、また仲間と刃を交えていた。
そして今度は、ヴァリアスの軍勢までセネルへ押し寄せてきた。
――本当に、偶然なのか?
和人の胸には、拭いきれない疑念が残っていた。
デュランダルとヴァリアス。両国がほぼ同時に動き出したこと。そして、七賢人の秘宝が知られた直後から、不可解な事件が続いていること。
誰かが、意図的に戦争を再燃させている。
そう考えるのが自然だった。
だが、その黒幕が次に何を仕掛けてくるのか、まだ誰にも分からなかった。
その頃――デュランダルでは。
ガルヴァー率いる軍勢が、魔法の聖地へと到着していた。
彼らは聖地を取り囲むと、そこに暮らす魔法師たちを次々と拘束していく。
「な、何をする! ここはデュランダルの軍が勝手に立ち入ってよい場所ではない!」
「抵抗する者は反逆者として扱う! 全員、武器を捨てろ!」
「我々は、どちらの国にも協力しないと伝えたはずだ!」
「ならば、その力を使わせてもらうだけだ」
ガルヴァーは、抵抗する魔法師を冷たく見下ろした。
「お前たちの意思など、もはや問題ではない」
兵士たちは魔法師の手を拘束し、魔力を封じる器具を取りつけていく。
その中には、かつてアリシアたちが協力を求めた高ランクの魔法師たちもいた。
彼らはまだ知らない。
自分たちが、七賢人の秘宝を起動させるための生贄として連れ去られようとしていることを。
フローレンシアの部屋にて
一方、セネルでは――。
「フローレンシア、いるか?」
和人はフローレンシアの部屋の前まで来ると、返事を待たずに扉を開けた。
「和人さん!?」
そこには、着替え途中のフローレンシアがいた。
一瞬、時間が止まった。
「あ…………」
「え?…………」
次の瞬間――。
パァン!
強烈な平手打ちが和人の頬を直撃した。
「ノックくらいしてください!」
「す、すまん!まさかの展開なんですけど……」
和人は扉に顔をぶつけながら床へ転がった。
そして、思わず小さく呟く。
「……何か、すごいものを見てしまった……」
「何か言いました?」
「いえ、何も!」
ジト目で和人を見ると、フローレンシアは深いため息をついた。
「もう入っても構いません。ただし、これからは必ずノックをして、返事を待ってください」
「了解……」
和人は頬をさすりながら、廊下へ退いた。
しばらくして、身支度を整えたフローレンシアから声がかかる。
「どうぞ」
和人は今度こそ、扉を二度ノックしてから部屋へ入った。
「……最初から、そうしてください」
「返す言葉もない」
和人は苦笑し、少し離れた場所で待っていたオルスターを呼び寄せた。
「こちらが、セネルをまとめているフローレンシアだ」
「初めまして。フローレンシアと申します」
フローレンシアが丁寧に頭を下げる。
オルスターは彼女の顔を見た瞬間、わずかに目を細めた。
「……フローレンシア?」
「ご存じなのですか?」
「いや……昔、どこかで聞いた名前だった気がする」
オルスターは一度言葉を切り、改めて名乗った。
「私はヴァリアスのオルスターという者です。今回の一連の事件について、詳しく話を聞かせてもらいたい」
「もちろんです。ただ、もう夜も遅いですし、エリスさんが目を覚ましてから、改めて話し合いましょう」
フローレンシアは和人へ視線を向けた。
「和人さん。オルスターさんの部屋をお願いします。それと、ヴァリアスの防衛についても手配を」
「分かった」
「セネルは、ヴァリアスを敵とは考えていません。むしろ、今は守る必要があると考えています」
オルスターは、少し驚いたように彼女を見た。
「……なぜ、そこまでしてくれる?」
和人が答えた。
「俺たちが戦争を終わらせたいからだよ。それに、今のヴァリアスを敵に回したら、誰かの思惑どおりになっちまう」
「誰かの思惑……か」
オルスターは、先ほどの戦場を思い出すように目を伏せた。
「確かに、今回の戦いには不自然な点が多すぎる。だが、両国の間に八百年も続いた憎しみがあるのも事実だ」
「だからこそ、今ここで止めなきゃいけないんだ」
和人は、まっすぐにオルスターを見た。
「俺たちは、どちらかの国を滅ぼすために戦っているわけじゃない」
その言葉を残し、和人はオルスターを客間へ案内した。
部屋にはすぐに温かな食事が運ばれてきた。
「腹減ってるだろ? 食べてくれ。毒なんか入ってないから安心してくれ」
「……君は、緊張感があるのかないのか分からないな」
オルスターは苦笑しながら食事に手をつけた。
「それにしても、以前とは比べ物にならないほどの魔力だな。最初に会った時は、ここまでの力を持っていなかったはずだ」
「まあ、いろいろあったからな。魔法の鍛錬も続けてきたし」
「なるほど。だが、力が増したからといって、無理をしていいわけではないぞ。先ほどの戦いでも、君はかなり魔力を消耗していた」
「……よく見てるな」
「魔法師を長くやっていれば、それくらいは分かる」
オルスターは食事を終えると、表情を引き締めた。
「しかし……本当に第三勢力を作るとはな。目的は何だ?」
和人も、少しだけ真剣な顔になる。
「さっきも言ったが、俺たちは戦争を終わらせる。それだけだ」
「七賢人の秘宝を集めているのも、そのためか?」
「そうだ。俺たちはすでに五つ持っている。残る二つが、デュランダルのマダスカスと、ヴァリアスのディストラだ」
オルスターは箸を止めた。
「……五つ、か」
「ああ。俺たちに本当に悪意があるなら、とっくに秘宝の力を使っている。ヴァリアスを滅ぼすことだってできたかもしれない」
和人は、机に置いた手を握りしめた。
「でも、そんなことをしたら、戦争を終わらせるどころか、もっとひどいことになる。俺たちが秘宝を集めているのは、誰かに兵器として使われる前に、その力を確かめたいからだ」
「……なるほど」
オルスターは、しばらく考え込んだ。
「君の言葉を、すべて信じたわけではない。だが、少なくとも今の君からは、ヴァリアスを滅ぼそうという意思は感じられない」
「それで十分だよ。あとは、少しずつ分かってもらえればいい」
「……分かった。今は君の言葉を信じよう」
和人は、ようやく少しだけ表情を和らげた。
しかし、その時――。
客間の窓の外で、夜風に揺れた木の枝が、不自然な音を立てた。
和人が視線を向ける。
「……誰かいるのか?」
窓の外には、誰の姿もなかった。
ただ、窓枠の端に、黒い粉のようなものがわずかに付着していた。
和人が指先で触れようとした瞬間、それは煙のように消えた。
「今のは……?」
オルスターも窓辺へ歩み寄った。
「どうした?」
「いや……気のせいかもしれない」
そう答えながらも、和人の胸には、あの黒い魔力と似た感覚が残っていた。
何かが、すぐ近くで自分たちを見張っている。
そんな気がしてならなかった。
コリン村――アリシアの帰還
その頃、セネルから少し離れたコリン村では――。
かつてルークが治めていた村へ、一人の女が姿を現した。
アリシアだった。
鎧は傷だらけで、髪も乱れている。顔色は悪く、足取りもおぼつかなかった。
村人たちはデュランダルの軍勢が攻め込んできたのだと思い、次々と家へ逃げ込んでいく。
しかし、アリシアは何も言わなかった。
ただ、虚ろな目で村を見つめている。
「……デュランダルは……もう……ダメだ……」
その情報は、すぐにルークの耳へ届いた。
ルークから連絡を受けたフローレンシアは、すぐに部隊を編成する。
その部隊に涼音も同行を志願した。
まだ傷は癒えていない。
だが、アリシアを放っておくことはできなかった。
「涼音さん、まだ無理は禁物ですよ」
出発前、治療師が念を押す。
「分かっています。でも、あの子があんな姿になっているのを、見過ごすわけにはいきません」
涼音は剣の柄を確かめ、馬に乗った。
そして――。
「アリシア!」
涼音が馬を走らせ、彼女の前へ駆け寄る。
アリシアはゆっくりと顔を上げた。
「……涼音……」
「あなたが、どうしてここに……」
アリシアは答えようとした。
しかし、声が出ない。
次の瞬間、彼女は膝から崩れ落ちた。
「アリシア!」
涼音が抱き止める。
アリシアの部隊も、抵抗する様子を見せなかった。兵士たちは武器を手放し、疲れ切った表情でその場に立ち尽くしている。
その異様な光景を見たフローレンシアは、即座に命令した。
「全員、武器を預かってください! 抵抗する者がいないか確認し、負傷者はすぐに治療を!」
兵士たちはアリシアの部隊を取り囲んだ。
しかし、誰一人として抵抗しなかった。
まるで、すべてを諦めているかのように。
セネルへ戻ると、アリシアは治療院へ運ばれた。
そして、エリスとオルスターを含めた主要人物が集められ、今後についての会議が始まった。
「デュランダルはもうダメだ……」
フローレンシアは、アリシアが意識を失う直前に漏らした言葉を繰り返した。
「アリシアさんが何を見たのか。それを知る必要があります」
「私が聞くわ」
涼音が立ち上がった。
「いつものアリシアじゃなかった。何か、とんでもないことが起きていると思う」
「分かりました」
フローレンシアは頷いた。
「アリシアさんは、涼音さんにお任せします。ただし、まだ体調が戻っていないはずです。無理に話を聞き出さないようにしてください」
「ええ、分かってる」
涼音はすぐに治療院へ向かった。
そして――半日後。
アリシアが目を覚ました。
「アリシア……」
涼音が声をかけると、アリシアはしばらく天井を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……私は、マダスカスの力を使って戦争を終わらせるため、魔法の聖地へ向かった」
「マダスカスを?」
「ええ。でも、魔法の聖地の魔法師たちは協力を拒んだ。秘宝の力を戦争に使えば、国そのものが滅びかねないって……」
アリシアの声が震える。
「そして、デュランダルへ戻った時には……もう遅かった」
「何があったの?」
「教会の司教と信者たちが……」
アリシアは目を伏せた。
「マダスカスによって、魔力をすべて吸い取られていた。半数近くが魔力の限界を超え、意識を失ったまま……元に戻るかどうかも分からない状態になっていた」
「……!」
涼音は息を呑んだ。
「そんなことが……」
「そして、国王陛下には毒が盛られていた」
「誰が……?」
「ガルヴァーとランガス」
その名前を口にした瞬間、アリシアの拳が震えた。
「この二人が、すべての黒幕よ」
「じゃあ、あなたは……」
「私も暗殺されるか、捕らえられるところだった。国王陛下をお守りしようとしたけれど、すでに城の中は二人の手下に押さえられていた。信頼していた部下まで、誰を信じていいのか分からなくなっていたわ」
アリシアは唇を噛んだ。
「何とか少数の部下を連れて城を抜け出した。でも、追っ手が迫っていたから、正規の街道は使えなかった。コリン村まで逃げてきたところで、もう身体が動かなくなったの」
涼音は話を整理した。
「つまり……デュランダルはセネルを装ってヴァリアスを攻撃させ、その裏でマダスカスを使おうとしていた……?」
「恐らく……。でも、それだけじゃない」
アリシアは苦しそうに目を閉じた。
「ガルヴァーたちは、七賢人の秘宝をすべて集めようとしている。セネルが持つ五つの秘宝と、ヴァリアスのディストラ。そして、デュランダルのマダスカス。全部を手に入れるつもりよ」
「七つすべて……」
涼音は息を呑んだ。
「それに、マダスカスには、一国を滅ぼす力があると言われている。さらに……古文書には、魔物を召喚する秘宝だという記述もあった」
「魔物を召喚する……?」
「ええ。ただ、詳しい方法までは分からなかった。だからこそ、魔法の聖地で確かめようとしたのに……」
アリシアは拳を握りしめた。
「私がもっと早く、あの二人を疑っていれば……」
「アリシア、それは違うわ」
涼音は、彼女の手をそっと握った。
「あなたは国を守ろうとしていた。悪いのは、その気持ちを利用した人たちよ」
「……涼音」
「今からでも遅くない。あなたが知っていることを、みんなに伝えましょう。私たちで、ガルヴァーとランガスを止めるの」
アリシアは、しばらく涼音を見つめていた。
そして、ようやく小さく頷いた。
「……ありがとう」
その話は、エリーのソウルパワーを通じて、会議室にいる全員へ伝わっていた。
和人は腕を組んだ。
「やっぱり、おかしいと思ってたんだ」
全員の視線が和人へ集まる。
「最初に仕掛けてきたのはデュランダルだった。そして、その直後にヴァリアスがセネルへ攻めてきた。どう考えてもタイミングが良すぎる」
和人はエリスを見る。
「エリス。セネルからの使者を殺したって言ってたよな?」
「ええ」
エリスは苦い表情を浮かべた。
「二度、使者が来たわ。一度目は明らかに敵意のある内容だった。二度目は和解を求める内容だったけれど……こちらは、最初の書状を受け取った後だった。偽装された罠だと判断して、使者を信用できなかった」
「それで、殺してしまったのか……」
「……ええ。あの時は、ヴァリアスを守るためだと思っていた。でも、今考えれば、私たちが互いを疑うように仕向けられていたのかもしれない」
エリスは目を伏せた。
「使者を殺したことは、言い訳できないわ。彼が本当に和解を求めていたのなら、私は……」
「今は、自分を責めるより真実を突き止めよう」
和人が静かに言った。
「誰かが、俺たち全員を利用しているんだ」
フローレンシアが口を開く。
「両国を争わせ、戦力を削り、その隙に秘宝を奪う。筋は通っています。ただし、マダスカスを起動させるために人々の魔力まで奪っているのなら、単なる権力争いでは済みません」
「……何か、もっと大きなものを呼び出そうとしているのかもしれない」
和人は、アリシアの言葉を思い返した。
魔物を召喚する秘宝。
黒い魔力。
そして、あの湖底遺跡で自分を飲み込んだ闇。
それぞれが、一本の線でつながり始めているような気がした。
しかし、その正体を知る者は、まだ誰もいなかった。
マダスカスの悪夢――生贄となった魔法師たち
その頃、デュランダルでは――。
ガルヴァー率いる軍勢によって、魔法の聖地の高ランク魔法師たちが次々と拘束されていた。
「全員、捕らえろ!」
ガルヴァーの命令とともに、兵士たちが動く。
「我々を何に使うつもりだ!」
「黙れ! 余計なことを考えるな!」
「国王陛下の命令なのか? 国王陛下は、このようなことを許していないはずだ!」
その言葉に、ガルヴァーは足を止めた。
「国王陛下……か」
彼は、嘲るように笑った。
「その陛下が今、どのような状態にあるか、知らぬのだな」
魔法師たちは顔を見合わせた。
「まさか……陛下に何かあったのか!?」
「心配する必要はない。もう、何も決められないお方だからな」
ガルヴァーは再び歩き出した。
「連れていけ。これで準備は整う」
魔法師たちはデュランダルへ連れ戻され、地下牢へ放り込まれた。
そこには、すでに数十人の魔法師が拘束されていた。
彼らの手首には魔力を吸い上げるための黒い金属輪がはめられ、足元には複雑な魔法陣が刻まれている。
ランガスが、その光景を満足そうに見渡した。
「これだけの魔法師がいれば、十分でしょう」
「いや、まだ足りぬかもしれん」
ガルヴァーは、地下牢の奥にある扉を見つめた。
「マダスカスが求めている魔力は、我々の想像を超えている。だが、これだけの器が揃えば、召喚の儀式は始められるはずだ」
「本当に、あの存在を呼び出せるのでしょうか?」
「七賢人の書に記されていた。マダスカスは、ただの破壊の秘宝ではない。古き存在をこの世界へ招くための門でもある」
ガルヴァーの瞳が不気味に輝いた。
「その存在を手に入れれば、セネルもヴァリアスも恐れる必要はなくなる」
「……ゼルガディス様も、これをお望みなのですね」
ランガスの言葉に、ガルヴァーは一瞬だけ表情を変えた。
「ゼルガディスは、我々に力を与える存在だ。だが、力を与えられたからといって、すべてを任せるわけにはいかん」
「では、今回召喚するものは……?」
「我々が制御できるかどうか。それを確かめるのだ」
ガルヴァーは冷たく言い放った。
「さあ、始めよう」
その頃、国王は――。
玉座に座ることさえできず、幼児のように人形や積み木で遊んでいた。
「これ……ぼくの……」
かつて威厳に満ちていた王の面影は、ほとんど残っていない。
毒によって身体だけでなく、精神までも蝕まれていたのだ。
近くに立つ侍従は、涙をこらえながら王を見守っていた。
「陛下……」
しかし、王は侍従の声に反応しなかった。
ガルヴァーは、その姿を見て笑う。
「この国は、すでに我々のものだ」
「ええ。誰も我々を止められません」
ランガスが答えた。
二人は王を置き去りにし、地下深くにある秘宝の保管室へ向かった。
そこには、古い石台の上に奉納された秘宝――マダスカスがあった。
赤黒い輝きを放つ宝石。
それを見つめていると、まるで宝石の向こう側から何かに見返されているような感覚に襲われる。
ランガスは思わず足を止めた。
「……妙な気配です」
「恐れるな。秘宝の力が目覚めかけているだけだ」
ガルヴァーは石台へ近づいた。
マダスカスの周囲には、七賢人の書に記された古代文字が刻まれている。
その文字は、普通の光ではなく、血のような赤い光を帯びていた。
「さあ……始めよう」
拘束された魔法師たちが、魔法陣の周囲へ並べられる。
「やめろ! こんなことをすれば、何が起きるか分からないぞ!」
「我々の魔力を奪えば、取り返しのつかないことになる!」
「聞こえないのか!」
ガルヴァーは振り返りもしなかった。
「お前たちの犠牲は、偉大な力を呼び覚ますための礎となる」
彼はマダスカスを掲げた。
「古より封じられしその力を、すべて解放せ!」
魔法陣が輝いた。
次の瞬間、魔法師たちの身体から、膨大な魔力が吸い上げられていく。
「ぐああああっ!」
「やめろ……やめてくれ!」
悲鳴が地下室に響き渡る。
魔力を吸い上げられた魔法師たちは、次々と膝をついた。
彼らの身体からは、目に見えるほどの魔力の奔流が流れ出し、マダスカスへと吸い込まれていく。
宝石が赤く輝き始めた。
やがて、床に刻まれた魔法陣の中央に、黒い亀裂のようなものが生まれた。
「来た……!」
ガルヴァーが声を震わせる。
「ついに、門が開く!」
しかし、魔法陣の輝きは安定しなかった。
赤い光の中に、黒い影が混じっている。
その影は、まるで魔法陣そのものを内側から食い破ろうとしているかのようだった。
「ガルヴァー様……これは、本当に制御できるのですか?」
ランガスの声に、初めて不安が混じった。
「黙れ。儀式を止めれば、今までの犠牲が無駄になる」
ガルヴァーは、七賢人の書を開いた。
そして、そこに記された古の召喚詠唱を唱え始めた。
「……黄昏よりも昏きもの――」
室内に風が巻き起こる。
「血の流れより紅きもの――」
マダスカスがさらに強く輝いた。
「時の流れに埋もれし、偉大なる汝の名において……」
魔法陣が赤黒く染まっていく。
「紅蓮の炎に眠りし、古の暗黒に宿りしものよ……」
地下室の壁に亀裂が走った。
魔法師たちの悲鳴が、次第に弱まっていく。
それでもガルヴァーは、詠唱を止めなかった。
「我と汝が力もて……煮えたぎる魂持ちたる覇王よ!」
ガルヴァーが叫ぶ。
「我の名において――汝、降臨せよ!」
ドォォォォン!!
凄まじい爆発が起こった。
紅蓮の炎が渦を巻き、部屋を埋め尽くす。
魔法陣の中央に生まれた黒い亀裂は、空間そのものを引き裂くように広がっていった。
「成功したのか……?」
ランガスが目を見開く。
炎の向こうから、何かがゆっくりと姿を現した。
最初に見えたのは、四本の腕。
次に、燃え盛る剣。
そして――左右で色の異なる瞳。
一つは漆黒。
もう一つは、煮えたぎるような紅。
四本の腕を持つ異形の魔人は、紅蓮の炎をまとった四本の剣を携え、ゆっくりと地面へ降り立った。
その身体から放たれる魔力は、地下室の空気を歪ませるほどだった。
ガルヴァーは、思わず後ずさった。
それでも、彼は笑みを浮かべた。
「汝の名は……?」
震える声で尋ねる。
異形は静かに顔を上げた。
「我が名は――」
低い声が響く。
「レイジース・レコード」
その瞬間。
魔法陣を囲んでいた魔法師たちの姿が、すべて消えていた。
魔力を奪われた彼らは、召喚の代償として、異形の糧となったのだ。
残されたのは、空になった魔法陣と、赤黒く光るマダスカスだけだった。
ガルヴァーは目を見開いた。
そして――笑った。
「成功だ……!」
ランガスも狂喜する。
「凄まじい威圧感に、強大な魔力……これほどの力があれば、両国を支配することも夢ではありません!」
だが、レイジース・レコードは何も言わなかった。
ただ、二人を見下ろしている。
その四本の剣からは、炎が消えることなく燃え続けていた。
やがて、魔人は口を開いた。
「……我を呼び出したのは、お前たちか」
「そ、そうだ!」
ガルヴァーは、かろうじて声を絞り出した。
「我々は、あなたの力を必要としている。どうか、我々に従ってほしい!」
レイジース・レコードは、しばらく彼を見つめていた。
そして、わずかに口元を歪めた。
「従う……?」
低い笑い声が響いた。
「人間というものは、いつの時代も同じだな。己の手に負えぬ力を呼び出しておきながら、それを支配できると思い込む」
「な……」
ガルヴァーの笑みが引きつった。
「何を言っている! 我々が貴様を召喚したのだぞ!」
「だからどうした?」
レイジース・レコードは、四本の剣をゆっくりと動かした。
その瞬間、地下室の壁が震え、床の魔法陣がひび割れた。
「我をこの世界へ呼び戻したこと。その代償が何であるか……お前たちは、まだ理解していない」
魔人の瞳が、赤く輝いた。
「だが、よい。しばらくは、この世界を見てやろう」
そう言い残し、レイジース・レコードは再び沈黙した。
ガルヴァーとランガスは、顔を見合わせた。
彼らはまだ、気づいていなかった。
自分たちが召喚した存在は、命令に従うために現れたのではない。
そして、マダスカスが本当に求めていたものが、魔力だけではなかったことにも。
数日後――アリシアの決意
数日後、セネルでは。
アリシアはようやく精神を落ち着かせていた。
身体の傷も少しずつ癒え、顔色にもわずかに生気が戻っている。
彼女は涼音の前に立ち、深く頭を下げた。
「お願いがある」
「何? なんでも言って」
「私もヴァリアスへ同行させてほしい」
涼音は黙ってアリシアを見つめた。
「私は、ガルヴァーとランガスを食い止めたい。たとえヴァリアスの国王に信じてもらえなくても構わない」
アリシアの目には、以前の光が戻っていた。
「捕らえられてもいい。だから……私の意思を伝えてほしい。デュランダルのすべてが、あの二人に従っているわけではないと」
涼音は、彼女の言葉をしっかりと受け止めた。
「分かったわ。フローレンシアに話してみる」
「ありがとう、涼音」
「お礼はまだ早いわ。これからが大変なんだから」
涼音は微笑んだ。
「それに、あなたがいなければ、デュランダルの内情を知ることもできない。私たちには、あなたの力が必要よ」
アリシアは、わずかに目を潤ませた。
「……そう言ってもらえると、心強いわ」
そして、会議室。
フローレンシアは、涼音の話を聞き終える前に口を開いた。
「大丈夫です。ソウルパワーを通じて、アリシアさんのお話はすべて聞いていました」
「えっ……」
涼音が目を丸くする。
「それなら、最初から言ってくれても……」
「必要な時に、必要な情報を共有する。それが私の役目ですから」
フローレンシアは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「では、五人で行きましょう」
「五人?」
和人が首を傾げる。
「和人さん、涼音さん、アリシアさん、エリスさん。そして、私です」
「俺も行くのか?」
「もちろんです。今回の件は、七賢人の秘宝だけでなく、セネルと両国の未来に関わる問題ですから」
フローレンシアは地図を広げた。
「ヴァリアスの国王に直接説明し、両国がこれ以上争わないよう働きかけます。そのうえで、デュランダルの現状をどうするか考えましょう」
「でも、デュランダルにはガルヴァーとランガスがいる。下手に動けば、こちらまで罠にかけられる可能性があるぞ」
和人の言葉に、フローレンシアは頷いた。
「ええ。だからこそ、急ぐ必要があります。あの二人が秘宝を使い、何かを始めてしまう前に」
和人は、アリシアの証言を思い出した。
魔法師たちの魔力を奪い、マダスカスを起動させようとしている。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
だが、ろくなことではないのは確かだった。
「……分かった。行こう」
こうして、五人がヴァリアスへ向かうことになった。
出発前。
和人は、フローレンシアの姿を見て絶句した。
「……フローレンシア?」
彼女は甲冑を身につけ、長剣を腰に携えていた。
「その格好……戦えるのか?」
「もちろん、戦えますよ」
フローレンシアは微笑んだ。
「私は剣士でもありますから」
「……マジか」
「魔法も使えます。火属性が得意です」
彼女は長剣を抜いた。
刀身には、風の魔力が宿っている。
「この剣は、我が家に伝わる宝剣です。風の力を宿しています」
涼音とアリシアは、その瞬間に気づいた。
――凄まじい。
フローレンシアから放たれている闘気は、自分たちとは明らかに次元が違う。
ただ魔力が大きいというだけではない。
剣を構える姿勢にも、重心の置き方にも、長年にわたって戦いを積み重ねてきた者だけが持つ、隙のなさがあった。
アリシアですら、まともに戦えば勝てないと感じていた。
「……この人、一体何者なの?」
アリシアが小さく呟く。
「一番位の高い貴族よ。そして、私たちを束ねてもらっているの。戦えることは、私も初めて知ったわ」
涼音はアリシアにそう説明した。
「フローレンシア、今まで隠していたのか?」
和人が尋ねると、フローレンシアは剣を収めた。
「隠していたわけではありません。必要がなかっただけです」
「必要がなかったって……」
「剣を抜く前に解決できる問題なら、それに越したことはありませんから」
そう言って、彼女は馬に乗った。
「それに、今回は少しばかり事情が違います。相手が武力でセネルを揺さぶるつもりなら、こちらも備えておく必要があります」
和人は苦笑した。
「……頼もしいのは分かったけど、できればその剣を使わずに済ませたいな」
「私も同感です」
フローレンシアは穏やかに答えた。
「ですが、必要な時には迷いません」
その言葉に、和人は何も返せなかった。
彼女がこれまで何を経験し、どのような戦いをくぐり抜けてきたのか。
今の和人には、まだ知る由もなかった。
森の暗殺者――ニザール現る
五人は馬に乗り、ヴァリアスへ向けて出発した。
セネルの街並みを抜け、街道を進み、森へ入ってしばらくした時だった。
「止まって!」
フローレンシアが突然、馬を止めた。
「どうした?」
和人が尋ねる。
「……気配があります」
フローレンシアは周囲を見渡した。
「一人ではありません。私たちを待ち伏せしているようです」
次の瞬間――。
五人の前に、五つの影が現れた。
「囲まれた……!」
涼音とアリシアが剣へ手を伸ばす。
暗殺者たちは黒い装束に身を包み、首元には見慣れない刺青が刻まれていた。
和人は杖を構えた。
「誰だ、お前たち! 何の目的で俺たちを襲う?」
返事はない。
ただ、五人の暗殺者が無言のまま、少しずつ包囲を狭めていく。
フローレンシアは、相手の首元を見ていた。
「その刺青……ニザールですね」
アリシアが驚いた顔をする。
「ニザール? 暗殺者集団の名前?」
「ええ。表立って活動することは少なく、依頼主もほとんど分からない組織です。ただ、彼らが動く時は、必ず何か大きな目的があります」
「じゃあ、今回の依頼主は……」
「おそらく、私たちをヴァリアスへ行かせたくない者でしょうね」
フローレンシアは、暗殺者たちへ向き直った。
「私たちは急いでいます。道を開けてもらえませんか?」
当然、返事はない。
暗殺者の一人が、腰の短剣に手をかけた。
フローレンシアは小さくため息をついた。
「……そうですか……仕方ありませんね」
次の瞬間――。
彼女の姿が消えた。
「えっ――?」
涼音が振り向く。
すでにフローレンシアは、敵の背後に立っていた。
五人の暗殺者は、ほぼ同時にその場へ崩れ落ちた。
涼音もアリシアも、剣を抜く暇すらなかった。
「……見えなかった」
アリシアの顔から血の気が引く。
フローレンシアは、暗殺者たちの首筋へ長剣の柄を当て、全員の意識を奪っていた。命を奪ったわけではない。
それでも、その速さは異常だった。
和人は思わず呟いた。
「……今、何をしたんだ?」
「急所を打っただけです。殺してはいません」
「いや、その『だけ』が見えなかったんだけど……」
フローレンシアは何事もなかったかのように長剣を収めた。
「彼らを縛っておきましょう。後で情報を聞き出せるかもしれません」
和人は、倒れた暗殺者の一人を確認した。
首元の刺青には、黒い線が交差する奇妙な紋様があった。
その紋様を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
――この感じ……。
湖底遺跡で見た黒い力。
そして、デュランダル軍の指揮官から感じた不気味な魔力。
同じものだと断言することはできない。
だが、無関係とも思えなかった。
「フローレンシア。この紋様、何か知っているか?」
和人が尋ねる。
彼女は暗殺者の首元を一瞥した。
「……いいえ。少なくとも、私が知るニザールの印とは少し違います」
「違う?」
「ええ。彼らの紋様は、通常もっと単純なものです。これは……誰かが別の印を重ねたようにも見えます」
フローレンシアは、わずかに表情を曇らせた。
「先を急ぎましょう。ここで時間を使うわけにはいきません」
「……分かった」
和人は、暗殺者たちの紋様をもう一度見た。
敵は、ただ自分たちを排除したいだけではない。
何かを隠し、何かを始めようとしている。
その疑念は、さらに深まっていた。
ヴァリアス王城――再会と告白
やがて森を抜けると、遠くにヴァリアスの城壁が見えてきた。
エリスが門番へ事情を説明し、一行は王城へ通された。
謁見の間では、国王と女王が玉座に座っていた。
「そなたたちが、第三の勢力となったセネルの者か」
国王の視線が、一人ずつへ向けられる。
「まず名を聞こうか」
エリスが前へ出た。
「こちらがセネルを率いる和人、涼音、そしてフローレンシアさんです」
続いて、アリシアが前へ進み、膝をついた。
「私はデュランダルの騎士、アリシアといいます」
謁見の間がざわめいた。
「デュランダルの騎士だと?」
「なぜ、敵国の騎士がここにいる?」
アリシアは周囲の声に動じることなく、頭を下げた。
「本日は、デュランダルで起きている重大な陰謀について、お伝えするために参りました」
そして、すべてを語った。
ガルヴァーとランガスのこと。
国王への毒。
教会の司教や信者たちから、マダスカスによって魔力が吸い上げられたこと。
そして、七賢人の秘宝をすべて集めようとしていること。
国王は、すぐには信じられない様子だった。
「……にわかには信じがたい話だな。デュランダルの重臣が、国王を毒殺しようとしているというのか?」
「はい。私はこの目で、彼らが国王陛下を陥れようとしていることを知りました」
アリシアは顔を上げた。
「証拠を持ち出すことはできませんでした。しかし、彼らはマダスカスを起動させるため、魔法師たちを拘束しようとしています。もし放置すれば、さらに多くの犠牲者が出るでしょう」
国王は、しばらく黙り込んだ。
やがて、涼音が口を開く。
「私たちについても、信じてもらえないかもしれません。でも、私は和人と同じ異世界から来ました」
国王は驚いた顔をする。
「異世界……?」
「はい。私たちは、この世界の生まれではありません。だからこそ、両国の争いを当然のものだとは思っていません」
国王は目を閉じ、しばらく考え込んだ。
そして、おもむろに口を開く。
「昔の文献に、そのような記述を見たことがある。異なる世界から来た者が、この世界の歴史を変えることがある……とな」
和人は、思わず顔を上げた。
「そんな記録があるんですか?」
「断片的なものだ。詳しいことは分からぬ。だが、そなたたちが異世界から来たという話を、ただの作り話だと切り捨てるつもりはない」
国王の視線がフローレンシアへ移った。
「それで……そなたは?」
「フローレンシアと申します」
「……!」
国王が立ち上がった。
「まさか……フローレンシア殿か!?」
「お久しぶりです、国王陛下」
「昔の戦でヴァリアスを救った、あの魔法剣士……!」
国王の顔に、かつての記憶が蘇る。
「そうか……セネルをまとめているのは、そなただったのか」
フローレンシアは静かに頷いた。
「当時は、ヴァリアスの兵士たちにも助けられました。私一人の力ではありません」
「いや、そなたの活躍は今でも語り継がれている。あの戦いがなければ、我が国は滅んでいたかもしれぬ」
和人はフローレンシアを見つめた。
――昔の戦でヴァリアスを救った魔法剣士?
彼女がただの貴族ではないことは分かっていた。
だが、国を救ったほどの人物だったとは思わなかった。
涼音とアリシアも、改めてフローレンシアの姿を見つめる。
彼女は二人の視線に気づくと、困ったように微笑んだ。
「昔の話です。今は、セネルの平穏を守ることが私の役目です」
その時だった。
――ドンドンドン!
謁見の間の扉が激しく叩かれた。
「国王陛下! 緊急事態です!」
兵士が駆け込んでくる。
「何事だ!」
「デュランダル軍がこちらへ進軍中! 敵兵の数は、およそ千五百!」
国王の表情が変わった。
「千五百だと!?」
「すでにセネルから派遣されたアレフ殿、マーリン殿の部隊が交戦しています!」
和人は、思わずフローレンシアを見た。
「デュランダルが……ここまで追ってきたのか?」
「いいえ」
フローレンシアは、静かに首を横に振った。
「これは、追撃ではありません。私たちがヴァリアスへ到着するタイミングを知ったうえで、軍を動かした可能性があります」
「つまり……俺たちの動きまで読まれていた?」
「その可能性は高いでしょうね」
フローレンシアは立ち上がった。
「……始まりましたね」
彼女はエリスを見る。
「急ぎましょう」
四本の剣を持つ魔人、現る
戦場は、すでに地獄と化していた。
ヴァリアスの城壁から離れた平原で、アレフとマーリンの部隊がデュランダル軍を食い止めている。
しかし、敵の進軍は止まらない。
「和人さん!」
マーリンが叫ぶ。
「押されています! 敵の中に、とんでもない剣士がいます!」
「どんな奴だ?」
マーリンは、信じられないものを見たような顔で答えた。
「腕が……四本の……!」
「四本?」
「しかも、四本すべてに炎の剣を持っています! 魔法を当てても、まるで消し飛ばされるように無効化されて……!」
和人は戦場を見渡した。
敵陣の中央に、見覚えのある異形が立っていた。
四本の腕。
紅蓮の炎をまとった四本の剣。
そして、左右で色の異なる瞳。
「……まさか」
和人の背筋に、冷たいものが走った。
デュランダルの地下で召喚された魔人――レイジース・レコード。
彼が、なぜ戦場にいるのか。
誰が彼を連れてきたのか。
考える暇もなかった。
アレフはすでに倒れていた。
片腕を失い、マーリンが氷魔法で止血している。
「アレフ!」
和人が駆け寄る。
「……悪い……あいつは……俺一人じゃ無理だ……」
「しゃべるな! 今、治療を――」
「いや……それより、気をつけろ……」
アレフは苦痛に顔を歪めながら、レイジース・レコードを見た。
「あいつ……普通の魔物じゃない。剣で攻撃を受け止めたと思ったら、次の瞬間には魔法そのものを斬り裂いていた……」
「魔法を斬る……?」
和人が目を見開いた。
レイジース・レコードは、こちらの視線に気づいたかのように顔を向けた。
「……ほう」
低い声が響く。
「また会ったな、人間ども」
その声を聞いた瞬間、和人は確信した。
あの魔人だ。
マダスカスによって召喚された、四本の剣を持つ異形。
そして、その魔人が今、デュランダル軍の先頭に立っている。
「お前……どうしてここにいる!」
和人が叫ぶ。
レイジース・レコードは、答える代わりに四本の剣を持ち上げた。
「我を呼び出した者どもが、面白い遊戯を用意してくれたのでな」
「遊戯だと……?」
「国と国が争い、弱者が倒れ、強者が力を誇示する。人間の世界とは、いつ見ても滑稽だ」
魔人の紅い瞳が、和人を捉えた。
「だが、お前は少し違うようだな。どこかで、我と似た気配を感じる」
和人の胸の奥が、強くざわついた。
湖底遺跡で自分を飲み込んだ黒い力。
あの時と同じ感覚が、身体の内側から湧き上がってくる。
「……俺と、お前が?」
「いずれ分かる」
レイジース・レコードは、四本の剣を構えた。
「まずは、目の前の死を乗り越えてみせろ」
その瞬間、フローレンシアが前へ出た。
「ならば、私がお相手をしましょう」
「フローレンシア……」
和人が振り向く。
彼女は長剣を抜いた。
「和人さん。魔法部隊をお願いします。あなたは、負傷者の救助と敵軍の足止めに集中してください」
「でも、あいつは――」
「分かっています」
フローレンシアは、レイジース・レコードを見据えた。
「私が、あの魔人を止めます」
風が吹き抜けた。
そして――。
フローレンシアの姿が消えた。
敵兵を次々と斬り伏せながら進み、すでに四本腕の魔人と剣と剣を交えていた。
「なかなか練り上げられた闘気だ……人間か」
レイジース・レコードは冷笑した。
「だが、我に挑むとは愚かな」
フローレンシアの剣を振り払い四本の剣が同時に構えられる。
「消えろ」
四本の剣が一斉に振り下ろされた。
ギィィィィン!!
フローレンシアの長剣が、そのすべてを受け止める。
凄まじい衝撃が大地を揺らした。
足元の土が砕け、周囲の兵士たちが吹き飛ばされる。
それでも、フローレンシアは一歩も退かなかった。
「……なるほど」
彼女の瞳が鋭くなる。
「あなた……ただの魔人ではありませんね」
「ほう?」
「その邪悪な闘気に、異常な魔力。しかも、あなたの剣は魔法を斬っているのではなく、魔法の構成そのものを破壊している……」
風が彼女の剣へ集まっていく。
「私は、あなたを見過ごすつもりはありません!」
一閃。
フローレンシアの剣が、レイジース・レコードの身体を捉えた。
魔人は後方へ吹き飛び、地面を滑る。
だが――。
「これは……面白い」
彼は笑った。
「人間にしては、なかなかやる」
四本の炎の剣が、激しく燃え上がる。
「ならば、少しだけ本気を見せてやろう」
「黒龍炎殺剣!」
レイジース・レコードが回転しながら襲いかかる。
四本の剣が炎の軌跡を描き、縦横無尽にフローレンシアへ迫った。
彼女は風をまとった長剣で迎え撃つ。
「旋風剣――一式!」
激突。
炎と風がぶつかり、巨大な衝撃波が周囲へ走った。
フローレンシアの腕に、次々と傷が刻まれていく。
「くっ……!」
それでも、彼女は退かない。
レイジース・レコードの四本の剣は、ただ速いだけではなかった。
一撃目を防げば、二撃目が死角から迫る。
二撃目をかわしても、三撃目が逃げ道を塞ぎ、四撃目が必殺の角度から振り下ろされる。
四本の剣が、それぞれ別の意思を持っているかのようだった。
「速いうえに重い太刀筋……厄介ですね」
フローレンシアは距離を取り、呼吸を整えた。
「四本の剣を同時に操っているのではない……。それぞれが独立して動いている?」
「気づいたか」
レイジース・レコードは笑った。
「ならば、どこまで耐えられるか見せてみろ!」
再び、四本の剣が襲いかかる。
涼音とアリシアは、戦場の端から二人を見ていた。
「……入れない」
アリシアが呟く。
「ええ……」
涼音も剣を握り締める。
「今、私たちが入ったら、フローレンシアの邪魔になる」
悔しさに、涼音は唇を噛んだ。
まだ傷が完全に癒えていない。
全力で戦えば、足手まといになる可能性もある。
それでも、目の前で仲間が傷ついていくのを見ていることしかできないのは、耐えがたかった。
「……もっと強くならなきゃ」
涼音は、静かに呟いた。
和人の大魔法――カグヅチ
その頃、和人はエリスと共に魔法部隊を指揮していた。
「エリス!」
「分かってる!」
二人の魔法が戦場を覆い、敵兵が次々と足を止めていく。
エリスは光の刃で敵の武器を弾き、和人は炎と風を組み合わせて敵軍の隊列を分断した。
だが、レイジース・レコードだけは止まらない。
魔法を受けても、四本の剣で弾き飛ばす。
剣を振るうたびに、周囲の大地が砕け、味方も敵も巻き込まれていく。
「……あいつを止めないと、こっちが先に潰される」
和人は杖を握り締めた。
「何をするつもり?」
エリスが尋ねる。
「大魔法を使う」
「でも、それを使えば、あなたの魔力は……」
「分かってる」
和人は深く息を吸った。
「一発で終わらせる。あいつだけじゃなく、敵軍の進軍も止めるんだ」
「待って。あの魔人に効く保証はないわ。それに、味方まで巻き込んだら……」
「だから、範囲を調整する。完全に制御できるとは言えないけど、今はやるしかない」
和人は戦場を見渡した。
負傷した兵士たち。
倒れた仲間。
そして、四本の剣を操る魔人と、それに立ち向かうフローレンシア。
このままでは、誰かが命を落とす。
それだけは、何としても避けたかった。
和人は杖を掲げた。
長い詠唱が始まる。
「蓮の炎に眠りし暗黒の竜よ――」
周囲の空気が震えた。
杖の先に、小さな炎が生まれる。
それは、次第に大きくなり、赤黒い光を帯び始めた。
エリスが目を見開く。
「和人……!」
魔力が膨れ上がり長い詠唱を唱える。
炎は渦を巻き、空へ向かって伸びていった。
「――目覚めよ、深淵に眠りし紅蓮の竜よ。
幾千の夜を越え、幾万の魂を喰らい、悠久の闇に封じられし灼熱の王よ。
今こそ、その瞳を開き、天地を焦がす咆哮を解き放て!
大地を灰燼に変え、天を紅蓮に染め、万物を覆う絶望の闇さえも焼き払え!
我が血を炎に、我が魂を焔に――。
我が命を代償として、汝が力を現世に顕現せよ!
逃れ得ぬ運命を焼き砕き、立ちはだかるすべてを無へと還せ!
紅蓮の終焉――天災の火神よ、今ここに降臨せよ!
我が敵を焼き尽くせ!」
和人は、歯を食いしばった。
「我が敵を焼き尽くせ!」
「カグヅチ!!」
轟音が鳴り響いた。
巨大な炎が戦場を飲み込む。
敵軍の前方が爆炎に包まれ、兵士たちが次々と吹き飛ばされた。
大地が揺れ、空気が熱波で歪む。
和人は、最後の瞬間に魔力の流れを変え、味方のいる方向へ炎が広がらないよう制御した。
それでも、完全に被害を防ぐことはできなかった。
「うわああっ!」
「伏せろ!」
近くにいた兵士たちが、爆風に押されて地面へ転がる。
和人は魔力をほぼ使い果たし、その場へ倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
「和人!」
エリスが駆け寄る。
「今の魔力量……大丈夫!?」
「ガス欠だ……俺は、しばらく動けない……」
荒い息をしながら、和人はレイジース・レコードを指差した。
「あいつだけは……まだいる」
エリスは顔を上げた。
爆炎が消えた戦場の中央。
そこには、四本の剣を持つ魔人が立っていた。
鎧の一部は焼け焦げている。
だが、致命的な傷は見当たらなかった。
「……あれを受けて、まだ立っているの?」
エリスが息を呑む。
レイジース・レコードは、ゆっくりと首を傾けた。
「今のは、なかなかの魔法だった」
その声には、わずかな興味が混じっていた。
「だが、まだ足りぬ」
和人は、地面に倒れたまま歯を食いしばった。
「くそ……!」
炎系、最強魔法カグヅチを使ったことで、魔力はほとんど残っていない。
これ以上、強力な魔法を放つことはできなかった。
エリスは和人の前に立った。
「分かった。私が行く」
「エリス……」
「魔法が効かないなら、幻惑と拘束を使う。正面から倒す必要はないでしょう?」
和人は、苦しそうに笑った。
「……そうだな。あいつを倒すことより、動きを止めることを考えろ。四本の剣を同時に使わせなければ、隙ができるかもしれない」
「任せて」
エリスは杖を握り直した。
「今度は、私があなたを助ける番よ」
そして、風魔法で一気に加速した。
幻惑と拘束――魔人の逃走
「フローレンシアさん!」
エリスが叫ぶ。
「離れて!」
フローレンシアは一瞬だけエリスを見て、すぐに後退した。
「ミラージュフェイク!」
周囲の景色が歪む。
エリスの姿が何人にも分裂して見えた。
前方、左右、背後。
複数のエリスが、同時にレイジース・レコードへ迫る。
「小賢しい!」
魔人は四本の剣を振るい、無数の幻影を斬り裂いた。
だが、斬り裂かれた幻影は、煙のように消えていくだけだった。
「どこだ……!」
その隙に、エリスは魔人の死角へ回り込んだ。
「今よ!」
エリスの拘束魔法が発動する。
「動きを封じるわ!」
レイジース・レコードの足元に魔法陣が現れた。
大地から光の鎖が伸び、魔人の脚へ絡みつく。
「……ほう」
彼は初めて驚いた表情を見せた。
四本の剣が鎖を断ち切ろうと動く。
だが、エリスの拘束魔法は、単純に身体を縛るものではなかった。
魔人が剣を振るうたび、鎖がその動きに合わせて締めつけ、四本の腕の連携をわずかに乱していく。
「今なら……!」
フローレンシアが再び剣を構えた。
風が刀身へ集まる。
彼女は一気に踏み込み、レイジース・レコードの胸元へ斬撃を放った。
だが――。
次の瞬間。
魔人の背後に、黒い空間が生まれた。
「なっ……!」
それは、空間そのものが裂けたような、底の見えない暗闇だった。
レイジース・レコードの身体が、ゆっくりとその黒い空間へ沈んでいく。
「待ちなさい!」
フローレンシアが叫ぶ。
彼女は剣を振り抜いたが、刃が届く直前、魔人の身体は半分以上、闇の向こうへ消えていた。
「逃がすか!」
エリスが拘束魔法を強める。
だが、鎖は黒い空間へ吸い込まれ、次々と砕け散っていった。
レイジース・レコードは、最後に和人へ視線を向けた。
「……やはり、お前は興味深い」
赤い瞳が、不気味に輝く。
「その力が何であるか、いずれ確かめてやろう」
「待て! お前は何者なんだ!」
和人が叫ぶ。
魔人は、わずかに笑った。
「今回は引こう……また会おう、人間ども」
その声だけを残し、四本の腕を持つ異形は、黒い空間の向こうへ消えていった。
そして、黒い空間も消滅した。
戦場に静寂が戻る。
誰も、すぐには動けなかった。
やがて、遠くから兵士たちの声が聞こえてくる。
「敵が撤退しています!」
「デュランダル軍が、後退を始めました!」
レイジース・レコードが消えたことで、デュランダル軍の進軍は完全に崩れた。
指揮系統を失った兵士たちは、次々と武器を捨て、戦場から退いていく。
デュランダル軍は大きな損害を受けた。
しかし、セネル側も無傷ではなかった。
アレフは片腕を失い、多くの兵士が倒れている。
和人も魔力を使い果たし、立ち上がることすらできなかった。
フローレンシアは傷だらけになりながら、消えた黒い空間を見つめていた。
涼音が近づく。
「フローレンシア……あいつは一体何だったの?」
フローレンシアは、すぐには答えなかった。
ただ、長剣を握り締める。
「……分かりません」
その表情には、これまで見たことのない緊張が浮かんでいた。
「ですが……あれは、ただの魔物ではありません……魔人」
「マダスカスによって召喚された存在……」
アリシアが呟いた。
「私が見た古文書には、魔物を召喚する秘宝だと書かれていました。でも、あんな存在が呼び出されるなんて……」
「召喚した者たちは、あいつを制御できているのか?」
和人が地面から顔を上げた。
「分からないわ」
アリシアは首を横に振った。
「ただ、あの魔人が現れたことで、デュランダル軍の行動が変わったのは確かよ。軍の指揮官として動いていたのか、それとも、ただ戦いを楽しんでいたのか……」
「どちらにしても、放っておけない相手だな」
和人は、空を見上げた。
カグヅチを放った時、魔人の身体を包んだ黒い魔力。
あれは、単に魔法を防いでいるのではない。
まるで、魔法の力そのものを喰らっているようだった。
そして、あの黒い空間。
湖底遺跡で自分を飲み込んだ闇と、どこか似ていた。
「……俺の中にある力と、何か関係があるのか?」
和人の呟きに、フローレンシアが振り向いた。
「和人さん。今、何と?」
「いや……まだ、確信はないんだ」
和人は、ゆっくりと上体を起こした。
「でも、あいつを召喚したマダスカスについて、もっと調べる必要がある。七賢人は、いったい何のために、あんなものを作ったんだ?」
誰も答えられなかった。
ただ一つ、確かなことがあった。
――マダスカスは、まだ本当の力を見せていない。
そして、レイジース・レコードもまた、全力を出してはいなかった。
次なる陰謀――残る秘宝を求めて
その頃、デュランダルでは――。
ガルヴァーとランガスが、誰もいない謁見の間で向かい合っていた。
「成功だ」
ガルヴァーは、満足そうに笑った。
「レイジース・レコードは、想定以上の力を持っていた。セネルもヴァリアスも、あの存在を目の当たりにしたはずだ」
「ええ。しかし、完全に我々の指示に従うわけではないようです」
ランガスが不安げに言う。
「戦場から姿を消したのも、我々の命令ではありませんでした」
「構わん」
ガルヴァーは、七賢人の書を開いた。
「今は、あの力を世界に見せつけることが重要なのだ。両国が恐怖に駆られれば、秘宝を守る余裕もなくなる」
「では、次は……」
「残る秘宝を手に入れる」
ガルヴァーは、ページに記された七つの紋様を指でなぞった。
「セネルの五つ、ヴァリアスのディストラ、そして我が国のマダスカス。七つが揃えば、何が起こるのか……その答えを、我々が確かめるのだ」
ランガスは頷いた。
「しかし、セネルには和人がいます。あの男は、想像以上に強くなっている」
「だからこそ、利用価値がある」
ガルヴァーの目が細くなる。
「七つの秘宝は、ただ集めればよいわけではない。誰が持つか、どのような意思で使うか。それによって、結果が変わる可能性がある」
「では、和人も計画に必要だと?」
「まだ分からぬ。だが、レイジース・レコードがあの男に興味を示した。ならば、調べる価値はある」
ガルヴァーは書を閉じた。
「次の一手を急げ。セネルが真相に近づく前に、ディストラを手に入れる」
「承知しました」
ランガスが一礼する。
その時、机の上に置かれたマダスカスが、かすかに光を放った。
赤い輝きの奥に、一瞬だけ黒い影が浮かび上がる。
ガルヴァーは、目を細めた。
「……また反応したか」
宝石は、誰の手にも触れられていないのに、まるで何かに呼びかけるように脈打っていた。
その光を見つめながら、ガルヴァーは小さく呟く。
「七つの秘宝が共鳴する時……いったい、何が目覚めるのだろうな」
答えは、まだ誰にも分からなかった。
ただ、マダスカスが生み出した存在は、すでにこの世界へ現れている。
そして、その魔人は、次にどこへ現れるのかさえ分からない。
戦争は終わるどころか――。
これまでとは比較にならないほど、大きな戦いへ変わろうとしていた。




