第16章 偽りの戦火――王国を操る者たち
セネルに迫る新たな脅威
デュランダル、そしてヴァリアス。
両国との戦いに勝利したセネルは、第三勢力として確かな存在感を示し始めていた。
しかし、その勝利は同時に、新たな危機の幕開けでもあった。
これまで調査を続けてきた七賢人と、彼らが生み出した七つの秘宝。その存在が、ついに両国へと知られてしまったのだ。
そして、そのうち五つをすでに手にしている者がいる。
――柊和人。
両国にとって、セネルが第三の勢力となったこと以上に危険なのは、和人たちが七つの秘宝のうち五つを所有しているという事実だった。
残る二つは、デュランダルのマダスカスと、ヴァリアスのディストラ。
もし両国が秘宝の調査を本格的に始めれば、いずれセネルへ目を向けることになるのは必然だった。
そして、その予想は現実になろうとしていた。
「急がなければなりませんね」
セネルの中心にあるフローレンシアの屋敷。
以前は大きな貴族屋敷だった建物は、今や城と呼んでも差し支えないほどの規模へと拡張されていた。
屋上には望遠鏡が設置され、周辺の街道や両国へ続く道を監視する兵士たちが立っている。
会議室では、フローレンシアが地図を広げ、ミッチェルとピートに指示を出していた。
「ミッチェル、ピート。自警団の編成を見直してください。兵士の数だけではなく、見張りの配置も増やしましょう。特に、街へ通じる街道と水路は重点的にお願いします」
「承知しました。戦闘要員だけでなく、住民を避難させるための部隊も編成しておきます」
ミッチェルが答えると、ピートも地図に目を落とした。
「正面から攻めてくるとは限りません。食料の輸送路を断たれれば、戦う前に街が立ち行かなくなる可能性もあります。物資の備蓄と輸送経路も確認しておきましょう」
「ええ。セネルは、もはや誰にも知られていない自由都市ではありません。デュランダルとヴァリアス、どちらから攻め込まれても不思議ではないのです」
フローレンシアは窓の外へ視線を向けた。
「私たちが守るべきなのは、秘宝だけではありません。この街で暮らす人々の命と、ようやく手に入れた平穏です」
その言葉に、二人は静かに頷いた。
一方、街では――。
「以前とは、ずいぶん変わりましたね」
ルークは通りを歩きながら、周囲を見渡していた。
かつてのセネルには荒くれ者や冒険者が多く、どこか殺伐とした空気が漂っていた。統治する者がいなかったため、一部では無法地帯となり、力の弱い者が安心して暮らせる場所ではなかった。
だが、今は違う。
商人が店を開き、冒険者が酒場で笑い、子供たちが通りを走っている。
ルークたちによる地道な見回りと街の整備によって、治安も少しずつ安定していた。
セネルは、ただの無法都市ではなくなっていたのだ。
通りの向こうでは、荷車を押す商人が店先の若者に声をかけていた。
「おい、そこの荷物を運ぶのを手伝ってくれ。最近は物がよく売れるから、こっちも大忙しだ」
「分かったよ! その代わり、あとで一杯おごってくれよ!」
「ははっ、調子のいい奴だな!」
そんな何気ない光景を見て、ルークは微笑んだ。
――この街を、戦争に巻き込ませるわけにはいかない。
しかし、その平穏を脅かそうとしている者たちは、すでに動き始めていた。
そして、その目的は単なる領土争いではなかった。
デュランダル――七賢人の神殿
その頃、デュランダルでは。
アリシアは数名の騎士を連れ、古代の神殿へと足を踏み入れていた。
そこは、かつて七賢人が活動していたとされる場所。
崩れかけた柱には見たこともない文字が刻まれ、壁の奥からは、今なお消えずに残る魔力の気配が感じられた。
「ここで間違いないようですね……」
アリシアは壁面に刻まれた古代文字を見つめた。
「皆さん、手分けして調べてください。七賢人や秘宝について書かれた文献が、どこかに残っているはずです」
「はっ!」
騎士たちはそれぞれ別れて、崩れかけた書棚や石碑を調べ始めた。
しばらくすると、一人の騎士が埃をかぶった古文書を抱えて戻ってきた。
「騎士団長。こちらを見つけました」
「ありがとう。慎重に扱ってください。何百年も前のものかもしれません」
アリシアは古文書を受け取り、傷んだページを一枚ずつめくっていった。
そして――。
「……七賢人」
その文字を見つけた瞬間、彼女の表情が変わった。
そこには、七賢人と、彼らが生み出した秘宝についての記録が残されていた。
だが、すべてが記されているわけではない。
途中のページは破り取られ、肝心な部分には、何者かが削り取ったような跡が残されていた。
「どうして、ここだけ……?」
アリシアは眉をひそめた。
残された記述によれば、秘宝を単独で起動させるには膨大な魔力が必要になるという。
さらに、その力を引き出すには、高ランクの魔法師が欠かせないらしい。
アリシアはページを閉じ、深く考え込んだ。
「……やはり、そういうことなのね」
デュランダルには、高ランクの魔法師がほとんど存在しない。
ならば、秘宝の力を引き出すためには、ヴァリアスの魔法師を捕らえる必要がある。
以前、涼音から聞かされた話が脳裏をよぎった。
――国王の側近たちが、ヴァリアスの魔法師を捕らえ、その魔力を無理やり吸い上げようとしているかもしれない。
「まさか、本当に……?」
アリシアは古文書を閉じた。
まだ確証はない。
しかし、もしそれが事実なら、騎士団長として見過ごすことはできなかった。
「団長、いかがなさいましたか?」
「……少し、確かめたいことができました。すぐに城へ戻ります」
アリシアは神殿を後にした。
胸の奥には、戦場で涼音と交わした言葉が、消えない棘のように残っていた。
彼女は敵だった。
だが、かつて共に戦った仲間でもある。
だからこそ、あの言葉を簡単に嘘だと決めつけることはできなかった。
デュランダル王城。
アリシアは急ぎ足で王の執務室へ向かった。
扉の前に立つ近衛騎士団に謁見を求めると、騎士の一人が室内へ取り次いだ。
「騎士団長アリシア様がお見えです」
「通せ」
国王の声が返ってくる。
アリシアは一礼して執務室へ入った。
「何か火急の知らせでもあるのか、アリシア?」
国王は、彼女の険しい表情を見て尋ねた。
「はい。七賢人の秘宝について、神殿で新たな記録を発見しました」
「ほう……それで?」
「秘宝を起動させるには、高ランクの魔法師が必要だと記されています」
アリシアは一度言葉を切り、国王の目を見た。
「国王陛下は、本当にヴァリアスの魔法師を捕らえ、秘宝の力を引き出すおつもりなのですか?」
室内に沈黙が落ちた。
国王はすぐには答えなかった。
やがて、深く息を吐く。
「……考えてはいた」
「陛下……」
「デュランダルは八百年もの間、ヴァリアスと戦い続けてきた。多くの兵士が命を落とし、民も苦しんでいる。マダスカスの力を使えば、この戦争を終わらせられるのではないかと考えたのだ」
国王は、窓の外に広がる王都を見つめた。
「だが、それが正しい方法なのかは……私にも分からぬ」
その言葉に、アリシアはわずかに安堵した。
「でしたら、魔法の聖地へ向かいましょう」
「魔法の聖地?」
「はい。高ランクの魔法師が集まる場所です。七賢人や秘宝について詳しく知る者がいるかもしれません。秘宝を使う方法だけでなく、使わずに戦争を終わらせる方法も探すべきです」
国王はしばらく考え込んだ。
「……分かった。アリシアの考えは正しい。私も同行しよう」
「陛下ご自身がですか?」
「国の未来を左右する問題だ。誰かに任せきりにはできぬ」
国王は立ち上がった。
「出発の準備を整えよ。少数の護衛だけを連れていく。今回の旅は、できる限り秘密裏に進めたい」
「承知しました」
アリシアは一礼した。
だが、二人はまだ知らなかった。
王城の奥深くで、この会話を聞きつけた者がいたことを。
扉の向こう。
廊下の影に立つ男は、二人の足音が遠ざかるのを待ってから、静かに口元を歪めた。
「……余計なことを調べ始めたな、アリシア」
その男の名は、ガルヴァー。
国王の相談役を務める人物だった。
「計画を早める必要がありそうだ」
彼は誰もいない廊下を歩き出した。
魔法の聖地――秘宝を拒む者たち
数日後。
アリシアと国王直属の部隊は、山々を越え、森を抜け、大河を渡り、ようやく魔法の聖地へと辿り着いた。
そこには、山々に囲まれた美しい湖が広がっていた。
湖面は澄み渡り、周囲には多種多様な魔法師たちが暮らしている。彼らは国境や身分に縛られることなく、魔法の研究や修練を続けていた。
アリシアは代表者と思われる魔法師に歩み寄った。
「突然の訪問、申し訳ありません。私はデュランダルの騎士団長、アリシアと申します。七賢人の秘宝について、お聞きしたいことがあります」
魔法師は、しばらく彼女を見つめた。
「七賢人の秘宝……ですか」
「ご存じなのですか?」
「ええ。七賢人の存在も、彼らが作り出した秘宝のことも」
魔法師は湖の向こうへ視線を向けた。
「デュランダルにある秘宝――マダスカス。それが一国を滅ぼすほどの力を秘めているという説もあります」
「一国を……滅ぼす?」
「秘宝の力がどこまで及ぶのか、正確なことは分かっていません。しかし、制御できないほどの魔力が解放されれば、城だけでは済まないでしょう」
アリシアは息を呑んだ。
「では、秘宝を安全に使う方法はないのですか?」
「その質問に答える前に、ひとつ聞かせてください」
魔法師の目が鋭くなる。
「デュランダルは、その力を何のために使うつもりですか?」
「……戦争を終わらせるためです」
アリシアは答えた。
「ですが、そのためにヴァリアスの魔法師を捕らえ、魔力を無理やり奪うという話もあります。私は、それが本当に国王の意思なのか、確かめたいのです」
魔法師はしばらく黙っていた。
やがて、小さく首を横に振る。
「申し訳ありませんが、協力することはできません」
「なぜです?」
「あなた方が秘宝の力を戦争に使う可能性があるからです」
魔法師は静かに続けた。
「ヴァリアスの秘宝、ディストラにも強大な力があります。魔力を増大させる秘宝だと言われています。もし両国がそれぞれの秘宝を戦争に使えば、勝敗を決めるだけでは終わらないでしょう」
「……」
「力を制御できなければ、城下町そのものが消えるかもしれません。そこで暮らす住人たちも、兵士たちも、何も知らないまま巻き込まれることになります」
アリシアは唇を噛んだ。
「では……何をすればいいのです?」
「両国にある秘宝に封印を施し、戦争をやめることです。秘宝を使わず、両国が和解する。それ以外に、私たちが協力する道はありません」
「しかし、八百年も続いた戦争です。簡単に和解できるとは思えません」
「だからといって、これ以上の犠牲を生み出してよい理由にはなりません」
魔法師の言葉は、静かだが厳しかった。
「あなたが本当に戦争を終わらせたいのなら、秘宝の力を求める前に、なぜ戦争が続いているのかを見極めるべきです」
アリシアは返す言葉を失った。
自分たちは、何を信じて戦ってきたのだろう。
国を守るため。
仲間を守るため。
そして、いつか戦争を終わらせるため。
だが、そのために新たな犠牲を生み出すのなら、自分たちのしていることは本当に正しいのだろうか。
「……分かりました」
アリシアは深く頭を下げた。
「突然の訪問にもかかわらず、話を聞いてくださり、ありがとうございました」
結局、魔法師たちは最後まで協力を拒んだ。
アリシアたちは、何も得られないままデュランダルへ戻ることになった。
ただし、彼女の胸にはひとつの疑念が残っていた。
――秘宝の力を求めているのは、本当に国王なのだろうか。
そして、その疑念を確かめる時間は、彼女が思っていたよりも残されていなかった。
セネル防衛戦――未知の騎士団長
アリシアたちが魔法の聖地を訪れている頃。
セネルでは、別の戦いが始まろうとしていた。
「フローレンシア様!」
監視塔から兵士が駆け込んできた。
「デュランダルの軍勢を確認しました!」
「ついに来ましたか。それで、数は?」
「二千……いえ、さらに増えている可能性があります!」
会議室の空気が一瞬で変わった。
フローレンシアは立ち上がり、地図へ視線を落とした。
「ミッチェル、ピート。総力戦の準備を。街の防衛を優先し、住民を戦場から遠ざけてください」
「承知しました!」
「敵がこちらを包囲しようとした場合の退路も確保しておきます」
ミッチェルとピートが部屋を飛び出していく。
その頃、和人たちは治療院にいた。
涼音はベッドに腰掛け、治療を受けながら、窓の外を眺めていた。
二度にわたる戦闘で、彼女は体力と魔力を大きく消耗していた。命に関わる傷ではなかったものの、完全に回復したとは言い難い状態だった。
「……また戦いね」
涼音が小さく呟く。
その隣で、和人は腕を組んでいた。
「今回は前より厳しいかもしれない。相手は大軍だ。しかも、こっちは連戦で疲労が残ってる」
「分かってるわ」
「なら、無理はするなよ。お前が倒れたら、俺は……」
和人は、そこで言葉を止めた。
涼音は彼の顔を見つめる。
「俺は、何?」
「……作戦を立て直すのが大変になる」
「ふうん。そういうことにしておくわ」
涼音は少しだけ笑った。
だが、すぐに真剣な表情へ戻る。
「和人。私は戦える限り、みんなと一緒に戦いたい。セネルを守るために、私たちが始めたことなんだから」
「……分かってる。でも、守るための戦いで仲間を失いたくないんだ」
「それは私も同じよ」
二人の間に、短い沈黙が流れた。
やがて和人は立ち上がる。
「分かった。前線には出さない。だけど、もし危険が迫ったら、すぐに退いてくれ」
「ええ。約束するわ」
その約束が守られるかどうかは、まだ誰にも分からなかった。
セネル郊外。
街から十分に離れた平原に、デュランダル軍が姿を現した。
地平線を埋め尽くすほどの軍勢。
その先頭には、銀色の鎧をまとった騎士たちが並んでいる。
「……前回とは、明らかに違うな」
和人は杖を握りしめた。
先の戦いでは、アリシアが率いる部隊を退かせることができた。だが、今回の軍勢には、彼女の姿が見当たらない。
「ベルクール!」
「任せて!」
ベルクールが弓を構える。
和人は彼女の矢に炎の魔力をまとわせた。
「フレイムランスを撃ち込む! 中央を狙ってくれ。うまくいけば敵の隊列を分散できる!」
「了解!」
次の瞬間。
炎をまとった矢が、雨のように敵陣へ降り注いだ。
爆炎が上がり、デュランダル軍の前衛が足を止める。
「今だ!」
和人の合図とともに、ソフィー、マーリン、クロームが一斉に飛び出した。
エリーの風魔法が三人の身体を包み、速度を一気に引き上げる。
「行くわよ!」
ソフィーが白龍を抜き、光を帯びた斬撃を放つ。
マーリンのレイピアからは真空の刃が飛び、クロームの大鎌が敵の武器を次々と弾き飛ばしていった。
だが――。
「止まらない……!」
敵軍は倒れてもなお前進してくる。
その数は圧倒的だった。
しかも、前衛の騎士たちは異様なほど統率が取れていた。仲間が倒れれば、すぐに別の兵士がその穴を埋める。こちらの攻撃を受けながらも、隊列を崩そうとしない。
「ただの数押しじゃない……誰かが、こいつらを完璧に指揮している!」
和人が叫んだ、その時だった。
敵陣の中央から、一人の男が歩み出てきた。
巨大な大剣を携えた騎士。
鎧には見慣れない紋章が刻まれている。通常の騎士団長が身につけるものとは異なり、王家の紋章さえ見当たらなかった。
「……あれが指揮官か?」
和人は目を細めた。
「ヤバそうだな……」
男は答える代わりに、大剣を振り下ろした。
轟音とともに地面が砕け、周囲の兵士たちが吹き飛ばされる。
「なんだ、あの威力は!」
ソフィーが身を翻す。
男はさらに踏み込み、ソフィーの白龍による斬撃を大剣で受け止めた。
金属音が響き渡る。
「……この剣、ただの大剣じゃないわね」
「ほう。気づいたか」
男の声は、妙に落ち着いていた。
「剣に魔力を込めている。それも、普通の魔法剣とは違う……」
ソフィーが距離を取る。
男の大剣には、黒い光がわずかに走っていた。
その光を見た瞬間、和人の胸の奥がざわついた。
――なんだ、今の感覚は?
湖底遺跡で、暗黒の力に飲み込まれた時と似ている。
だが、考える暇はなかった。
「涼音!」
戦場へ駆けつけていた涼音が、男へ斬りかかる。
「はあっ!」
水の刃が大剣を弾こうとした。
しかし――。
「遅い」
男の姿が、一瞬で消えた。
「なっ……!」
次の瞬間、涼音の背後に男が現れる。
「涼音、避けろ!」
和人の叫びが響いた。
大剣が振り下ろされる。
「っ……!」
涼音は寸前で身をひねったが、斬撃を完全には避けきれなかった。背中をかすめた一撃に体勢を崩し、そのまま地面へ倒れ込む。
「涼音!」
和人は急いで彼女のもとへ駆け寄った。
「ヒールウォーター!」
水の魔法が傷を包み込む。
「くっ……ごめん、和人。少し油断したわ」
「謝るな。今は治療に集中しろ!」
和人は涼音を後方へ下がらせ、顔を上げた。
「ソフィー! 頼む!」
「分かってる!」
ソフィーは黒龍を使い、敵の視界から姿を消した。
次の瞬間、男の死角から白龍による斬撃が襲いかかる。
しかし、男は振り向きもせず、大剣でそれを受け止めた。
「……っ!」
ソフィーの表情が険しくなる。
「今のを見ずに防いだの?」
「見えずとも、殺気は感じる」
男は大剣を押し返した。
「次は、お前だ」
凄まじい圧力がソフィーを襲う。
ソフィーはかろうじて攻撃をかわしたものの、簡単には反撃できなかった。
和人は戦場を見渡した。
味方も次々と負傷している。
敵の数は少しずつ減っているが、指揮官だけが異常な強さを見せていた。
「このままじゃ……押し切られる!」
和人は杖を握りしめた。
「アリス!」
「はい!」
「俺が合図を出す。広範囲魔法を頼む!」
アリスは一瞬、周囲を見渡した。
「味方も巻き込む可能性があります!」
「分かってる! だから俺が合図を出すまで待て!」
和人は空へ向けて炎の魔法を放った。
「フレイムホール!」
巨大な火球が空高く舞い上がる。
「全員、退避しろ!」
セネル軍が一斉に後退する。
その直後、アリスが杖を掲げた。
「凍てつく大地よ――すべてを封じよ!」
――コキュートス。
大地が一瞬で凍りついた。
凍結は敵陣の前方から広がり、進軍していた兵士たちの足を次々と氷で覆っていく。
「なっ……!」
「足が動かない!」
敵軍の大半が足止めされ、隊列が崩れた。
だが、魔法の範囲が広すぎた。
退避が間に合わなかったセネル兵の一部も、氷に足を取られて倒れてしまう。
「くっ……!」
和人は歯を食いしばった。
敵を止めるためとはいえ、味方にも被害が出た。
そして、その混乱の中でも、あの騎士だけは立っていた。
男は大剣で氷を砕きながら、和人たちを見つめる。
「なるほど。これがセネルの力か」
男は、わずかに笑った。
「報告にあった通りだ。お前たちは、想像以上に厄介らしい」
「お前……何者だ?」
和人が問いかける。
男は答えなかった。
「今日はここまでだ」
大剣を肩に担ぎ、後方へ手を掲げる。
「撤退!」
その命令とともに、デュランダル軍は一斉に後退を始めた。
戦場には、砕けた氷と、倒れた兵士たちが残された。
和人はその光景を見つめたまま、しばらく動けなかった。
前回の戦いとは違う。
今回の敵は、ただ強いだけではなかった。
そして、あの騎士の剣から感じた黒い魔力。
それは、和人自身の中に眠る何かを呼び覚ますような、不気味な感覚だった。
「……あいつは、いったい何者なんだ」
和人の呟きに、誰も答えられなかった。
アリシアが見た真実
その頃。
魔法の聖地から戻ったアリシアは、国王と別れ、城へ入ろうとしていた。
しかし、執務室の近くまで来た時だった。
室内から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……セネルにある五つの秘宝。そして、ヴァリアスにあるディストラ。残るマダスカスも我々の手に入れば、計画は完成する」
アリシアの足が止まった。
声の主は、ガルヴァー。
そして、もう一人。
国王の側近、ランガスだった。
「セネルがあれほどの戦力を持っているとはな。あの若造、想像以上に厄介だ」
「だが、問題はない。両国が互いを敵視している限り、セネルもいずれ孤立する」
「それに、国王にはすでに毒を盛ってある。そう長くは持つまい」
アリシアの顔から血の気が引いた。
「……毒?」
思わず声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。
室内では、二人の会話が続いていた。
「マダスカスに必要な魔力は、教会の司教と信者からすでに集めてある」
「よくやった。あれだけの魔力があれば、起動実験も進められる」
「問題は、召喚されたゼルガディスだ。あれさえ手に入れば、ヴァリアスなど恐れる必要はない」
アリシアは息を呑んだ。
ゼルガディス。
その名は、彼女も聞いたことがあった。
だが、召喚された存在が何者なのか、詳しいことは知らされていない。
「国王には、もう退場してもらう」
ガルヴァーの声が冷たく響いた。
「その後は我々がデュランダルを支配する。戦争を終わらせる必要もなくなる。両国を争わせ、残った力をすべて回収すればいい」
「セネルとヴァリアスを戦わせるのだな?」
「ああ。セネルからの使者を装えばいい。互いに殺し合えば、両国の戦力は削られる。その間に、我々は秘宝を手に入れる」
アリシアの手が震えた。
――違う。
これは戦争を終わらせるための戦いではない。
この二人は、最初から戦争を終わらせるつもりなどなかったのだ。
両国の憎しみを利用し、国王さえも排除して、すべてを自分たちの支配下に置こうとしている。
「……しかし、ひとつ問題がある」
ランガスが声を落とした。
「騎士団長のアリシアだ。国王からの信頼も厚く、最近は秘宝について嗅ぎ回っている」
「厄介な女だな」
ガルヴァーはしばらく考えた後、静かに答えた。
「反逆者として処分するか、こちら側へ引き込むか……。どちらにせよ、計画の邪魔はさせん」
アリシアは静かにその場を離れた。
足音を立てないよう、廊下の角を曲がる。
誰にも見つからない場所まで移動してから、ようやく壁に手をついた。
「……私も、狙われている」
国王は毒を盛られている。
秘宝を起動させるために、教会の人々から魔力が集められている。
そして、ゼルガディスという存在まで、彼らの計画に組み込まれている。
どれも、騎士団長として見過ごせる話ではなかった。
アリシアは拳を握りしめた。
「……涼音。あなたの言っていたことは、本当だったのね」
彼女は、すぐに国王のもとへ戻るべきか迷った。
しかし、もしガルヴァーたちが国王の周囲をすでに掌握しているのなら、下手に動けば自分まで捕らえられてしまう。
まずは、信頼できる者を探さなければならない。
そして、何よりも先に――。
「国王陛下を、お守りしなければ……!」
アリシアは決意した。
たとえ、王国そのものを敵に回すことになろうとも。
偽りの使者――両国を引き裂く罠
その頃、ヴァリアスにも一通の書状が届いていた。
差出人は――セネル。
書状を受け取ったエリスは、内容を確認した瞬間、表情を険しくした。
『ヴァリアスの秘宝を奪還するため、セネルは近日中にヴァリアスへ侵攻する。城下町も含め、全勢力をもって壊滅させる』
「……和人が、こんなことを?」
エリスは書状を握りしめた。
隣にいたオルスターも、内容を読み、眉をひそめた。
「おかしいな。和人の話では、奴らは戦争を終わらせるために動いているはずだ」
「ですが、この書状は明らかな宣戦布告です」
「筆跡や印章は?」
「セネルのものと酷似しています。正式な使者が持参したわけではありませんが、偽造されたと断定するには材料が足りません」
エリスは机に書状を置いた。
和人とは、戦場で再会したばかりだ。
彼は両国の宝石を手に入れると告げた。
しかし、ヴァリアスそのものを滅ぼすとは言っていなかった。
「……何かがおかしい」
エリスは呟いた。
「私もそう思う。だが、セネルが強大な軍事力を持っていることも事実だ。もし本当に攻めてくるのなら、こちらも備えなければならない」
オルスターの言葉に、エリスは苦しそうに目を閉じた。
「まずは、使者を送って真意を確かめましょう。和人が本当に戦争を終わらせたいのなら、話し合いに応じるはずです」
「分かった。こちらからも使者を出そう」
しかし、その決断を待っていたかのように、別の使者が現れた。
その男はセネルの紋章を掲げ、ヴァリアスの城門をくぐった。
「我々はセネルからの使者です。戦争を望んでいません。両国の間で、話し合いの場を設けたいと考えております」
兵士たちは互いに顔を見合わせた。
先ほど届いた書状とは、まるで正反対の内容だった。
「何を言っている! 先ほど、セネルから宣戦布告が届いたばかりだぞ!」
「そんなはずはありません! 我々は、和解のために来たのです!」
使者は必死に訴えた。
だが、兵士たちの疑念は消えなかった。
「偽りだ!」
誰かが叫んだ。
「セネルの連中が我々を油断させようとしているに違いない!」
「待ってください! 私は本当に――」
次の瞬間、魔法が放たれた。
「ぐあっ……!」
使者の身体が地面に倒れ込む。
彼は最後まで言葉を伝えることができなかった。
知らせを受けたエリスは、すぐに現場へ駆けつけた。
「何をしているのです!」
だが、すでに遅かった。
使者は息をしていなかった。
エリスは、彼の手元に落ちていた書状を拾い上げた。
そこには、和解を求める言葉が記されていた。
「……どうして」
エリスは唇を噛んだ。
「どうして、こんなことに……」
和人が本当に侵攻を計画しているのなら、和解を申し入れる必要などない。
逆に、和解を求めているのなら、最初の書状は何なのか。
どちらかが嘘をついている。
あるいは――両方とも、誰かに利用されている。
エリスは顔を上げた。
「オルスター。セネルへ向かいます」
「エリス?」
「直接、和人に会って確かめます。これ以上、誰かの思惑で兵士たちが命を落とすのを見過ごせません」
オルスターはしばらく考えた後、頷いた。
「分かった。私も同行しよう。ただし、こちらの軍勢を率いていく以上、相手が攻撃してきた場合には備えなければならない」
「ええ……」
エリスは、倒れた使者をもう一度見つめた。
「どうか、これ以上の犠牲が出ませんように……」
だが、その願いが届く前に、次の戦いは始まろうとしていた。
ヴァリアス軍、セネルへ進軍
セネル。
和人たちのもとへ、使者が駆け込んできた。
「報告します! ヴァリアスへ派遣した使者が、現地で殺害されたとのことです!」
「……何だって?」
和人は思わず立ち上がった。
「間違いありません。交渉のために派遣した使者が、ヴァリアス側の兵士によって殺されたそうです」
「そんなはずはない……」
和人は首を振った。
「俺がヴァリアスにいた頃、エリスやオルスターと一緒に戦った。あの二人は、理由もなく使者を殺すような人間じゃない」
フローレンシアは、机の上に置かれた二通の報告書を見比べた。
一通は、ヴァリアスを壊滅させると記した宣戦布告。
もう一通は、和解を求めた使者の報告。
「つまり、誰かが両国を戦わせようとしている……そう考えるのが自然ですわね」
「でも、いったい誰が?」
エリーが不安そうに尋ねた。
「まだ分からない。だが、両国が同時に動き始めたこと、そして七賢人の秘宝が知られた直後に起きたことを考えれば、偶然とは思えない」
和人は拳を握った。
「俺たちが秘宝を持っていることを利用して、両国の戦力を削ろうとしている奴がいるのかもしれない」
その瞬間だった。
「報告します!」
兵士が飛び込んできた。
「ヴァリアス軍と思われる大部隊が、セネルへ向かって進軍しています!」
室内が静まり返った。
「……来たか」
和人は杖を手に取った。
「どのくらいの規模だ?」
「詳細は確認中ですが、少なくとも数千人規模と見られます!」
フローレンシアが立ち上がった。
「ミッチェル、ピート。住民の避難を最優先に。街の防衛部隊は、戦場となる区域から住民を遠ざけてください」
「承知しました!」
「和人さん。どうなさいますか?」
フローレンシアが尋ねた。
和人はしばらく考え込んだ。
こちらから攻撃すれば、ヴァリアスはセネルを敵と認識するだろう。
しかし、何もせずにいれば、街が戦場になる。
「……戦うしかない。でも、今回の目的は敵を倒すことじゃない」
和人は仲間たちを見渡した。
「進軍を止める。できるだけ傷つけずに戦いを終わらせるんだ」
ソフィーが頷く。
「簡単ではないわね。相手は、こちらを滅ぼすつもりで来るかもしれない」
「それでもだ。俺たちは、両国の戦争を終わらせるためにセネルを作った。ここで同じことを繰り返したら、何のために戦ってきたのか分からなくなる」
和人は深く息を吸った。
「涼音が戻るまで、俺たちだけで持ちこたえる。無理な追撃は禁止。負傷者が出たら、すぐに後方へ下げろ」
仲間たちは、それぞれの武器を手に取った。
そして――。
ヴァリアス軍が、セネル郊外へ姿を現した。
幻惑と精霊術――進軍を止めろ
突然のヴァリアス軍襲来。
涼音はまだ治療院で休んでおり、戦場には出られない。
和人は残る仲間たちを七つの部隊に分けた。
アレフ。
アリス。
シンシア。
クローム。
クレア。
ベルクール。
そして、和人自身が指揮する魔法部隊。
「この戦いの目的は、敵を倒すことじゃない!」
和人が声を張り上げた。
「進軍を止める! できるだけ傷つけずに戦いを終わらせるんだ!」
「了解!」
アレフが雷をまとった剣を構えた。
「敵の前衛は俺たちが引き受ける。だが、深追いはしない!」
「私たちは後方から支援します」
アリスが杖を構える。
「氷で足止めすることはできますが、範囲を間違えれば味方にも影響します」
「その判断は俺がする。合図を見逃すな」
和人はクレアを振り返った。
「地の精霊術なら、敵の足を止められるんだよな?」
「はい。ただし、大規模な術になるため、詠唱に時間が必要です。敵に気づかれれば、発動前に妨害されるかもしれません」
「よし。その時間を俺たちが作る!」
シンシアが微笑んだ。
「では、私も協力しましょう。幻惑を使って敵の進軍を乱します」
ベルクールが弓を構えた。
「なら、私は矢を撃ち込みます。ただし、敵兵ではなく、その手前に。威嚇として使う、ということでいいですね?」
「ああ、頼む!」
ベルクールの矢が放たれた。
シンシアの幻惑が矢に重なり、敵軍の前方に無数の兵士の姿が現れる。
「敵襲だ!」
「魔法を放て!」
ヴァリアス軍が一斉に魔法を放った。
だが、そこにいるのは幻影だった。
「待って!」
エリスの声が響く。
「幻惑よ! 惑わされないで!」
彼女はすぐに幻影を見破った。
しかし、魔法の発動を止めようとした兵士たちの間には、わずかな混乱が生まれていた。
その隙を、和人は逃さなかった。
「だったら、これはどうだ!」
杖を掲げ、敵軍の目前へ炎を放つ。
「炎よ、爆ぜろ!」
巨大な炎が炸裂した。
爆風が地面を揺らし、敵兵たちが思わず足を止める。
「和人さん! 準備できました!」
クレアが叫んだ。
「今です!」
彼女は両手を地面へ向ける。
「地の精霊よ! その姿を変え、すべてを泥濘へと変えよ!」
大地が震えた。
次の瞬間、ヴァリアス軍の前方一帯がぬかるんだ泥へと変わる。
「なっ……!」
「足が沈む!」
「動けない!」
兵士たちの足が土に沈み、進軍が止まった。
クレアは歯を食いしばった。
「長くは持ちません! この規模では、私の魔力もかなり消耗します!」
「十分だ!」
和人は馬に飛び乗った。
目指す先には、エリスとオルスターがいた。
「エリス!」
「和人!」
二人の視線が交差する。
かつて同じ場所で戦った仲間。
今は互いの軍を率いる、敵同士。
「話を聞いてくれ! 俺たちはヴァリアスと戦うつもりなんてない!」
和人は叫んだ。
だが、エリスの目には怒りが宿っていた。
「セネルがヴァリアスを滅ぼそうとしていることは分かっています!」
「違う! その書状は偽物だ!」
「では、なぜセネルの名で、あのような書状が届いたのですか!」
「俺にも分からない! だからこそ、誰かが俺たちを戦わせようとしていると考えているんだ!」
エリスは杖を握りしめた。
「……口では何とでも言えます」
「エリス……」
「ならば、証明してください!」
彼女は杖を構えた。
「私と戦って!」
「……!」
「あなたが勝ったなら、話を聞きます。ですが、私が勝てば、セネルが本当に戦争を望んでいないのか、もう一度考えさせてもらいます!」
和人は苦しそうに目を閉じた。
できれば戦いたくなかった。
だが、エリスは軍を率いる立場にある。彼女自身が納得しなければ、ヴァリアス軍を止めることはできない。
「……分かった。一騎打ちだ」
和人は杖を構えた。
「ただし、俺はお前を殺すつもりはない」
「それは、戦ってから決めます!」
二人は向かい合った。
和人VSエリス――譲れない信念
先に動いたのはエリスだった。
「光よ、貫け!」
無数の光の刃が、和人へ向かって飛来する。
「ファイアーウォール!」
炎の壁が立ち上がり、光の刃を弾き返した。
だが、エリスは攻撃を止めない。
「まだです!」
彼女が杖を振ると、光の刃が軌道を変え、左右から和人へ迫った。
「フレイムバレット!」
和人は炎弾を連続で放ち、光の刃を撃ち落とす。
続けて水魔法へ切り替えた。
「ウォータージェイル!」
水の牢獄がエリスを包み込む。
しかし――。
「甘い!」
エリスも水魔法をぶつけ、牢獄を破壊した。
「ウォーターカッター!」
無数の水刃が襲いかかる。
和人は風魔法で身体を加速させ、次々と回避した。
「フレイムカッター!」
炎の刃で水刃を相殺していく。
激しい魔法の応酬。
周囲の兵士たちも、二人の戦いを見守っていた。
「すごい……あのエリス様と互角に戦っている!」
「いや、和人の方が押しているのか……?」
だが、和人の表情は険しかった。
彼は、エリスの攻撃を完全にはね返すことができる。
今の魔力なら、さらに強力な魔法を使うことも可能だった。
それでも、決定的な一撃を放てない。
かつて共に戦った仲間を、自分の手で傷つけたくなかったのだ。
エリスは、その迷いを見抜いていた。
「……和人!」
「!」
「あなた、私を傷つけるつもりがないでしょう!」
和人は答えなかった。
「しかも、以前とは比べ物にならないほど魔力が増している。それなのに、手加減しているわね?」
「……」
「なぜ本気を出さない!」
エリスは自身に風魔法をまとわせた。
一瞬で間合いを詰め、和人の懐へ飛び込む。
「しまっ……!」
和人が目を見開いた瞬間、エリスの手が胸元へ触れた。
「これだけ近づけば――ウォーターカッター!」
「ぐっ……!」
水の刃が和人の身体を切り裂いた。
鮮血が舞い、和人の身体が後方へ吹き飛ぶ。
「和人!」
オルスターが叫んだ。
和人は地面に手をつき、苦痛に顔を歪めながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「……エリス」
胸元から血が流れ落ちる。
それでも、和人は杖を握り直した。
「どうして、そこまで……」
エリスの声が震える。
「どうして、本気で私を倒そうとしないのですか!」
和人は、しばらく彼女を見つめた。
「……お前が、間違っていると決めつけたくないからだ」
「……!」
「お前は、ヴァリアスを守るために戦っている。俺も、セネルを守るために戦っている。立場は違っても、守りたいものまで違うとは限らないだろ」
和人は血を拭い、杖を構え直した。
「だから、俺はお前を殺したくない。戦争を終わらせるために、仲間を殺すなんて……そんなの、間違っている」
エリスの目が揺れた。
だが、彼女はすぐに表情を引き締めた。
「……それでも、あなたが本当に正しいのか、私は確かめなければなりません!」
「そうか……」
和人は息を吸い込んだ。
「なら、これで終わらせる!」
杖の先に、強大な魔力が集まっていく。
「森羅万象、すべての存在よ――」
炎が渦を巻き、大気が震えた。
「創生の炎よ、来たれ!」
巨大な炎の竜が出現する。
「フレイムドラゴンブレス!」
炎の竜が咆哮を上げ、エリスへと襲いかかった。
「きゃああああっ!」
炎が彼女を包み込む。
しかし、和人は最後の瞬間に魔力の流れを変えた。
炎の大半を逸らし、エリスへ致命傷を与えないよう制御したのだ。
その分、魔力の消耗は激しかった。
「これで……終わりだ!」
和人は残った魔力を杖の先へ集める。
「フレイムショック!」
炎が爆ぜ、衝撃だけがエリスの身体を打ち抜いた。
「……和人……」
エリスの身体から力が抜け、その場に倒れ込む。
和人はすぐに駆け寄った。
「ヒールウォーター!」
水の魔法で、彼女の傷を癒やす。
「……本当に、無茶をする男ですね」
エリスがかすかに目を開けた。
「それは、お互い様だろ……」
和人は苦笑した。
その時、オルスターが二人のもとへ歩み寄った。
「……お前は、本当に不思議な男だな」
「オルスター……」
「以前とは比べ物にならない魔力を持ち、エリスを倒せる力がありながら、最後まで殺そうとはしなかった」
オルスターは、周囲の戦場を見渡した。
セネルの兵士たちは、倒れたヴァリアス兵を追撃していない。
むしろ、負傷した敵兵を安全な場所へ運び、治療を受けさせようとしている者さえいた。
「敵意がないことは分かった」
オルスターは杖を下ろした。
「兵を止める。これ以上の戦闘は不要だ」
和人は驚いた。
「オルスター……信じてくれるのか?」
「まだ、すべてを信じたわけではない」
オルスターは静かに答えた。
「だが、この戦争には何かがおかしい。セネルが本当にヴァリアスを滅ぼすつもりなら、使者を送って和解を求める必要はないはずだ」
「……!」
「エリスを連れて、セネルへ行こう。直接、話を聞く必要がある」
和人は深く頷いた。
「分かった。歓迎するよ。俺たちも、真実を知りたいんだ」
こうして、ヴァリアス軍の進軍は止まった。
エリスは治療のためセネルへ運ばれ、オルスターも同行することになった。
だが、和人たちはまだ知らなかった。
この戦いの裏側で、さらに大きな計画が動いていることを。
戦争の裏側――ゼルガディスの影
同じ頃。
デュランダルでは、ガルヴァーが少数の兵を率いて城を出ていた。
向かう先は、魔法の聖地。
アリシアと国王が訪れた場所だった。
「準備は整っているのだろうな?」
ガルヴァーが尋ねる。
「はい。必要な器具と魔力の結晶は、すべて運び込んであります」
側近が答えた。
「教会から集めた魔力だけでは、完全な起動には足りない可能性があります」
「問題ない。足りなければ、さらに集めればいい」
ガルヴァーは平然と言い放った。
「我々には、時間がないのだ」
「ゼルガディス様は、すでに目覚めているのでしょうか?」
その名が出た瞬間、ガルヴァーの表情がわずかに変わった。
「……まだ完全ではない。だが、目覚めれば、もはや誰にも止められぬ」
彼は空を見上げた。
「七賢人の秘宝。そのすべてを手に入れれば、世界の仕組みさえ変えられる。国王も、王国も、戦争も……すべてが我々の望む形になる」
「しかし、五つの秘宝を持つセネルが邪魔になります」
「だからこそ、両国を戦わせるのだ。セネルが疲弊し、デュランダルとヴァリアスが互いに傷つけば、秘宝を奪う機会も生まれる」
ガルヴァーは口元を歪めた。
「戦争とは便利なものだ。人々は敵を倒すことばかり考え、自分たちが誰に利用されているのか、疑おうともしない」
その時、彼の懐に入れていた小さな結晶が、かすかに黒い光を放った。
ガルヴァーは足を止める。
「……反応したか」
結晶の表面には、七つの刻印が浮かび上がっていた。
そのうち五つが、淡く輝いている。
「セネルの秘宝が共鳴している……?」
側近が息を呑んだ。
「いや、それだけではない」
ガルヴァーは結晶を握りしめた。
「何かが、目覚めようとしている」
その瞳には、恐怖とも歓喜ともつかない光が宿っていた。
「急げ。魔法の聖地へ向かう」
彼らは再び歩き始めた。
その先に何が待っているのか。
それを知る者は、まだ誰もいなかった。
偽りの戦火――本当の敵は誰なのか
セネルへ戻った和人は、フローレンシアの屋敷で報告を受けていた。
ヴァリアス軍の進軍は止まり、エリスとオルスターは治療と事情聴取のため、セネルに滞在することになった。
しかし、戦いが終わったわけではない。
「今回の件は、偶然ではないでしょうね」
フローレンシアが二通の書状を机に並べた。
「セネルを名乗る者がヴァリアスへ宣戦布告し、その直後に和解を求める使者が殺された。さらに、デュランダルも大軍を率いてセネルへ攻め込んできました」
「両国が同時に動き始めたのは、七賢人の秘宝が知られた直後だ」
和人は書状を見つめた。
「誰かが、俺たちと両国を戦わせようとしている。そう考えるしかない」
ソフィーが腕を組んだ。
「問題は、その目的ね。単にセネルを潰したいだけなら、わざわざ両国を巻き込む必要はない」
「……狙いは恐らくは秘宝だな」
和人が呟く。
「五つの秘宝を俺たちから奪うために、セネルを弱らせようとしている。あるいは、両国の秘宝を手に入れるために、俺たちを利用しようとしているのかもしれない」
「どちらにしても、敵は両国の中にいる可能性が高いということですね」
エリーが不安そうに言った。
「ええ。ただし、両国の人間だけが関わっているとは限りません」
フローレンシアは、窓の外を見つめた。
「国王や騎士団長、魔法師たちさえ知らないところで、誰かが糸を引いている可能性もあります」
和人は、湖底遺跡で見た黒い渦を思い出していた。
あの時、自分を飲み込んだ闇。
そして、今回のデュランダル軍の騎士が放っていた、奇妙な黒い魔力。
偶然にしては、似すぎている。
「……俺は、あの騎士を調べる必要があると思う」
「デュランダル軍の指揮官ですね?」
ソフィーが尋ねる。
「ああ。あいつの剣から、以前に見たことのある魔力を感じた。まだ確信はないけど……俺の中にある、あの黒い力と関係しているのかもしれない」
その言葉に、エリーの表情が変わった。
「和人さんの中にある力……」
「まだ、正体は分からない。でも、放っておくわけにはいかない」
和人は拳を握った。
「今回の戦争の裏にいる奴を見つけないと。そうしなければ、どれだけ戦いに勝っても、次から次へと争いを仕掛けられるだけだ」
フローレンシアは頷いた。
「では、まずは情報を集めましょう。デュランダルとヴァリアス、双方の内部に協力者を探す必要があります」
「ペールには、商人のつながりを使って調査してもらおう。ミッチェルとピートは、セネルの防衛を固めてくれ。俺たちは、エリスとオルスターから話を聞く」
「承知しました」
会議が終わり、仲間たちはそれぞれの役目へと向かった。
和人は窓辺に立ち、遠くの街並みを見つめた。
ようやく、人々が安心して暮らせる場所を作り始めたばかりだった。
それなのに、また戦争が迫っている。
「……絶対に、好きにはさせない」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
その頃、治療院では――。
ベッドに横たわっていた涼音が、ゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
「気がついたか」
そばにいた医師が、ほっとしたように息を吐いた。
「無理をするな。まだ身体が回復しきっていない」
「……和人は?」
「戦いは終わった。今は屋敷で報告をしているはずだ」
涼音は安堵したように目を閉じた。
だが、すぐに再び目を開ける。
「……終わった、のよね?」
医師は答えに迷った。
「目の前の戦いはな」
その言葉に、涼音は静かに天井を見つめた。
セネルが勝ったとしても、戦争の原因が消えたわけではない。
むしろ、今まで見えなかった敵の姿が、少しずつ浮かび上がり始めていた。
「……和人。今度は、私も一緒に真実を探すわ」
涼音は、ゆっくりと拳を握った。
そして、同じ頃。
セネルへ連れてこられたエリスも、静かに目を開こうとしていた。
和人との戦い。
彼が最後まで自分を殺そうとしなかったこと。
そして、戦場で見たセネル兵たちの行動。
そのすべてが、彼女の中に新たな疑問を生んでいた。
――本当に、セネルが戦争を望んでいるのだろうか。
答えは、まだ出ていない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
この戦争は、誰かの思惑によって動かされている。
そして、その人物は七賢人の秘宝を手に入れようとしている。
五つの秘宝がセネルに集まり、残る二つが両国に眠る今。
七つの秘宝を巡る争いは、もはや三つの勢力だけの問題ではなくなろうとしていた。
偽りの戦火の向こう側で、誰かが静かに笑っている。
次に動くのは、デュランダルか。
ヴァリアスか。
それとも――。
世界を支配しようとする、第三の影なのか。
まだ、誰も知らなかった。




