魂の補完
泥のように眠った僕は、いつにも増して甘ったるい声に起こされた。
「ねぇ、アナタ、起、き、て」
なんとか目を開けると、そこにはエプロン姿の山羊子がいた。
「エプロン?」
「うふふ、似合うでしょ?」
言って、くるりと回って見せる。
「ぶほっ!?」
見事に、裸エプロンだった。
「な、な、何だよ、その格好!?」
「もちろん、サービスよ。好きでしょ? こういうの」
「目のやり場に困るから、せめていつもの格好に戻ってくれ」
「アタシだって恥ずかしいけど、昨夜のアナタの大活躍へのご褒美なんだから、素直に楽しんで。精のつくご飯も用意しているから」
山羊子をなるべく見ないように居間兼食卓に足を運ぶと、TVでしかお目にかかったことがないような豪華なご馳走がテーブル狭しと並んでいた。
「確かに精は付きそうだけど、朝からこれは……」
「朝? 何言ってるのよ。もう昼も優に回っているわよ。起きるまで寝させてあげようかとも思ったけど、アノ娘たちを治しに行くんでしょ?」
なるほど、山羊子なりに気を使ってくれたらしい。素直過ぎて気味が悪いけど、こんな風に甲斐甲斐しく尽くされると、変な気分になる。
「取り敢えず、いただくよ」
……旨い。悪魔の用意したものだから、人間の味覚に合わないことも覚悟してたけど、ものすごく旨い。
「美味しい? ねぇ、美味しい?」
山羊子が覗き込むように僕の様子を伺う。エプロンの下から覗く魅惑的な谷間が眩しい。
「う、うん、美味しいよ……」
「やったぁ♪」
嬉そうに飛び跳ねる山羊子を、僕は不覚にも可愛いと思ってしまった。
とりあえず食えるだけ食って、残りはラップして冷蔵庫に保管しておく。一人暮らしの身に、こうしたすぐに食べられる保存食は貴重なのだ。
「ねぇ」
食べたら急いで奈莉栖たちのところにいかないと。特に、奈莉栖以外の子の腐敗が気になる。
「ねぇってば」
「何も見えないぞ、見えないんだって」
僕は必死で目を閉じた。裸エプロンから繰り出される煽情的なポーズを見てしまえば、悪魔の誘惑に打ち克つことは不可能だ。
「どうしてそんなにアタシを拒むの?」
「そりゃ、キスでもあれだけぼろぼろになったのに、それ以上したら死ぬだろ、絶対」
「確かに、情事の際に精気を吸えば、大抵の男は腹上死しちゃうけど、今日のは、サービスだから精気は吸わないよぉ?」
「ほ、ほんとに?」
その言葉に、僕の気持ちはかなり揺れた。
「ホントよぉ。悪魔と交わるのは楽しいわよ? 魔宴に参加するためだけに魔女になる者だって少なくないんだから」
そう言えば、あの魔女の男も言っていた。どんな物質的な欲求でも叶えられるけど、最高なのは悪魔とまぐわうことだ、と。おそらく奴は、自分が奪った魂の対価として、精気を吸わない情事を要求していたのだろう。確かに、この可愛い悪魔とえっちするなんて……、考えただけで背徳感にくらくらする。でも……。
「ごめん、せめて初めてくらいは、普通に人間の、自分の好きな女の子としたいんだ」
「ふん、じゃあもういい、冷めた」
僕の言葉にべーっと舌を出したかと思うと、山羊子は一瞬でいつもの格好に戻ってしまった。少し、いや、かなり後悔したけど、4人を治すのが先と自分に言い聞かせる。
「奈莉栖たちを治すにはどうすればいいの?」
「これ」
不機嫌そうな顔のまま、山羊子が四粒のキラキラ輝く小石のようなものをくれた。
「飲ませたらいいの?」
無言で山羊子が頷く。
「ありがとう」
お礼を言うと、山羊子はふん、と鼻を鳴らして姿を消した。
取り敢えず、最初は 萌々香に意識を集中してみた。 意外にも、萌々香は同じ富貴市の住人だった。いや、意外でもないか。山羊はこの辺で魔女っ子候補を探したのだろう。
「はぁ……はぁ……」
悩まし気な声にどきっとしたけど、萌々香は単にため息をつきながらベッドの上でゴロゴロしているだけのようだ。この間のような寝間着姿ではなく、ピンクのパーカーにスパッツというラフな格好だ。部屋に一人でいるのは確かなようなので、僕はそのまま空間をわたった。
「こんにちは、 萌々香 」
パステル調で統一された可愛い部屋に出現した僕は、とりあえず挨拶してみた。
「え、やだ、お兄ちゃん!?」
当然だけど、萌々香は驚いている。
「急にごめん。大事な用があって」
「やだ、どうしよう、 萌々香こんな変な格好してるのに。どうして先に言ってくれないの!」
萌々香は半分パニックといった感じで僕にベッドの上のぬいぐるみや枕を投げつけてきた。
「ちょっ、落ちついてよ」
僕はなんとかぬいぐるみと枕を受け止めた。シャンプーの香りだろうか、甘い匂いがした。
「だって、こんなだらしない格好お兄ちゃんに見られたら、萌々香死んじゃうもん!」
「いや……そのかっこも、かなり可愛いよ」
お世辞でもなんでもなく、スパッツ姿の 萌々香にはいいようのない色気があってドキドキしてしまう。
「萌々香はいやなの。着替えるから後ろ向いててよ」
「え、こんなところで!?」
「ぜーったい、みちゃいやだからね」
萌々香は無理矢理僕を振り向かせた。クローゼットの開く音に続いて微かな衣擦れの音が聞こえる。僕は振り向きたい衝動に必死で耐えた。
「むー、どうして見てくれないのよぉ。お兄ちゃんの鈍感!」
「痛っ」
足を踏まれた。目を開けると、 萌々香は可愛らしいフリルのワンピース姿に着替えていた。
「萌々香、そんなに魅力ない?」
見るなと言ったのに見ないと怒るなんて、なんて不条理な。必死で我慢したのに怒られて、バカみたいだ。
「いや、そんなことはないけど、あんまり時間がないんだ」
見たところ、別に萌々香の体に異常があるわけではなかったけど、何か予想外のアクシデントが起こる前にさっさと全員を治癒してしまいたいところだ。僕は手早く事情を説明して、ショックに震える萌々香に魂の欠片を一つ渡して飲んでもらった。
「これでもう大丈夫の筈だよ。でももし、身体に異変を感じたら、僕に連絡して」
言って、携帯番号を紙に書いて渡す。
「ほんとにありがとう、お兄ちゃん」
じゃれついてきた萌々香の頭を撫でてやりながら、僕は闇子のことを考えていた。一人治すごとに自分の部屋に戻っていたのでは、魔力が余分にかかるからだ。
闇子が住むのもやはり富貴市で、萌々香の家からもそれほど離れていない。闇子は当然と言うべきか、部屋に籠っていた。位置的に後姿しか見えないからよくはわからないけど、また何やら怪しげな格好をしているようだ。
「じゃあ、萌々香、僕は行くね」
「え、もういっちゃうの? やだやだ」
萌々香の制止をふりほどいて、僕は空間をわたった。
***
僕は闇子の真後ろに出現した。6畳間のようだけど、足の踏み場もないほどに、本やゲームの箱が敷き詰められている。大半が、美少年のたくさん出てくる同人誌やあぶないゲームのようだ。僕には全く気付かずに、闇子がげへげへと笑いながらパソコンに集中している。
「えっと、闇子?」
「伊吹!? どうやってこんなところに……って、貴方は魔女でしたわね。でも急に部屋に押し掛けるなんて、プライバシーの侵害ですわよ」
なんとなく、闇子のテンションは低い。この部屋を見られたのがショックなのかも知れない。というより、僕の方がショックだ。年頃の、一応可愛い女の子の部屋がこれでは、幻想も崩れるというものだ。
それでも、部屋はともかく、闇子自身はとてもセクシーな格好をしていた。何かのアニメの衣装だろうか、上は下乳が見えるほど短い、ぴっちりとした水着のようなものを着て、首に大きな鈴をつけている。下はブルマーのようだ。こんな格好の写真をアップしていれば、ネット上で人気がでるのも頷ける。
「悪いけど、事前の連絡手段も思いつかなくてね」
「さぞかし失望したでしょ? こんな超絶美少女のわたくしが、こんな汚い部屋で過ごしているのを知って」
「多少は。でも、あの時のイメージにはぴったりかもね」
そう、マジカルひっきーらしいのは確かだろう。
「それで、部屋から出られないわたくしを笑いにきましたの?」
部屋を見られて卑屈になっているのだろう。でも少なくとも僕には、闇子を笑う資格なんてなかった。現実世界で欲求を満たせず、代償行為に走っているという点で僕も闇子も変わらないし、結局はそこを悪魔に付け込まれたんだから。かと言って、半端な同情は闇子を傷つけるだけだろう。僕は手短に事情を説明し、魂の欠片を渡した。
「さすがはわたくしの下僕ですわね。いい働きですわ」
ひねくれた感謝の言葉が、闇子らしくて微笑ましい。
「じゃあ、僕はもう行くよ。もう身体が腐っていくようなことはないと思うけど、何かあったらここに連絡して」
萌々香のときと同じように、携帯の番号を渡す。
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて立ちあがって、闇子は見事にゲームの山に足を取られた。
「うわ、あぶなっ」
バランスを崩した闇子に、僕は押し倒されてしまった。丁度、下乳に顔を挟まれるような格好だ。柔らかくてあったかいけど、圧迫されて苦しい。
「い、息を吹きかけないでくださいませ」
そうは言われても、息をしなければ窒息してしまう。二人でもぞもぞ動くことしばし、ようやく闇子が上体を起こした。僕の上に跨るような格好で、これはこれで際どい体勢だ。
「うふふ、なんだかイケナイことをしてるみたいですわね」
確かに、こんな体勢で腰でも動かそうものなら、大変なことになるだろう。僕は惨事になる前に意識を奈莉栖に集中した。
「悪いけど、行くね」
一応、一声かけて空間転移する。
「そんな、もうなんて、早すぎますわ!」
遠くに闇子の声を聞きながら、僕は浮遊感に身を任せた。
***
二人と異なり、奈莉栖は自分の部屋には居なかった。奈莉栖が居たのは図書館だった。僕も何度か利用したことのある、富貴市立の図書館だ。図書館の中には奈莉栖の他にも利用者がいたけど、急に現れた僕を見咎めた人はいなかった。奈莉栖は席に座って、数冊の本を積み上げて読書に耽っている。
さりげなく近付いて本のタイトルを見ると、「図解ゾンビ」「初めてのゾンビ」「ゾンビの一生」エトセトラ、エトセトラ。ゾンビ関連本のオンパレードだった。自分なりに元に戻る方法を模索していたのだろう。僕に気付く様子もない。僕は奈莉栖の肩を叩いた。
「伊吹!?」
奈莉栖は僕を見て泣きそうな顔をした。調べものの成果は芳しくなかったようだ。僕は奈莉栖の手を引いて図書館から出て、人気の少ない駐輪場の陰まで歩いた。
「はい、これ。これを飲めば魂は補完されるよ」
「……ありがとう」
奈莉栖はしばらく手の中の欠片を眺めたあと、それを口にした。特に変わったところはないけど、少なくとも奈莉栖の心は晴れたようだ。一日とは言え、文字通り生きた心地がしなかったことだろう。この笑顔を見れただけでも、頑張った甲斐があったというものだ。
「そうだ、他の三人はどうなったの? あいつらもあたしと同じ状態だったんでしょ?」
「萌々香と闇子は先に治したよ。杏樹はこれからだけど」
「あたしは一番最後にすべきだったよね。腐敗を止めてもらってたし」
僕もそのつもりだったんだけど、杏樹の別れ際の言葉が気になって、後に回してしまったのだ。それでも、行かないわけにはいかない。
「今から杏樹のところに行ってくるよ」
「うん、早く行ってあげて。居場所は分かるの?」
「魔法でなんとか」
「そっか、頼もしいね。念のため、杏樹の家は富貴市内の教会だよ。ここからでも、そんなに遠くないわ。宗教施設としては既に閉鎖されているけど、隣接した住居に神父の家族、つまり杏樹たちは、まだ住んでいるみたいよ。協会は、近所の人達、特に子供からはお化け屋敷みたいに扱われているみたい」
廃れた教会、確かに不気味だし子供たちが怖がるのも無理はない気がする。
「退魔師なのは、教会の生まれだからなんだね」
安直な僕の推測に、奈莉栖は首を傾げた。
「日本にも教会は沢山あるけど、退魔師なんて聞いたことないよ。杏樹の場合はもっと特殊な事情があると思うわ」
「確かに、そう言えば山羊が言っていたよね。悪魔の血を引く裏切りの姉妹とか何とか」
「何にせよ、魔女の伊吹にとっていい場所ではなさそうだし、気をつけてね」
言って奈莉栖は、恥ずかしそうに躊躇いながらも、ゆっくりと僕の首に腕を絡めて、キスしてくれた。名残り惜しかったけど、僕は杏樹に意識を集中した。




