腐敗した恋
次の日の早朝、僕はチャイムの音で目を覚ました。無視して寝ていたかったけど、もしかしたら山羊子がへまをして警察が来たのかも知れないと思い直し、とりあえずインターホンのカメラ越しに訪問者を確認する。チャイムの主は、誰あろう、奈莉栖だった。
「な、な、なんで奈莉栖がこんなとこにいるんだよ!?」
慌ててインターホンに出て僕は問い質した。
「べ、別に来たっていいじゃない。迷惑だった?」
「いや、そんなことはないけど……」
拗ねたように聞いてくる奈莉栖は可愛いけど、パニックだ。僕の部屋、それもベッドの上には山羊子がいるんだから。僕は散らかっているから少し待つように言って、慌てて部屋に戻った。
「おい、山羊子、早く起きろ。友達が来たんだ。お前がこんなところで寝ていたらあらぬ誤解を招く!」
誰が来たとは言わずに、僕は布団をかぶって寝ている山羊子を揺すった。
「もー、別にいいじゃない。ベッドの上で女を飼ってるくらいじゃ、友達も何も言わないわよ」
「いいから起きろ!」
言って、僕は布団を捲りあげた。布団の下から際どい寝姿の山羊子が現れる。
「……ふーん、そういうことなんだ……別に、いいけど」
その声に、僕の体は凍りついた。恐る恐る部屋のドアの方を見ると、そこには冷ややかな目でこちらを睨む奈莉栖の姿があった。
「ち、違う、誤解だって」
「あら、昨日はあんなにカンジてくれたのに、誤解で片付けちゃうんだ?」
山羊子が挑発的な視線で奈莉栖を見やる。
「お願いだから、これ以上話をややこしくするのはやめてくれ」
僕は頭を抱えながら修羅場を覚悟したんだけど……。
「別にいいって言ってるでしょ。あんたが悪魔と契約してる時点で、この程度のことは予想してたわ。もちろん、あたしよりもこのお色気悪魔がいいって言うならすぐにでも退散するけど……」
「奈莉栖がいい!」
僕は間髪入れずに叫んでいた。
「……ぁりがと」
僕のマジレスに奈莉栖は顔を赤くして、小さい声でお礼を言った。山羊子は、べぇーっ、と舌を出してベッドから姿を消した。
「それにしても、どうやって僕の居場所を突き止めたの?」
とりあえずお茶を淹れて、落ち着いたところで、僕は気になっていたことを聞いてみた。
「まぁ、ネットを駆使すればその程度は、ね。伊吹も富貴市内に住んでいたなんて、びっくりしたわ」
僕はインターネットをしないわけじゃないけど、SNSで個人情報を晒しているわけでもない。「駆使」というのがどういうことを指すのか見当もつかないけれど、やりようによっては可能なのだろう。
「じゃあ、鍵かかってたのにどうやって入ってきたの?」
「あの程度の鍵なんて鍵のうちに入らないわよ。あんな風に不自然な待たされ方したら、普通自分で開けて入ってくるでしょ?」
言って、どこからともなく工具を取り出してクルクルと回した。そう言えば、奈莉栖はマジシャンだった。相当手先が器用なのだろう。絶対に普通じゃないと思うけど、指摘したら負けだと思ったのでそこには触れないことにした。
「それで……どうして、来てくれたの?」
いよいよ僕は、核心に触れた。期待がないと言えば嘘になる。一昨日の別れ際の奈莉栖の言葉は、忘れようと思ってもなかなか難しかった。
「か、借りを返しておかないと、落ち着かないじゃない」
「借りってやっぱり……」
「ちゃんとあたしのこと生き返らせてくれたから……あの時の続きっ、てこと。べ、別にあたしがしたいわけじゃないんだけど……」
真っ赤になって僕から目を逸らす奈莉栖はただ可愛くて、愛しくて、気づいたら、僕は奈莉栖を床に押し倒していた。怯えたような奈莉栖の甘い吐息にくらくらする。僕は逸る気持ちを抑えつつ、自分の唇を奈莉栖の唇に近づけていく。
「あら、死体愛好の趣味があるなんて、知らなかったわぁ。悪魔は拒んだ癖に、ゾンビならいいのかしら?」
突然、山羊子に声を掛けられて、僕は思わず奈莉栖から身体を離してしまった。そしてその後に、山羊子の言葉の恐ろしさがじわじわと沁みてくる。
「どういう、ことよ?」
同じく身を起こした奈莉栖も、先ほどまでとは打って変わって、険しい表情だ。痛いくらいの沈黙の後、山羊子は皮肉に笑いながら言った。
「そのままの意味よ。この間は気付かなかったけど、アナタ、もう死んでいるわよ」
何の脈絡もなく衝撃的な事実を告げられて、僕は心臓を鷲掴みにされたような気がした。奈莉栖も恐怖に震えている。
「そんな、山羊はちゃんと生き返らせてくれたんじゃなかったのか?」
信じられない思いで、僕は山羊子に問い質した。
「アナタたちの様子は中継で観ていたけど、確かに兄様は4人の魔女っ子を生き返らせたわね」
「一度死んだらからゾンビって言いたいだけ?」
自分が死んでいるとは信じられないのだろう、奈莉栖は自分の身体を確認しながら言う。
「そういうことじゃないわ。アナタには魂が足りないの」
「……どういうことよ?」
「簡単な話よ。コップから零れたジュースを集めて、元のコップに戻します。完全に戻せると思う?」
「零れた場所によるわね。撥水性100%の場所に零れたのなら完全に戻せると思うけど」
奈莉栖が難しい言葉を使った。文脈からすれば水をはじく、という意味なんだろうけど、僕はそんな言葉知らない。中学生のくせに生意気な……ただ、強がってはみたものの、自分でも詭弁だとわかっているのだろう、奈莉栖の表情は暗い。
「カシコイのね。確かに特殊な場所を選べば可能だわ。でも、アナタは別に場所を選んで死んだわけじゃないわよね?」
奈莉栖は何も言い返せなかった。
「まぁ、そういうことよ。魂も、どんなに上手に戻しても、少しは欠けるもの。その意味で、反魂っていうのは難しいのよ。でも、欠けること自体は致命的なコトじゃないの。欠けるのは大抵、一般組成からだから」
「一般組成? どういう意味だよ」
「魂の組成、つまり構成要素のうち、個人の人格を左右するコアな部分を固有組成、万人に共通の部分を一般組成と呼ぶの。固有組成が欠けてしまうと人格が変わってしまうから、もはやその人が生き返ったとは言えないでしょうね。姿形は同じだけど、別人と考えた方がいいわ。それに対して、一般組成が欠けても、人格は変わらない。多少、個性が強く出るかもしれないけど、同一性は保持されるわ」
「あたしの魂が、一般組成の一部を欠いた状態にあるのは理解したわ。この状態だと、どうなるのよ?」
奈莉栖が結論を急かす。
「確かに、兄様の反魂によってアナタの魂は肉体に戻り、元通り定着した。その意味で兄様はちゃんとアナタを生き返らせたと言えるわ。でも、今のアナタには肉体を維持するだけの魂が足りないの。だからアナタの肉体は、ほんの少しずつだけど、緩慢に腐っていってるの。この間会った時は反魂直後だったから気づかなかったけど、今は既にわずかだけど腐敗の兆候が見られるわ。つまり、この可愛い女の子はゾンビってこと。今はまだ、魂を補えば自然治癒を望めるけど、これ以上腐敗が進行したら、肉体が壊死していくわね」
「そんな状態で、ちゃんと生き返らせたって言えるのかよ!?」
僕は思わず叫んでいた。どんな望みも叶うと言ったのに、これでは約束が違うじゃないか。
「流石に、兄様がどんなに強い魔力を持っていても、魂を作ることはできないからね。4人死んで4人生き返らせたら、そりゃ失われた分の魂は補えないでしょ。もし、生き返らせるのが3人だったなら、完全に生き返えらせていた筈よ。兄様の行動は、悪魔契約倫理規程に照らしても誠実な契約の履行と認められるわ。まぁ、兄様にしても、まさか自分が魔女っ子たちに殺されるとは思っていなかったでしょうし、最後に生き残るのは一人と思っていたでしょうから、その一人については、再び死んだ他の魔女っ子の魂を使って一般組成を補うつもりでいたんだと思うわ」
「じゃあ、つまり、『魂を補う』には……」
「他の死者から魂を頂くしかないわね。結局、死者を一人生き返らせるには、死者一人分以上の魂がいるってことよ」
山羊子の言葉に、奈莉栖が震えている。無理もない、生きたまま身体が腐っていっていると言われて平静を保て人間はいないだろう。
「折角生き返らせてもらったけど、確かに杏樹の言っていた通り、伊吹はあたしたちを生き返らせるべきではなかったのね……ばいばい」
言って、奈莉栖は部屋から出て行こうとした。
「待って!」
慌てて、僕は後ろから奈莉栖を抱きすくめた。
「離してよ! それとも、こんなゾンビ女でも愛してくれるって?」
奈莉栖が挑発的な目で僕を睨む。
「悪いけど、ゾンビなんて愛せないよ」
僕は正直に答えた。まだ人間としての外形が残っている今ならともかく、ホラームービーに出てくるくらいまで腐敗が進行したら、絶対に無理だろう。
「酷いね。じゃあ、思わせぶりな行動をとらないでよ!」
奈莉栖が僕の手から逃れようと足掻く。でも、僕は奈莉栖を抱きしめて離さなかった。
「僕にはゾンビは愛せない。でも、君は僕が治すよ」
僕の言葉に、奈莉栖が大人しくなった。
「ほんと、に? 信じていいの?」
か弱く尋ねる奈莉栖は泣いていた。何の目算も立っていなかったけど、僕は精一杯の気持ちを込めて頷いた。
「もちろんさ。生き返らせる約束だって、ちゃんと守っただろ?」
奈莉栖は振り向いて、自分から僕に抱きついてくれた。
「ねぇ、山羊子。昨日の魂を使って奈莉栖を治せない?」
奈莉栖の頭を撫でながら、僕はダメ元で聞いてみた。
「悪いけど、無理ね。アレはもう、アタシがいただいちゃったから」
当てが外れたけれど、僕は山羊子の言葉の中にちょっとした希望を見出した。
「それは僕と君との契約に照らして、いいことではないんだよね? 魂一つと、昨日の僕のお願いは釣り合っていないんだから」
「そうね。権利を主張しない者が悪いんだけど、それでも、アタシとしては契約はフェアであるべきと思っているわ」
やはり。山羊子は、お互いの関係をフェアにすることで、できるだけ僕に自発的に魂を集めさせたいと考えている。僕が魂を集めようとするなら協力を得られるはずだ。
「なら、奈莉栖を治せないまでも、しばらくの間、腐敗の進行を止めることはできない?」
「できるわね。まあ、昨日のこともあるし、一週間程度でよければ、対価なしに進行を止めてあげる」
「一週間のうちに、何とか君を治す術を見つけるから、これでいいかな?」
奈莉栖は頷いた。
「じゃあ、魔法をかけるわよ」
言って、山羊子が奈莉栖に向けて手をかざす。すると、きらきらと氷の結晶のような光が奈莉栖に降り注いだ。
「これで一週間程度は腐敗を抑えられる筈よ」
「とりあえず、今日は帰った方がいいね」
少しだけ落着きを取り戻した奈莉栖に、僕は言った。これ以上何をする気にもなれなかったのだろう、奈莉栖は素直に頷いた。玄関の外まで奈莉栖を送っていく。
「ふむ、女を連れ込んでいたのか」
二人で玄関を出たところで、思いかけず声を掛けられた。
「し、師匠!?」
「ほんの僅かの間に、大人の男の顔になったな。遂に童貞も卒業したか」
楓子さんが僕のお尻を叩いて、にやにやと笑う。
「ち、違います!」
「なんだ、まださくらんぼか。まあ、確かにこの可愛いお嬢ちゃんを手籠めにしたとあっては、いろいろと法に触れそうだが」
「誰、この年増のおばちゃん」
お嬢ちゃん発言にかちんときたのだろう、奈莉栖が笑いもせずに言う。僕は恐る恐る師匠をみた。
「誰って、伊吹の母親だよ」
楓子さんは気を悪くした風もなく、真顔で嘘を吐いた。
「えぇ!? そんな、今、伊吹が師匠って……」
「母親は人生の師匠でもある。別に間違ってはいないだろう?」
流石にその説明には無理があると思うけど、奈莉栖は嘘かほんとか判断を付けかねているようだ。そんな奈莉栖の様子を見て、遂に楓子さんは吹き出した。
「冗談だよ、冗談。しかし、おばちゃん発言よりも、母親と信じられる方が傷つくな。いくら私でも、小学生で子供を産むほど乱れた生活は送っていなかったよ」
屈託なく笑う楓子さんに、釣られて奈莉栖も笑いだした。よかった、女の戦いが始まったら、どうしようかと思った。まあ、多くの妙齢の女性にとって禁断の話題である年齢を気にしないあたりが、楓子さんらしいんだけど。
「それより、どうして僕の家に?」
師匠が僕の家に来るのは珍しい、というより、そんなことは今までに一度しかない。
「いや、ちょっと気になることがあってな。しかし、デートを邪魔するほどの用じゃないから、今日は素直に退散するよ」
そう言うと、師匠はこちらの返事も待たずにくるりと背を向けた。
「素敵な人だね」
楓子さんが見えなくなった後で、奈莉栖がぽそりと呟いた。
「でしょ? 僕の自慢の師匠さ」
本当はいろいろと師匠の自慢話を聞かせたかったのだけど、今はあまり時間がない。奈莉栖を駅まで送る時間も惜しんで、僕は家の前で奈莉栖と別れた。




