宴の後
山羊が消えてすぐ、僕たちを閉じこめていた廃墟の結界も消えた。僕たちが立っているのは、何処とも知れない広大な瓦礫の山だった。
「それにしても、何よこのゴミの山……汚いし臭いし……」
闇子が鼻を摘みながら毒づく。
「地図アプリによれば、どうやら、『夢の島』みたいね。願いを叶えてもらうっていう夢が破れたあたしたちには、ふさわしい場所じゃない?」
奈莉栖が皮肉気に笑う。ここで言う「夢の島」は、少し前に埋め立て地に作られた大規模なゴミ収集所だ。昔あったゴミの島である「夢の島」に倣って、非公式ながらそう呼ばれているのだ。
「夢の島って何処なの? 萌々香早く帰りたいよ……」
疲れきっているのだろう、萌々香が僕にもたれ掛かってくる。
「幸か不幸か、魔女っ子としての力は失っている。歩いて帰るしかないな」
「確かに、リトルウィッチ・ストーンもなくなってしまっているわね」
杏樹の指摘に、奈莉栖が頷いた。
リトルウィッチ・ストーンだけでなく、魔女っ子の衣装も消えて無くなっており、僕たちはそれぞれ、最初の服に戻っている。僕や奈莉栖はともかく、他の3人、特に闇子と萌々香は、外を歩くには恥ずかし過ぎる格好だ。
でも、僕はなんとなく違和感を覚えていた。まだ魔法を使えるんじゃないか……そんな気がするのだ。あんな体験をした後でも、まだ僕は魔法の存在を信じられないし、使い方もよくわからない。それなのに、魔法を使えるという確信めいた感覚が僕の中にあるのだ。だからといって、ここでアレを取り出して魔女の証を調べるわけにもいかない。そんなことをしたら、変態を通り越して犯罪者だ。
「ひょっとして、伊吹はまだ魔法を使えるのか?」
僕の挙動に不審なものを感じたのだろう、杏樹が核心をついてきた。
「わからない。使えるような気はするんだけど……」
正直に、僕は答えた。
「試しに光の球を出してみてよ。手の平の上に、電球が乗ってるようなイメージよ」
「わかった、やってみる。……光よ!」
奈莉栖のアドバイスを受けて、躊躇いながらも試しに念じてみると、いとも簡単に手の平の上に小さな光の球が現れ、周囲を照らした。やっぱり、僕の魔力は失われていないらしい。
「伊吹は魔女のままか……」
杏樹の表情が曇った。
「それはそうよ。悪魔を殺して契約から逃れられるなら、アタシたちの商売、上がったりだもの」
鼻にかかるような甘ったるい声は、明らかに僕たち5人のものじゃない。
「誰だ!?」
僕と杏樹が異口同音に叫ぶ。闇の中から現れたのは、一見妖艶な美女だった。しかし、明らかに普通の人間ではない。その印象を一言で表せば、「痴女」だった。どうやら、素肌の上から直に毛皮をまとっているらしい。毛皮の隙間から覗くたわわな胸は、一番大事な先っぽだけが見えそうで見えない。僕は思わず、妄想の中で彼女を縛っていた。
「お前、あの山羊の卷族だな。何をしに来た」
杏樹が断定する。何故わかったのか、と不思議に思ったけど、答えは簡単だった。胸にばかり気を取られていたけど、彼女の頭にはカールした雌山羊の角がついていたのだ。
「兄様が死んで、その子との契約はアタシが承継したからね。契約相手がどんな子か、見に来たのよ」
「兄様って、兄妹!? 嘘だろ、全然似てないじゃないか」
僕は思わず的外れな叫びをあげてしまった。
「それはそうよ。そうでないと、不都合だもの。普通は、雄の悪魔は人間の女性と、雌の悪魔は人間の男性と契約を結ぶの。その方が誘惑しやすいからね。で、人間の女を満足させるには巨大なアレがあればいいけど、人間の男は顔が動物じゃ、勃ちもしないからね」
やれやれと、山羊子が肩をすくめた。
「はぁ? バカじゃないの? 大きさとか関係なしに、あんな気持ち悪い山羊とイロイロするなんて、まっぴらごめんよ」
奈莉栖が嫌悪感を露わにする。
「うふふ、まだ男を知らない小娘らしい、悲しい無知ね」
余裕たっぷりに、山羊子が妖しく笑う。奈莉栖は悔しそうに唇を噛んだけど、何も言い返せなかった。
「それで、伊吹をどうするつもりだ」
杏樹が鋭い瞳で山羊子を睨みつけた。
「あらやだ、怖いわぁ。別に、今日のところは顔を見に来ただけよ。兄様を殺せるような人間たちと殺り合うつもりはないわ。だから、悪魔殺しのアナタたちに敬意を表して、家まで送ってア・ゲ・る」
山羊子が呪文を唱えると、そこに巨大な扉が現れた。「どこでも扉~」と間延びした声が聞こえてこないのが不思議なくらいだ。
「帰りたい場所を思いながら扉をくぐれば、そこに帰れるわ」
ありがたい申し出に、みんなの表情が少し緩む。真っ先に動いたのは萌々香だった。よほど疲れているのだろう。
「じゃあね、お兄ちゃん。色々ありがとう。かっこよかったよ。また近い内に、お兄ちゃんに会いたいな」
萌々香は僕の頬にキスをして、そのまま恥ずかしそうに扉をくぐった。
「まったく、伊吹は兄キャラじゃないと、何度言ったらわかるのかしら。あなたは女装して、私の弟になると決まっているのにね」
続いて近付いてきた闇子が、強引に僕を抱き締めた。スク水越しの柔らかな胸で顔を圧迫され、危うく窒息しそうになる。もがきながらも、何とか闇子を引き離すと、闇子は悪戯っぽい笑みを残して扉をくぐっていった。
「病み子なんかに、何鼻の下延ばしてるのよ。別に、あたしには関係ないけどさ……」
「あれは、闇子が無理矢理……」
「言い訳なんてしなくても、あたしには関係ないってば。大きい胸がいいなら、病み子を追いかけたらいいじゃない」
関係ないと言いながらも、拗ねたように奈莉栖が頬を膨らませる。
「でも、もし、あんたが病み子よりもあたしがいいって言うのなら、今度会ったとき、約束通り、その、あの時の続き、してもいいよ」
恥ずかしそうに、そっぽを向いて、途切れ途切れに奈莉栖が言う。あの時のことを思い出して、僕の身体は熱くなった。顔も真っ赤になってしまっていると思う。
「か、勘違いしないでよ!? あ、あたしがしたいわけじゃ、ないんだからね」
奈莉栖の顔も真っ赤だ。僕たちはしばらく無言のまま見つめ合った。そしてお互い、何となくおかしくなって笑ってしまった。
「でも、まぁ、その、何ていうか、生き返らせてくれて、ありがと。感謝してる」
奈莉栖は最後にそう言うと、軽く僕の唇にキスをして、二人に続いた。
「あら、モテモテねぇ。妬けるわぁ」
山羊子がいやらしく身悶えする。
「放っておいてくれ」
全部見られているのが酷く恥ずかしい。
「で、アナタはどうするの?」
山羊子が杏樹に尋ねる。今まで気付かなかったけど、山羊子と僕を見つめる杏樹の瞳は、とても冷たかった。3人の美少女が示してくれた好意に舞い上がっていた僕を、一気に凍り付かせるほどに。
「別にどうも」
杏樹は素っ気なく言い、僕の方を向いた。
「伊吹、やはりあなたは、私たちを生き返らせるべきではなかった。最後に一つだけ言っておく。もう金輪際、私に関わらないでもらいたい。もし今後どこかで私を見かけたとしても、声を掛けることも遠慮して欲しい。それだけだ」
言い残して、杏樹は扉に入ることもせず、僕と山羊子に背を向けた。そのまま振り返りもせず、杏樹は早足に僕の視界から消えた。
杏樹はなぜ急に冷たい態度をとったのだろうか。山羊と戦っていた時には、確かに僕と杏樹の間には強い連帯感が芽生えていた筈なのに……他の3人に妬いたようにも、とても見えなかった。
「さて、誰もいなくなったわね。アナタも今日は帰って休むといいわ」
「僕はこれからどうなるの?」
退魔師という、悪魔関係のスペシャリストである杏樹にあんな態度を取られて、僕は不安になっていた。恐る恐る、山羊子に尋ねる。
「さぁ? それはアナタ次第じゃないかしら? 手にいれた魔女の力をイカすもコロすも」
うふふ、と楽しそうに、山羊子が笑った。
「でも、これだけは忘れないで。アナタは魔女よ。死ぬまで、ね」
これが僕の、魔女としての人生の始まりだった。




