離郷
崩れかけた洞窟から二人が外へ出ると、太陽が傾きつつある頃だった。
置いていた荷物に近づくとアイナはヨロヨロと両膝をつき、力が抜けたように座った。
「……姉さん。やったよ……」
泥と血まみれの顔に二筋の涙が流れ、顎を伝いポタポタと地面に落ちていく。
長年の悲願を達成できたのに、なぜが虚しさが胸を打つ。魔王でもなんでもないドラゴン。そして生贄の民衆。それを見ているだけの国王……。
仇は打ったがそれだけだ。姉は二度と生きて帰ってくることはない。大切な友人を死の縁に立たせてまで得たものは自己満足以外、何もなかった。
あふれ出る涙ににじむ目でアイナは遠くを見た。いつもと同じ太陽が山々へと吸い寄せられている。
アイナの背中を見たネルが慌てて声をかけた。
「大怪我してる! なんで黙ってたの!? 早く治療しないと!」
慌てたネルが水筒を取り出し、アイナの傷へと水をかけ始める。
しみた激痛でアイナは現実へと舞い戻った。
「痛っ!」
「我慢して! 深くはないけど跡に残りそう。今は魔法が使えないし、応急処置で許して」
テキパキとネルがアイナの鎧を脱がし、上半身を裸にすると背中に傷薬を塗り込み包帯を巻き始める。
自分の素肌を見られた恥ずかしさが、傷の痛みより上回り赤くなるアイナ。
再び上着をアイナに着せるとネルは一息つき、隣に座った。
二人はしばらく無言で隣り合わせで座っていた。
山々を太陽が赤く照らしながら沈んでいく。
夕日が眩しそうに目を細めながらネルがぽつりと話始める。
「ここに来たときに気がついたことがあるの。ほったらかしの砕石がそこら中にあるし、岩山は削り途中。おまけに洞窟の周りは崩れたように露出していた。これって採石場で何かあって中断した跡だよね、ずいぶん昔に」
「……」
黙ったまま聞いているアイナの顔を確認してネルは続けた。
「掘削していたら偶然、ドラゴンの巣穴を掘り当てたんじゃないかな。そして怒ったドラゴンに採石場の人達が襲われ、初代の王様が命からがら逃げてきた。それから腹を空かせたドラゴンが合図するたびに、ここに人を送っていたんだよ。東の空が赤くなるたびに」
「……もがき苦しんで死ね! ダンサルド王!」
歯を食いしばってアイナが吐き捨てる。
アイナの固く握った拳にネルがそっと小さな手を重ねた。
「気持ちはわかるが、相手が悪いよ。ドラゴンよりも“たち”が悪い」
「……わかってる」
そっぽを向いたアイナがネルの正論を渋々認めた。
その様子にネルは微笑んだ。
それから二人は洞窟に近くにテントを張り、中で体を休めた。
背中を負傷したアイナは横になってきつい体勢で眠る。ネルはそんなアイナに寄り添い、少しでも楽にいさせようと自身の体をクッション代わりにしていた。
赤竜との死闘で二人とも小さな傷と打ち身があちこちにある。
とんだ大冒険をしたもんだとネルは、疲れてぐっすり眠るアイナの寝息を聞きながら思った。
トロールやオーガを相手にしたことはあるが、まさかドラゴンと対峙するとはネルも夢にも思わなかった。
しかもたった二人で倒すなんて、もはや後生に語り継がれるほどの快挙だ。
背中にアイナの胸が当たり、規則的な心臓の音を伝える。頭の上では寝息がネルの髪を揺らしていた。
ネルを抱きかかえるように寝ているアイナの体温に心地よさを感じて、目を静かに閉じた。
翌朝起きたネルはアイナの背中を回復した魔法で癒した。
傷口がふさがり、痛みも軽減した。しかし、跡を消すほどの魔法をネルは知らなかった。
背中に傷跡を負ったアイナだったが、ネルにありがとうと気にせず笑っていた。
二人はテントをたたみ、荷物をまとめる。
アイナは洞窟の前へ立つと暗く陰湿な中を覗き込む。
「…偶然でも倒せてよかった」
「そうでもないよ。確かに幸運だったけどね」
隣に立ったネルが笑う。ふと思い出し不思議そうにネルに顔を向けるアイナ。
「そういえば、どうしてドラゴンは一度も炎を吐かなかったんだろう?」
「あははは、そんなことか。火は吐けなかったんだ。あんな狭い洞窟の中で炎を出したら、自分自身を焦がしてしまうよね? 私達の勝因は狭い巣の中で戦ったことだよ」
「そうなのか?」
改めて驚きに眉を上げ、まじまじとネルの顔を見るアイナ。顔には信じられないと書いてある。
再び笑ったネルはアイナの尻を叩いた。ペチンといい音が響く。
「ちょっとは考えて! 戦いは自分達に有利な場所でするものだよ。広い外で戦っていたら、今頃私達も他の連中と同じ目に遭ってたろうさ。ドラゴンの身動きがしずらい狭い中で戦えたからこそ勝機があったんだ」
ポカンとしたアイナがやがて顔をしかめた。
「だから寝込みを襲ったんだ!」
「そうだね」
どうやら理解したアイナにネルは微笑みを向ける。
ネルの愛らしい顔にアイナは気恥ずかしそうに頭をぽりぽりとかいていた。
二人は荷物を背負うと採石場の広場を抜け、道へと向かう。
しばらく道沿いに進み、やがて分かれ道までやってきた。この先は城のある町へ向かう道と国外へと続く道だ。
それまで顔を伏せていたアイナが真っ直ぐにネルの瞳を見つめた。
「わたし……ネルと一緒に行きたい」
思わぬ告白に嬉しさを隠しながらネルはアイナの身を案じた。
「……両親が心配しているよ。たった一人の子なんだから。それに私といても楽しくないし、辛いことがほとんどだよ」
「そんなことない! 親には手紙を置いてきたから今頃は死んでると思ってる。雨の止んだ朝に町を見に行ったけど、いつもと何も変わらなかった。誰も勇者の心配をしてないし、わたしの事も探している様子はなかった。だから平気。こんな腐った国でずっと過ごすなんて耐えられない!」
「アイナ……」
「どんなに辛くてもネルとだったら耐えられる! ねえ、一緒にいさせて! 断ってもついていくから!」
固い決意を胸にアイナはネルに迫った。
たじたじになったネルは、突然笑い始めた。長い杖にもたれかかり、笑う。
明るい笑い声にきょとんとなるアイナ。あまりの突拍子もない事にどうしたらいいか戸惑う。
「あははは……ごめん笑って。そんなに力説しなくてもいいのに」
オロオロしているアイナにネルは笑いながら謝る。
そう、ネルも同じだったのだ。
「私もアイナと一緒に行けたらいいなと思ってたんだ。だから…嬉しい」
「ホントに!」
喜んだアイナが飛び上がり、ネルを抱き上げた。
二人は笑い合い、自分達の行く道を相談した。
旅慣れたネルが先導してアイナが隣を歩いていく。
楽しそうに微笑みながら、この先のことを思うとアイナは胸がドキドキした。
初めて国を出るのだ。それも死んだと思われた者が。
未知なる世界に胸を躍らせ、新しい出会いや物に心をときめかす。
アイナは広がっていく世界が残酷であっても気にはしない。たとえ辛い現実があっても耐えられる自信があった。
難しそうな顔をしたネルが道の先を見据えている。
……きっと二人なら大丈夫。
だって伝説のドラゴンを倒せたのだから。アイナとネルだけで。
二人分の荷物を背負ったアイナは、先を歩いていたネルを抱き上げると駆けだした。
突然の事で頬を膨らませ怒るネルに、とびっきりの笑顔を見せるアイナ。
二人は山間の道を駆け下り、はるか遠くへと旅立っていった。
◇◆◇
ダンサルド王国はかつて勇者を選出する風習があった。
五代目のダンサルド王が、この世から魔王がいなくなったと宣言するまでは。
それはアイナとネルが去ってから十二年後、たまたま採石場を通りがかった商人が報告してきたのが切っ掛けだった。
ゾンビが出ると噂の場所が今では荒れ地になっていると。
驚いたダンサルド王が調査隊を送り出し、魔王の住む洞窟が崩壊しているのを確認した。
それまで一族の秘匿であったドラゴンとの盟約は、すでに無効であることがこのとき知れた。
小さなダンサルド王国の長年の大きな悩みはここに解消され、真実を知る者はごく一握りの胸の内にしまわれた。
そして、細々と鉱石を掘り出し、ダンサルド王国は昔と変わらずに交易を続けていく……
終わり。
最後までお読みいただきありがとうございます。
まだまだ寒さは続きます。こたつから離れなれない日々。
どうぞ体調には気をつけてお過ごしください。




