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第8話 人工島、売却

第8話 人工島、売却


フローラ開発社の正面扉に、王国商事裁判所の封印が貼られた。二人の執行官が会社印、帳簿、金庫の鍵を押収し、玄関脇の看板へ資産保全命令書を打ち付ける。未払いの給金を求めて集まった使用人たちは、窓越しに運び出される書類箱を見送った。


応接室に置かれていた完成模型も、処分対象として台帳へ記載された。運搬人が持ち上げると、折れていた舞踏会場の尖塔が赤い絨毯へ落ちる。小さな金色の屋根は床を二度跳ね、模型より先に木箱へ入れられた。


ヴィクターは執行官へ抗議したが、保全口座の資金は動かず、会社の手元には職員の給金さえ残っていなかった。資材業者、新聞社、船会社からも未払いの請求書が届き、百人の購入者が求める返還額は、会社の全資産を上回っている。裁判所はフローラ開発社へ破産手続きの開始を命じ、人工島を王国の管理下へ移した。


島の入口には立入禁止の縄が張られた。屋根のない骨組みは風にさらされ、固定されていない板材は一か所へ集められる。傾いた杭の周囲には赤い標識が立ち、夜間に船が近づかないよう警告灯が設置された。


王国の技官たちは、百冊の調査報告書を持って人工島へ渡った。第一号邸から第百号邸まで、セシリアが記録した測定値を一つずつ確認する。三日間の検査を終えると、建設続行より、危険区域の閉鎖と資材の処分を優先すべきだという意見書を裁判所へ提出した。


裁判の日、王都商事裁判所の傍聴席は開廷前から埋まっていた。人工島の購入者、工事を拒否した職人、給金を受け取れなかった社員、記事を書いた新聞記者まで集まっている。正面の高窓から入る冬の光が、磨かれた床へ四角く落ちていた。


セシリアは原本図面を革鞄へ入れ、購入者側の席に座った。隣には、百冊の調査報告書が十冊ずつ積まれている。机の端には、工房から持ってきた小さな水筒と、紙で包んだ黒パンが置かれていた。


向かいの席には、ヴィクターとリリアーヌが並んでいた。ヴィクターの礼装は以前と同じ濃紺だったが、襟に留めていた宝石はなく、袖口には糸のほつれが見える。リリアーヌのドレスからも真珠が減り、外した跡に細かな針穴が残っていた。


裁判官が木槌を打つと、書記官が争点を読み上げた。未完成物件の販売、支払済み代金の返還、設計図の無断使用、虚偽の進捗報告、購入者資金の目的外支出。最後に、完成証明書を得ないまま保全資金を別会社へ移そうとした件が付け加えられた。


ヴィクターは立ち上がり、両手を机へ置いた。


「フローラ・アイランドは、破綻する事業ではありませんでした。設計責任者であったセシリアが、私的な恨みから施工図の提出と完成証明を拒否したため、工事を続けられなくなったのです」


裁判官は書類から顔を上げた。


「私的な恨みとは、何を指しますか」


「婚約の解消です。彼女は私とリリアーヌの婚約を認められず、人工島を人質に取りました。セシリアさえ協力していれば、百棟すべてが完成し、購入者も予定どおり鍵を受け取っていたはずです」


傍聴席の一部で椅子が軋んだ。宝石商は膝の上で帽子を握り、海運商ベルナーは契約書を畳んだままヴィクターを見ている。裁判官は騒ぎを制するため木槌を一度打ち、次の証拠を提出するよう命じた。


書記官たちは、フローラ開発社から押収した帳簿を運んだ。厚い帳簿が三冊、証拠台へ重ねられる。最初の頁には人工島造成費、次の頁には資材費、その後には広告費と接待費が並んでいた。


王国の会計官が、支出を一項目ずつ読み上げる。


「中央大噴水、設計および一部施工費。金貨一万二千枚。正門金箔装飾費、金貨八千四百枚。完成模型製作費、金貨二千六百枚。新聞および招待状広告費、金貨三千百枚。宮殿型迎賓館、内装先行発注費、金貨一万七千枚」


裁判官は頁をめくった。


「地下排水設備費は、どこですか」


会計官は帳簿の索引を確認した。付箋のない頁を何枚かめくり、最後に小さな項目を示す。支出額は金貨四百枚で、内容は排水管そのものではなく、設計準備金だった。


「実際の施工費はありません。防潮設備も、同様です」


「杭の地盤調査費は」


「支出されておりません」


「では、屋根も窓もない状態で、噴水と金箔の門を先に発注したのですか」


ヴィクターは帳簿へ目を向けなかった。模型を使って購入者を募るため、視覚的な象徴が必要だったと説明する。噴水と門は、追加出資を得るための投資だったと繰り返した。


購入者側の代理人が、別の帳簿を開いた。宮殿型迎賓館の内装明細には、ヴィクター専用の執務室、リリアーヌ専用の衣装室、二人の寝室、二十人を招ける食堂が記されている。購入者が利用する共用施設ではなく、二人が暮らすための建物だった。


「こちらも、事業宣伝のために必要だったのですか」


「島の管理者が現地に住むための施設だ」


「購入者の一棟目に屋根が付く前に、管理者の衣装室へ鏡を十二枚発注しています」


代理人は注文書を証拠台へ置いた。鏡、金糸の壁布、大理石の浴槽、天蓋付き寝台。いずれも代金の一部が購入者から集めた事業資金で支払われていた。


リリアーヌは椅子から立ち上がった。膝に置いていた白い手袋が床へ落ちる。拾おうとはせず、裁判官へ向かって両手を組んだ。


「私は何も知りませんでした。ヴィクター様から、すべて順調だと聞かされていたのです。帳簿を見たこともございませんし、建築のことも分かりません。私も騙されたのです」


「宮殿型迎賓館の内装は、あなたが選んだのではありませんか」


「婚約者として意見を求められただけです。鏡の枚数や壁布の色を選ぶことが、会社の経営に関わるとは思いませんでした」


「設計図へ記入したことはありますか」


リリアーヌは一度、ヴィクターを見た。ヴィクターは正面を向いたまま、指先で机をたたいている。リリアーヌは小さく首を振った。


「いいえ。私は設計図など、触ったこともございません」


書記官が、平たい木箱を証拠台へ運んだ。箱の封印を切ると、中から緑、桃色、紫、金の模様を描いた図面が現れる。傍聴席の職人たちは、声を上げずに身を乗り出した。


花模様の図面だった。


図面の右下には、《FI・予備設計・一七》という原本番号が残っている。施工禁止の注意書きを削った跡があり、その横にはリリアーヌの頭文字と、工事続行を承認する署名が金色のインクで記されていた。


裁判官は図面を掲げた。午後の日差しを受け、杭の記入欄に描かれた桃色の花が浮き上がる。緑の蔓は外周基礎を横切り、紫色の小花は基礎の厚さを記す欄を埋めていた。


「これは、あなたの筆跡ではありませんか」


リリアーヌは唇へ指を当てた。ドレスの裾に刺繍された花と、図面上の花はよく似ている。彼女は色を選んだことは認めたが、工事続行の承認署名については、ヴィクターに求められるまま書いただけだと答えた。


裁判官は、桃色の花の中央を指した。


「この空欄には、何を記す予定だったのですか」


「庭に植える花の種類ではありませんの?」


傍聴席から笑いは起こらなかった。島で杭打ちを拒否した職人たちは、互いに顔を見合わせもしない。測量もせず打った杭の上へ家が建っていれば、今ごろ笑える話では済まなかった。


証人として呼ばれた棟梁バルテスは、帽子を取って証言台へ進んだ。黒い帽子を膝へ置き、図面を見る。彼の太い指には、石と木を扱い続けてできた傷が残っていた。


「この空欄は、何を示すものですか」


「杭を何尺打つか、その深さを書く欄です」


「花の種類を記す場所ではないのですね」


「そこは花壇ではありません。人の命を支える杭の深さを書く場所です」


バルテスは、図面を渡された日のことを説明した。地盤調査書がなく、杭の深さも基礎の厚さも記されていなかったこと。施工禁止の注意書きが削られていたこと。ヴィクターから経験で決めろと命じられ、職人全員で工事を拒否したことを順に話した。


「セシリア様から、工事を止めるよう頼まれましたか」


「一度もありません。あの方は、人工島へ来てもおりませんでした」


「なぜ工事をしなかったのですか」


「建てた家が沈めば、図面ではなく、そこに住む人間が潰されるからです」


バルテスは帽子をかぶらず、証言台を降りた。傍聴席へ戻ると、隣の職人が無言で場所を空ける。二人の間には、昼食用の黒パンが紙に包まれて置かれていた。


続いて、セシリアの名前が呼ばれた。彼女は革鞄から原本図面を取り出し、証言台へ運ぶ。古い革の留め金が外れる音だけが、静まった法廷へ響いた。


最初に示したのは、花模様の図面と同じ原本番号を持つ予備設計だった。原本には《地盤調査前・施工禁止》という赤い文字が明確に残っている。杭、基礎、排水路の数値欄は空白のままで、調査後に正式図面へ移行する手順も記載されていた。


次に、フローラ開発社の帳簿と、百冊の調査報告書を照合した。地盤調査費が支出されていないため、正式な杭の深さは決められていない。排水設備費が支出されていないため、各棟の基礎には雨水が残っている。職人が施工を拒否したあとも完成扱いの進捗報告が作られ、購入者から代金が集められていた。


セシリアは第一号邸、第三十三号邸、第百号邸の報告書を開いた。屋根のない骨組み、固定されていない柱、傾いた杭の測定値が並ぶ。報告書の末尾には、調査日、立会人、測量方法が記録されていた。


ヴィクターは席から立ち上がった。


「その報告書は、セシリアが私を陥れるために作ったものだ。完成可能な部分を、故意に危険だと書いている!」


裁判官は王国技官の検査結果を取り上げた。そこには、セシリアの測定値が正確であり、現状のまま建設を続けることはできないと記されている。ヴィクターは次の言葉を出さず、椅子へ戻った。


「セシリア・アルノー。あなたは、人工島の完成が不可能だと考えていたのですか」


「造り直すことは可能です。しかし、最初に必要なのは噴水でも金箔でもありません。地盤を調べ、雨水と海水の流れを決め、基礎からやり直す必要があります」


「フローラ開発社が集めた資金は、そのために使われていましたか」


セシリアは証拠台を見た。片側には排水設備費のない帳簿、もう片側には花模様の図面が置かれている。その向こうには、完成模型から外れた金色の尖塔が、小さな証拠袋へ入れられていた。


「家を建てるお金で、夢を宣伝していた。それだけです」


法廷では、誰も口を開かなかった。高窓の外を荷馬車が通り、車輪が石畳をこする音が聞こえる。裁判官は証拠書類を閉じ、判決を言い渡す日を午後に定めた。


休廷中、セシリアは廊下の長椅子に座った。革鞄から黒パンを取り出し、水筒の薄いスープへ浸して食べる。バルテスも隣へ腰を下ろし、自分の紙包みから干し肉を一切れ出した。


「花より、数字のほうが役に立ちましたな」


「花は庭へ植えれば役に立ちます」


「では、あの図面は庭へ埋めますか」


「証拠保管庫へ入れていただきます。土には、もっと育つものを植えましょう」


午後、商事裁判所はフローラ開発社の破産を正式に宣告した。人工島は一括事業として売却せず、安全な区画と危険区域を分けた上で処分される。未使用の石材、木材、金属、装飾品も売却し、その代金を購入者と債権者への返済に充てることが命じられた。


保全口座に残っていた資金は、ヴィクターの会社へ戻されなかった。百人の購入者へ、支払額に応じて返還されることが決まる。不足分については、人工島の売却代金と、ヴィクター個人の資産から支払われる。


ヴィクターには、虚偽の進捗報告、設計図の無断使用、資金の目的外支出に対する賠償責任が認められた。爵位を継ぐために保有していた土地と王都の邸宅も、処分対象へ加えられる。完成証明書を得ずに資金を移そうとした指示書も、責任を重くする証拠となった。


リリアーヌには、工事続行の承認署名と、迎賓館の装飾費を自ら選び使用した分について賠償が命じられた。身につけていた宝石と、婚約後に購入した衣装も差し押さえられる。彼女が何も知らなかったという主張は、花模様の図面に残された署名によって退けられた。


判決を聞き終えたヴィクターは、出口へ向かうセシリアを呼び止めた。


「人工島が売られれば、私が作ろうとしたものは何も残らない」


セシリアは足を止めたが、振り返らなかった。廊下の窓から、裁判所の中庭が見える。庭師が冬の雨に備え、落ち葉で詰まった排水溝を掃除していた。


「最初から、住める家は一棟も残していませんでした」


セシリアは革鞄を持ち直し、裁判所を出た。石段の下では、購入者たちが返還手続きの書類を受け取っている。全額が戻るまでには時間がかかるが、追加出資を求められることはもうなかった。


数日後、人工島では資産の取り外しが始まった。最初に外されたのは、入口に立つ金箔の門だった。作業員が表面の金箔を一枚ずつ剥がすと、その下から雨を吸って黒ずんだ木材が現れた。


金箔は薄い紙に挟まれ、売却用の箱へ収められた。門の頂上に掲げられていた《富豪の夢のヴィラ》の文字も、一本ずつ取り外される。最後に残ったのは、飾りのない太い木枠と、泥の中へ続く未舗装の道だけだった。


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