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第6話 完成していない夢の代金

第6話 完成していない夢の代金


フローラ・アイランドの引き渡し期限は、秋の最初の月の末日だった。購入者たちには、正午から鍵の受け渡しと完成祝賀会を行うという案内状が届いていた。金色の文字で印刷された封筒には、白砂を傷めないため底の柔らかい靴で来るように、とまで書き添えられていた。


ところが当日の朝、南港に祝賀用の楽団も料理人も現れなかった。船着き場に用意されていたのは、屋根のない小型船が二隻だけである。正装した購入者たちは、潮風に帽子を押さえながら、ヴィクターの姿を探した。


受付を任された若い社員は、名簿を胸に抱えて立っていた。予定時刻を過ぎても出港の合図を出さず、同じ頁を何度もめくっている。海運商ベルナーが懐中時計を開くと、社員はようやく一隻目の船へ乗るよう案内した。


「ヴィクター殿は、島でお待ちなのか」


「現地で、今後の計画をご説明いたします」


「今後ではない。今日は引き渡し日だ。私の契約書にも、そう書いてある」


社員は返事をせず、乗船板の縄を握り直した。購入者たちは互いの顔を見たあと、船へ乗り込む。祝いのために持参した葡萄酒の木箱だけが、誰にも開けられないまま船尾へ積まれた。


人工島へ近づくにつれ、完成予想図との違いが明らかになった。金色の門は下地の木枠しかなく、白砂と説明されていた海岸には黒い盛り土が露出している。百棟のヴィラが並ぶはずの区画では、柱だけの建物と、基礎石だけを置いた土地が交互に続いていた。


屋根のある建物は一棟もなかった。窓枠には硝子が入らず、風が柱の間を抜けている。各邸専用と宣伝された船着き場も、杭が数本、水面から突き出しているだけだった。


船を降りた宝石商は、泥へ沈んだ靴を引き抜いた。妻のために購入した第三十三号邸には、玄関の位置を示す二本の柱しかない。彼は案内状と建物を見比べ、紙を折らずに鞄へ戻した。


「鍵は、どの扉に使うのだ」


誰も答えなかった。秋の風が基礎の間にたまった水を揺らし、濁った水面に雲の影を映している。遠くでは、固定されていない板が柱へ当たり、同じ間隔で乾いた音を立てていた。


島の中央には、巨大な天幕が張られていた。中へ入ると、大広間で公開された完成模型が置かれ、その周囲だけに赤い絨毯が敷かれている。銀の燭台には火がともり、模型の金色の屋根は、外の骨組みとは別の世界のように輝いていた。


ヴィクターは模型の前に立ち、購入者たちを両手で迎えた。礼装の襟には新しい宝石が留められていたが、靴の側面には島の泥が付いている。隣に立つリリアーヌも裾の汚れを隠すよう、両手でドレスを持ち上げていた。


「皆様、本日は海が荒れたため、完成祝賀会を縮小せざるを得ませんでした。しかし、フローラ・アイランドの価値が損なわれたわけではありません」


海運商ベルナーは模型の向こうに見える骨組みを指した。天幕の隙間から雨が吹き込み、赤い絨毯の端を濡らしている。給仕は葡萄酒の栓を抜こうとしたが、誰も杯を受け取らなかった。


「私の家には屋根がない。海の荒れ方とは関係ないだろう」


「建築資材の価格が、一時的に高騰したのです。追加出資さえいただければ、職人を増やし、速やかに完成させます」


「私はすでに九割を支払っている」


「残りの一割とは別に、特別完成負担金をご用意いただきたい。これは皆様の資産価値を守るためです」


ヴィクターの秘書が、追加出資申込書を配り始めた。用紙には金額を記入する欄と署名欄があり、完成予定日は空白だった。購入者たちは紙を受け取ったものの、机に置かれた羽根ペンへ手を伸ばさない。


銀行家は模型の噴水を指先で回した。作り物の水は青い硝子で表現され、その周囲に小さな男女の人形が並んでいる。彼は人形を一つ取り上げ、外の水たまりへ目を向けた。


「前回の報告書では、工事は八割まで進んでいるとあった。これは八割か」


「外から見えない基礎工事に費用が掛かったのです」


「その基礎にも、水がたまっているようだが」


ヴィクターは完成模型の向きを変え、購入者たちから外の景色を隠した。白い別荘、舞踏会場、専用船着き場が正面を向く。模型の台座には、金文字の標語が残っていた。


《夢を買う者だけが、未来を所有する》


「皆様、目の前の未完成部分だけをご覧にならないでいただきたい。夢は完成直前に、最も多くの資金を必要とします」


宝石商は追加出資申込書を二つに折った。


「私が買ったのは夢ではない。完成した第三十三号邸だ」


購入者たちは署名せず、天幕を出た。帰りの船では、誰も祝いの葡萄酒を開けなかった。木箱は封をしたまま、波に合わせて船尾を左右へ滑っていた。


翌朝、セシリアの工房前には五台の馬車が並んだ。最初に入ってきたベルナーは、濡れた契約書を机へ置く。続いて宝石商、銀行家、織物商と、人工島の購入者たちが次々に室内へ入り、椅子が足りなくなると、ガストンが作業場から木箱を運んだ。


暖炉では湯が沸いていた。セシリアは茶器を出したが、来客たちは外套も脱がず、持参した契約書を机へ積み上げる。泥の付いた靴の周囲には、島から持ち帰った黒い土が落ちていた。


「あなたなら完成させられるはずだ」


ベルナーは追加出資申込書も机へ置いた。署名欄は空白のままだった。セシリアは用紙を一度見てから、先に売買契約書を手に取った。


「人工島を完成させてほしい、というご依頼ですか」


「そうだ。残りの金は払う。必要なら、購入者全員で追加費用も分担する。ただし、今度はヴィクターを通さず、あなたへ直接支払う」


セシリアは契約書の表紙を開いた。物件番号、売買代金、支払日、完成予定日が記されている。代金の九割はすでに保全口座へ入金され、残り一割は鍵の引き渡しと同時に支払う条件になっていた。


彼女は次の頁をめくった。細かな文字が続く中、工事の遅延と契約解除について記した条項を見つける。未完成でも購入者都合による解約とみなし、支払済み代金を返還しないという文言が入っていた。


「この条項について、契約時に説明を受けましたか」


「工事を途中でやめた場合の違約金だと言われた。まさか、建物が完成しなくても返さないという意味だとは聞いていない」


銀行家が自分の契約書を開いた。ほかの購入者のものも確認すると、同じ条項がすべてに入っている。文字の大きさも位置も同じで、契約書のひな型そのものに組み込まれていた。


セシリアはヴィクターが渡そうとした追加出資申込書を並べた。こちらには、追加資金は事業継続のための任意出資であり、建物が完成しなくても返還しないと、さらに小さな文字で記されている。完成予定日の空欄だけが、白く目立っていた。


「この申込書へ署名してはいけません」


「しかし、金がなければ完成しないと言われた」


「追加資金を払っても、完成させる義務が増えるとは書かれていません。皆様のお金は、次の工事ではなく、今までの不足を埋めるために使われます」


「では、どうすればいい。骨組みを買うために、あれだけの金を払ったのではない」


セシリアは契約書の完成予定日を指で押さえた。期限はすでに過ぎている。次に、引き渡し条件として書かれた《設計図どおりに完成し、安全検査を終えた建物》という一文へ印を付けた。


「契約解除には、建物が未完成であることを、後から覆せない形で証明する必要があります。ヴィクター様が『ほぼ完成していた』『購入者が工事を妨げた』と主張できないよう、一棟ずつ現状を記録します」


宝石商が身を乗り出した。


「完成させるのではないのか」


「完成させれば、ヴィクター様は契約を果たしたことになります。皆様は残りの代金を払い、追加工事費まで負担することになるでしょう」


セシリアは人工島の全体図を取り出した。百棟の番号へ、赤い鉛筆で一から順に丸を付けていく。外観だけではなく、基礎の沈み、柱の固定、排水設備、設計との差異をすべて調査する必要があった。


「人工島は完成させません。皆様へ代金を返させます」


工房の中で、湯沸かしだけが音を立てていた。ベルナーは追加出資申込書を取り上げ、暖炉の火へ入れる。紙は端から黒くなり、空白だった署名欄まで燃え落ちた。


調査は三日後に始まった。セシリアは測量器、水平器、記録板、番号札を作業船へ積み、ガストンと五人の職人を連れて人工島へ渡る。購入者側の立会人として銀行家の書記も同行し、調査開始時刻と天候を帳面へ記した。


第一号邸は、基礎の北側が指二本分沈んでいた。第二号邸には排水溝がなく、前週の雨水が床下へ残っている。第三号邸では、固定されていない柱が手で押しただけで揺れた。


セシリアは一つずつ測り、図を描き、番号札を置いた。壊すことも、直すこともしない。雨水をくみ出せば状態を変えたと言われるため、水深まで測ってそのまま残した。


十七号邸には屋根らしい木枠が載っていた。ところが外観図と位置が違い、午後の日差しを遮る向きになっている。二十四号邸の船着き場は杭の間隔がそろわず、一本は波を受けるたび斜めに動いた。


「これを直せば、使えるようになりますか」


立会人が尋ねた。セシリアは杭の揺れを記録し、根元の海面へ細い棒を入れる。棒は抵抗のないまま、柔らかな泥へ沈んでいった。


「造り直せば使えます。しかし今日は、直すために来たのではありません。引き渡せる状態ではないことを記録しに来ました」


昼には、持参した黒パンと干し肉を基礎石の上で食べた。風が強く、紙包みは石を載せなければ飛ばされる。セシリアは冷めた茶でパンを流し込み、午後には次の区画を調べた。


一日で確認できるのは、多くても八棟だった。百棟すべてを終えるまでに、三週間近くかかった。途中で二度雨が降り、泥が長靴の上まで付いたが、雨の日にしか分からない水の流れも記録できた。


最後の第百号邸は、完成模型では最も豪華な建物だった。海へ張り出した露台と二つの塔を備え、ヴィクター自身が使う予定だった。しかし現地には、花模様の図面を基に置かれた基礎石が並ぶだけで、杭の一部は高潮に洗われて傾いていた。


セシリアは最後の測定値を書き、記録板を閉じた。遠くに見える中央天幕は、強風で片側が外れ、完成模型の金色の屋根が布の隙間からのぞいている。彼女は模型を見に行かず、作業船へ戻った。


それからさらに十日間、工房の明かりは夜遅くまで消えなかった。セシリアは一棟ごとに図面、測定値、設計との差異、引き渡し不能と判断した理由をまとめる。ガストンたちは番号札の記録を照合し、書記は日付と立会人の署名を確認した。


報告書は、一冊ずつ灰色の表紙で綴じた。表紙には物件番号と購入者名を記し、最後の頁にはセシリアが建築士として署名する。第百号邸の報告書を閉じたとき、工房の窓の外では朝のパン売りが通りを歩いていた。


翌日、購入者たちが工房へ集まった。机だけでは置ききれず、百冊の報告書は床に十冊ずつ積まれている。華やかな完成模型より小さいが、実際の人工島に何があり、何がないのかは、一枚の金箔も使わず記録されていた。


セシリアは第一号邸の報告書をベルナーへ渡した。


「これで追加出資を求められても、完成へ近づいているという説明を拒めます。次は百人全員で、契約解除と代金返還を請求してください」


銀行家が報告書の頁をめくった。設計どおりに完成した建物は一棟もなく、安全検査を受けられる状態のものもない。末尾には、《現状で居住不能》と明記されていた。


その日の夕方、百通の契約解除通知がフローラ開発社へ届けられた。ヴィクターは応接室の机に積まれた封筒を見たあと、秘書へ保全口座の残高を調べるよう命じた。完成させるためではなく、購入者へ返される前に、別の場所へ移すためだった。


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