託された想い
なんと呆気ないものか。
人が死ぬのは一瞬。
そんなことは当然分かっていたし覚悟はしていた。
しかし、その覚悟が薄かったことは否めない。
族長ゼニスとの戦いでは誰が死んでもおかしくはなかったし、みな命懸けで戦った。誰が倒れようとも最後の一人になるまで挑み続けたのだ。
ところが今回はどうだ?
俺とて己の死すら頭になかった。
何が起きようとも何とかなると、楽観的な考えに身を寄せていたのだ。
何を間違えた?
俺は何をすればよかった?
頭の中でその言葉だけが繰り返される。
答えなど返って来ない。導きもしない。
俺は仲間を置き去りにし、再び白霧の中に入っていた。
胸に大きな穴が空いた喪失感に襲われ、機械人形にように一定間隔で動く足。
顔は前を向いていても、目は遥か遠くを見つめている。
まるで真っ白の世界で灯された緑の光に誘われた虫だ。
自分で用意した目印針を無意識に辿って行く。
帰り道。入念な準備の一つで、万が一の為に用意した策。
独りで帰ることになるなんて全く考えていなかった。
人は失敗を経て学ぶというが、冒険者の失敗は死と隣り合わせ。
もう俺達に次は無い。この失敗を誰かに引き継ぐしかないのだ。
変わらぬ景色を淡々と歩く。
行きと違って無警戒で針を刺す動作も無いのでスムーズに進むだろう。
通った光の数を数えれば出口までの距離が解るが、俺は数えなかった。
くだらない……。
何が冒険者だ……。
何が英雄だ……。
ちっぽけな男は全てを失った。
取り返しのつかない現実を受け入れられず、涙も流さないままひたすら歩く。
魂の抜けた身体は足を止めない。
仲間がかけた魔術効果も途切れて冷気が全身に被さるも、寒気すら感じなかった。それ以上に心が冷えていたのだから。
もう全てがどうでもよくなっていた。
それでも歩み続けるのは、俺に義務が遺されていたからだ。
仲間から託された情報と、作戦の失敗を一早く伝えなければならない。
軍はまだ魔族領を攻めている最中だ。
俺達という希望だけを頼りに、今にも切れそうな士気の糸を繋ぎとめているだけに過ぎない。
元々無理のあった作戦。
ゼニスを倒した時点で戦争行為を終わらせるべきだったんだ。
両軍勢、共に疲弊しきっている状態だった。
なのに勢いに任せて魔王を討たんと欲を掻いた。
俺は英雄と持て囃され、愚かにも調子づいていたのだろう。
止めようと思えば止められたのだ。
結局は俺も、この世界をゲームとしてみていたのかもしれない。
中立を貫く魔王を倒して何になる?
魔族を支配すれば平和になるのか?
自ら投げた問いに、答えることを放棄する。
俺にはもう、それに応える資格も時間も無いからだ。
うっすらと、氷の橋の姿が浮かび上がる。長くも短い白色の回廊が終わりを告げだした。
そして、俺の冒険も――。
霧を抜け、行きと変わらぬ氷の橋が出迎える。
冷たい空気はそのままだが、果てしなく広がる青空が圧迫感を取り除く。
照りつける太陽は目を細めさせるほど眩しく輝き、俺に夢の中という逃げ道を塞いだ。
日はまだ正午に至っていない状態だった。
幾年にも感じた重苦しい時間は、一日どころか半日すら経っていない。
「シュウゴ……?」
氷の橋の上には、ポツンと背を向けていた大男が一人だけ立っていた。
俺達の退却を誰よりも先に気づけるように待っていたのだろう。
「フレッジ……」
振り返った男の顔を見た途端、俺は懐かしい感覚に浸った。
浦島太郎にでもなった気分だ。
この厳つい男も出会った頃より随分と老け込んだな。
いや、俺もか。きっと今は、幾年も経たようなやつれ顔をしていることだろう。
「お前……一人か……」
俺は言葉を発さず、乾いた笑いで答えた。
これで終わる。この男に託せば、俺は義務という呪縛から解放されるんだ。
これで……これでやっと……。
「よく帰って来てくれた!」
大男は両手で俺を力強く抱きしめた。
そして、背中を2回、強く叩く。
涙が溢れそうだった。
仲間と使命を見捨ててのこのこ逃げてきた男など、罵倒されても仕方がないのに。
「すまない……俺は……」
「もういい……もういいんだ」
彼は知っているんだ。仲間を失った辛さを。残された者の辛さを。己の重責を。
俺は同じ立場になって、彼に最大の尊敬の念を抱く。その強さに。
だけども俺は、彼のようになれなかった。
「聞いてくれ……。起きたことを全て……話す」
もう時間が無い。
俺もいつ死んでもおかしくはないんだと、男の手から離れ、その場に座り込んだ。
俺は余すことなく伝えた。
俺達の身に起きたこと、カズトが見い出した攻略法を。そして――。
「俺達は失敗した。だから……もう戦わなくていいんだと……一刻も早く伝えてくれ」
きっと彼らは今も魔族と戦っているだろう。俺達の成功を信じて。
だけど、もう誰も血を流す必要は無い。これで終わりでいいんだ。
失望させてしまうのは心苦しいが、俺は英雄なんかじゃない。
ただ一人の冒険者に過ぎなかったんだ。
俺は立ち上がると、一瞬だけ浮遊感に襲われ平衡感覚を失いフラついた。
「だ、大丈夫か……?」
「ああ……ただの立ち眩みだ」
どうやら残された時間も少ないようだ。
光から離れても、症状が悪化しないとは限らない。
近くに治癒術師も待機しているが、もう治してもらう必要もない。
俺は国宝の剣を手渡し、ゆっくりと踵を返すと、戦友の顔を見ないまま別れを告げる。
「お前は凄いよ……俺は……耐えられなかった」
察してくれたのか、大男は何も言わなかった。
……すまない。
再び忌々しい霧の中に入る。
白い退屈な世界をまた、緑の光を辿って歩き出す。
ふと後ろを振り向くと、そこには誰もいない。
いつも居た、あの三人の姿の幻さえ見えなかった。
待っていてくれ……俺もすぐ……一緒に……。
もう一度転生できるなら、また彼らと同じ世界に行きたい。
学校でも冒険者でも何でもいい。
ただそれだけを願って、彼らの元へと歩く。
戻る時とは違って、俺の足は自らの意思で進んでいた。
身体が軽い。寒さで指先の感覚が麻痺しようとも、足早に進んだ。
――カズト、俺もそうだったよ。
この世界で過ごした時間は短くても、俺も……みんなといたこの世界の方が楽しかった。
――クレス、口では言わなくても、君は俺達を認めてくれたことは解っているよ。少々不器用だけども、何だかんだ言っても君抜きでの冒険は退屈と言えよう。
――ネリィ、君が居なければパーティは崩壊していただろう。よく喧嘩する他の二人を宥められたのは、誰よりも他人を気遣う優しい心をもっていたからだ。
俺は幸せ者だった。失ってしまって漸くそのことに気づくなんて。
だけどもう少しだ、今度は針の本数を数えている。
あと五本分――。
「ぐっ……」
急な胸の痛みと共に、その場に正面から倒れる。
冷たい氷の床が頬に当たるが、もう冷気も痛みも感じない。
「クソっ……!」
激痛が俺の心臓を苦しめる。
まだだ……、もってくれ……俺の体よ。
俺達は四人でひとつなんだ。
胸を押さえて立ち上がる。
こんな痛み、何度も乗り越えてきたんだ。
今更この程度で屈しはしない。
あと少し……最後の針。
希望の階段が見えてきた。
俺は母に逢う子供のように期待を寄せて駆け上がる――。
「えっ……」
俺は最後の段を登る途中で立ち止まる。
違っていた。
色が違う。
いや、何かが覆い被さっている……?
階段を上がったそこには、トンネルのように覆った氷が待ち受けていた。
強烈な変化に一瞬たじろぐが、何故か俺は安堵する。
それは朝焼けのような色の氷。
見ただけで暖かみを感じる優しい色だった――。




