未知の脅威
俺とカズトは、すぐさまクレスの両脇を背で庇う。
互いに腰と背から武器を抜き、臨戦態勢に入った。
「何があった!? 攻撃か……!?」
「後ろか!? 後ろから来よったんか!?」
攻撃の形跡は無い。
吐血する程の攻撃ならば、俺のスキルが軌道を予測できるはずだが、俺の視界には間違いなく入っていなかった。
死角であった氷像のある後方へ目を向けたが、何の気配も感じられない。
上? 下? 全方位への神経を研ぎ澄ます。
「大丈夫!? クレス!?」
ネリィが駆け寄り、背中に手を回して顔を覗き込む。
クレスに狙撃されたかのような目立った外傷は無い。
不意打ちの魔術を彼女が受けるとは考えにくく、例え当てられたとしても自動で防御魔術を発動する魔導具が反応するはずだ。
「違う……攻撃じゃ……ない」
ネリィに支えられながら、クレスは苦しそうに呼吸する。
明らかに顔色が悪い。
いつも涼しい顔をしている女だが、今回ばかりは苦悶の表情を見せている。
赤銅色の瞳は薄く揺らぎ、持ち前の鋭さは失いつつあった。
「ちょっと前から……眩暈がしてて……」
「何でその時に言わなかったんだ」
「疲れてるのかと思って……」
ここへ来る前に充分な休息は取っていた。
それでも最後の冒険と国の運命を託されたプレッシャーに気疲れがあったのも否めない。
俺とてベストコンディションとは言い難く、そう錯覚してしまったのも無理はなかった。
「大丈夫? ちょっと視るね?」
ネリィが衣服の上から触診を始める。
手のひらを胸に当て、集中するように目を閉じた。
これは治癒術の一つで、患者の身に起きた変化を探ることができる。
外傷を治すより高度な術だ。
生命力に関係なく突出した才能を求められるため、これができる治癒術師は一国の中でも数えられる程度の人間しかいない。
そっと、目を開けたネリィは手を離し、微かな怯えをみせながら驚きを口にする。
「内臓が……損傷してる。病気じゃない……けど、こんなの初めて……」
攻撃でも病気でもない。専門家でも解らない。
俺がいくら考えを張り巡らしても答えを引き出せなかったが、代わりにカズトが一つの提案を投げる。
「ネリィ、自分は視れるんか?」
「え?」
「異常は無いかって……聞いてるんや」
どこか含みのある声色だったが、的確な意見であることは間違いない。
攻撃でないのなら、影響が一人だけとは限らないのだ。
ネリィは己の胸に手を当てると、体内へ意識を潜らせる。
親友の身に起きた変化から動揺を隠せず、身体は震え、頬に汗がつたっていた。
「蝕まれてる……」
「嘘やろ……」
「俺達はどうだ?」
ネリィは俺達にも同様の動作で手を当てる。
見えない力で体内を探られていても、医者の触診と変わらない。
服の上から伝わるのは彼女の温かみだけだった。
「同じ……でも、アタシより進行は遅いみたい」
俺達の行動に差異はほぼ無い。
なのにこうも差があるのは何故だ?
このままでは次に倒れるのはネリィだろう。
そうなれば俺達のパーティは立て直し不可能になってしまう。
「ネリィ、クレスを助けてやってくれ。原因は解らんが、早くここを出た方がよさそうだ」
如何なるダメージであっても、生きていれば治癒術で再生させれば問題無い。
ネリィの力には絶対の信頼を寄せていたし、彼女以上の使い手も存在しなかったんだ。
俺達は事態の深刻さを未だ受け入れきれておらず、悠長にもその場で原因を探っていた。
「環境要因か? 霧以外に考えられへんで」
「あの霧に人体への影響が無いことは既に調査済みのはずだ。ここの空気が有毒なのかもしれん」
「……毒物反応は無いで」
カズトに続いて自分の指輪を覗く。
毒物に当てられたのならば指輪が変色し反応を示すのだが、全員の指輪どころかクレスの他の魔導具すら一切反応していない。
こんな事は初めてだ。
これまであらゆる危険地域に踏み入ったが、どこもかしこも危険性が目に見えていた。
「目に見えない何か……寄生生物か?」
「そんなもんネリィが見逃すはずないやろ。それにミラゼア族が住んでいたんなら、ここに危険があるとは思えんわ」
「あれは俺達と身体の構造が根本的に違う。もしここで人体に有害な何かがあるとしたら、奴らとの違いがヒントになるか……」
「違いゆうても別モンやしなぁ。それよかクレスが先なのが引っかかるわ。個人差でもあるんか?」
「確かにそうだな……、しかも俺達より再生力の高いネリィが先なのも妙だ……」
治癒術師は生命力が高ければ高いほど自然治癒力が増す。
内臓でも例外ではないはずだ。
にもかかわらず負けてしまっているのは、信じがたい異常事態だった。
「それは……もしかすると……」
思い当たる節があるのか、カズトは言葉を詰まらせる。
「何か見落としているのかも……ネリィ?」
一人が黙ったことで訪れた静寂。
俺はそこで小さな違和感に気づき、ネリィへ目を向けた。
普段の彼女ならとっくに治してしまっているはずだったのだ。
クレスは未だに、支えられた状態で立っていた。
「駄目……進行が早すぎて……追い付けない」
そう話した彼女の絶望的な表情を見て、俺は自身に置かれた最悪な状況を理解する。一瞬で血の気が引き、指先が震えだす。
「無駄なこと……しないで……」
「クレス!」
クレスは身体を支えていたネリィを突き離すと、両膝と両手を冷たい氷の床につける。更に咳き込み、氷面を鮮血で染めた。
「置いてって……」
「馬鹿なこと言わないで! できるわけないでしょ!」
「私を助けたら……許さない……から……」
「クレス!」
とうとうクレスはその場に倒れ込む。
意識を失い、指先をぴくりとも動かさない。
何だ……? 何が……いったい何が起きているんだ!?
思考を巡らせろ! このままでは全滅する!
俺が出来ること……対処法は……。
「ごめん……カズト……。私……クレスを死なせたくない……」
「俺に責める権利はあらへん……。ネリィ……俺からも頼むわ……」
俺がパニックに陥っている間に、ネリィは生命力を分け与える秘術を発動させる。
瀕死の重体でも、欠損した部位すら一瞬にして再生させてしまうほどの強力な治癒術だ。
術者に負担はかかるが、ゼニス戦でも多用していた術だ。
生命力は有り余っていると踏んでいたが、もう限界なのだろうか、クレスの表情は重い。
術の発動は対象に触れさえすればいいのだが、ネリィは横になり、大事な親友の頭を涙を流しながら抱きしめていた。
己の力ではなく、何かに縋るように強く願っている。
彼女だけは視ているのだ。
俺達の身体を蝕む何かを。事の深刻さを。
もうこの奇跡の技に期待を寄せるしかないと、何もできない俺はただ無事を祈るしかなかった――。
淡く優しい光がクレスの身体を包む。
後先を考えず、全てを与えても救ってみせるという、ネリィの想いが伝わってくる。
時間にしたら僅か数秒の出来事だが、俺には自分で時を遅らせたかと錯覚するほどに長く感じた。
結果を知りたくなかったんだ。
悪い予感ばかりが頭に浮かび、受け入れられない現実を否定する。
しかし、無情にも時は進む。
ネリィの意識まで帰らず、親友を強く抱いていた手が力無く転がった。
小さく開いた口からは血が流れていく。
「ネリィ!」
涙を滲ませたカズトがネリィを揺らしながら呼びかけるも、動くことは無かった。
「な、なんでや……何が起きとるんや!?」
状況が飲み込めず呆然自失となる自分。
どうすればいいと、頭の中で何度も反芻する。
「シュウゴ、退却するで!」
「あ、ああ……」
低迷するした意識から、力強い声に呼び起こされる。
そうだ。そうするしかない。
もう原因がどうとか考えても無駄なのだ。
この場所を離れるという、本能に基づいた直感に縋るしかなかった。
「クレスを頼むわ、俺はネリィを……」
――この瞬間、カズトの足元から赤い円が発生した。
「カズト! そこから離れろ!!」
俺は考えるより先に行動する。
慣れ親しんだ己のスキルの警告は、その場から回避することを何よりも優先させた。
ここは氷上、滑り止めの付いたブーツで走るよりも滑った方が早いと判断。
腰を落とし、水平に飛び込むように半身で滑走。
倒れたクレスを抱えてブーツで床を蹴り、警告円から逃した。
――これが間違いだった。
俺はこの赤い円が、敵の攻撃によるものだと誤認していたのだ。
冷静だったならば、違いに気づけていたかもしれない。
ネリィを抱えたカズトの足元に亀裂が走る。
それに気づいた時にはもう遅く、氷が割れる音と共に一瞬にして赤円が砕けた。
「カズト!!」




