氷の都
長らく田んぼに苗を植える動作を繰り返したことで、俺は呑気にも将来のことを考えていた。
莫大な報奨金を得たら、豪邸を立てて贅沢にも引き籠るか。
しかし、この世界に漫画やゲームなどの娯楽は無い。
どうせ直ぐに飽きるだろう。
酒や女に溺れる性分でもない。
ならば田舎で農業に勤しみながらスローライフでも満喫しようか。
冒険者を辞めるのは寂しい気もするが、戦争に巻き込まれるのはもう御免だ。
この先にミラゼア族と遭遇せず、魔王も実は存在しませんでしたという展開になるやもしれん。もしそうだとしたら、これが最後の仕事か。少し笑えるな。
ひたすら針を植える作業に没頭する――。
けれども俺に現実を思い知らせるように、退屈な白の世界は終わりを告げた。
「待て!」
突如現れた変化。
それは小さなものだったが、一気に警戒心を引き上げざるを得ない。
透き通るような氷で創られた階段が顔を出したのだ。
特別な装飾もなく、積み上げされた長方形の高さは人間の歩幅に合わされていた。
「探知を」
俺が促す前に、二人は目を閉じ、同時に魔力探知と生命感知を行っていた。
結果は相変わらず反応の無いままだった。
ここまでくると危機感が薄れてくる。
本当に何事も無いまま通り過ぎることができるのではないかと。
俺は自身のスキルへは絶対の信頼を寄せている。
これが罠であるはずはない。
赤く染まらない氷は踏んだだけで割れないだろうと、一歩ずつ階段を昇る。
そして、俺を信じて仲間達も続けて階段を昇っていく。
実を言うと、この時に俺は安堵していた。
建造物の製作者が魔族といえどもヒトの手であったことに。
山で遭難した時に看板を見つけた感覚と似ているのだろう。
ずっと同じ景色の自然が続くのは、野生で生きる人間でなければ慣れないものだ。
階段があっても続く景色は同じ。
このまま何処まで登って行くのかと針を刺していったが、意外にも2本で終わる。
最後の段を踏み抜くと、上を見上げた。
なんと、白霧を遮るようにドーム状の氷が天高く覆っていたのだ。
ドームを支える柱は彼方此方に聳え立っている。
何故そこまで見えているのかと思うだろう。
もう見えていたのだ。都と呼ばれる所以を。
眼前に広がったのは比喩ではなく正に氷の世界。
全ての建築物が氷で形成された景色が俺達の足を止めた。
異様なのは建築物の外観だ。
この世界の西洋風建築ではなく、転生元の現代風建築でもない。
古代遺跡を再生させ、当時の景色を遺したかの如き新鮮さは、タイムスリップさせられた気分になる。
中央には天高く聳える塔。
そこから絡む螺旋に伸びる帯が根付くようにあちこちに伸びていた。
あそこから滑って移動するのだろうか、ソリで降りたらさぞかし気持ちがいいだろう。
周囲は住居と思しき円柱の建築物が点在し、木を模した氷が街路樹のように等間隔で並べられている。
建物には彫刻で彫ったように神秘的な模様が描かれ、色が無くとも凹凸だけで彩りを表現している。
正にアート。転生元の世界であれば確実に世界遺産に登録されるであろう。
なんという光景。なんと荘厳か。
その美しさに圧倒され、全員が息を呑んだ。
「これが……零の都か……」
そこは冒険の終着地に相応しい場所だった。
俺は念の為、その場に針を刺して再び印を付けて進もうとしたが、カズトが指差したものがそれを不要と突きつける。
「あ、あれ見てみい……!」
「こ、こいつは……!?」
氷像だった。
最初に出迎えたのは、俺達が最も記憶に根付く敵の姿を模した氷のオブジェ。
「ゼニス……」
――三大魔族最強、ミラゼア族の族長、ゼニス。
天高くから見下す眼光。雄々しく広がる竜の氷翼。
身体を型取る曲線は、筋肉が不要な彼女達にとって一切の無駄がなく滑らかだ。
身体を覆う羽衣は氷像でも重力を感じさせず、天女のような神々しい姿は顕在である。
氷の簪が刺さった長髪はうなじを晒し、非の打ち所がない顔のパーツは頂点に君臨する相応しき美女。
反して内面は誰もが凍てつく恐怖を与え、その存在は絶望の象徴とまで称されていた。
放つ一撃一撃は、人が耐えきれぬ広範囲と威力で撒き散らし、奴によって多くの人間と魔族が命を落とした――。
強かった……。恐ろしかった……。
今でも奴に勝てたことが信じられない。
ただの銅像を目の前にしただけでも、かつての記憶が思い起こされ脚を震わす。
これほど強烈な目印は無いだろう。
「これは……」
更に目を引いたのは、氷像の下に供えらえた一凛の撫子の花だった。
奇妙なことに、氷で出来ていることは間違いないのだが、塗装されたかのように色が付いていた。
朝焼け色と言うべきか、美しいグラデーションを魅せる花に誘われる虫のように手を伸ばすと、ふと我に返り手を戻す。
罠かも知れない。
触るメリットなど無いと、俺は腕を降ろした。
視界を遮っていた霧はもう無い。
塔の造形もアシンメトリーで判りやすく、方角に迷うことはないだろう。
俺は針を腰の筒に仕舞い込み、不気味な像から逃げるように前へ進む。
「こりゃホンマに絶滅か……?」
「ここに居ないのは確かかもね」
カズトとネリィが隊列を崩し、並んで歩く。
芸術品に目を奪われ、当初にあった緊張感が抜けていた。
もう警戒を解いてもいいだろう。
護られるべき景観へと踏み入る侵入者に対して何のアクションも無いのは、はっきり言って異常なのだ。
サイレンや鐘の音が鳴っていいものの、廃墟のように静かで、俺達の足音以外に聞こえる音は無い。
ここの住民は……もういないのだろうか。
元々数少ない種族だった。
防衛行動とはいえ、自分達の手で彼女らを消し去ってしまったと罪悪感が改めて顔を出す。寂しく遺った街並みが、俺の胸を締め付けた。
されども好戦的で強大な力を持つ相手に何ができたのか。
これで良かったのだと、自分に言い聞かせる。
過去を振り返っている場合じゃない。
まだやることは残っている。
先頭を歩いていた俺は身をひるがえし、いまいちど緊張感を取り戻そうと仲間へ言葉を向けようとした時だった――。
「クレス……?」
ただひとり、足を止めていた。
普段ならネリィと並んでいる彼女が、十数歩空けて硬直している。
様子がおかしい。
景色に見惚れているわけではない。目線が下を向いていた。
「クレス!」
彼女の前を歩いていた二人も、俺の声に反応して間を置かず振り向いた。
俺が近づく前にクレスは手で口を塞ぐと、何かを吐き出すような重たい咳を1回、その手で受け止めた。
「大丈夫か? クレ……」
離れた手と口から血が滴り落ちる――。




