未踏の地『零の都』
――零の都。
攻略難度――Sランク冒険者でさえ立ち入り禁止区域のため未設定。
都と称される所以は、この地がとある魔族の住処であるということ。
その魔族とは――ミラゼア族だ。
生息する魔物は不明、霧に入れば視界は白一色。
濃度が濃すぎるためか、風の魔術で霧を払うことは不可能。
足元は薄い氷の膜になっており、割れて落ちれば揺らぎのない湖のような冷水に浸かり、浮上することなく沈んでいく――。
零の都について判明していることは、残念ながらこれだけだ。
先人達が帰らぬ者となった理由の一つに、ミラゼア族に殺さていれたのではないかという意見が多数を占めていた。
最も厄介な族長が消えた今なら通れるのではないか。
国の上層部はそう考え、ミラゼア族との戦闘経験のある俺達に託したのだ――。
「ヤバいと思ったら直ぐ引き返せよ。俺達は……いつまでもここに居るからな」
橋を渡る前に、力強い言葉をかけてくれたのはフレッジだ。
「ああ、助かるよ」
彼らのパーティとは、俺がAランクに昇格して以降に知り合った。
時には共闘し、時には成果を競いながら歩んできたライバルのような存在だったのだが、ミラゼア族の族長との戦いの最中、フレッジと組んでいた三人は戦死してしまう。
俺は今の今まで彼にかける言葉が見つからずにいた。
「お前らは……死ぬなよ」
「ああ……行ってくる」
重みがかった戦友の言葉を受け取ると、俺達は身をひるがえす。
集まった仲間達に見送られながら、白い霧へ向かって波風の無い氷の橋の上を歩み行く。
誰一人として言葉を発せず、ただ前だけを見据えた。
先人の知恵は借りられない。
俺達はあらゆる状況を模索し、対策を立ててきた。
全員が白いローブを纏い、その内側は各々が選んだ最後に相応しい且つ、最も戦いやすい服装で臨んだ。
この時ばかりはネリィですら顔以外の肌を見せていなかった。
両腕に装着した手甲は、現在までに発見されている金属の中で最高硬度を誇るソルナガイアが使用されており、ミラゼア族の氷をも軽く砕けるだろう。
クレスは最高品質の魔導具だけを身に着け、無駄を削ぎ落していた。
手に付けた指輪は両手薬指と中指の四つに抑え、右中指の指輪と同じものは全員が装着している。
それは無毒化の指輪で、正体不明の白霧が毒性のあるものであった場合の対策だ。
カズトは変わらず『アルテミスの弓』を背負っている。
ローブを変えただけで装備は昨日とほぼ変わらない。
俺も同様だが、武器だけは違っている。
赤熱の剣『ヴァルエント』はフレッジに預け、王から授かった聖剣『エクスカリバー』を腰に差していた。
これまた大そうな名前で、魔王と戦う者へ与えられるという伝説の剣らしい扱いだが、ミラゼア族に通用するのかは不明だ。
ただ、魔王が大人しく座しているとも限らないと考え、念のためクレスの収納空間から取り出していた。
「そろそろ頼むわ。足先が冷えてきたで」
氷の橋も終盤、白霧が眼前にまで届くとカズトが魔術支援を要求する。
いつもは不満を口にするクレスも、今回ばかりは素直に要求に応えた。
「ラスト・メディウム」
光のベールが全身を纏うと、ひんやりとした空気と共に何処かへ消えて行く。
自宅に帰った時の安らぎに包まれたようだ。
この魔術は体表面へ触れる気温を常温へと中和させる。
外気との気温差が激しいほど持続時間が減るという危険性があるものの、ウチの天才魔術師は並の魔術師よりも広範囲をカバーできる。
四人同時展開と呪文名を唱えるだけで発動させてしまうのも流石と言えよう。
「アタシは別にいらなかったんだけど……」
「念のため」
相変わらずネリィだけには優しい。
その一欠片でもいいから俺達に分けてほしいものだ。
「どや? この霧……危険か?」
遠くからは霧のように見えるが、視界全体に入る距離まで来れば巨大な白い壁だ。
雲や白煙とは全く異なり、まるで半透明の仕切りを何枚も重ねたようだ。
「いや、問題なさそうだ」
手を伸ばして触れてみても、赤い警告領域は発生しない。
「コイツは霧じゃない。ここまで高濃度なら水滴が付くはずだ」
白霧に触れた手袋を外し、実際に触れてみても手袋の材質を感じるのみ。
何者かの魔術か、はたまた自然現象か。
正体不明のこの白いドームを先人達は白霧と称していた。
「入るぞ」
従来通り、危険予知のスキルを持つ俺が先陣を切る。
次いでカズトが入り、クレスが続く。
殿はネリィだ。
警戒しつつ白の世界へと入る。
まるで雲の中にいるようだ。
やはり湿度は感じらない。水蒸気ではないことは間違いないだろう。
まずはネリィの姿が見えなくなる直前まで距離をとって視認領域を測る。
ここは情報通り、五メートル分の余裕はあるようだ。
「異常は?」
各々が身体の不調や装備の変化を確かめるが、全員が問題ないことを言葉や仕草で示す。
「やはりコンパスは使えない。ひたすら真っ直ぐに進むしかないな」
磁力を阻害されているのか、定番アイテムのコンパスは方角を維持する力を失っていた。
他に方角を確かめる手段として太陽や植物が挙げられるが、一面白景色の場所ではどちらも存在を確かめることはできない。
「魔力探知は?」
「……反応なし」
「生体反応は?」
「……凄いね、虫一匹いないよ」
クレスの探知魔術と、ネリィの生命感知は半径1キロにまで及ぶ範囲を索敵できる。
二人が目を閉じ、それぞれ魔力と生命力をエコーロケーションのように発し、反響を探っていた。
魔力探知は魔力の無いミラゼア族には効果が無いが、魔物の存在や魔術により創られた物質や罠を探ることができる。
生命感知は巨大な魔物から小さな虫まで生き物全てに反応するのだが、こちらが全く反応も無いのは不気味といえよう。
光の届かない深海ですら生物が存在するというのに、自由に飛ぶ鳥も、水中の魚も、生命力の強い虫すらいないとは……。
『零の都』。
その呼び名が頭に浮かぶ。
まさか……。
零とは何かと、ここへ来るまでも考えていた。
視界、気温、臭い、音、色。
当てはまるものは幾つもあるが、最も悪い言葉を思い浮かべるとしたら生存率だろう。
……いや、ここで決めつけてしまうのは早計だ。
そもそも命名はミラゼア族がしたもの。
俺は疑念を振り払うように仲間達に背を向けた。
「進もう」
氷上は完全に異物を排除したスケートリンクのように整えられており、先人の痕跡は何ひとつ残っていなかった。
こういった迷いやすい場所では、戻れるように印を付けておくのが常識だ。
しかし、毎日誰かが掃除しているのかと疑うほどに綺麗に整えられ過ぎている。
新品同様の床はワックスでもかけたかのように光沢を放つ。
途端に不安が押し寄せてくる。
こんな場所でマーキングができるのかと。
記録に残っている中では、最後に挑戦したパーティは十年も前だ。
人の技術は進歩する。俺達は最新の魔導具で印を残す。
俺は腰に掛けた筒状の収納袋から細長い針を取り出し、氷の床を割らないよう慎重に突き刺した。
すると、針の頭に付いた球体が発光。
白い世界に自然を彩る穏やかな緑色を齎した。
これは救難信号のベースになった魔導具で、送信機能こそ無いが前後の判らない環境で目印をつけるにはうってつけだ。
大きさは救難信号よりひと回り小さい。
俺は針の放つ光が届かなくなりそうな位置まで間隔を引っ張り、次の針を刺す。
ストックは俺の収納空間に詰めており、魔王城までの距離分は確保してあった。
発光持続時間は三日。
それが撤退判断の猶予期間。
「ホンマに何もあらへんな……、これ……幻でも見せられてるんやないか?」
二十六本刺したところで、カズトが静寂を破る。
幻という言葉にはクレスが否定し、なんなら頬を抓ろうかと提案するが、カズトは大きく首を振った。
アイツの場合、抓るだけでは済まないからな。
何の変化も無く同じ景色が続いていると、やがて仲間たちの緊張感が削がれていく。
俺も流れ作業のように、ひたすら黙って針を刺して続けていった。
同じ作業を繰り返せば動作も慣れていき、進むペースも上がってくる。
多少雑になってもいいかと考えだした頃には、仲間たちの口数が増え、警戒心が薄れていった。
無理もない。本当に何も無いのだ。
景色が変わるどころか襲撃も無い。
ただ視界が悪いだけで、ミラゼア族がいなければ楽に素通りできるのではないかと、俺ですら信じ始めていた。
しかし、刺した針が五百を超えた辺りで変化が起きる――。




