中層の脅威
彼らは侮り過ぎた。
Dランク冒険者にとって推奨ランクBの魔物との溝は余りにも深く、遠く離れた世界にいたのだ。
そして、じりじりと互いの距離が五メートル内に詰まる。
この時点で音を立てれば一発でアウト。
幸いなのは全員足を震わせることなく石のように固まっていたことで、最悪な状況を免れていた。
足元に散らばる空洞の多い小さな溶岩石を砕いてしまえば、それだけで居場所を特定されてしまうのだ。
においで……バレない……のか?
鼻をピクピクと動かす巨狼。
視力が弱いのか、キョウヤ達を視界に入れているにも拘らず目を合わすことが無かった。
それもそのはず。視界不良の環境で生きる彼らにとって視力は重要でなく、他の感覚を研ぎ澄ませるため進化の過程で退化しているのだ。
巨狼の不自然な動きに三人は察知する。姿は見られてもいい。ただし、絶対に声を出してはいけないと。
転生者のマユは、動物園でも見たことのない猛獣が檻から放たれているという現実に初めて直面する。
悲鳴を上げたい気持ちを押し殺し、ただ過ぎ去るのを待つしかない現状で神に祈る。
一方、ミカリスは己の魔法に自信があった。
火山の魔物だし、水の魔法でいけるだろうと鷹を括っていたのだが、圧倒的なプレッシャーから己の末路を想像してしまう。
杖を振った瞬間、喰い千切られる自身の胴体。
悲惨な未来が脳裏にこびりついて離れず、腕を振り上げるどころか震える手で杖を握っているだけで精一杯だった。
そんな彼女もまた、神に祈りを捧げた――。
唾を飲み込む音すら命取りになりかねない。
誰がどう見ても絶体絶命な状況で、唯一祈りを捧げない者がいた。
キョウヤだ。
彼は迷うことなく右手に持っていた銅剣を放り投げたのだ。
ただし、目標はダームウルフではない。
気を散らすため対称方向へと、剣を回転させながら飛ばした。
彼の選択は間違っていない。ベストと言える判断であった。
漫画やアニメで得た知識だろうが、理にかなっている。
石を拾うのではなく、音を立てるリスクを考え手近な剣を投げたことも英断だ。
ただ、一つだけ誤算があった。
剣の着地先が予期せぬ物体に触れてしまったのだ。
銅剣は積み上げられた溶岩石の塊に当たり、カンッと音を立てて落ちて行くと、巨狼の耳がピクリと動き、顔を一行の反対方向へと向けられた。
キョウヤの目論見は成功した――が、溶岩石の塊の裂け目が発光。
マグマが垂れ流れているかの如く赤と黄色のグラデーションが、割れ目同士を伝うように導線を広げる――。
それはただの溶岩石ではなかった。
『ゴーレム』と呼ばれる魔物が身に纏う溶岩石の集合体。
本体のコア以外は生息地域によって外見が異なるのだが、中でも火山は最悪の部類だ。溶岩石の中心に秘められたマグマは近づく者を容赦なく溶かす。
蕾から花が開くように両手を広げると、人の形をした溶岩の塊はだらしなく立ち上がった。
高さはダームウルフの倍。
ご丁寧に指先まで再現されているが、顔は無い。
巨狼を挑発しているかのように、関節が動く度にカチカチと音を走らせる。
動きは鈍いが、堂々と手を広げる姿は正に圧巻。
見上げた冒険者たちを更なる恐怖の底へと誘う。
これにはキョウヤも耐え切れず尻もちをついてしまった。
しかし、音を立てたのにも拘らず巨狼は彼の方を振り向かない。
己のテリトリーに侵入した魔物。それは餌よりも優先すべき排除対象。威嚇の唸り声をあげ、臨戦態勢に入る。
キョウヤ達は幸運だ。ダームウルフのみであれば、逃げ出すことは叶わず全員餌となり果てていただろう。
食物連鎖の中で生きる彼らにとって最も忌まわしき者、それは同列の存在だ。
強者であれば逃げ出す。弱者であれば喰らう。ただし、ライバルは要らない。
戦闘開始の咆哮を上げる灰色の狼。
群れないウルフは闘いの火蓋を同族に知らせる――邪魔をするなと。
鼓膜が引き裂けそうなほどの大きな叫びに、キョウヤは反射的に耳を塞いだ。
我慢から解放されたマユとミカリスも杖を持ったまま手首の上で耳を塞ぐ。
対する岩の巨人は耳を持たないものの、挑発は振動によって心臓部である核へと伝わり敵を再認識。自身を呼び起こした害虫を排除せよと全身に命令を発する。
ゴーレムはウルフと違い、他生物から栄養を摂取しないため戦う理由は無いが、彼らは近づく者を無差別に殺戮する性質を持つ。
そんな迷惑な存在が自身のテリトリーに居られてはたまったものではない。巨狼は眼前の餌を無視してでも駆除せねばならないのだ。
逃げろ、今すぐにでも――。
三人の頭の中で警鐘が鳴る。
この状況は好機、神が与えたチャンスだと。
しかし頭では理解できても、一度竦んでしまった脚は言うことを聞かない。この場を離れられないまま戦いが始まってしまった。
先手を取った巨狼が一足飛びで巨人の左腕を喰い千切り、上腕の溶岩石をいとも簡単に嚙み砕く。
崩れ落ちた左腕は途端に爆発四散。
巨狼の毛皮を掠め、キョウヤ達の方向にも熱を帯びた小石が飛び散った。
左腕を失っても巨人は揺るがない。
周囲の溶岩石を吸い込むように新たな左腕を形成しつつ、身長と同じ長さの右腕をコバエを払うように振り回した――。
軽々と飛び退く狼。
目標を失った巨腕は溶岩石の柱に当たり、粉々に砕いていく。
「逃げましょう……早く……」
脚力、咬合力、破壊力、再生力。
届きようもない圧倒的な力の差を前に、いち早く声を発したのはマユだった。
か弱く臆病な彼女は、中層に入ってから常に周囲を警戒していた。
想定以上の危機を前に固まってしまうも、心の準備が出来ていたことで誰より先に現実を直視できたのだ。
「キョウヤさん……、早くっ……」
二度の呼びかけにも、足が竦んだキョウヤは動かない。
前の世界ですら見ることが出来ないリアルな戦いに魅入られていたのだ。
どちらが勝つのか、少年の恐怖心は好奇心へと変わりつつあった。
「キョウヤっ!」
恐怖心を脱ぎ去ったミカリスが叫ぶと、キョウヤの肩が跳ねる。
彼は漸く己の置かれている状況を把握した。
「行くよ、今しかないんだから」
「あ、ああ……」
少年は両手を使いながら震える体を起こす。先を行く二人の背を追いかけるが、一秒ですら惜しいこの時でも、未練がましく後ろを振り向いてしまう――。
「お、おい……!」
「なに!?」
苛立ちを募らせるミカリス。
「様子が……」
こんな時に逃げる以外の希望があるのかと、気になった二人はキョウヤの背後で繰り広げられる激闘の場へと目を向けた。
そこでは巨人が躰を丸めて蹲っていた。
胴体を庇うように巨大な丸い岩石へと変形している。
ゴーレムが戦闘を放棄するという最悪の展開が三人の頭に過るが、肝心のダームウルフは彼らを追いかけようともしていなかった。
一時、天を見上げると、足場の悪さを物ともせず軽やかなステップで明後日の方向へと去って行く。
助かった……?
ホッと一息つくキョウヤとミカリスの傍で、マユだけは緊張を解かなかった。
逃げるように去った巨狼への違和感が拭えないからだ。
残念ながらその予感は的中する。
束の間の安息は、地響きによって奪われてしまった。
「何これ……なになに?」
地響きがミカリスをよろけさせると、雷鳴と聞き違えるような轟音が鳴り響く――。
この状況で全員の脳裏に最悪な文字が浮かんだ。
地震、雷――否。
「まさか……噴火……?」
ここは火山。小規模とはいえ、活発に噴火を起こす活火山なのだ。
「嘘だろ……何でこんな時に!」
慌てふためくキョウヤの隣で――流星が落ちた。
「えっ?」
噴石だ。
火口から押し出された溶岩石が噴火と共に降り注ぐ。
小石サイズの噴石が少年の横で弾けたのだ。
更に噴石はゴーレムにも直撃する――が、今度はピクリとも反応しない。
多少外皮が欠けようとも構わず石に扮した。
一方、対峙していたダームウルフは既にテリトリー内のセーフティーゾーンへと帰っていた。微細な振動を感じ取り、噴石が落ちるより早く逃げていたのだ。
過酷な環境で生きる彼らは、噴火時のルーティーンは決まっているため、噴火程度でくたばることはまず無いだろう。
それは本能へ刻まれた生存戦略。
目先の餌やプライドを捨ててでも、何より最優先で行うのだ。
「ミカリス!」
「わかってる!」
捕食への脅威が去ったことで、冒険者たちは平静を取り戻していた。魔物よりマシだと甘く見ているのだ。
その魔物が何よりも恐れているものを――。
魔術士は火口へ向けてクルクルと杖を回す。
「プロテクト!」
蒼白く透き通った円形の盾が三人の頭上を覆う。
「バカ! そうじゃ――」
パリンッ――。
盾はいとも簡単に破壊され、貫通した噴石がミカリスの頭部を直撃した。
少女の身体は転がり倒れ、三角帽子がヒラリと宙を舞い、杖が手から零れ落ちる。
ミカリスは選択を誤ったのだ。
連続した脅威に晒されていたことで焦りが生じていた。
普段の彼女ならば二重三重に防御魔法を張るか、省略無しの詠唱で魔法の精度を上げていたはずなのだ。
「ミカリスさんっ!」
茶髪の少女の額から血が流れだす。
威力が緩和されていなければ頭蓋骨が抉れていたであろう。しかし即死は免れたものの昏倒してしまったのは、この非常事態において致命的である。
「うっ、うわぁあああああ!」
倒れた少女に駆け寄るマユとは反対に、キョウヤは悲鳴を上げながらその場から離れる。
流星群のように次々と落ち行く噴石。
留まっていても当たるのは時間の問題だ。
「キョウヤさん、待って!」
助ける義理なんてない。自分の命が最優先だと、躓きながらも少年は駆ける。聖域の下層へと向かって――。




