エピローグ 三軍将
路地裏にひっそりと存在するこの酒場は、知る人ぞ知る隠れた名店だ。
そんな酒場の従業員が店主の命令で魔術隊が居る施設へ遣わされていた。
知らせを受け取ったのは隊長であるゲスルド。
隊の医務室で治癒術を自分にかけていたところに、言伝を預かった女性隊員から報を受ける。
最初は何でワタシがァ……と、酔っ払いの対処は騎士団の管轄だと突っぱねようとした矢先、内容を頭だけ耳に挟むと、血相を変えて隊舎を飛び出していた。
「これまたひっどい光景ですねェ……」
彼が酒場に入ると、両手に酒瓶を持ちながら壁を背に座り込んでいる見知った男がそこに居た。辺りに他な客はおらず、貸し切り状態となっていた。
「ゲスルドか……ふふっ……笑えよ」
その男は壁に後頭部をつけてもたれかかり、生気を失ったように力が抜けていた。
「笑えませんよ、呆れてるんです」
品行方正、眉目秀麗の騎士団長が、あろうことか酒に溺れていたのだ。
これには対抗意識を燃やしていた魔術隊長も目を疑う。
目の前に起こっている現実が信じられず戸惑いを隠せない。
普段なら悪態を突くものだが、この時ばかりは何も言えなかった。
「ふふふふふ……あっはっはっは!」
突然、酔っ払いは笑い出す。
ギャンブルで有金全てを失った男の様に。
「なんなんですかもう……」
どう対応していいものか、ゲスルドは未だに現実を直視出来なかった。
「僕は無能さ。無能の屑野郎さ」
一転して表情が陰る。今度は顔を下へ向けて己を卑下しだす。
普段と違う一人称が、更にゲスルドを困惑させた。
「僕……? あのですねェ、後悔してるなら戻してもよかったんじゃないですかァ? まだ公にはしてませんし、今なら間に合いますよォ」
この男が酔い潰れている理由は一つしかない。
失った優秀な副団長だとゲスルドは確信。いつもの様に悪態を突いても埒があかないので普通にフォローした。
「無理だよ。それに、後悔してるのは大事な部下を手にかけようとしたことなんだ。素性なんて関係無い。彼女はずっと支えてくれてたのに……。それを今になって気づくなんて……。僕は何て愚かなんだ……イルシャ……すまない……」
ネガティブ思考に突入した男は止まらない。
項垂れながら浴びる様に片手で瓶をラッパ飲みしだす。
「ちょっとォ、もう飲むの止めなさいよォ!」
ゲスルドは急ぎ瓶を取り上げた。
これ以上飲ませては面倒になる未来しか視えないと。
「ゲスルド、僕を糾弾し団長の座から引きずり下ろしてくれ」
「嫌ですよォ。彼女と貴方が居ない集団なんて無能の集まりですよねェ。そんなことしたらワタシらの仕事が増えるでしょうにィ」
騎士団が腑抜け集団となれば、自分達に余計な仕事が回って来てしまう。
それこそ今のように。
酒場の店主は気を利かせてゲスルドを呼んだのだ。
以前ジルフェールが酔い潰れていたのもこの場所で、その時はイルシャが居たから事なきことを得たが、今回はどうにもならない。
団員に無様な姿を見せれば彼の求心力を失ってしまうと、敢えて一方的に対立していて信用の薄いこの男を選んでいたのだ。
「そんなこと言っても……どうすればいいんだ……」
涼しげな優男の面影は見る影も無い。
彼のファンが見たら幻滅することは間違いないだろう。
「一発ヤらせてくれたら戻してやるとか言って引き戻したらどうですかねェ」
馴染みの下卑た提案を酔っ払いにぶつける――が。
「君は天才か……?」
通じるはずもなく、酔っ払いは迷案を本気で受け入れてしまう。
「あーもう……! ダメですねこれェ……。冗談も通じないとか完全に壊れてるじゃないですかァ」
両手で髪の毛を掻きながら苛立ちを募らせるゲスルド。
もう何を言っても無駄だと、強引に連れて帰ることに決めた。
「マスター、すみませんねェ。後で騎士団宛に請求書送っといて下さァい」
この出来事は他言無用だと付け加え、酔い潰れた団長の肩を引っ張り上げた。
「ほら、行きますよォ」
シュウゴとの戦いの後とは逆に、不本意にも今度はゲスルドが彼を支える形となった。
「君は良い奴だな、ゲスルド」
ジルフェールは尊敬の眼差しを向ける。
その屈託のない表情に、気色悪いとゲスルドは顔を顰めた。
「もう……こっちが吐きそうなんですけどォ」
自分で歩こうとしない団長を連れながら、店を出る。
酒場から漏れる光と月明かりが照らす路地裏を進む。
「イルシャ……イルシャぁ……」
涙を浮かべながらみっともなく女の名を叫ぶ男に、ゲスルドの辟易は止まらない。
「勘弁して下さいよ、もォ……」
「僕は……明日からどうすればいいんだ……」
こんなはずじゃなかったと、理由は違えど二人は落胆する。
性に合わないと思いながらも、ついにゲスルドは不本意でも仕方なく真面目に助言を授けることにした。
「こういう時は一度初心に帰るといいですよォ」
「初心……?」
「ご両親の墓にでも行けばいいんじゃないですかァ。かつての記憶を思い起こせば、少なくとも今よりはマシになるでしょォ」
何でこんなこと敵に話しているんだと、男はもう訳が判らなくなっていた。
されども放置すれば魔族の件が酔っ払いの口から明るみに出てしまう。
歳も上である男は珍しく自分を押し殺した。
「そうか……」
ゲスルドの思いが伝わったのか、ジルフェールの酔いが少しばかり冷めていく。
「分かったよ……。パパとママに会いに行ってくる」
「あァ……」
ガクリと、ゲスルドは肩を落とし力が抜ける。
ダメだこの男……と、矢継ぎ早に発見する団長の意外な一面は男を落胆させ、そんな男に対抗心を抱いていた自分が情けなくなっていた。
今度は自分がこれからどうすればいいのかと言いだしそうになり、深い溜息をつく。
こんな姿を誰にも見られたくない。
大通りには出ず、酔っ払いを引き摺りながら裏道を進み暗闇へと溶けていった――。
◇
魔導技術班に属する研究員たちの多くは、研究所の近くにある寮棟で生活している。
一方、班長のヤヅキだけは特例として、研究所内に住むことができるプライベートルームが用意されており、研究所から出ることは滅多に無い。
そのため、今回の一件で外へ出たのは久しぶりの出来事であった。
『構わないさ。私にとっての命は……あの世界にあったのだから……』
ヤヅキは研究所内の白で染まった殺風景な廊下を歩きながら、大事な研究成果を自ら破壊し、自暴自棄とも言える行動にでた自分を振り返っていた。
……何故あんなことを……。あの男の所為か……?
ヤヅキもシュウゴも、この異世界で一定の地位を獲得しているのは共通だが、彼女はシュウゴとの違いを感じ取っていた。
堂々と己の信念で突き進む男の姿に、一種の対抗心を燃やしていたのかもしれないと、ヤヅキは考える。
カツカツと、誰ともすれ違わない廊下を歩き続け、自分の部屋を遮る鉄の扉の前で止まった。
そこは魔法によって固定されており、自身の持つ鍵でなければ開けられない。
ヤヅキはそっと扉の前に右手をかざした。
薬指の指輪が微かに光りだすと、扉は自動的に左へとスライドする。
「遅くなってすまない」
今は深夜。扉の先には一人の少女が人形の様にぽつんと立って待っていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
言葉を発したのは人間ではなく魔導人形。
メイドを思わせる言葉遣いだが、着ているのは可愛らしいフリルのついた無地の服。露出している素肌からは、近づけば所々に切れ目がついているのが解るだろう。
メビウスと違い、ぱっと見では小学生低学年くらいの少女にしか見えないほどに、完成度が高いと言える。
そんな言葉を発する人形に対し、ヤヅキは優しくも寂し気な表情で口を開いた。
「ただいま。……灯理」




