籠城
――ルドウス教会跡地。
中心に聳え立つ城から見て南西に位置するラバール地区にて。
密集する住宅街の一角に、所々崩れかかった塀で囲われた廃墟があった。
今は無きルドウス教会という宗教団体が所有していた跡地で、老朽化以上に戦いの傷跡を周辺に遺していた。
当然手入れされていることなどなく、雑草達がここぞとばかりに生い茂る。
もう誰も足を踏み入れていないが、住処の無い動物達にとっては雨風を凌げて人間も来ないちょうどいい空間。
踏まれたまま起き上がらない雑草の続く獣道が、彼らの存在を示している。
無残にも崩れた銅像、割れて内外に散らばったステンドグラスは放置され、屋根上にあったとされる十字架は地上に降りて来ていた。
外壁は植物によって浸食されており、留まることを知らない成長は内部にまで達している。
扉を失った建物の中は辛うじて原形を留めているが、等間隔に並んだ椅子や奥の祭壇は雨漏りによって劣化が進んでいた。
今宵は満月。
割れた天井から差し込む月光を浴びながら、祭壇の前で1匹の白猫が姿を変貌させる。
小さな身体は人間の大きさにまで膨れ上がり、柔らかな白色の体毛が全身を包む。頭からは人の髪のように伸びる毛が、胸の辺りにまでふわりと寄せていた。
「ぐっ……うっ……」
数年ぶりの猫化によって、イルシャの身体は耐え切れず悲鳴を上げる。
質量の異なる変身。その反動は凄まじく、定期的に慣らしていなかったため骨が軋むほどの激痛が襲ったのだ。
常に人間であり続けていた彼女は捨て去っていた姿に戻り、痛みに耐えながらも口に咥えていた筒から針を取り出す。
そして、間髪入れずにヒビ割れた床へ突き刺した。
点滅する赤い光が廃教会にできた空洞から溢れる。
彼女が部屋から持って来たのは救難信号。
救命師を呼ぶための物だった。
黄色の猫目が怪しく光る。
腰を落とし、両手を床につけて魔族用語で呪文を唱えた。
青白い光が周囲を覆っては消え、視認できない結界を張っていく。
例え何人来ようと耐えきってみせると、籠城を覚悟。
魔族の自分を救命師が助けてくれるかは判らない。
されども他に方法が思いつかなかった彼女は、一か八かの賭けに出たのだ。
今頃は魔族狩りと称し、軍が総力を挙げて自分を探しているだろう。追跡されていることなど知らない彼女はそう考えていた。
まだ時間は稼げる。
先に救命師と合流できれば、己の願いは叶うかもしれないと――。
しかし、そんな目論見はあっという間に崩れ去る。
針を刺して程ない時間、四つの影が入り口に現れた。
人間ならば逆光で判断しくいが、夜目が利く彼女には見覚えのある四人の姿がはっきりと視えた。
「なるほど、そういうことしますか。貴女、中々面白いことしますねェ……」
……な、何で……。
詠唱を止め、イルシャは驚愕する。
部下を連れず変わらぬメンバーで来たことにより、逃げられない事実を突きつけられていた。
「驚きますよねェ。ワタシもでしたよ。追跡装置、な~んて物が備わってるらしいですよ」
ゲスルドが親指で後ろのジルフェールを差すと、彼は背負っていたデバイスを不要と判断、側面へ乱暴に投げた。
これにはヤヅキが雑に扱わないでくれと苦言を呈すが、裏切者を前にした男は雑音を振り払うように剣を抜く。
「くだらんことを……誰が魔族を助けると言うんだ」
憎悪を解き放った男はゆっくりと元部下へ近づく。
害虫を見るような目で見下しながら。
「お前は私がどれだけ魔族を憎んでいるか知っているだろう? かつてお前にも話したはずだ。私の両親が魔族に殺されたことを。その時……どんな気持ちで聞いていたんだ?」
言葉に怒気を混じらせる団長の表情は一つの感情に縛られる。
裏切りは共に過ごした時の長さほど、より強い憎しみとなっていくのだ。
「魔族だって……人間に殺されています」
一方的に殺意を向けられても、イルシャは怯まない。
長年の付き合いだからこそ嘘は無意味。
ならば正直にと、思っていることを口に出す。質問の答えではなく、逆に問いかけるよう彼の怒りを否定する。
「その魔族を、お前も殺していただろう」
「人間だって……人間を殺しているでしょう」
図星を突かれるオウム返しに、更に苛立ちを募らせたジルフェール。
そんな裏で、隠されなくなった狂気を楽しんでいる者がいた。
「ふっ、はっはっは。そうですよ、世のなか綺麗事では済みません。貴女の考えは至極真っ当です。間違ってるのは、その男」
ここぞとばかりに煽るゲスルド。
魔族の前でも余裕綽々な男は、立ち位置を変えてでも団長批判を止めない。
そんな小蠅の音と、平時なら無視を決め込めただろう団長だが、今回ばかりは流すことができず怒りを行動で表してしまう。
天井へ振り上げた剣を、感情に身を任せたまま躊躇いなく振り下ろす――。
狂気に染まった剣はイルシャの眼前で弾かれ、電撃音と共にジルフェールの手から離れた。
音を立てて落ちる剣。
痺れて震える右手は動かなくなったものの、それが逆に彼の熱気を沈めた。
「結界か……」
接触の瞬間にのみ形を見せた青白い膜は、イルシャの周囲を球体で覆っていた。
透過に反撃の雷、易々と破れない防衛策に、頭に血が上っていた男は冷却を余儀なくされる。
「あっはっは、やっぱりそうなりますよねェ。いや~、今日はいい日ですねェ。実に愉快ですよォ」
こんな思い通りになる日はないと、手を叩き心が躍るゲスルド。
魔術隊長が結界の気配を感じられないはずがなく、この男は敢えて後ろで黙って見ていたのだ。
「知ってたのか……」
「そりゃそうですよ。ワタシを誰だと思ってるんですかねェ。そもそも、貴方が早とちりするのがァ悪いんですよォ」
取り乱していた団長は呼吸を整えると、左手で剣を拾う。
行き場を失った怒りを一時的に沈め、その場をゲスルドへ譲った。
「しかも相当高度ですよォ、これ。一騎士の貴方では易々と壊せないでしょうねェ」
煽り文句を一々付け足す男は、イルシャの結界に迷わず触れた。
「こうやって……女性のお尻を撫でるように触れるんです……グフフ」
この弾力、堪らないですねェ。と、続ける男の下品な台詞にヤヅキは顔を顰める。
気持ち悪いと、言葉に出すことなく飲み込み、下衆な男をゴミを見るような目を向けた。
「知ってますかァ? 結界の感触というのは、術者のお尻と同じなんですよォ」
他人の目などは気にしない男はなおも嫌らしい手つきで撫で回す。
ジルフェールが受けた電撃は、対象に攻撃意思が無ければ反応しない。
故に、下卑た言葉や手つきでイルシャの精神をかき乱しながら、結界に絡まった複雑な魔力の流れを紐解いていく。
やり方は下劣極まりないが、厚顔無恥な男ならではの必勝法。結界破りに関してならば、この男の右に出るものはいないだろう。
やがて結界が視認できるようになると、指先でトントンと2回叩いた。すると――。
「ほォら、この通り」
薄いガラスが割れる破裂音が響き、結界は呆気なく飛散する。
イルシャが恐れていたのはこの男。
自分の結界を容易く破れる唯一の人間だったからだ。
「いやはや勿体ない。我が隊に欲しいくらいですよォ。ここまでの結界を張れる人間はそうはいませんからねェ。猫のヴェルハは魔術を得意としているのに、正体を悟られないため敢えて騎士団に入るとは……恐れ入りますよォ。どれほど鍛錬を積んだんですかねェ……」
「如何に努力を積もうとも魔族は魔族。人とは相容れない。……決してな」
イルシャは動かなかった。
結界が破られようとも、ジルフェールの凶刃が迫ろうとも、その場を動くことは出来ない。
救難信号から離れれば、救援者がイルシャの居場所を見失ってしまうからだ。
「健気ですねェ。まだ期待しているのでしょうか。どれだけ待っても来るのはワレワレの味方だけですよォ」
ジルフェールがイルシャに剣を向けると、ゲスルドは彼の目の前を塞ぐように手を置いた。
「待ってくださいよォ、誰が来るか気になりませんかァ? 来てからの反応も見――」
「誰が来ても一緒だ。誰も魔族を……助けなんかしない」
押し込まれていた憎悪が再び顔を出す。ゲスルドの手を振り払うと、左手に力を込めた。
「これ以上、貴様の姿なんて見たくもない。これで終わりだ――」
喉元を一突きしようと、鋭い切っ先は一直線に無抵抗な女へ向けられた。
咄嗟に両目を瞑り、全ての希望を断たれたイルシャは痛みと死を受け入れる――が、いつまで経っても痛みが届くことは無かった。
「やめろ」
イルシャは目を開けると、団長の左手を、その場に居なかった屈強な男が掴んでいた。
見た目からは団長より上の歳だが、服装は団服でも隊服でもなく市民が着るラフな服装だ。
しかし、滲み出る強者の風格は一般市民からはかけ離れ、利き腕でないとはいえ団長の左腕を完全に停止させていた。
「シュ、シュウゴさん……」
現れた意外な人物と行動に、団長の目が泳ぐ。
「俺の救助対象だ。剣を引け」




