イルシャの正体
「ひぇっ……ど、ど、どういうことですか、これはァ!?」
予期せぬ事態に気が動転するゲスルドは、腰が抜けて立つことができなかった。
容姿端麗な美女が突然にして人成らざる者へと変貌しただけなら、それほど驚くことは無かっただろう。
国の中心部で、長らく面識のあった者がそうなっていた事実など、本来在るべきではないのだ。
故に、彼のリアクションは無様と言えども自然な反応であった。
「ヤズキ班長。これがもし冗談なら貴女を斬らなければならない。納得のいく説明を求める」
ヤズキが冗談を言うことなど有り得ないと知りながら、大事な部下が非人道的な実験で魔族に変えられたと、それこそ有り得もしない一縷の望みに賭けたジルフェール団長は激昂する。
嘘であってくれと、事実を受け入れられず心の中で願うも、返った言葉は非情な現実だった。
「冗談とは……? これはありのままの結果ですよ。メビウスの光は人が感知できない程の微弱な魔力変化を判別し、強制的にニュートラルへと戻します。人に化けた魔族や、金に変えられた石、卓越な魔術によって偽装された姿を、これからはメビウスを使えば簡単に――」
「……なぜ彼女が魔族だと? 予め知っていなければ、こんな罠に嵌めるようなことは……」
「先週、健康診断で採取した血液ですよ。集めた血液へ一斉に光を当てた後、血液検査を行ったのです。私も驚きましたよ。まさか副団長のもので魔族反応が見られたなんて……」
心の中では既に納得している。
それでも団長は望みを捨てられず、イルシャの前へ近寄った。
「大したものですよ。自分の身体から離れた血まで、細胞ごと人のものに変え続けるとは……。人間には不可能なほど繊細な魔力操作です。見破れなくても仕方ありません」
自分への免責などどうでもいいと、唖然とする部下へ目を向けたまま班長の言葉を聞き流し――。
「本当か? 本当に……君は魔族なのか?」
どうしても本人の口から聞かねば信じられず、最後の言葉を投げかけるのだ。例えここで嘘を言っても、彼は信じてしまうだろう。
それほどまでに彼の心は揺らいでいた。
そんな彼に対し、恩義を感じていたイルシャは素直に打ち明ける。
許しを乞うように地に頭をつけて。
「はい……見ての通り、私は……魔族です」
その言葉を聞いた瞬間、団長の中でぷっつりと何かが切れる。
「確かに私は魔族ですが、信じて下さい! この国に尽くす忠義は本物です!」
「もういい、そのまま動くな。その首を断ち斬ってくれる!」
言い訳は聞くまいと、ジルフェールは腰の剣を抜いた。
ゲスルドの嫌味も涼しく流す温厚な彼はもう居ない。
激情に身を任せ、憤怒の表情を完全に曝け出した。
「――待って下さいよ」
躊躇いなく斬りかかろうとした団長を止めたのはゲスルド。
だが、救いの手ではない。
下種な笑みを浮かべながら裏切者の処遇を提案する。
「彼女は使えます。魔族と言えどもメスですからねェ。帝国軍のように、侵攻戦で持っていきましょう。兵達の慰み者にしたら遠征先で捨てるんです。消耗品としてねェ。彼女は騎士団の中でも人気者でしょう? きっと皆さん喜びますよォ」
「下衆が! 騎士団を貴様らのような俗と一緒にするな! 魔族に劣情を向けるほど愚かではない!」
珍しくゲスルドの挑発に乗ってしまったジルフェールはイルシャから目を離し、下衆男を睨みつけた。そんな平静を失った彼に対し、ゲスルドはここぞとばかりに満足気に責め立てる。
「はァ? なァに格好をつけてるんですかねェ!? 見栄だけじゃ兵は動きませんよォ!」
この瞬間を待っていたと、魔族のことなどどうでもよくなった男は満面の笑みで修羅場を楽しむ。
スカした男が漸く見せた弱み。
この気を逃すまいと、子供のようにはしゃぎだす。
「だから女性隊員に嫌われるのだよ、ゲスルド君」
しかしこの上なく下卑た発言に、黙って見ていたヤヅキも不快感を示した。
「あァ!? 何でアナタまでワタシに矛先を向けるんですか――あっ!」
小さな影が、稲妻のように猛烈な勢いで班長の横を通り抜け、扉の隙間へと消えていく。
出所にはもぬけの殻となった衣服が散らばっていた。
「猫になって逃げちゃったじゃないですかァ!?」
イルシャは多種に渡る魔族の中でも『ヴェルハ』と呼ばれる種であり、生まれつき動物の外見や特性を宿している獣人とも呼ばれる存在だ。
ヴェルハは人間への擬態の他に、ベースとなる動物に身体を変化させることも出来る。
元々猫は瞬発力に優れ、初速からトップスピードを出すことが可能。
加えて、背の高い二足歩行の人間が俊敏な彼らを捕まえるのは至難の業だ。
不毛な言い争いで目を離していた三人は、まんまと魔族を逃してしまう。
これには血が昇っていたジルフェールも深く息を吐いて平静を取り戻した。
「誰ですかァ!? 扉を開けっぱなしにしたのはァ!?」
「私だ」
「何でェ!?」
ヴェルハの特性など彼女は当然熟知していると確信していたゲスルドは、普段のようにジルフェールへ責任をぶつけようとしていたため呆気に取られた。
しかし、当然ながら聡明なヤヅキのうっかりミスでは無い。
彼女が扉を閉めなかったのは、別の狙いがあったのだ。
「メビウスには追跡機能が備わっているのさ。協力者がいれば勝手に案内してくれるだろう」
「なるほどォ。賢いですねェ、アナタ。そういうところだけは好感が持てますよォ」
先程の暴言は水に流すと、調子のいいゲスルドは一転してニヤついた。
「それに比べて騎士団長サマは……、魔族をナンバー2に据え置くなんてねェ? 失態も大失態。信じられない大マヌケですよォ~? どう責任を取るつもりです、かっ!?」
ここぞとばかりに煽り散らかす男に団長サマは剣を収め、いつもの如く冷静に返す。
「なるほど。確かに私の眼は節穴だったみたいだ。特級魔術隊には絶対魔族が潜んでいないという貴方の自信を見習いたいものですね。しかし念のため、そちらでも検証してみては?」
「あっ? ややや、そ、それは……」
思わぬ反撃に煽り男は自信を失う。
魔術隊も入隊時に魔族が紛れないように魔力測定による確認試験を行なっているが、メビウスほどの精度があるとは言い難かった。
「あー……まァ、いいでしょう、はい。近いうちに行うことを長い目で検討しておきますよォ」




