ワイバーン襲来
「アカリ、ピクニックは終わりだ」
途切れていた足跡が再び顔を出す。
ただし、様子は異なっている。
等間隔で真っ直ぐ洞窟へ向かっているのではなく、規則性の無い痕跡が幾つも散らばっていた。
雪玉を転がしたように何かが引きずられた跡と、それまで足並みを揃えていた三人が散開し、大きく踏み固められた足跡。
更に雪に染みついた赤い血痕。
誰がどう見ても戦いの跡だと判るだろう。
そして、彼らと戦っていた相手。
鳥のようなY字の足跡が残っていた。
ちょうど大人の片腕一本分くらいの長さだ。
歩いた形跡は無く、残されていたのは二ヶ所のみ。
……ワイバーンか。
この雪山において、飛びながら獲物を狩る魔物はそれしかいなかった。
性格は非常に獰猛で、特に雪山への侵入者には容赦が無い。
相手との力量差すら計らず、有無を言わさず襲って来る。
それは飛べるという最大の長所が彼らを勇敢にさせているのだ。
対峙していた三人分の足跡は、蜘蛛の子を散らすように間隔を広く開けながら洞窟へと向かっていた。
魔物の死体は見当たらない。
彼らが逃走したと判断したシュウゴは弓を手に取り、アカリを背中に乗せた。
急な動きで落ちないように、念を入れて帯を巻いて固定。
小さな両腕は男の首の前で交差する。
「しっかり掴まってろよ」
「りょ」
荒れた雪道を進み、洞窟の入り口を視界に入れる所まで辿り着いた。
まだ三人の足跡は健在で、洞窟の入り口まで伸びている。
となると、逃げきったと考えるのが妥当だろう。
……まったく面倒事を押しつけてくれる。
シュウゴは溜息を溢すと、タイミングを計らい後ろへ飛び退いた。
赤く染まった領域から抜けると、目の前で巨大な飛来物が過ぎ去る。
避けなければ二人は鷲掴みされ、空へと運ばれていただろう。
飛行物体は旋回し、二人に姿を見せる。
獲物を取り逃がしたばかりのワイバーンだ。
彼らが一太刀入れたのか、懐に浅い切り傷が入っていた。
ワイバーンは飛竜の一種だが、両手が蝙蝠のように羽と同化しており、両足は鳥のような鋭い鉤爪を備え、竜の頭に長く伸びる首と尾が特徴の魔物だ。
更にこの雪山に生息するワイバーンは環境に適応しており、全身が白く染まり、内臓や鱗まで冷気の影響を受けない構造に変化させている。
シュウゴにとってやり過ごしたい場面だが、洞窟の前に居座られては面倒だった。
ここで退治することに決めると、矢筒から一本の弓矢を手に取る。
ワイバーンの攻撃方法は主に2つ。
1つ目は先程見せられた空からの奇襲。遠くから高速で掴まれるため、警戒していなければまず一瞬で餌になってしまうだろう。
2つ目は口から息を吐くブレス攻撃。
周囲の空気を取り込み、一気に吐き出す。
ただし、この氷点下による冷気をそのまま使われてしまうため、氷のブレスへと変化してしまう。
よく風は体感温度を下げると言うが、ワイバーンの息は台風以上だ。まともに喰らえば凍傷は免れない。
アカリがいれば大丈夫かと思われがちだが、ワイバーンの吐く息は冷気がなくても突風そのもの。鎧でも着ていなければ簡単に飛ばされてしまう。
倒れた隙に空へと持って行かれるわけだ。
ワイバーンには翼という利点がある。
空を飛べない猿相手に迂闊に近づくことは無いだろう。
だからシュウゴは弓を持って来た。
最も厄介な相手を仕留めるために――。
再びシュウゴの周囲が赤く染まる。
ワイバーンの口から二人に向かって扇形の斜線が伸びていた。
空気を口に含み、吐き出す瞬間に横っ飛びすれば躱せるだろうが、シュウゴは敢えて矢じりを構えた。
……まだだ。
アカリを背負っている以上、失敗は許されない。
タイミングはスキルが教えてくれる。
目の前が赤く染まり切る直前、それこそがジャストタイミング。
扇の中心地へと照準を合わせた。
ワイバーンはシュウゴを射程圏内へ入れ、大きく口を吸い、頭部を後ろに反らす。
そして首をしならせながら勢いをつけ吐き出した――。
……ここだ!
右手から離れた弓矢は零交差に限りなく近い真直で突進する。
放たれた矢は開かれた口の中に入り、そのまま貫通。
首から風穴を開けられたワイバーンは絶命し、力を失いながら落下。
山の斜面に激突し滑落していった。
死体を残せば魔物を誘き寄せてしまう。
帰りならともかく、行きで退治するならば遠距離狙撃が望ましいだろう。
死体処理や、素材の剥ぎ取りなんかしている暇は救命師には無い。
だからこそ奴だけは、この弓で仕留めるしかないのだ。
「お師、流石」
「ありがとよ。怖かったか?」
「全然」
「そりゃ良かった」
降りかかる粉雪と足元の淡雪を掻き消しながら洞窟へ向かう。
入り口は大人三人分が横並びで入れる大きさで、ゴツゴツとした岩肌に覆われていた。
雪は侵入していないが足元で所々に氷が張っている。
誤って踏んでしまえば滑って転げるだろう。二人には関係無いが。
当然ながら整備などされてない自然の洞窟だ。
トンネルのように電気が点いているわけではない。
少し歩くだけで視界は零だ。
「アカリ、頼む」
「りょ」
アカリは腰に掛けていた杖を手に取り、先端を洞窟の奥へと向けた 。
「アカリアカリ」
珍妙な名の魔法が唱えられると、杖先に灯された小さな光が洞窟の姿を曝け出す。
天井にはびっしりと氷柱が生え、全体が氷で覆われたアイスブルーの幻想的な景色が映し出され、光に当てられた蝙蝠たちがキィキィと鳴きながら奥へ飛んで行く。
こんな場所でも逞しく存在できる生物がいるのは魔物だけではない。
ランプを使うよりも広範囲を見渡せるアカリの魔法は優秀だ。
「そのネーミング何とかならないのか?」
「無理」
魔法の名前は自由に決められるのだが、センスが問われるためシュウゴを含めた多くの人間はデフォルトだ。
洞窟内の気温も氷点下だが、上へ行くほど強まる風や降りかかる雪が無いだけでも過ごしやすい。
背後から触れる風は意識しなければ感じない程度で、逃亡していた騎士団の奴らにとってはいい休息地になっているだろう。
ここいらで距離を詰められそうだなと、シュウゴは悠長なことを考えていたら、氷の床に刺さった人工物が出迎えた。
「血がついてる……」
「これは急ぐ必要があるかもな……」
脱ぎ捨てられた3つの銀鎧。
そのうちの1つには表面に凝固した血がべっとりとつき、剝がされた皮膚も付着していた。
ワイバーンのブレスをまともに喰らったのだろう。
鎧のお陰で吹き飛ばずに済んだのかもしれないが、冷気までは防げない。
氷点下で冷やされた金属は急激に熱を奪う性質があり、誤って汗をかいた手で触ったことで、接着剤でもつけたかのように貼り付いてしまったのだ。
慌てていたのか、温める余裕もなく無理やり引き剥がしてしまったようだ。
更に冷えやすい金属である鎧は体温を外へ逃がし続ける。
こんな場所では正直言って脱いだ方がマシだろう。
呆れたことに、そんな状態でも彼らは先へ進んでしまっている。
これはもう魔族と戦うどころの話ではなかった——。




