アカリとの出逢い
――メーグリス山。
そこは魔族領との境界線になっている山脈に連なる山々の一つ。
山の半分以上が白銀で染められ、季節の影響を受けず年中雪が降り積もっている。
標高は富士山級と中々のもので、おいそれと通り抜けられる場所ではない。
ここはダーム火山と同じで上へ行くほど強力な魔物が巣食い、環境も険しくなる。
当然ながら登頂を目指すわけもないので、その辺の心配は不要だった。
救助対象の目的もはっきりしているため、シュウゴは四合目にある氷の洞窟までを想定して装備を整えていた。
今回持って来た武器は『シャフマレドの弓』。
巨大甲虫型の魔物を素材とした最上級の性能を誇る弓で、竜に踏まれようが焼かれようが変形すらしない耐久力を持つ。
更に弦の反力が凄まじく、パチンコのように弓矢以外も射出可能。
元となった魔物は引きちぎった樹木を飛ばしていたくらいだ。
大きさは通常の弓より少しばかり大きい。
弓は大剣のように背に抱えているため、矢筒は腰に携えている。
中に入っている弓矢はどこでも売ってる普通の代物だ。
余程特殊な相手がいない限り、これで充分だろう。
防具はモフモフの毛皮のコート――ではなく、動きやすさを重視した上下ともに薄地のウール生地の服装のみで、アウターは無し。
特殊な加工も無く、登山を舐めてるのかと叱られる格好だが、寒さ対策は別にあるのだ。
対してブーツだけは滑り止め加工を施してある雪山仕様。
先の洞窟内では氷が張っている箇所があるため、これは欠かせない。
そんな装備で、ひたすら起伏の少ない散歩道を進んでいると、至る所に白い雪の乗っかった風景が見えて来た。
そこは三合目の境界線。
安全地帯は終わり、雪道を歩けば魔物の生息地に入るのだ。
雪が降っていて今はまだパラパラと舞う程度だが、上へ進めば進むほど強くなっていく。
登山道が雪に覆われるほど降り積もった所まで行くと、案の定、三人分の足跡が残っていた。
「アカリ、大丈夫か?」
「平気」
シュウゴがアカリを心配したのは寒さによるものではない。山登りによる疲労だ。
アカリの服装はシュウゴと同じ材質で薄めの服だが、ブーツは滑り止めの無いものを履いている。その理由は極めて単純で、氷によって滑ることは無いからだ。
アカリのスキル――『氷解』。
分かり易く伝えれば氷耐性だ。
アカリが雪道を踏み歩けば足跡の形に地面が顔を出し、吹雪は当たる前に消滅する。
冷気によって身体が震わされることはなく、冷え性、凍傷、低体温症とも無縁だ。
欠点は、かき氷やアイスクリームなどが食べられないこと。
そして、布越しでもアカリに触れていれば能力が共有される。
つまり、シュウゴの防寒対策はアカリそのものだったのだ。
アカリと手を繋ぎ、二人の足跡が雪を溶かしていく。
目の前で雪が降っているというのに、二人は全く寒さを感じていない。
寒冷地帯において最も脅威なのは、寒さであることは言うまでもないだろう。
これが無くなるだけで、救助率が格段に跳ね上がる。
シュウゴが動き易いのは勿論のこと、容易に雪を消せることで手掛かりを見つけやすく、負傷者の冷えによる障害を一瞬で治してしまえるため並の治癒術士より優れた処置が可能なのだ。
そんな便利な能力を持っていても、アカリはまだ幼い。
連れて行けるのはシュウゴが余裕をもって対処できるBランクまでと決めていた。
そもそもシュウゴに『危険予知』のスキルが無かったら、絶対に連れ歩きはしないだろう。
アカリはキョロキョロと周囲を見渡している。
魔物が怖いのではなく、助けが必要な人はいないかと探しているのだ。
これまでシュウゴと何度も人を救ったことで、使命感でも芽生えたのだろうか。
将来は寒冷地専用の救命師になるかもしれない。シュウゴの心境は複雑だ。
シュウゴがそろそろおぶろうかと聞いたが、まだ自分の足で歩きたいと断る。
歩幅が違う大人のペースに合わせていても疲れを見せない。
育ち盛りの子供には、シュウゴも驚かされている。
目的の四合目に差し掛かると、遂に先導者たちの足跡が消えた。
これは彼らが何処かに飛んだり魔物に食われた訳ではない、単純に降雪量が増えたのだ。手掛かりは消えたが目的地は解っている。
洞窟に入れば何らかの痕跡を残しているだろう。
日が出ているというのに、雪は止む気配が無い。
徐々に視界が薄くなっていく――。
シュウゴがアカリを見つけたのは、二年前のこの雪山だった。
場所は八合目。猛烈な吹雪が視界と体力を奪う中、雪崩や滑落だけでなく、魔物にも警戒しなければならない。
当時のシュウゴはゴーグルをつけて毛皮のコートを着込むなど、万全の防寒対策で救助へ向かっていたのだが、結果は間に合わず、遭難者は既に息を引き取っていた。
これはその帰り道での出来事だ――。
◇
『気にするな……。助けられることの方が少ないんだ』
膝まで浸かる雪をかき分けながら遺体袋を担ぐシュウゴの後ろを、新人救命師が俯きながら歩いていた。
彼女の初めての救命活動は、失敗に終わってしまったのだ。
シュウゴは慰めの言葉を掛けたが、落胆が大きく簡単には切り替えられないだろう。
ここまで辿り着くのも命懸けなのだ。
冒険者と違ってリスクに見合った報酬も無い。この仕事を続けられるのは物好きだけなのだ。
『俺の足跡を見失うなよ。クレバスに落ちる』
ヒドゥンクレバス。
それは雪山や氷河にある途轍もなく危険な見えない落とし穴のことだ。
亀裂で作られた岩壁は狭く深い。落ちればまず助からないだろう。
見えていれば簡単に避けられるものだが、積もった雪によって隠れてしまい、誤って踏んでしまえば雪と共に真っ逆さまだ。
シュウゴはスキルによってクレバスの位置を特定できる。
真っ赤に染まる雪を踏まなければいいだけなのだが、他の人間はそうもいかない。
『お師しょー、待って……』
アカリに「お師」という変な呼び方を植え付けたこの女は、元Sランク冒険者のスズネ。
自称十六歳の時に転生した。
普段は天真爛漫な女なのだが、流石にこの状況では落ち込んでいるようだ。
ヘトヘトになりながら鉛を付けたような足で、雪の波に逆らいながら歩いている。
ピンクのコートは雪で白く染められ、フードに積もる雪を手で振り払っていた。
彼女が救命師を目指したきっかけは、遭難して救難信号を使い、シュウゴに助けられたことで憧れたらしい。
それまで仲良く組んでいたパーティも抜けて転向した変わり者だ。
『アイドルなんだろ、笑顔はどうした?』
『元ですー』
『今年でいくつだ?』
『公式では二十二』
……よし、大丈夫そうだな。
暫くこの調子で下っていると、スズネが何かを見つけたようだった。
『お師しょー、あそこ何かヘンだよ』
『勘弁してくれ、寄り道はしな……』
嫌々ながらもスズネの目線の先へ目を向けると、本当に異様な光景が目に焼き付いた。
『何だ……?』
崖の上で吹雪が不自然に途切れている。
視えないかまくらにでも遮られているようなバリアが、その一点だけを守っていた。
『お宝かも?』
『冒険者じゃないんだぞ。俺たちの仕事は救助のみだ。それ以外は……』
『誰かがいたら?』
『……』
そう言われたらシュウゴも確かめざるを得ない。
あれが防護系の魔法ではないという証明もできないため、見捨てるわけにもいかなかった。
『俺が確かめてみるから、遺体を頼む』
担いでいた遺体袋をスズネに預けると、目標の崖の上を見据えた。
ざっと見積もっても大人三人分の高さはある。
微かに岩肌が露出する、ほぼ直角の急斜面。
道具や魔法無しで登るのは不可能に近い。
だがシュウゴにはスキルがある。
「危険予知」の能力は、自分の行動による危険をも察知する。
この場面で行うのは跳躍による崖登りだ。赤く染まる崖に浮き出た白い点を繋ぎ合わせ、ゴールまでのルートを図る。
道筋が決まれば後は辿るのみ。
踏んでも崩れない僅かな突起を蹴り続け、ヤギのように跳ねながら崖を踏み抜いていく。
一度も滑り落ちることなく、崖から出っ張った小さな丘に手を付けてぶら下がった。
何故か熱気が手袋越しに伝わる。
なんせ防寒仕様、それまで冷えていた手が急に生暖かくなったのだ。
何かあるなと、不審に思ったシュウゴは両手で全体重を持ち上げて丘に登る。
『嘘だろ……』
寝返れば落ちてしまいそうな場所に、小さな女の子が横たわっていた。
猛吹雪の中、白いワンピースだけを着ているが、何かに護られているかのように彼女の周囲だけ雪が避けている。
シュウゴは驚愕すると同時に怒りが湧いた。
もし神がいるのならブッ飛ばしてやりたい。
こんな場所で放り出された子供が生きていけるとでも思っているのか。
俺たちが偶然通りかからなければ確実に死んでいた。
二度も死を味合わせるなんて、どうかしている——。
こうしてシュウゴたちは、偶然見つけた女の子を保護。
一夜明かす予定だった登山計画は少女のスキルの恩恵を受けたことで、その日のうちに下山できたのだ。
予期せぬ命を救ったことでスズネは明るさと自信を取り戻し、今も救命師を続けている。
身寄りの無いアカリはマスターと相談した結果、シュウゴの家で住まわすことになったのだ。
忙しいシュウゴは余り構ってやれていないが、スズネも時折面倒を見に来てくれている。
今に至るまで何事もなく育ってはいるが、家族から引き離され異世界に放り出された心情を察すれば、シュウゴでなくても胸が締め付けられる思いだろう。
防御系統であるスキルの内容を聞けば判るが、アカリの死因は凍死。
アカリは死の原因を覚えており、シュウゴ達にも語った。
父親が営んでいた飲食店の冷凍庫に入り、扉の故障か何かで閉じ込められてしまったのだ。
生まれた時から母親を亡くしたアカリは、父親に育てられていた。
事故に遭う少し前から商売が軌道に乗っていたのだが、そこで油断をしたのか、好奇心旺盛な少女から目を離してしまったのだ。
たった一人の愛する子を失った父親の哀しみは計り知れないだろう。
そしてアカリも、父親を失ってしまう――。
せめてこの世界では幸せに過ごさせてやりたいと、シュウゴは心に強く誓った。




