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第四話 まさかの家庭科

---


「リュウ、ここどういうこと?」


朝のホームルームが始まる前に、ユースケが英語のプリントを持ってきた。


昨日の宿題の続きだ。


「どこ」


「ここ。この文、主語がないじゃん。どこで切れるの」


プリントを見た。


「ここで切れる。この"that"が接続詞で、前の文を受けてる」


「あー! そういうことか!!」


「声がでかい」


「でもわかった!! わかったら言いたくなるじゃん!!!」


(感嘆符3個。お前のわかったときの喜びは毎回でかい。)


ユースケが問題を解き始めた。


鉛筆を走らせながら「でしょ? これでいい?」とちらちら確認してくる。


(こいつは確認の鬼だ。)


でも確認するたびに手が動いている。止まらない。英語を「わかった瞬間」に走り出すタイプだ。


「合ってる。次」


「よし!! リュウ先生最高!!!!」


(先生って言うな。俺も生徒だ。)


(まあ、頭の中は社会人22年のおっさんだが。)


---


4時間目の前に、先生から「今日の家庭科は後期のユニット課題を始める」と言われた。


(家庭科。)


俺は時間割を確認した。


たしかに4時間目は家庭科だった。


(38歳の記憶に家庭科の授業は薄い。というかほぼ存在しない。)


「ユニット課題って何だっけ」とユースケに聞いた。


「あ、班でなんか作るやつ。去年は袋作ったじゃん」


「今年は?」


「知らん。行けばわかるでしょ」


(お前はいつもそういう感じだな。)


---


家庭科室に移動した。


広い部屋に裁縫台が並んでいる。ミシンが10台くらい並んでいた。


先生が前に立って言った。


「今日から布小物の制作課題を始めます。二人一組で、好きなものを一点作ってください」


「二人一組?」とユースケが小声で言った。


「そう聞こえた」


「じゃあ俺とリュウで——」


「ちょっと待って」


先生が続けた。


「組み合わせはこちらで決めます。出席番号で分けますね」


(出席番号。)


出席番号順のペアリングというのは、38年間の人生経験上、最も予測不能な配置になる法則がある。


先生がリストを読み上げ始めた。


「田辺くんと古川さん」


ユースケが「おお」と言った。フミが無表情でユースケを見た。


「柳くんと——」


(来る。)


「——京さん」


俺は何も言わなかった。


ただ、胸のあたりが一拍、変な感じになった。


(落ち着けアラフォー。出席番号の一致だ。アルファベット順に近い並びが偶然重なっただけだ。意味はない。)


(落ち着けた。偉い。)


---


班ごとに席に着いた。


キョンが向かいに座った。


天然パーマが今日も少し広がっている。昨日より湿気がある日だからかもしれない。メガネのレンズが蛍光灯の光を反射している。


「よろしく」と俺は言った。


「……うん」とキョンが言った。


短い。でも昨日のうなずきより一段階進んだ。


(「うん」を引き出した。記録として刻んでおく。)


先生が材料一覧を配り始めた。


A4の紙に、作れるもののリストがある。巾着袋。ポーチ。ランチョンマット。小物入れ。


「何作る?」とキョンに聞いた。


キョンはリストをじっと見た。


「……ポーチ」


「ポーチでいい」


「どんなの」


「どんなの?」


「形。普通の四角でいいの? それとも——」


キョンが急に止まった。


(あ。)


(話しすぎたと思ったな。)


俺は先を続けさせるように、自然に「それとも?」と返した。


「……マチがある方が使いやすいかなとは思って」


「マチってなに」


キョンは少し間を置いた。


たぶん、「説明するのが面倒だ」か「どこまで話していいかわからない」かのどちらかを考えている顔だった。


「ポーチの底の部分に奥行きを出す仕組み。平らなまま縫うんじゃなくて、底を立体的にするの。そっちの方が物が入りやすい」


「なるほど」


「難しくはないけど、ミシンの使い方によっては——」


またキョンが止まった。


「続けていい」と俺は言った。


「……いや、別に」


「聞きたいから」


一秒、間があった。


「……ミシンの目が荒いと縫い目が弱くなるから、布の厚さに合わせて調整する必要があって。家庭科室のミシン、だいたい目が荒いから最初に確認した方がいい」


「わかった。それは任せる」


「え、私が確認するの?」


「お前の方が詳しいだろ」


また間があった。


「……まあ、そうだけど」


(「まあ」が出た。)


(ちょっと嬉しそうだった。気のせいかもしれない。でも気のせいじゃないと思う。)


---


作業が始まった。


キョンがミシンの目を確認した。案の定、デフォルトの設定が荒かった。


「やっぱり」とキョンが言った。「2.5にする」


「わかった」と俺は言った。


「リュウ、ミシン使える?」


「基本は。でもお前の方が上手そうだから、縫うのはお前がやっていい」


「私ばっかりやることになるけど」


「俺は布を押さえる係と、必要なとき言われた通り動く係でいい。指示してくれ」


キョンはまた少し間を置いた。


「……変な分担」


「効率的だと思う」


「なんで私が上手いってわかったの」


俺は少し考えた。


(正直に言うと「2024年のSNSで服作ってるの知ってる」になるが、それは絶対に言えない。)


「ミシンの設定をすぐ確認したから」


「それだけ?」


「材料リスト見たときの顔も」


「顔?」


「普通に見てる顔じゃなかった。考えてる顔だった」


キョンはメガネの奥で、少し目を細めた。


何かを言おうとして、やめた。


代わりに「布、持っといて」と言いながら生地をこちらに渡してきた。


(指示が来た。)


(心の中の38歳が「了解です」と言いそうになった。危なかった。)


「わかった」


---


30分ほど作業が続いた。


キョンが縫って、俺が布を押さえる。


その間、二人ともそんなに喋らなかった。


でも不思議と沈黙が苦じゃなかった。


キョンの手が動いているのを見ていた。


慣れている。ミシンの操作が躊躇なく、迷いがない。布を送る速さが一定で、曲がったところで自然に調整する。


(これが服飾デザイナーの手だ。)


(まだ16歳なのに、もう手が知っている。)


「……うまいな」と言った。


思ったより声に出ていた。


キョンがミシンから目を離さないまま「別に」と言った。


「練習した?」


「家でよくやってる」


「何を作ってるの、家で」


「服とか」


「服? 自分で?」


「うん」


「着てる服も?」


キョンが一瞬だけ手を止めた。


また動いた。


「……たまに」


「すごいな」と俺は言った。


「すごくない」


「すごいと思う。俺には無理だから」


「作ろうと思えば誰でもできる」


「思えない人間の方が多い」


キョンが、ミシンから顔を上げた。


俺の顔を見た。


何かを測るような目だった。


「なんで興味あるの」


「作ることが好きな人間に興味がある」


「自分もそうなの?」


「コードを書くのが好きだった。昔」


「昔?」


(しまった。「昔」と言った。16歳が「昔」と言うな。)


「最近、ちょっと飽きてる」


「へえ」とキョンが言った。


追及しなかった。


ただ「へえ」と言って、また手を動かした。


(このテンポが、SNSのDMのときのキョンと同じだ。)


(短い返事で流す。でも聞いている。)


---


授業の終わり間際に、ポーチのパーツが一通り縫えた。


仕上げは次回に持ち越しだが、形にはなっていた。


「思ったより進んだ」とキョンが言った。


「お前が速かったから」


「リュウが言われた通りに動いてくれたから」


(ほめられた。)


(落ち着けアラフォー。作業分担のほめ言葉だ。浮かれるな。)


でも浮かれた。


片付けをしながら、キョンが少し迷った顔をして言った。


「……あのさ」


「うん」


「ミシンの目の話、ちゃんと聞いてた?」


「2.5にしたやつ?」


「なんでちゃんと覚えてるの」


「言われたことを覚えるのは得意だから」


キョンはしばらく俺を見た。


「変な人だね」とキョンが言った。


「昨日も言ってた」と俺は言った。


キョンが少し固まった。


(「変な人だね」を昨日の廊下での一言と言いかけたが、昨日は一言も会話していない。言ったのは深夜の通話で——)


(あ。)


(これはまずい。深夜の通話の相手だとバレる。)


「あ、いや、なんか昨日もそんな空気があったなと思って」と俺は言った。


「……廊下で目が合っただけだけど」


「そうだった」


「変な人、ここでも言った?」


「顔で言ってた」


キョンが「言ってない」と言った。


でも少しだけ、口の端が動いた。


(笑った。)


(笑いかけて、止めた。)


(それだけで十分だ。)


---


家庭科室から出て、次の授業の教室に移動した。


廊下で、ユースケが走ってきた。


「リュウ! キョンとペアだったじゃん!!! どうだった!!?」


「普通だった」


「普通ってなに。何話した」


「ポーチの作り方」


「ポーチ?! それだけ?!」


「それだけ」


ユースケが「うーん」と言いながら俺の顔を見た。


「でも、なんかリュウ今日普通じゃない? いつもより」


「何が」


「顔」


「顔が何」


「なんか、ちょっと普通の顔してる」


(普通の顔。)


(38歳がポーチのマチの話でこんなに普通の顔になれるとは思っていなかった。)


「気のせいだ」


「ほんとに?」


「ほんとに」


ユースケはしばらく俺を見て、「まあ、でしょね」と言った。


(「でしょね」は俺の否定への同意なのか、自分の観察への確認なのか、どっちだ。)


フミが横を通りながら、一言だけ言った。


「今日の家庭科、どうだった」


「普通だった」


「そう」


フミはそれ以上聞かなかった。


でも、「全部わかってるぞ」の目は今日が一番濃かった。


(こいつ、確実に知ってる。何を知ってるのかは知らないが。)


---


昼休み。


購買でサンドイッチを買って、教室に戻った。


窓際の席で食べていると、廊下側の扉からミナミとサナとリサが入ってきた。


キョンは一番後ろから来た。


手に、MDウォークマンを持っていた。


白いイヤホンが、制服のポケットからのぞいている。


(MDウォークマン。)


(2005年だ。当たり前だ。スマホはない。BluetoothもSpotifyもない。MDウォークマンで音楽を聴く時代だ。)


キョンが窓際の席に荷物を置いて、イヤホンを片方だけつけた。


右のイヤホンだけ。


左は外したまま。


(右のイヤホン。)


(右。)


何かが胸のあたりをかすった。


(落ち着けアラフォー。イヤホン片方だけつける人間はそこそこいる。音楽を聴きながら周囲の音も聞きたいやつがやる。別に特別じゃない。)


でも。


(何を聴いてるんだろう。)


知りたいと思った。


それだけだった。


今日はそれだけで、十分すぎた。


---


**つづく**


---

まさかの家庭科、でした。出席番号の暴力というやつです。キョンがミシンの設定を確認する場面、最初は「2.5」という数字を入れるかどうか迷いました。でも入れた方がリアルだと思って。わかる人にはわかる描写、わかる人がいたらコメントで教えてください。次回、キョンの右のイヤホンの話が、動きます。

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