女王蜂 4
「報告書、読んだか?」
欠伸を噛み殺しながら、拓也は小さく頷く。
「……はい」
それが精一杯だった。
報告書には、過去の遊郭跡の変遷がまとめられている。
龍之介は、薄荷パイプを燻らせていた。
紫煙がゆっくりと天頂へ昇る。
煙の向こうで、男は笑う。
「いいか」
煙の輪が揺れる。
「調査ってのはな」
龍之介はパイプを軽く振った。
「地図に書いてあるものをただ視る仕事じゃない」
一拍。
「書かれてないものを嗅ぎ分ける仕事だ」
拓也は眉を寄せた。
「……“視る仕事”じゃない……?」
龍之介の口元が、わずかに歪む。
「ああ、そうさ。時には実地調査も必要だ。お前も一度くらい、本物の匂いを嗅いでみるといい」
拓也は額を押さえた。
「……だからって、本当に入るんですか」
駅から徒歩十分。市役所からも近い。
普通なら人通りが絶えないはずの場所だ。
だが――その一角だけ、時間が止まっていた。
敷地を囲む錆びた金網。新しく張られた規制線。
塀の向こうでは、背の高い雑草が好き勝手に伸びている。
瓦屋根の一部は崩れ、外壁には長年の風雨に削られた跡。
表札はない。郵便受けも空っぽだ。
表の戸は、わずかに開いている。鍵はかかっていない。
それなのに――人が住んでいる気配だけが、僅かに残っている。
廃墟。
その言葉が、妙に違和感を感じる。
龍之介は金網の隙間から敷地を眺めながら言った。
「今の所有者は橘興業」
パイプを咥え、肩をすくめる。
「まあ、早い話が地上げ屋だ」
拓也は眉をひそめた。
「……で、その前は?」
龍之介は、少しだけ間を置いた。
「料亭」
その言葉が、胸の奥に沈む。
拓也は思わず聞き返した。
「……料理屋? 遊郭じゃなく?」
龍之介は軽く笑い、紫煙を吐いた。
「そういう“建前”はよくある話だ。昭和なんて特にな」
煙がゆっくりと天へ昇る。
「政治と金、女と暴力。――いいかい、綺麗事ばっかじゃ、この国は回んないのよ」
本音と建前。
料亭の仮面の裏に何があるのか。
答えは、まだ闇の中だ。




