第三十八話 監視員
あれは俺が海水浴場のアルバイトをした時の事だった。
新しくオープンした海水浴場でルールも責任者もフワフワしている海水浴場。
そのおかげで特に何のとりえもない俺が一発で面接に合格。
晴れて海水浴場の監視員となった。
その海水浴場はそれまで地元の人間が自由に使っていた海岸を整備したものだった。
段々と人口が減っていく中、とにかく人を呼び込もうという事で海水浴場を作ったのだ。
まあ想像通り、初日はかなり暇だった。
地元の人間か、その知り合いしかいないような状況。
この頃はまだSNSも発達してなかったから爆発的な伸びも期待できなかった。
翌日も予想通り客足は伸びない。
まあ俺みたいなの雇ってるくらいだし、考えが甘いよな。
とりあえず俺はぼろを出さないように2ヶ月だらだら乗り切ろうと考えていた。
実際俺の仕事と言えばテトラポッドに上る人に注意したり、浮輪を拾ったりするくらい。
溺れるような人間なんていやしない。
1週間も経つ頃には完全にだらけきっていた。
監視業務は夕方5時まで、そこからは毎日酒を飲んで家に帰る生活。
と言ってもお金が無いので発泡酒を2本飲んでお開きのお手軽飲み会だ。
気づけばもう8月13日、お盆の時期になっていた。
この頃になるとただでさえ少なかった客は減り、日に10人も泳いでいればいい方だった。
原因はいくつもある。
まず台風。
こいつは厄介だ。
どうあがいても止めようがないし、後片付けがとにかく面倒だ。
ウッドデッキに舞った砂や、流れ着いたゴミ、異臭を放つ魚の死骸、文句を言ったらきりがない。
それでも夏の間に来るのは1回か2回なのでそこまで被害は無い。
クラゲの大量発生もきつい。
中には毒を持った種類もいて泳ぐのはとても危険だ。
そのため監視員の業務にはクラゲの駆除も含まれていた。
手漕ぎボートとタモを駆使し、出来る限りのクラゲを駆除する。
この時は食べる方法も知らなかったから海岸の一ケ所に集めて日干ししてたな。
どうせ客もいないし近づくなって看板さえあればいいだろうって。
何よりこの時期からめっきり水温が下がる。
日中はまだしも朝や夕方は体が冷えるから誰も泳がない。
泊まりに来た旅行客でさえすぐに水から上がる始末。
だからこの時期に泳いでいる人間はとても記憶に残る。
この日もいつものように仕事を終え、アルコールを摂取していると海水浴場の飛び込み台に人影が見えた。
シルエットから女性だと分かったが暗くなってきたせいで顔はよく見えない。
本来もう泳いではいけない時間だったが、仕事の時間も過ぎていたので注意はしなかった。
溺れたら助けようかと思っていたがその女性は俺がトイレに行っている間にいなくなっていた。
寒いからな、もう上がったんだろう。
周りも騒いでいなかったので俺はそう判断しほろ酔い気分で家に帰った。
8月14日、バイト仲間に昨日の女性の事を聞くが誰も知らない。
そもそも飛び込み台に人なんていなかったぞと言われる。
終いには彼女がいないから幻覚でも見たんだろうと笑われた。
見た気がするんだけど、本当に酔っぱらって幻覚でも見たのかもしれない。
一応女性が溺れて死んでいる可能性もあるので手漕ぎボートで周囲を一周する。
テトラや岩場、飛び込み台を確認したが誰も見つからない。
ほっとするものの、胸のモヤモヤがとれない。
あれは本当に見間違いや幻覚だったのか?
この日は翌日の夏祭りの準備もあって遅くまで残っていた。
飾りつけや屋台の準備を手伝わされたのだ。
重労働なのでアルコールを摂取している暇も無かった。
差し入れのポカリを飲みつつ少し休憩をとる。
何の気なしに飛び込み台を見てみた。
そこには昨日と同じシルエットがある。
今日俺は一滴たりとも酒を飲んでいない、つまりあれは見間違いじゃない。
つーか馬鹿じゃねーのかもう夜9時だぞ。
下手すると死ぬかもしれねーのに。
ああそうだ、あいつにも教えてやろう。
見間違いじゃなかったって。
そう視線をバイト仲間の方に向けた一瞬の間に女は消えていた。
8月15日、さすがに少し気味が悪くなってきた。
マジで俺は病気なのかもしれない。
明日は1日休みだし病院で検査してもらおうかな。
そんな事を考えながら1日が過ぎていった。
夜は地元の人間が集まっての夏祭り。
昔ながらの盆踊りや金魚すくい、少ないが打上花火まであった。
だが俺は女の事が気になってしょうがなかった。
1人祭りの会場から離れ、波打ち際から飛び込み台を見つめていた。
自分でも何をやっているんだろうと思う。
でも気になるものは気になるのだ。
今日も飛び込み台に現れるとは限らないが何もしないよりましだった。
ぼうっと眺めていると賑やかな声が次第に小さくなっていく。
代わりに聞こえてきたのは後片付けの音。
もうそんな時間か、仕方ない、俺も帰るか。
そう心でため息をついた時飛び込み台に影が現れた。
俺は来たっと意気込む。
今度こそ顔を拝んでやる、そう思って海に入ろうとした瞬間バイト仲間が俺を呼んだ。
次の瞬間俺は目を覚ました。
どうやら波打ち際で酒を飲みながら寝ていたようだ。
バイト仲間の声が聞こえなかったら俺は波に呑まれていたかもしれない。
どこからが夢だったのだろうか、揺れる頭で考えるが思考が形にならない。
今日はもうダメだな、女の事はあきらめて帰ろう。
そう決めて立ち上がると海の中からこちらを見る女と目があった。
ゾクゾクゾクっと背すじに悪寒が走る。
目が離せない。
足が動かない。
女はじっとこちらを見ている。
このままだとヤバイ、どうにかしないと。
だが体は一向に動かない。
俺を見つめたまま女が口を開いた。
「次は一緒に泳ぎましょう。」
そう言うと女は目を見開き、口が耳元まで裂けるほど笑った。
笑いながら一緒に泳ぎましょうとずっと言い続けている。
俺の体は恐怖に支配されたままその光景をただ見ているしかなかった。
だが次の瞬間女は笑ったまま海の底に消えていく。
同時に金縛りのようになっていた体は自由になり、俺はその場に座り込んだ。
この後も俺は監視員を続けた。
だが海には一切入らず、仕事が終わるとすぐに帰った。
あの女の正体も、何故俺を狙ったのかも分からない。
ただ1つ言える事は次に俺が海に入ったら俺は連れていかれると言う事だ。
今でも目をつむるとあの女の声が頭に響く。
「次は一緒に泳ぎましょう、海の底で永遠に」




