第53話 失敗した人間の成果
王立アウレリア淑女学院の重厚な大会議室には、息の詰まるような緊張感が満ちていた。
本日は、王家救恤基金から一年限定で助成を受けていた「特別試験課程」の最終審査会。長円形の卓の上座には、アデライド王妃殿下が静かに座り、その隣には学院の予算と規律を握るマルグリット・セルヴァン理事が、分厚い資料を前に厳しい視線を光らせている。
卓の片側には私とユリウスが並んで座り、向かいの席には外部評価者として呼ばれたフェリシア様、実務家代表のエルザ様、そして王宮行政管理部から資料提出のために派遣されたアルベルトの姿があった。
「――結論から申し上げます。ハルフォード特任講師が担当した五名の受講者のうち、当学院の卒業基準を完全に満たし、内部進学や正規の官定職へ進んだ者は二名に留まりました」
マルグリット理事が、冷徹な事実を読み上げる。
「残る三名のうち、一名は王立文書館の外部訓練へ転向。一名は現在も再就業先が未定。もう一名は、体調不良による長期離脱でカリキュラムを未修了のままです。……純粋な『合格率』や『卒業率』という物差しで測るならば、この試験課程は学院の通常課程に遠く及ばない。これが、限られた教育資源を投じた結果の数字です」
理事の言葉に、会議室の空気が重く沈んだ。
「数字の通りです、理事。もしこの課程を『全員をトップエリートに引き上げるための場所』として評価するなら、完全に失敗だと言わざるを得ません」
私は立ち上がり、マルグリット理事の目を真っ直ぐに見返した。
隣に座るユリウスは、共同提案者の資料を開いたまま、私の言葉を待っている。
「ですが、私たちがこの一年間で集めた成果は、その『合格率』の表には載っていない部分にあります」
私は、卓の中央に五冊の『失敗記録帳』の写しを提示した。
「ノエミ・ベルク嬢の記録をご覧ください。彼女は公開試験で重大なミスを犯し、総合順位は高くありませんでした。しかし彼女は、以前のように絶望して逃げ出すことなく、その場で深呼吸をし、自分ができる代替案を提示して最後まで試験の場に残りきりました。これは、実務の現場において『崩壊を防ぐ』という何より重要な成果です」
さらに、私はクロエさんの資料をめくった。
「学院を去ったクロエ嬢は、対人実務では落第でしたが、現在は王立文書館の書記官見習いとして、誰よりも正確な記録業務をこなし、自立した生活を送っています。……彼女たちは『学院の合格者』にはなれなかったかもしれない。けれど、失敗したまま社会の底へ沈んだわけでもありません」
私は卓の向かいに座るアルベルトへ視線を送った。
アルベルトは静かに頷き、手元の集計資料を理事たちへ配った。
「行政管理部のデータから補足します」
かつて私との婚約を一方的に解消した元婚約者は、今は資料提出者として、淡々と事実だけを口にした。
「ハルフォード特任講師が担当した五名のうち、正規の進路または外部訓練への移行が確定した三名について、再教育の機会がなかった場合と比較した将来的な支援費を試算しました。……三名については、長期支援へ移行する可能性が低下しており、将来的な国家支出の抑制が見込まれます。ただし、残る二名は進路未定・療養中であり、この五名だけで制度の成功を断定することはできません」
アルベルトの集計によって、五人の記録は長期支援費との比較が可能な数字へ変わった。
「なるほど、長期的な損失の回避ですか。確かに、一理ありますわね」
マルグリット理事が、少しだけ手元の数字に目を落とした。
「ですが、どれほど社会的な意義があろうと、学院の予算は無限ではありません。優秀な上位生徒の教育枠を削ってまで、なぜ本学院がその再挑戦の面倒を見続けなければならないのですか?」
「それについては、外部監査役として私が証言いたします」
エルザ様が凛とした声で立ち上がった。
「私は過去に、この学院で大きな失敗をし、順位を大きく落としました。あの時、私を即座に切り捨てず、失敗から立て直すための時間と指導を与えてくれたこの場所の環境があったからこそ、私は今、実務家としてここに座っています。再挑戦のノウハウは、決して底辺の者だけのものではありません。上位の人間が現場で転んだ時、そこから復帰するための『生きた教訓』として、必ず学院全体の強さへ還元されます」
「とはいえ、予算の枠を奪い合う構造は不健全ですわね」
フェリシア様が、涼やかな声で議論を引き継いだ。
「ハルフォード講師から照会を受け、学院側の人員配置を検証しました。再挑戦課程を別施設・別会計とし、学院は教材と教員の一部派遣だけを担う形なら、高度外交実務演習の授業数は元に戻せます。上位教育を削らずに両立可能ですわ」
アルベルトも別の資料を開いた。
「行政面も確認済みです。救恤局の既存予算を恒久的に移すことはできませんが、年度ごとの成果審査を条件とする補助金なら拠出できます。王家救恤基金、同窓基金、救恤局の三者を別会計へ接続し、使途を個別監査する書式も作成しました」
私は二人の検証結果を受け取り、最後の計画書を卓上へ置いた。
「以上を踏まえ、私から最終案を提出します。再挑戦課程を学院内部の補習として恒久化する案は撤回します」
マルグリット理事が顔を上げた。
「学院とは別会計・別施設の小規模な試験機関として独立させます。学院は教育手法を、救恤局は再就業支援の情報を、各基金は条件付きの助成を提供する。対象も学院生だけに限りません。失職者や、別の教育機関で適性が合わなかった者も受け入れます」
私は計画書の表紙を、王妃殿下の前へ差し出した。
「名称は『王立再起院』。成果が認められなければ次年度の予算は縮小し、改善が続けば少しずつ受け入れを広げる。学院の格を守りながら、失敗した人が別の道を試せる入口を残すための案です」
長い議論の末、ずっと沈黙を守っていたアデライド王妃殿下が、ゆっくりと口を開いた。
「……情に訴えるのではなく、複数の指標で成果を証明し、財源の分離まで設計してきたこと。見事な手腕ですね」
「よろしい。この独立機関案であれば、私の基金からも次年度の継続助成を認めましょう。ただし、いきなり全国展開のような無謀な真似は許しません。まずは『王都第一院』とし、初年度は少人数での試験開院とすること。これが条件です」
「異議はありません。学院としても、別会計・別組織であるならば、教員の人材派遣と教育ノウハウの提供という形で協力を惜しみません」
マルグリット理事も、ついに首を縦に振った。
その瞬間、会議室にいた全員の間に、静かな、けれど確かな安堵の息が漏れた。
「では、新機関の名称は、以前の提案通り『王立再起院』とします」
王妃殿下が宣言し、記録官がその名を議事録へと書き込んだ。
王立再起院。
一度失敗した人間が、何度でも自分の間違いを記録し、別の道を選び直すための、小さな入口。
「ハルフォード嬢。あなたには、その王立再起院の初代教務責任者候補として、現場の設計と運営を引き続き任せます。期待していますよ」
「――はい。必ず、形にしてみせます」
私は深く頭を下げ、その重い責任を自らの両手で受け取った。
審査会が終わり、関係者たちが散会していく中。
私とユリウスは、教員室に戻るために誰もいない渡り廊下を並んで歩いていた。
「王都第一院、教務責任者か。二十一歳にしては重すぎる肩書だな」
隣を歩くユリウスが、前を向いたまま静かに言った。
「万能の権限をもらったわけではありません。予算は常にカツカツでしょうし、入ってくるのは傷ついて心を閉ざした人ばかり。きっと、毎日胃を痛めることになります」
「だろうな。だが、君ならやれる」
その声には、私が生徒だった頃の「教官としての指導」の響きはもうなかった。私の実力を完全に信頼し、背中を預けてくれるパートナーとしての声だ。
私たちは立ち止まり、視線を合わせた。
昨夜、互いの気持ちを確かめてから、初めて迎えた大きな仕事の区切りだった。
「ユリウス。……書類の作成、最後まで手伝ってくれてありがとうございました」
「礼には及ばない。これは私の仕事でもある」
彼は少しだけ目を細め、誰も見ていないことを確認するように周囲に視線を巡らせてから、私の手にそっと自分の手を重ねた。
「今日は少しだけ、遅めの夕食に付き合わないか。仕事の慰労……いや、私的な時間としてだ」
手の甲に触れる彼の親指の体温が、仕事の緊張から私をゆっくりと解放していく。
「はい。喜んで」
私は彼の手を優しく握り返し、微笑んだ。
再起院の開院準備という、途方もない仕事が明日から待っている。
でも、私にはもう何の迷いもない。失敗すればまた記録して、彼と一緒に、何度でも新しい道を選び直せばいいのだから。




