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婚約破棄された落ちこぼれ令嬢は、鬼教官と失敗記録帳で百二十七位から人生を立て直す  作者: 他力本願寺


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第48話 先生とは違う教官

特任講師としての任期が終盤に差し掛かった冬の入り口。


 私は、王立アウレリア淑女学院の重厚な院長室に呼び出されていた。


 大きな執務机越しに私を見据えるのは、白髪交じりの髪を隙なく結い上げた学院長。そして少し離れたソファには、私の指導記録の確認者として同席を求められたユリウス・ヴァイス教導官が座っていた。


「ハルフォード特任講師。あなた自身の勤務評価資料と、受講者五名の秋までの進捗報告、ならびに外部評価者からの検証データに、すべて目を通しました」


 学院長は、私の提出した分厚いファイルに手を置き、静かな声で口を開いた。


「ノエミ・ベルク嬢が公開試験で退出せず、実務の盤面に踏みとどまったことは大きな成果です。ですが、私たちが評価したのは彼女一人の結果だけではありません」


 学院長は一枚の書類を抜き出した。それは、私自身の『失敗の記録』だった。


「特任期間の初期、あなたはノエミ嬢に対し、自身の成功体験をそのまま押し付けてパニックに陥らせました。また、対人実務に適性のない生徒を、無理に学院の型に嵌めて残そうとし、不要な苦痛を与えた。……教える側としては、非常に危うく手痛いミスです」


 事実を真っ直ぐに突きつけられ、私は膝の上で小さく拳を握った。言い訳はできない。


「ですが」


 学院長はそこで言葉を区切り、微かに目尻を下げた。


「あなたは自分の失敗を隠さず、相手をよく観察し、方法を修正しました。適性のない生徒には無理な継続を強要せず、王立文書館の外部訓練という別ルートへの転向を手配した。他の生徒に対しても、各教員や王宮の窓口と連携し、それぞれに合う訓練環境を整えた。……一人の天才を育てることではなく、複数のケースにおいて『次に進むための道』を作ったその手腕は、実務教官として高く評価できるものです」


 胸の奥に、温かいものが込み上げてきた。


 私が評価されたのは、完璧な教育ができたからではない。失敗し、迷いながらも、生徒と一緒に別の選択肢を探し続けた、その過程そのものだったのだ。


「来年度から、本学院の常任教官として正式にあなたを迎える用意があります」


 学院長からの、明確な打診。


 二十一歳の私にとって、それは破格の提案だった。入学時に百二十七位だった落ちこぼれが、王宮での下級実務を経て、ついにこの学院の正式な教官として認められたのだ。


「……身に余る光栄です」


 私は深く頭を下げ、そして真っ直ぐに顔を上げた。


「ですが、即答はいたしかねます。少し、考えるお時間をいただけないでしょうか」


 学院長は驚いたように眉を上げたが、私は言葉を続けた。


「この再挑戦課程は、まだマルグリット理事が指摘された『恒久的な予算と上位教育との両立』という課題をクリアしていません。王宮での私の本務もあります。私がどの立場で関わることがこの制度にとって最善か、整理してからお返事したいのです」


「……ええ、構いません。熟考を期待していますよ」


 与えられた役職にただ飛びつくのではなく、自分の責任の範囲で考える。私のその保留を、学院長は咎めることなく受け入れてくれた。


 院長室を辞し、静かな廊下を歩いていると、後から出てきたユリウス教官が並んで歩調を合わせた。


「驚いたな。常任教官の椅子を即座に蹴るとは」


「蹴ったわけではありません。条件を整えずに引き受けて、途中で放り出す無責任な真似をしたくないだけです」


「正しい判断だ。感情だけで大任を引き受けないのは、君が実務家として育った証拠だな」


 教官は前を向いたまま、平坦な声で続けた。


「君の教育記録は、非常に興味深いものだった。最初は私の『失敗記録帳』を丸写しにして自滅するかと思ったが、見事に私の模倣から抜け出したな」


「教導官の『問いで考えさせる』方法は、自己肯定感が極端に低い生徒には負荷が高すぎます」


 私は、彼の顔を見上げてはっきりと反論した。


「彼女たちには、まず『失敗しても見捨てられない安全な環境』を保証するところから始めないと、対話すら成り立ちません。先生のやり方は、ある程度の基礎体力がある相手にしか通用しない、ひどくスパルタな方法ですよ」


 かつての私なら、彼の手法に意見するなど恐れ多くてできなかった。


 しかし教官は怒るどころか、少しだけ目を丸くし、やがて満足げにふっと口角を上げた。


「手厳しいな。だが、一理ある。私のやり方が万能ではないことくらい、私自身が一番よく分かっている。……だからこそ、君のような別のアプローチができる教官が必要なのだ」


 それは、上の立場から正解を与える『先生』の言葉ではない。異なる専門性を持つ『同僚』に対する、対等な意見交換だった。


 私たちはもう、教え、教えられる関係ではない。職務において、私は完全に彼と同じ目線に立っているのだ。


 廊下の分岐点で、教官は「では、私は午後の講義がある」と短く告げて東棟へ向かった。


 彼の広い背中を見送りながら、私は小さく息を吐き出した。


 仕事の上では、私は彼の隣に並ぶことができた。


 残る問題は、たった一つだけだ。


 以前、私が彼を私的な外出に誘った時、彼は任期評価中の利益相反を理由に境界線を引いた。その任期評価は今日で終わった。彼はもう、私の働き方を採点する立場ではない。


 それでも彼の気持ちは分からない。私が彼に向ける感情が、どん底から救ってくれた恩義なのか、それとも一人の男性への好意なのか。それを決める責任まで、彼に預けるつもりはなかった。


「今度は、私が選んだ言葉で伝える」


 私は強く拳を握りしめた。


 匂わせて察してもらうような、曖昧な逃げ道はもういらない。


「次で最後にする」


 私は決意した。


 彼が引いた線を越えるために、今度こそ誤解の余地のない言葉で、一度だけ私の本当の気持ちを彼にぶつける。


 一人の自立した女性として、彼と正面から向き合うために。

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