第34話 卒業
冬の澄み切った空気が、王立アウレリア淑女学院の大広間を満たしていた。
本日は卒業式。広間の壁には、私たちの一年間の集大成となる最終総合順位が張り出されている。
最上段には、揺るぎない筆致で『第一位(首席) フェリシア・オルブライト』と記されていた。
少し視線を下げると、『第十四位 エルザ・ローゼンベルク』。
そして、『第十八位 リディア・ハルフォード』。
十八位。
それが、私の最終的な到達点だった。
成績表の項目別評価を見ると、礼法や舞踏、語学といった基礎科目は、相変わらず平均かそれより少し上程度に留まっている。私より上にいる十七名の令嬢たちのような、完璧で優雅な貴族の鑑には、結局なれなかった。
だが、その成績表の最後尾。『危機対応』および『実務応用』の項目においてのみ、私の成績はフェリシア様をも上回り、百二十八人中で単独首位の評価を受けていた。
春の入学診断試験で百二十七位だった私が、一つの不測の事態でパニックになって泣き崩れていた私が。失敗の型を整理し、立て直す手順を愚直に繰り返すことで、上位の令嬢たちとも肩を並べて実務の現場を回せるようになったのだ。
「十八位。まあ、救恤局での立ち回りを思えば、妥当なところですわね」
隣に並んだエルザ様が、扇を手に誇らしげに言った。
「でも、総合では私の十四位の方が上ですわ。言ったでしょう、あなたには追いつかせないって」
「はい。今回はエルザ様の逃げ切り勝ちです。でも、実務の世界に出たらまた分かりませんよ」
私が微笑んで返すと、エルザ様は「ふふん」と得意げに笑った。
「王都の実務部門でも、あなたたちとの縁は続きそうね」
フェリシア様が涼やかな声で加わった。
「私は王宮の政策立案部門へ進むことになったわ。エルザさんは実家の領地経営を継ぎながら、外部監査役として役所に出入りするとか」
「ええ。現場の数字をごまかそうとしても、私の目は誤魔化せませんことよ」
三人の進む道は別々だ。けれど、あの大混乱の広場で背中を預け合った私たちは、もうただ蹴落とし合うだけの競争相手ではない。別の場所でそれぞれの得意分野を活かしながら、いつかまた一つの現場で連携できる仲間なのだ。
「これからも、よろしくお願いいたしますね」
私たちが互いに敬意を込めて一礼し合った時、背後からおずおずとした声がかかった。
「あの……ハルフォードさん」
振り返ると、以前私に失敗記録帳の作り方を尋ねてきた下位の生徒、セリアさんが立っていた。
「卒業、おめでとうございます。あの……私、ハルフォードさんにやり方を教わったおかげで、無事に卒業基準を満たすことができました」
「セリアさん。本当によかったわ」
「はい。ハルフォードさんは……私がどうして失敗して、何が怖いのかを、自分のことのように分かって、私に合ったやり方を一緒に探してくれました」
セリアさんは少しはにかみながら、私の顔を見上げた。
「だから……ハルフォードさんは、誰かに実務を教えるお仕事、すごく向いているんじゃないかって思います」
教える仕事。
その言葉に、私は少しだけ目を丸くした。私が誰かに教えるなんて、考えたこともなかった。私はただ、自分の失敗をどうにかするために必死だっただけだ。
私の卒業後の進路は、王宮の再就業・支援部門に決まっている。アルベルトのように制度案の数字を扱う分析官ではなく、実際に職を失った人たちの窓口に立ち、聞き取りや記録を行う現場の実務官だ。
でも、もし。私がこの学院で鬼教官から与えられた「立ち上がるための方法」を、別の誰かに手渡していくことができるのなら。
セリアさんの言葉は、私の中に小さな、けれど温かい種となって静かに落ちた。
式典が終わり、生徒たちが帰り支度を始める中、私は一人で個別訓練室へ向かった。
一年間、私が居残りで使い続けた長机。そこには、ユリウス教官が静かに立っていた。
「教官」
私が声をかけると、教官は振り返り、私の顔を見て短く言った。
「十八位か。悪くない結果だ」
「はい。……すべて、教官が私をあの夜会の庭園で拾い、見捨てずに導いてくださったおかげです。本当に、ありがとうございました」
私が深々と頭を下げると、教官は小さく息を吐いた。
「勘違いするな。私は君に、どうすれば立て直せるかという『問い』を与えたに過ぎない。三十七個の惨めな失敗から逃げず、一つずつ向き合い、自分の足で立ち上がってあの順位をもぎ取ったのは、他の誰でもない君自身だ」
やったのは君だ。
その言葉に、私は顔を上げた。
教官の目は、無力で哀れな落第令嬢を見るものではなくなっていた。厳しいけれど、一人の自立した実務家に対する、確かな敬意と信頼がそこにあった。
私は、彼のことが特別に好きだった。
失敗しても終わらないという安心感を与えてくれたこの人の前でだけは、私はいつも弱い自分のままでいられた。でも、だからこそ、私は彼に甘えたままではいけないのだと分かっていた。
恩義や依存を、恋と混同したくない。
次にこの人に会う時は、「教えてもらう生徒」としてではなく。自分の足で立ち、自分の責任で生きる一人の人間として、胸を張って対等に隣に立ちたい。
「……教官。私、現場の実務官として、これから王宮の支援部門で働きます。たくさん苦労して、自分の力で生きていきます」
私は真っ直ぐに教官の目を見て、微笑んだ。
「だから、いつかまたどこかでお会いした時は……その時は、先生と生徒としてではなく、一人の人間として、私とお話ししてください」
教官はわずかに目を見張り、それから、いつもの厳しい顔をふっと緩めて、微かに口角を上げた。
「ああ。楽しみにしている」
学院の正門を抜けると、冷たい冬の風が私の髪を揺らした。
私は立ち止まり、鞄の中から一冊のノートを取り出した。
表紙は擦り切れ、ページは黒々としたインクで埋め尽くされた『失敗記録帳』。私が「何もできない自分」から抜け出すために、泣きながら書き連ねてきた学院生活の証。
私はその使い込んだ手帳を鞄の奥底へそっとしまい込み、代わりに、真新しい白紙の手帳を取り出した。
私が完璧な令嬢になって、もう二度と失敗しなくなったから手帳を替えるわけではない。
現場の実務に出れば、きっとまた私は数え切れないほどの失敗をする。壁にぶつかり、立ちすくみ、自分の無力さに打ちひしがれる日が来るだろう。
だからこそ、私には『次の失敗を書くための新しい場所』が必要なのだ。転んでも、記録して、また立ち上がるために。
私は新しい手帳の滑らかな表紙を撫で、前を向いた。
私の本当の人生は、ここから始まるのだ。




